岡田純良帝國小倉日記

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上野の杜の奥深く。
4月16日
上野の杜の奥深く。
 先日、白山眼鏡店で黒メガネを新調したら「うえの」を入れてくれた。白山眼鏡ものれん会員なんだった。
 2017年4月号は「岡埜栄泉」でお馴染みの岡野俊一郎(1931-2017年)が亡くなって、追悼号の赴きもあった。
 (うーん、岡野俊一郎)
 「岡埜栄泉」というと、反射的に思い出すのは辻静雄(1933-93年)。辻さんは岡野俊一郎と同じ地域同じ年代。生家も和菓子店を営んでいた。だから岡野俊一郎と辻静雄はダンゴになって俺には記憶されている。
 高校は岡野さんが小石川で辻さんが文京。辻さんより3年下で、オリンピックにもアジア選手権にも何度か出ている小石川出身の往年の名選手が俺の先輩だったから、その辺りでまとめて記憶しているのかな。不思議なもんだ。

      「杜」「うえの」(2017年4月号).jpg

 この雑誌は昭和29年から続いてて、大したものだと想うねえ。「上野のれん会」がしっかりしているから続いているということなのだろうけれど、ザギンに負けていない。
 巻末の地図では上野公園全体までカバーしているし、美術館・博物館の催事スケジュールはしっかり盛り込まれ、裏表紙にはその月間の全日のお天気カレンダー(気象庁の130年間の平均)まで掲載されているのだった。
 「杜」は藝大の会報。昔の藝大生は藝祭の時には本格的な御神輿を製作して近隣の谷根千を練り歩いたそうだ。今は上野公園内だけに締め出されてしまったそうだけれど。
 戦争の後は、戻ってきた学生は、住むところが無いのでキャンパス内に掘っ立て小屋を建てて暮らしていた。齋藤真一もその世代だったわけだろう。
 歳を取ったら上野近辺にでも引っ越すかなあ。そういう心にも無いことを言うと、殺されちゃうか知らん。
 西郷さんの銅像下、「上野のれん会」の中心からさらに少し西側の辺りに黒門町という一角がある。あれは、実際に上野寛永寺への入り口のゲートだった。その黒門が彰義隊と官軍の激突の最激戦区になった。白兵戦になって多数の死者が出たわけだ。

 江戸川乱歩選集「幽鬼の党」(生頼範義画).jpg 江戸川乱歩選集「一寸法師」(生頼範義画).jpg

 今回は、昨年1年お世話になった明治神宮の木札を返しに行く時間が無かった。そこで上野の東照宮でお返しした。我が家の守護神はあらっぽい腕白だった明治天皇なわけだけど、その朝敵にお返しに行ったわけさ。山岡鐵舟流だ。ウハハハハハハハ。
 ともあれ、改装して金ぴかになった上野の東照宮までは大変な人込みだったな。だけど、あすこまで行くと、その東照宮の寄贈した五重塔が見えるでしょう。
 (おっかねえなぁ)
 上野の五重塔と言えば、あなたは何かな。
 東照宮の五重塔ではなく、公園から外れた谷中の墓地の五重塔かな。歳がバレますな。あれは裁縫店勤務の店員の不倫の果ての心中、いわゆる五重塔放火心中かな。
 俺は浅草浅草寺裏から上野の杜までの一帯を思い出すな。江戸川乱歩が大正末から昭和初期に書いた「幽鬼の塔」や「一寸法師」、さらに「吉展ちゃん誘拐事件」を思い出すねぇ。
 上野の地下街では戦災で孤児になった浮浪児の群れとそのお兄ちゃんたちの脇で声を枯らして啖呵バイをしていた小沢昭一少年とか。うーん、どうも、上野から浅草はちょいとおっかねえなぁ。
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