岡田純良帝國小倉日記

転がり出てきたモノ(2)――Sex Pistolsの缶バッジ。
10月19日
転がり出てきたモノ(2)――Sex Pistolsの缶バッジ。
 断捨離中の俺。さらにこんなブツが棚の奥から転がり出てきましたわい。
 (なぬ〜!)
 遠く遠く、1978年の初夏に作ったSex Pistolsの缶バッジだ。
 中学校から帰る途中に、同級生の女の子たちが立ち寄る手芸屋さんがあった。そこで、缶バッジを作るサービスをやってることをクラスメートの女の子から聞いたんだろうね。多分、お店の中には手作りのボタン用の小型プレスがあったんでしょう。
 バンドは解散していたんだけれど、悔しくて作ったことを覚えている。他の女の子は、キャー、イアンだわとか、あらクリス可愛いとか叫びながら、沢山のアイドルのカラー写真の切り抜きの山から楽しそうに選び取っていた。
 俺の場合には、前の晩に、ミニコミ誌に掲載されていたバンドのモノクロ写真を切り抜いてみたら、手芸屋さんで指定されている缶バッジの許容範囲ギリギリになっていたので慌てて4人の写真をバラバラにして左右を寄せて何とか収まるように「工夫」した。
 (断られるかなぁ)
 恐る恐る差し出したら素っ気無く受け取った。

Sex Pistols缶バッジ(1978年)

 「ちょっと待っててね、すぐできるよ」
 店の中は女の子たちで溢れかえっている。手芸屋さんに男の子が行くことがそもそも恥ずかしい年頃だったが、それでも缶バッジの魅力には抗えない。
 「ほら」
 店のオジサンが差し出した缶バッジには、ギリギリメンバーの顔が乗っていた。
 「有難うございました」
 とっとと店を飛び出したことを覚えている。
 (Paul Cookの顔が切れ掛かっているけど、ま、いっか)
 この缶バッジは、そんな想い出もあってか、捨てられずに40年も俺の手元にあるのだ。これも何かの縁だから、もう処分せずに取っておこうとも想う次第。
 「Brexit is NOT Punk」
 昨年の国民投票前には保守党系の雑誌のインタビューで明言していたPaul Cook御大。今年の夏にも声を掛けてくれた。嬉しかったな。
 今日では某所に住む妹が、2004年にはまだ倫敦に住んでいて、その頃に送ってくれた記事の切り抜きまで出てきた。

20040206 Johnny Rotten on The Times

 こちらはJohnny Rottenがセレブの我慢比べ番組に出ていた頃の記事なんだけれど、もう、今のSex Pistolsは、俺はもう卒業だ。
 「ストーンズは1965年に引退すればよかったんだ」
 「あんな年寄りになるまでバンドをやっているなんて真っ平だ」
 「俺はアナキストなんだ」
 当時のMick Jaggerは30代の前半だろう。
 1977年には元気のいいことを言っていた青年も、今では還暦を過ぎた。しかも70代でスリムなMick Jaggerと違い、でっぷりと太った。大金持ちのドイツ人の妻の庇護を受けて普段は静かに暮らしている。確かに、あれから40年経った。
 Public Image Limitedをやり続けては来たが、あの77年の時の閃光の強さを想えば、今の彼の姿と較べることも愚かなことであることは明々白々。意味が無い。
 「ようし、おんどれらも吐いた唾、呑まんとけよ」
 「仁義なき戦い」シリーズでの永遠の名セリフということになっている。
 Sex Pistolsも卒業。Punk学科の博士課程満期終了。


追記
本日も雨。雨、雨、雨、雨。痺れるねえ。ま、傘がさせるから嬉しいけどさ。
もう、海の向こうのRock 'n' Rollの世界では、これ以上、探求すべきものが無くなってしまった。
| 8音楽 | 07:06 | comments(0) | trackbacks(0)
転がり出てきたモノ(1)――Sid Vicious Interview Tape。
10月18日
転がり出てきたモノ(1)――Sid Vicious Interview Tape。
 こんなブツが靴箱に突っ込んであったカセット・テープの山から転がり出てきました。
1978年夏にPaddington Station近くのPindock Mewsという古い厩の並ぶ裏通りのアパートで行われたインタビューだ。
 ここは映画「Sid and Nancy」で描かれた破滅的なカップルのSid Vicious(1957-79年)とNancy Spungen(1958-78年)がNew Yorkに出て行った後、ヤク中になったTopper Headon(1956年-)が住んでいた。彼もヤクのせいでThe Clashをクビになった。
 Pindock Mewsというクランク型の路地は、当時こそヤバイところだったわけだが、今では高級住宅街に変わってしまった。全てこれも1996年頃から徐々に起きていったイギリス社会の変貌によって、今やその忌まわしい過去が美化されるようになってきた。
 Interviewの後、8月15日にThe Vicious White KidsでComden Townに今もあるElectric Ballroomに出演したのだと想う。

Sid Vicious with Nancy Spungen on Jam Magazine

 この晩のThe Vicious White Kidsの様子はすでにCD化されて出回っているわけだが、ベースがGlen Matlockで、GuitarにはSteve NewというRich Kidsのコンビだった。余りにヘロヘロで、New Yorkでは、Mick Jonesも飛び入りしたことがあるようだが、それほどSid Viciousの行く先ではまだ人が集まった。
 とはいえ、Johnny Thundersは、Nancy Spungenのヴォーカルのマイク・コードを引き抜いたという話をその場に居合わせたある人物から、直接、俺は聞いたことがある。
 「あの女は疫病神だ」
 ネットで出回って世界中に流通している「JAM」に掲載されたあのインタビュー時の写真は、8月のギグの後でアパート内で死亡事故が起きる前に撮影されているわけだが、何となく薄暗くて気味の悪い部屋だった。
 テープでは、冒頭に、Eddie Cochranの45回転のシングル盤に合わせて「Something Else」を歌うSid Viciousの声が入っている。シングルのレコード・プレーヤーは回転が速過ぎて、Sid Viciousは着いていくのがやっとだ。
 当然、まだ本人名義のカヴァー曲がシングルとして切り出される前の時期だったから、Interviewで張り切る水上はるこへのサービスと共に一種の売り込みだったとも想える。シングルは「Silly Thing」とのカップリングだったが、ジャケットにはSidはおらずに、Paul CookとSteve Jonesの2人だけだ。
 SidとNancyは地下鉄に乗る小銭が無くて、カメラを向ける誰にも小金をせびってはヤクに代えていた。
 「俺たちがヤクを持ち込んだなんて言うけど、そんなことあるもんか」
 Walter Lure(1953年-)は笑って言ったっけ。
 「Londonみたいなデカイ街ではどこでもあるもんさ」

Sid Vicious Interview (1978.8) (2)

 帰国直前の9月末のこと、Oxford Circusの交差点のドまん前で、完全にぶっ飛んだヤク中の女がポリスに両腕を取られていた。秋だが、もう晩秋のような寒空にサンダル履き。それが両腕を取られてサンダルでピョンピョン飛び跳ねていた。
 (おっかねえな)
 あれでは完全に廃人だ。
 友達も失くし、誰からも見放され、孤立無援になった後でパクられたわけだ。多分、まずは治療センター行きだろう。だが、もうあそこまで行くと、社会的に復帰するのは難しいだろうというほどの典型的なヤク中の末期の姿を見てしまった。

Sid Vicious, Nancy Spungen and Johnny Rotten at 45 Gunter Grove June 1978

 こちらのInterviewはそのそろそろ直前の2人だ。結局、New Yorkに渡った後も、CBGBに現れては喧嘩をして、大金を持っている時には周辺には売人が溢れていた。Nancy Spungenは投宿していた「Chelsea Hotel」の100号室で、10月12日には死体で発見された。Sidの大きなナイフが突き立てられていて、情況から見れば、薬物中毒による事故死だとも言えるだろう。その4ヶ月後、Sid Viciousも後を追うように死んだ。
 つまり、このInterviewは死んでいく2人の死の直前の肉声が納められているのだが、実は、よく聞き取れない。2人の声は小さく、テープの回っている間には沈黙の時間が多い。もう語るべき言葉も無いという調子だ。起こされたInterviewは勇ましい言葉が並んでいるが、実際の姿とは落差があるのではないだろうか。
 このテープは砧にお住まいだった岡田真理さんから分けて頂いた記憶がある。これも、もう、聴こうにも、そもそもカセットプレイヤーが家には無いのだから聴くこともできない。
捨てるかねえ、捨てるしかないんだろうねえ。断、捨、離、すべきなんでしょうなぁ。諸兄姐、どうする?

追記
体調良好なれど多忙につき色々ありまっせ。ジャポン絶好調。本日だけは天高く馬肥ゆる関東の空。
| 8音楽 | 07:07 | comments(0) | trackbacks(0)
やっぱり好きな怪奇モノ。
10月17日
やっぱり好きな怪奇モノ。
 「Jasmine Records Presents――33 Slabs of Undead Rock 'n' Roll」
 Johnny Ramone(1948-2004年)は大のHoller Movie好きであり、その手のフィギャ好きでもあったことは知られている。
 Ramonesには「Pinhead」(マヌケ)という曲があって、「Gaba Gaba Hey」というプラ・カードを持ってPinheadのカブリモノを付けた男がステージに現われるのはバンドのお約束だ。
 また、ペットの墓場を歌った「Pet Sematary」という曲があるが、このPromotion Videoが撮影されたのはNew York郊外、New Yorkの当時の我が家の近所にあった「Sleepy Hollow Cemetery」で撮影されている。
 Ramonesのメンバーは1950年前後の生まれでで、昨日上げたPopsに夢中だったが、同時に1950年代末から60年代初期に流行ったHorror Movie、Horror Programにも熱を上げた。当時、吸血鬼、フランケンシュタイン、ミイラが深夜のテレビ番組にも登場して、親に隠れてTVを観る子供たちを震え上がらせた。

Rough Trade 20171001 (掲載)

 阿吽の呼吸で、同じ頃に流行り始めたRock and Rollはこのテーマを巧みに流用した。
 「ウフフフフフフ」
 「アハハハハハハ」
 恐ろしげな声色が曲間に入るだけではない。初期のエレクトーンで安っぽい音を作り、犠牲者の絶叫が入る。女の泣き声のような風音、雨を弾くワイパーの擬音など、全て如何にも子供騙しの効果音が安っぽい。

   1. MONSTER MASH――BOBBY (BORIS) PICKETT & THE CRYPT KICKERS
   2. FRANKIE & IGOR AT A ROCK'N'ROLL PARTY――BOB MCFADDEN
   3. HAUNTED HOUSE――JOHNNY FULLER
   4. LITTLE DEMON――SCREAMIN' JAY HAWKINS
   5. DINNER WITH DRAC――JOHN ZACHERLE 'THE COOL GHOUL'
   6. NIGHTMARE HOP――EARL PATTERSON WITH THE DARTS
   7. GRAVEYARD――LEROY BOWMAN & THE ARROWS
   8. ROCKIN' IN THE GRAVEYARD――JACKIE MORNINGSTAR
   9. THE SPOOK WALKS――THE SPOOKS
   10. TIL THE FOLLOWING NIGHT――SCREAMING LORD SUTCH &
     THE SAVAGES
   11. HORROR SHOW――SHARKEY TODD & THE MONSTERS
   12. PURPLE PEOPLE EATER MEETS WITCH DOCTOR――THE BIG BOPPER
   13. THE MONSTERS HOP――BERT CONVY
   14. VOODOO VOODOO――LAVERN BAKER
   15. SHE'S MY WITCH――KIP TYLER
   16. GRAVEYARD GIGGLE――FRANK N. STEIN & THE TOMBSTONES
   17. NIGHTMARE――SCOTTIE STUART
   18. WERE WOLF――CARL BONAFEDE
   19. YOU CAN GET HIM, FRANKENSTEIN――THE CASTLE KINGS
   20. THE MONSTER HOP――JIMMY DEE & THE METEORS
   21. DON'T MEET MR. FRANKENSTEIN――CARLOS CASAL, JR
   22. BO MEETS THE MONSTER――BO DIDDLEY
   23. WEREWOLF――THE FRANTICS
   24. I WAS A TEENAGE MONSTER――THE KEYTONES
   25. I DIG YOU BABY――BOB MCFADDEN & DOR
   26. FRANKENSTEIN ROCK――EDDIE THOMAS
   27. MIDNIGHT MONSTERS HOP――JACK & JIM
   28. FRANKENSTEIN'S DEN――THE HOLLYWOOD FLAMES
   29. THE CAT――ROD WILLIS
   30. HAUNTED HOUSE――CRIS KEVIN
   31. THE MONSTER――BOBBY PLEASE & THE PLEASERS
   32. PURPLE PEOPLE EATER――SHEB WOOLEY
   33. ALLIGATOR WINE――SCREAMING JAY HAWKINS

 彼らより数年下になるBilly Childish(1957年-)になると、そこにアジアのテイストが入って来る。だから先日挙げたような「My Boy Friend’s Learning Karate」のような香港・日本のB級映画のスパイスが振りかけられた怪しい曲が現れるわけだ。
 「ソニー・千葉、好きでしょう?」
 「勿論だよ」
 Billy Childishは嬉しそうに応えそうだ。
 このコンピはB級ばかりではない。Lavern Baker(1929-97年)の「Voodoo, Voodoo」、BoDiddley(1928-2008年)の「Bo Meets The Monster」が入っているのは大貫禄だ。

「Jasmine Records Presentsーー33 Slabs of Undead Rock n Roll」ジャケット。

 だが、本コンピレーションのタイトルは「Monsters, Vampires, Voodoos & Spooks」。だが、そう書くと、怪奇映画のことなのか何のことだか分からない。
 考えてみると、俺も、今や甲子園に鳴り響くようになった「ひみつのアッコちゃん」のタイトル曲、「すきすきソング」[作詞:山元護久・井上ひさし 作曲:小林亜星]を高校時代にカバーしたのだっけ。
 あれは、今にしてみれば、俺たちなりのGarage Songであり、俺たちの世代のB級っぽいテーマだった。2番が終わるとドラムだけになりヴォーカルによるメンバーの紹介になるというありがちな仕立てだった。だが、ちょっとGarageっぽいR&Bになるわけだ。
 「あれの原曲、誰か持ってないか?」
 数日後、ドラムの千葉君が妹君の持っていたソノシートを学校に持ってきて回した。
 「ひみつのアッコちゃん」でなければドリフの「ズンドコ節」でもよかった。こちらなら少しリズムを重くすると面白くなる。その頃、小河原良太と佐藤シンイチロウたちは北島三郎の「与作」を演っていたっけ。
 怪奇モノってのは、永遠の少年のテーマだ。横尾忠則の作品にも「少年探偵団」だとか「怪人二十面相」は欠かせないモチーフだ。薄暗い世田谷のお屋敷町に現れる怪しい影。「影男」は江戸川乱歩だが、貸本マンガの「影男」なら佐藤まさあき(1937-2004年)。
 この佐藤まさあきの追悼文を「en-taxi」に書いたのが中島らも(1952-2004年)だったが、並んで俺のRobert Quine(1942-2004年)追悼が掲載されたことも今は昔。らもさんは佐藤まさあきの追悼をした直ぐ後に自分が死んでしまった。


追記
色々ありますが、ロンドンで準備いていたこと以上にこっちでやることが多過ぎてクラクラしちゃう。まぁ、貧血にならないように青菜でもタップリとって参ります。
| 8音楽 | 07:35 | comments(0) | trackbacks(0)
Ramonesと我が家の歴史。
10月16日
Ramonesと我が家の歴史。
 「The Ramones――Heard Them Here First」[Various Artists, ][ACE Records, 2012]
 帰国前に最期の音源を買ったのは、Camden Marketのあの店でもなければShoreditchのこの店でもなかった。
Notting Hillの「Rough Trade West」(本店)。
 しかも、本家のThe Ramonesではなく、The Ramonesのカヴァーした5〜60年代のアメリカを中心とするポップスの数々を集めた、我が愛する「ACE Records」の編集盤。改めて並べてみると壮観だ。世界中のGarage BandオタクがあまりにストレートなGarage Band LoveとLost-Love Song Loveに声を挙げただろう。

Rough Trade 20171001 (Dracura)

 New York郊外のForest Hillの劣等生の彼らにとってこれらの一連の曲がヒットした時に思春期を過ごしていたことになる。よく伝わってくるのは、選曲の明るい哀しみ。
 「ワビサビは日常に潜む明るい哀しみで――私の胸に何時もあるものだ」
 先日、ノーベル文学賞を受賞したKazuo Ishiguro(=石黒一雄, 1954年-)は、以前日本文化の影響を問われてそういう言い方をしていた。もしそれがワビサビというなら、The Ramonesのセンスはワビサビだろう。
 選ばれたThe Beach BoysやJan & Deanが象徴する真夏のビーチの恋愛劇は彼らにとってはるか彼方の存在だったろうということだ。バカにしているワケではないぜ。メイン・ストリームから何時でも遠い、言わば“路傍の人たち”だったということだ。
 西海岸にはBobby Fuller(1943-66年)率いるBobby Fuller Fourがいる。今では世間一般にはThe Clashのカヴァーで知られるこの曲を作詞作曲したBobby Fullerは、そのキャリアのピークで自宅アパート前で愛車の運転席で死んでいる姿が発見された。
 未だに諸説が紛々として明らかになっていないが、バンドはツアーの後でメンバーの脱退話でもめていた。契約していたDel-Fi RecordsのBob Keane(1922-2009年)らが何らか事件に関係していたと言われる。
 このBob Keaneは昭和の用語で言うと“畳で死んだ”側だが、生涯、そのキャリアに付きまとった黒い噂は晴れなかった。映画の「La Bamba」になったRitchie Valens(1941-59年)を見出したのはこの男。
 また、黒人のSam Cooke(1931-64年)にPopsを歌うように唆したのも目端の利いたこの男だった。Sam Cooke自ら「Sir Records」を設立して独立した時にもめている。メキシコ系移民のRitchie Valansは飛行機事故だが、この時に多額の生命保険を受領したという噂がある。また全国的に騒がれた「The Hacienda Motel」でのSam Cookeの射殺事件はFBIかMafiaの手にかかったと言われている。

「The Ramones――Heard Them Here First」ジャケット。

 これは東海岸なら、Clint Eastwoodがこの辺りのShow-Bizの世界を巧く描いている通り、「Jersey Boys」で描かれる1950年代から60年代の東海岸のポップスの世界だ。New Jerseyの地元のバーで歌の巧い兄ちゃんとして鳴らしていたFrankie Valli(1934年-)をFront Manに擁したFour Seasonsの浮沈を描いた本作は、大金の匂いを嗅ぎ付けて入り込んできたギャングの集まった魑魅魍魎の世界でもあった。
 「Roulette Records」のMorris Levy(1927-90年)などは「Bird Land」の経営者でもあり、Musicianをシャブ漬けにして版権も何もかも毟り取る、映画を上回る冷血漢だった。New York Mafiaの中でも顔役の顔役だったが、晩年はその悪行がTVで全て暴かれ惨めな最期を迎えたが、そういう人の方がこの業界では少数派だろう。

   1. Let's Dance――Chris Montez
   2. California Sun――The Rivieras
   3. Surfin' Bird――The Trashmen
   4. Do You Wanna Dance――The Beach Boys
   5. Needles And Pins――The Searchers
   6. Come On, Let's Go――Ritchie Valens
   7. Baby I Love You――The Ronettes
   8. I Got You Babe――Sonny & Cher
   9. Little Bit O' Soul――The Music Explosion
   10. Time Has Come Today――The Chambers Brothers
   11. Indian Giver――1910 Fruitgum Co
   12. Surf City――Jan & Dean
   13. I Can't Control Myself――The Troggs
   14. My Back Pages――The Byrds
   15. Surfin' Safari――The Beach Boys
   16. Can't Seem To Make You Mine――The Seeds
   17. Shape Of Things To Come――Max Frost & The Troopers
   18. Journey To The Center Of The Mind――The Amboy Dukes
   19. Somebody To Love――Jefferson Airplane
   20. 7 And 7 Is――Love
   21. I Don't Wanna Grow Up――Tom Waits
   22. R.A.M.O.N.E.S.――Motorhead
   23. 1969――The Stooges
   24. What A Wonderful World――Louis Armstrong

 The Ramonesのメンバーとして集まった人たちは、ギャングの儲け話にさえ一口乗れない風采の上がらない、言わば、気転の利かないところがあった。利発で目端の利く男たちの集団ではなかった。
 「懐かしいねえ」
 アクビ娘が聴きながら身体を揺らす。
 「この曲、本人の歌で観てるんだぜ」
 「え?」
 「『Baby I Love You』って、あ、Ronettesか」
 「そう」
 「アタシは記憶に無いのに、お父さんから言われて知ったこと多過ぎ」
 1997年の暮れにJoey Ramone(1951-2001年)が地元の子供のためにCharityでChristmas Partyを開いた。この時にRonnie Spector(1943年-)をゲストに呼んだ。
 「紹介しよう、Ronnie Spector!!、史上最高のBitchだ!」
 「ああ、子供に耳栓を配ったんだよね、あの日は」
 俺のように、中学に上がる頃には彼らを知って育った人間にとっては、これらの選曲リストを眺めると、辿り着いた場所は同じだったという想いがある。あらゆることを通り過ぎて、なお、還っていく場所。基本の基本――そういうリストだ。


追記
秋の長雨にしては時期が遅い気もするが、ずっと雨続きで困ったもんだ。天高く馬肥ゆる、という季節のはずなのにねえ。関東は一週間雨がちだそうで、気が滅入るねえ。あっこのブルー・マンデーだわ。
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Kings Road, Chelsea Spring 1976
9月23日
Kings Road, Chelsea Spring 1976
 ロンドン通の人に知られる「Floris」(https://www.florislondon.com/)は世界で2番目に古い香水屋ということになっている。その手ので一番古い店はどこだか俺は聞いたことは無い。
 東京で3番目に美味い店とかカワサキで2番目に美味い店だとか控え目に図々しく看板出しているのはある。
 以前、“小倉の料理番長”が「カワサキで2番目に美味い店」という看板を出したラーメン屋で、
 「これ、麺を湯がいたお湯、切ってないじゃん!」
 怒りの余り立ち上がり、
 「アタシ、帰る!」
 猛然と席を蹴って店を飛び出したことがある。店主が抱きついたけど振り切ったっけ。

「Kings Road, Chelsea Spring 1976」(3).jpg

 さてこちらは「Floris」の中で、控え目に売っている60〜80年代のLondonシリーズのど真ん中、1976年の香水なのだよ。Punk Rock暴発のLondonさ。
 「King's Road, Chelsea - Spring 1976. 'A memory from my early 20's, feeling a great sense of empowerment living in my first apartment. Alone yet surrounded by life, overlooking a hive of energy and evolution'.」
 「20代最初の記憶――1976年春、チェルシー地区のキングス・ロードに私が初めて住んだアパートがあった。まだ、単身で、周囲には熱気に溢れ、エネルギーと革新性に満ちた生き様が溢れていた」
 パンク・ロックはこうして歴史になった。「パンク仙人」と呼ばれたオヂサンも、140ポンドのこの香水を買っていよいよ帰国することにしたわけさ。


追記
最後の土壇場になって、大逆転劇がハツプン。
78年前の在英帝國大使館および陸海軍駐在武官事務所の住所、さらに。彼らが日夜社交クラブとして使ったから日本人會の場所も全て某所からのご厚意により入手することができた。有り難いことだ。
しかし今日時点で分かったのは、陸軍駐在武官室は、あの巨大な現存するマンションの中にあったことが確認できるというのに、俺のジイ様の海軍武官と監督事務所は全滅。どうやら一説には1970年代の建て替え工事、あるいはBattle of Britainの攻防の中で、爆撃か何かで破壊されたかで、ズバリそのままの建築物は残っていないらしい。
陸軍の武官室はあのマンションの一室だったとしても、海軍の武官事務所は3代目のNew Scotland Yardのドまん前だが、三代目の建物に屋移りしたのは1967年だから、在英帝國海軍とは無関係のはず。イギリス海軍の事務所も一部は入居していたらしい。
思えば、祖父がこの街を離れたのは丁度80年前で、ちょうど区切りの年か知らんねえ。ともかく、78年前の在英全権大使は葵の御紋の重光葵。吉田茂は帰国して様々な工作に手を染めていた頃だろう。今年の春先にでも分かっていれば!
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London Punkの今(3)――Royal FamilyとRock & Roll!
9月20日
London Punkの今(3)――Royal FamilyとRock & Roll!
 昨日の話もそうだけれど、Rock and Rollの今は、昔と較べると様変わりだ。特に、1970年代は華やかで、しかし、社会は荒れに荒れていた。だから、一層、ステージ上のSuperstarたちは儚く美しく見えたのだろう。
 その頂点にあったとも言えるDavid Bowieは、こちらがLondonに引き移った直後に亡くなったので、結局、Londonで観ることはできなかった。Londonで観たかった1人。だが、同時代のRoxy MusicのFront ManのBryan Ferryは観られた。帳消しだろう。 
 このBryan FerryのPalladiumでのステージはとても興味深いものだった。客層では還暦を過ぎた60代が最も多くて、70代も多数いたはずだ。Bryan Ferry自身が70歳を超えているから不思議はないのだが、Rock and Rollの歴史を感じさせられた。

David Linley and his Father Lord Snowdon.jpg
 Glam Rockのシンボル、絶頂期の2人を撮ったLord Snowdonと息子のDavid Linley
 息子は気さくで、市内をチャリで飛ばして現れると、俺と握手をして呉れたっけ

 David Bowieの絶頂期なら、1973年のZiggy StardustのTourの終わりとなったHammersmith Odeonのコンサートの記録が観られる。
 あの観客席は凄い。1960年代初頭のBeatlesの頃とは違って、打ち続くストライキ、公務員のサボタージュで交通機関は麻痺して、ゴミ収集には来ない。辻々にゴミの山があった。社会は、夢を見られない暗い時代に突入していた。
 客席の彼らは、現実など見ていなかった。Ziggyに未来を見ている。だから女の子の流す涙は、歓喜の涙より、ずっと切ない哀しみが感じられる。
 そのクライマックスから数年。それでも、やっぱり何も変わらない現実の世界。
 これにガマンができなくなった少数派が、1976年にPunkに急速に発展していったということだ。だから、その最初のフォロワーの1人が俺たちで70代のBryan Ferryを観に来た客層は1世代上のGlam支持層で、一部はPunkの第1世代だった。
 あれから40年経っている。Palladiumの彼らはハナからやる気満々。Bar Counterに頻繁に通い、なみなみ注がれたパイントのビールをあおり、ワインの瓶を片手に2本持ち歩く。Bryanがステージに出てきた時はデキ上がり、気でも狂ったように踊った。Palladiumのホール内は1曲目から大合唱。壮大な同窓会で、それはそれは壮観だった。
 あの世代のイギリス女性にとってBryanの幸せは過去のことでもなければ他人事でもない。Jerry HallがMick Jaggerと別れた時はBryanはよりを戻すべきだという説が堂々と新聞に掲載される。彼らは1人の老人の「男としての」幸せを本気で願っている。

David Linley and His Parents and sister.jpg
 この時も、既に夫婦は互いに愛人がいた。別れた後も、伯爵は常に複数の女性との
 「交渉」があり、各方面で隠し子が発覚した。一時は「ゲイ説」まで流れた人だけれど

 さて。
 そういうLondonの21世紀。Paul Cookの「Brexit is not Punk」の話は書いた。Mick Jonesの従弟は、いまや押しも押されもしない保守党の有力な国会議員となった。そんな時代。Joe Strummerの出自も、近頃、俺にはどうでもいい話になりつつある。
 Londonだから、俺のような出自の人間であっても、David Linley(1961年-)と挨拶し、握手を交わしたこともあった。このDavid Linleyは、正真正銘、Elizabeth IIの孫だ。
 David Linleyの父親は王室から離れたといえ、あのLord Snowdon(1930-2017年)である。王室写真家から発展、Margaret王女と結婚、後にMusicianの写真も多数撮った。結婚する時に伯爵に叙されたが、最初から夫婦は破綻していた。その面でもLord Snowdonは20世紀英王室を舞台にした稀代の色悪だった。
 伯爵の写真家としての腕は確かなものと評価されており、絶頂期のDavid BowieやBryan Ferryも撮っている。成り上がりの伯爵が労働者階級のSuperstarの写真を撮る。
この辺りにも、Rock and Rollが放っていた色気の一端が垣間見えるだろう。
 息子は父親の死後、Lord Snowdonとなり、Christie'sの会長等を長らくやっていた。考えてみれば彼はあまり俺と年齢は変わらない。そろそろPunkもRock and Roll系の売り立ての対象として物色されているそうだ。


追記
本日は市内某所で大宴会。ウッフッフッフ。宴会で得るものは無いよ。精々、巧く立ち回るだけの手練手管の話ね。宴会よりもサシか仲間内の密談ですわなあ。有り難いような、有り難くない宴会が続いておりますわね。ロンドンで東京の悪いところばっかりみたいな話。けどけど、色んな所から、俺にトンカツとかカツカレーとか、白い連中が。ホワイトライオットですわいねえ。オホホホホホホホホ。
| 8音楽 | 07:03 | comments(0) | trackbacks(0)
London Punkの今(2)――Blitzkrieg Bop!
9月16日
London Punkの今(2)――Blitzkrieg Bop!
 Frantic FlintstonesのChuck Harveyは1963年生まれで、俺と日本なら同学年だが、Sex Pistolsへのスタンスで違いが際立った。だが、ヤツの信奉するClashのJoe StrummerはWorking Classではないじゃないかと質すとバツの悪そうな表情になった。
 それが、「All Ages Records」のオーナーで、今年50歳になったNick Collinsの場合は、ビミョーに立場が違う。
 「Paul CookはThe Professionalsを再開したぜ」
 「知ってらぁ。ゴメン、ホントは悪気はないんだ」
 「いいんだよ、分かるよ、気持ちは」
 「ホントかよ」

「The Sisters of Suave」(The Headcoatees)ジャケット。.jpg

 「London唯一のPunk専門のインディーズ店をやってきたの、俺は尊敬するよ」
 「そうだよな、この店にあるものは俺の全財産なんだ」
 「分かるよ。その通りだよ」
 「これどうだい?」
 奥から、大判の写真集、「Phaidon Books: Oh So Pretty: Punk in Print 1976-1980」を持ち出してきて俺の前に置いた。軽いよ、持って帰り易いから買いなよと言う。だが、俺は持っているのだ。
 「店のシャシンとっていいかい?」
 「ダメだよ、悪いけど」
 撮るなら店の商品を何でもいいから買ってからにして呉れとNeilは言った。
 「最近、店の前でシャシンだけ撮って帰るヤツラがいるんだよ」
 「店にも入らず?」
 「そうだよ、俺の全財産なのに、シャシン撮り逃げだろ」
 SNSに氾濫しているのは俺と会話もしない、商品も買わない、店にすら入って来ないような連中のシャシンばっかりだとNeilは言った。
 (そうか)
 俺は30分くらい迷った。Thee Headcoateesの「The Sisters of Suave」をカウンターの上に置いた。Neilは、お前の買ったのが最後の1枚だと嬉しそうに言った。
 「そう言えば、あのBilly Childishも3本CD出るってんだよ」
 「それ、旧作だろ」
 「違うやい、新作だい!」
 ヤツはさらに嬉しそうに言った。

Nick Collins at his All Ages Records.jpg

 Peter Perrettの新作が出たことは俺にも同じように驚きで嬉しかったのだが、それは言わないことにした。だってPeter Perrettはこの店に来ると想えないから。
 「もっと話をしたかったよ」
 Nick Collinsは手を差し出した。
 俺はNickの雄姿を1枚だけこうしてシャシンに納めた。また来てくれよな、Nickは言った。こういう野郎は真の友達と呼んでいいんだろう。Londonはこんな連中がいるから面白い。扉を開ける時、背中から「電撃バップ」が聴こえてきた。


追記
昼はピッツアと魚介フリット盛り合わせ。
夜はマグロのタルタル、シーフードのリゾット、そしてイカの野菜の詰め物を頂きました。
物欲がビレッジビレッジと湧いてきて困りますなあ。日本人の3人組を初めて目撃した。驚きました。だんだん変わるかな。この街はそれにしても濃厚にアジアの土着の匂いがするなあ。好きです、ナポリ。
| 8音楽 | 06:24 | comments(0) | trackbacks(0)
London Punkの今(1)――Netによる連帯、そしてビミョーな「溝」。
倫敦日記’17(第三十弾)
9月15日
London Punkの今(1)――Netによる連帯、そしてビミョーな「溝」。
 こちらを離れるに当たって、遠くは大陸各所、Edinburghまでの各方面に挨拶回りをしているわけだが、近くでも足しげく通った所は、それまで口を利いたことがなくとも、話をするには絶好のチャンスでもある。
 Camdenでは「Sounds That Swing」(http://www.nohitrecords.co.uk/)のマネージャー、Neil Scottもその1人だ。あるいは、Sohoなら「The Original Soho Punk Rock Tour」(http://www.flipsidelondontours.com/)の関係者もその中に含まれるかも知れない。
 どうせ遠いLondonまで行くなら、こういう人たちと予め連携して手作りのツアーをブッキングしてから出掛ければ、短くとも滞在はずっと楽しいものになるだろう。
 ネットがあらゆるものを結び付けるから、国や年齢性別問わず、同志は連携はできる時代だ。面白いものだ。そうそう、「All Ages Records」(http://www.allagesrecords.com/)のオーナーのNick Collinsもその1人に挙げられるだろう。

Bobby Gillespie in Souds that Swing Records.jpg
 Primal ScreamのBobby Gillespieは昭和37年の生まれだ。俺と学年は1つ違いなのだ。
 やっていること、やりたいことは、よく分かる。ヤツもこの店に来て音源を物色する
 のは次なるネタ探しのためでもあるわけだよ。諸兄姐、こいつは切実な問題だ。

 彼らのアナログ盤への熱意とか、古い音源の発掘に関するノウハウの語りは、聴いているだけで汗びっしょりになるほど暑苦しい。それほど誰もが使命感に燃えている。
 「日本人はしょっちゅう来るよ」
 「日本から来る人はジェントルでいいよ」
 「昨日は名古屋だって言ってた」
 「俺ぁ、母ちゃんが日本人『だった』こともあるぜ」
 そういう店やキーパーソンに会うと、大抵、そのくらいの話にはなるわけだ。
 しかし一方でLondonのPunk関係者には、実は他の街からは見え難い、ビミョーで難しい近親憎悪があることも忘れてはいけない。Neil Scottは年代的に上で、Garage Punk辺りでは結びつくが、London Punkとなると、ちょっと違うかも知れない。
 上に上げたような人たちは互いに同志的な結びつきはあって仲が良いし、実際、Hard Core系やGarage Punk系のバンドマンは店の客でもあるし、彼らのCDを持ち込んで来る商売相手でもある。こうして62年生れのBobby Gillespieのような男も来る。

  「Sounds that Swing (No Hit Records)」トート・バッグ。.jpg
  俺の使っているトート・バッグ。コイツは、日本だと中々目立っちまうけれど、ま、
  どうでもいいんだよ、そんなこたぁ、もう。オホホホホホホホホホ。

 普段、扉を開けると温厚そうなNeil Scottの前に、怒髪天を衝くようなモヒカンとか、高血圧になりそうなModsのスーツで決めたスキンズだとかがいたりすることがある。仲が良いが、London Punk第1世代のPunk Rockerに対しては実は極めてスタンスが違っている。ビミョーな問題だが、お互いに譲れない「溝」が厳然として存在するのだ。
 63年生れのFrantic FlintstonesのChuck Harveyが日本公演の帰途、飛行機で隣り合わせた時のことは前にも紹介した。彼はJoe StrummerはOKだが、Sex PistolsはMalcolm McLarenの操り人形だと言い切った。
 67年生れのNick Collinsの場合は、もっとハッキリしている。
 「Mick Jonesなんてクソだ。俺の店には来ないぜ、アイツら、全然、今のPunk Scene
 なんて全然興味がねえんだ。Steve Diggleは一度店に入ってきてさ、『おお、クール
 だね』だってさ。アイツはこの店の近所に住んでるけど、それから通っても来ないよ」
 俺がPaul Cookのシャシンを見せると、ますますいきり立った。
 「Paul Cook、いいでしょう。だけど、Sex Pistolsって何だよ、アイツらの後にはもう
 Punkが終わったみたいじゃないか。そんなのク・ソ・ッ・タ・レ、だ」
 だが――最後には、俺たちは固く握手をして別れたのだ。


追記
Victoria某所で密議。面白かったな。謀議詮議。
1971年に生まれたトモダチは、Sham69がフォロワーだということを最初から全く知らないわけですわい。つまりその歴史も知らないわけだが、センスは経験してきた俺なんかよりよほどシャープで、それも面白かったねえ。
当事者で直接の経験者じゃないからできることがある。俯瞰できる、ということかなあ。
明日早朝4時過ぎには家を飛び出す予定。暫く当地を留守にしますけえ、どちらさんもシクヨロで。数日アップされんでもさ、ワイの命には別状はないんじゃけえのう。アンジョウ、タノンまっせって、一体、今は何時やねん。
| 8音楽 | 06:59 | comments(0) | trackbacks(0)
懐かしい共用便所。
9月14日
懐かしい共用便所。
 このシャシンはEdinburgh城で撮影したもので、だから左側のケツは蝋人形でScotishの看守だ。第2次大戦最中まで古くは中世から捕らえられた囚人の待遇が少しずつ改善されていくことを示す展示になっていたところは巧みだ。

          Edinburg 20170908 (掲載).jpg

 Gentlemen向けのKilt姿は市内の到る所で観られて、一様に伝統的な民族衣装にバグパイプを吹き鳴らしていた。100£も出せば土産物屋でフルセットのバグパイプが買えるから、明日からでも店開きができるというわけだ。
 1996年のSex Pistolsの再結成ツアーでは、Steve JonesがこのSkirtsを身に着けていたのが記憶に残る。自伝では彼はどうやって自分自身をビジュアルで印象付けるか様々苦労したことが振り返られている。1970年代には、元々が巻き毛なので、流行のスパイキー・ヘアにもできず、国旗を頭に巻いたりするが全て失敗だったと振り返っている。

            Steve Jones in Scottish Gents Kilt at 1996 Reunion Tour.jpg

 (そうだったなぁ)
 この水洗便所を眺めている内に、彼らのDenmark Streetにあったアジトの内庭の共用便所を反射的に思い浮かべた次第。シャシンが撮られたのは1977年の初夏のはず。 
 ここは今ではギターショップに変わっていて、その通用口を抜けると、こうして小さな裏庭があり、便所は今でもある。便器は同じかどうか判らないが、少なくとも上部の水槽とパイプは交換されているようだ。
 1992年にこの辺りを初めて歩いた時には、Denmark Streetが60年代にTin Pan Alleyと呼ばれていた痕跡は殆ど感じられないほど音楽関係の店も無く、寂れていた。
 1994年11月にユーロトンネルが開通し、徐々に大陸間の旅が珍しくなくなり始めていくが、まだまだLondon市内にはあちこちに荒れていた場所が残っていて、排他的な雰囲気が蔓延していた。
 Sex Pistolsの再結成で1996年に再びLondonに赴いた時には、何となく雰囲気はよくなり始めていた記憶があった。俺は3歳半のアクビ娘を連れていて、そういう精神状態も手伝っていただろう。

Courtyard of 7th of Denmark Street (Rehearsal Room) in 1877.jpg

 しかしそれから20年が経って、また、イギリスが「やらかしてくれた」と俺は想う。去年の国民投票の最終的な決算は出ていないわけだが、多分、最低3年は物事の進展が遅れ、国勢に遅滞が起きる。各国で、大方の予想を覆すような一連の選挙が続いたのには、水面下での「R」勢力の暗躍が根強く噂されてきた。
 当地を去って帰国したら、お次は「C」をも潜在的な脅威に感じつつ、日々を暮さなければならなくなる。
| 8音楽 | 12:13 | comments(0) | trackbacks(0)
Paul Cookにお別れを。
9月2日
Paul Cookにお別れを。
 金曜日の夕方、ブラブラとNottinghillの駅前に差し掛かったら、Don Lettsみたいな男が舗道の向こうから歩いてくる。隣に白人の還暦前後のオンナ。
 (ややや!)
 その隣にいるのはCookyこと、Paul Cookである。

      Paul Cook on the Spectator, March in 2016.jpg


 「あっ、ポールじゃん!」


 思わず日本語が口をついて出た。そうしたらPaul Cookが立ち止まり、俺に右手を挙げた。
 紅色のトレーナーを着て、黒いジーンズ、スニーカー、ナイロンのバッグを袈裟懸けにしている。
 「俺、日本に帰ることになっちゃった」
 「そうかい」
 「BREXITだよ、やっぱり」
 「ほんとうかい」
 「影響デッカイよ」
 「チキショー、だから言わんこっちゃないんだ」
 「だけど、アンタに会えて良かった」
 「そうだな」
 「元気でね、また会えればいいね」
 「そうだな、元気でな」
 Paul Cookは本気で「BREXIT」に反対していて、保守系の政治・アート系雑誌、「the Spectator」に登場なんかして、BREXITってのは、全然、Punkじゃないねと語っていた。保守本流で、歴史が好きなんだって言うんだよ。61歳の彼の今の政治スタンスが知れて、俺は嬉しかったねえ。

 「BREXIT isn't PUNK!」

 彼もまた、還暦を過ぎて、歴史というものを強く意識している。大人だねえ。何か、とっても俺、嬉しかったよ。これで帰国するのも淋しくないよ。勇気付けられたね。ありがとよ、Paul、アンタ、相当、イカしてるよ。


追記
佐々木忠平さんの名言を以下に。決定的な名言ですな。藤田嗣治の番場の忠太郎ですわい。

 「還暦過ぎて保守でない人間はカッコ悪い」
| 8音楽 | 12:58 | comments(0) | trackbacks(0)
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