岡田純良帝國小倉日記

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日本に根付かない仕事――フリーの嘱託(下)。
9月8日
日本に根付かない仕事――フリーの嘱託(下)。
 戦争前に帰国して、イギリス内の資産は封鎖されて敗戦後は貧窮してしまうのだが、戸祭正直の世話にならなかった渡英組は当時、極少数だったというほど、面倒見の良い人でもあったそうだから、コンサルタントには性格的に向いている。
 人柄かどうか、一周忌には以下のような盛大な会が催された。
 「高石眞五郎(1878-1967、毎日新聞前社長)、高田元三郎(1894-1979、毎日新聞社長)、楠本義太郎(不明)、藤沼庄平(1883-1962、前警視総監)、福澤大四郎(1883-1960、昭和電工取締役)、花岡俊夫(不明)の諸君およびセレナーデ女将および私のテーブルスピーチで『トマ』の一周忌らしいナゴヤかな會であった」

   吉田健一(by 山藤章二)1974年.jpg

 「林房雄、久保田万太郎、東京及び鎌倉のボルドーの女将、武原のお半ちゃん等變りだねも参加盛會を極め、東京ボルドー寄贈のトマの好物ウヰスキー、ビクトリヤ・パットと葉巻は食後バーで二次會のとき皆さんに差上げた」
 「『トマ』といふ存在はむつかしいことは別として或種の人生哲學を生んだことだけは、誰しも異存をはさむまいと思ふ」
 菅原通濟(1894-1981年)はこう記して仲の良かった年上の友人、トマを悼んでいる。
 このトマさんには先達がいる。工部大学校(東京帝國大学工学部の前身)を首席で卒業した渡邊嘉一(1858—1932年)。The University of Glasgowに留学し、後にイギリス各地の鉄橋建設で活躍した。日本に帰国後、関東・関西の主要な鉄道会社の技術顧問となり、全国の鉄橋工事に携わった。この派手なエンジニアの先輩の足跡が、戸祭正直の刺戟にならないはずはない。
 そして、渡邊嘉一の工部大学校の後輩で最初は同じ工部省に入省したのが菅原通濟の父・菅原恒覧(1859-1940年)。恒覧は鉄道のトンネル技師となり、自ら土木業を興し、全国の鉄道敷設で一時代を築いた。
つまり、渡邊嘉一と菅原恒覧は、明治期、正真正銘のエンジニアだが、鉄道・土木・橋梁業界の隠然たるドンでもあった。

       酒場の吉田健一。.jpg

 これら先輩エンジニアの業績やその生き様に憧れたのは、最近では若い世代から支持されている吉田健一(1912-77年)だと俺は前から目を付けている。故無いことではない。
 世間的には本人談が通用している。
 「入学しても、あてがわれたのは郊外の下宿だった。コレッジが大学の単位であることは説明を省きたいが、コレッジ内の部屋には限りがあって、上級生でいつも一杯だから、新入生は特待生でない限り、一まず下宿に押し込められるのである。もっとも、郊外といっても、町外れから町外れまで十分も歩いて行けるのだから、距離の点で別にどうということはなかった。しかし老朽した下宿で、その上に、英国ではもう冬だった。英国の冬は、どう説明した所で解ってもらえるものではない。その冬の夜長を下宿のガス暖炉に向って過して、これがケンブリッジなのだろうかと何度も思った」
 1960年に「英語青年」に掲載された「ケンブリッジ入学当時」という本人の小文である。だが、そうだろうか。
 そうでもあるだろうが、彼はそもそも文学を志していたわけではなかったのだ。

  「三文紳士」[吉田健一著]表紙。.jpg

 「吉田健一は、ケンブリッジでシビル・エンジニアリング(なんでも土木、建築を含む広い範囲の学問で、彼はその中で橋梁の設計に夢を描いていた由)を学んでいたが、その内、文学に取り憑れ、一年あまりで退学して帰朝した」
 野々上慶一(1909-2004年)が「新潮」に1987年に書いた吉田健一の回想録、「懐かしい『乞食王子』」の中にこうある。
 渡邊嘉一や戸祭正直が口八丁手八丁でコンサルタントをやり、自由な嘱託業者として、イギリス各地の鉄道会社や土木会社から高額のコンサルタント料をふんだくっていたと考えると、コイツは痛快ではあるわけだ。
 だが、さて、我らが吉田健坊。万一晴れてケンブリッジの工学士様になったとしても、百戦錬磨のイギリス人を相手にコンサルをやれたとは想えない。だから、吉田健一で、だからいいのだけれど。この話を知り、俺は吉田の健坊をますます好きになった。


追記
というわけで、明日からはその渡邊嘉一大センセイの業績をこの眼で確認するために北の国へ。俺はそのスコッチ・ウィスキーは好きになれないで人生を終わりそうだ。その確認もあるわいねえ。ウッフッフッフ。

追記の追記
名古屋方面。例の淫乱な検事上がりのセンセイではなく、某女傑からの御宣託。
「アタシ、Foujitaの少年の鉛筆画持ってるから、見せたげるわよ」
残念ながら、センセイよりも、我が身内の方が人間がエライ。アハハハハハハハハ。
(ナヌ?)
笑い過ぎ?
構うもんか。税金を喰い散らかしている人間は昔なら切腹。
「市中引き回しの上、打ち首獄門」
だわさ。
このうつけのタワケ者奴!
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