岡田純良帝國小倉日記

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手元にある本――誰のための死刑廃止論か(下)。
3月8日
手元にある本――誰のための死刑廃止論か(下)。
 「反骨のコツ」[團藤重光・伊東乾著, 朝日新書]
 面白かったのは團藤重光の死刑廃止論の依って立つところはポストモダンだとする伊東乾の指摘だ。Claude Lévi-Strauss(1908-2009年)らの構造主義を團藤重光は乗り越えて、ポストモダンにある、と説いていた。
 形而上学的で観念的なロゴスではなく、まず行為において自分の思想を具現化していき、実践によって証明する、という文脈だ。そこで、團藤重光が陽明学に傾いていたことが語られる。しかしそれなら、最高裁判事の現役時代に、死刑廃止を口にして欲しかった。
 敗戦後、新憲法下で新しい刑法の基本図を描いた刑法学の大家の口から、非形而上的な、ともいえる陽明学が語られる。しかし陽明学の根本は「ならぬことはならぬ」であるので、最高裁判事の立場で、「死刑はならぬ」と言うべきであったろう。

       「さよならサイレントネイビー」表紙。.jpg

 また、團藤重光の刑事訴訟法の講義を教え子の三島由紀夫が褒めていて、「豊穣の海」の「奔馬」で語られる法理論に團藤論が使われたことを伊東乾が指摘する。これも面白い。出版の目的は別として、語られる内容は闊達で知的な刺激に溢れている。
 八面六臂の活躍をしていた伊東乾は、その頃から母校からは干されているそうで同世代としては気の毒でならない。
 しかし、オウムの事件でさえ、遠い過去のものと感じさせられるほど、近年の犯罪には悲惨なものが多く、極刑を求める世論との間で、新たに考えさせられる問題が多いもの。イギリスでは死刑は廃止となったが、依然として死刑制度の支持者はかなり多いものだ。しかし社会的な課題として犯罪被害者への支援が最重要のテーマとなっており、だから死刑の復活論は起き難い。
 「成績もずば抜けていいし、もし官僚になれば次官まで行ったかも知れないのに、文筆ばかりに凝って、親父とすっかり対立してね。会うたんびにけんかになっちゃって。最後まで親父と意見が対立して気の毒だったと。ご母堂が言っておられましたね」

       「行動学入門」表紙。.jpg

 團藤重光は三島のことを愛情を込めてバカなヤツだと言っている。次官まで行ったかも知れないのに、と残念がる程度の理解者だったわけだ。繰り返しになるが最高裁判事も、専門○○で、世間は狭い。精々、そんなものだ。反骨にコツなどあるものか。
 今年の正月に、1967年のノーベル文学賞の選考委員会で、選考委員長は、三島由紀夫を「多才な作家」と高く評価したが、日本人作家の川端康成の存在を理由に最終候補者から落とされたことが初めて公にされた。
 その3年後の1970年。三島の起こした「三島事件」は半世紀近く前の遠い事件になった。事件はこれからも議論され続けるだろう。憲法9条が改正された後、事件は急速に忘れ去られて行くだろうと考えていたが、それは考え違いだと想うようになった。
 憲法が改正され、自衛隊が防衛軍と位置付けられた時、「三島事件」は初めて「諫死事件」として歴史に定着される。彼は初めて陽明学者の武人として死んだことになるのだ。


追記
嵐の中にいるのだった。
友達との二度目のエクスカーションで小さな旅に来ている。夕べは普段の旅ならとても経験できないことを楽しんだ。革命前の地主階級の本音みたいなものも聞けたし、これはやっぱりアジアが面白いと思ったな。細かいことは別稿にて書く予定にしたいけど書かないかも知れないし。オホホホホホホ。
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