岡田純良帝國小倉日記

田蟹という食材の魅力。
3月12日
田蟹という食材の魅力。
 「た」の付く食材には、たにしも田うなぎもあるわけだが、田んぼのたんぱく質では田蟹も旨い食材の一つだろう。俺たちは、大都会の街外れ、郊外の住宅地と呼んでいい某所に、ある晩、勇躍、タクシーで乗りつけたのだった。
 田蟹屋で有名な某所。ここはイーゲの店員がいると直ぐに分かった。田蟹を素揚げにした揚げ田蟹などは青海苔と一緒に塩で喰うのだが、もう、厨房に飛んでいき、
 「あんたと俺は胃が繋がっているぞ!」
 と調理人の両手を握りたくなるほど日本人にはずばりと来る。それほど旨い。 
  
   20180306 (掲載・揚げ田蟹2)
 
 そしてメインは田蟹鍋である。
 トマトとニンニク酢を効かせたスープ。そこにブンをひたして入れる。さらにたっぷりの大葉やパクチー、檸檬グラス、こぶみかんなどのハーブ類とキャベツを入れ、細切れにした牛肉を入れる。
 その間に田蟹のすり身とカニ味噌をたっぷり入れるのだが、この蟹味噌が強烈なのだった。 
 醗酵させた海老味噌をベースにしたマムのブンなどを喰ってみると分かるが、この蟹味噌も十分に醗酵をさせて、それ相応の臭みと深い味がある。  
 
20180306 (掲載・田蟹鍋1)
 
 この味噌のしぶきをシャツの袖なんかに飛ばしてしまったら、それは、「取り返しのつかないこと」になりやんす。諸兄姐、それを知った上でトライして頂きたいものでござるよ。 
 今回の旅で想ったのが、シクロやタクシーの運ちゃんが俺たちの姿を観て声を掛けてくることが殆ど無かったことだった。
 シクロの運ちゃんは20年前はインテリがなるのだとか言われていたのだけれど、そんなインテリはもう死んでいるというわけだから、今のシクロ・タクシーの運ちゃんの素性は俺は知らない。しかし、これほどの自動車とバイクの洪水の中で、シクロの存在意義は最早全く無いと言っていいだろう。

20180306 (掲載・田蟹鍋2)

 それと共に、若い世代のヴェトナム人の男女の腕に刺青が入っているのは行く先々で目にした。世界中、カタギであっても刺青を入れる時代になったとはいえ、ヴェトナムでは、日本社会と同様で、刺青は極道の印であったはずである。
 衣食住足りて、こういう人間が出てくるのだろう。日本でも同じ道を辿ったわけだ。俺は渋谷のチーマーだの関東連合だのの世代と、自分とでは価値観が隔絶している感じがある。俺がガキの頃にはヤクザとカタギにはそれ相当の違いがあった。
 それと同じ流れが今のヴェトナムには起こっているということなんだろうと俺は理解した。
 田蟹鍋だとかマムのような発酵食品と共に、若い人の間の刺青の流行は、汗水流してスズメの涙ほどの対価にしかならないシクロ・タクシーとは別に、どんどんその愛好家を増やしているのだった。
 この辺りにも考えさせられるものがある。


追記
帰宅してグッタリ。帰国便の朝食がバイン・ミーになっていたのには驚きましたね。工夫ですな。
機内で「戦狼」見る。ものすごいプロパガンダ映画に辟易。嗤ってしまったのだが、アジア歴代興行収入第1位。仕事柄やられている感が強烈に残った。
それ以前に、ラウンジの朝日新聞で寄稿者の名と内容に仰天。情実の新聞社の伝統か、洗脳もここまでくるといっそ清々する。それがかつて日本をあちらの方向に沈ませかけた右や左の旦那様・奥様ら、ある種の人たちにはジンセイ全てってところなんだろう。宗教と同じだ。
情け無い気分だが、俺だってリアルな現実から眼をそらすわけにはいかないから読まないわけにはいかんもんねえ。成田の駅で日本の空気の良さにはホッとした。しかしこの空気の中に不穏なものも感じられるわねえ。特使もやって来る、ある方面のお喜びの吊るし上げ会見もある、そしてそこに付け込もうとする勢力もある。
アホラシ、もうひと寝入りするわいな。
| 6旅・行動の記録 | 16:09 | comments(0) | trackbacks(0)
買ってしまったもの――風水と道教に弱いアジア男性のサガか。
3月11日
買ってしまったもの――風水と道教に弱いアジア男性のサガか。
 以前、那覇で買ったのが「石敢當」。自然石を彫った風のなんちゃってコピー品。2002年2月のことだから、あれから15年以上が経っているのだった。
 15年以上も風雪に耐えて、今も小倉の陋屋の玄関に飼い犬のように鎮座しているのだった。
 それから幾星霜――こちらは昨日買ってしまった「山海鎮」の人工タイルを手彫りで削った一枚。
 「え、マジ?」
 "小倉の料理番長"は言いましたな。よっぽどイヤなんだろう。
 16年経っても、成長していないということがこの一事だけで知れてしまう。
 
   20180310 (掲載・山海鎮)


 こういうものに惹かれるのって、何だろうと自分で想う。「だんなどん」信仰の篤い薩摩の血か知らんけれど南海の遺伝子が騒ぐのだろうねぇ。
 「石敢當」は玄関側に、「山海鎮」は、玄関の対面の北側の壁に置いておこうと決めているのだが、さて、ご利益は。しかしご利益なんぞを期待すると碌なことにはならないのよ。
 「石敢當」の場合でも、朝晩に石を観て、可愛いなぁと想ったりしてさ、飼い犬を朝晩眺めるようなところが関の山だったりしたものさ。 
 それでも、南方系アジア男性なら、まぁ、通じるものがあるだろうさ。


追記
いよいよ水っ腹状態がひどくなってきたので、今日も昨日に引き続き大事を取って静養しておりました。
今回の旅では収穫はあるようで無いのは、河内ことハノイがある段階を超えて都市化してしまったからなんだろう。ハノイ市内は、日本なら、関西割烹とか加賀料理とかいった、ヴェトナム国内の地方料理屋が出始めていて、これはかつて無かったものだ。お互いに南部と北部は嫌い合っているはずだのに、相乗りをして出店しているのは、多分、外国資本の後押しによるものだろう。
量産品が、もう、どこにもかしこにも溢れていて、以前のような街の素朴さは、加速度的に喪われ、色褪せている。不良ガイジンが増えて、西欧かぶれした不良少年が増えている。自分の少年時代を棚に上げて、胸が痛むような気がする。
| 6旅・行動の記録 | 00:52 | comments(0) | trackbacks(0)
河内の亡霊――許斐機関と恐怖の鶏足。
3月9日
河内の亡霊――許斐機関と恐怖の鶏足。
 2012年7月に来た時は、陸軍上海駐在大佐・長勇の指揮下の許斐機関のあった9 Dao Duy Anh St.に行ってみた。今回建物は建て代わり、もう、何もかも消えていた。

20120520 (掲載・許斐機関事務所跡)

 1940年(昭和15年)、仏印進駐と共に許斐機関が事務所を置いた河内こと、ハノイの建物が、フランス風の地下1階、地上5階建てのこの建物だった。
 Hanoi駅から直線で600m程度。駅前目抜きのLy Thuong Kiet通りとBa Trieu通りの交差する角にあった。
 許斐は満州馬賊の領袖・伊達の大親分の自称・仔分で、頭山の流れを汲んだ九州の拳銃の使い手。その伝でなら、言うたら射撃では麻生太郎の兄貴分になる。
 たとえ戦後とはいえ、敗戦前には人を何人も殺めたかも知れないこんなオッカナイ男が、オリンピック日本代表で拳銃競技のれっきとした正選手として出場していたんだからねえ。
 「太郎君、健闘を祈る」
 「許斐先生、きっとメダルを御目にかけます」
 なんちゃって。
 まぁ、きっと荒唐無稽な話に聞こえるだろう。今のニッポンではなぁ。愉快、痛快、奇奇怪怪。ウハハハハハハ。

     20180305 (掲載・ビヤホイ名物・鶏足)

 許斐一族のことは良く知らないけれど、戦中からLos Angelsの大立者だった許斐一族がいる。そして獄中某所にて日本の人々を含めて何くれとなく面倒を見るなど、一隅を照らした許斐さんもいた。
 色々外地でブイブイ言わせていた許斐一族。あの許斐さんとどう関係あるか知らないけれど、その名を受け継いだ人たちが海外各方面にいたっけな。ウッフッフッフ。

     20180305 (掲載・蒸した鶏足1)

 その晩、俺たちはビヤホイをハシゴしながら歩いていたら、某所でこんな鶏足に出喰わしたわけだい。許斐機関の事務所跡からは目と鼻の先だ。遭難とは言わんけれど、遭ってしまった感じはありましたなぁ。それ見たら終わり。ってことは、「IT」な感じかな?、クワバラクワバラ。


追記
トラメ能城さんから。とうとうインディーズではなくなったわね。インディーズの金字塔とも名乗れなくなるか。

トラメ最新作[まがいもの]が、4月11日にエレックレコードから、発売されます。鮎川誠さん(シーナ&ロケッツ)大森隆志さん(ex サザンオールスターズ)も、駆けつけてくれた最新作。魂込めた全11曲入りです。予約も開始されます。是非ともお聴きください。

◼トラメ「まがいもの」
エレックレコードページ
http://elecrecords.com/release_info/561.html
タワーレコード
http://tower.jp/item/4696465/%E3%81%BE%E3%81%8C%E3%81%84%E3%82%82%E3%81%AE

amazon
https://www.amazon.co.jp/%E3%81%BE%E3%81%8C%E3%81%84%E3%82%82%E3%81%AE-%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%A1/dp/B07B5CRL3C/ref=sr_1_4?ie=UTF8&qid=1520227785&sr=8-4&keywords=%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%A1

HMV
http://www.hmv.co.jp/artist_%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%A1_000000000750775/item_%E3%81%BE%E3%81%8C%E3%81%84%E3%82%82%E3%81%AE_8647486
| 6旅・行動の記録 | 17:43 | comments(0) | trackbacks(0)
Papa's Brand-New Pants!
3月8日
Papa's Brand-New Pants!
 今回、小倉の陋屋の父親殿は入念な天気予報のチェックの末、今回は、短パン、ショーツの類は不要だと結論に至った。
 (ところが……)
 到着すると、21時を回って22時前だというのに、もう、摂氏20度を楽々超えているではないか。
 「暑いじゃんか」
 じっとりと汗。
 そうして、海抜1,500mの山間部も、30℃以上まで気温が上がった。
 3月初旬のこの国がこれほど暑いとは!
 「春節過ぎると夏が来ますよ」
 ホテルのお姉ちゃんが言うのだ。

20180305 (掲載・新型パンツ)

 町に降りてきて最初に買ったのがパンツ。阿と提示された価格を吽と応じて、3分の2まで引き下げた。
 黒いドルチェ&ガバーナのマークの入ったジャージの上下を来たカモシカのような女の子だった。
 「いいじゃないか友達なんだから」
 「あんた友達じゃなくてお客さんだ」
 「ありがとよ」
 そう言うと、
 「イヤよ!」
 「ええ?」
 「冗談よ」
 彼女はそう言って笑った。
 ところが、昼飯で喰った店でちょっとした勘違いがあって、せっかく価格交渉で成功した分以上をふんだくられてしまった。
 俺は彼女の機嫌を損なうほどまではいかなかったけれど、きっと、引き下げ過ぎたんだろう。そのバチが当たったわけだ。嗚呼、不徳の致すところでありんす。


| 6旅・行動の記録 | 22:24 | comments(0) | trackbacks(0)
ファンシーパンで朦朧屋を想う。
3月7日
ファンシーパンで朦朧屋を想う。
 インドシナの屋根と言われたファンシーパン(3,143m超)。
 あの頂きの下で芥子の花が栽培されていたわけだろう。お茶の葉っぱの茶畑があるが、昔は芥子の栽培に少数民族たちは精を出していたのだというわね。塩と交換ってのは幾ら何でもヒド過ぎる。
 それが1950年代のフランス・ノワール映画で、ジャン・ギャバンがパリ警視庁所属の国際麻薬捜査官役で出てさ、一網打尽にされる女たちがジプシーの売春婦なんだね。それが揃いも揃ってアヘン中毒者なんだ。

20180304 (掲載・ファンシー・パン)

 こちらはそれから少し離れるバックハーで広く食されているフォーだ。ここは山岳でもないがそれでも少数民族の交易地帯。
 ファンシー・パンからは遠いけれども、追いやられた少数民族たちの交易のマーケットで喰われているフォーだ。ここらで栽培されたアヘンが遠く旅をして、トルコ経由でマルセイユ辺りから上陸し、ヨーロッパ大陸中を放浪していたジプシーたちに売りつけられた。
 こうしてアヘンを流して儲けたり、香港経由で北京にアヘンを流したりしていた連中がフランスのギャングだとかオランダとイギリスの西インド会社だったりしたわけだろう。
 それにヒントを得て、黒澤明の「天国と地獄」では、監督は菅井きんに貧しい横浜の売春婦を演じさせる。

20180304 (掲載・バックハー名物フォー(赤米を使った麺と高菜と豚))

 こちらのバックハーのフォーは赤米入りの麺で面が文字通り小豆みたいに赤いわけ。そこに高菜と豚。高菜漬けは至るところにあって、九州の北部では広く食べられているわけだから、共通するものがありますわね、我々には。
 ファンシー・パンで朦朧屋が現れるなんて興醒めだ。こういうスキームを仕掛けたのは白人キリスト教徒だけど、相変わらず観光客はその白人キリスト教の国々の善男善女である。皮肉だわね。世の中皮肉だらけだけれど。
 何時もこういう土地で想うのは、ユダヤでも何でもなくて、キリスト教のお面を被った帝國の植民地主義の連中が最もタチが悪かったのだと想いますね。人類史上、最悪の。
 彼らガリガリ亡者とミュニストとファシストと殺しあって消えてくれれば、またのんびりしたアジアの黄金時代が来るんだけれど。先日、トム・クルーズの「American Made」を観て感じた次第。
 50年生きてこれが今の所の結論だわ。彼らの欲が我々の素朴な暮らしを壊したという側面はかなりの部分であると想いますね。

追記
韓国はいよいよ政権を揺るがす大スキャンダルだな。世代交代したとしても、中身はなんら変わりないガリガリの儒教亡者ばかりという実態をむき出しにした事件だと言える。今封切られている告発系の韓国映画を観ていると、如何なる星の下にの高見順とか、あるいは糞尿譚の火野葦平とかが思い浮かぶ。日本はあの戦前の封建社会からは長年の努力を経て変わったとは思うが、さて、本当のところは失ったものもまた大きい。ガリガリの法匪亡者ばかりの社会で、性格の歪んだ指導者ジュニアばかりが取り沙汰されるのは彼方と同じこと。渦中の栗を拾っても二度と復活の機会を与えてくれない社会では、人物は中々出ない。他国を見ると自国の状況に気を揉んでしまう。そこに誰がつけ込むのか。国は内側から滅びるのだ。そこを考えなければ国を誤る。
| 6旅・行動の記録 | 16:24 | comments(0) | trackbacks(0)
バックハー名物、タンコ。
3月6日
バックハー名物、タンコ。
 一昨日は某所で馬の臓物と各部位のごった煮を喰ったぜ。苗族の少数の部族たちが物々交換して水牛と犬と山羊と鶏とを売っているような山間の市場。
 宍戸錠が出てきて、小林旭といきなりドンパチをやりそうな北海道の新開地風の荒っぽい街だった。ラッコ撃ちの錠とか、疾風の旭なんて通り名で、その実は厚生省麻薬捜査官だったりする。
 この3日間ほど、日本人を見なかった。そういう鄙の土地の市場だからねえ。まるで闇市だったね。闇市よりもいいのか悪いのか分からない。

20180304 (掲載・バックハー名物・タンコ(馬の臓物のスパイス煮))

 だが、勤労動員世代よりはいいものが鍋には入っていたかも。それほど喰っているけれど、俺は美食には程遠い。
 かと言って、イギリス人のような味覚・味蕾の欠損した粗食というのとも隔絶している。そのくらいの意識はあるわい。
 ここはバックハー。日本人はこんなところにあまり来ない。まぁ、こんな土地だわねえ。
 生まれてから死ぬまで、ずっと働き詰めに働かされて、最後には哀れに解体されたお馬様の臓物で、坊主や農民や教師や山師やと一緒にとうもろこしの焼酎を呑むわけなんだよ。
 今回特に感じたのは欧米人の数の多さだ。こんな僻まで白人の観光客は多数来るけれども、絶対に市場の屋台では喰わないよ。
 「旨かったよ」
 「有り難う、嬉しいわ」
 こういうやり取りも、アジア人らしく、いいではないか。

| 6旅・行動の記録 | 18:16 | comments(0) | trackbacks(0)
苗族と芥子の花とFrench Connection。
3月5日
苗族と芥子の花とFrench Connection。
 国境沿いの街からさらに山道を2時間。苗族の住む山間の街々は小さなか弱い部族の耕す棚田が延々とあった。中々よき眺めでありました。我らニッポンの種族はここらの人たちと本当に顔が似ているようにも想う。

20180304 (掲載・棚田別)

 Lao Caiは中越紛争の越南側の最前線の街だったが、迫撃砲とミサイルにやられて殆どの住人が亡くなったという。ハノイに数キロの地点まで迫ってきたそうだから、一時は本当にヤバかったそうだ。
 紅河支流の中洲には、ヴェトナム人の死体が折り重なっていたという話を聞くと、いたたまれないような気になるわけだ。
 ところが、我がニッポンも、1945年の帝國の滅亡まで、ほぼ10年に一度の調子で何らかの戦乱に巻き込まれていたわけだから、今が異常なのだという説も傾聴に値するのかも知れないわねえ。 

20180304 (掲載・中越国境の紅河支流(往時は中洲に死屍累々))
| 6旅・行動の記録 | 15:49 | comments(0) | trackbacks(0)
カップヌードルの復讐。
3月4日
カップヌードルの復讐。
 中国国境にもそれほど遠くない某所に到着した初日の深夜と翌朝の早朝は、立て続けにインスタントのラーメン。せっかくこんな土地に来たにも関わらず、深夜も早朝も彼らのような誇り高かった人々にインスタントを喰わされるとは想像もしなかった。
 (うーん、時代は確実に変わっとるわい)
 何時ぞやのタイもそんな時期があって、トムヤムクン・スープにお好みで生麺とインスタントの麺とを選んで入れられるようなメニューを揃えた屋台が大流行していたものだ。

20180303 (掲載・卵入り湯で麺)

 今回のベトナムは我が家にとっては6年ぶりのようだが、走っている乗用車も、ベンツ、レクサスなどが目に付く。マイカー時代到来で、本格的な大衆レジャーブームも喜ばしいことなのだろう。だが、どこかに苦いような既視感がこちらには打ち消し難くある。
 PM2.5かどうか――くしゃみと鼻水。雲南から流れてくる真っ赤な川沿いは明るい赤土が臓物のように剥き出しに。乱開発で山の斜面から鉄砲水のような水流が延々と道を濡らして下ってくる。
 インスタントのフォーを喰いながら、カップヌードルのあの衝撃的なデビューの時代を思い出した。半世紀に近い時間が経っていた。復讐するは我にあり、なのか?

20180302 (Pho Bo)
| 6旅・行動の記録 | 23:14 | comments(0) | trackbacks(0)
難民同士――獄中国境の一期一会。
3月3日
難民同士――獄中国境の一期一会。
 今朝は早くに起きて空港そばのホテルから5時間かけて山道を突っ走り、20世紀前半にアジアの屋根と呼ばれていた某山の裾までやって来た。標高も1,500mを超えてかなり寒いかと思いきや、暑くて最後にはあごが出た。
 旧友のTさんが付きっ切りで夕べから俺たちの面倒を見てくれる。
 この土地はモンゴル帝国時代以降雲南土着の民族が迫害されて逃げてきて定住した、いわば難民のなれの果てだと言うのだ。難民は難民でも、そうアカラサマに言われてしまうと、今度は別のことが思い出される。
 岡田の一族も鹿児島串木野方面の海岸から上陸したという口伝があるくらいだから、どこかの誰かから迫害された挙句、黒潮に乗って逃げてきた難民なのだと想うわけだ。
 1985年に純良の妹の○○に会ったことがある。当時はもう喜寿に近い年齢だったと想うけれど、小柄で、丸顔で、南国のシラス台地の農作業で真っ黒に日焼けして。まぁ、ここの村の老女たちとどれほど違いがあったろう。
 考えることは色々あるが、まぁ、昨日の今日だから、Tさんの口癖を真似て、「ボチボチ」参ります。

20180303 (掲載・赤ザオ族民家にて)
| 6旅・行動の記録 | 22:57 | comments(0) | trackbacks(0)
絶対矛盾的自己同一。
小倉日記’18(第一弾)
1月1日
絶対矛盾的自己同一。
 昨年は、ソルボンヌ出身の銀髪セニョールの「女のおめこ舐めるのすきですか」の小噺で終わってしまった。今年こそ、年始は慶賀すべき下ネタで始めたい。オホホホホホホホ。
 先日、人間ドックで引っ掛かった。何時も引っ掛かる部位の数値は殆ど問題なかった。
 50歳前後から、血圧は東欧諸国との往来で上昇し、数年の間、ずっと朝晩の血圧記録は欠かさなかった。γ-GPSも尿酸値も常にレッド・ゾーン。だから医師の問診で1ヵ月後に血液の再検査というのがお定まりのコースだった。
 ところが、今回は血圧もγ-GPSも尿酸値も健常者の安全ゾーンで引っ掛からず、たった一つ、主要マーカーで真っ赤っ赤の数値が出た。それで近所の泌尿器科に駆け込んだわけ。
 「ああ、ガンの疑いがありますね」
 開口一番、医者が脅す。そんなことは分かりきっているから受診したわけだが、この医者は採尿だけ。1週間後に採血に来いと鷹揚に言う。1週間後に採血に行くと、
 「あなたのお小水はきれいでした」
 血液の数値も問題は無さそうだと言う。診察台に乗せられ、臍下をまさぐるエコーに。前立腺がやや肥大化しているとは言われたが、それだけ。
 「1ヵ月後に採血しましょう」
 (この医師で大丈夫かよ、俺)
 西田幾多郎センセイではないがココロが引き千切れそう。絶対矛盾的自己同一である。

 触診(1).jpg

 こういう数値が出ると、通常、直腸を触診して前立腺の状態を見るのが基本の基本だ。刑事が現場を徹底的に調べ、バンドマンなら朝の8時からスタジオに入るように、それが医師ならお触りである。
 だが、直腸へ手を突っ込まれるのはイヤだ。アメリカで暮らしていた時代も、かの地の定番、有名な直腸診断だけは逃げてきた。90年代の後半のアメリカは、HIV陽性の医師が直腸検査をして感染したとか、諸子百家諸説紛々、恐ろしい暗黒時代だった。
 ということで、これまで53年の間、直腸の童貞を守ってきたというのに、ここで医者にヤラレなければ俺の疑念は深まるばかり。事実、就寝中に3度も4度も起きて小便をすることがある。
 それで思い切って新宿の某所に。うらぶれた裏通りの診療所は、金曜の夕方というのに患者がいない。泌尿器科なら性病科とは違うから堂々と来ればいいと思う。昭和の昔なら踏み切りの向こう側は新宿高校前には温泉マークが乱立していたが、今では都庁をはじめ高層の巨大なビル群が地上に覆いかぶさるように乱立している態。出自がそれだからか、どこか街の風が隠微で明るさが無い。
 「岡田さん」
 青線街の町医者みたいなオジサンは同年輩だ。アンケートにも真摯に答え、問診も終了。
 「ドックの数日前に発熱したっていうけど」
 「前立腺の辺りの違和感だけです」
 「本当ですか?」
 「痛みはありませんでした」
 「へえ。後で血液検査はしますけど、まずエコーやってみよう」
 診察台に乗せられて、同じ辺りをまさぐられる。オジサンの腕の力が強い。グイグイとやるもんだから下腹に痛みを感じるほどだ。
 「ちょっと大きくなってるけどねえ。うん、やりますかね」
 (来たな)
 オジサン、青い診察用のゴム手袋をパチパチ言わせて嵌めながら猫なで声になった。
 「おズボン下まで下げましょうね」
 「はい」
 「おひざをかかえて上に上げて下さい」
 「こうですか」
 「そうそう、もっと上まで抱えて下さい」
 「こうですね」
 「はいはい、それでおひざをグッと開いて下さい」
 「こうですね」
 「いいねえ。こうやらないと分からないんだよ、ちょっとごめんなさいよ」
 (η φυσιποιει!!!)
 「岡田さん、ここだよ」
 「センセイ、痛いよ」
 「こら、典型的な炎症だな」
 「センセイ、小便出そうだ!」
 「がまん、がまん」
 「いててててて!!」
 「岡田さん、ダメダメ、ちからを抜きますよ〜」
 「ちからを抜いたら小便がもれちまうよ」
 「もう少しね」
 (η φυσιποιει!!!)
 心中では、鬼!、七年殺し!、直腸感覚!と叫んでいるのだが、声が出ない。
 「これ、いたいでしょ」
 「いたいです、いたいよ!、おしたらいたいって!」
 「岡田さん、発熱したときもいたかったはずですよ!」
 「いたくなかった〜っ!」
 「いたかったでしょ〜っ!」
 「いたいよ!、押したらいたいって!」
 チキショー、カルーセル麻紀!、じゅわいよ・くちゅーるマキ!
 診察台の数分で数日分の体力を使ったような気がするほど疲れた。
 服を着て、再び問診。
 「岡田さん、いたかったはずですよ」
 「いたくないんですよ、違和感ていどで」
 「お熱のあったときはとび上がるくらいいたかったはずですよ」
 「だけど違和感だけでねえ」
 「ま、いいです、来週、これますね」
 採血の後、抗生物質入りのブドウ糖の点滴を受けた。

     触診(2).jpg

 「お疲れだったんじゃありませんか」
 還暦過ぎのベテラン看護婦が採血しながら俺に話し掛けてきた。
 「疲れると出るんですよ」
 「そうだねえ、疲れていたのかもしれないねえ」
 4ヶ月に2度の引越し。1度目は市内だが、広いところから狭いところへの引越しだった。2度目は海外引越しで、これまた殆ど重複するキッチン用品や食材などが大半だから、送り出しも大変だが、帰国後の10月から11月の2ヶ月は休み無く荷物の整理にかかっていた。
 「クセになりますから」
 気を付けて下さいね、わけあり顔で看護婦が言って笑った。
 冗談じゃねえやい、(η φυσιποιει!!!)かよ。絶対矛盾的自己同一だって。チキショー、ホント、アジャパーでごじゃりますがな。
 その後、数日の間、直腸近辺に違和感。触診された前立腺に違和感ということだろう。違和感が引くまでの間、何とも言えない屈辱的な感覚が残った。しかし、コレもまた酒席ネタではあるんだわねえ。
 「岡田さん、発熱したときもいたかったはずですよ!」
 「いたくなかった〜っ!」
 「いたかったでしょ〜っ!」
 「いたいよ!、押したらいたいって!」
 押されたらそりゃ誰だって痛いわ。絶対矛盾的自己同一なんであるんであるんである(by 大隈重信)。


追記
12月のご愛顧。=帝國:小倉:米國=19,870(20,915←18,598←18,975←19,019←18,707←17,713←22,091←18,967←19,498←17,503←18,980←27,773←15,087←15,435←16,504←17,148←16,538←18,202←18,597←23,362←19,300):3,253(3,292←3,784←3,544←4,822←2,970←3,098←3,905←3,187←3,095←3,310←3,638←5,839←3,696←3,122←4,360←3,409←3,992←13,022←7,903←4,917←4,425):964(1,089←869←875←983←750←1,140←1,001←841←717←1,054←1,234←471←463←438←813←460←743←361←926←747←789)=95%:99%:89%=24,087(25,296←23,251←23,394←24,824←22,427←21,951←26,997←22,995←23,310←21,867←23,852←34,083←19,246←18,995←21,677←21,017←21,723←31,585←27,426←29,062←24,514)95%
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