岡田純良帝國小倉日記

備忘録――まとまりのないメモ(下)。
6月28日
備忘録――まとまりのないメモ(下)。
「Master」(2016年)
 昨年の韓国の話題作。
 韓国社会の病理がほの見えるという意味でイ・ビョンホンが2015年に出演した作品、「インサイダーズ」に似ている。しかし今回、イ・ビョンホンは大悪党を演じていて、その点が前回と大きく違う。白髪交じりのイ・ビョンホン、顔の感じがどんどんよくなってきた。
 これもまた、ありそうな大型の詐欺師の話だ。詐欺師というより、ここまで来ると、本人がふてぶてしく刑事に言い放ったように経済犯になるか。しかし、経済犯よりも、他国の政治家に巨額の詐欺を持ちかける辺りは、古の政商みたいだ。
 ネット取引を使ったマルチ商法の大型投資詐欺師を演じているのだが、脚本の設定は 面白かった。ネット銀行を使う国際的な資金洗浄に発展して、ボートで国外逃亡後は、 シンジケートの逃亡ルートで某大陸を通過して東南アジアに逃げ延び、Philippinesまで逃げ込み、そこの上院議員を大型の取り込み詐欺にかけるような案件を思い付く。
他国の政府の予算を喰ってしまえという壮大なもの。

Masterの撮影現場で。.jpg

 悪人の活躍の場も韓国内だけでは面白くない。悪人もすべからく国際的になる時代。日本国内のピッキングとか宝石泥棒はかなり半島のシンジケートも動いているそうだ。映画の興行について言えば韓国は映画市場が小さく、海外でそれ相当に受けなければ大型作品は最終的にはペイしないのだという。外に出て行くのは当たり前なわけだ。
「ASURA(アシュラ)」(2016年)
 こちらも韓国だけでなく、日本でも話題になった昨年の韓国映画。3月に日本で公開されたと聞いている。
 アメリカ軍の基地の街、カンナム市(架空)。軍の撤退後、広大な敷地が払い下げられ、再開発利権に目の色を変える悪党たち。しかし実際は現職市長パク・ソンベ(ファン・ジョンミン)はその上をいく悪党で、義弟で警官のハン・ドギョン(チョン・ウソン)を使って市長の汚職を告発しようとした証人を消す汚れ仕事をさせている。
 「ブーメラン家族」では兄を演じたユン・ジェムンが警察署の悪玉班長役で登場したと想ったらあっという間に死んでしまう。呆気なく殺されてしまい拍子抜けするのだが、この後、どんどん悪党が出てきて、誰が最も悪いヤツなのか、混乱してしまう。
 市長のファン・ジョンミンと市長追い落としを狙う検事役のクァク・ドウォンの間でチョン・ウソンはいいように使われる。チョン・ウソンは西島秀俊という説があるが、鼻の低い平たい顔のTom Cruiseにも喩えられるか。映画は諸説が出回っているが、とにかく市長役のファン・ジョンミンが全部を喰っている。
 最近の韓国映画は、返還後、香港映画が相対的に伸び悩んでいるのと違って、かなり演出のレベルが上がっている。例えば、とってつけたようなエキストラの臭い芝居は削られている。香港映画はくどいほど説明的なエキストラを使った演出が増えている。しかし、韓国の現実の社会はどうなのか。

황정민 Asra.jpg

 今リアルタイムで進む朴槿恵とその周辺に対する人民裁判みたいな光景を見ていると、全て映画で見たような既視感がある。「行こうコリア」とか「いつも青い党」等の新たに出てきた野党。そこに「共に民主党」が出てきた。
 こちらは60年以上の歴史のある旧社会党系団体だ。だから彼らもウラがあるだろう。必ずあるだろう。韓国映画を観ていると、社会の息苦しさが分かる。
 「地方大学の32期生だな」
 「一生クズで終わるレベル」
 「アイツは中央の学校を卒業していない」
 教育格差で差別的な発言が当たり前のように出てくる。
 政権が変われば人民裁判と糾弾の繰り返し。だから、映画は刑事が魅力的ではなくて、悪役が勝って映画全体を喰っている作品が面白い。
 イ・ビョンホン、ファン・ジョンミン――悪党を演じて様になる。俺のお気に入り。


追記
そろそろねるけえと言うわけでねえ。Londonの“我が偉大なる女房”からはCheep Trickの公演で「The in Crowd」と「Waiting for My Man」がカバーされたの報。元々イリノイ州辺のGarage Bandが主体の人たちだからなあ。Paul Cookyの周辺のメンバーも客席にいたそうだわいな。拡がるねえ。そういえばシスコのモトからもメールあり。
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一縷の望みか――韓流映画の今。
5月29日
一縷の望みか――韓流映画の今。
 先日、昨年、日本でも大ヒットした韓国映画、「インサイダーズ / 内部者たち」を観た。大ヒットしても成人向け「R指定」映画。これが機内で公開されたわけだ。
 2015年晩秋に公開され、国内の観客動員は1千万を超えて韓国映画歴代1位を記録、昨年3月に日本公開、そしてとうとうJALの機内で公開されてしまった。
 本策は儒教社会のズブズブが丁寧に描かれていて興味深かった。
 「コネがあるのか」
 「カネがあるのか」
 高校の先輩や大学の先輩の誘いは断れない。そしてソウルにある有名大学を卒業していなければ出世はできない。
 「あなたは私立大学ですか」
 ソウル大学を卒業したKBSのキャスターは、相手が私立大学だと知ると態度を一変させた場面に居合わせたことがある。
 昔、小岩の会社で営業をやっている知り合いがいた。前に書いたことだが、半島から相撲部屋に入門したが、夢破れて廃業し、半島系企業で営業をやっていた。
 「岡田さん、これでお願いしますよ」
 いいヤツなのに、事務所で現金の入った紙封筒をいきなり取り出したのには痺れた。
 「勘弁してよ、ここ、ニッポンだよ」
 「お願いします」
 ガバッと土下座した。バックには財閥企業がいることを俺は知っていた。90年代の財閥系はよく企業訪問と称してニッポンに現われ、派手に札束をばらまいていた。

        李○○と洪○○夫人。.jpg

 半島ほど上下関係と学閥・地縁・血縁といった関係を何よりも重視する社会はあまり他にないが、半島と近いお隣の凍土の人から、俺はこう言われたことがある。
 「オタクのお嬢さん、私が清○大学に入れてあげますよ」
 「結構です」
 「タダですよ。何時もお世話になっているし」
 この話は、我が家では語り草だ。多分、俺が死ぬまで語り草だろう。
 凍土は数百年の昔から一貫して広大な国土への投資・引き入れ型だった。甘言と違法スレスレのインセンティブを付けて国土に人と金を呼び込み、時間を掛けて吸い取っていく。都合が悪くなると脅迫状・讒言状が世界中に飛ぶ。
 また、詳しく知らないが、東シナ海を隔てたニッポンの某県の人が九州社会を呪ったことがある。
 「あそこは大陸みたいなところがある」
 九大を出て九州で就職した。どこでも先輩風を吹かされてエライ苦労すると愚痴った。
「インサイダーズ」はそういう社会をえぐっている。映画を観ると、半島では検察庁も内閣秘書官も一緒になって飲み食い接待の嵐。凍土と同じで恐ろしいねえ。
「この街に入ったら、無傷で帰れると思うなよ」
俺は凍土某所ですごまれたことがある。セリフを吐いたのは弁護士稼業だが、後ろに現役の公安が並んでいた。
 映画では政界と財界とメディア界が「握って」権力マシーンを作っているわけなんだが、これが「R」指定になった理由は有名な「性接待」シーンが幾度も出てくるから。
 悪の親玉のオッサンたちは素っ裸になって長いまな板みたいなテーブルを囲んで呑む。煌々と蛍光灯が照らすニスの光ったテーブルに美酒佳肴が並んでいる。
 しかもオッサン1名に裸の女が3人も取り付いてフェラチオをやりまくり、オッサンたちは順繰りに堅くなった男根で腰を振って並べたグラスを倒す。
 「イーグルだ!」
 「アルバトロスだ!」
 いい男が素っ裸でテーブル・ゴルフを男根でやるわけだ。
 この美女たちを夜な夜な提供するのが芸能プロダクション社長でゴロツキの主人公というわけだ。

インサイダーズ(イ・ビョンホン).jpg

 ○教文化に耐えられないのは女性蔑視が強過ぎるからだろう。女の価値を認めない。性と純潔を異常に重視する。だから性犯罪が多い。某宗教に対しても同じ違和感を抱くわけだが、同性としても、彼らの感覚は殆ど俺には理解できない。気分が悪くなる。
 映画の途中から既視感があるなあと思った。
 まず、「祖国日報」の事実上の主筆役のペク・ユンシクが、長めの銀髪で我がニッポンを代表する淫行ジャーナリスト・鳥○俊○郎センセイに感じがよく似ていること。
 昨夏、某財閥の会長がソウル市内の自宅や高級マンションやでやっていた買春行為の隠し撮り動画が公開された。数年前には心筋梗塞で心配停止状態になったが、この時も同様の行為の最中に起きたアクシデントという噂があった。
 そして昨年秋から始まった大統領と側近政治の弾劾。今年3月に国会が弾劾訴追した後で、憲法裁判所は大統領を罷免した。朴槿恵は大統領職位を罷免され、失職し、逮捕されて収監された。
 国を棄てる人が跡を絶たないことがよく分かる。半島ではないが、凍土で俺が世話をした若いヤツらは、全員が国を棄てて外地に渡った。俺はあの辺りで深い傷を負ったが、ま、これも俺が俺に呉れてやった名誉軍団勲章だ。ヤツらだけはそれを忘れないだろう。
 映画では、ゴロツキの主人公は出所し、復讐戦で組んだ相棒(ヤメ検弁護士)に会いに行く。
 「モヒートにモルディブ飲みに行くか」
 「モヒートってどこだ」
 「日本じゃねえか」
 最後のセリフが気に入らなかったが、話の筋は面白かった。現実はもっと厳しいが、映画ならこれでいい。
 文在寅の当選はこういう流れを考えないと理解できない。主演のイ・ビョンホンは、脚本を読んで出演を即決したそうだ。韓流に一縷の望みを見る気がする。
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ランペドゥーサの海に。
5月11日
ランペドゥーサの海に。
 先ほど帰宅したのだが、ランペドゥーサを描いたドキュメンタリー映画の音楽が耳にこびりついて離れない。
 帰って来たばかりの島のさらに先のチェニジアの目と鼻の先にあるのがランペドゥーサ島。そこで暮らす漁民たちの暮らし、さらに暗黒大陸アフリカ次から次へとひっきりなしに渡たってくる難民とを描いたドキュメンタリーだ。
 このドキュメンタリーは「海は燃えている」(http://www.bitters.co.jp/umi/)と題されているのだが、燃えていると観るよりも、もっとクールな感じがあった。。
 映画の解説のページから島の位置関係を引き写す。

 「地中海のイタリア領最南端の島。シチリア島から南西へ約220km、チュニジアの海岸から東へ113kmに位置。面積は20.2 km²(鹿児島県与論島が20.47 km²)。住民は約5500人。ペラージェ諸島に属する他の島ともども、シチリア州アグリジェント県に属するランペドゥーサ・エ・リノーサという基礎自治体(コムーネ)を構成する」

 「海は燃えている」フライヤー。.jpg

 先日記したように、150kmというのはキーになる距離感で、チュニジアはもうそれよりも近いのだから、昔から漁民にとっては、お互いに往来をしない方がおかしいような位置関係になるはずだ。本国のシチリア島のアグリジェントよりもずっとチュニジアの方が近いのだから。
 先日はアグリジェントで最高のシーフードを喰った。俺たちに勧めたのは刑事コジャックみたいな禿頭の精悍な男だが、飽くまでも、女を攻めるのが憎らしいね。
 「マダム、今日はこのような素晴らしいネタが入っています」
 でかいトレイに大きなスズキと真鯛と黒鯛を乗せてきた。

アグリジェントのディナー(1)シーフードの盛り合わせ.jpg

 ドキュメンタリーの中で、彼らの命の値段もハッキリと語られる。  
  その恐ろしい船に乗って来るアフリカからの難民は船倉にいるのが八百ドル甲板が千ドル、船の上が千五百ドル。こいつはナマのドキュメンタリーだから、すっかりやれらた。
 機内ではサヴィアーノのカモッラ関連本、「死都ゴモラ」を読んでいたのて、アフリカとイタリアとの関係、中国とイタリアとの関係が闊達に語られて、すっかり脳内はウエーブウェーブな雰囲気になっているのだった。
 俺は加齢によってどんどん性格が先鋭化しているので、ますます作り事が嫌いになってきたが、「海は燃えている」には充分にリアリティーがあって、痺れさせられた。
 音楽が素晴らしい。このリアルなブルースがあって、映画の現実と夢とがさらに混交して観た者の胸に迫る。難民ボートの船倉に折り重なった死体の美しさ――1970年代のヴェトナム難民のそれを思い起こさせる。
| 4映像 | 20:55 | comments(0) | trackbacks(0)
「Le Grand Bleu」から「山猫」へ(下)。

5月11 日

「Le Grand Bleu」から「山猫」へ(下)。

 そこでSicilia社会を描いた小説「山猫」とこれを映画化した物語、それに絡む四方山の話になる。

 Giuseppe Lampedusa(1896-57年)の描いた「山猫」は江戸末期と同じく時代設定は1860年である。「赤シャツ隊」を率いてBurbon家から南イタリア奪回運動を指揮したGiuseppe Garibaldiの家は元々船舶を所有する海上貿易商人。日本なら、西郷隆盛か、商売から言うなら台湾の鄭成功のような者になるか。

 Don Calogero Sedaraは市長で土地管理人。娘がClaudia Cardinaleの演じた美しいAngelica Sedara。土地管理全般を任せる貴族の殿様がDon Fabrizio(サリーナ公爵)で、その甥っ子がAlain Delonの演じた Tancredi Falconeriというわけだ。

 原作のLampedusaはParelmoの在住者であったが、映画監督のLuchino Visconti(1906-76年)は北イタリアに地所を持つMilanの公爵の家に生まれたから不在地主の貴族の無力感はSiciliaに地所を持つ貴族仲間と共有していたわけだろう。


「山猫」製作現場で演技指導中のVisconti伯爵。.jpg


 使用人の娘Angelica Sedaraと公爵家を継ぐTancredi Falconeriの結婚を認めて、公爵は封建制度の崩壊と共に没落していくことになる。引き換えに、新しいカップルは荘園を出て、統一イタリアに変化していく社会の中で居場所を確保しようとする。無論、後ろ盾は、公爵から、故郷の義父(市長)に、新しい権益マシーンへと変わっていくのだ。

 都市部の夫婦の子供たちはやがて医者になり、弁護士になり、都市で社会的な地位を確保し、新興ブルジョワジーの一角を占める。首都RomaとSicilia闇社会との結束は、表面的には見え難いが、年月を経て深化し、切っても切れない関係になっていく。事実、多少の違いがあっても、これが大よその歴史的流れのようだ。その子孫の中から首相が出てくることにもなる。それが今のかの国だ、と。

 夏目漱石の「坊ちゃん」ではイヤミな帝大卒のインテリ男として「赤シャツ」が出てくる。生前、漱石は「赤シャツは自分かも」と言ったと伝えられるが意図するものは違うだろう。

 「赤シャツ少年団」なら劇作家のMoln�・r Ferenc(1878-1952年)有名だ。1880年のBudapest(Hungary)を舞台にした少年文学作品、「パール街の少年たち」では、主人公たちと対立する原っぱの向こう側の少年団。Austria-Hungary帝国二重統治の暗喩で、パール街の少年団は無論Hungary側。

 「赤シャツ少年団」はHungaryも牛耳ろうとするAustria側だから、「赤シャツ」はGaribaldiの象徴する祖国統一の官軍側だ。実際に加賀藩出身の教頭がモデルとされる。加賀藩は鳥羽伏見で幕府が敗走すると官軍に寝返った。かなりイヤミな設定だろう。

 「坊ちゃん」の教える松山中学は言ってみれば官学進学を志望する新時代のエリートの養成校だが、商人を育てる商業学校と仲が悪く大喧嘩をする。エリートを取り締まる「坊ちゃん」は東京物理学校で、会津藩出身の「やまあらし」と共に元賊軍側の出身である。どうも取り締まるにも身が入らない。「やまあらし」も、漱石の脳裏では官軍師弟が進む官立大学出身者という設定ではなかったろうと俺は想う。

 だから話をややこしくすると、Siciliaの人々は「パール街の少年たち」であった。祖国統一に燃えたGaribaldiはやはり西郷隆盛で、江戸の無血開城を成功させ、大政奉還を進め、明治天皇に仕えて廃藩置県で祖国統一に貢献したが、最後はGaribaldiと同様に野に下った。


            夏目漱石(夏目千円)。.jpg


 小説の最後で「赤シャツ」は懲らしめられるが、賊軍の2人は松山から逐電してしまう。やがて「赤シャツ」はキャリアとして出世していったはずだ。主人公は俸給40円を棒に振り、街鉄の技手(月給25円)となった。賊軍には厳しい結末とも言える小説は、その賊軍の成れの果ての漱石によって廃藩置県後35年にして書かれたことも勘案したい。

 19世紀後半から起きたイタリアの統一は、実際のところSicilia、Sardiniaの2つの大きな離島とイタリア半島南北の梟雄たちの「国盗り物語」である。地方色が豊かで各地各々お国が違うと思えばいいとよく言われるが、歴史的にも実際に国が違っていた。


「パール街の少年たち」スチール。.jpg


 Don CalogeroとAngelica、Tancrediのトロイカは、Siciliaのある地方を背景にした権力・資金マシーンだ。現在の統一イタリア社会には、これと別な形で根を生やした様々なマシーンがあるというわけだろう。MAFIAはその歴史的所産ということになる。

 日本でも、廃藩置県当時は各地で小藩には統一の過程で大小様々な問題が起きたが、最後は収斂した。何せ万世一系の天皇がいた。ヨーロッパの王侯貴族でさえグーの根も出ないのは日本の天皇家だろう。考えれば考えるほど畏れ多い一族である。

 だから、逆に言えば、国家統一と言っても、日本のように天皇を頂点とする連帯感を持った国家は実はどこにも他に無い。Londonでも北京でも、ましてや毎回独立の話が出るCaliforniaでも、日本との違いを肌身に感じながら暮らすことになった。ましてSiciliaをや。


追記

とても不思議な体験だった。近所のイタリア飯屋で、突然隣のテーブルの93歳の老女から話しかけられて。

日本なら大正末にニュージーランド生まれて高校でオーストラリアに引っ越した。本人はアメリカで音楽や教育を受けてロンドンへと引っ越して65年経つと言っていた。室内楽とオーケストラ両方でバイオリン弾いてて東京には4回仕事で行ったことがあるそうだ。元々

父親はジャーナリストで、大戦前には東京の特派員で、日本贔屓は筋金入りなんだって。

彼女は日本人が大好きで日本の文化も好きなんだって言うんだけど70代の半ばにしかまあ見えない。不思議だった。

キツネに包まれたような、豊饒の海の最期の本多の気分かな。もしくは騙されたか、彼女ボケていたか。不思議だった!


Buddies

I am too tired to say anything more today. It would over 10 hours to arrive at the next port. I need updating much earlier than usual.

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「Le Grand Bleu」から「山猫」へ(中)。
5月10 日
「Le Grand Bleu」から「山猫」へ(中)。
 13世紀、SiciliaはFrance貴族のアンジュー一族(maison d'Anjou-Sicile)から過酷な支配を受けていた。1282年の反乱でSiciliaは一度独立を果たすが、この時の合言葉は次の通り血生臭いものだ。
 「Morte alla Francia Italia anela!(フランス人を殺せこそイタリア人の叫びだ!)」
 その後も近代までSpain、Austria系の王国からの支配を受けたのだが、この最初の武装蜂起の合言葉を取って「MAFIA」という言葉が生まれたという説がある。蜂起した集団を「MAFIA」と呼んだ、と。
 さらにアラビア語の「健康、勇気、力」を意味する「MU」と「保護」を意味する「AFA」の合成説もあると言う。
 30年前、農村部では週末の朝になると、農場から正装した男たちが広場に集まっていた。ひそひそ声で話をしたり、トランプをしたり、仲間と腕を組んで、狭い広場を行ったり来たり。昼時になると昼食を取りに一度は帰るが、また、妻や恋人と共に広場に戻って来る。そこまではいいのだが……。
「広場をよそ者が通ると、そこに居合わせた者すべてが話をやめ、歩みを止め、そのよそ者に視線を集中する。その視線は、好奇のものとは違う。警戒心と猜疑心によるものである。水をうったような静けさの中を歩く後から、背中にはりつくかのような何十という視線を痛いほど感じる。それは一種の恐怖であり、強烈なカルチャー・ショックである」

        「血と掟」(安藤昇)スチール。.jpg

 近代イタリア史の研究家の藤澤房俊は「シチリア・マフィアの世界」[講談社学術文庫]の冒頭でそう書いている。1988年に中央公論社で出版された本書は2009年に文庫化されたため、これは30年ほど前の島の農村部の様子と考えてみよう。
 本書には、彼らには名誉と「オメルタ(Omertà)」以上に重要な価値観は無いとある。「誠実、信頼、強さ」を意味する言葉で、その表現形態が沈黙なのだとある。また、国家あるいは法の権威に対する不信、あるいは反抗の表明として理解されなければならないとも。だから、よそ者であっても、法を犯した者は救済の対象となるのだ。
 「法を犯した者を救うために、被支配者としての連帯意識をもって、沈黙を守り、支配者に対する抵抗の姿勢を示す。この行為もオメルタとして理解されねばならない」
 これが犯罪社会と誤解される部分なのだろう。これは、抵抗の一形態なのだ。
 「シチリアで撮影していたにもかかわらず、僕には一度も接触しなかったんだ。残念なことだよ…」
 広場の週末の光景を想い描きながらEnzo Maiorcaの言葉を反芻するとニュアンスが違って浮かんでくる。
 「Death to the French is Italy's Cry」
 恐ろし気な「MAFIA」という言葉の語源には諸説あるのだが、それよりもこのような社会の構造が成立した由来に興味がある。調べてみても、よく分からない。自分なりに納得できると感じたのは、普段から遠地の大都会に住み、領地には暮らしていなかった貴族による大土地所有制が根っこにあること。
 日本でも徳川時代の封建制では全く同じ現象が起きている。幕府直轄地、当時で呼ぶ幕領、今で俗に言う天領も、他藩でも飛領は不在地主のせいで腐敗が多く、汚職が起き易かった。悪代官と三河屋が手を結べばやりたい放題で、事実、闇に葬られ、歴史から隠蔽された汚職事件は多かった。

飛騨高山旧街道.jpg

 所有者が離れた場所にあって、土地の政治を代理の者に任せれば、得てしてそういう腐敗は起きるもので、直轄地・飛領の風紀は乱れ賄賂が横行した。地元商人の三河屋にとって見れば、江戸から人事異動で任命される鬼代官様も任期を勤めれば江戸に戻る「お客さん」である。飛び地になった天領は、周辺社会と風紀はかなり違っていた。
 山岡鐵舟の実家の旗本・小野家は蔵奉行で、江戸で生まれた鐵舟も父親が代官よりも上の郡代職だったため、飛騨高山で育った。飛騨は木材だけでなく、銀山があったため、豊かな資源に目を付けた徳川の直轄地とされたわけだ。
 飛騨の小京都と呼ばれ、春の「山王祭」と秋の「八幡祭」はますます名高くなっている。祭は直轄地とされ前の外様大名・金森氏が起源とされており、幕府が目を付けるだけの派手なものでもあったから、金森氏は出羽上山に突然移封されたと言われている。やり過ぎだったというわけだ。
 例えば、飛騨に三河屋があれば同じ時期のSiciliaに当てはめれば、所有者に管理を任された農地管理人が民兵として農地監視人を組織した。これがMAFIAのベースだ。日本なら江戸時代末期。徳川による封建政治が終わりを告げようとしていた時期である。


追記
半島の某所の政権が交代して、困ったことになるのかどうか。10年振りの野党で、コイツが、また、「P」による粉薬がタップリとかかったヤツだけに困ったことになる可能性が強い。
下記写真は某所にて皆さんとコミュニケーションするための参考に作って行った資料ではなかったのに、結果的にはドワーっと盛り上がるきっかけになってしまったのよねえ。

CV of Giuseppe Genco Russo and Calogero Don Calò Vizzini.JPG

追記の追記
明日は昼間はマチに行こうかと想ったけど、止めるわイ。家でゆっくりして、メシ喰って、それからクソでもひってゆるゆると羽田に出発することにするワイ。シーメはどまずいし、寝れないことも分かっているんだけれど。
| 4映像 | 07:22 | comments(0) | trackbacks(0)
「Le Grand Bleu」から「山猫」へ(上)。
5月9日
「Le Grand Bleu」から「山猫」へ(上)。
 96年の「BRUTUS」を読んでいて、ああそうだったのか、と想わされた話を幾つか。
 昨年11月、Enzo Maiorca(1931-2016年)も亡くなった。どうせSicilia島に行くなら、じいちゃんのその赤銅色の皮膚と風貌を拝んで来ようかとも想っていたけれど、もう、果たせない。ちょっと残念だ。
 ヤクザだとか犯罪者にばかり会ってきたわけではなくて、こういう命懸けの冒険者の風貌にもずっと興味があった。元々Jacques-Yves Cousteau(1910-97年)は少年時代のヒーローの1人だった。
 戦闘機乗りや船乗りは15歳で仮性近視になってからすっかり諦めてしまったけれど、本当は空や海をのような大自然を相手にする特殊なオペレーターの世界は俺には合っていたと想う。夢は果たせなかったけれど。
 というわけで、Enzo Maiorcaといえば素潜り名人だが、彼の人生も、我々外国人にとって、あの映画を抜きに語れないということになる。
 1988年のイタリア・フランス合作映画、「Le Grand Bleu」がそれ。記すまでもないが、フランス人のJacques Mayol (1927-2001年)とイタリア人のEnzo Maiorca(1931-2016年)との友情が映画の軸になっている。

Jacques MayolとEnzo Maiorca.jpg
 左側がフランス人で、右側のイタリア人とライバル同士だったわけだけれど、俺はその
 気質の描き方は映画作法の典型的な一つのデフォルメだと想うわけだ。だけど、本名を
 使うところにフランス人の愚かさを感じる。一昨年の諷刺画テロもその伝だからねえ。
 フランス人同士なら気にしなくとも、隣人なら怒るというか、哀しくなるだろうなあ。
 我々もやかましい隣人が向こう三軒に軒を並べているから容易に分かることだけれど。

 しかしEnzo Maiorcaはこのフランスでは1千万人を動員した大ヒット映画を、名誉毀損だと訴え、2002年に公開されるまで、長くイタリアでは上映されていなかった。
 「R.ベッソン監督は同じフランス人であるJ.マイヨールの話を聞いて、全面的に信用
 したんだ。シチリアで撮影していたにもかかわらず、僕には一度も接触しなかったんだ。
 残念なことだよ…」
 Sicilia島で撮影していたのに監督もJacques Mayolも仁義を切りに来なかったとは知らなかったぜ。
 映画の中でEnzo Maiorcaは選手権で負けて死んでしまうという結末になっている。 この取材当時、彼は65歳だった。自然保護と島の資源を活用した観光立国をめざしてRomeで活動する国会議員だった。
 「BRUTUS」で明かされる公開反対の理由は映画の中で死んでしまったことよりも、彼自身の行動様式と価値観の描写の部分だ。
 「エンゾが登場するファーストシーン。落ちた金貨をマイヨールから横取りする描写は、
 彼には耐えがたいものであった」
 「イタリア人を泥棒と思っているのか、いきなり金がらみの逸話だ。おまけにエンゾ
 (自分の描写)ときたら、筋肉を膨らませるし、『ビバ!イタリア』だ。最悪だよ」
 彼の右腕に彫った刺青はタコ。

         Enzo Maiorcaの刺青 (2).JPG

 本人はイタリア人と普遍化するが、ここは、やはり一歩踏み込めばSicilia人気質の描き方ということになるだろう。しかし、もしそうなら、失礼な話だろう。実在の彼と同じ人物を出演させ、その人物が他人の金貨を掠め取り、揚句の果てに映画中で死んでしまうのだから。
 こういう話は、実はよくある。小説でも脚本でも映画でもあまり報道されないのだが、本人に会ってみると、あまり言いたがらないが、ちらっと不満を口にしたりすることがあるものだ。
 美能幸三にしたって映画の細かい描き方には色々不満があった。しかし映画はヒットして、その後もリバイバルし、若い世代から映画が再評価されるようになり、幸三さん自身も晩年は再び名が売れたところもあって、不満は抑え込み、黙っていた。

晩年のEnzo Maiorca.jpg

 しかし、Enzo Maiorcaの場合は、古い友人に裏切られたと感じたので声を大にして言ったのだろう。
 「監督は若いから仕方がない。が、ジャックは友人でライバルだと想っていたから…」
 「(映像は)きれいな映画だ。が、もし真実を描けば、より美しい映画になったのに」
 作家でも本人に仁義を切らずにモデルにしたと公言し、売り抜こうとした人はいる。そういう場合に、日本の場合には名誉毀損で訴訟という事態には滅多になっていない。だが、泣き寝入りとまでは言わないが、不満を抱いている人はかなりいる。
 ここでは記さないけれど、音楽関係もこの辺りは微妙なものがある。Chuck BerryのようなオリジナルのRock ‘n’ Rollを書いた黒人ミュージシャンは、奪われるだけ奪われ、盗まれるだけ盗まれたと言えるだろう。
 「Le Grand Bleu」はフランス人らしい話だが、Siciliaの人たちが納得はしないだろう。そう考えると、同じSiciliaでもParelmoの話になるが、「Godfather 」の撮影では、Francis Ford CoppolaはSiciliaの公衆の前に一度も現われなかった話は味がある。
 Parelmo市内にある老舗、「Grand Hotel et des Palmes」は“その筋”から命じられ、市内から40年間一歩も領地に帰れなかった伯爵が暮らしていたとある。Francis Ford CoppolaはSiciliaの悪名を高らしめたのは間違いない。「Le Grand Bleu」でEnzo Maiorcaが金貨をくすねるのもこの作品の延長線上にあると言えなくも無いだろう。
 つまるところ、あのCoppolaさえ“その筋”から何か言われていたのかも知れない。


追記
行って来ましたぜ。島の人たちにも聞いたけれど、彼はよく街外れの海岸で潜っていたそうだ。だけどシチリア人は元々ヤマの人間だと彼は言っていたな。素潜りなどのマリン・スポーツは有名だけれど、社会の成立から考えると、海岸は長い間、ギリシャ人をはじめ、ローマ人、サラセン人、フランス人、スペイン人まで、異人らの侵入して来る恐ろしい場所だったから、弱い彼らはヤマに集まって、身を寄せ合って暮らしてきたのだと語っていた。

     Love is Miserables.jpg

Enzo Maiorcaは対外的には黙っていたが、島の人々の間では吠えまくっていたのだろう。そして、行く先々で島の人たちの語った言葉は、シラクーサやらムッソメーリやらを歩くに従って例証され、ジワジワと彼らの歴史的文化的な背景について考えるきっかけとなった。
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P仙の期待の星・Damien Chazelle。
3月4日
P仙の期待の星・Damien Chazelle。
 例の「セッション」(原題:Whiplash)を2014年に撮ったDamien Chazelle(1985年-)は、昨年は「La La Land」を撮って、そうでなくともSocial Dance Boomだったイギリスで大騒ぎになっている。しかし驚くなかれ。
 映画監督の以前に、ミュージシャン志望だったこの人は挫折した元バンドマンなのよ。そう考えれば、彼にとって、音楽の世界が如何に重要か分かるし、映画を通じて音楽を語っていることが分かるだろう。
 例えばどんな環境にあったか。Rollins BandのDrummerで知られるSim Cain(1963年-)の後輩だと知ったら何となく想像つくか。Sim Cainは日本で言うと俺と学年が同じ。 Rollins Bandのメンバーとその活動については自分がアメリカに暮らしていたら、多分、そういう方向に進んだかも知れないと想わせるものがある。

Shadows (1959) (1).jpg

 Henry Rollins(1963年-)はIggy Popの自伝を出版していた。メンバー全員が一癖あって骨っぽい。Sim Cainは、Princeton High Schoolで鍛えられた。Damien Chazelleも、同じ高校で超有名な高校の付属バンド、Studio BandのDrummerを目指していたわけ。但し、彼の場合はJazz Drummerだ。
 だから「セッション」は偉大なミュージシャンになるため殆ど全てを犠牲にする主人公を描く狂気の沙汰の世界だが、決して絵空事に終わっていないリアリティーがあるのは、監督本人がその世界にかつて身を置いたことがあるからだ。
 「Blues Brothers 2000」に出演していたBlues Traveler。ここでVocalとHarmonicaを披露していたJohn Popper(1967年-)も高校の先輩でStudio BandのTrumpeter。Damien Chazelleの先輩にRollins BandとかBlues Travelerのメンバーがいる。

Shadows (1959) (3).jpg

 日本語的に言えば、彼は「セッション」でJazz Musicに恩返しをして、自分自身には、Musician志望者として挫折した過去を清算した。学生時代にJazzのMusical映画、「Guy and Madeline on a Park Bench」を撮ったが、受けが悪く凹んだことがあるらしい。若い頃のCassavetesのようだという評判があったのに。そして性懲りも無く同じMusicalを作って過去にケリをつける。そういう姿勢は表現者として信頼できる。
 Princeton Highは“Jazz Fess”で知られ、例えば、ジャズのビッグ・バンドをBerklee College of Music(バークリー音楽院)からゲストとして招いたりする。まぁ、感覚的にも解る通りだが、Princeton HighはStudio Bandだけでなく、全米指折りの公立高校だ。
 巨大な私立大学のある街にあるから、大学の教員や研究者の子弟が多い。Damien Chazelleも父親は数学者。息子は高校ではDrummerとしては挫折したが、Harvardに進んでシナリオや映画製作を専攻した。Eliteだが元バンドマンだから目線が違う。
 「The Umbrellas of Cherbourg」のようだと評された「La La Land」。大学で観まくった古典、Fred AstaireとGinger RogersとかKatharine HepburnとSpencer Tracyとか、他にも古典的な男女の息の合ったコンビネーションのイメージを膨らませたもの。粋だ。

       Shadows (1959) (2).jpg

 「LAを舞台にしているけれど、僕自身はあの街にはイヤな思い出がある。BandのDrummerだったけどクビになったんだよ。だけど、引き換えにアイディアが浮かんだ」
 Studio Bandで分かる通りビッグ・バンドの古典音楽を心底愛しているのだろう。だが、喰えないバンドマンになるより、映画監督になって音楽愛を深く表現できて良かった。「セッション」のストーリーと同じように、妻との苦い別れを経験しても。
 「『クソったれ、何日か最高の脚本を書いてやる!』って感じかな」
 前妻のJasmine McGladeは分かれてもパートナー。「La La Land」のProducerである。
 「何時もMusicalのことでアタマの中は一杯なんだ」
 だが次の映画はMusicalではないそうだ。Howard Hawksを愛しているというのだが、さて、どんな手で来るのだろう。楽しみな監督が現れた。


追記
憧れだった南仏某港。旧港からさらに外れた某所で喰って参りました、ブイヤベース。ルイユソースが美味くて、つい度を越して向こう見ずな食いっぷりに。今、グロッキー寸前也。
鈴木清順とムッシュかまやつの訃報。清順さん、生きとったんか。イーゲの走りみたいな人だったから、自分のことは自分でやってたんだろうけどな。Damien Chazelleにも影響を与えていたそうな。
カマヤツさんは会いたかったけどね。会えず終いになった。イギリスの音楽をどう見ていたのか聞きたかったんだけど結局タイミング合わなかったなぁ。エンタクシーの美能幸三のインタビューも北京駐在で阻まれたからこれと同じか。色々やりたかったことがあったけど、段々、できなくなってくるもんだ。
| 4映像 | 07:33 | comments(0) | trackbacks(0)
イギリス社会の欺瞞――そして見え隠れする俺の過去(下)。
2月7日
イギリス社会の欺瞞――そして見え隠れする俺の過去(下)。
 「T2:Trainspotting」[TriStar Pictures(United States), 2017]
 96年に公開されたTrainspottingは、その適齢世代は最も若かったのが15歳とすると皆さん大半が30代半ばから40代か。Middle Age Crisisの乗り越え方とか、処世術に絡んだ見立てが映画特集では多かった。「NME」の場合はこうだ。
 「The Book, film and soundtrack that defined a generation and the sequel that seeks to do the same」(ある世代を決定付けた本、映画、サウンドトラックとその続編)

「Trainspotting」

 1996年2月公開の映画は、冒頭、ナレーションが続く。
 「Choose a life. Choose a job. Choose a career. Choose a family. Choose a fucking big television. Choose washing machines, cars, compact disc players and electrical tin openers... Choose sitting on that couch watching mind-numbing, spirit crushing game shows, stucking junk food into your mouth. Choose rotting away in the end of it all, pishing your last in a miserable home, nothing more than an embarrassment to the selfish, fucked up brats you spawned to replace yourself, choose your future. Choose life... But why would I want to do a thing like that?」

「T2 Trainspotting」5

 「ジンセイを選べ、仕事を選べ、キャリアを選べ、家族を選べ、クソでかいTVを選べ、洗濯機、車、CDプレイヤー、電気缶切り機を選べ……退屈なクイズ番組をジャンクフードを口に詰め込みながらソファーに座って観ることを選べ。ガキにバカにされながら悲惨な家の中で死んでいくことを選べ。未来を選べ、ジンセイを選び取りな」
 「だけど俺はそんなものをどうして選ぶものか」
 Ewan McGregorは独白する。映画が世代を決定付けた根本は映画冒頭のこのMonologueだとイギリス人は言う。この後に続くのは悲惨な選択なのに。
 「I chose not to choose life: I chose something else. And the reasons? There are no reasons. Who need reasons when you've got heroin?」
 「俺はジンセイを選ばない。代わりに他のものを選んだ。理由?、理由なんかあるか。ヘロインがあれば理由なんか要らない」

「T2 Trainspotting」1

 これが彼らの世代というなら、俺はそういう世代と付き合うのはゴメンだな。Bridget Jonesと同じ。映画の中のMonologueをPubでくり返して笑いながら歳を取っていく。たまらんな――イギリス社会の欺瞞を知ってしまったからそう想うのだろうけれど――
 「Choose life, Choose Facebook, Twitter, Instagram and hope that someone, somewhere cares. Choose looking up old flames, wishing you'd done it all differently. And choose watching history repeat itself. Choose your future. Choose reality TV, slut shaming, revenge porn. Choose a zero hour contract, a two hour journey to work. And choose the same for your kids, only worse, and smother the pain with an unknown dose of an unknown drug made in somebody's kitchen. And then... take a deep breath. You're an addict, so be addicted. Just be addicted to something else. Choose the ones you love. Choose your future. Choose life」
 「ジンセイを選べ。フェイスブックを選べ。インスタグラムを選べ。そして誰かがどこかでお前を気にかけていることを祈れ。全て違ったものにしたいと願いながら古い写真を見ることを選べ。歴史が再びくり返すのを見ることを選べ。自分の未来を選べ。リアリティーTVを選べ。リベンジ・ポルノでふしだらな女の恥を選べ。勤務地まで2時間の旅のできる勤務時間ゼロの仕事を選べ。そして自分の子供たちに価値あることだけを選んでやれ。誰か他人のキッチンで知らないドラッグを服用して痛みを和らげることを選んでやれ。そして深呼吸をしろ。お前はヤク中。とてもひどい他人中毒。誰かお前の愛する人を選べ。未来を選べ。ジンセイを選び取るんだ」

「NME」Trainspotting特集 (1)

 物語も手堅くまとめていた。サウンドトラックも巧みに挿入されていた。だがコイツはどうだ、世界一ビジュアル・デザインの水準が高いイギリスの新聞紙面みたいなもの。よくよく考えてみると、中身があるかよ――そういう疑問が浮かんだ。
 「ジンセイを選べ。仕事を選べ。キャリアを選べ。家族を選べ……」
 聞こえはいいけど、ジャンキーが更正しようとする話なんてちっとも面白くない。
 遠い昔のことになる。1980年代の半ば頃に、俺は、彼らの状況に近いところにあった。我が家には、時々、人が集まった。ビニールに包まれた枯草。数多くの錠剤。カプセル。数多くの揮発性の液体の詰まった缶を見た。まだ、赤ん坊はいなかったが、時々、男に混じって女がやってきた――換気されないまま時間が分からなくなる数日間が訪れる。煙や錠剤や刺激臭の中で、時々、女のすすり泣きが聞こえる。
 (この感じ、何だろう)
 このダルい無駄な時間は――カタギ一辺倒で歩んできた人には分かるまいさ。
 当時は、まだまだドラッグの世界を描いた作品は少なかった。William Barrows作品でもこんなシーンは出てこない。強いてあげると村上龍の「限りなく透明に近いブルー」か、などと頭の隅のどこかで考えていた。
 俺はあすこから這い出して来たのだ。

     James Cameron with his Slogan 2

 イギリス社会は日本以上に世界が狭い。先日も記したけれど、もし、イギリスの労働者階級に生まれたらイギリスを出るだろう。国民投票の前、James CameronはBrexitを予見して、使っていたスローガンがあのRoxy Musicの「Let’s Stick Together」である。真剣勝負でこれ。為政者側が有権者をガキ扱いしているように見えなくはない。
 映画に戻ると、こんなジャンキーの映画を見て、お互いに歳を取ったなんて話をして、何が面白いのかね。ヤク中を肯定する映画が決定付けた世代なんて、言われること自体、恥ずかしくないのか知らん。Irvine Welshの描く世界は、結果的に、労働者階級側が、階級社会を支持して現状維持を認めているようにしか俺には感じられない。

Arthur Rimbaud

 話がフランスまで飛ぶが、Arthur Rimbaud(1854−91年)がそれまでの無軌道な文学の暮らしを棄て、北アフリカに流れて商人になっていく心理はこの文脈なら理解できる。
 カタギだけの世界もカッタルイけれど、ジャンキーの仲間内で傷を舐め合って、それで「俺はジンセイを選んだ」と偉そうに言うくらいなら、どこかへ飛び出した方がずっとましだ。
 アンタがマジならリアルな現実に向き合わなければならない。誰のせいにもできないが、リアルな現実ってのは、意外に面白いもんだぜ。越し方を振り返って、そう、俺は思う。


追記
明日から○○じゃけえね。爆弾は勘弁してね。

追記の追記
グジグジと言い掛かりをつけてくるのは名前を変えたりしていやがるけど○○在住の同じ野郎みたいだな。新○○か下○○辺りかね。イヤならこんなツマランものは読まなけりゃいいじゃないか。それでもしつこく来るのはどういう心理なのか俺は理解不能だがや。毎日毎日こんなに遠く地球の裏側まで。
陸海軍でも色々な人がいるわけだからね。全部が悪者で全部が正義の味方ではないから。そこを自分自身のオツムで考えないと同じ失敗をするからね。自分で考えずに失敗するのだけは俺は何よりもイヤなわけだ。
ナンボご高説を俺に賜って頂いてもアンタと考え方が違うんだから俺改宗しないよ。アンタ、信仰でもあるのかな。それ、もしかして折伏の積もりかな。なら、なおさら、俺は踏まないよ。堂々と名を名乗って自分のメールからでも連絡してきたら見直してやるけど、そんな薮の中から恐々竹槍を突き出してきたって俺は困っちゃうだけよ。それ、心得違いってヤツよ。見当違いよ。アンタが自分で好きなことを開陳すればいいじゃないか。自分自身の言葉で。
何時も外野席から野次を飛ばしてるタイプかえ。マウンドに上がる勇気がないんけ。おおそうか、座布団投げかえ。
もう、ヤメて頂戴。小谷野センセイも止めたくらいなんだから、頼むよ。
| 4映像 | 07:16 | comments(0) | trackbacks(0)
イギリス社会の欺瞞――そして見え隠れする俺の過去(上)。
2月6日
イギリス社会の欺瞞――そして見え隠れする俺の過去(上)。
「T2:Trainspotting」[TriStar Pictures(United States), 2017]
 1996年公開の「Trainspotting」の続編が日本で劇場公開されるのは4月だそうだから あまり中身は触らないことにしたい。そういう前提で、以下に本作で感じたことを。 
 普段、イギリスで暮らしているとアメリカよりメディアが優れているのは歴史的な視点、そしてビジュアル・デザインだと感心させられることが多い。

Ewan McGregor Interview on Weekend of the Guardian 140117

 18世紀の新聞政治諷刺画から発展して、フランスは相変わらずの段階でイスラム世界と問題を起こしている。だがイギリスの風刺画家は適当な距離を持って時の政府を嘲笑し、ここまで描くかというくらい権力をコキおろす。Theresa Mayの描き方は気の毒なほど。
 そして高級紙からタブロイド紙までどんな新聞であれ、歴史的な写真をふんだんに使う。
 ヘッドライナーのレイアウトも、写真の質も酷いもんだなと当初は感じさせられたが、これは、どちらかというとわざとらしく、締め切りギリギリに輪転機に突っ込んだ、というように見せているところがある。ニュースの迫真性を訴えるために写真を優先してデザインを組んでいたと分かってきた。
 むしろニュース性の低い、波風のおだやかな記事ばかりの日の紙面を眺めてみるといい。特に後ろの方の記事で巧みなレイアウトと20世紀初頭くらいまでなら歴史的な写真が組写真ではめこまれ、見出しのコピーは古い映画やヒット曲のフレーズを引用している。

Nigel Farage (Ukip)3

 昨年のBrexitの後の話題で言えば、UKIPの党首だったNigel Farage(1963年-)。彼の動静を伝える記事では、大抵、XTCのヒット曲、「Making Plans for Nigel」と同じ名の見出しが付く。それがビジュアルを重視した美しい版で記事が組まれているわけだ。
 政治家なら人名で検索すれば、あっという間に数千万点くらいのデータから、数十点の写真を探し出し、多分、そこに詳細なキャプションも付いている、そういうシステムを大手の新聞社は持っているのだろう。

「がんばれナイジェル」シングル・ジャケット。

 そして中綴じの冊子などの挿絵もデザインもコピーも素晴らしい。とにかくデザインは凝りに凝っている。そういうお国柄だから壁紙だのティーカップだのを見てニッポンの女の方は「カワイー」と叫んでコロリとヤラれてしまうわけ。チョロイもんよ。
 そんな暗喩とビジュアルにうるさい社会で、大ヒットして、社会的な現象にまでなった映画は、世代論が盛んにくり返される――Pubの会話の格好のツマミになっているのも興味深い。

「T2 Trainspotting」5

 (1)「トレインスポッティング(Trainspotting)」、(2)「ブリジッド・ジョーンズの日記(Bridget Jones's Diary)」、(3)「ハリーポッター(Harry Potter)」で見てみたい。
 3作共にイギリス人が原作を書いて、映画は大ヒットして社会現象となった。だからかどうか、映画公開時に映画適齢期だった人たちの世代論は、続編の度にくり返される。

Nigel Farage (Ukip)2

 (3)でさえ、昨夏、「the Guardian」に風刺漫画が掲載されていた。主な演者を登場させ、そのどの出演者も中年になっている。老人の暮らす未来社会を描き、「ハリーポッター世代も老いる」という趣旨のコメントが付いていた。
 そこまでやるかと想ったけれど、(3)の公開は97年だったので、当時、10歳だったら、今は30代とば口ということになる。魔法とファンタジーの世界に夢中になり、夢多い思春期を送った世代は、中年の現実にどう向き合うかという趣旨だった。
 作家は、作品を挙げた順に(1)Irvine Welsh(1958年-)、(2)Helen Fielding(1958年-)、(3)Joanne Rowling(1965年-)という男性1人と女性2人。男性はPunk RockerからのDropout組で、後者2人は中産階級・高学歴保有者と、描かれている内容も対照的だ。
 原作の出版年と映画化された時期を見ると(1)93年(映画化は96年)、(2)96年(同01年)、(3)97年(同01年)ということになる。
 そして(1)と(2)は同年生まれ。(1)はPunk Rocker崩れで、(2)はOxford UniversityのSt Anne's Collegeを卒業後BBCでキャリアを積んだ。同年で対照的な育ちの2人は、男と女の違いでもある。国民的映画の原作者として、(1)と(2)を比較してみるのは、俄然、興味深いことだろう。

      「NME」Trainspotting特集 (4)

 「Valentine's Day purely commercial, cynical enterprise, anyway. Matter of supreme indifference to me」
 「ヴァレンタイン・デイなんて商売が仕組んだ企画よ。私に何の関係もあるもんですか」
 「which is exactly what I shall begin to do once I've eaten this chocolate croissant」
 「ダイエットはこのチョコレート・クロワッサンを食べ終わったら始めるのよ」
 娘のBridgetがこう考えるようになったのも無理はない。
 「To be honest, darling, having children isn't all it's cracked up to be. Given my chance again, I'm not sure I'd have any」
 「正直言って、子供が全てではないわ。もう一度選べるなら私は産まないわね」

「T2 Trainspotting」2

 母親が母親なので、娘は料理中でも、冷蔵庫を探し回って叫ぶ。
 「Where the f*ck is the f*cking tuna?」
 「(クソったれ)ツナはどこなのよ、(クソ)ツナちゃんは!」
 こんなセリフをイギリス人はPubで笑い合い、一つの決まり文句になって新聞や雑誌の見出しに使われ、拡大再生産され、何時の間にか彼らの肌身から沁み込んでいくのだ。
 おっと、この先は明日、続けよう


追記
どうも映画は当たらない感じだなあ。BBCで放映しているテレビ映画だとかドキュメンタリーとかの方が面白いなあ。
明後日からまたおパリじゃけえちょいと諸方面とのスケジューリングに苦慮中。テロ直後だけどねえ。困ったねえ。
| 4映像 | 08:08 | comments(0) | trackbacks(0)
リリーに「軍師」を。
1月23日
リリーに「軍師」を。
 機内では2014年の「超高速!参勤交代」の続編の「同リターンズ」を楽しみにしていた。しかし一作目に比べると、前作を観た客を前提にした脚本でパワー・ダウンしてしまった。3年前の一作目を観ていない身内からは酷評されていたのも分かるところがあった。
 宿敵の松平信祝役の陣内孝則、夜叉丸役の忍成修吾に加えて、大岡越前役の古田信太が中々楽しかった前作。主人公たちいわきの湯長谷藩の藩主・佐々木蔵之介らを巡る脇役がハマった時点である程度の成功が約束されていた。
 今作では脇役の描写を飛ばしてしまっていたが、前作に引き続き敵役衆が良かったのは救いだった。諸坂三太夫訳の渡辺裕行、尾張柳生流の柳生幻道役の宍戸開ら、悪役陣らが魅力的だった。
 自分自身の過去を振り返ってもそうだな。記憶に残る仕事は各々の仕事での敵役で記憶されていることが多い。相手が強くて、資金があり、汚い手も使うような連中がいると、勝敗は簡単に決着せず、相打ちになるということもある。
 喜劇映画で豪華キャストというと、敵役がミソ。ここがツボにはまると映画の妙だが、ジンセイの妙でもあるわけさ。敵に一種の爽快感が無ければ、映画がコケてしまい、全てスカになってしまうこともある。映画が詰まらなくなることと同じ伝だぜ。関わっているヤマが小さく見えてしまう、そういうこと。
 ともあれ、今、日本映画を時々観ると、時の経過を感じる。

竹村健一とアシスタントの小池百合子(当時)

 陣内孝則はあの手の「色悪」系の役柄が合うようになった。還暦も近くなって、ピッタリはまるようになった。血縁でありながらこれを押さえる役所の石橋蓮司は、重厚な徳川の本家老中役・松平輝定役がはまっている。 
 陣内の似合うようになった「色悪」系にも時の経過を感じるわけだが、昔を知る世代なら石橋蓮司にしみじみとそれを感じるだろう。通り魔とか強姦魔とか、サイコ・キラー系の嚆矢になった役者で、そんな男が重厚な役柄を演じるとは。
 40年前なら、石橋蓮司は稀代の悪役として、例えばこのシリーズならば、夜叉丸だとか隠れ柳生一族の手だれの刺客がピッタリだった。一同を襲うだけではなく、飯盛り女役のお咲役の深田恭子を手込めにするなんてのは、この人が最も得意とする役所だった。
 本作は、前作に引き続いて福島県いわき市の全面協力のようだ。それはいいのだけれど、震災からの復興を前提とした「絆」が見え隠れするのはウンザリだ。
 何時まで震災の対策に政府が介入し、地に足の着かないイベントを続けるんだろう。 映画で言えば、佐々木蔵之介ら弱小藩の当局者たちは、自助自立で、誰にも頼らずに自分たちの苦難を乗り越えようとする――そこにこの物語の面白さの肝があるというのに。
 現実は、政府があまりにも介入し、縛り付けている。別の言い方をすれば、風評被害を出し、避難解除を遅らせ、自立の妨げになっている。復興支援の税金は広告に使われるか、東電から作業員を経由して歓楽街にジャブジャブ落ちているだけ。
 映画で言うところの田畑は荒れたまま一向に変わらない。
 そういうことを感じながら、初めてのパスポートで入国審査を通過した。日本政府から入国スタンプを押されたが、このパスポートには出国スタンプはまだ押されていない。
 「ややや?」
 税関を抜けてロビーに入ろうとすると、ロビーまでのアプローチ壁面にオリンピックの「TOKYO 2020」の巨大なロゴ。また日本の広告会社に大金が落ちているわけだ。

小池百合子(現在)

 優先事項はWiFi環境の改善とか宿泊キャパの拡大とか、時間の掛かるところにあると俺は想うが、海外からやって来る客側、受益者の目線での議論になっていない。もし打つなら、今の段階の広告は、羽田空港じゃなくて海外のテレビや雑誌、新聞紙上だろうに。
 こういう広告戦略は日本の広告代理店のお得意とするところだが、スコープが日本からだけで日本の国土から一歩も出ていない。日本の代理店は日本にあるメディアには大きな購買力を持っているが、海外のメディアとなると途端に急ブレーキがかかる。お手盛りで、身勝手で、田舎臭い。
 築地から移転する予定の豊洲の土壌から高濃度のベンゼンが出たと騒いでいる東京都政。火中の栗を拾った新知事はエライが、東京のブランド戦略はなっていない。新知事にいいチームが欲しい。佐々木蔵之介は弱小藩主役ではあるが、西村雅彦の家老・相馬兼嗣役のような「軍師」がいる――2千年前のローマの昔から、「政」とは皆の合議でやるべきものよ。



追記
そうそう、書き落としていたけれど、羽田空港で青木勲を見た。お母ちゃんの荷物らしいガラガラを引っ張って買い物につきあつているの。エライねぇ。
昔の精悍な感じは薄れたけれど、あんなに混み合っても、ちゃーんと見分けが付く。中々なもんだったな。世間から孤絶して孤独に闘った人の飄々とした感じがジワジワっと感じられたわねえ。
スポーツと言うと思い出すことがある。
「これからは選手を独りで武者修行にいかせましょう」
ロンドン・オリンピックで大敗戦を喫した後、帰国便を待つ選手たちの応援団のOBたちに山下康裕が言った言葉だ。
過保護と過干渉。それがニッポンのスポーツのヤワなところ。思い切って独りで行かせれば伸びる子は伸びるわけ。それを実行したのが野茂やイチローを育てた仰木だった。
ところが、その1年後には、監督の○○は、どこのヤクザかという調子でデュッセルドルフの日航ホテルでは感じ悪く威張り散らし、選手は使い走りのように右往左往していた。確かその頃だよ、柔道連盟でセクハラとかパワハラで、事情聴取を受けた老人たちが出たことがあった。柔道ニッポンの復活は遠いなと想わせられた。 
日本人横綱は、これからさらに孤独の世界に入っていくわけだ。その辺り、しっかり精進して頂きたいぜ。孤独こそ大切にして、一人で孤独に自分の身体と向き合うこと。
| 4映像 | 09:29 | comments(0) | trackbacks(0)
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