岡田純良帝國小倉日記

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日本に根付かない仕事――フリーの嘱託(上)。
9月7日
日本に根付かない仕事――フリーの嘱託(上)。
 電通や博報堂がブラック企業だと叩かれて、散々な目に遭っている。しかし世の中、そんなに甘くない。電通や博報堂の平均勤続年数と生涯賃金を並べて見ると他業種との違いというものが分かるはずだ。
 還暦まで生きている人よりも、健康を害して働けなくなる人だとか、早くから関連の会社に出されて消えていく人の多いことは知る人ぞ知る、半ば常識でもあるわけだから、親の立場から見れば、入社させた時点で、ある程度の覚悟というものが必要でもある。
 俺の知っている営業の優秀な業種だと、日本なら、他に証券系があるが、ここでも、電博と同じ業界の常識がある。手取りの給与は良くとも、好待遇で長く働き続ける人は少ない。

渡邊嘉一と仲間達のデモンストレーション。.jpg
 真ん中で浮いている男が渡邊嘉一。こういう茶目っ気が無ければ、中々コンサル業
 などはやれない。男芸者ですな、古い言葉で言えば。だから就職面接でも歌ったり
 踊ったりさせるってのは、朴念仁かどうか、その人物を観ているからなのだ。

 広告代理店とか証券会社に分けられてしまうが、このような会社の営業はいわば昔の言葉で言えば窓口営業で、無理難題をクライアントが押し付けても涼しい顔をして引き下がり、魔法のように専門家を連れて現われる。
 クライアントが高いゼニを払うのも、社内に様々な方面の専門家を抱えていて、その折々に依頼内容に応じ、それなりの総合コンサルタント・チームを組み上げ、ある水準以上の仕事をすることができるからだ。本質は、コンサルタントと言っていい。
 日本は電博や証券、あるいは外資系のコンサルタント会社、さらに法律顧問の弁護士、公認会計士には高額を支払っても、フリーランスのコンサルタント業者のことは今日も信用しないところがある。敗戦後の日本で、個人の嘱託業は社会的には極めて不安定だ。

戸祭正直(1).jpg

 ところが、欧米はそうではない。実績と実力を評価すれば期間契約でも優秀な個人に高額を支払う古くからの伝統がある。
 日本では、敗戦後、言うまでも無く、民法の改正、農地解放などがあって、ついでに財閥解体もあったが、長期的には民間企業の成長によって改革で不足した働き口を吸収するという方向を辿った。敗戦前は「学士」だけで通用した信用度も時代と共に低下した。
 今年になって同志社大学の研究誌「社会科学」に掲載された論文で「近代日本における工学士勤務先の産業分類手順」(植村正治)という労作があり、ここに、あの戸祭正直(1886-1949年)の名前が出てくる。
 本論分は、「帝国大学工学部などを卒業した工学士たちは,欧米発とする各種科学技術や各種専門技術を大学で学び,卒業後様々な産業分野に勤務してそれらの技術を移転した。本稿では,1893年,1901年,1910年,1920年,1930年の『学士会会員氏名録』にあらわれた総数18,135人の工学士たちのうち,勤務先が判明した15,449人の勤務先を産業分類するための手順を紹介した」と梗概に記されている。

戸祭正直(2).jpg

 戸祭正直は藤田嗣治と同年生まれのCivil Engineerであった。本稿ではこう記される。
 「京都帝大電気工学科1911 年卒業の戸祭正直は1930年段階で『コンサルチングエンヂニア』であった。彼は1920 年段階で、大阪西区において戸祭工業所を経営し、『電気工事設計請負業』を営んでいた。前述の建設業のうち設備工事業の分類に入ると考えられる。1910 年段階で奈良市上水道調査技師嘱託であった、京都帝大土木工学科1909 年卒業の今井久吉が戸祭工業所東京支店に勤務していた」
 その後、戸祭正直は戸祭工業所をたたみ、電化の進むイギリスに雄飛した。イギリス最盛期、各地の電化工事の指導に従事して、1920年代には大いに「発展」したらしい。
 戦雲濃厚となって帰国。鎌倉に住み、トマさんと呼ばれ文士連と交流したが、敗戦後、最初の女房の妹の由紀しげ子に古い話を小説仕立てで暴かれた。材木座に無残な姿が上がったのはその秋のこと。文学賞を受賞していたので、「芥川賞殺人事件」としてさらに世人の注目を浴びた。
 「トマサンみたいに自殺するのが、結局、負けるということだ。負け犬はそッと埋めてやればいいものを、お通夜の枕元で酔っぱらってハップンする旦那方も――しかし、無邪気で、勇しいな。泉岳寺の四十七士などでも、根はそんな風にしてハップンしたもののようだ。鎌倉に四十七士が奮起するのも眠れる時代の慶事とや云うべし」
 「しかし、敵は手ごわいですぞ。なんしろ、吉良とちがって、女ですからな。ぶてば噛みつくし、殺せば化けるというあの女ですから。ナギナタも心得があるし、キリリとハチマキもしめている。吉良のように物置へ隠れたりしねえや。山鹿流陣太鼓の音をきくや、トンと門を蹴破って、自分から往来へとびだしてくるよ。鎌倉四十七士ぐらいのヘナヘナ腰では、危いですぞ」
 坂口安吾が「我が人生観」で由紀しげ子を非難した鎌倉文士をおちょくったのは事件の翌年の1950年。
 この話はちょっと想わぬ方向まで多分それていくことになるので、本稿明日も続ける。

追記
シャツを4枚👔買っちまった。だつてお前にだけは全品半額だって言われちゃったんだもん。カッコいいシャツだけど日本で着るかしら。カッコ良いから着てるとそれだけで悪口買われそうだなあ。最初から言われてるから気にすんな。あら、そうだったかしら。オホホホホホホ。
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