岡田純良帝國小倉日記

P仙の期待の星・Damien Chazelle。
3月4日
P仙の期待の星・Damien Chazelle。
 例の「セッション」(原題:Whiplash)を2014年に撮ったDamien Chazelle(1985年-)は、昨年は「La La Land」を撮って、そうでなくともSocial Dance Boomだったイギリスで大騒ぎになっている。しかし驚くなかれ。
 映画監督の以前に、ミュージシャン志望だったこの人は挫折した元バンドマンなのよ。そう考えれば、彼にとって、音楽の世界が如何に重要か分かるし、映画を通じて音楽を語っていることが分かるだろう。
 例えばどんな環境にあったか。Rollins BandのDrummerで知られるSim Cain(1963年-)の後輩だと知ったら何となく想像つくか。Sim Cainは日本で言うと俺と学年が同じ。 Rollins Bandのメンバーとその活動については自分がアメリカに暮らしていたら、多分、そういう方向に進んだかも知れないと想わせるものがある。

Shadows (1959) (1).jpg

 Henry Rollins(1963年-)はIggy Popの自伝を出版していた。メンバー全員が一癖あって骨っぽい。Sim Cainは、Princeton High Schoolで鍛えられた。Damien Chazelleも、同じ高校で超有名な高校の付属バンド、Studio BandのDrummerを目指していたわけ。但し、彼の場合はJazz Drummerだ。
 だから「セッション」は偉大なミュージシャンになるため殆ど全てを犠牲にする主人公を描く狂気の沙汰の世界だが、決して絵空事に終わっていないリアリティーがあるのは、監督本人がその世界にかつて身を置いたことがあるからだ。
 「Blues Brothers 2000」に出演していたBlues Traveler。ここでVocalとHarmonicaを披露していたJohn Popper(1967年-)も高校の先輩でStudio BandのTrumpeter。Damien Chazelleの先輩にRollins BandとかBlues Travelerのメンバーがいる。

Shadows (1959) (3).jpg

 日本語的に言えば、彼は「セッション」でJazz Musicに恩返しをして、自分自身には、Musician志望者として挫折した過去を清算した。学生時代にJazzのMusical映画、「Guy and Madeline on a Park Bench」を撮ったが、受けが悪く凹んだことがあるらしい。若い頃のCassavetesのようだという評判があったのに。そして性懲りも無く同じMusicalを作って過去にケリをつける。そういう姿勢は表現者として信頼できる。
 Princeton Highは“Jazz Fess”で知られ、例えば、ジャズのビッグ・バンドをBerklee College of Music(バークリー音楽院)からゲストとして招いたりする。まぁ、感覚的にも解る通りだが、Princeton HighはStudio Bandだけでなく、全米指折りの公立高校だ。
 巨大な私立大学のある街にあるから、大学の教員や研究者の子弟が多い。Damien Chazelleも父親は数学者。息子は高校ではDrummerとしては挫折したが、Harvardに進んでシナリオや映画製作を専攻した。Eliteだが元バンドマンだから目線が違う。
 「The Umbrellas of Cherbourg」のようだと評された「La La Land」。大学で観まくった古典、Fred AstaireとGinger RogersとかKatharine HepburnとSpencer Tracyとか、他にも古典的な男女の息の合ったコンビネーションのイメージを膨らませたもの。粋だ。

       Shadows (1959) (2).jpg

 「LAを舞台にしているけれど、僕自身はあの街にはイヤな思い出がある。BandのDrummerだったけどクビになったんだよ。だけど、引き換えにアイディアが浮かんだ」
 Studio Bandで分かる通りビッグ・バンドの古典音楽を心底愛しているのだろう。だが、喰えないバンドマンになるより、映画監督になって音楽愛を深く表現できて良かった。「セッション」のストーリーと同じように、妻との苦い別れを経験しても。
 「『クソったれ、何日か最高の脚本を書いてやる!』って感じかな」
 前妻のJasmine McGladeは分かれてもパートナー。「La La Land」のProducerである。
 「何時もMusicalのことでアタマの中は一杯なんだ」
 だが次の映画はMusicalではないそうだ。Howard Hawksを愛しているというのだが、さて、どんな手で来るのだろう。楽しみな監督が現れた。


追記
憧れだった南仏某港。旧港からさらに外れた某所で喰って参りました、ブイヤベース。ルイユソースが美味くて、つい度を越して向こう見ずな食いっぷりに。今、グロッキー寸前也。
鈴木清順とムッシュかまやつの訃報。清順さん、生きとったんか。イーゲの走りみたいな人だったから、自分のことは自分でやってたんだろうけどな。Damien Chazelleにも影響を与えていたそうな。
カマヤツさんは会いたかったけどね。会えず終いになった。イギリスの音楽をどう見ていたのか聞きたかったんだけど結局タイミング合わなかったなぁ。エンタクシーの美能幸三のインタビューも北京駐在で阻まれたからこれと同じか。色々やりたかったことがあったけど、段々、できなくなってくるもんだ。
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イギリス社会の欺瞞――そして見え隠れする俺の過去(下)。
2月7日
イギリス社会の欺瞞――そして見え隠れする俺の過去(下)。
 「T2:Trainspotting」[TriStar Pictures(United States), 2017]
 96年に公開されたTrainspottingは、その適齢世代は最も若かったのが15歳とすると皆さん大半が30代半ばから40代か。Middle Age Crisisの乗り越え方とか、処世術に絡んだ見立てが映画特集では多かった。「NME」の場合はこうだ。
 「The Book, film and soundtrack that defined a generation and the sequel that seeks to do the same」(ある世代を決定付けた本、映画、サウンドトラックとその続編)

「Trainspotting」

 1996年2月公開の映画は、冒頭、ナレーションが続く。
 「Choose a life. Choose a job. Choose a career. Choose a family. Choose a fucking big television. Choose washing machines, cars, compact disc players and electrical tin openers... Choose sitting on that couch watching mind-numbing, spirit crushing game shows, stucking junk food into your mouth. Choose rotting away in the end of it all, pishing your last in a miserable home, nothing more than an embarrassment to the selfish, fucked up brats you spawned to replace yourself, choose your future. Choose life... But why would I want to do a thing like that?」

「T2 Trainspotting」5

 「ジンセイを選べ、仕事を選べ、キャリアを選べ、家族を選べ、クソでかいTVを選べ、洗濯機、車、CDプレイヤー、電気缶切り機を選べ……退屈なクイズ番組をジャンクフードを口に詰め込みながらソファーに座って観ることを選べ。ガキにバカにされながら悲惨な家の中で死んでいくことを選べ。未来を選べ、ジンセイを選び取りな」
 「だけど俺はそんなものをどうして選ぶものか」
 Ewan McGregorは独白する。映画が世代を決定付けた根本は映画冒頭のこのMonologueだとイギリス人は言う。この後に続くのは悲惨な選択なのに。
 「I chose not to choose life: I chose something else. And the reasons? There are no reasons. Who need reasons when you've got heroin?」
 「俺はジンセイを選ばない。代わりに他のものを選んだ。理由?、理由なんかあるか。ヘロインがあれば理由なんか要らない」

「T2 Trainspotting」1

 これが彼らの世代というなら、俺はそういう世代と付き合うのはゴメンだな。Bridget Jonesと同じ。映画の中のMonologueをPubでくり返して笑いながら歳を取っていく。たまらんな――イギリス社会の欺瞞を知ってしまったからそう想うのだろうけれど――
 「Choose life, Choose Facebook, Twitter, Instagram and hope that someone, somewhere cares. Choose looking up old flames, wishing you'd done it all differently. And choose watching history repeat itself. Choose your future. Choose reality TV, slut shaming, revenge porn. Choose a zero hour contract, a two hour journey to work. And choose the same for your kids, only worse, and smother the pain with an unknown dose of an unknown drug made in somebody's kitchen. And then... take a deep breath. You're an addict, so be addicted. Just be addicted to something else. Choose the ones you love. Choose your future. Choose life」
 「ジンセイを選べ。フェイスブックを選べ。インスタグラムを選べ。そして誰かがどこかでお前を気にかけていることを祈れ。全て違ったものにしたいと願いながら古い写真を見ることを選べ。歴史が再びくり返すのを見ることを選べ。自分の未来を選べ。リアリティーTVを選べ。リベンジ・ポルノでふしだらな女の恥を選べ。勤務地まで2時間の旅のできる勤務時間ゼロの仕事を選べ。そして自分の子供たちに価値あることだけを選んでやれ。誰か他人のキッチンで知らないドラッグを服用して痛みを和らげることを選んでやれ。そして深呼吸をしろ。お前はヤク中。とてもひどい他人中毒。誰かお前の愛する人を選べ。未来を選べ。ジンセイを選び取るんだ」

「NME」Trainspotting特集 (1)

 物語も手堅くまとめていた。サウンドトラックも巧みに挿入されていた。だがコイツはどうだ、世界一ビジュアル・デザインの水準が高いイギリスの新聞紙面みたいなもの。よくよく考えてみると、中身があるかよ――そういう疑問が浮かんだ。
 「ジンセイを選べ。仕事を選べ。キャリアを選べ。家族を選べ……」
 聞こえはいいけど、ジャンキーが更正しようとする話なんてちっとも面白くない。
 遠い昔のことになる。1980年代の半ば頃に、俺は、彼らの状況に近いところにあった。我が家には、時々、人が集まった。ビニールに包まれた枯草。数多くの錠剤。カプセル。数多くの揮発性の液体の詰まった缶を見た。まだ、赤ん坊はいなかったが、時々、男に混じって女がやってきた――換気されないまま時間が分からなくなる数日間が訪れる。煙や錠剤や刺激臭の中で、時々、女のすすり泣きが聞こえる。
 (この感じ、何だろう)
 このダルい無駄な時間は――カタギ一辺倒で歩んできた人には分かるまいさ。
 当時は、まだまだドラッグの世界を描いた作品は少なかった。William Barrows作品でもこんなシーンは出てこない。強いてあげると村上龍の「限りなく透明に近いブルー」か、などと頭の隅のどこかで考えていた。
 俺はあすこから這い出して来たのだ。

     James Cameron with his Slogan 2

 イギリス社会は日本以上に世界が狭い。先日も記したけれど、もし、イギリスの労働者階級に生まれたらイギリスを出るだろう。国民投票の前、James CameronはBrexitを予見して、使っていたスローガンがあのRoxy Musicの「Let’s Stick Together」である。真剣勝負でこれ。為政者側が有権者をガキ扱いしているように見えなくはない。
 映画に戻ると、こんなジャンキーの映画を見て、お互いに歳を取ったなんて話をして、何が面白いのかね。ヤク中を肯定する映画が決定付けた世代なんて、言われること自体、恥ずかしくないのか知らん。Irvine Welshの描く世界は、結果的に、労働者階級側が、階級社会を支持して現状維持を認めているようにしか俺には感じられない。

Arthur Rimbaud

 話がフランスまで飛ぶが、Arthur Rimbaud(1854−91年)がそれまでの無軌道な文学の暮らしを棄て、北アフリカに流れて商人になっていく心理はこの文脈なら理解できる。
 カタギだけの世界もカッタルイけれど、ジャンキーの仲間内で傷を舐め合って、それで「俺はジンセイを選んだ」と偉そうに言うくらいなら、どこかへ飛び出した方がずっとましだ。
 アンタがマジならリアルな現実に向き合わなければならない。誰のせいにもできないが、リアルな現実ってのは、意外に面白いもんだぜ。越し方を振り返って、そう、俺は思う。


追記
明日から○○じゃけえね。爆弾は勘弁してね。

追記の追記
グジグジと言い掛かりをつけてくるのは名前を変えたりしていやがるけど○○在住の同じ野郎みたいだな。新○○か下○○辺りかね。イヤならこんなツマランものは読まなけりゃいいじゃないか。それでもしつこく来るのはどういう心理なのか俺は理解不能だがや。毎日毎日こんなに遠く地球の裏側まで。
陸海軍でも色々な人がいるわけだからね。全部が悪者で全部が正義の味方ではないから。そこを自分自身のオツムで考えないと同じ失敗をするからね。自分で考えずに失敗するのだけは俺は何よりもイヤなわけだ。
ナンボご高説を俺に賜って頂いてもアンタと考え方が違うんだから俺改宗しないよ。アンタ、信仰でもあるのかな。それ、もしかして折伏の積もりかな。なら、なおさら、俺は踏まないよ。堂々と名を名乗って自分のメールからでも連絡してきたら見直してやるけど、そんな薮の中から恐々竹槍を突き出してきたって俺は困っちゃうだけよ。それ、心得違いってヤツよ。見当違いよ。アンタが自分で好きなことを開陳すればいいじゃないか。自分自身の言葉で。
何時も外野席から野次を飛ばしてるタイプかえ。マウンドに上がる勇気がないんけ。おおそうか、座布団投げかえ。
もう、ヤメて頂戴。小谷野センセイも止めたくらいなんだから、頼むよ。
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イギリス社会の欺瞞――そして見え隠れする俺の過去(上)。
2月6日
イギリス社会の欺瞞――そして見え隠れする俺の過去(上)。
「T2:Trainspotting」[TriStar Pictures(United States), 2017]
 1996年公開の「Trainspotting」の続編が日本で劇場公開されるのは4月だそうだから あまり中身は触らないことにしたい。そういう前提で、以下に本作で感じたことを。 
 普段、イギリスで暮らしているとアメリカよりメディアが優れているのは歴史的な視点、そしてビジュアル・デザインだと感心させられることが多い。

Ewan McGregor Interview on Weekend of the Guardian 140117

 18世紀の新聞政治諷刺画から発展して、フランスは相変わらずの段階でイスラム世界と問題を起こしている。だがイギリスの風刺画家は適当な距離を持って時の政府を嘲笑し、ここまで描くかというくらい権力をコキおろす。Theresa Mayの描き方は気の毒なほど。
 そして高級紙からタブロイド紙までどんな新聞であれ、歴史的な写真をふんだんに使う。
 ヘッドライナーのレイアウトも、写真の質も酷いもんだなと当初は感じさせられたが、これは、どちらかというとわざとらしく、締め切りギリギリに輪転機に突っ込んだ、というように見せているところがある。ニュースの迫真性を訴えるために写真を優先してデザインを組んでいたと分かってきた。
 むしろニュース性の低い、波風のおだやかな記事ばかりの日の紙面を眺めてみるといい。特に後ろの方の記事で巧みなレイアウトと20世紀初頭くらいまでなら歴史的な写真が組写真ではめこまれ、見出しのコピーは古い映画やヒット曲のフレーズを引用している。

Nigel Farage (Ukip)3

 昨年のBrexitの後の話題で言えば、UKIPの党首だったNigel Farage(1963年-)。彼の動静を伝える記事では、大抵、XTCのヒット曲、「Making Plans for Nigel」と同じ名の見出しが付く。それがビジュアルを重視した美しい版で記事が組まれているわけだ。
 政治家なら人名で検索すれば、あっという間に数千万点くらいのデータから、数十点の写真を探し出し、多分、そこに詳細なキャプションも付いている、そういうシステムを大手の新聞社は持っているのだろう。

「がんばれナイジェル」シングル・ジャケット。

 そして中綴じの冊子などの挿絵もデザインもコピーも素晴らしい。とにかくデザインは凝りに凝っている。そういうお国柄だから壁紙だのティーカップだのを見てニッポンの女の方は「カワイー」と叫んでコロリとヤラれてしまうわけ。チョロイもんよ。
 そんな暗喩とビジュアルにうるさい社会で、大ヒットして、社会的な現象にまでなった映画は、世代論が盛んにくり返される――Pubの会話の格好のツマミになっているのも興味深い。

「T2 Trainspotting」5

 (1)「トレインスポッティング(Trainspotting)」、(2)「ブリジッド・ジョーンズの日記(Bridget Jones's Diary)」、(3)「ハリーポッター(Harry Potter)」で見てみたい。
 3作共にイギリス人が原作を書いて、映画は大ヒットして社会現象となった。だからかどうか、映画公開時に映画適齢期だった人たちの世代論は、続編の度にくり返される。

Nigel Farage (Ukip)2

 (3)でさえ、昨夏、「the Guardian」に風刺漫画が掲載されていた。主な演者を登場させ、そのどの出演者も中年になっている。老人の暮らす未来社会を描き、「ハリーポッター世代も老いる」という趣旨のコメントが付いていた。
 そこまでやるかと想ったけれど、(3)の公開は97年だったので、当時、10歳だったら、今は30代とば口ということになる。魔法とファンタジーの世界に夢中になり、夢多い思春期を送った世代は、中年の現実にどう向き合うかという趣旨だった。
 作家は、作品を挙げた順に(1)Irvine Welsh(1958年-)、(2)Helen Fielding(1958年-)、(3)Joanne Rowling(1965年-)という男性1人と女性2人。男性はPunk RockerからのDropout組で、後者2人は中産階級・高学歴保有者と、描かれている内容も対照的だ。
 原作の出版年と映画化された時期を見ると(1)93年(映画化は96年)、(2)96年(同01年)、(3)97年(同01年)ということになる。
 そして(1)と(2)は同年生まれ。(1)はPunk Rocker崩れで、(2)はOxford UniversityのSt Anne's Collegeを卒業後BBCでキャリアを積んだ。同年で対照的な育ちの2人は、男と女の違いでもある。国民的映画の原作者として、(1)と(2)を比較してみるのは、俄然、興味深いことだろう。

      「NME」Trainspotting特集 (4)

 「Valentine's Day purely commercial, cynical enterprise, anyway. Matter of supreme indifference to me」
 「ヴァレンタイン・デイなんて商売が仕組んだ企画よ。私に何の関係もあるもんですか」
 「which is exactly what I shall begin to do once I've eaten this chocolate croissant」
 「ダイエットはこのチョコレート・クロワッサンを食べ終わったら始めるのよ」
 娘のBridgetがこう考えるようになったのも無理はない。
 「To be honest, darling, having children isn't all it's cracked up to be. Given my chance again, I'm not sure I'd have any」
 「正直言って、子供が全てではないわ。もう一度選べるなら私は産まないわね」

「T2 Trainspotting」2

 母親が母親なので、娘は料理中でも、冷蔵庫を探し回って叫ぶ。
 「Where the f*ck is the f*cking tuna?」
 「(クソったれ)ツナはどこなのよ、(クソ)ツナちゃんは!」
 こんなセリフをイギリス人はPubで笑い合い、一つの決まり文句になって新聞や雑誌の見出しに使われ、拡大再生産され、何時の間にか彼らの肌身から沁み込んでいくのだ。
 おっと、この先は明日、続けよう


追記
どうも映画は当たらない感じだなあ。BBCで放映しているテレビ映画だとかドキュメンタリーとかの方が面白いなあ。
明後日からまたおパリじゃけえちょいと諸方面とのスケジューリングに苦慮中。テロ直後だけどねえ。困ったねえ。
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リリーに「軍師」を。
1月23日
リリーに「軍師」を。
 機内では2014年の「超高速!参勤交代」の続編の「同リターンズ」を楽しみにしていた。しかし一作目に比べると、前作を観た客を前提にした脚本でパワー・ダウンしてしまった。3年前の一作目を観ていない身内からは酷評されていたのも分かるところがあった。
 宿敵の松平信祝役の陣内孝則、夜叉丸役の忍成修吾に加えて、大岡越前役の古田信太が中々楽しかった前作。主人公たちいわきの湯長谷藩の藩主・佐々木蔵之介らを巡る脇役がハマった時点である程度の成功が約束されていた。
 今作では脇役の描写を飛ばしてしまっていたが、前作に引き続き敵役衆が良かったのは救いだった。諸坂三太夫訳の渡辺裕行、尾張柳生流の柳生幻道役の宍戸開ら、悪役陣らが魅力的だった。
 自分自身の過去を振り返ってもそうだな。記憶に残る仕事は各々の仕事での敵役で記憶されていることが多い。相手が強くて、資金があり、汚い手も使うような連中がいると、勝敗は簡単に決着せず、相打ちになるということもある。
 喜劇映画で豪華キャストというと、敵役がミソ。ここがツボにはまると映画の妙だが、ジンセイの妙でもあるわけさ。敵に一種の爽快感が無ければ、映画がコケてしまい、全てスカになってしまうこともある。映画が詰まらなくなることと同じ伝だぜ。関わっているヤマが小さく見えてしまう、そういうこと。
 ともあれ、今、日本映画を時々観ると、時の経過を感じる。

竹村健一とアシスタントの小池百合子(当時)

 陣内孝則はあの手の「色悪」系の役柄が合うようになった。還暦も近くなって、ピッタリはまるようになった。血縁でありながらこれを押さえる役所の石橋蓮司は、重厚な徳川の本家老中役・松平輝定役がはまっている。 
 陣内の似合うようになった「色悪」系にも時の経過を感じるわけだが、昔を知る世代なら石橋蓮司にしみじみとそれを感じるだろう。通り魔とか強姦魔とか、サイコ・キラー系の嚆矢になった役者で、そんな男が重厚な役柄を演じるとは。
 40年前なら、石橋蓮司は稀代の悪役として、例えばこのシリーズならば、夜叉丸だとか隠れ柳生一族の手だれの刺客がピッタリだった。一同を襲うだけではなく、飯盛り女役のお咲役の深田恭子を手込めにするなんてのは、この人が最も得意とする役所だった。
 本作は、前作に引き続いて福島県いわき市の全面協力のようだ。それはいいのだけれど、震災からの復興を前提とした「絆」が見え隠れするのはウンザリだ。
 何時まで震災の対策に政府が介入し、地に足の着かないイベントを続けるんだろう。 映画で言えば、佐々木蔵之介ら弱小藩の当局者たちは、自助自立で、誰にも頼らずに自分たちの苦難を乗り越えようとする――そこにこの物語の面白さの肝があるというのに。
 現実は、政府があまりにも介入し、縛り付けている。別の言い方をすれば、風評被害を出し、避難解除を遅らせ、自立の妨げになっている。復興支援の税金は広告に使われるか、東電から作業員を経由して歓楽街にジャブジャブ落ちているだけ。
 映画で言うところの田畑は荒れたまま一向に変わらない。
 そういうことを感じながら、初めてのパスポートで入国審査を通過した。日本政府から入国スタンプを押されたが、このパスポートには出国スタンプはまだ押されていない。
 「ややや?」
 税関を抜けてロビーに入ろうとすると、ロビーまでのアプローチ壁面にオリンピックの「TOKYO 2020」の巨大なロゴ。また日本の広告会社に大金が落ちているわけだ。

小池百合子(現在)

 優先事項はWiFi環境の改善とか宿泊キャパの拡大とか、時間の掛かるところにあると俺は想うが、海外からやって来る客側、受益者の目線での議論になっていない。もし打つなら、今の段階の広告は、羽田空港じゃなくて海外のテレビや雑誌、新聞紙上だろうに。
 こういう広告戦略は日本の広告代理店のお得意とするところだが、スコープが日本からだけで日本の国土から一歩も出ていない。日本の代理店は日本にあるメディアには大きな購買力を持っているが、海外のメディアとなると途端に急ブレーキがかかる。お手盛りで、身勝手で、田舎臭い。
 築地から移転する予定の豊洲の土壌から高濃度のベンゼンが出たと騒いでいる東京都政。火中の栗を拾った新知事はエライが、東京のブランド戦略はなっていない。新知事にいいチームが欲しい。佐々木蔵之介は弱小藩主役ではあるが、西村雅彦の家老・相馬兼嗣役のような「軍師」がいる――2千年前のローマの昔から、「政」とは皆の合議でやるべきものよ。



追記
そうそう、書き落としていたけれど、羽田空港で青木勲を見た。お母ちゃんの荷物らしいガラガラを引っ張って買い物につきあつているの。エライねぇ。
昔の精悍な感じは薄れたけれど、あんなに混み合っても、ちゃーんと見分けが付く。中々なもんだったな。世間から孤絶して孤独に闘った人の飄々とした感じがジワジワっと感じられたわねえ。
スポーツと言うと思い出すことがある。
「これからは選手を独りで武者修行にいかせましょう」
ロンドン・オリンピックで大敗戦を喫した後、帰国便を待つ選手たちの応援団のOBたちに山下康裕が言った言葉だ。
過保護と過干渉。それがニッポンのスポーツのヤワなところ。思い切って独りで行かせれば伸びる子は伸びるわけ。それを実行したのが野茂やイチローを育てた仰木だった。
ところが、その1年後には、監督の○○は、どこのヤクザかという調子でデュッセルドルフの日航ホテルでは感じ悪く威張り散らし、選手は使い走りのように右往左往していた。確かその頃だよ、柔道連盟でセクハラとかパワハラで、事情聴取を受けた老人たちが出たことがあった。柔道ニッポンの復活は遠いなと想わせられた。 
日本人横綱は、これからさらに孤独の世界に入っていくわけだ。その辺り、しっかり精進して頂きたいぜ。孤独こそ大切にして、一人で孤独に自分の身体と向き合うこと。
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Federico Fellini, Giulietta Masina.....
1月2日
Federico Fellini, Giulietta Masina.....
 2人の住処の跡は、かようなプレートが貼られているばかりで、誰も行き交う人はこれに気付きませんでした。この彼らの住まいの斜め前には、「ローマの休日」で新聞記者の住むアパートがあり、ピカソも住んでいた時期がある。
 20世紀がそろそろ遠くなってくる時期に差し掛かっていて、これらの関係者、登場人物たちは、全てクラシックな世界の住人となりつつありますなあ。 

      Federico Fellini  and Giulietta Masinas Residence.jpg
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Gimme Danger――解禁。
11月20日
Gimme Danger――解禁。
 カンヌで特別上映ってのは随分前から出ていたけれど、観ての通り「NME」では☆3つ。Iggy Popのドキュメンタリー映画と言うよりか、Iggy Pop & the Stoogesのドキュメンタリーだからね。「the Guardian」では☆4つ。だが、共にJim Jarmuschの映画ではないと書いてある。カルトなファンの映画だ、とね。
 遠い昔、1981年頃かな、Sex Pistolsの「No Fun」とStoogesの「No Fun」のどちらがカッコいいか、暗黒と口論になったことがあった。俺はどっちも優劣つけ難いと言ったのだけれど、暗黒はStooges派だったな。今だってどっちもいいんじゃない、と想うけどね。
 Damnedの「I Feel Alright」だっていいと想うよ。Joey Ramoneの「1969」だってね。これら英米の3つのバンドには、避けて通れない魅力があった。彼らがカヴァーしたってのは、本当に誇るべきことじゃないのかな。
 そういえば、日本でもいましたけどね。色々と影響を受けた人たちは。  

  Raw Power Review on NME

 この年齢になると想うのだが、Mick Jaggerのステージ・アクションの影響が強過ぎて興醒めするかも知れないな。それも予感しているんだけれど、だから、気乗りがしねえんだよ。ホントのところはなぁ。
 観に行くか、ビミョーなところだ。まぁ、それでも、やっぱり観る「べき」なんだろうけどなぁ。
 James Williamsonは19歳のお嬢さんに歌わせた新曲出したんだな。Sahara Hot Nightみたいで、悪くないけどね。如何にも白人のチャンネーらしい彼女の声なんかも。
 苦労して実家まで探し当てたんだからなあ。川崎の家には、今も、1998年夏にモーテル備え付けの電話番号簿から切り取った彼の実家の電話番号があるはず――もう20年も経つわけだ。

     「Gimme Danger」フライヤー。
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映画随想(2)――近頃日本人に芽生えつつあるもの。
10月17日
映画随想(2)――近頃日本人に芽生えつつあるもの。
 邦画ばかり観たと書いたのだが、観たのは勘定したら4本もあった。以下に引きたい。
「64ロクヨン(前・後)」(東宝)監督:瀬々敬久、脚本:久松真一・瀬々敬久、主演:佐藤
 浩市。
 2016年5月(前編は5月7日)、6月(後編は6月11日)公開作品。書き手の横山秀夫は、群馬県前橋市にある「上毛新聞」に1979年に入社して、91年まで社会部記者として勤務したそうだ。北関東の閉塞的な記者クラブの裏まで知っている人だろうから前から気になっていた。本作は、体調を崩してずっと病臥していた後の復活作で、ベストセラー。それもあって興味があった。実際、記者クラブと群馬県警広報官とのやり取りは面白い。
 現場の人として肌身に広報とメディアの関係を感じた経験があったから相手側の県警といえども広報の奮励を共感を持って描けたのだろう。こういう作品が売れるのはとても いいことなのだよ。
 俺が言いたいのは、戦後日本を苦しめた「進歩的知識人」の嫌いな、警察庁を頂点とした警察組織でさえも、現場は、これでいいと想わない人がいて、日々、闘っていることを 描く人がいて、それを支持する人がいるということだ。
 大組織で働くカタギ稼業は飼い慣らされたバカばかりか――そんなことはないだろうぜ。
 今年、我がイギリスの推理作家協会(The Crime Writers' Association)で、Dagger賞の最終候補に選ばれたのが本作さ。映画は、主題歌は小田和正(風は止んだ)だったしな、気に入らない点はあったけれど、こういう地味な作品が売れて、映画化されたってのは、俺は嬉しいわけよ。暗さが全体に先に立ったのを差し引いた。★★★☆☆
「シンゴジラ」(東宝)総監督・脚本:庵野秀明、特技監督:樋口真嗣、主演:長谷川博己
 この映画、1億人が観たとか。アクビ娘も2回観たそうだぜ。脚本は庵野秀明、監督は樋口真嗣というだけで「エバンゲリオン」なんだそうだ、アクビ的には。
 主演の長谷川博己はアクビの恩師の息子。「ゴジラ」は東宝で29編目だそうだ。
 「シンゴジラ」は闘い方が東電福島の問題を想い出させ、なおかつ、注入方法が現場的に殆ど空想的だったわねえ。だがメディアでも報道されている通り、政府と官僚の組織の中の意思決定についてよく描かれている。それでも,醗磴辰董▲▲瓮螢政府から特使 でやって来た日系人の女が消化不足で、これは脚本に無理があった。意思決定で辛酸を 舐めている局長辺まで取材をしないと分からないぜよ。彼女は余計だったな。
 ともあれ、俺にとって「ゴジラ」は昔から東京帝大法科卒の平田昭彦でキマリなんだ。アイパッチで痩身・美男の天才博士という設定そのものが、Johnny KiddとかDavid Bowie、さらに Sid Viciousまでの繋がりを連想させる。これ、マジよ。★★★★☆
「殿、利息でござる」(松竹) 監督 -脚本:中村義洋、主演:阿部サダヲ
 本作は「ゼニとアタマは使いよう」と銘打ったとか。「高速参勤交代」シリーズもそうだが、結局、,任皚△任癲△匹鵑柄反イ任△辰討癲「アタマは使いよう」なんだよ。コイツは封建時代の18世紀後半の伊達藩の話だけれど、人を批判しているだけではジンセイは楽しくならない。詰まらん社会や詰まらん組織なら、ぶち壊さないとしたら「アタマを
 使って」楽しく生きるのが次善の策だろう。俺はその伝で、もう30年も生きてきたんだ。
 原作は 磯田道史「無私の日本人」に収められた「穀田屋十三郎」が下敷きになっていてこの原作もいいわね。「無私」だけど、そこには巧まざるユーモアがあるわけだからな。近頃の日本人に芽生えているのはユーモアさね。これはとてもとても大切な感覚なんだから、俺は声を大にして言いたいわけさ。知恵を絞った笑いが無ければジンセイは詰まらんぞ。
 山崎努と草笛光子なんて、年齢もデビューの年も随分違うけれど、もう、あの年齢なら夫婦でも無理が無いね。俺は草笛光子さんは40年も昔からとっても好きな人で、ああいう女が俺のおカアチャンになってくれねえかなあと夢想している中学生だったわけだ。変だねえ。でも、やっぱり、光子さんは綺麗だったな。ざまぁみろ。ウハハハハハハハ。
 とまれ。この映画は、カメオ出演ではないけれど、物語の中で重要な郡の御奉行役には原作者の磯田道史が出ている。誰だと想ったけど、熱演していたよ。さらに仙台の(実は島津に対抗しようとしたバカ藩主の)伊達重村役を地元仙台出身のスケートの羽生結弦が演じていて「アッ」と言わされた。本作の主題歌は、あのRCサクセションの「上を向いて歩こう」。宮城県での興行収入はブッチギリだってよ。それ見ろ、何時までも視聴者をバカにしているNHKなんて皆んな飽き飽きなんだよな。ということで。★★★★☆


追記
昨日は日本では不幸極まりない調子だったのに、帰国すると、ラッキーな帰宅までの道筋でヤンしたわいなりー。
本日は体調を慣らすために某地へバスで行き、そこから徒歩で帰って参りました。疲れましたが、8km程度あって、青凸凹のアップダウンもかなりキツく、結局、歩数としても12,000歩くらい歩かせられる。こういう暮らしを続けて、日本に戻ると、木々の緑とか、土の弾力だとか、雨の後の匂いなんかに敏感になっている自分に気付いて、立ち直るまでに時間がかかりそうな気がしている。オホホホホ。

追記の追記
子熊のプーが暴れとる。メリケン波止場大荒れヤンキー。ハリウッドでも、久々に悪役で子熊のプーが戻ってきよつたワイナー。見習い金ちゃんもいよいよ末期の状況で足元の定年過ぎた官製暴力団と真っ向に向き合っておるわい。
ま、ここは淡々と参りまっせ。ウツフツフツフツフ。
| 4映像 | 07:20 | comments(0) | trackbacks(0)
映画随想(1)――Hollywood Index。
10月16日
映画随想(1)――Hollywood Index。
 久しぶりに帰国する機内で、東宝だの松竹だのの懐かしい社名ロゴの入った邦画を観た。実際、3ヶ月毎で故郷の空気を吸うのが適度な頻度かも知れない。その程度の頻度だと、イヤなところよりイイところがやや多く目に付くからだ。アッハッハッハ。
 それはさておき――邦画ではなく、近頃のHollywood映画の話から始めたい。
 近頃のHollywood映画は、俺にはアニメーションを除いてかなり詰まらない。作品自体、工夫が見られないし、政策側からの挑戦が感じられない。
   1) 過去の名作のリメイクとオマージュ
   2) 大スター頼りの大味な作品
 過去からのHollywoodの悪い癖が目立つ。最近はもう目を覆うほどで、もう、Hollywoodも開き直っている観さえある。
 俺の子供の頃には、「問題作」だとか「告発作品」だとかいう触れ込みの映画作品があった。60年代半ば頃から70年代後半くらいまでの「America New Cinema」(コイツは日本語の由)のように権力に歯向かおうとするトッポイ作品が今は少ない。骨のある、ガッツのある、気骨のある作品があまり出てこないのはとても寂しい。
 「ちゃいまっせ、そら、お考え違いや」
 近頃では、金融業界、とりわけ投資を扱うハゲダカの本場の連中から意見される。これ、関西弁ではなくて、そうだな、オランダ語辺りに脳内変換して読んで貰いたい。
 連中の話で面白かったのは、Hollywood作品なら、近頃はアニメーションを含めてでも先々の買い物のIndexとして絶対に観るんだと胸を張る点だ。
   a) ユダヤ人の折々の世界観が現れる  
   b) 中東市場攻略のヒントが隠されている
 「ワイな、これで相場張っとんねん」
 胸を張りました。千億じゃなくて、兆円を動かす人の、これは、本当の言葉です。嘘も偽りも全く無しで。ま、これは一つの見方、考え方で、彼は他にもIndexを持っていて、その組み合わせで張っているはずだけど。マーケティング目線の鑑賞ってどうなのかねえ。
 「今時はや、中東市場が最大のマーケットやねんなぁ」
 アメリカ製の映画で、黒人でもなく、さりとて白人でもない人たちが役者としてノシてきているのは、ヒスパニック系をも当て込んでいるけれど、実際には、世界最大のDVD市場である中東市場向けに作っていると言う。
 「こういう映画が作られとる内は中東の価格も安泰やさかいな」
 (ははぁ)
 これは、腑に落ちる話だ。彼らは、だから超高級車でストリートを爆走しているのだ。
 アメリカの西海岸には「Rice Rocket」という隠語が20年前にはあった。日系・華僑等のアジア系移民の日本メーカーの改造自動車(当初はMade in Japanだったけれど、70年代半ば以降はアメリカ製)でストリートを暴走する行為を嗤う言葉だった。
 しかし、今では、そんな街角のこれ見よがしの行為は影を潜めて、アジア系移民たちは(獄中本土系を除いて)不動産や飲食業で確固たる地位を築いて静かになった。その代わり、世界中の超高級車を買い漁って爆走している“売り出している人たち”の舞台装置とは、実はLos Angelsでもなくて、Londonなのだ。
 「自動車と服飾はあれらでガッポリやで、ホンマ」
 90年代前半までの日本人が世界中から成金として嗤われていたのを俺は知っている。
 ともあれ、ユダヤ人がHollywoodの映画産業を牛耳っているのは当初からで、彼らから観た世界観として、冷戦期の共産圏、70年代末からプラザ合意までの日本観などは分かり易いものがあった。一方で、地球外生物やゴースト系などが常にあった。
 (それならば)
 「Kubo and The Two Strings」を見て、どう相場を張るか?
 俺ならこうかな――ここ数年のHollywoodは某に急激に懐疑的になっている。だから、相対的に約束を守る日系人とか日本人は彼らからするとフィーチャーしたくなる時期だ。
だが、実際、この調子も何時まで続くか知れたものか。
 今をときめく中東市場向けを狙った新作映画では、ニューカマー向けの視点があって、獄中だけでなく半島からの移民含め、あくまで(中東系の)主人公側に味方をするアジア系メンバーが必ずいる。そうして、これはまず日本人・日系人ではない。
 「日本では『Kubo and The Two Strings』やらないね」
 アクビ娘は言う。中国と韓国では公開されたそうだが、日本人のことを描いた映画が、日本で日本人が観られないというのは不思議だ。
 Hollywoodだけでなく、日本の映画人も、骨を見せて欲しいなと想う次第だ。ユダヤが日本をどう観ているか、どう映っているか――それを感じるのもまた大切だと想うからだ。


追記
これから休みます。グロッキー状態でしたね。え?
| 4映像 | 07:37 | comments(0) | trackbacks(0)
ドキュメンタリー映画、「The Damned (地獄に堕ちた野郎ども)」(2015)公開中。
10月1日
ドキュメンタリー映画、「The Damned (地獄に堕ちた野郎ども)」(2015)公開中。
 先月半ばから渋谷をはじめとして、公開の始まったドキュメンタリー映画「The Damned (地獄に堕ちた野郎ども)」(2015)。そろそろ日本では打ち切りになったのか知らん。
 2016年の今年は、俺的に言えば、20年ぶりのSex Pistolsの当たり年だ。1996年には再結成があったから、Londonまで家族で渡り、Original Sex Pistolsを初めて体験した。帰国後も、クラブ・チッタ川崎の日本初日から、長躯、名古屋まで彼らを追いかけた。
 あれから20年が過ぎた。今年は「Punk#40」と題して、Greater London全域に拡げてPunk Movementを正しく歴史的に振り返ようとする学術的な試みが行われているのだ。
 そこで取り上げられているのは今さら語るまでも無いことだが、Malcolm McLaren / Vivienne Westwoodの2人がKings Road 430番地に開いた「SEX」、「Seditionaries」で扱っていた古い奇抜な商品であり、集まった人たちの回顧談であり、その中心となったバンド・Sex Pistolsのことだった。
 そんなこともあり、勢い、こうしてLondon 3大Punk Bandの中の一角、まるでSex Pistolsばかりがフィーチャーされている、とこういうわけだ。
 イベントの合間を縫って、知らなかった彼らの暮らしていた場所を訪ね、知らなかった取り巻きたちのつながりを知り、知らなかった音楽的、文化的な流れを自分なりに歩いてつかみ取ろうとしてみた。
 すると――やっぱり、全てのMovementの根っこに、Malcolm McLaren / Vivienne Westwoodの2人があって、本人達がどこまで意識的であったか別として、結果的に、彼らが若い人たちを集め、煽ってその気にさせたことは、疑いようも無い事実であった。
 彼らの店こそ様々な若い無名の人々のJuke Jointとなっていて、その事実を集まった当事者の証言で聞き、ハッキリと当時の雰囲気を感じ取ることができたわけだ。
 (やっぱり、Sex Pistolsなんだな)
 音楽的な面でのMovementの中心は、Sex Pistolsだったことは、誰もが認めている。それを改めて感じたのが2016年だったということになる。日本は、ここまで社会的な認識が辿り着くのに何年かかるか知らないけれど、Londonではそういうことになっているわけ。

「The Damned (地獄に堕ちた野郎ども)」(2015)映画フライヤー

 だからClashもDamnedも、Sex Pistolsに盛り上がったからといって、俺がキライになった訳でもなければ何でも無い訳だ。そこんところ、間違えなさんなよ。マスヤ味噌よ。
 「PistolsなんてMalcolm McLarenの操り人形だろう」
 俺とほぼ同年、同じような音楽体験をしてきたイギリス人、Frantic FlintstonesのChuck Harveyはそう言ったし、それも本当の初期は、ある部分で真実でもあった。
 だから、バンドの評価なんて人によって千差万別あっていい。
 「それでいいのさ」(by 柴山俊之)

The Damned in front of the Stiff Records (1977)

 というわけでDamned。Stiff Recordsの看板Punk Bandだった。彼らの出した初期のアルバムのジャケットはとても洗練されていて、俺は大好きだった。
 今にして想えばStiff RecordsってのはちょっとしたSwinging London Returnだった。洒落ていたんだ。70年代のイギリスの最良のユーモアのセンスがあった。
 Damnedの1枚目の「地獄に落ちた野郎ども」も裏ジャケットのユーモアが素晴らしい。ジャケット写真でカメラに背中を向けているCaptain Sensibleは、自分の顔を出したいがために、スピーカーの前に自分の顔写真を貼り付けている。
 世間的な評価は低いけれども、2枚目の「ミュージック・フォー・プレジャー」も、全く違うデザインのコンセプトで、ちょっとキュビズムみたいで、だけど、ポップな感じで、弾ける感じが好きだった。
 デザイン・ディレクターのセンスが光っていて、なおかつ、中身の音楽も、サウンドも、アイディアも、ビートも、素晴らしかった。その合間には、シングル盤が出されていて、この「Neat、Neat、Neat」も、最高のデザイン・センスだった。ジャケット写真のために使った金なんて、スーパーの紙袋4つだから今なら300円もかかっていないだろう。

 「Neat,Neat,Neat」(by the Damned)

 Sex PistolsがEMI⇒A&M⇒Virginで、Clashは最初から最後までCBSだったけれど、Damnedは個々人のスピリットが独立し過ぎているくらいの街のアンちゃんたちだった。だからメンバーの対立があるとあっという間に解散し、直ぐに再結成を繰り返した。
 メンバーの入れ代わりが頻繁にあったし、1977年にStiff Recordsと契約した後で、1979年にChiswick Recordsへ移籍した前後も、偽装解散疑惑が付きまとっていたわけだ。成功したのか失敗したのか、評価も定まらないままに40年も過ぎてしまった。そういうバンドだったな。背骨の安定しない軟体動物みたいなところがあった。
 本来は音楽的にはBrian Jamesのバンドだったのだけれど、それを面白くないCaptain Sensibleの、小さな政治を好む中産階級的なやり方がメンバー間に決定的な禍根を残した。音楽的な変遷を遂げ、バンドの中に複雑さを産んだことは後の人には面白いかも知れないけれど、本人たちにとっては、実際のところ、たまらなかったことだろうと想う。
 彼らの最初の1枚目のSingle盤は「New Rose」。俺は好きな曲で、高校時代には「Anarchy in the U.K.」と同じくらいカヴァーしたんじゃないかと想う。今も、大好きだ。


追記
来週の帰国の前に、かなり、モメそうな話が、二、三、あるわけだ。さて、どうするかね。キツイ山だけど、さて。今は、Robert GordonとLink Wray。背後で大音量でかけてらい。カッコエエのう。これからまたひと寝入り。

追記の追記
ロッカーズ、澄ちゃん、演っとるねえ。ライブテープ、聴きたいんだけど、誰か、送ってくれんけえ。待っとるで。

追記の追記の追記
9月のご愛顧=帝國:小倉:米國=16,504(17,148←16,538←18,202←18,597←23,362←19,300):4,360(3,409←3,992←13,022←7,903←4,917←4,425):813(460←743←361←926←747←789)=96%:128%:177%=21,677(21,017←21,723←31,585←27,426←29,062←24,514)103%
| 4映像 | 13:16 | comments(0) | trackbacks(0)
渋かった、「Kubo and the Two Strings」。
9月25日
渋かった、「Kubo and the Two Strings」。
 先日、見て参りました。
 映画館に入ると、誰もいない。子供も大人も他に客が「ゼロ」。それで顔を見合わせて、
 「人気が無いのかなぁ」
 「苦い映画というアメリカの評もあったしね」
 「レビュー・サイトでは軒並み高評価だったけどなあ」
 「イギリスでは受けないっしょ」
 「そうなのかあ」
 ヒソヒソ噂していたら、予告編が始まってドドッと子供たちが入ってきた。といっても、俺たちを除いて大人を含めて20人いたかどうか。4〜5ファミリーくらいもいたか知らん。
 (客の入りは冴えないなあ)
 9月9日公開から2度目の週末だったから、時間が経っていたこともあるだろう。
 イギリス国内での評価はまあ低いのか高いのか分からない。よく知らないけれど主要な新聞ではそもそも前評判から評価の対象として取り上げたところがあまりなかったのだが、「the guardian」では5つ星。英国人気質としては評価が分かれる映画なんだろうか。

        Kubo and the Two Strings (6)

 日本ではまだ公開されるかどうか見えていないそうだ。本国アメリカでの最終的な興行収入は残念ながら失敗に終わり、ギリギリ赤字作品で終わったようだからだ。「Rotten Tomato」ではFresh評は97%。
 だが韓国や台湾で公開されているそうだから、中世の日本を舞台にした日本人の物語ということを考え合わせると、日本映画界の見識は問われているだろう。近頃は、骨のある日本の映画人を寡聞にして知らないから、未公開でお蔵入りするのが関の山だろうか。
 とはいえ、日本では今年は「シンゴジラ」の大ヒットで、日本経済新聞でもヒット作品としてその理由が種々考察されるくらいだから、まあ、地殻変動はあるんだろう。我が家はオタクを自認するアクビ娘が「シンゴジラ」を2度観に行った。
 「Kubo and the Two Strings」。映画はとても良かった。日本人贔屓のTravis Knightの監督デビュー作品。デビュー作としては十分という評価は多い。
 作画もいいし、声優も良かったな。主人公の「Kubo」、母親、その姉妹たちなどちょっと人形劇チックな人物ばかり。
 顔のツルツルした堅い質感は、「サンダーバード」でもあるし、切れ長の目などでは辻村ジュサブローの人形のような感じもあって、それはそれで面白かった。

Kubo and the Two Strings (1)

 主人公の「Kubo」はFirst Nameなんだけれど、だからこそ、劇中で何度も何度も「Kubo」が連呼される。
 日本人以外で映画を観た人たちにとり、主人公の「Kubo」=「ニホンジン」=「サムライ・ファミリー」として記憶されるんだろう。
 もし日本人が観たらどう評価するか俺は想像が付かない。正直、子供向けには思えないのだけれど、ちょっと「風の谷のナウシカ」みたいな苦さがある感じかな。
 エンディングにも、確かに世評で言うところの苦さがあって、しかし、その苦さとは、日本人らしい、日本文化らしい苦さなのだ。近年のディズニー映画のような、ハッピーな終わり方をしないところがちょいと渋かったね。
 日本のモノなら、「山椒大夫」、「安寿と厨子王」系、海外のモノなら「小鹿物語」だとか「汚れなき悪戯」を想い出す。
清明な哀しみというものは忘れてはいけないものだなあと想いますわ、52歳でも。中々良かった。☆☆☆☆★


追記
例のシャツをニッポンに着て帰るかどうかちょっと思案中。今度は編集部諸兄姐と一杯やっかと想うけれども、中々時間が無いからねえ。誠に困り果てておりますわい。だって、俺、もう、やる気がまるで無いもんな。

新型シャツ2016@Brussels.jpg
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