岡田純良帝國小倉日記

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備忘録――「ベトナム報道」(6)
8月7日
備忘録――「ベトナム報道」(6)
「ベトナム報道」[日野啓三著, 講談社文芸文庫]
 もう一つある。アジア人として、社会の腐敗について下から鋭く目を配っている点だ。
 「現地体験のない人たちのベトナム論には幾つかの盲点があるが、その最も大きいひとつが、サイゴンの精神的腐敗の認識の浅さである。日本でも汚職はあり頽廃はある。だが後進国の支配層の精神的頽廃ぶりは、日本では決して想像できない。私はソウルでも表面だけアメリカナイズした特権層の精神的不健全さに、強い抵抗感を感じたが、サイゴンのそれもソウルに決して劣るものではないし、それ以上にすでにパリとジャングルに去っていったその残りカスの連中で構成されるサイゴン特権層のそれは、さらにひどい」
 「いまでも家庭では家族同士フランス語を使う上流家庭があるが、そういう表面だけの物質的、文化的特権層の民衆に対する感覚は、まさに奴隷の前では、裸体になっても羞恥を感じなかったといわれる古代ローマ人の貴婦人たちに似ている」
 「本質的に、彼らは自国の民衆を同じ人間と考えてはいない。ひとにぎりの支配層と、貧しい大多数の民衆の落差は、中間層の増大した日本の社会では想像もできない」
 「ソウルでもそうだったが、彼ら少数の人たちというのは、一体どこからあれだけの金が入ってくるのだろうか、いまもって私は理解できない。それに援助体制下にあっては、資本家は製品の質の向上、経営の合理化といった正当な競争に打ち勝ってゆくことが第一義なのではなく、政府高官からどれだけ援助物質と援助資金の枠を割りあててもらえるかが最重要な仕事の内容である」
 「彼らは徹底的に働らかない。女たちはたとえどのような方法であろうと、宝石と最新流行の洋服を買う金を男たちに求め、家を焼かれた難民がいくらあふれようと、夜毎着飾ってパーティーを歩きまわり、親の特権で徴兵を逃れた息子たちは、うまくパリに行き、あるいはスポーツカーをのりまわし、小学生の娘たちが運転手つきの車で学校まで送り迎えされる」
 「要するに自分たちの社会を、人々との連帯のうちにつくり動かし改善してゆくという観念そのものが存在しない」
 「それは理屈ではなく、まさに骨のズイまで滲みこんだほとんど生理的・遺伝的な感覚の問題である。極言すれば、そういう感覚は死ななきゃ直らないだろう」

      世界を旅した Book Cover. (3)JPG.JPG

 日野さんによれば、解放戦線のテロは2種類あるそうだ。
 「一つは地方での腐敗役人に対するテロ、もう一つはサイゴンその他の都市での、米軍施設および米軍人の出入するバー、高級レストランに対するテロである」
 「信頼できる筋からきいた話では、政府側の村の警官や村長の援助物資横流しや税金のごま化し、その他の明らかな不正行為が目にあまる場合、ある日、手紙が舞いこむ」
 「『お前はこれこれの不正を働いているが、猛省を促す――解放戦線』というわけで、それでも不正をやめない場合、一ヶ月ほどして二度目の警告の手紙がくる。それでもなお直らないときは、ある夜、その警官か村長は何者かにのどをすっぱりと切られて殺される。時には死体の傍に罪状を列挙した斬奸状が立てられている。村民たちはいい気味だと内心歓迎し、たとえ犯人を知っていても決して口外しないという」
 これは、「義賊」でなくて何だろう。当初こそ「解放戦線」は古い言葉で言えば、社会の腐敗に憤った「義賊」であったのにアメリカの介入で「赤化」してしまった。日野さんに質したら「私はそう判断した」と答えるだろう。
 今の日本人駐在員・特派員には、人にもよるが、社会の腐敗に気付けない人がいる。西欧流の理屈しか知らずに育ったことと、自由な社会しか知らないから選挙権さえも与えられていないことに気付かないで帰国する人がいる。正邪二律という西欧の教条主義では、混沌とした社会に放り込まれても、仮定すら立てられない。
 「『私はこう捉えこう判断した。あなたもまた私の記事に対して判断してくれ。そしてあなたの判断もまた絶対的ではないのだ』と私はバナナをかじりながらタイプを叩いたと思う」
 この視点なら信用できる。
 「後進国」と書いているのは半世紀前だから。日野さんの目は確かに対象を捉えていた。何もサイゴンだけではない。某国でも、Siciliaでもそうだった。19世紀から20世紀初めのSpainでもそうだったかも知れない。
 「最後に心に残ったのが、歴史のきびしさ、つまり腐敗無能政権の打倒、援助従属体制からの脱却、土地改革、民族自決といった善き意図を実現しつけようとしても不可避的に失敗して子供たちをまき添えにし、あるいは故郷の村をナパームの火の海に焼きつくされるという事態にまきこまれざるをえない歴史そのものの素顔の認識であった。こうした経験は私一人ではなかったろう」
 しかし、同じ時期、同じ土地にいても、何も気付かずに過ごす人もいることもある。彼らは自らの良心に照らしてよく戦った。同胞の先達として心から敬意を表したい。


追記
記したように、先週から密かに色々と音楽業界各方面へのお別れ行脚を開始しましたワイナリー。
そうこうする内に関西方面からお座敷が掛かった。ウーン、コイツは悩むところだが、まぁどうしたもんかいなぁ。何となく時間切れになるんかなぁ。
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