岡田純良帝國小倉日記

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ニッポンに脈打つ阿諛追従の精神(参)。
4月18日
ニッポンに脈打つ阿諛追従の精神(参)。
「大本営参謀の情報戦記」[堀栄三著, 文春文庫]
 本書で、堀栄三は、繰り返し、「日本人はオメデタイ」と嘆いている。その上で、古典を敢えて引いている。
 「孫子の言葉の中でもあまり知られていないものに、『爵碌百金を惜しんで、敵の情を知らざるは不仁の至なり、人の将にあらざるなり、主の佐にあらざるなり、勝の主にあらざるなり』という言葉がある。大要は、敵情を知るには人材や金銭を惜しんではいけない、これを惜しむような人間は、将師でもなく、幕僚でもなく、勝利の主になることは出来ないという意味で、情報を事前に収集するには、最優秀の人材とあり余る金を使え、と教えている」
 この「日本人はオメデタイ」という慨嘆は、今でも大いに頷けるものでもある。今日でも、日本人は相手を知るための努力をしない。極東の特殊な島嶼の文化で生まれ育った自分の狭い尺度だけで相手を斟酌するし、もし自分の理解を越えた場合も、「ガイジンだから」で済ませてしまう悪癖は全く変わっていない。グローバル時代の今でも、だ。
 本書はアメリカ軍が情報戦を重要視していた一例として目から鱗の落ちる思いの指摘が幾つもある。その最大規模が強制収容所である。奇襲された真珠湾の戦況を知り、日本人・日系人に対して湧き上がったアメリカ国内の世論を背景に、アメリカ政府は、一気に強制収容所の建設と日系人収容を行う。
 「裏から見れば、あれで日本武官が営々として作り上げてきた米国内の諜者(スパイ)網(もちろん日系人全部というわけではない)を撃破するための防諜対策だったと、どうして考えないのであろうか」
 「米国人は、国境を隔てて何百年の間、権謀術数に明け暮れた欧洲人の子孫である。日本人のように鎖国三百年の夢を貪ってきた民族とは、情報の収集や防諜に関しては全然血統が違っている」
 「戦争中一番穴のあいた情報網は、他ならぬ米国本土であった。日本陸海武官が苦労して、爵碌百金を使って準備した日系人の一部による諜者網が戦争中も有効に作動していたなら、サンフランシスコの船の動きや、米国内の産業の動向、兵員の動向、飛行機生産の状況などがもっと克明にわかったはずだ。いかに秘密が保たれていたとしても、原爆を研究しているとか、実験したとか、原子爆弾の『ゲ』の字くらいは、きっと嗅ぎ出していたであろうに、一番大事な米本土に情報網の穴のあいたことは、敗戦の大きな要因であった。いやこれが最大の原因であった。日系人の強制収容は日本にとって実に手痛い打撃であった」
 またアメリカ軍が対日戦争の準備を始めたのは1921年(大正10年)の由。これは、昨日触れた寺本熊市ら米国通の報告書も援用している。実際の開戦は1941年(昭和16年)暮であることを考えると、20年も前から周到に準備していたことになる。彼らについて、
 「重要書類を奪取する専門部隊を持っている。撃沈した船に潜水兵を潜らせたり、沈みかけた潜水艦に跳び移って暗号書を奪ったり、停泊中の商船から巧みに暗号書を盗んだりするのを常套戦法としている」
 日本人なら、汚い手とか何とか悪し様に言って、盗みの手管を軽視する癖があるだろう。だが、暗号を全部読まれたらどうなるのだ。こちらから盗みに行く努力を怠る方が負ける。このような視点で海の向こうを見詰める人がいなければ、勝てる相手はいないだろう。
 といわけで、本稿、明日も続く。


追記
本件はしばらく続くことになっとるわけじゃけど、日本が揺れとるじゃない。参ったのう。
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