岡田純良帝國小倉日記

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気になる本――元祖・突撃大和撫子、星加ルミ子。
2月13日
気になる本――元祖・突撃大和撫子、星加ルミ子。
 「私が会ったビートルズとロック・スター」[星加ルミ子著, シンコーミュージック・エンターテイメント]
 先日から、昔の「ミュージック・ライフ」の女傑の話しになっているので続けてしまう。
湯川れい子になると、今では音楽業界の後輩たちから「先生」という敬称が付けられる。その点、今年の9月で77歳になる星加ルミ子(1940年-)はどうなんだろう。

       「私が会ったビートルズとロック・スター」表紙。
   彼女のこの姿は、今の目線から見ると、60年代のタイのゴーゴーガールみたいに
   見えなくもない。ワンピースにピンヒール。サイゴンだとコーラ・ガールだとか
   言われたりしたんだ。泰ちゃんが「一発10円」って書いていたっけ。時代ってのは
   どんどん変わっていくわね。目が不安そうだけど、真っ直ぐ。これがいいのよ。 

(1)「ビートルズ羽田空港着陸50周年記念イベント」
 11月13日(日) 羽田空港国際線旅客ターミナル内「TIAT SKY HALL」
 羽田空港事務所から許可が下り、50年前にバンドがタラップを降りた地点に設営された特製タラップで来場者がメンバーになりきって記念撮影まであったそうだ。
(2)「私が会ったビートルズとロック・スター」出版記念はとバスツアー
 12月17日(土) 東京駅丸の内南口はとバス乗り場
 「東京駅丸の内南口⇒皇居前広場⇒ザ・キャピトルホテル東急⇒東京タワー・大展望台⇒シンコーミュージック・エンタテイメント(星加ルミ子さんのスペシャルトークショー / 通常一般には公開していない秘蔵アイテムの見学)⇒東京駅丸の内南口」
 羽田のイベントだけでなく、はとバスツアー(朝9時半〜夕方4時半)までが企画・催行された。これらの企画に参加した大半は還暦以上か。夫婦で参加したりしただろうか。身内でも終戦前後生れの世代はBeatlesのファンだったりするが、あるいはもっと若い世代もいたかも知れない。
 星加ルミ子――彼女の名前は本名。サラリーマン家庭で育った人だ。八戸の高校生でFENから流れたElvis Presleyに出会ったことになっている。彼女の育った一家が上京するまでの歴史が日本の鉱山業界の縮図のようなところもあるのでちょっと追いかけてみる。
 1940年9月に北海道札幌市で生まれる。翌41年に父親の転勤(当時の三菱鉱業、現三菱マテリアル)で赤平に転居した。赤平では小学校2年生まで過ごす。これは、大正時代に大倉鉱業が開発した茂尻炭鉱を1935年に三菱が買収して、雄別炭鉱茂尻鉱業所を開所したことに伴うもののようだ。
 この赤平の鉱山社宅から地元の小学校に通うのだが、この頃の鉱山業のサラリーマンの暮らしだから、社宅には賄いのおばさんがいたかも知れないぜ。人里離れた鉱山には、高給を積まないと東京から勤め人は行かなかったから、各種の福利厚生で手厚い補填があったわけだ。その辺りは押さえておきたいところだな。
 同じ北海道でも、室蘭育ちの今野雄二(1943−2010年)なんかもそのクチだろう。俺には今野雄二の室蘭時代の先輩がいてさ、この人は室蘭から東大を3回受けて3回落ちた。洒脱な人だが、牡蠣とウニの品質だけには口うるさかった。25年位前には門仲の某所に2人で通ったものさ。懐かしい想い出さ。

Beatles at Haneda Airport.jpg

 敗戦後、集中排除法等の関係もあったのか、三菱の茂尻鉱業所を離れ、星加家は八戸に転居する。しかし八戸の鉱山なら住友鉱業系列下ということになるから、戦後の業界の再編で、父親は住友グループに移ったかも知れない。
 八戸では、小学校の2年から高校を卒業するまでの多感な時期を過ごすことになった。八戸一中から八戸高校に進学する間にFENでアメリカのポップミュージックに親しむようになり、彼女が16歳になる1956年にElvis Presleyと出会うことになる。
 彼女の言葉を借りると、「雷に打たれたような衝撃」を受けてRock 'n' Rollにのめり込むことになった。57年に母親を失い、一家は長女のルミ子の高校卒業と同時に父親と共に東京の父親の実家に移り住んだ。
 ここでさらにギヤを入れ替え、東洋女子短期大学(ここは英文科のみだった)に入学して、主要な都内の喫茶店で開かれていた喉自慢大会に出ていたという話もあり、歌手志望の気持ちもあったようだ。
 60年にシンコーに入社して「ミュージック・ライフ」編集部配属。5年後の1965年には25歳で編集長となって、Hamburgのクラブなどに立ち寄ってからLondonに突撃し、EMI Studioで単独会見に成功した。
 俺が毎日通っているあの通りに、52年前、彼女はお土産の日本刀(真剣)を抱えて現れた。1ドル360円の時代。同じ頃、New Yorkで留学生暮らしをしていたオヤジは泣きたくなるくらい貧しかったと振り返った時代に、だ。
 彼女の風貌は、会ったことは一度も無いのだけれど何と無しに分かるというか、彼女の生い立ちを見るだけでどこかに懐かしい感じがある。
 羽田に到着したBeatlesは、当時のヒルトン(その後、キャピトル東急)に泊まったけど、警備は大変だったそうだ。突撃女子がガンガン現れたそうだからなあ。
 彼女が育った時代は、戦後の復興で、日本中が沸き立っていた時代だったから、どこに住んでいようと日本中に面白い人たちがいた。夢見がちだったのかも知れないけれども、自分の興味のためになりふり構わず突き進む人たちがいた。彼女も、猪突猛進の勧めを若い世代に伝えたいんだね。本当に俺もそう想う。
 高く掲げた幟も、もう汚されてボロボロになった。けれど我がジンセイに悔い無しさ。このまま、行き着くところまで一路邁進するのみ。路傍の石で果てたって構うものか。俺には真実一路だからさ。


追記
夕べは大陸某地から色々な問い合わせがあってさ、夜中の2時前後までやっておりましたな。総選挙は怖いからねえ。票は読めるなんてよくしたり顔で言うけど、そんなの嘘だ。色々な国で大抵公電の選挙予測は外しているはずだよ。俺は歴史家じゃないけど、ストリートの声を聞いているかどうかなんてくらいは分かるでしょ。
だけど票読みしてたんじゃねえよ、どこの店はどうとか、そういう下らんことだわさ。だけどね、声が掛かることがお座敷が掛かることでもあるよ。各業界、各国の人と広く深く付き合うのは大切よね。

追記の追記
John Lennonが安田財閥の小野一家と長く付き合えたのは、John Lennonが中産階級の出身で、そう育てられたからということが真実であるとしたら、あるファン層は傷付いているのかな。「Working Class Hero」に、世界で最も影響を受けた人間はJoe Strummerだったのかな――何かねえ、混乱しちゃうわけだよねえ。
死んだ人間は何も言えないけど、死んだ瞬間に定まるところがあるからね。殺されてしまったJohn Lennonの場合は、ちょっとねえ。まぁ、色々考えて、千路に乱れる男心というわけだ。オホホホホホ。そろそろわし、寝るわいな。
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