岡田純良帝國小倉日記

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1964年――The Goldhawk Social Club(3)
8月11日
1964年――The Goldhawk Social Club(3)
 The Whoのファンで、同じ地区の先輩の永年の支持者なのがPaul Cook(1956年-)だ。
 1976年初夏、Londonを揺るがす人気が出ていたのにPaulが電気工の仕事を辞めたのは9月に入ってから。他の3人に定職は無かったがPaulは9月まではアマチュア。周囲の圧力で辞めた晩はヤケになってビールを飲み過ぎ、Drum Setからずり落ちた。
 「今日は俺たちはProfessionalsで出るんだよ」
 「知ってますよ」
 「そうかい。楽しみかい」
 初めて会った時、Paulは丁寧に話をして呉れた。2度目にすれ違った時にもPaulはこちらに親指を立てて親愛の情を示して呉れた。
 (ああ、この人は嘘を付けない人だな)
 再結成以降、最も険悪なのはPaul CookとJohnny Rottenの間という説がある。
 「PaulはJohnnyだけ特別扱いというのが嫌いでさ」
 消息通は言う。Johnnyはツアーでも取り巻きのBoogieと共に何時も別行動を取った。
 「そういう“何様”みたいな態度が大嫌いな男なんだよ」
 バンドの著作権は4人全員平等。それが彼らの取り決めだった。労働者階級の美徳を頑固に守るこの男、誰も気にも留めない小さなことだろうけれど、Pistols以降について想い出を幾つか引きたい。

       Sex Pistols at Oxford Street in 1977 (1).jpg

 1977年4月14日、Sex PistolsはAdrian BootのPhoto Sessionに応じる。Oxford Streetから入った雑居ビルにMalcolmのGlitterbestの事務所があった。ビルに向かうレンガ造りのゲートで撮影は行われた。今ではClarksがその空間に店を構えている。
 この日、Johnny Rottenは前髪を上げ、サイドを撫で付け、ドレス・シャツ。上にエドワード・ジャケット風で、光沢のある素材だが、着丈の短いジャケットを着ていた。
 この時、4人全員が偶然Levi'sのジーンズを履いていたこともあり、1998年夏にLevi's本社がアメリカの広告にこの時の写真を使った。メンバーの履いているタイプは501と502と思しきものもある。全員が濃紺のストレートのLevi'sだった。

Sex Pistols at Oxford Street in 1977 (3).jpg

 Paulは501の裾を2cmほど折り返し、George CoxのRubber Soleと合わせている。アッパーは青と黒のストライプで光沢のあるSeditionariesのShirtsを着て、ダブルの黒いライダー・ジャケットを羽織っていた。今も黒い革のジャケットは好んで着ている。
 Sid Viciousは豹柄のShirtsを着てシングルのヨレヨレのRaincoat。前から505ではないかと思っているのだが両膝がボロボロの煮しめたLevi'sを履いていた。これは丈が長く、裾を僅かに折り返し、Boots Cutの白いBasket Shoesをこの頃何時も履いていた。
 Steve JonesもRaincoat姿だがダブル。初夏にはJohnny Rottenもよく着たからこの時期、メンバー間で古着のRaincoatは人気だった。だが中のシャツはSeditionariesのParachute Shirts。Biker用のBootsを履いているのでジーンズは折り返していない。
 5月のGod Save the QueenのPhoto Sessionまでは変わらないが、7月の北欧ツアー前にSidは新しい501を買った。188cmの長身にツンツルテンのブルージーン。直ぐに黒いSlimのJeansとEngineer Bootsに乗り換えた。Nancy Spungenの影響は大きい。
 夏の「平凡パンチ」御一行とのPhoto Sessionとなると、今度はSidは紫色の極太のPantsで表れた。Paulのタックの2つ入ったパンツと色違い。とにかく目立とうという気持ちに溢れている。

Jeni and Paul Cook at their kitchen.jpg

 この時、Paul Cookは明るい青色のBARACUTA G9を羽織っていた。Punk Bandのファッションではない。何時も街場のスタイルだ。人目には付かないが、じっと見るとシャレた格好をしている。キャラクターと身に着けているモノとが一致して無理がない。
 今も丸首のトレーナーや薄手のセーターをよく着て歩いている。大金持ち風の装いはしない。節度を守って街に溶け込んでいる。だから行き交う人にも気付かれない。
 ドレッシーな時もシャツにネッカチーフ。20代で出会った連れ合いはCulture Clubのバック・コーラスだったJeni。黒人で有名な菜食主義者だ。
 歌手になった娘のHollyの名付け親はBoy George。96年の再結成ツアー時は10歳でPaulは娘を連れて歩いた。ある日、New Yorkで娘のために朝から美容室に行くとDavid Bowieがいた。Paulはこの日、午後からバンドのリハーサルだった。

Minogue, Bowie and Cook in 2002.jpg

 「だからDavid Bowieはアタシの相手をしてくれたの」
 Bowieは大ファンというHollyのためにグッゲンハイム美術館を案内した。Paul自身、若い頃からずっとDavid Bowieのファンだった。
 The WhoのModsの掟を引きずりつつ、筋を通して生きている。終末観で一杯だったPistolsの頃から、周囲の「Sex, Drug and Rock ‘n’ Roll」的な価値観とは違っていた。
 イギリスの階級制度はイヤなものだ。言論の自由こそあるが、階層は固定されている。この息苦しい社会の中で労働者階級に生まれて、それでもあらまほしき生き様があるとするなら、Paul Cookのようなセンスと暮らし振りというものだろうか。一つの賢者のあり方とでも呼べるものが、この人の佇まいには感じられる。


追記
今月、藤田嗣治の家を訪ねられれば行きたい。ランスの礼拝堂よりも、終の棲家。そんな時間がもう許されているか知らんけれど。どうやら素晴らしいらしいねえ。父上が奉職した陸軍から依頼されて戦争画を描き敗戦国を追われた芸術家なんて、最高だ。彼も江戸っ子だったわけだから、元々、明治維新の後の国造りさえ信じていたのかどうか。ニッポンのような国を追われた人が、最後に辿り着いた場所。コイツは渋いねえ。泣いた赤鬼の気分になりそうだ。

追記の追記
Paul Cookの娘が感じの良いいい子だったからDavid Bowieは美術館に連れ出すことを言い出したわけでしょうから、両親がしっかり子供に向き合って育てていることは伝わっていたわけですわね。この辺りも感じいい話だと思う。
SohoにあるCarnaby StreetでもMods系はやっぱり本流だけれど、その後から生まれたPunkもGlamも、その前にあったRockersもないわけですわね。
厳しい掟のあるModsってのは、労働者階級のマゾっ気にフィットするのかも知れない。Kentの櫛を買って帰ります。オホホホホホ。諸兄姐、さらば。お元気で。
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