岡田純良帝國小倉日記

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魂を売り渡した男・島尾敏雄と奄美諸島(拾)
1月12日
魂を売り渡した男・島尾敏雄と奄美諸島(拾)
 きれいごとを言うのは大嫌いなので、俺なりに記すが、戦記文学にも種別があると想う。石川達三(1905-85年)の発禁処分を受けた「生きてゐる兵隊」だとか大岡昇平(1909-88年)のレイテ戦記系とかが戦争文学の代表例とされ、実際、 大岡昇平は30歳を過ぎたロートルで召集令状を受け、密林を這い回ることになった。
敗戦前には日本だけでなく台湾や朝鮮半島でも広く読まれていた火野葦平(1907-60年)の兵隊三部作などは、最近まで全く顧みられることがなかった。これもまた、ある偏向した考え方が強かったおかしな時代が長く続いたからでもある。
 また、同じ特攻隊所属でも、梅崎春夫(1915-65年)のように、暗号兵であったためなのか、戦争文学を書いても、特攻について一切沈黙を保って亡くなった人もある。もっとも梅崎春夫の場合、酒の飲み方は尋常ではなく、狂ったように泣いたそうだから、酒で苦しみを紛らわせていたところがあるのだろう。

奄美ツアー 20180812 (しまバス車内).jpg

 彼等とも違うのが京都大学の歴史学者、「アーロン収容所」の会田雄次(1916-97年)だろう。ルネッサンスの大家でも、収容所での実体験からか、イギリス人を蛇蝎のように嫌った。嫌う権利が俺にはある、という体験からの気概があって、俺などは好きな人だった。
 また、山本七兵(1921-91年)の「私の中の日本軍」なども十分に読み応えのある本だった。「空気の研究」は日本社会の最暗黒部を簡潔に指摘したストレートな社会啓蒙書でもあるし、これもまた、一兵士として従軍した体験が彼をしてこれを書かせたのだと想わせる気迫が感じられる。
 しかし、気迫なら、やっぱり、我ら日本人は「平家物語」の子孫だと想うのは、吉田満(1923-79年)の「戦艦大和ノ最期」には他を全て棄てても取り上げたい何かが込められているように感じられる。
 俺は「海行かば」を思い浮かべる。
    「海行かば水漬く屍
    山行かば草生す屍
    大君の辺にこそ死なめ
    かえりみはせじ」
 この短い歌の最後の行を代えた、「長閑には死なじ」の方が脳裏に浮かぶのである。

奄美ツアー 20180812 (フンドウテン あたりや醤油店).jpg

 その点、どう差し引いてみても気迫の感じられないのが島尾敏雄(1917-86年)の「出発はついに訪れず」。同じ戦時の記録文学としては「出孤島記」にも気迫が感じられない。特攻の志を果たせず終戦を迎えたわけなので、それはそれとして小説は成功しているのだろう。
 しかし、加計呂麻の基地の跡に立ってみると、薄っぺらい実体験が透けて見えるようだ。現場に立ったなら腹を抱えて笑ってしまうような陳腐な特攻作戦だった震洋の特攻作戦。これを小説に仕立てた島尾敏雄は太いヤツである。陳腐な特攻作戦を巧みに美化していくのである。あんまりである。隊員のことは笑えないが、作戦は笑止千万だ。あんな馬鹿な作戦があっていいものか。散々嗤った後で、怒りが湧いてくる。


追記
昨晩はモリオでブルースかと思いきや、なし川港南口ブルース。いいんだよ、いいんだよ、クジラのステーキ喰って、おっかないおっかさんにシャクなんかされたら後が怖いもんね。
昨日は午後になって世界中からメールあり。負け戦のポツダム宣言受諾の事実関係の確認だった。しかし最後になってまさかの超大物が大阪から飲みのご要請。うーん、飲みながらポツダム宣言受諾までの歴史を語らされるのも片腹痛いことですわい。仕方ないけどこれで我が一族三代の歴史も完結したわいね。笑って振り返る事にしよう。
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