岡田純良帝國小倉日記

また訃報――昭和男がまた1人。
7月29日
また訃報――昭和男がまた1人。
 名和宏(1932-2018)は面白い人だったそうだが、映画の画面になると、どうしてここまでというほど、憎々しい男に変身した。
 時代が変わったと想うのは、こういう悪役は出てこなくなったことで、実際に、重厚感のある悪役は不要になってしまった。
 貫禄のある悪役というと、今なら、先の米朝首脳会談の2人なんかがまさにそうだわね。事実が映画よりも先行しているというのが実体なのか。
 先日、某署に行くと、例の抗争関係の特別本部が設置されていて驚いたな。某署の管轄は元々関東の暴力団のシマだったのに、今ではすっかり大手に荒らされて、どこにでもある大国同士の代理戦争になってしまった。

名和宏(「新仁義なき戦い」).jpg
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The Man in The Moonshine――さようなら、Harry Dean(肆)。
6月19日
The Man in The Moonshine――さようなら、Harry Dean(肆)。
 さらに先日来の、映画「Lucky」の話だ。
 映画では、Harry Deanがスペイン語で「Mariachi」を唄うシーンがある。これも、映画のポスターに使われた印象的な場面だ。Harry Deanの演じるLuckyは、歌では心の奥底を素直に告白できるのに、歌わないと自分の殻に閉じこもってしまう。

Harry Dean Stanton Lucky (6).jpg

 映画に出るようになる前は、自慢の声を活かしてコーラス隊に加わってドサ回りをして糊口をしのいだHarry Dean。映画で喰えるようになってもPaul Newman(1925-2008年)が主演した1967年の佳作、「Cool Hand Luke」(邦題:暴力脱獄)でも獄中で歌う場面がある。
 エンドロールは助監督のFoster Timmsの曲、「The Man in The Moonshine」がバックに流れる。歌詞はHarry Deanの脇役人生を歌い上げたもの。少ない主演作品のタイトルが歌い込まれていても、サビは「The Man in The Moonshine」というのがいい。
 喰えない頃、Harry Deanが相棒にしていたのはJack Nicholson(1937年-)である。もう、この辺りまで行くとHollywoodの伝説の域となる。

       Harry Dean Stanton Lucky (7).jpg

 ラスト・シーンでHarry Deanの顔が大写しになる。誰もいない荒れた斜面に聳え立つサボテンの群れ。懐かしい友だちのようだ。
 「望郷」のJean Gabin(1904-76年)のPépé le mokoとか、「かくも長き不在」のAlida Valli(1921-2006年)の演じたThérèse Langloisを想い出した。どんな表情を浮かべたかはここでは書かない。
 映画館を出る時に想った。
 「1人で入っても夫婦は夫婦だ」
 映画の中のLuckyに倣うなら、俺はモギリの兄ちゃんに無表情で言うべきだったな、と想った。映画の魔術であり、俺も劇中の登場人物の気になっていたのだ。

Harry Dean Stanton Lucky (3).jpg

 帰宅して、真っ先に調べてみた。オキナワ戦の話を語ったTom Skerrittの愛妻はJulie Tokashiki。間違いなくウチナーンチュの血を引いた、日系人の「渡嘉敷」一族なのだろう。Tom Skerrittが彼女のお身内から聞いた話が含まれていたかも知れない。他人と想えない。
 1970年に「M・A・S・H」のCaptain Duke Forest役を演じた時も、Robert Altman(1925-2006年)の現場は、殆どアドリブの連続であったことはよく知られている。監督も第2次大戦では航空隊でB-24の搭乗員であった。Tom SkerrittにはJohn Carroll Lynchの現場も同じだったかも知れない。
 「あの美しい笑顔こそが真の勝利者であったのだ」
 映画は、現場で役者たちが集まってシナリオの細部を練り上げたように想える。

Harry Dean Stanton Lucky (8).jpg

 さて、どう死ぬのか――考えても仕方のないテーマだが、鈴木大拙(1870-1966年)がHarry Dean の享年と同じ1960年に語った言葉を引きたい。
 映画では仏教と解されるが、Luckyは少なくとも日本人にモデルを求めて死んだ。HarryDeanがRobert Altmanの監督でTVの「COMBAT」に出ていた頃から半世紀以上が経った。日本とアメリカの関係も随分深まったと感じている。
 「西洋の方と較べてみるというと、どうしても、西洋にいいところは、いくらでもある。いくらでもあって、日本はそいつを取り入れにゃならんが、日本は日本として、あるいは東洋は東洋として、西洋に知らせなけりゃならんものがいくらでもあると、ことにそれは哲学・宗教の方面だと、それをやらないかんというのが、今までのわしを動かした動機だ。
 わしはな、機械や科学を重んじる西洋の考え方はじゃな、弱いところがあるように思う。工業化や機械化の結果、人間は使われてしまうじゃろう。西洋にもいいところがあって、わしらは取り入れる必要もあるようだが、東洋にはもっともっと大切なことがあると思う。禅のことを書かないといけない。それは日本人がやらないといけないことだ。西洋の文化を背景にした西洋の言葉の上に、禅を乗せること。もっともっとやらないといけないな。それが私の結論です」
 さようなら、Harry Dean。


追記
近頃はハリウッド映画が好調だなあと想っていたのに、大家の新作には失望させられてまたまたガックリ。昭和時代を想わせる「やっちゃれ会」に加入しますかのう。オホホホホホ。

追記の追記
これから某所にて受診。さて、どうなるか知らんわい。
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The Man in The Moonshine――さようなら、Harry Dean(賛)。
6月18日
The Man in The Moonshine――さようなら、Harry Dean(賛)。
 一昨日からの続きで、映画「Lucky」の話だ。
 Harry Dean Stanton(1926-2017年)のファンなら誰しも気付くことだが、本作は90歳の彼のために書かれて、作られた映画なのだということがしみじみと伝わってくる。劇中のLuckyの過去が、Harry Deanの実際の経歴と重なるのである。Harry Dean はLuckyと同じく、海軍に召集され、太平洋戦線に投入されて、炊事兵となって米軍艦船に乗り組み、オキナワ戦に臨んだ。自分の生い立ちをそのままLuckyとして語るのだ。

          Harry Dean Stanton in Gunsmoke.jpg

 昔話はLuckyの行き付けのダイナーのカウンターで、太平洋戦争に従軍した退役軍人の間で交わされる。それが「M・A・S・H」のCaptain Duke Forest役で当てたが、俺は長い間その顔を見なかったTom Skerritt(1933年-)(全米テレビ番組に出ずっぱりだった由)だ。退役海兵隊員・Fred役として、前触れも無く観客の前に大写しで現われる。

Tom Skerritt.jpg

 LuckyはFredのキャップから元海兵隊と分かると、急に懐かしさがこみ上げたらしく、珍しく自ら男に近寄り、昔語りに自分を語り始める。聞いていたFredは、終戦時の実年は12歳であったから沖縄戦に現実に参加していない。ところがこの男もまるで見てきたかのように、犠牲になった沖縄の人々の哀切な姿を語るのである。
 古い観客に「M・A・S・H」のイカれたCaptain Duke Forestの姿が重なってくるだろう。映画はあらゆるところでオマージュだらけだ。
 元海兵隊員は戦後、沖縄戦で撮影された動画を観たことがあると前置きして、
 「ヤツラは次々に子供を崖から突き落とすんだ」
 「そして自分たち大人も崖から落ちていく」
 凄惨な場面を脳裏に浮かべているかのような表情になる。
 「彼らは殺されるより自分たちで死ぬことを選んだ」
 誇り高い人たち――動画は今もNHKで放映されることがあるが、米軍の記録兵が撮った色の褪せたムービーのことだろうと想う。

「M・A・S・H」スチール。.jpg

 これとは別に、白旗を上げて出て来た日本人の中に7歳くらいの女の子が含まれていて、彼女は、むくつけき米兵たちを前に、にっこりして無垢な笑顔を浮かべたとFredは続ける。
 「あの美しい笑顔こそが真の勝利者であったのだ」
 クライマックスはこの独白場面だろう。
 最初、Fredが誰だか想い出せなかった。あのCaptain Duke Forestだと分かると、熱いものがこみ上げてきた。Vietnam戦でハチャメチャのキチガイ外科医だった男が、今度はオキナワ戦の勇敢なる海兵隊員である。このサブリミナルってヤツがあるから、映画は、歳を取るほど楽しくなる。
 見るがいい、LuckyはFredの話をじっと聞いているではないか。
 そして、Fredの語りが本作のクライマックスであったことは、ラスト・シーンで観客に明らかにされる。
 というわけで、本稿、明日も続く。

追記
ポールニューマンの暴力脱獄でも出てきたし、リチヤードウイドマークなんかの主演映画の脇のイメージだったけど。人生の最後の方でバリテキでブレークして評価が変わっちゃった。
ベンダースという人は鈍感な人だと思うけど、まぁ撮りっ放しなんでしょうなあ。今やドキュメンタリーの人になってしまいましたけど。
アメリカもスピルバーグだし、あんなにナウなヤングの頃には面白かった2人共に、寂しい老境。連発する駄作、拍手する観客、その構図によって、映画を保守的で、尊大で、詰まらない表現にしてしまっているということさえ世界中の批評家は誰も言わない。罪ですわなあ。

追記の追記
月曜日が来てしまった。ヌーン。今週乗り越えられるか知らん。キツイなあ。
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The Man in The Moonshine――さようなら、Harry Dean(弐)。
6月17日
The Man in The Moonshine――さようなら、Harry Dean(弐)。
 昨日からの続きで、映画「Lucky」の話だ。
 集まった観客は、老若男女多種多様だったけれど、90歳の主演俳優の映画だから、勢い、年齢層は高くなる。俺もその初老の観客の1人だったわけだ。映画評は良かったから主演俳優を知らなくとも観に来た人たちが多かっただろう。
 夫婦割引のチケットを受け取っていたので、1人で入ろうとすると、若い男性のチケットのモギリから誰何され、揚句の果てに、
 「2人で入ってくれないと困ります」
 と文句を言われた。
 「次回からは2人で来てください」
 俺は50歳には見えなかったということか。それにしても、それならそうと聞けばいい。
 映画は冒頭に「Harry Dean Stanton is “Lucky”」。Luckyはタイトル・ロールだが、
 (Harry Deanに捧げた映画ってことかな)
 どうもそうらしい。

Harry Dean Stanton Lucky (2).jpg

 映画は冒頭に「Harry Dean Stanton is “Lucky”」。Luckyはタイトル・ロールだが、
 (Harry Deanに捧げた映画ってことかな)
 どうも、そういうことらしい。
 Luckyは、起床後、自己流の体操をした後、冷蔵庫で冷やしたグラス一杯の牛乳を呑み、鏡に向かって銀髪を梳く。その姿を丁寧にカメラが追う。これは、90歳の枯れ木のような老人が、毎朝、社会に立ち向かうための厳粛な儀式だということが分かってくる。
 監督のJohn Carroll Lynch(1963年-)は今回初めてメガホンを取った。普段は脇役専門の役者。彼にとって、言うなれば脇役の華のようなHarry Deanは憧れの存在かも知れない。Ian DuryにとってのGene Vincentのように。
 映画のLuckyは、起き抜けに毛の抜けたスリッパを履くと、痩せさらばえたあばら骨と腋をタオルで拭く。のろのろとジーンズを着け、ブーツを履く。ネルのように見える同じ茶色の縞柄シャツが何枚かぶら下がったチェストから1枚取り上げ、身に着ける。最後に脂の染み着いたテンガロンハットを頭に乗せて準備完了だ。
 毎朝決まった手順でやるのだから、Luckyにとって、これは儀式なのだ。心はHard Boiled Spiritsに満ちている。ネルのシャツの上にある時は薄い革のシャツを、別の日にはオイル引きのジャケットを羽織っている。リクガメのようなノロノロとした歩みだが、枯れ木のような老人の背筋は伸び、誰にも侵されまいとする矜持が感じられる。

Harry Dean Stanton Lucky (5).jpg

 (俺は男、なのだ)
 ある日、油断をして下着姿にブーツ姿で植木に水やりをしていたところに、行き付けのダイナーの黒人の女性従業員が突然現れる。倒れたというLuckyの具合を、わざわざ見に来たのだ。油断をして不意をつかれた様子のlucky。 
 驚いて部屋に戻り、何時ものユニフォームに手早く着替えるのだが、再び扉を開くと、玄関にその彼女がまだ立って家族の古い写真を眺めている。
 「とっくに帰ったかと思ってたよ!」
 彼女がまだ部屋にいるのでLuckyは不機嫌そうだ。この辺りの男性ならではの美意識の描写が、何とも言えず「Sweet Gene Vincent」な感じがある。
 というわけで、本稿、明日も続く。


追記
この「Lucky」はとても良かったので、何枚にも渡って映画のレビューを書いてしまいました。続くのよ、オホホホホ。だけどね、Woody Allen(1935年-)が「Play it Again, Sam!」で描いた20世紀の男のオマージュに重なるモノがある。それが面白かったんだよ。
老人ってのも、行き着くところ、ハードボイルドだからな。和歌山の御難だったご老人はそこへいくと哀しいねえ。どこで孤独に行くか。姥捨て山は誰も背負って呉れなければ自分で行く場所なんだろう、精神的には。

追記の追記
久々に日本の自分の家なので落ち着きますわねえ。先々週の北米に引き続いてあまりにも慌しい旅だったので、街を歩いたりして、何かしら自由に行動できる時間が無かったわけだ。旅はそれでは勿体無いと想いますわねえ。
20年前の香港、20年前のシンガポールなら、よく覚えている。まだ、木造の建築物がそこここに観られた街並みを。それが、アジアの大都市としての変貌振りに改めて驚かされましたぜ。海外から資金が流入して、それが域内で還流していることが伝わってきたねえ。健全なインフレーションが起きている。
日本は喪われた20年どころか、喪われた30年という感じがある。老人大国として、老いて縮んでいく大前提を負った社会として、賢くならないと、アジアの人々から見向きもされなくなるだろうねえ。
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The Man in The Moonshine――さようなら、Harry Dean(壱)。
小倉日記’18(第十八弾)
6月16日
The Man in The Moonshine――さようなら、Harry Dean(壱)。
 映画を観たのは3月27日の最終回。有楽町の「ヒューマントラストシネマ有楽町」だった。
 この映画館のあった辺りには、以前には「有楽シネマ」があった。つい先年までは営業していたようだが、もう何年も入ったことはなかった。
 昭和の末頃、「有楽シネマ」でも名画をかなり観た。例えば「勝手にしやがれ」を観たのは「有楽シネマ」だったように想う。都内の各所で3本1000円の名画をよく見歩いたものだ。例えベッチンの貼ってある藁の抜けた木製の椅子でも、クレゾールの臭う暗い穴倉の中で古いモノクロ映画を観られたのは幸運だった。映画館とセットで記憶されている。

Harry Dean Stanton Lucky (1).jpg

 それでも時代は変わりつつあって、昭和60年頃はまだホーム・ビデオもVHSとSONY単独のβの規格合戦の行方は見えず、映画関係の友達は口を揃えてβの方がずっといいと言うので、俺はSONYのβ Hi-Fiでも高級ラインのデッキを持っていた。
 金の出所はハッキリしている。山手通りで乗用車に追突され、バイクは大破。この時に下りた保険金。25万円ほど受け取った記憶がある。

「仁義なき戦い」撮影現場。.jpg

 ところが技術の趨勢はトーシローには見え難い。栄枯盛衰はかないものだ。
 「君もこれ観て勉強してくれんかのう」
 夏に美能幸三(1926-2010年)から渡された「仁義なき戦い 総集編」のビデオ・テープは、もうVHSだった。
 「βはないんですか」
 「βってなんじゃい」
 幸三さんはオウム返しに怒気のこもった声で聞き返した。
 昭和60年の夏。まだ美能幸三は斯界に聞こえた往年の名前通り。黒い薄いブラウス地のシャツに黒いスラックス姿。巨躯を揺るがしながらスタンドバーからスタンドバーへ呉の繁華街を渡り歩いた。
 「White face, black shirt
 White socks, black shoes
 Black hair, white strat
 Bled white, died black」
 幸三さんに会うと、何時も俺の脳裏に1977年にIan Dury(1942-2000年)が作った屈指の名盤、「New Boots and Panties」に収められた「Sweet Gene Vincent」が浮かんだ。

        Gene Vincent.jpg

 Ian Duryは小児麻痺を患って足が悪かった。少年時代には、同じくオートバイの事故で片足が不自由だったGene Vincent(1935-71年)が思春期のアイドルであった。少年時代の憧れの男だから、歌詞はもうムンムンに男の世界である。片思いの自家発電である。
 「White face, black shirt
 White socks, black shoes
 Black hair, white strat
 Bled white, died black」
 男はトレードマークが如何に大切か。Ian Duryは美術学校の教師だったほどの人だから、美意識は格段に高かった。キャップにネッカチーフを巻いた洒落者のGene Vincentたちの不良の美学を分かり抜いた風貌の描写である。
対する美能幸三も、黒いシャツに黒いスラックスという姿は死ぬまで変わらなかった。晩年は病に苦しみ、痩せこけ、車椅子の生活も短くなかったのが傍目にも気の毒だった。
 「ワシの若い頃は足袋を自分で履いたことがなかったんじゃけえ」
 だが、若い者が何でもやってくれる、駆け出しの頃は、こんな商売はあるかと想ったと、体調の良い時は、話し出すと意気軒昂だった。そうでなければ面白くない。
 つい先だってまでの有楽町駅は、裏に怪しい雰囲気が所々に残っていた。パチンコ屋の脇の通路だとか、高架下。靴磨きの少年たちが並んで座っていても不思議ではないような一角があった。
 それが、駅前はITOCiAを中心とする再開発ですっかり変わってしまった。今は、ただ、明るくて、却って寒々しい。「ヒューマントラストシネマ有楽町」――この映画館の名前、一体、何を信じて付けたんだろう、テアトルシネマさんよ。
 というわけで、本稿、明日も続く。

追記
パンツをパッキングしてこれから出ますわいねえ。気温差はそれほどないそうだからで少しホッとしますわな。
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骨を見せたアメリカの映画人(下)。
5月25日
骨を見せたアメリカの映画人(下)。
「Three Billboards Outside Ebbing, Missouri」
 映画は単純なストーリーでもあり、決して突出したキャラがいるわけではない。そこに本作の巧みな脚色がある。コミュニティーの中の臭いが、時間が経つに連れてジワジワとこちらの脳内に入り込んでくる。どこにでもいる人間たちばかり。結果的に演出の最大の効果を上げている。だからこそ、映画は主演のFrances McDormandが引っ張ったと想う。

Three Billboards outside of Ebbing (5) .jpg

 もう30年も前になるが、1988年に「Mississippi Burning」で観て以来、俺はFrances McDormandが気になって仕方が無くなった。一目惚れ、というヤツである。その後、順風満帆、1996年の「ファーゴ」で主演女優賞を獲った時には俺のHollywood映画のアイドルになった。
 本作では、Frances McDormandは女Iggy Popみたいだった。それもカッコよかった。

Three Billboards outside of Ebbing (6).jpg

 彼女には演技の以前に強い彼女自身の意志が感じられる。映画で演じなければならない必然性が感じられる。それが、観ていて常に気持ち良く安心して観ていられるところだ。
 たとえは正確ではないかも知れないが、イギリス人ではシェイクスピア劇で鍛えられた女優にはそういう強い意思が感じられる人が多く、Judi Dench(1934年-)だとかHelen Mirren(1945年-)だとか、幾らでも同じ系統の役者が挙げられるだろう。
 だが、Hollywoodに原籍のある女優には何と少ないことよ。20世紀Hollywood映画なら、60年代のGeorge Kennedy(1925-2016年)や70年代のGene Hackman(1930年-)などなら俺にはそうだった。

Three Billboards outside of Ebbing (1) .jpg

 彼ら2人は男性だが、Frances McDormandは彼らに匹敵する人としての存在感がある。もし強いてアメリカ人の女の役者を挙げるなら、Gena Rowlands(1930年-)になるだろう。だが、彼女はHollywoodに原籍を置いた女優ではない。
アメリカ人の女優には美形はいくらでもいるけれど、どうしてこの人は役者になったか、という点では「?」が付くような人の方が多いわけだ。その点、Frances McDormandなどはやはり別口という感じがある。
 さて、本作では、1箇所、1978年のCLASHのツアー・ポスターらしいものがカメラの背景に大写しになる場面がある。Joe Strummerがギターをかき鳴らす(Strumming)瞬間を、Penny Smithが切り取ったもの。

Joe Strummer with CLASH in 1978.jpg

 その瞬間、部屋の主がどんな女の子か一瞬で伝わってくる。鮮やかなメッセージだった。21世紀の今日、Missouriの田舎町にCLASHを聴く女の子がいるなんて、Bruce Springsteen(1949年)ではないところに泣かされる。だけど、きっとそんな子はいるだろう。
 まぁ、クドクド書いてもしょうがない。
 よくできたプロット、解決の無い世界で、可能性は未来にあることを示唆して終わる。既視感があると想ったら、91年にRidley Scott(1937年-)が撮影した「Thelma and Louise」だった。かの作品へのオマージュか?
 ともかく、本作ではアメリカ人も骨を見せたわな。そりゃそうだろう、Donald Trump(1946年-)の御世だもの、ここで土性骨を見せなけりゃ、後世から嗤われるものな。


追記
辻静雄さんの半生記「美味礼賛」を読んでいて、どうしてそこまで頑張っちゃうのかといたたまれないような気持ちになったりするんだけれど、他方で、他人とも思えない気持ちにもなったりして。三島由紀夫に重なってくるのも変な感じなんだけど、偽らざるところ。
今日は眼科にいく予定なのだずらよ。左目がヤバイ調子になってきたずらよ。ズラズラよ。昨日の昼までは八丁味噌文化圏ずらよ。今は関東ど真ん中ズラよ。
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岡本喜八特集。
5月25日
岡本喜八特集。
 今日は何の日?
 昭和49年のこの日、初めて警察署の道場の代表で地区対抗団体戦に出場した。隣の駅前にあった武道場の少年団とその日の午後、最後に優勝戦になって、もつれた揚句、俺が内股巻き込みで一本勝ちして優勝した日だ。
 その日から俺はマークされていたらしく、2年後に隣の道場の子供たちと同じ学区になる中学に入学すると、別のクラスの見ず知らずの同級生に呼び出され、入部の勧誘があり、断ると、今度は先輩が乗り出してきた。

20180523 名古屋地獄巡り (28).jpg

 今にして思えば、昭和49年のこの日から、蛇のようにその日が来るのを狙ってたんだろうなあ、その後の2年間は、朝から晩まで、春から冬まで、息つく暇もなく、俺たちはイジメられまくった。
 それがいやで大鵬部屋に入った別の先輩は、部屋を半年で逃げてきて、後々首を吊った。では、俺は。

 俺はパンクに逃げ込んだのだ!

 岡本喜八の映画を観ると、男の汗臭い世界が必ず描かれるわけだけれど、何時も想うのは、昭和51年から53年頃の柔道部の日々であり、その気の遠くなるような、汗と、涙と、小便と、精液と、腋臭の世界でもある。
 モンゴルに行きたいとか、諸兄姐は言うけれど、俺が弱いのは、汗臭い臭いで、それがダメなのは、あの柔道部の日々がトラウマ的になっているからだろう。パンクやパンクを追う人たちが羨ましかったわねえ。
 だけど、結局、あの時代があったから、従軍経験者にも柔道部にも関取にも気持ち的には負けなくなったわねえ。あれは地獄だったからな。日大アメフトなんて矯正院程度。俺のは地獄の網走だ。
 岡本喜八、バンザイ!
 俺の言うこときかんのけ、きかんかったらダイナマイトドンドン。

   「鬼才・奇才・キ才 岡本喜八特集」フライヤー。.jpg
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骨を見せたアメリカの映画人(上)。
5月24日
骨を見せたアメリカの映画人(上)。
 「Three Billboards Outside Ebbing, Missouri」
 2月にヨーロッパの某所線で観て、うーん、Joel Coen(1954年-)健在、と唸らされたわね。Joel Coenの伴侶のFrances McDormand(1957年-)の演技は素晴らしかった。
 アカデミー賞作品賞を逃したものの、それでも2017年・第74回ベネチア国際映画祭で脚本賞、同年のトロント国際映画祭でも最高賞にあたる観客賞を受賞している。

Three Billboards outside of Ebbing (3) .jpg

 評価面では、本作では主演のFrances McDormandだけでなく、複雑な警官を演じてSam Rockwell(1968年-)が助演男優賞を獲り、気を吐いた。彼は俺と世代が殆ど同じ。しかもSFOに近いDaly Cityの通信制の高校を卒業している。
 以前、俺の身内のKellyがその問題児ばかりの高校で教師をしていたこともあって、何かとても近い感じがある。我が家の隣の部屋で、缶ビールを呑みながら、SF Giantsの試合を大声を上げながら観ていそうな感じがする。冬ならNellのシャツで、夏なら体にフィットしたカーキ色の海兵隊の放出品のTシャツなんか着て。
 本作では、Sam Rockwellの役柄はマザコンのゲイだ。しかも人種差別主義者の警官役。89年に「Last Exit to Brooklyn(ブルックリン最終出口)」で鮮烈な印象を残したのに、今や情け無い中年のヘタレな警官。最後には全てを無くした揚句、被害者とその遺族のために立ち上がる。これもヘタな役者だと臭い映画になってしまうが、そうならなかった。

Three Billboards outside of Ebbing (2) .jpg

 昔なら、それこそ今年ついに主演男優賞を獲ったGary Oldman(1958年-)が演じそうな役柄だったかも知れない。しかし、本作は、狂気じみたキャラよりも、性格の弱さから、今ひとつ今を突き抜けられない役柄で、Gary Oldmanではなく、Sam Rockwellできっと良かったのだ。
 94年の「Natural Born Killer」で怪演技したWoody Harrelson(1961年-)がさらに複雑な警察署長のキャラクターを巧く演じ切った。地方特有の閉じられた狭いコミュニティーの中の複雑な見方・見解を1人だけの演技で一身に背負って見せた。

Three Billboards outside of Ebbing (4) .jpg

 脚本も素晴らしいが、演じたWoody Harrelsonも、これまた狂気をちらつかせることもなく孤独の内に尊厳を保ったまま死んだ。映画は、必ずしも地方社会をダメとは言わない。田舎の街の良心の象徴であり、そういうキャラクターを生み出したのは、彼の力技だとも言えるだろう。
 有名な話だが、本人自身、New York Mafiaの一家で、しかもヒットマンを父親に持った、ホンモノのヤバ系の育ち。SicilyのLa Cosa Nostraの一家だった安岡力也(1947-2012年)などの系統か。
 しかしWoody Harrelsonの与えられた役柄は住民からは慕われ、信頼されていたという難しい役回りだった。日頃は、本人は家族と共にCosta Ricaに住んでおり、朝から晩までクサを吹かし続けて暮らしているそうだ。こんな人を使い切るのも、Joel Coenの巧さだ。


追記
昨夜は三河のど真ん中。ヤクザうろつく駅前の、カラオケスナックまろび込み、こんな話もあるかいね、驚き桃ノ木、山椒の木。びっくり仰天、幼馴染の某君の、あれやらこれやらこちらやら、そのチンチンにオケケが生えたかまだかいな、そんな頃のアレコレも、あの街この街誰とやら、わちきも参りますゆえの、女一代繁盛記、聴かせてもろうて感涙の、、哀れ親父と成り果てて、さて別れの段になり、感極まった女子の涙、そっとすくってやるまいか、あ、どうかいな。さてさてこれまた他生の縁か、畏れ多くもムニャムニャの、道無き道を行くソナタ、道中ご無事で参るよう、お百度踏んで祈るとて、これまたお尻がむず痒い。
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泣かされた「ミックス。」
5月16日
泣かされた「ミックス。」
 昨年秋に公開された作品。もし知っていても、忙しくて見る暇も無かった。それでまぁ、観ろという人がいるので観たら、これが、良かったわね。
 映画の主題歌は我が愛する地元・カワサキ・シチーのSHISHAMOの「ほら、笑ってる。」。これがバラードなのだが、挿入歌の「サボテン」はテンポが彼女たちらしくて中々。舞台は神奈川県だし、神奈川色全開だ。
 ところが、冒頭の撮影は千葉の小湊鉄道だ。千葉かよと想ったら、彼らが人生をかけて戦う大会は神奈川県大会。しかし、大会の撮影は、竣工間も無い「高崎アリーナ」だった。

「ミックス。」(1).jpg

 主人公の卓球クラブのあるのは寒川だか伊勢崎辺りか。小日向文世のタクシー運転手も如何にもあの辺りにいそうだし、「フラワー卓球クラブ」ってのは無さそうだけど、まぁ、それもその内、どうでもよくなる感じになる。
 この映画はヨレヨレした脚本だなあと最初は感じていたのだけれど、古沢良太(1973年-)の力か。1年もかけて脚本を書き上げたそうだが、古沢良太は厚木の生まれだそうだから、それはつまり地元舞台ということなのかな。それなら、母親は地元出身の小泉今日子でも良かったのに。 
 対決を決める後半から最後の勝負までの盛り上がりで、死んだ鬼母親役の真木ようこが甦る。主人公の新垣結衣の冴えなかったジンセイが走馬灯のように収斂される下りが臭くなくまとめられていて、これで成功作になった。
 新垣結衣はこれでブルーリボンの主演女優賞を獲ったそうだ。それも分からなくもない。但し、瑛太は元プロボクサーには見えない。体幹がしっかりしていないとリングには立てない。しかしそういう役者さんは少ないだろう。
 ボクサーと言えば、何時であったか、讀賣新聞の「編集手帳」で、三島由紀夫が、深夜、護国寺の講談社の「少年ジャンプ」編集部に「あしたのジョー」を読ませてくれと押しかけてきた話が紹介されていた。
 この逸話については、三島由紀夫も全学連も「あしたのジョー」を読んでいたのに、なぜ敵対したのか、といった文脈で読み取る人もいるそうだ。

「ミックス。」(2).jpg

 護国寺の講談社本館というと、1986年師走にビートたけしとたけし軍団の引き起こした「フライデー襲撃事件」を想い出す。講談社の「フライデー」の契約記者が起こしたたけしの愛人と揉み合いになった傷害事件だから、記者側が悪いところは多分にあった。
 あの頃、時々講談社にいくことがあったことと、事件発端となった女性が、友達の知り合いだったこと、さらに軍団を率いて乗り込んだこともあって、印象に残る事件だった。
 「おーい、丼」[ちくま文庫]では、昭和の取調室は「かつ丼」がつきものという話が出てくる。しかし本件の取り調べでたけし軍団は「カツ丼でしょう」と答え、費用を請求されたそうだ。もう、昭和の終わりで、世間の常識は変わりつつあったということだろう。
 本事件は大塚警察署が仕切ったが、俺は当時、お隣の目白警察署で便宜を図って貰ったことがある。昭和時代には、それでも、建前は建前として、という温情はまだあった。
 同じ話でも事実としての認識が時代の変遷で変わってしまうこともある。映画の話からとっ外れたが、近頃は、そういうことを時々ボーっと考えることが多くなった。

追記
昨夜は某所にてチヤプりました。総合的に考えると極東アジア情勢はこの数年で大きく変わってきているのだけれど、そんな状況については、メデイアはほとんど関心がないようで、記者も経済部だからだと笑っていましたぜ。ヌーン。
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これからのニッポンの課題――韓国映画の熱気。
5月5日
これからのニッポンの課題――韓国映画の熱気。
 集まって盛り上がったのが韓国映画の話だった。日本のヤクザ映画はビートたけし以降、ち〜っとも面白くない。それに比べると、韓国のヤクザ映画は往年の日本の仁侠映画に匹敵する暑苦しさが漲っている。
 そういう話には、なるよね、結局のところ。月末にまた世界最長クラスの長距離航路に乗るから、往復で韓国映画漬けになるべえか。

「名もなき野良犬の輪舞」フライヤー。.jpg

追記
ノーベル文学賞、盛り下がってますわねえ。Jean-Claude Arnaultっつうオッサンはどうでもいいんだけれど、多分、フランスの文化とスェーデン社会との価値観のズレとすれ違いがあるわ。国際的な論争になるかも知れないわねえ。さて、そこでCatherine Deneuveはどうコメントするかねえ。

Jean-Claude Arnault。.jpg
| 4映像 | 13:59 | comments(0) | trackbacks(0)
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