岡田純良帝國小倉日記

備忘録――「ベトナム報道」(6)
8月7日
備忘録――「ベトナム報道」(6)
「ベトナム報道」[日野啓三著, 講談社文芸文庫]
 もう一つある。アジア人として、社会の腐敗について下から鋭く目を配っている点だ。
 「現地体験のない人たちのベトナム論には幾つかの盲点があるが、その最も大きいひとつが、サイゴンの精神的腐敗の認識の浅さである。日本でも汚職はあり頽廃はある。だが後進国の支配層の精神的頽廃ぶりは、日本では決して想像できない。私はソウルでも表面だけアメリカナイズした特権層の精神的不健全さに、強い抵抗感を感じたが、サイゴンのそれもソウルに決して劣るものではないし、それ以上にすでにパリとジャングルに去っていったその残りカスの連中で構成されるサイゴン特権層のそれは、さらにひどい」
 「いまでも家庭では家族同士フランス語を使う上流家庭があるが、そういう表面だけの物質的、文化的特権層の民衆に対する感覚は、まさに奴隷の前では、裸体になっても羞恥を感じなかったといわれる古代ローマ人の貴婦人たちに似ている」
 「本質的に、彼らは自国の民衆を同じ人間と考えてはいない。ひとにぎりの支配層と、貧しい大多数の民衆の落差は、中間層の増大した日本の社会では想像もできない」
 「ソウルでもそうだったが、彼ら少数の人たちというのは、一体どこからあれだけの金が入ってくるのだろうか、いまもって私は理解できない。それに援助体制下にあっては、資本家は製品の質の向上、経営の合理化といった正当な競争に打ち勝ってゆくことが第一義なのではなく、政府高官からどれだけ援助物質と援助資金の枠を割りあててもらえるかが最重要な仕事の内容である」
 「彼らは徹底的に働らかない。女たちはたとえどのような方法であろうと、宝石と最新流行の洋服を買う金を男たちに求め、家を焼かれた難民がいくらあふれようと、夜毎着飾ってパーティーを歩きまわり、親の特権で徴兵を逃れた息子たちは、うまくパリに行き、あるいはスポーツカーをのりまわし、小学生の娘たちが運転手つきの車で学校まで送り迎えされる」
 「要するに自分たちの社会を、人々との連帯のうちにつくり動かし改善してゆくという観念そのものが存在しない」
 「それは理屈ではなく、まさに骨のズイまで滲みこんだほとんど生理的・遺伝的な感覚の問題である。極言すれば、そういう感覚は死ななきゃ直らないだろう」

      世界を旅した Book Cover. (3)JPG.JPG

 日野さんによれば、解放戦線のテロは2種類あるそうだ。
 「一つは地方での腐敗役人に対するテロ、もう一つはサイゴンその他の都市での、米軍施設および米軍人の出入するバー、高級レストランに対するテロである」
 「信頼できる筋からきいた話では、政府側の村の警官や村長の援助物資横流しや税金のごま化し、その他の明らかな不正行為が目にあまる場合、ある日、手紙が舞いこむ」
 「『お前はこれこれの不正を働いているが、猛省を促す――解放戦線』というわけで、それでも不正をやめない場合、一ヶ月ほどして二度目の警告の手紙がくる。それでもなお直らないときは、ある夜、その警官か村長は何者かにのどをすっぱりと切られて殺される。時には死体の傍に罪状を列挙した斬奸状が立てられている。村民たちはいい気味だと内心歓迎し、たとえ犯人を知っていても決して口外しないという」
 これは、「義賊」でなくて何だろう。当初こそ「解放戦線」は古い言葉で言えば、社会の腐敗に憤った「義賊」であったのにアメリカの介入で「赤化」してしまった。日野さんに質したら「私はそう判断した」と答えるだろう。
 今の日本人駐在員・特派員には、人にもよるが、社会の腐敗に気付けない人がいる。西欧流の理屈しか知らずに育ったことと、自由な社会しか知らないから選挙権さえも与えられていないことに気付かないで帰国する人がいる。正邪二律という西欧の教条主義では、混沌とした社会に放り込まれても、仮定すら立てられない。
 「『私はこう捉えこう判断した。あなたもまた私の記事に対して判断してくれ。そしてあなたの判断もまた絶対的ではないのだ』と私はバナナをかじりながらタイプを叩いたと思う」
 この視点なら信用できる。
 「後進国」と書いているのは半世紀前だから。日野さんの目は確かに対象を捉えていた。何もサイゴンだけではない。某国でも、Siciliaでもそうだった。19世紀から20世紀初めのSpainでもそうだったかも知れない。
 「最後に心に残ったのが、歴史のきびしさ、つまり腐敗無能政権の打倒、援助従属体制からの脱却、土地改革、民族自決といった善き意図を実現しつけようとしても不可避的に失敗して子供たちをまき添えにし、あるいは故郷の村をナパームの火の海に焼きつくされるという事態にまきこまれざるをえない歴史そのものの素顔の認識であった。こうした経験は私一人ではなかったろう」
 しかし、同じ時期、同じ土地にいても、何も気付かずに過ごす人もいることもある。彼らは自らの良心に照らしてよく戦った。同胞の先達として心から敬意を表したい。


追記
記したように、先週から密かに色々と音楽業界各方面へのお別れ行脚を開始しましたワイナリー。
そうこうする内に関西方面からお座敷が掛かった。ウーン、コイツは悩むところだが、まぁどうしたもんかいなぁ。何となく時間切れになるんかなぁ。
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備忘録――「ベトナム報道」(5)
8月6日
備忘録――「ベトナム報道」(5)
 「ベトナム報道」[日野啓三著, 講談社文芸文庫]
 著者は主観報道について、態度は2種類あると記す。
 「刻々の現在の新しい展開に対し、もはや新しい疑問も驚きも不安も感じない閉じられた貧しく傲慢な態度」
 「過去の体験と印象を背負いながら、眼前の事態に鋭敏に目と全神経を開いて、不断に自分の予感を検証し、自分の論理を補足し修正しつつ、つねに自分の観念とイメージをつくりつづけていく態度」
 「同じ主観的要素でも、後向きに閉じられた主観性と、前向きに開かれた主観性とがあり、この前者の硬化した主観性は言葉を単なる貧しい伝達の手段にしてしまうのに対して、後者の柔軟に開かれた主観性こそ主体と状況とのつねに生き生きとした相互作用を確保する」
 「その意味で、言葉の問題に対する鋭敏な誠実さというものは、決して報道の技術の問題ではなく、報道者の基本的な態度の問題でもあろう」
 「さる女性ジャーナリストがサイゴンにきて早々、喫茶店で私たちに『あんた方はサイゴンをまるで台風の中か地獄の入り口のように書き立てているけど、何よ、全然平和そうじゃない』と平然といったとき、私はほとんど本気になって怒った。
『一体、ここにきて何日目だ』
と私は怒りをおさえてきいた。
『もう三日になるわ』
『たった三日で生意気なことをいうんじゃないぜ。あんたは、何がわからないかさえ、まだわからないんだ。いま、うやうやしくあんたにアイスコーヒーを運んできたあのおとなしそうなボーイが、ベトコンのテロ工作班の隊長でないと、誰が保証する。いまこうやってぼくらが壁のかげのテーブルに坐ってるのも偶然じゃないんだ。あの通りの向う側のホテルは、アメリカ人ばかり泊ってるホテルで、そこがやられたときの爆風の方向を、ぼくらは無意識のうちに考えて、窓際に坐らないんだ。一週間前に、あのホテルの裏口にとめてあった自動車の中に二百キロの爆薬を仕かけてあったのが発見されたという情報をきいたばかりだからな。もちろんそんなことは日常茶飯事だから、ことさらここの人たちはさわぎはしない。ぼくらもいちいち打ちはしない。何も知らないあなたにはさぞのんびりした夕方の街にみえるだろうがね』」

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 下村満子か松井やよりかは知らないけれど、テロの街で「平和」を振りかざして演説をぶつ光景が目に浮かぶ。先発の男性特派員諸兄にはさぞや迷惑だったことだろう。
 「不安のままに、とにかくどんな形でも戦争だけは止めてくれればいいと強調しすぎるとき、私はふと釈然としないものを感じる。それはあまりに利己的で感情的にすぎないか。戦争とは一つの天然現象ではなく、双方ともに戦うべき理由と意義があり、そのために血の犠牲をすでに何年にもわたって賭けてきたものだ」
 「この点についてあくまで第三者的な、甘い幻想は抱かない方がいい。まして第三者的立場からの“調停”のつもりが、実は一方の側の間接援護射撃となるような愚は避けるべきだ」
 当時、特派員諸兄はタイプで原稿を打った。19世紀末の美しいサイゴン中央郵便局に原稿を持ち込んで東京に打電した。原稿はローマ字打ちだったと知った。パリ中央のオルセー美術館を模したあの郵便局に日野啓三も開高健も日参していたのだ。
 「彼は英語は達者でなく、私はフランス語が片言しかできないから、複雑なことをしゃべることはできない。しかしそういう私の気持ちは何か通じるようだった。私だって東京に帰れば、二百ドルにもならない安月給で徹夜勤もあるんだ、同じ身の上さ――と思いながら『大変だな』といい、買ってきたばかりのアメリカ製ヤミ煙草を一個差し出した。メルシーといって素早い手つきでさっと受けとりながら、また力なく親しげに笑った」
 「欧米人の特派員たちには、決して彼はそのような顔をみせない。白人特派員たちはこの貧相な男を、電話機か何かの機械のようにしか見ない。アメリカとベトナム人の心のくい違いは、こういうところにもある」
 郵便局近傍にGraham Greeneが「静かなアメリカ人」を書くために滞在したホテルがまだ残っている。共産党シンパのMI6メンバー。晩年まで児童・少女買春癖を止めることができなかったイギリス人の大作家。Marguerite Durasの「愛人」とは違うが、若かった彼は夜毎ベトナム人少女を買ったかも知れない。
 俺は、日野さんの哀しみが分かる。彼は自分をアジア人だと分かっていた人だからだ。


追記
いよいよ終わりの始まり。カウントダウン開始でありんす。西のフーに東のフェイセス。行って来ました、両者共。思い残すこともこれでもう無いか知らんなぁ。
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備忘録――「ベトナム報道」(4)
8月5日
備忘録――「ベトナム報道」(4)
 「ベトナム報道」[日野啓三著, 講談社文芸文庫]
 記者クラブで待っていると官庁や企業が報道資料を持参して説明に来る日本の取材に慣れてしまう。特派員で現地に赴いても、記者としては役に立たない人が今はかなりいるようだ。ところが、半世紀前はそうではなかった。
 「声明とか発表とか、信頼できる仕方での報道という形で明らかになる事実というのは、事実のほんの一部にすぎない。そうした海面上に出た部分の何倍、何十倍もの事実が、巨大な氷山のように暗い水中に沈んでいるサイゴン情勢のおそろしさ」
 「『東京特派員だと楽だなあ』と私たちは話し合った。『ベッドに寝転がってテレビさえみてれば重大ニュースは洩れなく報道されるし、夜には幾つもニュース解説もやってくれる。話題ものの注文がきても、駅の売店で週刊誌ひとかかえ買ってくれば、材料は幾らでも転がっている。ところがここじゃ、ニュースは歩きまわって人間の口づてにきくしかない。そしてここで一番信用ならないのが、人間だからな』」
 渡航制限のあった日本からサイゴンまで送られた豪華な布陣を見るとちょっと唸る。
 「毎日は本社からの四人の特派員の連載もの『泥と炎のインドシナ』を一月一日から連載したし、『週刊朝日』には毎週開高健が一日二十枚ずつのルポを書きつづけていた。三月初めには岡村昭彦の『南ベトナム戦争従軍記』が出版され、少しおくれて朝日の瀬戸口特派員の解放地区潜入記が出、日本テレビの『ベトナム海兵大隊戦記』第一部が放送された。いまからふりかえれば、この一九六四年末から六五年春にかけての時期が、いわばベトナム報道の頂点だったわけだが、われわれ自身は無我夢中の状態で走りまわり、書きまくり、撮りまくったのであって、それが日本にどういう影響を与えているかはよくわからなかった」

   「ベトナム報道」(1).JPG

 ここにある、日本テレビ製作の「ベトナム海兵大隊戦記」はYoutubeに上げられていて、コイツは労作と感じられる。興味のある方は観てみるといい。
 「デモの起こる可能性の最も多い中央広場には、開高健がのそのそ歩きまわっていた。『どや、情勢は』『悪いな』『あかんか』『だが舞台裏では何か臭いがする』『陰謀の臭いか』『臭いだけが頼みさ』『頼りない話やな』」
「昼食をとってひと休みしているところへ、開高健から急に電話がかかった。
『なにをボヤボヤしてるんかいな。デモだっせ。米大使館前のとびきり上等のやつや』
『畜生、ここの坊主は髪は結わなくとも、嘘は立派につくらしい』
とあわててとび出して行く始末だった」
 「仏教徒反政府運動の頃に、うしろの山にベトミン時代の部下がいるという残留日本人に頼んで、私と林君(共同通信特派員)と二人でその日本人のところに遊びに行き、そこに“偶然に”ゲリラ隊長も山から下りてくるという計画をたて、ゲリラ隊長との連絡を彼に頼んでいた。連絡がつき次第、急行することにしていたのだが、その後米軍の爆撃作戦が強化されて、その山中のゲリラ陣地も手ひどく爆撃され、この計画も結局はご破算になった」
 「何も政府高官や知識人である必要はない」
 「むしろ輪タクの運転手、カメラマン、女中、バーのボーイなどがさり気なく吐き出すようにしゃべる意見の中に、はっとするようなことがあるのだ。そのことを書き止めて、記憶しておいて書く」
 手練手管を使っても解放区に侵入することはできなかったが、日野さんはゲリラとの接触以上にベトナム人の心に触れたことが確かに伝わってくる。


追記
H離党の報。茹で蛙にならないという意思は買うが、過去を愧じて性根を据えるかどうか。過去を知っている者たちはじっと観とるで。

追記の追記
やっぱりイギリスに来て想いますが、フーがカッコイイ。間違いなく、彼らがイチバン!
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備忘録――「ベトナム報道」(3)
8月4日
備忘録――「ベトナム報道」(3)
 「ベトナム報道」[日野啓三著, 講談社文芸文庫]
 本篇のもう一つのポイントは、朝鮮半島育ちで、サイゴン派遣前には讀賣新聞ソウル支局の特派員を経験している点。そして何より印象的なのは東京帝國大学で社会学を修めた著者が、西欧の理論と行動を醒めた眼で見詰めるアジア人の共感の視座だ。
 「かつて大学の社会学科に入った初めの講義で『社会学という学問がいかにして学として成りたちうるか』というおよそ三百代言的な自己弁明と、自己正当化的議論をえんえんと聞かされた」
 「象牙の塔の内側の精神的世界でも、ヤクザよろしく自分の縄張りの確定と維持が大問題らしいと痛感した記憶がある」
 「新聞の場合も、新聞記者とはこうであり新聞記事とはこう書くべきものだ、という条件が一種の伝統的規範として固定化されると、その規範を踏みこえて、新しい事態、深い現実、混乱と矛盾のリアリティーそのものを生き生きと捉え考えることはできない。そして主体的に判断し、自由に表現する柔軟な姿勢と冒険心が稀薄になる」
 「一日毎に私は街に慣れ、暑さに慣れ、どんな裏通りを歩いてもベトナム人と同じように色が黒くて痩せて体格の貧弱な私は、決して外国人とはみられないし、日本人とわかっても少しもこわくないことがわかった。ソウルでは『関東大震災のときの朝鮮人虐殺の仕返しをしてやろうか』となぐられかけたことさえあったし、陰にこもったいやがらせを幾度もされたこととくらべれば、大きなちがいだった」

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 「ベトナム人たちは最初は決して本心を語らないが、三度目ぐらいからは気の利いた皮肉や反語の形で、こちらが思わずあたりを見まわすような思いきった批判を口にすることもわかり、記者や文筆家たちの印刷され、検閲される文章と彼らの本心は全く別であること、役人や政治家さえ第三者のいるときと二人だけのときとでは、全然反対のことさえしゃべることもわかった」
 「私は、アメリカ人を眺めるベトナム人たちの眼を注意してよく見た。面と向かうとベトナム人たちは低姿勢でおとなしそうな態度をする。だが話し終わって立ち去るアメリカ人の後姿に、じっと注がれる彼らの眼には、険しい光がある」
 「政府や国立銀行の発表する経済政策や数字は、南ベトナムにおいては何をも意味しない。何ら現実性をもたないそれらの政策は、発表するためにだけつくられた作文にすぎないのだ。そのことは、まず発表する者がいちばんよく知っている」
 「こうして、私のベトナム情勢の画面は、急速に片言の会話や、出所不明だが意外に真実なうわさ、言葉にさえならない生まの感情、屈折する心理の陰影や微妙な不安と憎しみの感情の波で埋められていった。それは明確な主題と構図、正確な遠近法をもって形づくられた画面ではなかった。いわば抽象表現主義風の絵画のような、不定形な色の塊りや偶然の滴りが、それ自体“云いがたい何か”の表現であるような濃密な画布が、私の内部につくられつつあった」
 アジアに橋頭堡を築こうとすれば、間違いなく誰しもが体験する一つの流れがここに記されている。しかしともすれば、ここ20年ほどの日本人は経済合理主義一辺倒で、アジア人としての自分を忘れ、西欧流の理論手管で危ういように感じた。
 公安の営業する売春宿の女たちを買って鼻の下を伸ばしているヤツ、女房から離れて現地の部下を妾代わりにしていい気になっているヤツ。そこら中にカモられたヤツが溢れ、地べたを這いずり回って身を削るのはバカバカしくもあった。懸命にガードをしてもカモから全部が筒抜けになっているのだから。
 その点、著者は西欧の教養・論理を超えたアジアの非論理の論理の存在を認めている。
 「米国民の場合はまだ比較的明確な政治的見解をもっており、それを自由に論理的に発言する能力をもっていると仮定してもいい。だが、形式論理的思考を最高とは考えないアジア人の場合、どのようにその心理を捉えるのか。論理的な形で意見を表明できないというとき、全然彼が何も感じ、考えていないというのとは違う」
 「サイゴンの仏教徒本部の集会に集まる貧しい庶民たちは、自分の意見を論理的に展開することはできないだろうが、彼らの中に坐りこんでいると、彼らが体で感じている感情と意見が、一種の熱気となってこちらの肌にひしひしと迫ってくる。そういうアジアの土民的心的傾向を、現地のアメリカ人でさえ理解しないとは、サイゴン政権閣僚がしみじみと私たちに訴えたとおりである」
 十数年前、某地の水面下で民主化運動に携わった人たちの表情を想い出す。半世紀前、日野さんはサイゴンで果敢に闘った。頼もしいねえ。
 幾ら訴えても顧みられることはなかった俺の志を、何時か誰かが継いでくれる時代が来ることを願ってみようか。


追記
コイツは南半球から北半球まで旅をしたブックカバー。
虚しいと思えば全て空しい。ここは一つ胸にしまって淡々と参ることにしようと想う。

      世界を旅した Book Cover. (3)JPG.JPG
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備忘録――「ベトナム報道」(2)
8月3日
備忘録――「ベトナム報道」(2)
 「ベトナム報道」[日野啓三著, 講談社文芸文庫]
 昨日に引き続き本書とベトナム戦争について。Iggy Pop(1947年-)には「Search and Destroy」という曲がある。
  「Search and Destroy」
  I'm a streetwalking cheetah with a heart full of napalm
  I'm a runaway son of the nuclear A-bomb
  I am the world's forgotten boy
  The one who searches and destroys
  Honey gotta help me please
  Somebody gotta save my soul
  Baby, detonate for me Oh

  Look out honey, 'cause I'm using technology
  Ain't got time to make no apology
  Soul radiation in the dead of night
  Love in the middle of a fire fight
  Honey, gotta strike me blind
  Somebody gotta save my soul
  Baby, penetrate my mind

  And I'm the world's forgotten boy
  The one who's searchin', searchin' to destroy
  And honey I'm the world's forgotten boy
  The one who's searchin', only to destroy, hey

 Johnny Thundersよりも5年上のIggy Popは、1965年2月の北爆本格化当時はDetroit郊外のHigh Schoolを卒業直前。The IguanasというGarage Bansを結成し、目立ち過ぎるSinger & Drummerになっていた。
 父親は共産党のシンパの学校教員だが、元はNew York Dodgersの二軍でプレーしたほどの身体能力があった。骨までアメリカ人らしいアメリカ人ではあるが、その骨の思想は共産主義にまみれて育った。Iggy Popのひねくれぶりは親子2代の骨絡み。

Iggy Pop as the Drummer in 1966.jpg

 興味深いことに、本書最大の読みどころとしてアメリカの北爆が北ベトナムの急速な「赤化」を促したという指摘がある。讀賣新聞外報部の日野啓三特派員は、サイゴンに暮らす内に、何人かの内通者を得るまでになった。
 「解放戦線側も、日本人には敵意をもっていないということがひろく信じられていた。元仏印進駐日本軍の兵士で、敗戦後帰国せず、ベトミン軍に加わって対仏独立戦争を戦ったものがかなりいたらしいが、そのうちの幾人かは、いまも日本商社の仕事などをして残っている。その人たちにいわせれば、かつてベトミン軍のとき『日本帝国陸軍歩兵操典』を教えてやった連中がいま解放軍の幹部になって活躍しているという」
 「いろいろの筋をあたり歩いているうちに奇妙な人物に会った。この人物はまだサイゴンにいるのではっきり書けないが、教養と気骨ある老知識人、自分では決して明言しないが、サイゴン側のリベラリストの左派で、どうやら解放戦線の右派、つまり非共産系の知識人と連絡があるようだった」
 しかしアメリカ側ではそういう現地の人々の声には耳を傾けない。
 「『もし米軍が介入せず、あるいは撤退してサイゴン政権が解放戦線に支配されれば、アメリカのアジア政策、具体的に対中包囲網の一部が、重大な脅威を受けるだろう』」という議論は「無理にでもつくりあげた口実めいた要素」
 アメリカの口実ではないかと日野は指摘している。
 「サイゴン側の良心的分子と非共産党勢力を中心とする解放戦線との交渉による連合政府樹立、そのもとでの中立主義で民主社会主義的な南ベトナムという構想」
 元々、このような構想は、当然、良心的なベトナム人にはあって、南北の政権内には民族自決の構想としてこのような理想は確固としてあったようだ。
 「大体当時、私が幾つもの筋からきいたところでは、解放戦線の組織内部における共産主義者、つまり人民革命党の勢力は約一○ないし三○%で、とくに指導部はサイゴン出身の弁護士(グエン・フート中央委幹部会議長)、建築家(フィン・タン・ファット書記長)ら知識人の革命的民主主義者が多いのに対し、第一線の遊撃隊長、政治委員クラスでは戦闘の中から育ってきた若い人民革命系の戦闘的分子が急激に増えつつあるということであった」
 「私の感じではこのサイゴン左派、解放戦線右派のグループは、プノンペンあたりを通じてフランスと関係があるらしく、たとえば二月のグエン・カーン追放クーデター直後にサイゴンの知識人、学生を中心に、解放戦線との直接停戦交渉をはっきり要求した平和運動が急に公然化した。これがグエン・カーン将軍の失脚とほぼ同時期に起こったことに、私は偶然の一致以上のものを感じている」
 「この平和運動が表面上撲滅し、北爆が本格化し、南でもそれまでは政府軍のプロペラ機スカイレーダーが主であったのに対して、米軍のF105ジェット戦闘機B52双発ジェット爆撃機のナパーム爆弾が主体となり、さらに海兵隊をはじめ米地上軍の投入も本腰となってきた」
 「米軍の大増強による強圧政策がはじまり、ベトナム戦争がアメリカの戦争となると、解放戦線内部においても対米徹底抗戦を叫ぶ人民革命党系の強硬派の主張が急速に力を得、非共産党系の民主社会主義的なグループは発言権を弱められ、結局、本来は必ずしも共産主義的ではない解放戦線が全体として極左化せざるをえなくなる」
 「米地上軍の大量投入開始とともに、米軍は解放戦線主力軍をジャングル深く追跡して叩く『サーチ・アンド・デストロイ(索敵撃滅)』戦略をとった」
 Iggy PopはThe IguanasでDrum Pitにじっと座って歌うだけでは収まらなくなり、The Stoogesを結成してFrontに立つのは2年後の67年。20歳だった。
 アメリカ軍の本格介入の結果として、北の解放戦線側でも相対して赤化し、尖鋭化し、アメリカの全てと対峙することになった。本書の最大・最重要のポイントでもある。


追記
予見していた方向に本日より蠢動。カウントダウン開始だが春期発動とはいかず匍匐前進。意思明白了?
兵站は切られるのが目前に迫ってきたわけだから、恐怖とない交ぜで撤収計画の立案へ進まないとアカンわけやで。アホラシいわい。
数日前にはSam Shepardの訃報が流れていた。73歳とは、ちょっと淋しいところ。80年代さえ遠のきつつあるわけだ。

Shepard and Smith at Chelsea Hotel in 1971.jpg
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備忘録――「ベトナム報道」(1)
これから1週間、ヴェトヴェト。これでズートスーツを着ていたら、あんた、ベムですかいってな感じかな?


8月2日
備忘録――「ベトナム報道」(1)
 「ベトナム報道」[日野啓三著, 講談社文芸文庫]
 Johnny Thunders(1952-91年)の作品で「MIA.」(Missing In Action)という曲がある。
  「MIA.」
  My baby went MIA
  Got lost on her way
  My baby went MIA
  I don't know what to say

  But she's gone
  But she's gone
  But she's gone

  A million girls wanna take her place
  A million girls will get kicked in their face
  A million girls wanna try
  A million girls will cry

  My baby went MIA
  Got lost on her way
  My baby went MIA
  I don't know what to say

 失踪したオンナを想う歌詞だが、オンナたちが夢を見て街を出て必ず失敗するのにと、いわば寂しさを心配にすり替えた恋の歌で、Bluesの定型歌と同じ結構を持っている。
 通常、「MIA」とは作戦従事中に行方不明になった「作戦従事中行方不明」のことを指す。

  Johnny Thunders (1).jpg

 「第一は私の英語のヒアリングの能力の貧しさ、第二は戦況そのものの把握の不足、第三にKIA(Killed in action=戦死)、VNAF(ベトナム政府空軍)といったアメリカ人好みの略語の乱発だった」
 赴任したばかりの頃のアメリカ軍のプレスのスポークスマンたちの言葉の分かり難さ。日野啓三は振り返っている。VNAF(Vietnam Air Force)は英語なら単語で「Vietnam」だが、現地のベトナム語なら「Việt Nam」なので「VNAF」となるのだ。
 「本当のところ会見室の隅に一人で坐って、私は思わず涙が出そうになった。そのくやしさは、これでどうして彼らと対等に競争できるかという、不安にもつながった」
 同じ略号なら「POW」(Prisoner of War)は「捕虜」で、多分に乱発された言葉の一つでもあるだろう。日野啓三のくやしさはそのまま俺のくやしさでもある。
 1965年、J.F.K.(1917-63年)暗殺後に大統領職を継いだLyndon Johnson(1908-73年)がベトナム戦線への本格的な参加を決めて北爆を本格化させた。Johnny ThundersはNew Yorkの中学生。メジャー・リーグを夢見る野球少年であり、社会について考え始める多感な年頃に丁度ベトナム戦争が本格化していく。
 「日本大使館は実際のところ、取材源としてはほとんど役に立たない。またそこで取材したとしても他の日本人記者と同じ材料しかつかめない」
 「軍事武官一人いない日本大使館では、戦争についてはほとんど何の役にもたたなかった」
 この略語の乱発は何もSaigonのプレス・センターだけではない。アメリカ人は実は軍隊式の行動が大好きで、キャンプの設営も軍隊式。そして軍隊の略号も日常生活でギャグに使ったり、時には気取って使ったりする。
 「結局、着任後一週間ほどの間に私が確かめえた多少とも利用できる取材源は、夕方のMACVのブリーフィングと朝のサイゴン・デイリー・ニュース紙だけだった」
 MACVとは、「Military Assistance Command, Vietnam米ベトナム援助軍司令部」のことであり、Saigonを軸にした南ベトナム政府軍に肩入れしていた、いわば、米軍。これに対して、中国が肩入れすることになったのが、北のHanoiの解放戦線だった。
 サイゴン・デイリー・ニュースは地元の英字新聞で、「これは外電を巧みに使ってアリバイをつくりながら、巧妙に一種のレジスタンス的報道を行おうとしていた」メディア。
 J.F.K.暗殺については、暗殺当時、副大統領であったLyndon Johnson系のTexas Networkが実施したと俺はDCPD(Dallas City Police Department)の制服警官から、直接J.F.K.の暗殺現場で聞いたことがある。1997年の暮れのことだったか。


追記
能城さんから。“インディーズの金字塔”じゃぁなくって、エリックだしねえ。コイツは、だから“プロ”ですら。

トラメからのお知らせです。
★トラメの最新シングル
「BOY」
「君の笑顔にさよならを」
7月25日から
エレックレコードより
配信限定でリリース‼
「iTunes」「Apple Music」等から
是非ともお聴きください‼
【エレックレコード】
http://elecrecords.com/
【トラメ】
http://www003.upp.so-net.ne.jp/torame/

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「No Future for You?」――日本は生き残るのか。
7月27日
「No Future for You?」――日本は生き残るのか。
 「『西洋』の終わり ―世界の繁栄を取り戻すために―」[Bill Emott著・伏見威蕃訳、日本経済新聞出版社]
 「過去500年間の西欧が主導する世界という枠組みは終わった」――一部の政治学者の間では暫く前から言われてきたが、「The Economist」誌の編集長を長期間務めた人に言われるといささか滅入ってくる。「The Economist」は古くは日本の高度経済成長を予測し、今もThe Economist Intelligence Unit (EIU)という調査集団を抱えている。
 著者のBill Emottも東京駐在で得た見聞を元にバブル崩壊を予測した「日はまた沈む」、さらに日本経済の復活を予測した「日はまた昇る」を描いた。日本を合わせ鏡に西欧を捉えた若き日の著作の後、今度はダメ出しで自虐ネタ満載の著書を書いたとも言える。

‎Bill Emott (1).jpg

 原書(原題:『The Fate of the West: The Battle to Save the World’s Most Valuable Political Idea』)は4月の末に出たが、7月初旬には訳書が日本の書店に並び始めた。数日後、政治社会関連書籍でトップ3に入った。長い間話題に上らなくなっていたが、日本人はその名を記憶していたようだ。預言者の真打が出てきた――記憶の深層から呼び戻されたのだろうか。
 フランス大統領選挙が実施される前、ヨーロッパの社会には重苦しい雰囲気が満ちていた。その時期に書かれていることを留意しつつ、当地のReviewから一部を引く。
 「Emmottは、押し寄せる移民は、高齢化した人々の、閉鎖的で、時に恐ろしい社会に対して、若年層や新鮮な考え方をもたらすと見ている。だがデジタル時代への処方箋として、平等を実現する手段として『教育の重要性』を説くことから、それら多くの提案は言い古された議論のように思えてくるだろう。著者は東西の文化衝突について分析して見せて、第2次大戦以降、世界的な秩序と富の基礎となった自由貿易協定と国際協力の意義や恩恵を改めて読者に想起させるだろう」
 「国際的な不安定性、そして経済的な不確実性に直面した場合、国家は国境を封鎖して、自国の社会に富を止めて、閉鎖的に対応することが魅力的に映る。これまでも、日本、フランス、イタリア等で孤立主義の例を見てきたが、イギリスのEU離脱を問う国民投票の結果が鮮明に示されたため、この流れがヨーロッパとアメリカ全体に拡がっていると感じている。この孤立主義は、人々の間にある所得と財産の格差を拡大させて、社会の将来の安定性、繁栄、安全を脅かすことにもなりかねない。この問題の一部は、西欧の成功のカギとなった自由民主主義の原則が廃れたことにある。現在は、一部の銀行家のような人々が、あまりにも多くの経済的な果実とシェアを占めている。

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 ではこの脅威にどのように対応すればよいか。1990年代のスウェーデン、別の時代のカリフォルニア、またサッチャー政権下のイギリスでは、こうした一部の利益団体の権力を取り除き、社会の発展能力を回復することで「停滞」を止めることに成功した。生き残るためには、西欧社会はよりゆるやかで、オープンで柔軟であることが必要だ。社会福祉制度の改革、労働人口年齢の再定義、教育の再考、オートメーションの受容まで――著者は硬直した致命的な未来を避け、西欧が復活するために変わらなければならない生き残り策を明らかにする」
 Oswald Spengler(1880-1936年)の「西洋の没落 Der Untergang des Abendlandes」はアメリカとソ連の台頭を念頭に20世紀初めに書かれた。しかし大恐慌が起き、世界大戦となり、結局、アメリカ合衆国が1940年代半ばには世界最大の債権国となった。
 Paul Kennedy(1945年-)が1985年に出した「大国の興亡 The Rise and Fall of The Great Powers」はそのアメリカ合衆国の凋落を念頭に書かれたものだった。

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 乱暴に言えば本書はこの21世紀初頭版。ロシアや中国、アジア諸国の台頭を念頭に論じたものでもある。大航海時代以降の500年間以上、世界は西欧列強の価値や利権で動かされてきた――そこに変化が起きる時、折々の預言者のエンジンが掛かる。
 しかし、これまでと違うのは、今回、西欧列強と言われた国家・社会は、軍事的には縮小、NATOも国連と同じく機能不全となっていることだろう。さらに財政も窮した。移民受け容れの問題もキリスト教的慈善で立ち行かなくなった各国の懐事情は過去と違っている。
 本書出版後、幸いフランスで大統領選と下院選挙の後で新体制が生まれ、EU離脱ドミノは起きないだろうとの読みが出て、各国は落ち着きを取り戻している。だが、カーテンの向こう側にいた2人のポッポは膨れ上がり、謀略の影もちらつく。2人に絡む旧東独出の女傑の動きも怪しい。国際司法裁判所も軽んじられつつある。
 国民投票以来、止められないテロや大火災、政治家のおぞましい罵り合いで欧州ではイギリスばかりが揺れ続け、置いていかれたようでもある。では日本の処方箋は――Bill Emottは以前から女性の活用にあると指摘している。老いて縮む将来を考える時、「女性が日本の将来を決めるのです」、この言葉は改めて考え直す価値はあるはずだ。


追記
今、島にいるので、イタリアの政局についても盛り上がっているのだが、Bill Emottはイタリアのベルルスコーニのインタビューも行っていたのだったけれど、これまた面白い話がタンとある。ここではとてもかけないような。またシチリアの経験に匹敵するような濃い出会いもあったりして、日々、大変なことばかり起きているのだが、島はいいのだった、やっぱり。死ぬなら南方の島か少なくとも海の近くの村がいいなあ。
| 9本・記録集 | 05:50 | comments(0) | trackbacks(0)
気になる本――超豪華・平松洋子のネタ本。
倫敦日記’17(第二十六弾)
7月22日
気になる本――超豪華・平松洋子のネタ本。
 「週刊朝日百科 世界の食べもの(261〜406号)」[監修:石毛直道、辻静雄、中尾佐助, 朝日新聞社, 昭和55〜58年]
 あの平松洋子(1958年-)さんが、大学卒業直後、舐めるように眺め、一字一句を読み、そして今でも読み返すボロボロの教則本と「半歩遅れの読書術」で紹介していた。
 (どんな本だろう)
 監修者の顔触れが関西である。国立民族学博物館の石毛直道、「辻調」の辻静雄、遺伝植物学の中尾佐助。石毛と中尾は京大探検部。辻静雄は江戸っ子だが、大阪あべのの辻調理師専門学校の育ての親。食材大図典バリバリという感じを受ける。
 それだけではない――顧問の名前に驚いた。昭和の調理人勢揃いである。
 アート・フラワーの飯田深雪(1903-2006年)。満州の外地で育ち、敗戦前には外交官夫人であった彼女は幼い頃より料理も大得意で、後年にはフランスのシェーヌ・ド・ロティスールの日本管区判定官をしていた。

          「魚醤となれずしの研究」表紙.jpg

 小野正吉(1918-97年)。敗戦前に横浜港の「ホテルニューグランド」から修行を始めて、東京オリンピック前の「ホテルオークラ」の開業当時から総料理長として腕を振るった。フランス料理の父とも呼ばれた人物。
 さらに京都の「辻留」2代目の辻嘉一(1907-88年)。元々は京都市内で裏千家の茶懐石を出張して振舞ったのが「辻留」のルーツ。辻さんご自身は関東のフランス料理の料理人だった小野さんとも対談している。
 また、敗戦後、建て替えた後の「帝国ホテル」で総料理長だった村上信夫(1921-2005年)。この人は紛れも無い江戸っ子だが実父も調理人で淡路島のご出身。東京オリンピックでは女子選手村の「富士食堂」の料理長。召集した中国戦線では敵陣への総攻撃前夜に「帝国ホテル」の先輩から出征祝いで贈られたフライパンでカレーを作り、兵士に振る舞ったのだが、戦地に不釣合いな芳しい匂いで敵に気付かれ逃亡された。この人も、加東大介の「南の島に雪が降る」と似て、明るい涙が身上の苦労人という感じがある。

          「味覚三昧」[辻嘉一著]表紙.jpg

 さらに高麗橋の「吉兆」の湯木貞一(1900-97年)もいる。辻静雄さんが貞一さんを連れてヨーロッパ中を巡った。これは1970年代後半に一等だった旅籠兼料理屋をくまなく辻静雄さん手ずから案内する超豪華な旅だった。
 当時、湯木さんはすでに今で呼ぶ後期高齢者だったので、辻さんは気を遣うわけだが、結果として辻さんの方が早くに亡くなってしまった。湯木さんの源流は神戸の花町だ。武士の商法で祖父の始めた牡蠣船屋は父の代には「鰻割烹」になったが、懐石に憧れる湯木さんは鰻割烹では合わない。それで大阪で鯛茶のスタンド割烹を始めたわけだ。茶道を始めたことが湯木さんの財界人との付き合いの幅を拡げた。
 「ヨーロッパ一等旅行」と題してまとめた旅行記は湯木さんへの畏敬の念で溢れている。だが、その後、立て続けに不祥事が起き、昭和は遠くなった観がある。

          「吉兆味ばなし」[湯木貞一著]表紙.jpg

 本シリーズも、顧問の顔触れを見ても編集に手間と元手が掛かっていることが分かる。それを原点として今も押し頂く平松さんは、関西ではないが岡山のご出身。
 20世紀前半、和食が茶懐石を通じて洗練され、徐々に西洋の料理を吸収し、敗戦後の日本料理界は、東京オリンピックである一つのピークを迎えたことが分かる。今ではこんなゴージャスな顔触れを揃えた本は、望めないのかも知れない。往時茫々。


追記の追記
先ほど、某所で9名の大宴会。久々の身内が顔を揃えて、さらにそこに地元の顔役のような夫婦が入って。旨くって、面白かったな。山賊の伝統があるから、山の人は閉鎖的で今でも紹介がないと排他的なんだそうだよ。面白いぜえ。昭和時代を思い出したけれど、姪や甥はもう十代だ。往時茫々どころじゃないよなぁ。
| 9本・記録集 | 06:20 | comments(0) | trackbacks(0)
ポピュリズム(Populism)――のた打ち回るイギリス社会(下)。
7月20日
ポピュリズム(Populism)――のた打ち回るイギリス社会(下)。
 7月1日に世論調査が出て、その後から保守党の重鎮が調整工作で蠢動し始めていた。週明けの3日には、その方向性が明らかになった。

「The Telegraph」 7月3日
 テレーザ・メイ氏は、首相の座を降りる覚悟を決めるよう、辞職圧力の中にある。
 内閣でも電気・ガス・鉄道等の公共料金の上限を定める方針について意見が割れたため、首相退任の日程を決めるよう、辞職圧力が強まっている。
 保守党の重鎮らはメイ首相に対し、本年10月の保守党党大会で次期首相に党首を譲る日程を示すよう求めたと報じられている。
 彼らは首相に2019年3月のEU離脱以降も、2019年の6月までその座に留まるよう望んでいる。これは、EU本部に対して、離脱交渉期間は彼女は首相の座に間違いなく留まり、交渉の総責任者であると示すためのものだ(以下略)。

「The Sun」 7月3日
 テレーザ・メイ氏は首相として急遽解任される可能性について直面している
 テレーザ・メイ氏は、首相として辞職する覚悟を決めるよう保守党の大立者から最後通告を受けることになりそうだ。メイ氏は首相の地位から離れるスケジュールを決めるように保守党内部から高まる辞職圧力に直面している。
 保守党(本年6月に総選挙を実施し、閣外協力で国会多数派を占めることができた結果、保守党は、国会の解散・総選挙を打たない限り、今後、5年間は政権の座を維持できる)指導者層は2019年の6月には首相を退いて、EU離脱交渉を後進に譲るべきだとメイ氏に要求している(以下略)。

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 少し話は飛ぶが、そのイギリスなど遠く及ばない超高額のアメリカの場合は、国家の安全保障を左右するような悲劇も起きている。
 つい先ごろ、アメリカで大きな話題になった事件について訳書が出て、主要な新聞の読書欄で取り上げられた背景にもこれがある。
 「スパイの血脈――父子はなぜアメリカを売ったのか?」[Brian Denson著 / 国弘喜美代訳, 早川書房]
 ここで手嶋龍一さんの推薦コメントを含んだ出版側の紹介文を引用したい。

 「ロシア・スパイの手は米国の中枢に延びている。冷戦時代の情報戦など過去の遺物だ
 と楽観しているなら本書を読んでみるといい」(手嶋龍一)
 CIA高官は売国奴に堕ちた。最愛の息子を道づれにして――衝撃のノンフィクション。
 CIAの要職にあったジム・ニコルソンは、なぜ祖国を裏切る道を選んだのか?
 いかにして息子ネイサンを共謀者に仕立て上げたのか?
 そして、すべてを陰で操るロシアの思惑は?
 ピュリッツァー賞最終候補にも選ばれたベテラン記者が、全米を震撼させたスパイ事件の
 真実に迫る。

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 CIA高官とあるが、実際には訓練校の教官に過ぎなかったことなどは何時も通り諜報関連書籍の針小棒大の悪い癖だ。ともあれCIAに憧れて入ったのにスパイとなって国を裏切った理由も、スパイ行為で逮捕され、収監された後も獄中から息子を使ってネタを売り続けた理由も明快。離婚でかさむ息子たちの養育費と学費を調達するためだった。
 国の公安情報を取り扱う肝心要の仕事をしている人たちでも、息子の学費を払えないことに悲観して国を売ることになる。セコイと笑うなかれ――これは全く笑えない話だ。

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 スパイは、CIAでの教え子の名簿を持っていたから、ロシアの全土へと散っていったアメリカが放ったスパイの名を1人ひとり売って行ったそうだ。転落理由はしょぼいが、受け取る側のほくそ笑んだ表情を想像するとぞっとする。
 こんな事件は後のアクションが重要だ。国益をどう守り続けるか。情報を取扱う人々の地位の保全を政治が約束しなければならないというメッセージだ。子供の未来を想う親の気持ちに付け込む勢力が常に周囲から囁きかけている。
 日和見のポピュリズム(Populism)に踊らされていると、政治家側も真に大切なものを見失ってしまう。恐ろしいことだ。
| 9本・記録集 | 07:32 | comments(0) | trackbacks(0)
気になる本――ガマンするのもツライもの。
7月16日
気になる本――ガマンするのもツライもの。
「アジフライを有楽町で」[平松洋子著, 文春文庫]
 「オール讀物」連載中の人気連載の書籍化は第3弾目になるはず。文庫化は初かな?
 この文庫のタイトルであの店かこの店か想像たくましくあれこれ想い浮かべる。実はそれが楽しい。遠いところからじっと想像して想う味があることはとても幸せなのだ。味は記憶で、記憶は味だけでなく、視覚でも、聴覚でもある。人の思い出にも繋がる。
 俺のアジフライは、祖母であり、昭和の松陰神社通り商店街の夕暮れである。 
 「 危うし、鴨南蛮
 どっきり干瓢巻き/トリュフvs松茸/ヤバい黒にんにく/どぜう鍋を浅草で/レモンサワーの夏/歌舞伎座で、鰻/羊羹でシンクロ/ステーキ太郎、見参/熊タン、鹿タン/海苔弁アンケート/インドのお弁当/最初は鯨めしだった/パンケーキ男子

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 競椒鵐献紂璽襦¬A構
 久慈でもたまごサンド/外ジュース、家ジュース/冷麺あります/生ウニは牛乳瓶で/えいね! 土佐「大正町市場」/砂糖じゃりじゃり/無敵なスープ/パリのにんじんサラダ/ちょっとそばでも/ムルギーランチ健在/品川で肉フェス/
  エノキ君の快挙
 ちくわカレー!/もっとアミの塩辛/出たか、筍/とうがらしめし!/シビレる鍋/朝顔とドライカレー/夏の塩豆腐/いちじく祭り/ごぼうアセンション/わたしの柚子仕事/朝も夜も、湯豆腐/今年も焼きりんご/冷やごはん中毒/煮物ことこと
  鶏肉は魚である
 征太少年のカキタマゴ/栗の季節です/居酒屋ごっこ/白和えフリーク/牛鍋屋へいらっしゃい/かけそばと目玉焼き/志ん生の天丼/キャラメル夢芝居/塩豆とビール」
 どうも近年、ロッパの日記にあるからではないけれど、卵掛けご飯は立派に市民権を得たらしい。平松洋子さんの本作にもある通り詩人の伊藤比呂美さんの卵愛は常軌を逸しているのだった。卵掛けご飯ではなく、ご飯落とし卵で、卵の方が多い。醤油は多目だそうだ。
 そう書く平松さんも自作の卵サンドを1ヶ月も毎日喰い続けているのだから恐ろしい。最近は京都の喫茶店の卵サンド文化が関東圏に侵入したので、もう、あっという間に女子の間に卵サンドの旨さが広まったらしい。
 伊藤比呂美さんも平松洋子さんもガマンしない。平松さんはそれでも1年に1度絶食するのだ。その気合が潔くて面白い。
 祖母は料理が下手で本人も分かっていた。だから松蔭神社通りでアジフライとメンチカツを買って来て俺の夕飯にした。祖母もガマンしなかった。小学生の時に「怪奇植物トリフィドの侵略」[あかね書房]を買った。高校生になるとビールを呑ませて呉れた。脇でキセルで煙草を吸っていた。俺は煙草は止めたけれど、揚物の惣菜ははるか遠い祖母と昭和の想い出。今の松蔭神社通りにはもう面影は殆ど残っていない。

      「The Dayof the Triffids」スチール.jpg

「開かれた社会とその敵」[Sir Karl Popper著・内田詔夫 / 小河原誠訳, 未来社]
 社会の敵を「プラトン」と「エンゲルス」と「マルクス」とした本書は、1940年代の半ばに、第2次大戦の戦場から遠く離れたNew Zealandで著された。著者は、Vienna生れのユダヤ人哲学者。New ZealandにNaziの迫害から逃れ、この名著が書かれている。「Open Society and Its Enemies」というタイトルに俺は心強さを感じる。
 絶対的な真実だとか真理が生まれ、社会にそれを批判・反証することが難しくなると、社会が抑圧されてしまう。それは問題だろうと指摘しているわけだ。
 同じVienna生れのFriedrich August von Hayek(1899−1902年)によってPopperはLondon School of Economicsに招かれる。HayekはイギリスにNaziに心が折れないよう「隷従への道(The Road to Serfdom)」[村井章子訳, 日経BPクラシックス]を説く。イギリスはこれらをViennaの学究から贈られてまことに幸せだ。彼らは命懸けでNaziの全体主義に負けないようにイギリスを鼓舞した。だから「Battle of Britain」という言葉には一国だけでなく自由主義最後の砦というニュアンスがある。
「ポピュリズムとは何か」[Jan-Werner Muller著, ]
 「著者はポピュリズムを反エリート主義と反多元主義によって定義する」
 「人民を代表するのは自分たちだけだ」という反多元主義的な語りで既成のエリートを攻撃し、政治的な競合相手を排除する反多元主義の重視。今まさに、第2次大戦時のファシズムの経験を踏まえて生まれたEUが揺らいでいる。民主主義を毀損する真の敵はポピュリズムだろう。ポピュリズムを動かすのは誰か。EUに2大国があるが、以前からこの片割れのリーダーをじっと見ている。背後にはEUにはいない別の国の人の影が見えるから。(『この一冊』東京大学教授・森井裕一評、日本経済新聞)


追記
本日は某所にて先ほどまで一杯やっておりました。参っちゃうねえ。大陸の方が大人な気がしてきちゃうねえ。多分こちらの人の方が諦めを知っているのかも知れないなあ。日本人とも仲良くやれそうな気がするけどねえ。底抜けの気が違ったような成金はアングロサクソンの2カ国ばかりだもんな。ドイツ人とかスイス人も大金持っているけれど、黙っているからねえ。おっと、そこも日本人と近いのか。俺には無縁の世界だけどさ。

      20170714 Brussels  (某所掲載).jpg
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