岡田純良帝國小倉日記

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手元にある本――勤労動員世代の食欲(上)。
3月5日
手元にある本――勤労動員世代の食欲(上)。
 「ああ好食大論争」[開高健対談集, 潮出版]
 開高健の対談は大抵楽しい。本書もその例に漏れず、笑いがあり、逆接があり、比喩と抽象を使って軽やかに話題を飛躍させていく。この笑いはどこから由来するのか知らん。
 話し手が、気分が落ち込んでいない鬱でない時期に対談を選んでいること、そして元々サービス精神の旺盛な浪花男であったことが大きいのは言うまでも無いところだ。
 本書に収められた対談・鼎談は、古くは昭和41年(1966年)から昭和56年(1981年)まで16年間に行われたもの。作家が30代半ばから50代になったところまでのものだから、公私共に活動は旺盛で、最も男性としても、脂の乗った時期のものだろう。

    Book Cover.JPG

 様々な雑誌に登場しているが、以下の人々とテーマがピックアップされている。
    「美食とエロスと放浪と」(きだみのる、檀一雄)初出:「旅」(昭和47年)
    「ああ好食大論争」(阿川弘之)初出:「別冊文藝春秋」(昭和47年)
    「嗚呼、世界の大珍味」(黛敏郎、石井好子)初出:「文藝春秋デラックス」(昭和47年)
    「うまいものばなし」(草野心平)初出:「Our Suntory Hour」(昭和51年)
    「駆ける釣る食べる」(團伊玖磨)初出:「文藝春秋」(昭和46年)
    「胃袋がすすめる旅立ち」(牧羊子)初出:「旅」(昭和41年)
    「甘い日本酒に辛い注文」(小松左京)初出:「銀座百点」(昭和54年)
    「古今東西「食」の本」(荒正人、池田彌三郎)初出:「週刊文春」(昭和52年)
    「よき葡萄の木は「天才」に似て」(安岡章太郎)初出:「くりま」(昭和56年)
 夫人の牧羊子は、開高健が対談相手に選んだのかどうか俺は怪しむのだが、他の相手はある程度開高健自身による取捨選択があったと想われる。
 書名は美食と好色を掛けているわけだが、当人は美食と好色は両立しないと考えていた。
 「美食と好色は両立しないよ」
 「そうかしら」
 「どちらかだね。二つに一つだよ。一度に二つは無理だよ。御馳走は御馳走。好色は
 好色。どちらを選ぶかだ。二つ同時では眠くなるだけだ。もともと両方とも眠るため
 のものらしいけれど、味ぐらいは知っておきたいね。あとは眠るだけだ。なら、二つ
 に一つだ」
 「夏の闇」の中で、主人公は女に語りかける。

「ああ好食大論争」表紙。.JPG

 ここでは、モデルとなった佐々木千世子に向かって、開高健自身が語りかけたと考えるべきところだろう。昭和5年生まれの男の青春時代は、敗戦前後の飢餓の中にいたから、喰うのもヤルのも命がけ。敗戦から、それでも20年が経過していた。
 昭和40年代前半は、石井好子のような女性が、壇一雄や荻昌弘、開高健のような男性陣とも料理を語り合える時代になりつつあった。昭和30年代は、まだ男性が語るとしても料理屋と弁当の話ばかり。昭和40年代に、男が料理を語り、厨房に入り始めても、女はまだ男の料理をあれこれと言いうことはなかった。「シノギ」は厳しいことは女も知っていた時代と言えるだろう。
 開高健の対談相手は全員自分よりも年上だ。昭和5年(1930年)生まれにとって、年上と一口に言っても、とりわけ料理については大変に微妙な問題を含んでいる。日本の場合、昭和5年級を軸に、前後の昭和4〜6年生まれの世代は、太平洋戦争の敗戦が近付いても、応召するには若過ぎ、さりとて児童というには大き過ぎた。
 そんな学年である。だから、学童疎開にも行かず、勤労動員で働かされた。同じ学年の野坂昭如や妹尾河童の自伝をひともとくとそれがよく分かる。
 阿佐田哲也は昭和4年の早生まれだが、勤労動員先で同人誌を主宰していたのが発覚し、無期停学のまま敗戦、そしてそのままこの人の場合は退学となり、闇市の放浪へと直結している。
 女が男の着る物についてあれこれと口を出し始めたのが、それから10年後の1977年か。「クロワッサン」が創刊された時に、原由美子が「メンズクロワッサン」という枠の中で、「原由美子さんがあなたを変身させます」というコーナーで始めたくらいのもの。今とは時代が全く違っている。それでも、本書はとても楽しい。


追記
開高健の好きだったヴェトナムにいる。尤も、敵方のベトコンの総本山にあるわけだけれど。
開高健と死んだオジキは同学年で、オジキは早生まれだったから、師走に生まれた開高健とは実際の生まれた月日は2ヶ月も違わなかったな。オジキは俺には面白い人だったけれど、家庭では専制君主で、子供たちにはあまり好かれるような人ではなかったようだ。オジキは死ぬまで痩せていて、死ぬ直前は末期癌の痛みをモルヒネを打って、何とか堪え、生きながらえていた。死んだのも3ヶ月も違わなかったのではなかったかと記憶する。
彼らは昭和の同級生だ。まさか響き合ったわけではなかろうけれど、時代が遠のいていくと、懐かしさに身が震える。
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