岡田純良帝國小倉日記

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山岡鐵太郎備忘録(弐)
4月17日
山岡鐵太郎備忘録(弐)
 「山岡鐵舟 幕末・維新の仕事人」[佐藤寛著, 光文社新書]
 昨日からの続きになる。以前から由比の脇本陣「望嶽亭」の松永家との関係については 知っていたが、書き記していなかった。よってここに引いておきたい。
 4. 由比「望嶽亭」主人・松永七郎平
  鐵舟は古い尊皇攘夷仲間だった薩摩藩士益満休之助を伴って徒歩で敵の進軍の中を進む。官軍に誰何された時は薩摩藩士の益満が薩摩弁で官軍に交渉に行くところと告げて敵陣をずんずんと駿府に向けて進んでいく。
  2人が由比に辿り着いたところから本書を引きたい。
  「由比・興津間は海岸通りが近道だが、鐵太郎がたどり着いたときは海岸通が波の
  ため、閉鎖されていたとする。薩埵峠の入り口で、五十メートル先で銃口を向ける
  薩摩兵に遭遇、銃が放たれる。鐵太郎はとっさに家並みの小道を海辺に出て、興津
  方面に走り、一軒の二階建ての家に浜辺の裏口から忍び入る。ここが街道に表口を
  面する東海道名所図会に出てくる「望嶽亭」で、亭主である松永七郎平にかくまって
  もらい、清水湊の次郎長の許まで送ってもらったとしている」
  ここでは地理的な誤りを正しておく。鐵太郎は興津方面に前進できず、一旦、来た道を由比に引き返したのだ。松永家にこの話は伝承されていて、俺はこの話は随分前から知っている。だが、松永がなぜ鐵舟を匿ったか。幕臣は、この時には朝敵である。また、鐵舟はなぜ匿われて次郎長一家まで護送されたのか。先を急ぐ旅ならヤクザ者の厄介になっている暇は無いと考えるだろう。
  「「望嶽亭」には西郷会談の帰りに、鐵太郎がお礼に渡した十連発の拳銃が今も残されて
  おり、これを裏付ける資料となっている」
  十連発の拳銃は、フランスのロッシュ公使から慶喜がプレゼントされたもの。慶喜からは餞に護身用の拳銃を貰って鐵舟は先を急いだ。駿府大本営は清水湊に近く、目抜き通りの伝馬町・桐油屋で脇本陣の「松崎屋」こと松崎源兵衛方に置かれていた。

       山岡鐵太郎 (1).jpg

  松永家は幼い次郎長の面倒を見たそうで、博徒と脇本陣は通じていたことになる。次郎長もよく山岡を助けて「松崎屋」近くで別れたという。次郎長には勝海舟からも手が回っていたと俺は想う。「山岡と名乗る者が通れば通行を万事頼む」という海舟の回状が既に街道筋の親分衆に飛んでいた、という意味だ。
  平時なら博徒に御用飛脚は飛ばせないだろうけれど、幕末も押し迫った時期だから、「御用」提灯で飛脚が飛んだかも知れない。鐵舟の行動は細かい点で辻褄が合わない。隠密行動のリスクヘッジに、街道筋の稼業の者を使い、究極の安全装置を街道中に張り巡らせていたということだろう。今でも“そのような”要路に就く筋の者にはとてもよく理解できる勘所だろう。
 5.西郷隆盛との面会まで
  「松崎屋」に辿り着いた鐵舟。この時は益満は体調不良で同行しておらず鐵舟単独で大本営に現れた。それはそうだ、益満休之助は薩摩藩士である。朝敵である幕臣と共に交渉にやって来たとすれば益満の立場は疑われて危ういものになるはずだった。帰途で合流したこともあり、示し合わせて益満は待機していたものと俺は想う。
  まずは官軍の総大将は有栖川大総督宮であったので、海舟から預かった手紙を示し、応対に現れた官軍側代表者・西郷隆盛に対し、鐵舟は有栖川への面談を依願する。
  「主人慶喜の赤心を朝廷に貫徹することがなければ、それらと混同される恐れがあり、
  この陣営に参上したものである。願わくば、大総督府閣下に(お目通しの)御取成しを
  お願いしたい」
  「西郷氏容易に答えざるの色あり」
  鐵舟は、西郷に対し、慶喜本人は恭順の意を示しており、抵抗の意思は全く無いと言っているというのに、徳川方でも末端の、いわば有象無象の連中の騒ぐことを、あたかも、慶喜が抵抗しようとしていると誤解されるのを恐れて参上したと述べる。
  だが、西郷にとっては、官軍の本陣に忽然と現れた山岡鐵太郎という男とは初対面。そもそも、それまで度々徳川方から派遣されてきた人々の話はただ恐縮して震えるばかりで要領の得ないところもあった。
  (どんな海千山千か知れたものか)
  そんな疑いもあり、西郷隆盛といえども、ここは山岡の話には簡単には乗れない。この辺りは、実際の交渉に乗り出した経験のある人には中々面白いところだろう。
  この時の山岡鐵太郎は32歳。国を背負った交渉は命懸け。日常、交渉人の本領をそこいらで発揮して気合を出しまくっているなら命が持たない。その位、身を削る。禅の奥義を極めんとする山岡鐵太郎の往時の常住坐臥はどうだったか。ヤマの頂で気合を入れる積もりなら、普段は脱力しているものではないかとも想う。
  しかし、勝海舟は、盟友について、大久保一翁も山岡鐵舟も血の気が多かったから長生きはできなかった、俺はずるいと勝海舟は振り返っている。この辺りに真実はあるか。難しいものだ。


追記
本日は某所に行って来ました。コーフンして鼻血ブー。ブーブーブーブー高木ブーって感じ。
ヒントはこちら。YAMAHA RD250 1977年型 Cafe Racerかな。実際に観たのはKAWASAKI Mach 750 Cafe Racerとか色々ありましたけど、俺の中学生の頃のバイクだったな。憧れのバイクね。だからその後のRZ250だとかKX250だとかじゃないわけよ。70年代前半のオートバイには夢があるな。人間にもっとも近い感じがあります。もしロボット開発するのなら、オートバイはこの辺りを軸に考えて欲しいな。

Yamaha RD250 Cafe Racer (1).jpg
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