岡田純良帝國小倉日記

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歴史は繰り返す。
8月3日
歴史は繰り返す。
 「戦後文学放浪記」[安岡章太郎著, 岩波新書]
 1993年夏のある日、吉行淳之介が上野毛の家から尾山台の安岡邸まで訪ねてきたことがあった。距離的には目と鼻の先の散歩圏内なのだが、体調を崩していた吉行が朝の10時過ぎに訪ねて来ることはもう珍しいことだった。

 「(P仙注:この日は)余程機嫌が好かったと見え、吉行は自分の方から、『どうも、この頃の文壇は新興芸術派が売り出した頃と似てきたようだな』と、意外なことを言い出した。――それはどういうことだ、と訊くと、吉行は言った」
 「『まず村上春樹、さしあたりあの男が昭和初期の龍胆寺雄さ』
 なるほど、そう言われてみると、龍胆寺雄は平成の村上春樹かもしれない。題材やコトバの目新しさに工夫をこらし、それをセーリング・ポイントに読者を大量に掴むところなどは、たしかに似ているし、また村上氏が空っぽの井戸の底に一人でもぐって空を見上げながら、歴史に想いをいたすなどと言い出すところなんかは龍胆寺氏の小説に通じ合う要素がある」

 この話も非常に印象的である。吉行淳之介は翌年夏に肝臓癌で亡くなるのだが、すでに、この人の體(こう書くのはこの人への礼儀か)を蝕み始めていたのであろう。

 「しかし、吉行が続けてこう言ったのには、少からず本気で驚いた。『村上が龍胆寺なら、島田雅彦は吉行エイスケさ』」
 「最後まで読み通せない文章を書くという点で、雅彦は平成のエイスケと解釈すると噴き出した」
 
 この後、前後するが、1986年2月、胆嚢で入院していた安岡に吉行が呉れた見舞状に、芥川賞選考委員の評判が悪いとぼやき、次のように書かれていたと安岡は引用している。

 「『ここらは適当にさばいておく。島田雅彦が乱心して困る』」
 「要するに、これは島田雅彦が芥川賞の落選に憤慨してあちこちに八ツ当たりして閉口というわけだろう」

 これは驚いた。村上春樹も島田雅彦も現役作家。文壇の最長老でもあった安岡章太郎が吉行淳之介の言葉を借りてこう書き遺していたとは知らなんだ。
 吉行淳之介は生涯父親の吉行エイスケのことを話題にすることを嫌っていたというが、エイスケが文壇でどういう存在であったかを知っていたからということでもあるだろう。結果的に、“若書き”だったエイスケは文学活動を止め、株式仲買人に転じていく。
 早く世に出た小林秀雄も結果として“若書き”だった。ランボウ詩集に誤訳はあるし、批評の対象も詩作をした19歳までが中心であったし、最晩年には若い頃の仕事について後悔することが小林秀雄でもあった。エイスケが長命であったら、“若書き”については、長じた息子と意外にも話が合って、文学的な和解があったかも知れない。
 村上春樹はノーベル文学賞が期待される大御所となり、暴れていた島田雅彦は芥川賞の選考委員である。村上作品を攻撃してはいるのだが、サヨクを標榜して世に出た島田の思想は、今や全国津々浦々で暮らす皇室ファンの善男善女のそれに限りなく近い。


追記
2兆円。
「それ、ほんまけえ」
ってな感じ?
| 10随想 | 06:17 | comments(1) | trackbacks(0)
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| - | 06:17 | - | -
コメント
吉行淳之介が使っていたのは「體」じゃなくて「&#36544;」。
| 通りすがり | 2015/03/14 3:03 PM |
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