岡田純良帝國小倉日記

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魂を売り渡した男・島尾敏雄と奄美諸島(玖)
1月11日
魂を売り渡した男・島尾敏雄と奄美諸島(玖)
 田中一村(1908-77年)は50歳になる1958年から名瀬に移り住んだ。だから、同じ時期に名瀬の図書館長を務めていた島尾敏雄(1917-86年)と街で行き会ったこともあっただろう。
 しかしそのことはお互いに俺の知る限りでは書いていないようで、小説家と画家だから、お互い違う業界ではあっても、狭い街のことなのに、それが何よりも不思議な気がした。島尾敏雄側には田中を画家として認めないところがあったのか、あるいは、田中の方こそ島尾敏雄を軽んじたか。

奄美ツアー 20180812 (田中一村邸1).jpg

 田中一村の美術館で受けた最大の衝撃は座右の書として死ぬ日まで手元に置いておいた同業の先達が「Picaso」画集であったことだ。
 田中の愛したアカショウビンの姿だけは観られなかったが、可憐な鳴き声は幾度も聴き、浜辺のアダンも満喫した。マングローブの自生するジャングルをカヌーを漕いで通過し、リュウキュウシダの原生林を歩いた。政府が特別天然記念物に初めて指定した奄美のクロウサギも目の当たりに観た。
 そして震洋特攻隊の基地だった入り江にもアダンが自生していたこともよく分かった。だから、そのアダンを熱心に観察し、異様なまでに細密な画を描いた画家のことを、もし、島尾が知っていたら、交流がないとは想像できないから、田中がそうと名乗らずに沈黙を続けたのかも知れない。

奄美ツアー 20180812 (田中一村邸2).jpg

 それにしても、震洋のレプリカを基地まで行って見たが、自動車のエンジンを搭載したベニヤの船に250kgの爆薬を積みこんで体当たりするとは、もう、荒唐無稽でシュールと呼びたくなる。今なら高校性さえ「オジサン、そんなのムリ」と決め付けそうな中身である。
 こんな静謐な入り江に近在の旧制中学生たちを動員して、穴を掘らせてベニヤの船艇を隠すというバカバカしさ。島民は、当初、九州からやって来た特攻隊員たちのことを恐れ、遠巻きに見ていたという。真相は、バカではないかと想ったのではないか。

奄美ツアー 20180812 (田中一村邸3).jpg

 そこに大平ミホ先生が現われて隊員たちと交流し、子供たちは優しい27歳の島尾隊長によくなついた。そして先生は「島尾隊長の歌」を作り、子供たちに歌わせただけではなく、島尾隊の劇まで作って子供たちに演じさせ、隊員たちを慰労したのである。
 25歳の“行かず後家”のミホ先生から見れば、27歳の島尾隊長は光り輝いて見えたが、死ぬはずの島尾隊に出撃命令は降りても、出発の機会はついに訪れなかった。
 「大和」で坊ノ岬沖の特攻に参加した人たちと比べるのはどうかと想うけれども、実戦に参加して、多数の戦友を喪った人たちの戦後と、南海の離島で、毎晩、土地の女を抱いて、出撃命令を待っていたベニヤの船の特攻隊長が敗戦後に背負ったものとでは天地の開きがあっただろう。
 (俺は死に損ないにも値しない)
 島尾敏雄は、本音でそう感じていたのかどうか俺は知らない。


追記
久し振りに丸の内。2年振りにアフリカ方面から来た若者に合うもゆっくり話ができず。心残りのままで残念なことであつた。
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