岡田純良帝國小倉日記

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やっぱり面白い、潮五郎節(中)。
10月8日
やっぱり面白い、潮五郎節(中)。
 「戦国風流武士 前田慶次郎」[海音寺潮五郎著, 文春文庫]
 昨日からの続きになるが、海音寺潮五郎(1901-77年)は岡田の一族にとっては縁がある。今では伊佐市になったが、大口の潮五郎センセイの生家・末富家と大口の在の市山部落の岡田家の間で、子供たちは交流があって、祖父の純良はガキ大将だった潮五郎先生に付き従って遊んでいたという話がある。
 それもあって、俺には、潮五郎作品なら知られる代表作より「新装版 田原坂―小説集・西南戦争」[文春文庫]の方が大切だ。長らく絶版であったが、2011年に文春が復刻した。潮五郎が幼い頃に老人から聞いた大口周辺の西南戦争にまつわる口伝を小説に仕立てた。一族の村落にも明治初期にどれだけ内乱で血が流されたか、という話が綴られている。我が一族の暮らしぶりを今に伝えるものとして時折開いて楽しんでいる。
     
     「天地人」(1).jpg

 さて、話がそれた。前田慶次郎の生涯を綴った小説だが、直江兼続の方が気になったという話の続きだった。
慶次郎の使えた上杉家の家老、というよりも、世が世ならまず大大名になったであろう直江山城守兼続。武勇の聞こえた名将は、越後全域が米どころとして今日までの発展を遂げる礎を築いた政治家でもある。また一方では歌や文学を愛好する数寄者でもあった。
 慶次郎との付き合いもその辺りからで、京都で浪人していた慶次郎を主君の上杉に仕官するように仕向けたのも直江兼続であった。戦国の文武両道の性格が現れていて面白い。茶会で顔を合わせ、相互に行き来することで、兼続は慶次郎の人となりを知り、仕官の道を拓いたわけだ。芸は身を助く、である。これも直接古文書に当たった人の筆らしく、古い人が直ぐ間近に感じられるものだ。
 この兼続は徳川家康に叩きつけた「直江状」で知られる。文武両道で面白いと膝を打った次第。たとえ400年前でも変わらない。気骨とユーモアは遺した文章で分かってしまう。原文を引いてみたい。
 「景勝逆心不穏便に候間、別心なきに於ては上洛尤もの由、内府様御内証の由、迚も内府様御等間なく候はば、讒人申分有らまし仰せ越され、きっと御糾明候てこそ御懇切の験したるべき処に、意趣逆心なしと申唱へ候間、別心なきに於ては上洛候へなどと、乳呑子の会釈、是非に及ばず候」

「直江状」(2).jpg

 「上杉景勝に下心がないなら上京して家康にお目通りせよとのお話ですが、家康様に申し上げた讒言の内容を教えていただけるなら、きっと究明頂けるところなのですが、逆心無しと申し上げているのに、別心ないなら上洛せよとは乳飲み子の解釈であり、お話にもなりません」
 本書には、実は「直江状」のことは引かれておらず、ただ要点のみをまとめてあるだけ。潮五郎は機会があれば是非全文を読み、直江兼続の勇猛・豪胆ぶりを味わって欲しいとわざわざ書いている。そういう国文学的な注釈に潮五郎節の真骨頂がある。だからその真意は「直江状」を味わってみて、よく骨身に沁みてくる。「戦国風流武士」を読むのなら、「直江状」は必読である、そう、言いたいのだ。このガンコじいさんは。
 弟子筋でもある司馬遼太郎(1923-96年)も、よく、「閑話休題」で話題を転じて、座談風の文章を挿入したが、潮五郎とは違っている。横道に入る話では潮五郎には男性の鷹揚な爽快さがあり、司馬遼太郎の解説調と違っている。作家の性格が出るところで面白い。


追記
体調不良で困るワイ。今ひとつの調子でありんす。今日はゆっくりするかいねえ。明日はドックやねん。
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