岡田純良帝國小倉日記

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ニッポンに脈打つ阿諛追従の精神(肆)。
4月19日
ニッポンに脈打つ阿諛追従の精神(肆)。
「大本営参謀の情報戦記」[堀栄三著, 文春文庫]
 情報を軽視して相手を知ろうとしない日本人。この数日間見てきたように、内側で権力争いに精力を使い果たす愚かな民族であるから、敵を知ろうとする前に疲れてしまうのだ。外敵に弱いのは当たり前だ。
 最大の内政問題は、陸海軍が統合されず、空軍が存在しなかったことである。太平洋の島嶼ばかりの地域を戦場に選んでも制空権を握れるはずがないのに、大日本帝国陸海軍は、太平洋上で戦争を始めてしまった。考えれば子供でも分かる怠慢である。アホウである。
 開戦後、陸軍・海軍各々の組織に都合の良い欺瞞と阿諛追従のまま、国民は踊らされる。例えば、1943年11月、ブーゲンビル島沖海軍航空作戦とギルバート沖海軍航空戦では、大本営海軍部発表の輝かしい戦果は各国の日本大使館をも興奮させる内容であった。
 「撃沈 戦艦三、航空母艦十四、巡洋艦九、駆逐艦一、その他四
  撃破 戦艦二、航空母艦五、巡洋艦三、駆逐艦六、その他二」
 計算上、海軍部発表は、米海軍に航空母艦は一隻もなくなって、全て沈められたことになる。本書でもスイス駐在武官、スェーデン駐在公使からの祝電が紹介され、日本国内はもとより、戦線の第一線、駐在公館までが大戦果にはしゃいだと書かれている。しかし、現実には、米空軍の攻撃は日に日に激しくなり、航空母艦がゼロになったなどは、到底、信じられない状況が続いて行く。
 「海軍航空戦の戦果発表は、地獄への引導のようなものであった。その深層には、陸軍と海軍が双方とも、何の連絡もなく勝手に戦果を発表していたため、陸軍は海軍の発表を鵜呑みにする以外にないという日露戦争以来変っていない二本建ての日本最高統帥部の組織的欠陥があった。一般国民から見れば、大本営とは一つであったはずだが、内では陸軍と海軍がお互いに真相も打ちあけることなく、二つの大本営が存在していた」
 栄三の父の威夫は、陸軍航空の黎明期の立役者であり、開戦前夜まで、陸海軍の航空を統合し、空軍を創設しようとして、予備役の身ながら関わっていたと息子は類推する。
 「やっぱり山本が癌だったか?陸海はどうして対立を続けなくてはならないのだ」
 1942年も末のある夜、威夫を軍航空の青木喬大佐が堀家を訪ね、青木大佐の帰宅の後に威夫が栄三に洩らしたことがあった。
 「山本とは山本五十六海軍大将のことに違いなかった」
 「青木大佐は陸軍軍刀組(引用者注:主席卒業)で、当時海軍大学校の教官も兼ねていて海軍とは太いパイプのある航空兵の中堅だった」
 「当時の陸軍航空は北方での作戦に適応するよう、満州を基地にしてソ連領のシベリヤを目標とする航続距離の短い飛行機が主体であった。これに対して海軍には太平洋で使用できる航続距離の長い渡洋爆撃機があった。これらの短所長所をミックスして、陸海がお互いに競争することなく、統合した海軍を創設しようという働きかけ」
 これは、山下奉文を中心に陸軍側からも一時盛んに唱えられた考え方であった。
 「最後の段階で山本海軍大将の鶴の一声で潰された、という青木大佐の報告であったとしか考えられなかった」
 詳らかに知らないが、一部でも事実とすれば、マクロに言うなら、海軍の山本五十六も陸軍の山下奉文も知将として名高いが、所詮、陸・海の陣取り合戦の雰囲気から抜け出し、将来の国家繁栄のために大同団結しようと命を懸けなかったわけだろう。山本・山下共に今も評伝が出るのも別種の阿諛追従に思える。そう考えると、三島由紀夫の我々に対する「諌死」とでも言うべき惨めな死は、全く違って見えてくる。
 イザヤ・ペンダサンとして知られる山本七平は、日本の「空気」を指摘した。同時に帝国軍人が重視した孫子は精神面ばかり強調されたと批判した。だが、本書で堀栄三が、孫子でも、情報重視の考え方を引用したことに感銘を覚える。詰まり、孫子も、使い様なのだ。
 組織も人も全てが悪いわけでは無い。導き出される教訓は「無我・至誠」である。苦渋の中で生きた堀父子の心中を想う。凡夫としては、空気に流れず筋を通すことと理解するが、一方、苦渋の生涯を綴ることも、また、後代への「至誠奉公」と想う。堀父子に、合掌。


追記
本日も某地へ。息つく暇無し。
| 9本・記録集 | 05:19 | comments(2) | trackbacks(0)
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コメント
書き込み有難うございます。
大変に具体的な、有り得ることだと感じています。
まずはもっと調査してみます。アメリカ空軍の件は話の流れと私は想います。1947年にできようが、余り意味は無い。
しかし人の取り違いはえてして歴史の勘違いに繋がりますな。山本(五)と山本(善)違いですね。勉強します。多謝。
| 岡田純良 | 2015/04/14 10:53 PM |
堀栄三という大本営情報参謀が書いていたが
空軍独立を山本五十六が反対していたと書いてる。しかし、
アメリカが空軍を独立させている、と書いてるがアメリカ空軍が
作られたのは戦後の1947年であるし、また、根拠としてあげているのが
昭和17年の年末に青木喬大佐が堀の父を訪問して話をして、
「山本が癌だったか」という声を耳にしただけで、山本五十六のことであると
断定しているのはおかしい。17年年末といえば山本は8月からトラック島に
行って、以後日本には戻っていないのだ。陸大教官の青木大佐と会う機会
はなかったはず。青木が太平洋戦争に出るのは昭和19年8月以降である。
昭和11年頃にも青木らは空軍独立論を唱えたが海軍省軍務局によって却下
されていることからもわかるように担当部局は軍務局である。
海軍省軍務局の山本善雄第一課長と混同していると思われる。
(山本善雄は17年7月から第一課長)
| 石部金吉 | 2015/04/14 11:55 AM |
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