岡田純良帝國小倉日記

気になる本――誰がユマニストだって。
11月20日
気になる本――誰がユマニストだって。
 「あいまいな日本の私」[大江健三郎著, 岩波新書]
 東大先端研の政治学者・牧原出(1967年-)がなぜ1994年刊行のこの本を選んだのだろう。当初は不思議に感じた。しかし冒頭のこの一文を読んで納得した。
 「タイトルのこの言葉を一目見て、今なお『うぐっ』と思わない日本人がいるだろうか。戦後さらには近代以降の日本と日本人を見事に射貫く表現である」
 「大江健三郎氏が1994年にノーベル賞を受賞したときの記念講演などの講演集。冷戦後という不安定な時期に耳目を惹く日本論だった」
 「この『あいまいさ』から我々は離れることができるのか。それとも21世紀の世界が『あいまいさ』の中に沈み込むのか。折に触れて読み返したい講演録である」
 政治学者としては戦中のファシズムの暴威を許容した日本人の「あいまいさ」を考えないわけにはいかないのだろう。

       「日本現代のユマニスト渡辺一夫を読む」[大江健三郎著].jpg

 それでも、言っている人は喰えない大江健三郎(1935年-)である。
 元々川端康成(1899-1972年)のノーベル賞受賞時の講演、「美しい日本の私」に引っ掛けて、川端康成らが無意識に使った「美しい」といった表現の「あいまいさ」を批判したもので、周到に準備された川端的なるものの文学的な否定だと俺は感じる。
 受賞時の講演からはよく次の部分が引用される。
 「私は渡辺一夫のユマニスムの弟子として,小説家である自分の仕事が,言葉によって表現する者と,その受容者とを,個人の,また時代の痛苦からともに恢復させ,それぞれの魂の傷を癒すものとなることをねがっています」
 しかし、全文を読むと、仏門の師匠・渡辺一夫(1901-75年)に引っ掛けてはいるのだが、渡辺一夫の威を借り、自分の文学を、日本的な感性と美感から距離を置いて、政治的な意図をも持った作品と宣言しているものでもあるようだ。
 想い返せば、「若い日本の会」の名の下に、戦後世代が社会に初めて声を挙げたのだった。石原慎太郎、浅利慶太、黛敏郎。江藤淳らの右派から、谷川俊太郎、寺山修司、開高健、羽仁進、武満徹らに加えて、大江健三郎も混じっていたのは今では不思議な感じもある。

      「ノンフィクション ずばり東京」展。.jpg

 しかし、殆どの人々が世を去るか、人前に姿を現さなくなって久しいが、今でも何らか発言を続けているのは大江健三郎である。まことにしぶとい。
 大江健三郎は83歳だが、ここまでくれば、最早、過去を否定し、日本の文化を否定する勢力が頼みとする黒幕でなくて何だろう。同世代より少しでも長く生き、長命を保って自分の頭の上がらない誰もが消えて世界が沈黙するところまで生きようとしているのだ。
 ユマニストを名乗るなら、渡辺一夫が開高健(1930-89年)を相手に口にしたように、
 「陛下がお叱りになりませんか」
 自分の仕事が世間に及ぼす影響を畏れることを洒落のめす精神の余裕が欲しい。
 開高が発止と受け止め、縷々まぜっ返した後で、渡辺は言う。
 「許して下さるわけですか」
 「ええ、許していただけるんです」
 「それで安心しました」
 オチまで着ける。
 それなのに本書で語られる弟子の言葉はカチカチで笑いが無い。ユーモアの無い人物にユマニストと名乗る資格があるのだろうか。日本の知性がこんなものだと想われるのは悔しい。(『平成時代名著50』政治学者・牧原出評、讀賣新聞)


追記
結局のところ、こうなったわいねえ。


ゴーン・ゴーン
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某所へ持参する書――放浪語学生の喪われた青春(肆)。
11月19日
某所へ持参する書――放浪語学生の喪われた青春(肆)。
 「北京飯店旧館にて」[中薗英助著, 筑摩書房]
 昨日からの話の続きになる。「週刊文春」で「八九六四『天安門事件』は再び起きるか」を書いた安田峰俊(1982年-)が登場して、本書の目指したモデルについて語っている。
 「本書がモデルとしたのは、産経新聞の記者たちが“全共闘運動”を取材した『総括せよ! さらば革命的世代』(産経新聞出版)。一方的に断罪するのではなく、当事者たち一人ひとりに淡々と話を聴くなかで、“全共闘運動”とその敗因が浮かび上がってくる。私もそういう筆致で天安門事件を描きたいと思いました」

「北京飯店旧館にて」表紙。.JPG

 実際、全共闘運動の敗因と天安門事件とは驚くほど似ている。しかも俺には天安門には「阿Q正伝」や「文化大革命」と同じ匂いがする。烏合の衆がリーダーの呼び掛けに一斉に「吶喊」する光景である。
 さて、ここで、再び天安門事件が起きる以前の「北京飯店旧館にて」の話に戻りたい。
 中薗英助は、王府井は銀座四丁目で、前門は浅草だと記している。今の王府井でさえ、中薗の再訪した時の80年代後半の王府井とは違っている。移動手段は今では自転車ではない。一本しかなかった地下鉄も路線は増え、すっかり地図が変わってしまっている。
 中でも最も苛烈な破壊が行われたのは中薗も暮らした前門から瑠璃廠の辺りであった。恐らく清代に源流を辿れるような老舗が軒を連ねていたが、全てブチ壊されてしまった。中薗の筆で、その名店の幾つかが紹介されて、胸が熱くなった。
 2005年には北京で反日デモがあったが、俺はあのデモを観ている。学生がふざけながら行進してきて、のろのろとした仕草で黒い「東京三菱銀行」の看板に投石を始め、やがてガラスが割れた。間の抜けた行進で、そこに居合わせたから言えるのだが、あれこそ、北京市公安の呼びかけに応じた学生を前面に出した官制デモだったのだ。
 あの頃から翌年にかけ、前門は地面から全て上にあるものは徹底的に破壊された。北京地下城も当時誰でも見学ができたのだが、今では公開は禁じられている。それどころか、埋め立てられているという話も聞く。
 本書は連作で、タイトルの「北京飯店旧館にて」は王府井近辺を歩き、北京飯店の旧館を訪れようとした中薗が、新館、新々館が増設されていることを知らないで迷い歩く話だ。

「いやな感じ」表紙。.JPG

 本書は久方ぶりに訪れる北京に持参する予定でいるのだが、中々再訪の機会が訪れない。国慶節の季節は一年中黄砂の飛ぶ北京には珍しく晴天の日が多くなる。北京飯店旧館の屋上から、昔は紫禁城を右に観ながら東長安街に夕陽が落ちていく絶景が眺められた。
 「国慶節に、北京でお会いしましょう」
 俺には中薗が戦中に付き合った中国人の友人が再訪した時に世を去っていたのと違って、旧友たちはまだ元気に北京で暮らしている。
 我々の関心事は今や天安門事件や民主化にあるのではない。20世紀初頭に一度は消えた「皇帝」が復活するのかどうか――恐ろしいことだが、これは世迷言ではない。
 中薗英助さんの気持ちを俺はよく分かる気がする。不甲斐ない、歯がゆいと怒りつつも、なぜか哀しくなってくる。全共闘に対する軽蔑とは微妙に違った情けなさ。


追記
昨日は結局のところ日中は自宅に逼塞、夕方から事務所経由でジュクに。ジュクでは待ち時間の間に高橋呉郎と田辺聖子の文庫を購う。本日は某所にて若者と一杯。
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某所へ持参する書――放浪語学生の喪われた青春(賛)。
11月18日
某所へ持参する書――放浪語学生の喪われた青春(賛)。
 「北京飯店旧館にて」[中薗英助著, 筑摩書房]
 渋谷の某店の女将から頼まれて、俺は彼女の60年前の北京の旧居を訪ね当てたのだが、それが何と魯迅の旧居の隣で女将は魯迅の旧居がすぐ近所にあったことは知らなかった。彼女も店を息子夫婦に譲ってしまい、もう10年はお会いしていない。
 「日本人家族の住んでいた四合院では阿片を製造していたのよ」
 末っ子の彼女は兄から往時の北京の話を聞かされて、引き揚げた後になってから北京の日本人家族の暮らしを記憶していた。

「北京飯店旧館にて」表紙。.JPG

 北京の冬の風物詩は、冬の初めに北京に数千あったと言われる胡同まで、牛車が大きな大八車に白菜を山積みして現われ、大八車の上から白菜を胡同の門の前に落としていく。住民はこれを拾い上げて、その日の砂鍋に入れたり、発効させて漬物を漬けたりした。
 北京の白菜は旨い。こればかりは旨い。それと小山羊の丸焼き。そういう安価で身近な庶民の喰いモノは、俺の暮らしていた2005年頃には、すでに時代遅れにもなっていた。
 若い学生たちは中国茶を飲まなかった。コーラやコーヒー、甘味飲料水ばかりで、茶を呑むのはロートルと見られていた。わざわざ求めて行かなければ、ざっかけない老北京家常菜(昔の北京の家庭料理)には辿り着けない。中国人は派手でキラキラしたものばかり求めていた。今もそうだろう。
 今年5月、興味深い本が出版されて、全国紙各紙や週刊文春の書評で取り上げられた。
 「八九六四『天安門事件』は再び起きるか 1989年6月4日、中国の“姿”は決められた。タブーに挑む大型ルポ!」[安田峰俊著, KADOKAWA]

「夜よシンバルを打ち鳴らせ」表紙。.JPG

 日本人でなければ書けない。1982年生まれのライターは、事件当時はまだ事件の意味を深く理解できる年齢ではなかったはずで、だからこそ、こんな本が上梓されたのだろう。
 天安門事件に関わった人たち。当時と今の暮らしを聞き書きして羅列したルポである。中国で事件は核心的禁忌でもある。こんな書籍が流入して、もし現地の人間が携帯していたら本当にヤバイことになる。しかし――結末は意外にも拍子抜けだ。朝日の長谷川眞理子の評を引いてみよう。
 「浮かび上がってくる一つの事実は、これが、さしたる思想的背景もなく、目標が共有された運動でもなかったということだ。胡耀邦が亡くなったことをきっかけに、なんとなく若者たちの鬱憤晴らしでハンストにまで至ったが、戦車で鎮圧された。あれ以来、中国は小平による改革解放政策で経済的に大躍進を遂げた。一方、貧富の差は拡大し、要人の腐敗は横行し、言論統制はますます強まった」
 「それでも多くの人々は現状に満足している。あの当時よりも生活は格段に豊かになり、北京五輪は大成功。今、また自由を求めて天安門広場に人々が集まったら、子どもを行かせますか?いやー、難しいね。たぶん行かせないかな…」
 「中国共産党による言論統制は、ネット社会でますますひどくなる。しかし、そんな自由のなさよりも、金持ちになれることの方が嬉しい。今は拝金主義に徹することで鬱憤を晴らしているのか?日本の学生運動の行く末も含め、自由と幸せとは何なのかを考えさせられる」(総合研究大学院大学学長・人類学・長谷川眞理子評、朝日新聞)
 本稿、明日も続く。


追記
本日は高尾方面。その後、中央線沿線にて定点観測、夕刻、ジユクにてアジア有識者勉強会。良い季節だが遊びに行くことは中々かなわん。勉強会には持参するモノはないかもしれんが、あるかもしれんなあ。遺族から頂いた、高見順の古いボロボロの書籍を差し上げても喜んで頂けるか思案中。ジンガイの教養人には喜んで貰えるものを考えるのは大変なのだ。

追記の追記
再来年のサンフランシスコ大再会パーティーの日程が決まった。連絡ありました。色々なものが決まっていきますな。
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某所へ持参する書――放浪語学生の喪われた青春(弐)。
11月17日
某所へ持参する書――放浪語学生の喪われた青春(弐)。
 「北京飯店旧館にて」[中薗英助著, 筑摩書房]
 昨日の同世代の中園英助(1920-2002年)と島尾敏雄(1917-86年)の話の続き。
 面白いことに、といおうか、当時はそれが自然だったのかも知れないのだが、ロシアはヨーロッパの一部という読み方をしていて、今ならロシアはヨーロッパ文化圏と同じと誰も捉えないと想うが、当時の日本の文学青年たちにとり、その辺りの文化圏の違いは曖昧であったようだ。

「北京飯店旧館にて」表紙。.JPG

 Fyodor Dostoevsky (1821-81年)とNikolayevich Tolstoy(1828-1910年)は彼らにとって巨匠であり、ヒップスターだったということなのだろうが、同列にチェコやフランスの作家などが語られる。輸入海外文学はひとまとめということだったのか。この齢でも、ロシアの大河物語には、どうしても俺は感情移入ができない。
 そういえば、同年代なのに、戦争体験は全く異なる。島尾敏雄は特攻隊の隊長となり、配属された奄美で決定的な体験をするが、中薗英助は外地暮らしだったから召集令状を受け取らずに敗戦を迎えた。
 老いた作家は若い頃のように41年ぶりで北京語を操ることがままならない。何事もままならないのだ。そして、こちらには最も強く迫ってくる描写は城壁のあった時代の北京っ子の暮らしぶりだ。
 昔は、一生涯城内から出ない人もあったと言われるように、敗戦の前には四方を城塞が巡っていて、暮らしぶりは城内と城外とでは違っていた。作家は幾度も街に立ち止まりながら庶民の暮らしを回想する。

「密航定期便」表紙。.JPG

 今日でもNHKの北京総局から記者がマイクを持ってレポートする場面は、市内を背景にしたガラス部屋で撮影されている。スタジオの背景に何時も自動車で込み合った道路が見えるが、あのすぐ向こう側に破壊を逃れた城門だけが今日も残っているはずだ。
 92年に筑摩書房から出た単行本は、この後、読売文学賞を受賞して、講談社文芸文庫に入った。今では中薗の代表作とされ、講談社が文芸文庫に入れた理由はこう紹介される。
 「『きみは、人類という立場に立てますか?』日本占領下の北京で出会った中国の友は、謎の問いを残し戦地に消えた。またある友は、文化大革命で迫害を受け窮死。41年の歳月を経て、青春の地・北京に還った作家は、彼我を隔てる深い歴史の暗渠に立ち竦みつつ、その底になお輝きを放つ人間の真実を探してやまない。日中の狭間に生き、書いた中薗の深い想いが結晶した代表作。読売文学賞受賞」
 本書に、魯迅(1881-1936年)の去った北京で、夫人の許廣平が家に戻っているとの情報を得た中薗記者が訪ねると、思いもよらない老婆が現れた。それが正夫人で、殆ど人前に姿を現わさなかった朱安であったと書き遺している。歴史的証言だ。本稿、明日も続く。

追記
羽田到着。
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某所へ持参する書――放浪語学生の喪われた青春(壱)。
小倉日記’18(第三十四弾)
11月16日
某所へ持参する書――放浪語学生の喪われた青春(壱)。
 「北京飯店旧館にて」[中薗英助著, 筑摩書房]
 中園英助(1920-2002年)は北九州の旧制中学を卒業し、中国語を学ぶために北京に渡った。放浪語学生となりシベリア鉄道で働きながらParisへの脱出を画策する。ソ連大使館から追い返されてこれも果たせず、20歳の頃には邦字紙「東亞新報」記者となった。
 北京で中国生まれの日本人2世の女性と出会い、将来を誓い合うようになるが、敗戦の混乱の中で結婚し、1946年に日本に引き揚げる。

「北京飯店旧館にて」表紙。.JPG

 後ろ髪をひかれる想いで引き揚げ船に乗ったのだろう。社会に踏み出す17歳から20代半ばまで過ごした北京である。下宿で身の回りの世話をしてくれる兄妹から、新聞社の上司、果ては文芸記者として取材した取材先まで、北京中の街角を歩き回った。俺には、何となく、「いやな感じ」の主人公で、主義者でリャク屋の加柴の四郎さんに想える。
 付き合いのあった演劇系の友の中には、上海憲兵隊本部や謀略機関のジェスフィールド路76号に拘引され、殺された演出家もあった。また、その愛人と言われた女優も、その行方は杳として分からない。
 20代で去って以降、その後は中国も大きな体制の変化があった。とりわけ文化大革命を通じて、付き合いのあった友人や知人の中には、「大東亜文学賞」を受賞したライバルの中国人新進作家袁犀(李克異)もいた。だが、漢奸作家、日本への協力者の嫌疑をかけられ、後に市内で粛清されたらしい。そういう話がポツリポツリと語られる。

文士君のための書評の束。 (5).JPG
 獄中の諸兄向けに溜めている書評の束は大判の書類入れにもうパンパンに溜まっている。

 戦後、作家として立ち、海外各地に取材に出掛けたが、あれほど長く暮らした北京には、再訪することは中薗英助自身が硬く戒めていた。80年代に改革解放となるまで、冷戦で中国全体が厚いベールに包まれていたこともある。
 しかし本書を読むと、中園が変り果てた北京を再び見ることを極度に恐れていたように感じられる。重たい感覚が読み手に伝わってきて、苦しいような気持ちにさせられる。これが普通の話なら、何を勿体ぶっていやがるんだとイライラさせられる。
 ところが、ここでは中薗の気持ちはよく分かる。中国人が中国人に何をしたか、今でも中国人同士では食人までやる――それらを、中薗だけでなく、こちらもよく身に染みて分かっているからだ。儒教は食人までを正当化したと魯迅(1881-1936年)は描いている。
 不思議なのはロシア人作家への思慕。神戸育ちの島尾敏雄(1917-86年)の「私の文学遍歴」[作品社]を併読していて、彼ら2人にロシアの文学がどれほど深い印象を与えていたのか、ということを感じさせられた。
 島尾敏雄は長崎高商の学生時代、高台にある昔の外国人向けのホテルを改造した下宿で亡命ロシア人たちに混じって暮らしていたことを回想している。彼らの生まれた時代に革命が起きて亡命してきたロシア人であるから、何れもご老体だった。それでも革命前、ロシア軍の将官であった人物の佇まいを島尾はじっと観察している。本稿、明日も続く。


追記
マルーン5の話で盛り上がったりしたのは面白かったな。というわけで地獄の旅も本日限り。

追記の追記
シャシンに上げた書籍と書類袋は無事あちらに海を越えた。今週末、某所にて彼らのある人と再会予定。
| 9本・記録集 | 08:25 | comments(0) | trackbacks(0)
知るのが怖い本――隣にいるサイコパス。
11月15日
知るのが怖い本――隣にいるサイコパス。
 「サイコパスの真実」[原田隆之著, ちくま新書]
 本年7月6日にはオウム事件に絡んだとされる死刑囚7名の刑が執行された。彼らは、サイコパスではないのだろうが、13人の犠牲者を出し、6千人が巻き添えを喰ったあの日のことは、新御茶ノ水駅の現場に立ち会っていたため、忘れようにも忘れられない。
 松本死刑囚は東京拘置所に収監されていたので、俺は常磐線の特急の窓から何時もあの異様な高層建築群を見上げる癖がついた。世界から非難されたりしているそうだけれど、国家転覆を狙っていたカルト集団の狂気を許していてはイケンよ、そりゃ。
 執行前、「明らかな精神障害は生じておらず、面会はかたくなに拒否するが運動や入浴の際に促すと居室から出てきている」といった最新の状況が拘置所から報告されていた由。拘置所では死刑囚の姿を垣間見、直接、会話を交わした法務官が何人もあるはずだが、彼らは、棺桶に入るまでその話はできない――建前は。ウハハハハハハ。
 著者の原田隆之(1964年-)( http://gendai.ismedia.jp/articles/-/55555?page=4)という方は筑波大学で心理学関係の研究をされているそうだ。こちらは初見。これまで同年の柳下毅一郎(1963年-)のような殺人研究家の言説に洗脳されてきたので、サイコパスは俺にはちょっと腰が引ける相手だ。

    「サイコパスの真実」表紙。.jpg

 執行された死刑囚の中で、「悪い仲間」の家の近くに実家があるのがN。同学年だそうだ。今回、執行の対象になった者には同世代が多い。今にして想えば、感慨深いものがある。そして著者も1964年と、我々と同世代。
 サイコパスの研究については、法務官の中にも技官で犯罪心理学の専門家がいることは俺も知っている。俺も実際に何度かお会いしたことがあるのだが、著者も以前には犯罪心理学の専門家として法務省で犯罪者と向き合った経験があるそうだ。生サイコパスと面談をしたこともあるのだろうか。

Steve Jobs.jpg

 その辺りはナンだが、怖いモノ見たさで法務官になった人があることを俺は知っている。
 「人当たりがよくて、頭の回転も速く、魅力的なのに、その裏で猟奇的犯罪を繰り返す。サイコキラーはホラーやミステリーでなじみの悪役だ。大きな括くくりでサイコパスを考えた場合、それはパーソナリティ障害であり、一種の症候群となる」
 「脳画像の解析や地道な調査によって、サイコパスの実態が明らかになっている。スティーブ・ジョブズほか、カリスマ的な成功者にはサイコパス傾向がみられることが多い。不安や懸念を一顧だにせず、リスクある行動を大胆にとれるためだ。暴力性が強い場合、犯罪者となることもあるが、サイコパスは長い目でみれば人類の存続に貢献してきた」
 そうなんだろうか。ホントかよ、だ。
 俺たちの世代だと、思春期のThe Talking Headsの「Psycho Killer」でキマリだ。Hitchcockの「Psycho」よりも近しい。
 さて、次の設問に該当する人はあなたの隣にいないか。

   1. 服装や言葉遣いが洗練されていて、魅力的
   2. ルールや時間に無頓着
   3. スリルや興奮を追い求める
   4. 心拍数や呼吸数が少ない
   5. 刹那的で衝動的なライフスタイル
   6. 息を吐くように嘘をつき、バレても動揺しない
   7. いつも追い越し車線を走る
   8. 他人の気持ちに無頓着
   9. 人前でもあまり緊張しない
   10. いつもポジティブで、不安が少ない

 これが身近にいるマイルド・サイコパスの見分け方だそうだが、かなり当てはまる人が俺の身近にいるなあ。
 「『昔の俺ならサイコパスだったかも』だって?」
 “我が偉大なる女房”が呟いた。(登山家・作家・服部文詳評、讀賣新聞)


追記
これからシャワー。俺の文化区分でいうと、カレー・イスラム文化圏に久々に突入。モロッコのタジン文化圏以来のことだろうか。Rock 'n' Roll踊るしかないぜ。本日から後半戦。派手にはいかないけど、地味にヤルぜ。ヌーン。

追記の追記
タイガー・プラウンとパイナップルの黄色いカレーはマイルドだった。しかし、もう一つの小さな皿のチキンとココナツミルクの方はツレが1人ヤラれましたわ。初日からはしゃいでいるので危ないと思ったのだけど、案の定だわ。男女問わずおはしゃぎはご用心。恥をかくのは他でもない、ご自分ですぞ。

某所にて、某名物カレー。

追記の追記の追記
小島直記の「夕日を知らぬ男たち」好調。リーマン出身ゆえに、わかっておりますわなあ。とはいえ、彼らh敗戦前のリーマンだから、ごっつい銭がうなっとりまするわい。小島の目線は若い頃と晩年は変わらないわね。彼の歴史観は程よい大人のものがあったと想いますわな。島国にあっても、海外との貿易の歴史が短い日本人には得難いものだ。鎖国をした家康は罪深いわ。尾張織田はいいけれど、三河の徳川はダメダメだな。コイツはホント、そう想うわい。
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気になる本――当事者だけは忘れない(下)。
11月14日
気になる本――当事者だけは忘れない(下)。
 「革命 仏大統領マクロンの思想と政策」[Emmanuel Macron著 / 山本知子・松永りえ訳, ポプラ社]
 さて、昨日はフランスの西岸を破壊した連合軍の話になってしまった。イギリスのWinston Churchill(1874-1965年)は後ろめたさを抑えて作戦を練ったかもしれないが、アメリカ人のFranklin Roosevelt(1882-1945年)はCharles de Gaulle(1890-1970年)の存在を疎ましいものとして一貫して排除する姿勢を取った。

     「革命 エマニュエル・マクロン」表紙。.jpg

 我々が日米開戦直前の事実として記憶しているのは、米国軍は日本軍の無線を傍受・読解していたにも関わらず、真珠湾攻撃を先制させたことで、Franklin Rooseveltは結果的に宣戦布告が間に合わなかった日本をルール違反だと口を極めて罵った。全く、この男のやり口は、良心的なアメリカ人なら恥ずかしくて消え入りたくなるだろう。腹黒いというよりも大統領としては手口が汚くて最悪。国務長官辺りが適職だ。
 Thomas Pynchon(1937年-)の「重力の虹」(1973年)でも連合軍の絨毯爆撃で完全な廃墟となったSaint-Lôの教会の瓦礫の前に立つアメリカ軍中尉のTyrone Slothropが登場する。ロケットのエンジニアだったPynchonの面目躍如、寓話としてのSaint-Lôは、フランスだけでなく欧米のある層の人たちにとってHolocaustに相当する。
 実際、Samuel Beckett(1906-89年)は、廃墟の街の多数の負傷者のために応急でできた赤十字病院で救命のために働いた。ヒロシマやらナガサキは遠いアジアであっても、Saint-Lôはヨーロッパの知識人の記憶に深く残る無茶苦茶な無差別攻撃を受けた。
 しかし、百万言を費やしたところで、Winston Churchillの演説はPolitical Collectだ。Churchillの死後それまで二の足を踏んできた英国がヨーロッパ連合へ加盟したいと言ってきた時、Charles de Gaulleは大反対の論陣を張った。これもまた愛国政治家の堂々の正論だ。Brexitで俺はCharles de Gaulleの言い分がすっと腑に落ちた。
 ポピュリズムの流れに抗うかのように39歳のEmmanuel Macronが鮮やかに登場した。
 「政治の方向性や手法が語られる本書は、大統領としてのマクロン氏を評価する際の一基準をなす。一方で、自由、平等、安全、成長、欧州、多文化への意志。左右対立や官僚支配への違和感。特権化し、自己保身に走ったあげく、必要な改革から逃げる左右の既成政党や議会への不信感。これらは、彼自身の施政を考察する時に欠かせない」

Emmanuel Macron.jpg

 「国連の授権を条件としてシリアへの軍事介入を語った部分は、大統領としてシリア空爆を実施した現実の政治過程とずれる。今後も、自らの構造改革と引き換えにドイツから引き出すはずの脱緊縮財政とユーロ圏改革など、記述が単なる夢物語で終わる可能性もある」
 評者も評価はこれから。だが、21世紀も階級の存在を許す大英帝国という老獪な国が嫌いになった一方で、ややこしいフランス人気質が再び近しいものとして何十年ぶりかで自分の中に甦った。
 そういえば、ナチのHolocaust問題で9時間半の超長編ドキュメンタリー「S.H.O.A.N.」(1985年)を撮ったClaude Lanzmann(1925-2018年)が7月に世を去っている。強烈なキャラクターを持った人物の評伝も何れ書かれるだろう。楽しみにしている。
 職業軍人の孫としては、敗戦は他人事ではない。喰い扶持を喪って貧窮した当事者の孫としては軍人の戦後補償に言いたいこともある。だが蒸し返しても軍人恩給が俺に下りるわけでもない。建設的な議論にはならない。今年は叔母と父を喪って、昭和が遠くなった。(北海道大学教授・遠藤乾評、日本経済新聞)


追記
沖縄の県知事はだめだねえ。このまま続くと70年代末に○○事件の起きた○○人のように思われてくるかも知れん。世界的にそういう名を売るのは売国奴ですわな。70年もやっとる。今時、週刊○曜日の執筆陣のようなものか。
それに対してマクロンはいよいよ相対的に存在感を増している。英独が凋落著しい中で、さて、孤軍奮闘し、伝統と栄光の欧州圏自由主義陣営の防衛を果たせば、歴史にその名を残す可能性が高い。先物買いではないが、フランスの大統領を、ここは期待先行で買いたいところ。

追記の追記
昨日は超長丁場になってつらかったわいねえ。しかし、スカウトもどきのホワイトホースみたいなのが現れたのには驚いたなあ。クロコダイルダンディーだ。ヌーン。これからシーメうーく。それで子の街ともお別れで出立やんけ。
| 9本・記録集 | 07:23 | comments(0) | trackbacks(0)
気になる本――当事者だけは忘れない(上)。
11月13日
気になる本――当事者だけは忘れない(上)。
 「忘却する戦後ヨーロッパ 内戦と独裁の過去を前に」[飯田芳弘著, 等居大学出版会]
 戦後補償の問題は難しいが、和平条約で包括的に決着を見るのが国際法の常識だから、法的には従軍慰安婦とか南京虐殺とかの問題についていまさら議論の余地を感じない。
 「第2次世界大戦が終わって間もない1946年、英国のチャーチルは次のように演説した。『過去の傷から生まれた憎しみと復讐心を引きずりながら前に進む余裕はないのです。ヨーロッパが絶望的状況から、救われるとすれば、ヨーロッパが家族であると信ずる営み、それに過去の犯罪と愚行のすべてを忘れる行為が必要なのです』と」
 巧みな弁舌だが、騙されてはいけないと想う。
 昨年夏のNormandy行で、こういう美辞麗句の裏にあったフランスに対する犯罪的な行為を目の当たりにして、政治家の演説では「裏」を「表」に言うことを改めて感じた。

「忘却する戦後ヨーロッパ 内戦と独裁の過去を前に」表紙。.jpg

 「D-Day」では、アメリカとイギリスが握り、上陸地点を統括するフランスの将軍、Charles de Gaulle(1890-1970年)を完全に討議から外して全体の計画を練り上げた。これは殆どフランス共和国とフランス人に対する裏切り行為に等しいと俺は想う。
 さすがにWinston Churchill(1874-1965年)の度重なる懇請によってようやくアメリカ側のFranklin Roosevelt(1882-1945年)が重い腰を上げたのは上陸の直前。Charles de Gaulle将軍が計画を知らされたのは、作戦遂行2日前。de Gaulleは激怒したものの、既に人員・艦船の大移動は始まった後で、今さら計画は変えようが無かった。

Franklin ”Dirty” Roosevelt!.jpg

 アメリカとイギリスの指導者は、ナチを叩く大義名分があったといえども、フランス西岸を嵐のような爆撃で、人も、建物も、家畜も、牧場も、徹底的に破壊したことは歴史的な事実である。火事場泥棒じゃないけれど、それに類する意図すら感じる。
 だが、我々はフランスを舞台に、1960年代に世界中で放映されたアメリカ陸軍兵士の“ヒューマン・ドラマ”「COMBAT!」を通じて、当時のフランス国内が如何なる状況であったかを記憶している。陸軍第361歩兵連隊第3大隊のThunders軍曹の率いる小隊のドラマによってアメリカ人のファンになった人が何百万人いたことだろう。
 フランス西岸は美しい観光地域でもあるが、ドイツ軍の兵站を寸断するためとはいえ、古い鉄橋を超高空から爆破した跡など、今でも各地に深い爪痕が残っている。

Winston Churchill and Charles de Gaulle in 1941.jpg

 「COMBAT!」はアメリカの蹉跌であり、後ろめたさの裏返しでもある。
 「著者も記しているように、『政治も歴史も、黒か白の二分法では語ることのできない複雑なもの』である。本書を読みながら、絶えず脳裏に浮かんでいたのは、一切の『忘却』を拒否し、将来の関係構築が一向に進まない日韓関係である。もちろん犠牲を強いた側から持ち出せる話ではないが、別の視点から歴史に学び、現在の世界を見る目を成熟させてくれる」
 評者に一票。(インターネットイニシアティブ会長CEO・鈴木幸一評、讀賣新聞)


追記
これから出立。到着したらそのまま缶詰だけど、さ。夕方までキツキツの最も重たい日。働かされますなあ。昨晩は50年前の「Britt」を観て衝撃に次ぐ衝撃。やはり久々であってもSan Franciscoに行くべし。そう思わされましたな。大人にしてくれた街ですけえねえ。ええ街やったですわな。

香港 20181113 (4).JPG
| 9本・記録集 | 07:04 | comments(0) | trackbacks(0)
気になる本――CIAの罠にかかった“洋楽かぶれ”たち(下)。
11月12日
気になる本――CIAの罠にかかった“洋楽かぶれ”たち(下)。
 「選曲の社会史 洋楽かぶれの系譜」[君塚洋一著, 日本評論社]
 英兵との混血児であった山口冨士夫(1949-2013年)は、最晩年も福生駅前でアメリカ人の喧嘩を止めに入って事故に巻き込まれた。福生周辺に住んでいたわけで、訃報に接して暫く感慨にふけった。この人の場合には福生に惹かれたのではなく、薬物に誘引されただけだろうけれど。

       「選曲の社会史 洋楽かぶれの系譜」表紙。.jpg

 70年代初め頃、俺自身は、「洋楽かぶれ」な同級生や、「洋楽的なるもの」に対する反感を抱いていた。「洋楽かぶれ」はハイカラかぶれでスカした優等生が多かったからだ。実際、細野晴臣(1947年-)が大瀧詠一と出会ったシーンは、どれだけ洋楽を聴いてきたかを試すためにおずおずとお互いに観察し合う。まるではいからはくちを地で行く話で、流行を追い続けなければならないのはお気の毒だと思わず笑ってしまったっけ。
 “洋楽かぶれ”の系譜に連なる人には、CIAの落とし子という別の相貌もあるだろう。つまるところ、“アメリカかぶれ”なのだ。
 これまで、CIAが占領下の日本で展開した活動は知られるが、講和条約成立の後も陰に陽に日本の政治に介入し、保守合同の議員買収資金を提供し、NHKが反対していたにも関わらず、テレビ局の開設に巨額の資金を融資したことなどもようよう知られつつある。
 メディアを通じた情報操作だけでなく、アメリカ発のHollywood映画の中に隠された、アメリカ万歳のプロパガンダ効果も、極東放送で流されたFENも、CIAが関わっている。
 これまでに幾つかの国でCIAほどではないにせよ、同じようなプロジェクトに関わった経験から、“アメリカかぶれ”はCIAの仕掛けに乗った人なのだとしみじみ感じる。
 その頃、俺は激しい暴力の世界に憧れた。「仁義なき戦い」にどっぷりだった小学生は、洋楽より、CAROLやDown Town Boogie Woogie Bandで、西部劇ならJack Palace(1919-2006年)で、落ち目の日活アクションでも、宍戸錠(1934年-)であり、ドラ猫ロックの原田芳雄(1940-2011年)に惹かれた。

 「Rocket to Russia」裏ジャケット。.jpg

 Punk Rock、とりわけSex Pistolsに飛び付いたのは、俺の中では、Jack Palanceと美能幸三(1926-2010年)が重なった存在に思えたからだ。ハッキリ書けばSex Pistolsが当時の“洋楽かぶれ”たちにとって眉をひそめる存在だったということもあるだろう。
 「ギターが弾けない」とか、「放送禁止になった」と言って一斉に非難される連中の存在は小気味良かった。我ながらなんとひねくれていたのだろう。
 その後、アメリカに暮らし、San Franciscoに巣食うカウンター・カルチャーの深淵部を垣間見られたことは幸いだった。人間は、最期の最期にはただ1人だ。そうでなくとも、今も1人。Beat詩人が参禅して自身の内面に対峙していたことを知ったのは嬉しかった。
 鈴木大拙(1970-1966年)や澤木興道(1880-1965年)らが、座禅を西洋に広めた業績を俺は観たことにもなる。孫悟空とお釈迦様だ。(ジャーナリスト・森健評、讀賣新聞)


追記
先ほど臺灣うどんを喰ってきた。おどろく太さで、伊勢うろんよりも太いのだった。ヌーン。これまた別途、報告。これからいろいろありんす。本日は深夜に某所に投宿予定。シーメは空港で済ませるしかない日程でありんす。

追記の追記
昨日は高速の脇にある陳さん夫妻の店で顔を突き合わせて茶を喫してみると、同じルーツを持った人間たちなのだということをしみじみ感じたりして、幸福だったなぁ。店を開いて46年とか言っていたけれど、素晴らしかったなあ。
| 9本・記録集 | 08:18 | comments(0) | trackbacks(0)
気になる本――抱腹絶倒の昭和の女の放談。
11月10日
気になる本――抱腹絶倒の昭和の女の放談。
 「男の背中、女のお尻」[佐藤愛子、田辺聖子著, 中公文庫]
 昭和世代なら覚えておいでだろう。昭和から平成初期にかけて、「独占!、女の60分」というタイトルの番組が、NETテレビ網で土曜日の12時から1時間枠で放映されていた。放映開始の1975年(昭和50年)当初の司会陣は水の江瀧子(1915-2009年)、丹下キヨ子(1920-98年)、宮城千賀子(1922-96年)という“大正モガな不可触婦人”。
 敗戦前こそは獏連(不良少女)たちの憧れのまとだったかも知れないが、当時は立派なやり手婆みたいな雰囲気があった。ジャニーズの男の子なら、頭からバリバリと音を立てて喰われてしまいそう。夜な夜な出刃包丁を磨いていそうな山姥トリオだった。

「独占女の60分」 (1).jpg

 当時はいきなり昼下がりにベッドシーンが展開されるようなドラマが放映されていたし、この番組でも、夜の日比谷公園に潜入するとか、暇をもて余している昭和のオバハンが知ってみたいおばちゃんのエッチ心を刺激するプロジェクトが目白押しだった。
 広島県呉地方では13時になるとこれにMBSテレビ網で「よしもと新喜劇」にチャネルを換えていた。昭和時代の「よしもと新喜劇」は今とは少し違っている。昭和62年(1987年)に「なんばグランド花月」がオープンするまでの「よしもと新喜劇」は、今で言うなら差別用語ありまくりでブラック・ジョーク連発だった。「独占!、女の60分」から「よしもと新喜劇」の連発は、今なら考えられないが、“極めて知性に刺激的”だったと俺は想う。
 笑いの核心には社会に対する深いリテラシーがあり、そこに鋭い切り替えしがあった。
 だから、関西のガキは高度なギャグが炸裂すると一斉にお母ちゃんに聞いたはずだ。
 「おかん、今、何で笑うたんや」
 「せやなあ」
 それが今は無い。今、ブラウン管の笑いは“ぜんぜん知性に刺激がない”と想う。

「独占女の60分」 (2).jpg

 さて、本書。「独占!、女の60分」や「よしもと新喜劇」が堂々とキー局で放映されていた時代の対談集である。
 「1972年に週刊誌で始まった若き二人の対談は歯に衣着せぬ痛快さ。俎上に載せるのは野坂昭如、三島由紀夫に司馬遼太郎。あの男は可愛かわいい、いや意外とあわれだと言いたい放題だ。嫉妬はいつするか、夫婦ゲンカのコツとは、日本人の民族性など話題は縦横無尽に飛びまくる」
 大正から昭和ヒトケタの高等女学校世代。読まずとも、語っている言葉はキツ〜イのがおおよそ想像つくわいねえ。目次は以下の通り。
 「1男の結び目(男の背中、女のお尻/ここで一パツ泣く女/かわいげのある男、ない男/権力欲あれこれ/色事と嫉妬ほか)/2男と女の結び目(あぁ男おとこ/銃後と戦後の女の旅路/匿名座談会男性作家読むべからず(佐藤愛子×田辺聖子×中山あい子)/鼎談愛と聖のはざまで(佐藤愛子×田辺聖子×野坂昭如)/愛と聖(野坂昭如)ほか)」
 雑誌「面白半分」がいきいきとしていた時代だ。神戸の生まれ育ちの佐藤愛子(1923年-)と大阪の生まれ育ちの田辺聖子(1928年-)。当時、49歳と44歳。おばはんだけれど、山姥トリオほど荒れていない。そこはかとなく千場のイトハンのような上品さもあるわいね。昭和の匂いが懐かしいような、いやいや淋しいような。(本よみうり堂、讀賣新聞)

追記
Sainsburyのジェネリックのストロングなヤクはバッチリ効きました。しかし、覚悟した通りで、腹はイカれて、咳はまだまだ残る。今回は俺がシャベクリやねん。アカンわ。困ったことになったなぁ。
| 9本・記録集 | 11:08 | comments(0) | trackbacks(0)
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