岡田純良帝國小倉日記

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懐かしい女性――「台湾人生」で観た“ケンジョ”。
7月24日
台湾の“ケンジョ”――映画、「台湾人生」をどう観るか。
 獄中で暮らしていた時期、台湾はとても遠く、ニッポンから行くほうがよほど楽だった。しかも何というインチキなまやかしだろうかと笑ってしまうような体験を毎回することになる。中国人の気質と考え方を知るには、獄中から台湾に行くことだろう。
 何せ、北京や上海でも、「香港・マカオ方面」と案内がある通り、国内線から入るのだが、結局、扱いは国際線だ。行き先の香港でも、台北でも、空港では国際線のゲートに到着し、入国審査でパスポートの提示を求められ、入国手続きを済ませることになる。
 香港行きの場合、上海でも北京でも、外国人の間では、香港ベースの「Dragonair」(港龍航空有限公司)を予約するのが基本だった。Cathay Pacific Airが所有するこのエアラインだけは、例え7月の灼熱の北京空港からでも、猛烈な人並み地獄の上海からでも、搭乗後、もう、サービスは「西側」を期待することができる。
 しかしながら、他のどんな獄中のエアラインも、サービスは「獄中流」であって、日本の座敷犬が見向きもしないようなぶっかけ飯を出されるのだが、他にやることもないから、泣く泣く“シャリ詰め”(by 矢吹ジョー)をして喰うハメになる。両隣の獄中客は、食前、食後に、必ず汚物入れに痰を吐くから、夏場や冬場には、ちょっと気を付けないと危ない。
 その点、「Dragonair」は、結果的にあまりディスカウントしないため、搭乗してしまえば、白人のパーサー、香港人のCAによる笑顔付きのサービスを受けられる。この嬉しさだけは、獄中に留め置かれた人間だけにしか分からない呼吸で、隣の見ず知らずの客とも、つい、会話が弾んでしまうほどだった。
 「Dragonair」が嫌いなら、もし成田から台北に行くのなら、当時は、「日本アジア航空」でキマリであった。田中角栄が作らせた航空会社だが、要は、日本航空の台北専用便である。
 中共との国交の開始によって、日本は台湾との国交を断絶した。その折に「日本航空」を飛ばすのかと中共に言われて、田中角栄の一言で生まれたのが、この「日本アジア航空」であった。昨年3月末には親会社の日本航空の経営合理化で親会社に吸収されたから、今は、「日本アジア航空」という社名は消滅した。
 とまれ。
 何時のことであったか、香港経由で台北に入った時、台北空港のアプローチから、入国審査のブースへの通路一杯に、子どもたちの升目を埋めた作文と、クレヨン画と水彩画が貼ってあったことがある。
 (何だろう)
 繁体字の解説を読むと、どうやら、台北市内の小中学生の交通安全の作文とポスター・コンクールの入賞者たちの作品らしい。
 (そうか、そうだったのかい)
 もう、これだけで、こちらは思わず胸が一杯になった。
 獄中では、子どもたちを奨励する様子を外国人が見られる機会は、政治的な場面でしかあり得ない。政府高官が訪れた時など、田舎役人が子どもたちと一緒に歌を歌ったりする。もう、気分が悪くなるくらい、演出する。日本人はコロリとこれにやられてしまう。
 そんな暮らしに辟易していた日々だから、台北の子どもたちの絵には胸を衝かれた。
李登輝(国民党)の靖国の献灯。
 別にそんなに感激するほどのことでもないはずなのだが、獄中に暮らしていると、もう、あらゆる場面に蔓延する嘘だらけの茶番にくさくさするから、あんな場面に出喰わすと、参った。子どもたちに何かしらのチャンスを与え、奨励するのは、どんな社会でも教育の基本だ。
 だが、台北空港では、
 (ここは獄中とは違いますよ、安心して下さい)
 いきなり、そう言われたような気持ちになったのだろう。
 空港で俺たちを出迎えてくれたのは、台湾で最も古くからのこちらの知り合いで、もう日本との行き来を30年以上もやっているCさんだった。台北で最も親しくなったが、今や誰もが認める現地某社の代表者となったCさんは、実は国民党軍によって蹂躙されてきた内省人であった。
 内省人とは、台湾に元々住んでいた人々であり、外省人とは、戦後、国民党と共に獄中本土からやってきた人たちを指す。1996年に台湾全土で戒厳令が解かれて以降、国民党の外省人が大手を振って牛耳る社会で、地雷を踏まないよう、苦慮して生きてきた人である。Cさんは当時、60歳であったが、俺と食事をしに出ると、必ず「国民党」の悪口を言った。
 台湾については、獄中では、ここには記せないけれども、何度も複雑なことがあった。彼らがどれほど獄中本土から卑しめられ、恥ずかしめを受けているかを知ることとなって、こちらは同情するより他、無かった。獄中生活以降、台湾は何時でも自分の気持ちの中に、親しく、近い気持ちがあって、だからといって、それを声高に言うのは、憚られるような気がしていたのだった。
 ところが――今回、映画、「台湾人生」を観て、却って満州の「アジア解放」を想い出した。
 瀋陽で、大連で、餃子を喰い散らかし、白酒に酔った人々の口から聞いたのは、
 「もしあのまま日本がいてくれたら、今頃、香港のように成長していたはずなのに」
 という異口同音の嘆き節だった。その、満州人の「アジア解放」を想い出したのである。
 そして、同時に、朝鮮半島が中共に征服されていたら、現在ほど半島の人々から反日が叫ばれることはなかっただろうという意を強く持った。朝鮮半島は、形だけでも、ソ連と中共から蹂躙されなかったから、まだ良かったのだ。 台湾は、国民党軍が入ってきてから、滅茶苦茶になった。このことは、映画を観れば、感じられるし、分かることだろう。
 俺には、陳清香さんというおばあさんの言葉が、とにかく懐かしかった。
 彼女は基隆のおばあさんの看護士で、ダンナはお医者さん。
 「私が男だったら、特攻隊行ってますよ」
 彼女は、映画の中では明かされなかったが、台北州立基隆高等女学校に通ったようだ。
 「私は台湾人だから、卒業証書、貰えませんでした。2番でしたのに」
 担任と校長の名前がすらすらと出てくる。よほど悔しかったのだ。
 「小泉が靖国行ってね、良かったですよ」
 どこの身内のおばちゃんかと思ったら、そういえば台湾人のおばあさんなのだった。
 (いやはや)
 台湾にも、撃ちてし止まんの“ケンジョ”がいたのだった。
 監督の酒井充子は1969年山口生まれ。慶応大学を卒業、東京でサラリーマンをした後、北海道新聞に転職してジャーナリストになった。このドキュメンタリーは、彼女にとって初監督であり、7年越しの作品だそうだ。しなやかな大和撫子でありまするなぁ。イデオロギー臭とかけ離れる力は女性ならでは。こういう仕事には、感服するにゃぁ(by 焼津の半次)。
 帰るさ、司馬遼太郎の「街道をゆく40」を思い出した。台北、高雄、台東、花蓮を訪ねる司馬遼太郎のやや感傷的な旅だった。これは、罪な書だ。
 日本人は、今こそ、「台湾人生」を観て、何をか想うべきだろう。

追記
NYは$9,000回復。いいねぇ。
ニッポンだけだろ、こんなに悲観的なのは。Happy Go Luckyでいきたいねぇ。どうだ、この株価は。今朝の寄り付きがどうなるか。ところがよ、これが政局の目にはならねぇってところに、政治の貧困があるんだなぁ。全くもって、困ったにゃぁ(by 焼津の半次)。
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