岡田純良帝國小倉日記

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ニッポンの行方――「人斬り」から40余年(上)。
6月17日
ニッポンの行方――「人斬り」から40余年(上)。
 昨年の11月25日は、三島由紀夫が市ヶ谷の陸上自衛隊東部方面総監室で自刃してから数えて40年であった。こちらとは縁の無い人ではあったが、感慨があった。
 書店に行けば、故人の特集のコーナーが設えられてあり、重版の過去の書籍類が並べてあるのではなく、新刊の研究書が置いてある。40年というと、時代は一回りして、完全な過去だ。その遠い過去から、三島の哄笑が聞こえてくるようでもあった。
 三島が死んだ時には祖父はまだ存命であった。祖母は胃潰瘍という名目で祖父の入院の準備に忙しい時期であったかと想う。この翌年(1971年)の3月14日に旧第4陸病であった国立大蔵病院で亡くなった。こちらはまだ小学校1年生である。あれから40年!
 幾度も触れたことではあるが、没後10年の1980年には、NHKは三島由紀夫の特集を組んだ。ヘリコプターから空撮した総監室外のバルコニーに立った三島由紀夫は、たった10年後ではあったが、フィルムは白茶け、遠い過去の亡霊のようであった。
 この特集が今もこちらの深い部分の記憶に残るのは、当時こちらも16歳で、最も多感な年代であったこともあるが、今もって確認できないのだが、楯の會のメンバーのその後を追い、何人かの會員が問いに対して証言をしていた場面が鮮烈であったことにある。

         三島由紀夫別。

 3日前にも「魔群の通過」の項で記した通り。水戸・常陸の気風が合わないのは「水戸学」を奉じる儒家で彰考館総裁の家の末裔が、当時の高校教師で、学校では悉く衝突したが、この教師の旧友が、市ヶ谷に乱入した楯の會の會員であったこともある。
 当然、教師は鼻持ちならない偽善者であるのに対して、その旧友であった人物の取った行動には、善悪の彼岸を超えた衝撃を感じていた。16歳の少年にとっては、三島由紀夫はより近しい存在感があった。だが、あの番組を観てからさえ、30年が経っていたのである。
 こちらは今や三島の享年を超え、すっかり歳を取り、脂は抜け、髪は白くなり、足腰も弱って来た。だが、何時それが入れ替わったか分からないが、皮肉なもので、歳を取ったこちらと引き換え、目に触れる三島由紀夫の姿は若々しい。
 意地の悪いことに、こちらが歳を取るまで付き合っては呉れないのだ。
 「ウハハハハハハハ」
 哄笑が聞こえると記したのは、そんな40年後の気弱な読者のことは何もかも織り込んで、三島由紀夫が腹を切ったことを知っているからでもある。
 とまれ、5月半ばから6月初旬にかけて有楽町の旧読売会館8Fの「角川シネマ有楽町」でかかっていた三島映画祭、「三島由紀夫を観る」で生前の姿を確認することは楽しかった。もう、三島由紀夫の動く姿、声を映画館の暗闇で観るだけでいいのである。
 誠に情けないことではあるが、スクリーンに三島が現れると、理屈ではない何かがこの50歳に近い身体の中から迸ってきて、涙が幾筋も流れた。恥ずかしい話ではあったが、若々しい三島の肉体が眩しい。その死は、残された者に謎を突き付けて、その謎は永久に解くことはできないが、生前の姿は、直視でないほど眩しかった。本稿、明日も。


追記
本日も関東は雨に煙っております。そして当方は体調不良。
しかしまぁ、参るしかないわいなぁ、諸兄姐。
| 1ミシマ | 06:20 | comments(0) | trackbacks(0)
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