岡田純良帝國小倉日記

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ある諫死――史実から消された男の話(下)。
3月12日
ある諫死――史実から消された男の話(下)。
 元作戦参謀の朝枝繁春中佐と情報参謀の堀栄三少佐らは、三根生久大さんに異口同音に瀬島龍三中佐(1911-2007年、砺波中・陸大次席)の傲慢で慇懃無礼な姿勢を語った。この証言は作戦課の密室で瀬島と肩を並べた同僚のものだけに生々しい。
 「要するに茶坊主だった」(朝枝評)
 「あいつの立てた作戦など、砂上の楼閣もいいところだ」
 多数の元同僚軍人が瀬島について語り遺している。
 堀がつかんでいたのは台湾沖航空戦で大戦果を上げたとする大本営発表は怪しいという情報で、このいわゆる“堀電報”を握り潰したのが瀬島であった。台湾の領空圏は失われ、アメリカ艦隊に南方への補給路を断たれ、兵站が途切れた南方は玉砕に次ぐ玉砕となった。
 また、戦争末期、ソ連対日参戦に関するヤルタ密約をつかんだ小野寺信(1897−1987年、遠野中・陸大)のいわゆる「ブ情報」(電報)を握り潰すことまでやった。小野寺信は瀬島とは重ならないが参謀本部の大先輩。
 話はさらにそれる。佐々敦之の証言を引きたい。
 「私はKGB 捜査の現場の係長もやった元外事課長ですよ。瀬島がシベリア抑留中最後までKGBに屈しなかった大本営参謀だったというのは事実ではありません。彼は『帰国したら反ソ反共を装い、ソ連の批判を慎み、日本共産党とも接触せず、保守派として成長し、大きな影響力を持つようになれ、その時KGBが肩を叩くからソ連のために働け』、つまりスリーパーとしてソ連に協力する事を約束した、いわゆる『誓約引揚者』です」
 ソ連のスパイを尾行すると伊藤忠にヒラ社員で奉職していた瀬島龍三に接触することは当時の外事課の人間は皆知っていたとも佐々は証言している。
 保坂正康が元同僚の作戦参謀から聞いたとする証言。
「瀬島という男を一言でいえば、<小才子、大局の明を欠く>ということばにつきる。要するに世わたりのうまい軍人で、国家の一大事と自分の点数を引きかえにする軍人です。その結果が国家を誤らせたばかりでなく、何万何十万兵隊の血を流させた。私は、瀬島こそ点数主義の日本陸軍の誤りを象徴していると思っている」
 名は明かされていないが参謀間の嫉妬心を露呈した言葉ではなかろうか。朝枝は、後に、ソ連将校のアメリカへの亡命を手引きした。シベリアでソ連の思想改造を2人は受けた。信じ難いが、超エリート参謀間の嫉妬心は、戦中には戦況を左右する情報を握り潰させた。戦後はソ連への貢献度で競い合った。哀しいことに、そういう「人種」はいる。ドイツ第三帝国のニュールンベルグ裁判の一幕を引き合いに出すまでもなく。

内閣総理大臣による慰謝状

 我が身内では亡くなった元陸軍幼年学校生は、戦争が続いても、多分陸大に進む柄ではなかったと想う。善人であったのだろう、55歳で癌で死んだ。そのオジキの享年に、俺ももうすぐだ。オジキのような善人でいきたいが、俺は人が悪いからどうかな。
 瀬島が2007年に亡くなってまだ10年だが、太平洋戦争の戦史の根幹の部分は本質的に書き換えられつつある。生前ひた隠しにしていたが、棺が覆われた瞬間から英霊の怨嗟の声によって暴かれ始めたようだ。ソ連のスパイという点では野坂参三のようだが、野坂は讒言した過去が生前暴かれたところが違う。瀬島参謀は逃げ切ったのだ。策士らしい。
 まだ不思議なことがある。瀬島は、中曽根康弘(1918年-)の顧問となり、中曽根は首相に就任する時に先輩の後藤田正晴(1914−2005年)を同じく官房長官として支えてくれるよう懇請している。後藤田は後輩に仕えるなんてと当初は固辞した。現役の首相が何より強い立場にあることを中曽根は知っていたにしても、誰が知恵をつけたか。瀬島ではないか。
 また佐々敦之の証言で最も核心の重要な部分は、佐々が、後藤田正晴に瀬島龍三の件を具申したのに、警備局で重責にあった後藤田はこれを握り潰しているという事実も不明だ。後藤田は内務官僚から公安警備警察畑を歩き、自衛隊の産みの親のような道を歩いたから、占領時のアメリカ側との様々な密約をも知っていたはずである。
 どんな勢力が警備局にあった後藤田をして躊躇させたのか。外事警察側が瀬島の本質を早くからつかんでいながらなぜずっと引っ張らずに“遊ばせておいた”のか。ロッキード事件を含め、西側と東側の壮絶な機密情報のスパイ戦が派手に繰り広げられていたのは、実は、極東では東京がその本場だったかも知れない――どうも近頃そんな気がして来た。
 身内でその真相を知っていたかも知れない人物が2015年に95歳で死去してしまった。これは俺の生きている間には簡単には明らかにはならないことだろうけれど、アメリカの情報機関の機微に触れるものだから、是非、知りたいところ。
 永年、自他共に認める後藤田信者だった佐々だが、どうも、ここに来て、後藤田信仰を棄てた形跡がある。俺もそれに同意する。超エリートは国内の所属本省に充満している「空気」が最優先。「空気」のためならどんな情報でも握り潰すのは平気の平左。
 今でも日本の古い組織は、本省・本庁・本社から若い人を外に出さず、見えるところに置いておく気風が残っている。瀬島と後藤田のように海の外の現場を知らない弁舌流麗なセンセイが育ち、肝心要のところで“決められない”と言われてしまうのだ。
 警視庁前で割腹した69歳の元陸軍少佐の叫びは今も霞ヶ関のどこかを彷徨っている。


追記
当地は本日も16度過ぎくらいまで上がってとても温かくなった。
詳しくは明日に譲ろうと想うけれど、A某とB某に店で見かけたりすれ違ったり。都度都度、俺は気付くのだけれども
B某に至っては、“小倉の料理番長”のために道を譲っていた。あのB某に道を譲らせるとは、流石に呉の裏番長だけあるわいなりー。Paul Cooky以来のブイブイぶっ飛ばしでありました。Cookyも“小倉の料理番長”に道を譲ったほどだったからねえ。
先程、独り帰宅して、古いボウルを洗っていたら、タイルのコーナーに落ちて割れた。もう、四半世紀は使ってきた古いボウル。3月11日の午後6時前のことでした。関係ないと想うけど、あれから6年か。

20170311 (事故から6年)
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