岡田純良帝國小倉日記

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また今年も今日という日がやってきた。
11月25日
今日は何の日?
 1970年は小学校に上がった年である。
 4月の入学式直後、担任の馬渡ます先生は、
 「この中で、大阪の万国博覧会に行った人はいますか?」
 開口一番、子供たちを見渡してこう問うたものよ。
 3月の半ばから万博は始まっていたから、万博に行った家もあるだろうと思ったのだろう。教室の後ろに並ぶ母親たちを意識しての問いかけに、かなりの子供の手が上がったと記憶している。
 (ちぇっ!)
 我が家では数年前に東海道を何度か往復して、やっとこ敦賀から引き上げたばかりで、無論、親など来ていない。赤子を抱えて、腹の大きな母親を見るなら、大阪なんぞに行くわけはないだろうと、はなから諦めていた。
 (この教師も“その手合い”か)
 小学1年生を馬鹿にしてはいけないのだ。
 その年に起こったことで、今も覚えていることは幾つかある。
 まずは連休前に急性胃炎で寝込んだこと。学校給食を喰い過ぎたのだった。アッハッハ。
 この過食は、多分に精神的なものがあり、毎日、級友と取っ組み合いの喧嘩をしていた。翌年、山の手の団地にあった転校先の学校で、クラス全員とぶつかって、学校からの脱走事件を起こし、さらに過食の夏に結びついていく。
 次は、遠足で動物園に行って、キリンの親子を写生したら、1年生の絵を評価しに現れた上級生が、口々に、
 「あれは親が手を入れた絵だから駄目だ」
 と言った由。それを馬渡先生がそっくり伝えてくれたので、なおさら憤慨した。社会というヤツは理不尽だと思い始めたのはこの頃からだ。
 夏休みでは、終戦記念日の朝に、NHKのアナウンサーが、
 「終戦から25年目の朝です」
 と挨拶をしたことは、これまでにも幾度か書いた。
 この後、10月には、祖父がヨーロッパから帰朝して羽田の東京国際空港に迎えにいった。ドイツのダイキャスト製トラックのおもちゃを貰い、チョコレートの詰まった大きな箱を持たされたが、そのままどこかに隠して忘れ、翌年の引越しで出てきたら、一面にカビが生えていて、ただの1個も喰えなくって、悔しくて眠れなかったっけ。
 こうしてみると、1970年の時点で、短気で乱暴で、協調性が薄く、そして喰いしん坊である。現在にそのまま繋がるキャラクターは、この時点でそっくりそのままできあがっていることに、我ながら呆れてしまう。
 ともあれ祥月命日の今日。三島由紀夫と楯の会会員による市ヶ谷の陸上自衛隊東部方面総監本部の篭城と切腹事件があった。翌朝の朝日新聞の一面に、総監室の窓からカメラを差し入れて撮ったらしい写真があった。逆光に生首らしいものが置いてある。自ら望んで飛ばした人の生首を見て、あの時、人間もまた、不可解千万なものだと知ったのだった。

追記
1970年から10年後、NHKの「金曜特集」か「NHK特集」で、楯の会の突入隊員のその後を追った特番を放映したのを視たぜ。たかだか10年前の話なのに、あの日の東部方面総監室を映し出すヘリのカメラの映像は、42歳の今の感覚で30年前くらい前の印象があったっけ。高校2年生になっていたから、多感だったんだな、きっと。
1980年当時、突入した楯の会の会員だった小賀正義とは高校のクラスメートで、下宿まで一緒だった男が、翌年には担任教師になるとは想わなかった。コイツが、実に詰まらない小物だったのに、まぁ、突っ張っちゃったんだな、これが。こんな男のせいで肘鉄ならぬ蹉跌を経験することになるとは、お天道様もご存知なかったろう。アッハッハ。


追記の追記
顔の形が変わっちゃったのよね。暫くはこんな顔と付き合わなけりゃならないんだなぁ。ちょいと複雑。諸兄姐、よき週末をお送り下さいませ。小生は参禅するかレコード漁りをするか、思案中でありまする。
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