岡田純良帝國小倉日記

骨を見せたアメリカの映画人(上)。
5月24日
骨を見せたアメリカの映画人(上)。
 「Three Billboards Outside Ebbing, Missouri」
 2月にヨーロッパの某所線で観て、うーん、Joel Coen(1954年-)健在、と唸らされたわね。Joel Coenの伴侶のFrances McDormand(1957年-)の演技は素晴らしかった。
 アカデミー賞作品賞を逃したものの、それでも2017年・第74回ベネチア国際映画祭で脚本賞、同年のトロント国際映画祭でも最高賞にあたる観客賞を受賞している。

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 評価面では、本作では主演のFrances McDormandだけでなく、複雑な警官を演じてSam Rockwell(1968年-)が助演男優賞を獲り、気を吐いた。彼は俺と世代が殆ど同じ。しかもSFOに近いDaly Cityの通信制の高校を卒業している。
 以前、俺の身内のKellyがその問題児ばかりの高校で教師をしていたこともあって、何かとても近い感じがある。我が家の隣の部屋で、缶ビールを呑みながら、SF Giantsの試合を大声を上げながら観ていそうな感じがする。冬ならNellのシャツで、夏なら体にフィットしたカーキ色の海兵隊の放出品のTシャツなんか着て。
 本作では、Sam Rockwellの役柄はマザコンのゲイだ。しかも人種差別主義者の警官役。89年に「Last Exit to Brooklyn(ブルックリン最終出口)」で鮮烈な印象を残したのに、今や情け無い中年のヘタレな警官。最後には全てを無くした揚句、被害者とその遺族のために立ち上がる。これもヘタな役者だと臭い映画になってしまうが、そうならなかった。

Three Billboards outside of Ebbing (2) .jpg

 昔なら、それこそ今年ついに主演男優賞を獲ったGary Oldman(1958年-)が演じそうな役柄だったかも知れない。しかし、本作は、狂気じみたキャラよりも、性格の弱さから、今ひとつ今を突き抜けられない役柄で、Gary Oldmanではなく、Sam Rockwellできっと良かったのだ。
 94年の「Natural Born Killer」で怪演技したWoody Harrelson(1961年-)がさらに複雑な警察署長のキャラクターを巧く演じ切った。地方特有の閉じられた狭いコミュニティーの中の複雑な見方・見解を1人だけの演技で一身に背負って見せた。

Three Billboards outside of Ebbing (4) .jpg

 脚本も素晴らしいが、演じたWoody Harrelsonも、これまた狂気をちらつかせることもなく孤独の内に尊厳を保ったまま死んだ。映画は、必ずしも地方社会をダメとは言わない。田舎の街の良心の象徴であり、そういうキャラクターを生み出したのは、彼の力技だとも言えるだろう。
 有名な話だが、本人自身、New York Mafiaの一家で、しかもヒットマンを父親に持った、ホンモノのヤバ系の育ち。SicilyのLa Cosa Nostraの一家だった安岡力也(1947-2012年)などの系統か。
 しかしWoody Harrelsonの与えられた役柄は住民からは慕われ、信頼されていたという難しい役回りだった。日頃は、本人は家族と共にCosta Ricaに住んでおり、朝から晩までクサを吹かし続けて暮らしているそうだ。こんな人を使い切るのも、Joel Coenの巧さだ。


追記
昨夜は三河のど真ん中。ヤクザうろつく駅前の、カラオケスナックまろび込み、こんな話もあるかいね、驚き桃ノ木、山椒の木。びっくり仰天、幼馴染の某君の、あれやらこれやらこちらやら、そのチンチンにオケケが生えたかまだかいな、そんな頃のアレコレも、あの街この街誰とやら、わちきも参りますゆえの、女一代繁盛記、聴かせてもろうて感涙の、、哀れ親父と成り果てて、さて別れの段になり、感極まった女子の涙、そっとすくってやるまいか、あ、どうかいな。さてさてこれまた他生の縁か、畏れ多くもムニャムニャの、道無き道を行くソナタ、道中ご無事で参るよう、お百度踏んで祈るとて、これまたお尻がむず痒い。
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泣かされた「ミックス。」
5月16日
泣かされた「ミックス。」
 昨年秋に公開された作品。もし知っていても、忙しくて見る暇も無かった。それでまぁ、観ろという人がいるので観たら、これが、良かったわね。
 映画の主題歌は我が愛する地元・カワサキ・シチーのSHISHAMOの「ほら、笑ってる。」。これがバラードなのだが、挿入歌の「サボテン」はテンポが彼女たちらしくて中々。舞台は神奈川県だし、神奈川色全開だ。
 ところが、冒頭の撮影は千葉の小湊鉄道だ。千葉かよと想ったら、彼らが人生をかけて戦う大会は神奈川県大会。しかし、大会の撮影は、竣工間も無い「高崎アリーナ」だった。

「ミックス。」(1).jpg

 主人公の卓球クラブのあるのは寒川だか伊勢崎辺りか。小日向文世のタクシー運転手も如何にもあの辺りにいそうだし、「フラワー卓球クラブ」ってのは無さそうだけど、まぁ、それもその内、どうでもよくなる感じになる。
 この映画はヨレヨレした脚本だなあと最初は感じていたのだけれど、古沢良太(1973年-)の力か。1年もかけて脚本を書き上げたそうだが、古沢良太は厚木の生まれだそうだから、それはつまり地元舞台ということなのかな。それなら、母親は地元出身の小泉今日子でも良かったのに。 
 対決を決める後半から最後の勝負までの盛り上がりで、死んだ鬼母親役の真木ようこが甦る。主人公の新垣結衣の冴えなかったジンセイが走馬灯のように収斂される下りが臭くなくまとめられていて、これで成功作になった。
 新垣結衣はこれでブルーリボンの主演女優賞を獲ったそうだ。それも分からなくもない。但し、瑛太は元プロボクサーには見えない。体幹がしっかりしていないとリングには立てない。しかしそういう役者さんは少ないだろう。
 ボクサーと言えば、何時であったか、讀賣新聞の「編集手帳」で、三島由紀夫が、深夜、護国寺の講談社の「少年ジャンプ」編集部に「あしたのジョー」を読ませてくれと押しかけてきた話が紹介されていた。
 この逸話については、三島由紀夫も全学連も「あしたのジョー」を読んでいたのに、なぜ敵対したのか、といった文脈で読み取る人もいるそうだ。

「ミックス。」(2).jpg

 護国寺の講談社本館というと、1986年師走にビートたけしとたけし軍団の引き起こした「フライデー襲撃事件」を想い出す。講談社の「フライデー」の契約記者が起こしたたけしの愛人と揉み合いになった傷害事件だから、記者側が悪いところは多分にあった。
 あの頃、時々講談社にいくことがあったことと、事件発端となった女性が、友達の知り合いだったこと、さらに軍団を率いて乗り込んだこともあって、印象に残る事件だった。
 「おーい、丼」[ちくま文庫]では、昭和の取調室は「かつ丼」がつきものという話が出てくる。しかし本件の取り調べでたけし軍団は「カツ丼でしょう」と答え、費用を請求されたそうだ。もう、昭和の終わりで、世間の常識は変わりつつあったということだろう。
 本事件は大塚警察署が仕切ったが、俺は当時、お隣の目白警察署で便宜を図って貰ったことがある。昭和時代には、それでも、建前は建前として、という温情はまだあった。
 同じ話でも事実としての認識が時代の変遷で変わってしまうこともある。映画の話からとっ外れたが、近頃は、そういうことを時々ボーっと考えることが多くなった。

追記
昨夜は某所にてチヤプりました。総合的に考えると極東アジア情勢はこの数年で大きく変わってきているのだけれど、そんな状況については、メデイアはほとんど関心がないようで、記者も経済部だからだと笑っていましたぜ。ヌーン。
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これからのニッポンの課題――韓国映画の熱気。
5月5日
これからのニッポンの課題――韓国映画の熱気。
 集まって盛り上がったのが韓国映画の話だった。日本のヤクザ映画はビートたけし以降、ち〜っとも面白くない。それに比べると、韓国のヤクザ映画は往年の日本の仁侠映画に匹敵する暑苦しさが漲っている。
 そういう話には、なるよね、結局のところ。月末にまた世界最長クラスの長距離航路に乗るから、往復で韓国映画漬けになるべえか。

「名もなき野良犬の輪舞」フライヤー。.jpg

追記
ノーベル文学賞、盛り下がってますわねえ。Jean-Claude Arnaultっつうオッサンはどうでもいいんだけれど、多分、フランスの文化とスェーデン社会との価値観のズレとすれ違いがあるわ。国際的な論争になるかも知れないわねえ。さて、そこでCatherine Deneuveはどうコメントするかねえ。

Jean-Claude Arnault。.jpg
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好きな女(1)――Catherine Deneuve。
12月23日
好きな女(1)――Catherine Deneuve。
 開高健の件で佐々木千世子のハナシを描いているからか、じゃぁ、アンタはどんな女が好きなんだいと聞かれる。どんな女って言われても説明の仕様が無い。
 外見は色々分かり易いから、そういうことだけで挙げてみると、今はCatherine Deneuveがいいね。
 泣かせるような女の役柄は1993年の「Indochine」くらいしかないけど、Marcello Mastroianni(1924-1996年)を看取った話は泣かされる。美人でもこの位になると、ナニをやっても一幅の絵になるからな。
 先日、讀賣の折込のMarie Claireの表紙に出ていて、「おっ?」と中を開いたら、貫禄のある最近のマダム然とした彼女が出ていたので、そりゃそうだよなと、改めてがっくりした次第。
 
   Catherine Deneuve on Marie Claire.jpg


追記
本日は下北沢に柴山俊之さんのご尊顔を拝みに参ります。諸兄姐、ごきげんよろしう。
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備忘録――まとまりのないメモ(下)。
6月28日
備忘録――まとまりのないメモ(下)。
「Master」(2016年)
 昨年の韓国の話題作。
 韓国社会の病理がほの見えるという意味でイ・ビョンホンが2015年に出演した作品、「インサイダーズ」に似ている。しかし今回、イ・ビョンホンは大悪党を演じていて、その点が前回と大きく違う。白髪交じりのイ・ビョンホン、顔の感じがどんどんよくなってきた。
 これもまた、ありそうな大型の詐欺師の話だ。詐欺師というより、ここまで来ると、本人がふてぶてしく刑事に言い放ったように経済犯になるか。しかし、経済犯よりも、他国の政治家に巨額の詐欺を持ちかける辺りは、古の政商みたいだ。
 ネット取引を使ったマルチ商法の大型投資詐欺師を演じているのだが、脚本の設定は 面白かった。ネット銀行を使う国際的な資金洗浄に発展して、ボートで国外逃亡後は、 シンジケートの逃亡ルートで某大陸を通過して東南アジアに逃げ延び、Philippinesまで逃げ込み、そこの上院議員を大型の取り込み詐欺にかけるような案件を思い付く。
他国の政府の予算を喰ってしまえという壮大なもの。

Masterの撮影現場で。.jpg

 悪人の活躍の場も韓国内だけでは面白くない。悪人もすべからく国際的になる時代。日本国内のピッキングとか宝石泥棒はかなり半島のシンジケートも動いているそうだ。映画の興行について言えば韓国は映画市場が小さく、海外でそれ相当に受けなければ大型作品は最終的にはペイしないのだという。外に出て行くのは当たり前なわけだ。
「ASURA(アシュラ)」(2016年)
 こちらも韓国だけでなく、日本でも話題になった昨年の韓国映画。3月に日本で公開されたと聞いている。
 アメリカ軍の基地の街、カンナム市(架空)。軍の撤退後、広大な敷地が払い下げられ、再開発利権に目の色を変える悪党たち。しかし実際は現職市長パク・ソンベ(ファン・ジョンミン)はその上をいく悪党で、義弟で警官のハン・ドギョン(チョン・ウソン)を使って市長の汚職を告発しようとした証人を消す汚れ仕事をさせている。
 「ブーメラン家族」では兄を演じたユン・ジェムンが警察署の悪玉班長役で登場したと想ったらあっという間に死んでしまう。呆気なく殺されてしまい拍子抜けするのだが、この後、どんどん悪党が出てきて、誰が最も悪いヤツなのか、混乱してしまう。
 市長のファン・ジョンミンと市長追い落としを狙う検事役のクァク・ドウォンの間でチョン・ウソンはいいように使われる。チョン・ウソンは西島秀俊という説があるが、鼻の低い平たい顔のTom Cruiseにも喩えられるか。映画は諸説が出回っているが、とにかく市長役のファン・ジョンミンが全部を喰っている。
 最近の韓国映画は、返還後、香港映画が相対的に伸び悩んでいるのと違って、かなり演出のレベルが上がっている。例えば、とってつけたようなエキストラの臭い芝居は削られている。香港映画はくどいほど説明的なエキストラを使った演出が増えている。しかし、韓国の現実の社会はどうなのか。

황정민 Asra.jpg

 今リアルタイムで進む朴槿恵とその周辺に対する人民裁判みたいな光景を見ていると、全て映画で見たような既視感がある。「行こうコリア」とか「いつも青い党」等の新たに出てきた野党。そこに「共に民主党」が出てきた。
 こちらは60年以上の歴史のある旧社会党系団体だ。だから彼らもウラがあるだろう。必ずあるだろう。韓国映画を観ていると、社会の息苦しさが分かる。
 「地方大学の32期生だな」
 「一生クズで終わるレベル」
 「アイツは中央の学校を卒業していない」
 教育格差で差別的な発言が当たり前のように出てくる。
 政権が変われば人民裁判と糾弾の繰り返し。だから、映画は刑事が魅力的ではなくて、悪役が勝って映画全体を喰っている作品が面白い。
 イ・ビョンホン、ファン・ジョンミン――悪党を演じて様になる。俺のお気に入り。


追記
そろそろねるけえと言うわけでねえ。Londonの“我が偉大なる女房”からはCheep Trickの公演で「The in Crowd」と「Waiting for My Man」がカバーされたの報。元々イリノイ州辺のGarage Bandが主体の人たちだからなあ。Paul Cookyの周辺のメンバーも客席にいたそうだわいな。拡がるねえ。そういえばシスコのモトからもメールあり。
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一縷の望みか――韓流映画の今。
5月29日
一縷の望みか――韓流映画の今。
 先日、昨年、日本でも大ヒットした韓国映画、「インサイダーズ / 内部者たち」を観た。大ヒットしても成人向け「R指定」映画。これが機内で公開されたわけだ。
 2015年晩秋に公開され、国内の観客動員は1千万を超えて韓国映画歴代1位を記録、昨年3月に日本公開、そしてとうとうJALの機内で公開されてしまった。
 本策は儒教社会のズブズブが丁寧に描かれていて興味深かった。
 「コネがあるのか」
 「カネがあるのか」
 高校の先輩や大学の先輩の誘いは断れない。そしてソウルにある有名大学を卒業していなければ出世はできない。
 「あなたは私立大学ですか」
 ソウル大学を卒業したKBSのキャスターは、相手が私立大学だと知ると態度を一変させた場面に居合わせたことがある。
 昔、小岩の会社で営業をやっている知り合いがいた。前に書いたことだが、半島から相撲部屋に入門したが、夢破れて廃業し、半島系企業で営業をやっていた。
 「岡田さん、これでお願いしますよ」
 いいヤツなのに、事務所で現金の入った紙封筒をいきなり取り出したのには痺れた。
 「勘弁してよ、ここ、ニッポンだよ」
 「お願いします」
 ガバッと土下座した。バックには財閥企業がいることを俺は知っていた。90年代の財閥系はよく企業訪問と称してニッポンに現われ、派手に札束をばらまいていた。

        李○○と洪○○夫人。.jpg

 半島ほど上下関係と学閥・地縁・血縁といった関係を何よりも重視する社会はあまり他にないが、半島と近いお隣の凍土の人から、俺はこう言われたことがある。
 「オタクのお嬢さん、私が清○大学に入れてあげますよ」
 「結構です」
 「タダですよ。何時もお世話になっているし」
 この話は、我が家では語り草だ。多分、俺が死ぬまで語り草だろう。
 凍土は数百年の昔から一貫して広大な国土への投資・引き入れ型だった。甘言と違法スレスレのインセンティブを付けて国土に人と金を呼び込み、時間を掛けて吸い取っていく。都合が悪くなると脅迫状・讒言状が世界中に飛ぶ。
 また、詳しく知らないが、東シナ海を隔てたニッポンの某県の人が九州社会を呪ったことがある。
 「あそこは大陸みたいなところがある」
 九大を出て九州で就職した。どこでも先輩風を吹かされてエライ苦労すると愚痴った。
「インサイダーズ」はそういう社会をえぐっている。映画を観ると、半島では検察庁も内閣秘書官も一緒になって飲み食い接待の嵐。凍土と同じで恐ろしいねえ。
「この街に入ったら、無傷で帰れると思うなよ」
俺は凍土某所ですごまれたことがある。セリフを吐いたのは弁護士稼業だが、後ろに現役の公安が並んでいた。
 映画では政界と財界とメディア界が「握って」権力マシーンを作っているわけなんだが、これが「R」指定になった理由は有名な「性接待」シーンが幾度も出てくるから。
 悪の親玉のオッサンたちは素っ裸になって長いまな板みたいなテーブルを囲んで呑む。煌々と蛍光灯が照らすニスの光ったテーブルに美酒佳肴が並んでいる。
 しかもオッサン1名に裸の女が3人も取り付いてフェラチオをやりまくり、オッサンたちは順繰りに堅くなった男根で腰を振って並べたグラスを倒す。
 「イーグルだ!」
 「アルバトロスだ!」
 いい男が素っ裸でテーブル・ゴルフを男根でやるわけだ。
 この美女たちを夜な夜な提供するのが芸能プロダクション社長でゴロツキの主人公というわけだ。

インサイダーズ(イ・ビョンホン).jpg

 ○教文化に耐えられないのは女性蔑視が強過ぎるからだろう。女の価値を認めない。性と純潔を異常に重視する。だから性犯罪が多い。某宗教に対しても同じ違和感を抱くわけだが、同性としても、彼らの感覚は殆ど俺には理解できない。気分が悪くなる。
 映画の途中から既視感があるなあと思った。
 まず、「祖国日報」の事実上の主筆役のペク・ユンシクが、長めの銀髪で我がニッポンを代表する淫行ジャーナリスト・鳥○俊○郎センセイに感じがよく似ていること。
 昨夏、某財閥の会長がソウル市内の自宅や高級マンションやでやっていた買春行為の隠し撮り動画が公開された。数年前には心筋梗塞で心配停止状態になったが、この時も同様の行為の最中に起きたアクシデントという噂があった。
 そして昨年秋から始まった大統領と側近政治の弾劾。今年3月に国会が弾劾訴追した後で、憲法裁判所は大統領を罷免した。朴槿恵は大統領職位を罷免され、失職し、逮捕されて収監された。
 国を棄てる人が跡を絶たないことがよく分かる。半島ではないが、凍土で俺が世話をした若いヤツらは、全員が国を棄てて外地に渡った。俺はあの辺りで深い傷を負ったが、ま、これも俺が俺に呉れてやった名誉軍団勲章だ。ヤツらだけはそれを忘れないだろう。
 映画では、ゴロツキの主人公は出所し、復讐戦で組んだ相棒(ヤメ検弁護士)に会いに行く。
 「モヒートにモルディブ飲みに行くか」
 「モヒートってどこだ」
 「日本じゃねえか」
 最後のセリフが気に入らなかったが、話の筋は面白かった。現実はもっと厳しいが、映画ならこれでいい。
 文在寅の当選はこういう流れを考えないと理解できない。主演のイ・ビョンホンは、脚本を読んで出演を即決したそうだ。韓流に一縷の望みを見る気がする。
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ランペドゥーサの海に。
5月11日
ランペドゥーサの海に。
 先ほど帰宅したのだが、ランペドゥーサを描いたドキュメンタリー映画の音楽が耳にこびりついて離れない。
 帰って来たばかりの島のさらに先のチェニジアの目と鼻の先にあるのがランペドゥーサ島。そこで暮らす漁民たちの暮らし、さらに暗黒大陸アフリカ次から次へとひっきりなしに渡たってくる難民とを描いたドキュメンタリーだ。
 このドキュメンタリーは「海は燃えている」(http://www.bitters.co.jp/umi/)と題されているのだが、燃えていると観るよりも、もっとクールな感じがあった。。
 映画の解説のページから島の位置関係を引き写す。

 「地中海のイタリア領最南端の島。シチリア島から南西へ約220km、チュニジアの海岸から東へ113kmに位置。面積は20.2 km²(鹿児島県与論島が20.47 km²)。住民は約5500人。ペラージェ諸島に属する他の島ともども、シチリア州アグリジェント県に属するランペドゥーサ・エ・リノーサという基礎自治体(コムーネ)を構成する」

 「海は燃えている」フライヤー。.jpg

 先日記したように、150kmというのはキーになる距離感で、チュニジアはもうそれよりも近いのだから、昔から漁民にとっては、お互いに往来をしない方がおかしいような位置関係になるはずだ。本国のシチリア島のアグリジェントよりもずっとチュニジアの方が近いのだから。
 先日はアグリジェントで最高のシーフードを喰った。俺たちに勧めたのは刑事コジャックみたいな禿頭の精悍な男だが、飽くまでも、女を攻めるのが憎らしいね。
 「マダム、今日はこのような素晴らしいネタが入っています」
 でかいトレイに大きなスズキと真鯛と黒鯛を乗せてきた。

アグリジェントのディナー(1)シーフードの盛り合わせ.jpg

 ドキュメンタリーの中で、彼らの命の値段もハッキリと語られる。  
  その恐ろしい船に乗って来るアフリカからの難民は船倉にいるのが八百ドル甲板が千ドル、船の上が千五百ドル。こいつはナマのドキュメンタリーだから、すっかりやれらた。
 機内ではサヴィアーノのカモッラ関連本、「死都ゴモラ」を読んでいたのて、アフリカとイタリアとの関係、中国とイタリアとの関係が闊達に語られて、すっかり脳内はウエーブウェーブな雰囲気になっているのだった。
 俺は加齢によってどんどん性格が先鋭化しているので、ますます作り事が嫌いになってきたが、「海は燃えている」には充分にリアリティーがあって、痺れさせられた。
 音楽が素晴らしい。このリアルなブルースがあって、映画の現実と夢とがさらに混交して観た者の胸に迫る。難民ボートの船倉に折り重なった死体の美しさ――1970年代のヴェトナム難民のそれを思い起こさせる。
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「Le Grand Bleu」から「山猫」へ(下)。

5月11 日

「Le Grand Bleu」から「山猫」へ(下)。

 そこでSicilia社会を描いた小説「山猫」とこれを映画化した物語、それに絡む四方山の話になる。

 Giuseppe Lampedusa(1896-57年)の描いた「山猫」は江戸末期と同じく時代設定は1860年である。「赤シャツ隊」を率いてBurbon家から南イタリア奪回運動を指揮したGiuseppe Garibaldiの家は元々船舶を所有する海上貿易商人。日本なら、西郷隆盛か、商売から言うなら台湾の鄭成功のような者になるか。

 Don Calogero Sedaraは市長で土地管理人。娘がClaudia Cardinaleの演じた美しいAngelica Sedara。土地管理全般を任せる貴族の殿様がDon Fabrizio(サリーナ公爵)で、その甥っ子がAlain Delonの演じた Tancredi Falconeriというわけだ。

 原作のLampedusaはParelmoの在住者であったが、映画監督のLuchino Visconti(1906-76年)は北イタリアに地所を持つMilanの公爵の家に生まれたから不在地主の貴族の無力感はSiciliaに地所を持つ貴族仲間と共有していたわけだろう。


「山猫」製作現場で演技指導中のVisconti伯爵。.jpg


 使用人の娘Angelica Sedaraと公爵家を継ぐTancredi Falconeriの結婚を認めて、公爵は封建制度の崩壊と共に没落していくことになる。引き換えに、新しいカップルは荘園を出て、統一イタリアに変化していく社会の中で居場所を確保しようとする。無論、後ろ盾は、公爵から、故郷の義父(市長)に、新しい権益マシーンへと変わっていくのだ。

 都市部の夫婦の子供たちはやがて医者になり、弁護士になり、都市で社会的な地位を確保し、新興ブルジョワジーの一角を占める。首都RomaとSicilia闇社会との結束は、表面的には見え難いが、年月を経て深化し、切っても切れない関係になっていく。事実、多少の違いがあっても、これが大よその歴史的流れのようだ。その子孫の中から首相が出てくることにもなる。それが今のかの国だ、と。

 夏目漱石の「坊ちゃん」ではイヤミな帝大卒のインテリ男として「赤シャツ」が出てくる。生前、漱石は「赤シャツは自分かも」と言ったと伝えられるが意図するものは違うだろう。

 「赤シャツ少年団」なら劇作家のMoln�・r Ferenc(1878-1952年)有名だ。1880年のBudapest(Hungary)を舞台にした少年文学作品、「パール街の少年たち」では、主人公たちと対立する原っぱの向こう側の少年団。Austria-Hungary帝国二重統治の暗喩で、パール街の少年団は無論Hungary側。

 「赤シャツ少年団」はHungaryも牛耳ろうとするAustria側だから、「赤シャツ」はGaribaldiの象徴する祖国統一の官軍側だ。実際に加賀藩出身の教頭がモデルとされる。加賀藩は鳥羽伏見で幕府が敗走すると官軍に寝返った。かなりイヤミな設定だろう。

 「坊ちゃん」の教える松山中学は言ってみれば官学進学を志望する新時代のエリートの養成校だが、商人を育てる商業学校と仲が悪く大喧嘩をする。エリートを取り締まる「坊ちゃん」は東京物理学校で、会津藩出身の「やまあらし」と共に元賊軍側の出身である。どうも取り締まるにも身が入らない。「やまあらし」も、漱石の脳裏では官軍師弟が進む官立大学出身者という設定ではなかったろうと俺は想う。

 だから話をややこしくすると、Siciliaの人々は「パール街の少年たち」であった。祖国統一に燃えたGaribaldiはやはり西郷隆盛で、江戸の無血開城を成功させ、大政奉還を進め、明治天皇に仕えて廃藩置県で祖国統一に貢献したが、最後はGaribaldiと同様に野に下った。


            夏目漱石(夏目千円)。.jpg


 小説の最後で「赤シャツ」は懲らしめられるが、賊軍の2人は松山から逐電してしまう。やがて「赤シャツ」はキャリアとして出世していったはずだ。主人公は俸給40円を棒に振り、街鉄の技手(月給25円)となった。賊軍には厳しい結末とも言える小説は、その賊軍の成れの果ての漱石によって廃藩置県後35年にして書かれたことも勘案したい。

 19世紀後半から起きたイタリアの統一は、実際のところSicilia、Sardiniaの2つの大きな離島とイタリア半島南北の梟雄たちの「国盗り物語」である。地方色が豊かで各地各々お国が違うと思えばいいとよく言われるが、歴史的にも実際に国が違っていた。


「パール街の少年たち」スチール。.jpg


 Don CalogeroとAngelica、Tancrediのトロイカは、Siciliaのある地方を背景にした権力・資金マシーンだ。現在の統一イタリア社会には、これと別な形で根を生やした様々なマシーンがあるというわけだろう。MAFIAはその歴史的所産ということになる。

 日本でも、廃藩置県当時は各地で小藩には統一の過程で大小様々な問題が起きたが、最後は収斂した。何せ万世一系の天皇がいた。ヨーロッパの王侯貴族でさえグーの根も出ないのは日本の天皇家だろう。考えれば考えるほど畏れ多い一族である。

 だから、逆に言えば、国家統一と言っても、日本のように天皇を頂点とする連帯感を持った国家は実はどこにも他に無い。Londonでも北京でも、ましてや毎回独立の話が出るCaliforniaでも、日本との違いを肌身に感じながら暮らすことになった。ましてSiciliaをや。


追記

とても不思議な体験だった。近所のイタリア飯屋で、突然隣のテーブルの93歳の老女から話しかけられて。

日本なら大正末にニュージーランド生まれて高校でオーストラリアに引っ越した。本人はアメリカで音楽や教育を受けてロンドンへと引っ越して65年経つと言っていた。室内楽とオーケストラ両方でバイオリン弾いてて東京には4回仕事で行ったことがあるそうだ。元々

父親はジャーナリストで、大戦前には東京の特派員で、日本贔屓は筋金入りなんだって。

彼女は日本人が大好きで日本の文化も好きなんだって言うんだけど70代の半ばにしかまあ見えない。不思議だった。

キツネに包まれたような、豊饒の海の最期の本多の気分かな。もしくは騙されたか、彼女ボケていたか。不思議だった!


Buddies

I am too tired to say anything more today. It would over 10 hours to arrive at the next port. I need updating much earlier than usual.

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「Le Grand Bleu」から「山猫」へ(中)。
5月10 日
「Le Grand Bleu」から「山猫」へ(中)。
 13世紀、SiciliaはFrance貴族のアンジュー一族(maison d'Anjou-Sicile)から過酷な支配を受けていた。1282年の反乱でSiciliaは一度独立を果たすが、この時の合言葉は次の通り血生臭いものだ。
 「Morte alla Francia Italia anela!(フランス人を殺せこそイタリア人の叫びだ!)」
 その後も近代までSpain、Austria系の王国からの支配を受けたのだが、この最初の武装蜂起の合言葉を取って「MAFIA」という言葉が生まれたという説がある。蜂起した集団を「MAFIA」と呼んだ、と。
 さらにアラビア語の「健康、勇気、力」を意味する「MU」と「保護」を意味する「AFA」の合成説もあると言う。
 30年前、農村部では週末の朝になると、農場から正装した男たちが広場に集まっていた。ひそひそ声で話をしたり、トランプをしたり、仲間と腕を組んで、狭い広場を行ったり来たり。昼時になると昼食を取りに一度は帰るが、また、妻や恋人と共に広場に戻って来る。そこまではいいのだが……。
「広場をよそ者が通ると、そこに居合わせた者すべてが話をやめ、歩みを止め、そのよそ者に視線を集中する。その視線は、好奇のものとは違う。警戒心と猜疑心によるものである。水をうったような静けさの中を歩く後から、背中にはりつくかのような何十という視線を痛いほど感じる。それは一種の恐怖であり、強烈なカルチャー・ショックである」

        「血と掟」(安藤昇)スチール。.jpg

 近代イタリア史の研究家の藤澤房俊は「シチリア・マフィアの世界」[講談社学術文庫]の冒頭でそう書いている。1988年に中央公論社で出版された本書は2009年に文庫化されたため、これは30年ほど前の島の農村部の様子と考えてみよう。
 本書には、彼らには名誉と「オメルタ(Omertà)」以上に重要な価値観は無いとある。「誠実、信頼、強さ」を意味する言葉で、その表現形態が沈黙なのだとある。また、国家あるいは法の権威に対する不信、あるいは反抗の表明として理解されなければならないとも。だから、よそ者であっても、法を犯した者は救済の対象となるのだ。
 「法を犯した者を救うために、被支配者としての連帯意識をもって、沈黙を守り、支配者に対する抵抗の姿勢を示す。この行為もオメルタとして理解されねばならない」
 これが犯罪社会と誤解される部分なのだろう。これは、抵抗の一形態なのだ。
 「シチリアで撮影していたにもかかわらず、僕には一度も接触しなかったんだ。残念なことだよ…」
 広場の週末の光景を想い描きながらEnzo Maiorcaの言葉を反芻するとニュアンスが違って浮かんでくる。
 「Death to the French is Italy's Cry」
 恐ろし気な「MAFIA」という言葉の語源には諸説あるのだが、それよりもこのような社会の構造が成立した由来に興味がある。調べてみても、よく分からない。自分なりに納得できると感じたのは、普段から遠地の大都会に住み、領地には暮らしていなかった貴族による大土地所有制が根っこにあること。
 日本でも徳川時代の封建制では全く同じ現象が起きている。幕府直轄地、当時で呼ぶ幕領、今で俗に言う天領も、他藩でも飛領は不在地主のせいで腐敗が多く、汚職が起き易かった。悪代官と三河屋が手を結べばやりたい放題で、事実、闇に葬られ、歴史から隠蔽された汚職事件は多かった。

飛騨高山旧街道.jpg

 所有者が離れた場所にあって、土地の政治を代理の者に任せれば、得てしてそういう腐敗は起きるもので、直轄地・飛領の風紀は乱れ賄賂が横行した。地元商人の三河屋にとって見れば、江戸から人事異動で任命される鬼代官様も任期を勤めれば江戸に戻る「お客さん」である。飛び地になった天領は、周辺社会と風紀はかなり違っていた。
 山岡鐵舟の実家の旗本・小野家は蔵奉行で、江戸で生まれた鐵舟も父親が代官よりも上の郡代職だったため、飛騨高山で育った。飛騨は木材だけでなく、銀山があったため、豊かな資源に目を付けた徳川の直轄地とされたわけだ。
 飛騨の小京都と呼ばれ、春の「山王祭」と秋の「八幡祭」はますます名高くなっている。祭は直轄地とされ前の外様大名・金森氏が起源とされており、幕府が目を付けるだけの派手なものでもあったから、金森氏は出羽上山に突然移封されたと言われている。やり過ぎだったというわけだ。
 例えば、飛騨に三河屋があれば同じ時期のSiciliaに当てはめれば、所有者に管理を任された農地管理人が民兵として農地監視人を組織した。これがMAFIAのベースだ。日本なら江戸時代末期。徳川による封建政治が終わりを告げようとしていた時期である。


追記
半島の某所の政権が交代して、困ったことになるのかどうか。10年振りの野党で、コイツが、また、「P」による粉薬がタップリとかかったヤツだけに困ったことになる可能性が強い。
下記写真は某所にて皆さんとコミュニケーションするための参考に作って行った資料ではなかったのに、結果的にはドワーっと盛り上がるきっかけになってしまったのよねえ。

CV of Giuseppe Genco Russo and Calogero Don Calò Vizzini.JPG

追記の追記
明日は昼間はマチに行こうかと想ったけど、止めるわイ。家でゆっくりして、メシ喰って、それからクソでもひってゆるゆると羽田に出発することにするワイ。シーメはどまずいし、寝れないことも分かっているんだけれど。
| 4映像 | 07:22 | comments(0) | trackbacks(0)
「Le Grand Bleu」から「山猫」へ(上)。
5月9日
「Le Grand Bleu」から「山猫」へ(上)。
 96年の「BRUTUS」を読んでいて、ああそうだったのか、と想わされた話を幾つか。
 昨年11月、Enzo Maiorca(1931-2016年)も亡くなった。どうせSicilia島に行くなら、じいちゃんのその赤銅色の皮膚と風貌を拝んで来ようかとも想っていたけれど、もう、果たせない。ちょっと残念だ。
 ヤクザだとか犯罪者にばかり会ってきたわけではなくて、こういう命懸けの冒険者の風貌にもずっと興味があった。元々Jacques-Yves Cousteau(1910-97年)は少年時代のヒーローの1人だった。
 戦闘機乗りや船乗りは15歳で仮性近視になってからすっかり諦めてしまったけれど、本当は空や海をのような大自然を相手にする特殊なオペレーターの世界は俺には合っていたと想う。夢は果たせなかったけれど。
 というわけで、Enzo Maiorcaといえば素潜り名人だが、彼の人生も、我々外国人にとって、あの映画を抜きに語れないということになる。
 1988年のイタリア・フランス合作映画、「Le Grand Bleu」がそれ。記すまでもないが、フランス人のJacques Mayol (1927-2001年)とイタリア人のEnzo Maiorca(1931-2016年)との友情が映画の軸になっている。

Jacques MayolとEnzo Maiorca.jpg
 左側がフランス人で、右側のイタリア人とライバル同士だったわけだけれど、俺はその
 気質の描き方は映画作法の典型的な一つのデフォルメだと想うわけだ。だけど、本名を
 使うところにフランス人の愚かさを感じる。一昨年の諷刺画テロもその伝だからねえ。
 フランス人同士なら気にしなくとも、隣人なら怒るというか、哀しくなるだろうなあ。
 我々もやかましい隣人が向こう三軒に軒を並べているから容易に分かることだけれど。

 しかしEnzo Maiorcaはこのフランスでは1千万人を動員した大ヒット映画を、名誉毀損だと訴え、2002年に公開されるまで、長くイタリアでは上映されていなかった。
 「R.ベッソン監督は同じフランス人であるJ.マイヨールの話を聞いて、全面的に信用
 したんだ。シチリアで撮影していたにもかかわらず、僕には一度も接触しなかったんだ。
 残念なことだよ…」
 Sicilia島で撮影していたのに監督もJacques Mayolも仁義を切りに来なかったとは知らなかったぜ。
 映画の中でEnzo Maiorcaは選手権で負けて死んでしまうという結末になっている。 この取材当時、彼は65歳だった。自然保護と島の資源を活用した観光立国をめざしてRomeで活動する国会議員だった。
 「BRUTUS」で明かされる公開反対の理由は映画の中で死んでしまったことよりも、彼自身の行動様式と価値観の描写の部分だ。
 「エンゾが登場するファーストシーン。落ちた金貨をマイヨールから横取りする描写は、
 彼には耐えがたいものであった」
 「イタリア人を泥棒と思っているのか、いきなり金がらみの逸話だ。おまけにエンゾ
 (自分の描写)ときたら、筋肉を膨らませるし、『ビバ!イタリア』だ。最悪だよ」
 彼の右腕に彫った刺青はタコ。

         Enzo Maiorcaの刺青 (2).JPG

 本人はイタリア人と普遍化するが、ここは、やはり一歩踏み込めばSicilia人気質の描き方ということになるだろう。しかし、もしそうなら、失礼な話だろう。実在の彼と同じ人物を出演させ、その人物が他人の金貨を掠め取り、揚句の果てに映画中で死んでしまうのだから。
 こういう話は、実はよくある。小説でも脚本でも映画でもあまり報道されないのだが、本人に会ってみると、あまり言いたがらないが、ちらっと不満を口にしたりすることがあるものだ。
 美能幸三にしたって映画の細かい描き方には色々不満があった。しかし映画はヒットして、その後もリバイバルし、若い世代から映画が再評価されるようになり、幸三さん自身も晩年は再び名が売れたところもあって、不満は抑え込み、黙っていた。

晩年のEnzo Maiorca.jpg

 しかし、Enzo Maiorcaの場合は、古い友人に裏切られたと感じたので声を大にして言ったのだろう。
 「監督は若いから仕方がない。が、ジャックは友人でライバルだと想っていたから…」
 「(映像は)きれいな映画だ。が、もし真実を描けば、より美しい映画になったのに」
 作家でも本人に仁義を切らずにモデルにしたと公言し、売り抜こうとした人はいる。そういう場合に、日本の場合には名誉毀損で訴訟という事態には滅多になっていない。だが、泣き寝入りとまでは言わないが、不満を抱いている人はかなりいる。
 ここでは記さないけれど、音楽関係もこの辺りは微妙なものがある。Chuck BerryのようなオリジナルのRock ‘n’ Rollを書いた黒人ミュージシャンは、奪われるだけ奪われ、盗まれるだけ盗まれたと言えるだろう。
 「Le Grand Bleu」はフランス人らしい話だが、Siciliaの人たちが納得はしないだろう。そう考えると、同じSiciliaでもParelmoの話になるが、「Godfather 」の撮影では、Francis Ford CoppolaはSiciliaの公衆の前に一度も現われなかった話は味がある。
 Parelmo市内にある老舗、「Grand Hotel et des Palmes」は“その筋”から命じられ、市内から40年間一歩も領地に帰れなかった伯爵が暮らしていたとある。Francis Ford CoppolaはSiciliaの悪名を高らしめたのは間違いない。「Le Grand Bleu」でEnzo Maiorcaが金貨をくすねるのもこの作品の延長線上にあると言えなくも無いだろう。
 つまるところ、あのCoppolaさえ“その筋”から何か言われていたのかも知れない。


追記
行って来ましたぜ。島の人たちにも聞いたけれど、彼はよく街外れの海岸で潜っていたそうだ。だけどシチリア人は元々ヤマの人間だと彼は言っていたな。素潜りなどのマリン・スポーツは有名だけれど、社会の成立から考えると、海岸は長い間、ギリシャ人をはじめ、ローマ人、サラセン人、フランス人、スペイン人まで、異人らの侵入して来る恐ろしい場所だったから、弱い彼らはヤマに集まって、身を寄せ合って暮らしてきたのだと語っていた。

     Love is Miserables.jpg

Enzo Maiorcaは対外的には黙っていたが、島の人々の間では吠えまくっていたのだろう。そして、行く先々で島の人たちの語った言葉は、シラクーサやらムッソメーリやらを歩くに従って例証され、ジワジワと彼らの歴史的文化的な背景について考えるきっかけとなった。
| 4映像 | 06:22 | comments(0) | trackbacks(0)
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