岡田純良帝國小倉日記

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気になる本――「魔の青春」の主人公の1人。
3月11日
気になる本――「魔の青春」の主人公の1人。
 「中原中也 沈黙の音楽」[佐々木幹郎著, 岩波新書]
 日本の現代詩人には、自分の愛する先輩詩人の研究者という1面を持った人物も多い。詩人の佐々木幹郎さんもその1人で、中原中也は佐々木さんのライフワークだ。
 「中原中也の詩集は『山羊の歌』と『在りし日の歌』の二冊。いずれもその題名は『詩』ではなく『歌』である。中也はなぜかくまでに『歌』にこだわったのか」
 「著者はその秘密を、中也の音楽への独自のこだわりに求めている。単純化を恐れずに言えば、音楽から慎重に『音』を抜き取っていくと『詩』になる」
 同業者の分析は恐ろしく具体性を持っている。
 「未発表詩編『雪が降ってゐる……』の加筆訂正の跡を上下二段に対照した箇所は本書の白眉と言ってよいだろう。年月と共に夾雑物が取り除かれ、言葉が『沈黙の歌』に彫琢されていくプロセスは感動的ですらある」
 「在りし日の歌」の草稿を持って小林秀雄の前に現れた中原中也。小林秀雄は中原がもう死ぬことを知っていて、その原稿の束を受け取る。長谷川泰子のこともあるが、中原は、小林秀雄が自分を理解していることを知っていた。

     中原中也と上野孝子の結婚式写真。.jpg
  背丈がずっと新婦よりも低い中也。結婚記念の写真はそう言われると直ぐにそうと
  知れるほど体格が違うだろう。こういう細かい話までが細大漏らさず暴かれていて、
  未亡人さえ気の毒になる。なんだか眩暈がするような話ばっかりで。

 中原中也は日本の口語詩の歴史においてどれほどの地位を占めているのか俺は知らない。萩原朔太郎や富永太郎らの詩を愛読した自分にとって、中原中也の詩は少し甘ったるい感じがあった。
 今になると、中原中也の作品の持っている若々しさや、衒学的にも感じられる表現に、向き合うこちらが照れていたところがあったかも知れない。今はそれほどのことはなく、だから意外に醒めた目で作品に向き合うことができるようになった。
 それにしても、中原中也が、小林秀雄に何年もかけて手を入れた「在りし日の歌」原稿を清書して今生の別れを告げに来たことは小林が1937年9月24日だと書き遺している。葬儀・告別式は1か月後の10月24日。何やら作り話めく別れの場面ではある。
 芝居がかった逸話が、若き日の小林秀雄の周辺にとにかく滅多矢鱈に多い。彼らの姿が脳裏に点滅して、54歳の今でも、俺は小林秀雄の後半生の作品に向き合えないでいる。これは、近頃の大きな悩みだ。
 誰か小林と中原らの壮絶な友情を小説やら、映画にしたりしてくれないものか知らん。映画や小説にでもなれば、彼らのあれこれがもう一つ後ろ側に遠のいて、少しは呼吸が楽になりそうだ。
 そうでもされない限り、何時までも小林秀雄の壮年期以降の原稿を読めそうにないのだ。作り話のような群像劇が俺の脳裏に浮かび上がり、様々な場面が走馬灯のように脳裏に浮かんできてしまうからだ。
 それで、壮年時代の文章に取り組めない。字を追えなくなってしまうのだ。小林秀雄、河上徹太郎、富永太郎、中原中也。これに永井龍雄、中島健蔵、大岡昇平、青山二郎、野々上慶一――富永太郎などは40年も前から読んできたというのに。
 そこに長谷川泰子だの坂本睦子だのが出てくると、途端に、彼らの間に揺らぎが生まれ、駆け引きが生まれ、修羅場があって、涙が流れ、裏切りがあり、黙認があり――際限の無い妄想が次々に浮かんでは消える。「魔の青春」群像。困ったもんだぜ。
 還暦を前に、これから少し成熟した小林秀雄に親しもうと想うのだが。俺と同じような悩みを持つ人はおられないか知らん。(国文学者・東京大教授・安藤宏評、讀賣新聞)


追記
こんな場所までメールが飛んで来る。夕べはトラメのドラマーの瀬戸貢一さんから。4月15日のレコ発ライブには是非いらっしゃいとのお誘いである。俺にも冴えない「魔の群像」があったとすると、トラメと横浜の人たちもその1幕になるのかな。何とか都合を付けて駆けつけたいと想っているのだが、さて。
まぁ、明治末のあの世代の老年の書き物はスキップしてもう卒業していくような予感がある。小林秀雄らは敗戦前の人だ。さらに純粋培養の西洋文化直輸入世代で、気持が若く、若過ぎて、彼らの世代群像そのものが俺の生きてきた時代の肌合いから随分遠くなって追いつけなくなっているような気がする。第3の新人から昭和一桁さえそうなのだ。彼らはガイコク人と仕事をしたことが無いからね。世界の見立てがまるっきり俺なんかの経験とは違っているから。
現在、自分自身、ちょっとした思索の転換期にあることは承知しているのだが、どちらの方角に行くのか、自分さえ皆目見当がつかない。
閑話休題。
諸兄姐、産経の久保田るり子って何者だ?日本のテレビ番組を観ないから俺は知らない。当事者たちにさえも理解ができないようなことを書いて、これで日米連携で半島が落ち着くなら、逆立ちしてワンと啼きまっせ、俺は。北米であの政権が生まれた背景を考えると、我々は対米のお追従でやってきた大敗戦後のスキームを再考すべき時期だぜ。その視点が欠けているようで甘い。ニッポン人が、自分に好都合にアメリカと世界を見立ててどうするってんだい。
さて、これから最後の朝飯の後、パッキングしてチェック・アウト。Pho Gaにしようと想っている。こうして毎週末にはどこの国の料理を喰いに行くか迷っていたSan Francisco時代が懐かしい。
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