岡田純良帝國小倉日記

亜細亜の風(2)――風水が治める星港。
6月19日
亜細亜の風(2)――風水が治める星港。
 Merlionは2002年にアジア通貨危機で揺れるご当地星港では、都市全体を揺るがせる大論争に発展した。
 Merlionは70年代にLee Kuan Yew(1923年-)が設置した人工的なLandmarkだそうだ。星港の役人は、昔から日本には天然資源が無いと言うが、観光資源はあると言う。

   20180613 (18).JPG
  お忍びでなく、命懸けで独裁者が異国で敵対国の首脳と会談する場合には、夜間に危険
  を顧みずに移動するのには、それ相当の理由がある。そのそれ相当の理由を考えた時、
  まず今回考えられることは、こんなことだろう。南はスルーされる可能性が高いという
  話も聞いたぜ、俺は。

 2002年の通貨危機の結果、風水的に場所が悪いから、僅かな距離でも移そうという話に国論が一決して、Merlionは移動し、そして、巨大になった。そして今や、対面にあった荒涼とした埋立地の開発と共に、某金帝国の独裁者さえ見学に出かける一大スポットになったのだ。
 日本人はそういう彼らの言葉こそ、聞くべきなのに、聞かなかったから、Merlion観たさに善男善女がこうして集まるようになった。
 Mr. Kimは聞く耳を持っているから、白頭山をはじめとして、必ず、かの国にインバウンド産業を盛り立てるためにこれからあれこれと新しいことを始める。
 そのノウハウを教えるためにSingapore Economic Development Boardはかの土地に投資をするだろう。そうなると資金の還流はどうなるか。獄中⇒星港⇒白頭山⇒獄中と、極東の島国とは無関係な海岸に沿った流れができる。

20180613 (Cathay Pacificのお粥).JPG
  鶏肉のおかゆが出てきたので、すっかりQuantasの御姐ちゃんには随喜の涙。これまた
  白も南半球の濃厚なブツが出てきた。かのエアラインのワイン品評会は歴史も長くて、
  南半球のワイン業者ににとって、死活に関わる重要なイベントになっている。品評会で
  蔵出しされてきたワインだもの、ビジネス・クラスだってそこいらのファーストよりも
  ずっと美味いぞ。そして気前良くずんずん注いでくれるから眠れんかったワイナリー。
 
 俺たちはあの首脳会談の翌朝に当地に入った。そしてその晩に、2日前にMr. Kimの歩いたという場所を運ちゃんに心付けをはずんで案内して貰ったのさ。
 1970年代にはまだ星港は産業集約の拠点でもあって、日本の製造業には、進出する投資先として魅力的な時代が、短かったものの、確かにあった。それだけインセンティブを付けて投資を募ったからだ。日本企業はそういう点しか見えないし、見ない。スパンの長さと深さは政府とは違う。
 マクロな見立てをしていかないと、尻小玉を抜かれっちまうのだが、さて、この辺りの怪情報は、ニッポン政府はどれだけ入手しているか知らん。
 Me. Kimが国を開くコトに本気なら、やれることは幾らでもある。金が還流する流れがあれば、人も還流するから、犠牲者達も必ず戻ってくるはずなのだ。やれんねえ。
 そんなこと、考えている人がおるか知らん。おっても、クチにしないんでしょう。それでいいのか知らん。
 「そんなこと、どうでもいいじゃない」(by 野口五郎岳)
| 6旅・行動の記録 | 19:46 | comments(0) | trackbacks(0)
亜細亜の風(1)――香港の女。
6月17日
亜細亜の風(1)――香港の女。
 香港の街まで空港から足を伸ばして歩くのは12年振りで、上海の林立するビル以上の密集度には驚いた。
 New Yorkの林立する高層ビルが世界的な富の象徴だったのは1980年代くらいまでだろうか。香港も摩天楼は言われたけれども、もう、どの都市も突出した摩天楼の街ではなくなってしまったわけだ。相似形で、全て特徴が薄れて、街のキャラクターが見え難くなってきたとも言えるわけだけれど。
 若い男は無口だったのが、慇懃無礼になり、図々しくなった。それでも、変わらないのは香港は女たちで、投宿したテルホの客室係とか飲食店のチャンネーたちは客あしらいがうまく、嬉しくなるようなサービスだった。

20180612 (20).JPG
 ベッドの上にちゃんと浴衣があったよ。バスルームにはバスローブがあったけれども
 浴衣よね、日本人なら。起毛したバスローブはゴワゴワしていてその内冷えてくる。
 浴衣があって小さく「お1、やったね!」と、快哉を叫んでしまいましたよ、わたしゃ。

  ホテルのティー・バッグに普洱茶があったのが嬉しかったねえ。そんなことで喜んでいるようでは俺っちもそこの十人並みの飼い慣らされた中年オヤジと何ら変わらないわけなんだわねえ。
 っていうのも、高級俱楽部で飲茶した程度。香港のざっかけないおばちゃんたちのいる店で飲茶ができなければ、香港に来た意味が如何ほどあるかといおうか、精神が解放されないといおうか。

           20180612 (16).JPG
 部屋のティーバッグに普洱茶があったわけだ。こういうの、緑茶なんかを出さなかった
 日本で、再評価されて慌てて玉露を出すようになった道行きとも似ているわけだけれど、
 ずっと香港の方がしたたかで、トッポイねえ。

 今の横浜や神戸の中華街に、1980年代の面影を求めても無駄なことと少し違っていて、彼らは彼らなりにどんどん発展を続けていて、円という通貨が弱くなっていくと、もう、高値の花になってしまう可能性を感じた。
 横浜も神戸も発展を続けているけれど、老人大国のデフレという特殊な進化系で、神戸で豚マンの列に並んでいるアジアの観光客諸兄姐にとって、並ぶのは安価だらかでも食欲からでもなく、観光の楽しみとして苦痛に絶えているということに我々は今さらながら気付かなければならないわけだ。
 ともあれ、俺は香港の到るところにいるチャンネーたちの心遣いに泣けました。うなるような大金を懐にしているおねえちゃんも、ニッコリ。
| 6旅・行動の記録 | 15:14 | comments(0) | trackbacks(0)
衣食住足りて――どこへ行く獄中(上)。
6月11日
衣食住足りて――どこへ行く獄中(上)。
 先日の某国某所では半日以上、某さんと一緒に膝を突き合わせて色々語り合った。彼のような政府と着かず離れず、しかし緩急自在に距離感を操る人物が某から会いに来ることそのものが異例のことなんだろう。
 当地の○○が驚いて会食を設定した。豪華な場所は止めて△△時代に通った懐かしい店の□□分店らしい「○○○○」を指定した。
 当初はサシで□□の下町の飲み屋に行っても良かったのだが、まぁ、そこは人間が合い寄れば直ぐ政治になる。已む無しである。
 この折、紙袋一杯に資料を持参した。1920〜30年代の某所と某所の古地図を渡した時の某さんのリアクションが面白かった。“小倉の料理番長”が国会図書館まで足を運んで、小倉の図書館で発見してコピーし、フエキ糊で貼り合わせて作った△△や□□の古地図。
 確か2006年頃に作成した大判の古地図が出国直前に転がり出て来た。租界が出ている。○○門が出ている。○○大路が出ている。△△も□□も、今ではすっかり変わり果てた。
 「これは」
 某さんは声を詰まらせた。
 「この地図を片手に歩いて李香蘭(山口淑子)の家や小澤征爾の家も探し当てましたよ」
 「そうですか……」
 昔は、何時も持って回った尊大な言い回しをする人だったのに。

20180323 12年ぶりの上海飯は弁当.jpg
 12年ぶりに行った都市で喰わされた最初のシーメ。ナンチャッテ・ハコベンだった。
 20世紀の末に世界のどの地域でも評価を落としたのが獄中飯だったろう。引き換え、
 和食は圧倒的な評価で受け容れられ瞬く間に伝播した。何百年も華僑が営々と築き
 上げてきたモノが僅か四半世紀で瓦解したのはメインランドから流出した者の喰い、
 調理した料理の不味さゆえだ。誰も言わないが、これは、人類史に特筆すべき共産
 主義の及ぼした悪の一つだろう。ここに記しておく。この白米の盛り方。どこにも
 美感も気遣いも、ホスピタリティーさえも無い訳よ。味が分かろうというものさ。

 彼の地では手に入らない古地図。そんな古地図に声を詰まらせるとは、某さんも孤独に奮闘して長くなり過ぎたのか。それが、彼の国の伝統的な知識人の味のあるところだ。
 「日本租界のそばに魯迅の家があってね」
 「魯迅!」
 「時代は重なってはいないんだけど」
 「魯迅!」
 「今は、魯迅の家は記念館になってますよね」
 「そう。だが、あの人はね、あの人の描いた小説の言葉がキツイですね」
 「庶民の会話では、日本人が訳せない汚い言葉が使われているんでしょう」
 「革命家にも革命にも厳しかったよ」
 「だってヤクザや馬賊と変わらないと見限っていたでしょう」
 「そうでした」
 「革命派に転じた郭抹若とは対立してはいなかったけど」
 「考え方は違いますね」
 「双方、周囲のシンパ同士は反目し合っていたんでしょ」
 「私たちはそういう話までは知らないですね」
 「魯迅は革命には反対だったと聞いてます」
 「それは分かるのですが」
 「武田泰淳がそう証言している」
 「『阿Q』を含めて尊敬されていても、文学史の上で正当な評価はされていない」
 手に持って歩いた△△や□□の古地図には、細かい字で書き込みを入れていたのだが、その書き込み入りのものはさすがに憚られて持参せず、慌しく処分して出てきた。
 「郭抹若も魯迅も日本が好きだった。私も」
 某さんが口を開いた。そういうと、某さんが郭抹若や魯迅の名を口にすると、その先は、もう酒になる。だからその先はこちらから聞かないことにして黙った。


追記
台風の中を出発予定。ヌーン、どうしてこうなるの?子供の頃は晴れ男で、ジェンッジェン雨男じゃなかったのに。しかし新幹線はワイコフですなぁ。またお騒がせ男が岡崎から登場っすか。岡崎、お騒がせ男輩出じゃのう。のう?
| 6旅・行動の記録 | 06:52 | comments(0) | trackbacks(0)
本も音源も出ていっちゃったの巻。
5月3日
本も音源も出ていっちゃったの巻。
 15箱、310kgほどが積み出されて出て行っちゃった。これからモキタへ。悪い仲間全員集合でもないけど、集まれる関東地区の人間は集まるかという話になってる。
 荒れるかしんみりするか、それとも盛り上がるのか。到底、俺には想像がつかねえな。

20180503 寺田倉庫搬出 (掲載).jpg
| 6旅・行動の記録 | 16:23 | comments(0) | trackbacks(0)
小倉の処分処分処分。
4月27日
小倉の処分処分処分。
 アメリカ人の友達から贈られたおもちゃも処分する時が来たわけだ。俺が大切に乗っていたからよく分かっていたんだろうけれど、これは嬉しかったな。
 もうそのヤツも今年の4月1日で68歳になったはずだ。

Porsche 911  (掲載).jpg

追記
このクソ忙しい時期に呼び出すなんて、まったく頭ごなしに来ますわねえ。権威っての、怖いけど、権威を意識しているからまだ救われる。救われないのはそれが分からない人だ。
| 6旅・行動の記録 | 23:37 | comments(0) | trackbacks(0)
田蟹という食材の魅力。
3月12日
田蟹という食材の魅力。
 「た」の付く食材には、たにしも田うなぎもあるわけだが、田んぼのたんぱく質では田蟹も旨い食材の一つだろう。俺たちは、大都会の街外れ、郊外の住宅地と呼んでいい某所に、ある晩、勇躍、タクシーで乗りつけたのだった。
 田蟹屋で有名な某所。ここはイーゲの店員がいると直ぐに分かった。田蟹を素揚げにした揚げ田蟹などは青海苔と一緒に塩で喰うのだが、もう、厨房に飛んでいき、
 「あんたと俺は胃が繋がっているぞ!」
 と調理人の両手を握りたくなるほど日本人にはずばりと来る。それほど旨い。 
  
   20180306 (掲載・揚げ田蟹2)
 
 そしてメインは田蟹鍋である。
 トマトとニンニク酢を効かせたスープ。そこにブンをひたして入れる。さらにたっぷりの大葉やパクチー、檸檬グラス、こぶみかんなどのハーブ類とキャベツを入れ、細切れにした牛肉を入れる。
 その間に田蟹のすり身とカニ味噌をたっぷり入れるのだが、この蟹味噌が強烈なのだった。 
 醗酵させた海老味噌をベースにしたマムのブンなどを喰ってみると分かるが、この蟹味噌も十分に醗酵をさせて、それ相応の臭みと深い味がある。  
 
20180306 (掲載・田蟹鍋1)
 
 この味噌のしぶきをシャツの袖なんかに飛ばしてしまったら、それは、「取り返しのつかないこと」になりやんす。諸兄姐、それを知った上でトライして頂きたいものでござるよ。 
 今回の旅で想ったのが、シクロやタクシーの運ちゃんが俺たちの姿を観て声を掛けてくることが殆ど無かったことだった。
 シクロの運ちゃんは20年前はインテリがなるのだとか言われていたのだけれど、そんなインテリはもう死んでいるというわけだから、今のシクロ・タクシーの運ちゃんの素性は俺は知らない。しかし、これほどの自動車とバイクの洪水の中で、シクロの存在意義は最早全く無いと言っていいだろう。

20180306 (掲載・田蟹鍋2)

 それと共に、若い世代のヴェトナム人の男女の腕に刺青が入っているのは行く先々で目にした。世界中、カタギであっても刺青を入れる時代になったとはいえ、ヴェトナムでは、日本社会と同様で、刺青は極道の印であったはずである。
 衣食住足りて、こういう人間が出てくるのだろう。日本でも同じ道を辿ったわけだ。俺は渋谷のチーマーだの関東連合だのの世代と、自分とでは価値観が隔絶している感じがある。俺がガキの頃にはヤクザとカタギにはそれ相当の違いがあった。
 それと同じ流れが今のヴェトナムには起こっているということなんだろうと俺は理解した。
 田蟹鍋だとかマムのような発酵食品と共に、若い人の間の刺青の流行は、汗水流してスズメの涙ほどの対価にしかならないシクロ・タクシーとは別に、どんどんその愛好家を増やしているのだった。
 この辺りにも考えさせられるものがある。


追記
帰宅してグッタリ。帰国便の朝食がバイン・ミーになっていたのには驚きましたね。工夫ですな。
機内で「戦狼」見る。ものすごいプロパガンダ映画に辟易。嗤ってしまったのだが、アジア歴代興行収入第1位。仕事柄やられている感が強烈に残った。
それ以前に、ラウンジの朝日新聞で寄稿者の名と内容に仰天。情実の新聞社の伝統か、洗脳もここまでくるといっそ清々する。それがかつて日本をあちらの方向に沈ませかけた右や左の旦那様・奥様ら、ある種の人たちにはジンセイ全てってところなんだろう。宗教と同じだ。
情け無い気分だが、俺だってリアルな現実から眼をそらすわけにはいかないから読まないわけにはいかんもんねえ。成田の駅で日本の空気の良さにはホッとした。しかしこの空気の中に不穏なものも感じられるわねえ。特使もやって来る、ある方面のお喜びの吊るし上げ会見もある、そしてそこに付け込もうとする勢力もある。
アホラシ、もうひと寝入りするわいな。
| 6旅・行動の記録 | 16:09 | comments(0) | trackbacks(0)
買ってしまったもの――風水と道教に弱いアジア男性のサガか。
3月11日
買ってしまったもの――風水と道教に弱いアジア男性のサガか。
 以前、那覇で買ったのが「石敢當」。自然石を彫った風のなんちゃってコピー品。2002年2月のことだから、あれから15年以上が経っているのだった。
 15年以上も風雪に耐えて、今も小倉の陋屋の玄関に飼い犬のように鎮座しているのだった。
 それから幾星霜――こちらは昨日買ってしまった「山海鎮」の人工タイルを手彫りで削った一枚。
 「え、マジ?」
 "小倉の料理番長"は言いましたな。よっぽどイヤなんだろう。
 16年経っても、成長していないということがこの一事だけで知れてしまう。
 
   20180310 (掲載・山海鎮)


 こういうものに惹かれるのって、何だろうと自分で想う。「だんなどん」信仰の篤い薩摩の血か知らんけれど南海の遺伝子が騒ぐのだろうねぇ。
 「石敢當」は玄関側に、「山海鎮」は、玄関の対面の北側の壁に置いておこうと決めているのだが、さて、ご利益は。しかしご利益なんぞを期待すると碌なことにはならないのよ。
 「石敢當」の場合でも、朝晩に石を観て、可愛いなぁと想ったりしてさ、飼い犬を朝晩眺めるようなところが関の山だったりしたものさ。 
 それでも、南方系アジア男性なら、まぁ、通じるものがあるだろうさ。


追記
いよいよ水っ腹状態がひどくなってきたので、今日も昨日に引き続き大事を取って静養しておりました。
今回の旅では収穫はあるようで無いのは、河内ことハノイがある段階を超えて都市化してしまったからなんだろう。ハノイ市内は、日本なら、関西割烹とか加賀料理とかいった、ヴェトナム国内の地方料理屋が出始めていて、これはかつて無かったものだ。お互いに南部と北部は嫌い合っているはずだのに、相乗りをして出店しているのは、多分、外国資本の後押しによるものだろう。
量産品が、もう、どこにもかしこにも溢れていて、以前のような街の素朴さは、加速度的に喪われ、色褪せている。不良ガイジンが増えて、西欧かぶれした不良少年が増えている。自分の少年時代を棚に上げて、胸が痛むような気がする。
| 6旅・行動の記録 | 00:52 | comments(0) | trackbacks(0)
河内の亡霊――許斐機関と恐怖の鶏足。
3月9日
河内の亡霊――許斐機関と恐怖の鶏足。
 2012年7月に来た時は、陸軍上海駐在大佐・長勇の指揮下の許斐機関のあった9 Dao Duy Anh St.に行ってみた。今回建物は建て代わり、もう、何もかも消えていた。

20120520 (掲載・許斐機関事務所跡)

 1940年(昭和15年)、仏印進駐と共に許斐機関が事務所を置いた河内こと、ハノイの建物が、フランス風の地下1階、地上5階建てのこの建物だった。
 Hanoi駅から直線で600m程度。駅前目抜きのLy Thuong Kiet通りとBa Trieu通りの交差する角にあった。
 許斐は満州馬賊の領袖・伊達の大親分の自称・仔分で、頭山の流れを汲んだ九州の拳銃の使い手。その伝でなら、言うたら射撃では麻生太郎の兄貴分になる。
 たとえ戦後とはいえ、敗戦前には人を何人も殺めたかも知れないこんなオッカナイ男が、オリンピック日本代表で拳銃競技のれっきとした正選手として出場していたんだからねえ。
 「太郎君、健闘を祈る」
 「許斐先生、きっとメダルを御目にかけます」
 なんちゃって。
 まぁ、きっと荒唐無稽な話に聞こえるだろう。今のニッポンではなぁ。愉快、痛快、奇奇怪怪。ウハハハハハハ。

     20180305 (掲載・ビヤホイ名物・鶏足)

 許斐一族のことは良く知らないけれど、戦中からLos Angelsの大立者だった許斐一族がいる。そして獄中某所にて日本の人々を含めて何くれとなく面倒を見るなど、一隅を照らした許斐さんもいた。
 色々外地でブイブイ言わせていた許斐一族。あの許斐さんとどう関係あるか知らないけれど、その名を受け継いだ人たちが海外各方面にいたっけな。ウッフッフッフ。

     20180305 (掲載・蒸した鶏足1)

 その晩、俺たちはビヤホイをハシゴしながら歩いていたら、某所でこんな鶏足に出喰わしたわけだい。許斐機関の事務所跡からは目と鼻の先だ。遭難とは言わんけれど、遭ってしまった感じはありましたなぁ。それ見たら終わり。ってことは、「IT」な感じかな?、クワバラクワバラ。


追記
トラメ能城さんから。とうとうインディーズではなくなったわね。インディーズの金字塔とも名乗れなくなるか。

トラメ最新作[まがいもの]が、4月11日にエレックレコードから、発売されます。鮎川誠さん(シーナ&ロケッツ)大森隆志さん(ex サザンオールスターズ)も、駆けつけてくれた最新作。魂込めた全11曲入りです。予約も開始されます。是非ともお聴きください。

◼トラメ「まがいもの」
エレックレコードページ
http://elecrecords.com/release_info/561.html
タワーレコード
http://tower.jp/item/4696465/%E3%81%BE%E3%81%8C%E3%81%84%E3%82%82%E3%81%AE

amazon
https://www.amazon.co.jp/%E3%81%BE%E3%81%8C%E3%81%84%E3%82%82%E3%81%AE-%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%A1/dp/B07B5CRL3C/ref=sr_1_4?ie=UTF8&qid=1520227785&sr=8-4&keywords=%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%A1

HMV
http://www.hmv.co.jp/artist_%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%A1_000000000750775/item_%E3%81%BE%E3%81%8C%E3%81%84%E3%82%82%E3%81%AE_8647486
| 6旅・行動の記録 | 17:43 | comments(0) | trackbacks(0)
Papa's Brand-New Pants!
3月8日
Papa's Brand-New Pants!
 今回、小倉の陋屋の父親殿は入念な天気予報のチェックの末、今回は、短パン、ショーツの類は不要だと結論に至った。
 (ところが……)
 到着すると、21時を回って22時前だというのに、もう、摂氏20度を楽々超えているではないか。
 「暑いじゃんか」
 じっとりと汗。
 そうして、海抜1,500mの山間部も、30℃以上まで気温が上がった。
 3月初旬のこの国がこれほど暑いとは!
 「春節過ぎると夏が来ますよ」
 ホテルのお姉ちゃんが言うのだ。

20180305 (掲載・新型パンツ)

 町に降りてきて最初に買ったのがパンツ。阿と提示された価格を吽と応じて、3分の2まで引き下げた。
 黒いドルチェ&ガバーナのマークの入ったジャージの上下を来たカモシカのような女の子だった。
 「いいじゃないか友達なんだから」
 「あんた友達じゃなくてお客さんだ」
 「ありがとよ」
 そう言うと、
 「イヤよ!」
 「ええ?」
 「冗談よ」
 彼女はそう言って笑った。
 ところが、昼飯で喰った店でちょっとした勘違いがあって、せっかく価格交渉で成功した分以上をふんだくられてしまった。
 俺は彼女の機嫌を損なうほどまではいかなかったけれど、きっと、引き下げ過ぎたんだろう。そのバチが当たったわけだ。嗚呼、不徳の致すところでありんす。


| 6旅・行動の記録 | 22:24 | comments(0) | trackbacks(0)
ファンシーパンで朦朧屋を想う。
3月7日
ファンシーパンで朦朧屋を想う。
 インドシナの屋根と言われたファンシーパン(3,143m超)。
 あの頂きの下で芥子の花が栽培されていたわけだろう。お茶の葉っぱの茶畑があるが、昔は芥子の栽培に少数民族たちは精を出していたのだというわね。塩と交換ってのは幾ら何でもヒド過ぎる。
 それが1950年代のフランス・ノワール映画で、ジャン・ギャバンがパリ警視庁所属の国際麻薬捜査官役で出てさ、一網打尽にされる女たちがジプシーの売春婦なんだね。それが揃いも揃ってアヘン中毒者なんだ。

20180304 (掲載・ファンシー・パン)

 こちらはそれから少し離れるバックハーで広く食されているフォーだ。ここは山岳でもないがそれでも少数民族の交易地帯。
 ファンシー・パンからは遠いけれども、追いやられた少数民族たちの交易のマーケットで喰われているフォーだ。ここらで栽培されたアヘンが遠く旅をして、トルコ経由でマルセイユ辺りから上陸し、ヨーロッパ大陸中を放浪していたジプシーたちに売りつけられた。
 こうしてアヘンを流して儲けたり、香港経由で北京にアヘンを流したりしていた連中がフランスのギャングだとかオランダとイギリスの西インド会社だったりしたわけだろう。
 それにヒントを得て、黒澤明の「天国と地獄」では、監督は菅井きんに貧しい横浜の売春婦を演じさせる。

20180304 (掲載・バックハー名物フォー(赤米を使った麺と高菜と豚))

 こちらのバックハーのフォーは赤米入りの麺で面が文字通り小豆みたいに赤いわけ。そこに高菜と豚。高菜漬けは至るところにあって、九州の北部では広く食べられているわけだから、共通するものがありますわね、我々には。
 ファンシー・パンで朦朧屋が現れるなんて興醒めだ。こういうスキームを仕掛けたのは白人キリスト教徒だけど、相変わらず観光客はその白人キリスト教の国々の善男善女である。皮肉だわね。世の中皮肉だらけだけれど。
 何時もこういう土地で想うのは、ユダヤでも何でもなくて、キリスト教のお面を被った帝國の植民地主義の連中が最もタチが悪かったのだと想いますね。人類史上、最悪の。
 彼らガリガリ亡者とミュニストとファシストと殺しあって消えてくれれば、またのんびりしたアジアの黄金時代が来るんだけれど。先日、トム・クルーズの「American Made」を観て感じた次第。
 50年生きてこれが今の所の結論だわ。彼らの欲が我々の素朴な暮らしを壊したという側面はかなりの部分であると想いますね。

追記
韓国はいよいよ政権を揺るがす大スキャンダルだな。世代交代したとしても、中身はなんら変わりないガリガリの儒教亡者ばかりという実態をむき出しにした事件だと言える。今封切られている告発系の韓国映画を観ていると、如何なる星の下にの高見順とか、あるいは糞尿譚の火野葦平とかが思い浮かぶ。日本はあの戦前の封建社会からは長年の努力を経て変わったとは思うが、さて、本当のところは失ったものもまた大きい。ガリガリの法匪亡者ばかりの社会で、性格の歪んだ指導者ジュニアばかりが取り沙汰されるのは彼方と同じこと。渦中の栗を拾っても二度と復活の機会を与えてくれない社会では、人物は中々出ない。他国を見ると自国の状況に気を揉んでしまう。そこに誰がつけ込むのか。国は内側から滅びるのだ。そこを考えなければ国を誤る。
| 6旅・行動の記録 | 16:24 | comments(0) | trackbacks(0)
CALENDAR
S M T W T F S
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
<< June 2018 >>
SPONSORED LINKS
SELECTED ENTRIES
CATEGORIES
ARCHIVES
RECENT COMMENT
RECENT TRACKBACK
モバイル
qrcode
LINKS
PROFILE