岡田純良帝國小倉日記

処分対象ブツ――1978 Seditionaries GSTQ No Sleeve Shirts。
9月19日
処分対象ブツ――1978 Seditionaries GSTQ No Sleeve Shirts。
 こちらはずっと昔に植田山月さんに撮影して頂いたもの。シンコーの雑誌だとかムックに掲載されたことがある。しかし俺が持っていてもどうなのかなあと最近は想うようにもなってきた。
 好きな人に譲って、もっと光を当てて貰うことの方がシャツも喜ぶかも知れないな、と。

1978 Seditionaries GSTQ No Sleeve Shirts (掲載).jpg

 最後に袖を通したのは30年以上も前のことで、恐らく、もう、20歳の頃には袖を通さなくなったように想う。20歳の頃はもうとっくのとうにパンクが終わったと感じていたからだ。
 ピストルズは消え、その後を儲けている連中がやっておるわいと感じたのが1980年だから、俺にとって、パンクはもう、無茶苦茶短いムーヴメントだった。
 2016年にロンドンであった一連のパンク40周年記念イベントで、ガンコなイギリス人にとっても、パンクとは、1976年に現われた社会現象であり、セックス・ピストルズがパンクの中心だったということを確認できた。
 クラッシュ、ダムドがこのフォロワーで、バズコックス辺りまでが初期のパンクだったという史観でしたわねえ。1976年で完結していて、77年は開花期だけど、ムーブメントとしては拡散期、という風な見立ては、ガンコな俺も、心から共感できるものだった。アハハハハハハ。

1978 Seditionaries GSTQ (Blind Queen)No Sleeve Sgirts .JPG
| 8音楽 | 15:26 | comments(0) | trackbacks(0)
処分対象ブツ◆宗1996 Sex Pistols Filthy Lucre Tour Oficial T-Shirts Family Set。
9月18日
処分対象ブツ◆宗1996 Sex Pistols Filthy Lucre Tour Oficial T-Shirts Family Set。
 こちらはそのままズバリ。1996年のピストルズ再結成で、ツアーの行く先で売られていたT-Shirtsだ。Phoenix Festivalの会場で買って、Londonの街を父と娘で歩いてたから、写真を撮られたり、話し掛けられたりした。
 あれからもすでに22年以上の年月が経っているのだから、困っちまうねえ。

1996 Sex Pistols Filthy Lucre Tour (掲載).jpg

 ブツはかなり状態はいいですわね。希少性は無いと想うけれど、父娘で着ていたという点で、娘の方はどうでも、父親の方が棄てられずにこれまできちまったということですわね。
 先日、移動する中央線の車内でこのシャツ着ている男性を見かけた。短髪、総白髪だったけれど、俺よりも若いのじゃないかと想った。

1996 Summer on Sex Pistols Phoenix Festival (掲載).jpg

追記
昔は増税なき財政再建なんて嘘をついて今やその吐いた唾を飲まされとる。わしはそんなことようやらん。そいでから

例外なき小倉処分。
| 8音楽 | 13:52 | comments(0) | trackbacks(0)
処分対象ブツ 宗1979 Seditionaries Cosh The Driver T-Shirts。
9月17日
処分対象ブツ 宗1979 Seditionaries Cosh The Driver T-Shirts。
 汚いシャツだが、処分できずにこれまで持って来てしまった。この時代のSeditionariesのシャツは、買った時からペンキのような独特の臭いが着いていて、長い間、取れなかった。
 ちなみにこのシャツは最初はT-Shirtsだったのだけれど、小さ過ぎて袖を切り落として着ていた。高校時代は黒のシングルの皮ジャンと黒のWranglerのスリムのジーンズの着たきりすずめだった。シャツは時々着た。
 お気に入りのシャツではなかったからだ。

1979 Seditionaries Cosh The Driver T-Shirts (掲載).jpg

 買ったのは、1979年ではなくて、1978年だったかも知れない。この辺り、記憶が曖昧になってきた。こんなシャツなどは、欲しくて買ったわけではなかったのだけれど、これしか残っていなかったのだ。
 こんなヒドイ男による、こんなヒドイ格好の、こんなヒドイ保管状態のシャツになったが、引き取ってくれる人がいるなら、差し上げたいとも最近は想う。

Ronnie Biggs with Death-List Mug at His End of Life in 2013.jpg

 若い時はチャラチャラして分からなかったが、あれも、金銭目的だったと知ると、そういう人間だったのだという疑いが拭えなくなった。
 だから晩年は哀れだった。有名人の死亡リストで賭博の対象(the DL Committeeの選出)になって、こうして、時々人前に登場して、人を喰ったことを言っていた。
 遠くブラジルから戻って施設に入った男には、若い時に金目的で人を殴り、半死人に追いやり、その後、犠牲者を出した事件の張本人という――何か、どろどろした汚なさが漂っていた。こういう男に掛け金を投じているのがいい歳をした中年パンクだったりもした。
 ハッキリ書いておくが、イギリスのパンク野郎は、日本のマイルドヤンキーと変わらない。
 パブでおだを上げているワーキングクラスの荒っぽい連中は、誰か、ヒーローを祭り上げて騒ぐか、誰か、アンチヒーローを仕立て上げてこき下ろすか、そのどちらかでジンセイを終える。何がパンクかと俺は想う。
 
追記
とまあ、与太郎君になっていきり立っても詮無し。パンク無宿ですけえね、安住の地なんてのは、どこにもないわけですら。あると思えばそれ、マポロシなのよ。欲しい人は連絡してちようよ。
| 8音楽 | 13:53 | comments(0) | trackbacks(0)
○△□メモ――日本にロック人口は少ない(吾)。
8月28日
○△□メモ――日本にロック人口は少ない(吾)。
 駅前の喫茶店には、こんな人と会う時にしか入らないので、客層が新鮮に映る。男性は単独で高齢客が多く、女性は大抵グループで話に花が咲いている。
 コーヒーは2杯目になった。コーヒーしか飲んだ姿を観ていないが、元々、普洱茶茶がお好きだ。以前、正山小種(ラプサン・スーチョン)をお渡ししたことがある。
 これを日本の軟水で入れると臭いが強くて飲めない。そこで硬水で試してみて下さいとお伝えすると、直ぐに入れたようで、嬉しそうな返事が返って来た。
 その後はあまり冒険しないことにした。正山小種は茶葉を松の葉で燻したものだから、実際、好き嫌いが分かれるところだろう。それもあって、今回はLondonの某所で調達した祁門紅茶(キーマン紅茶)をお持ちしたのだった。
 「ロンドンではディビッド・ボウイが育った郊外の家を観に行きました」
 「あ、そうですか」
 「日本なら北鎌倉くらいの郊外の駅で、林の中にある感じなんですね」
 「そう」

Bromley Tour 20160625 (掲載)(1).jpg

 「小さな住宅地に、ボウイは週末になるとロンドンから帰って来て時々ギターを弾く」
 「ああ」
 「隣の隣に住んでいた10歳程年下のゲイの少年がそれをドキドキしながら聞いている」
 「そう」
 「グラムが下火になり、何か面白いことはないかという時に」
 「ああ、短かったからね、グラムの全盛は」
 「そこにソーホーのストリップ・クラブにセックス・ピストルズというバンドがいる、と」
 「そう」
 「それで仲間が誘い合って観に行くようになった。それでバンドが噂になっていった」
 「ああ」
 「その頃にパーティーがあるとナチの制服しばりなんかで仮装して集まる」
 「どうしてナチ?」
 「『愛の嵐』や『地獄に堕ちた勇者ども』みたいな映画の影響もあったでしょう」
 「そうだったね、あの頃は丁度そういう時期だね」
 「だからグラムとパンクとがその住宅街でリンクしてることを僕はこの目で観たんです」

Bromley Tour 20160625 (掲載)(3).jpg

 「グラムとパンクは同じですよ。グラムはきらびやかでパンクはぼろきれだっただけで」
 「連綿と続くものがあった。ミッシング・リンクは殆ど隣り合って住んでたんです」
 「そういうものでね」
 「シビレました」
 「日本ではエルビスを好きなんて言うヤツはロックやらんからね」
 「僕は最近またリトル・ウィリー・ジョンみたいなエンターテイナー系にはまりそうで」
 「フランク永井もいいよ」
 「そうですよね。日本語だから詞が胸に切々と響く」
 「巧いしね、あの頃の歌手は」
 「ロックとラウンジ・ミュージックができるバンドは日本では難しいだろうなあ」
 「行きましょうか」
 外はそろそろ夕餉の買い物に出た人たちで混み合い始めていた。
 「そうですね。お茶の淹れ方、メールで報告します」
 「よろしく。新曲、書いてますよ」
 「楽しみにしています」
 「ではまた」
 ○○のホームに滑り込む時に○△□さんが俺の手を握った。何時も通り温かい掌だった。

追記
概算要求のシーズン。さて、どうなるもんかいねえ。文科省の問題はダダ漏れになっているのが参っちゃうわねえ。だから官僚への不信が根強く残るわけよねえ。バカバカしいけれど、日本には官僚が民間に一方的に人を出す天下りばかりしかないから無くならない弊害なんだろうと想うわねえ。
昨日は雨にやられたけど、まぁ、それでもよく問題も無く帰宅できたもんだわい。昨日の朝は洗い場主任としてではなくて、一ユーザーとしてキッチンで作業中に久々に皿を割ってしまいました。小倉皿屋敷。弩ヌーン。ワイコフ。
本日はこれから。
| 8音楽 | 06:37 | comments(0) | trackbacks(0)
○△□メモ――日本にロック人口は少ない(肆)。
8月27日
○△□メモ――日本にロック人口は少ない(肆)。
 「イギーは『ストージズでは新作が作れなかった』ってチラっと言うんです」
 「あのバンドもそうですよ」
 「ストージズでも新作できなかったという想いが大きかったんだと想うんです」
 「そうなんですよ。何十年経っても同じなんてことはないしね」
 「同じメンバーで顔を合わせても想いが違っていた」
 「演ってきた人とそうでない人間とがまず違うし、ずっと演ってきた同士でも違う」
 「そうでしょうね」
 「期待するものが違うから、音の質まで違ってきますよ」
 「セッティングが昔と違いますよね」
 「テクニックは上達してもかえって悪くなっている場合もあるしね」
 「あの時はああだったのにどうして今はこんなかな、と」
 「そういうものですよ。だから新作を作るのは簡単ではないし」

1998 USA C2C Rock and Roll Music Roots Tour (掲載4).jpg

 突然、川口軌崖(外)(1892-1966年)が洲之内徹に語った言葉を想い出した。
 「薄塗りには気力が要る。年をとって気力が衰えると、それを絵具の厚塗りでカバーしようとするものだ、とも言った」
 バンドも同じかも知れない。
 「再結成が続かないのはそういうこともあるでしょう」
 「再結成の状態で満足するか、前進しようとするかで違うでしょうね」
 「今後も新作を作りたいと想いますか」
 「昔のナツメロだけでやるのもいいけどね、持ち歌、たくさんあるからね」
 「だけどそれだけだと飽きてしまう」
 「自分で欲求不満になるじゃないですか、それは」
 「デジタル時代でも」

The Stooges (4).jpg

 「機材も良くなったし演奏も巧くなっても、それが下手になっているんですよ」
 「曲を咀嚼してニュアンスを表現できるかどうか、ということですかね」
 「だから水原弘の曲なんか、ロックバンドの人には演奏できない」
 「ジャッキー・ウィルソンとかサム・クックですね」
 「あの人らになると歌が巧いでしょう」
 「サミー・ディビス・ジュニアとか」
 「親分のシナトラまでね。ナット・キング・コールもいいですよね」
 「エルビスも巧かった」
 「だからその反動でロックが生まれた」
 「パンクはグラムの反動でもあった」
 「同じなのに」
 「そうなんですよね。だから○△□さんの歌謡曲、お聴きしたいですけど」
 「ロックの人とやるとダメですよ」
 「どうしてなんだろう」
 「歌を聞いていないから」
 「歌手の声がかき消されてもいい、と」
 「そこまでは言わないけど、大事に歌を歌っている歌手が軽く見られる」
 「シャウトしていればいいと」
 「リズムがあって歌が巧い人は日本に少ない」
 「美空ひばりがジャズを歌った」
 「あの人は巧い。聞いて来たものが違うからね」
 ○△□さんは嬉しそうに言った。最近聞いているのは昔から聞いてきた同じ曲ばかりで、新しく出た作品は殆ど聴いていないそうだ。お話から伺うと、アイディアは随時浮かんで、やりたいことが尽きないようだった。


追記
本日も酷暑。厳しいねえ。昨日は横浜まで乗り過ごした。体調管理に注意。
| 8音楽 | 07:12 | comments(0) | trackbacks(0)
○△□メモ――日本にロック人口は少ない(賛)。
8月26日
○△□メモ――日本にロック人口は少ない(賛)。
 新緑の季節だったのに、外は花曇だ。○○○○は大学生も多いが、子連れの若い世代の母親たちが多い。
 昔、ここから畑の間を縫って走るバスに乗って自動車学校に通っていた頃を思い出した。まだ50歳くらいの岡田茉莉子(1933年-)が歩いていた。
 Iggy Popは若いJosh Hommeからツアーに出ないかと持ちかけられるが、そのツアーで演奏する曲は任せると言った。
 「Elvis Presleyが好きなんでしょう」
 Josh Homme(1973年-)と「American Valhalla」の制作の流れをかいつまんでお話しした。
 「その若いヤツはアイディアがあったんだね」
 「映画を撮ると決めたのもJoshだし、合宿生活をしようと決めていたのもそうだし」
 「それでいいモノができたんですか」
 「チャートに初登場した順位は、アメリカでもイギリスでもこれまでの最高位で」
 「へえ」
 「イギリスでは初登場3位」
 「それまで意外に売れてなかったんだね」
 「そうですね、ストージズも売れなかったから切られたわけですし」
 「有名でも、ロックでは喰えないよね」
 「それでも自分の人生を振り返って、この20年位は変わって来たって」

The Stooges (3).jpg

 Brian Ferry(1945年-)の話になって、Londonの客席は後期高齢者の世代までがワイン・ボトルを握って歌いながら踊り狂っていた話をした。
 「向こうはロック人口が多いからそうなるんでしょう」
 「そうですね」
 「ロイヤル・アルバート・ホールでは『Fuck、Fuck、Fuck、Fuck、Fuck』と叫ぶ」
 「ああ」
 「前評判で『イギーがロイヤル・アルバート・ホールに登場』って書かれたので」
 「ああ」
 「『俺はゴミみたいな場所で歌っているのがお似合いだって言うんだ』と怒ってる」
 「ああ」
 「やっぱりあの人も70歳で怒るんですね」
 「自分自身の評価でもあるわけだから」
 「もう、そういう世間の目なんか気にしないのかと想ったりするわけですけど」
 「そうなったらおしまいということもあるかも知らん」
 「イギーは自費で作ったわけです。若い世代と」
 「俺と同じ年だからね」
 「ドキュメンタリーそのものも良かったですよ」
 「そうですか」
 「助走して客席にダイブした」
 ○△□さんはじっと俺の顔を見た。


追記
想うところあり、これから出立。迫り来るものを見えずに震えている人を看過することはできない。しかし、彼らをどう差配するかが難しいところだ。
| 8音楽 | 09:44 | comments(0) | trackbacks(0)
○△□メモ――日本にロック人口は少ない(弐)。
8月25日
○△□メモ――日本にロック人口は少ない(弐)。
 図ったわけではないが、同年の海外のロッカーたちの動向の話になった。
 「昨日、Iggyの映画、観て来ました。2016年の作品のドキュメンタリーです」
 「あ、そうですか。延原が観たって言ってたな」
 「良かったです」
 Iggy Pop(1947年-)はFlorida州Miami市の低所得者の暮らすエリアに住んでいる。
 「若いミュージシャンに自費でスタジオに入ろうと声を掛けて」
 「あ」
 「それで、映画のコンセプトもリスクを取らなければ成功もしないというわけです」
 「あ」
 「Iggy Popは素直にインタビューに答えていて、それが面白かった」
 「あ」
 「80年代とか90年代にはLeonard Cohenの曲を歌えって言われたそうです」
 「あ」

The Stooges (2).jpg

 Leonard Cohen(1934-2016年)は嫌いじゃないけど、彼のカヴァーは歌わないと言うと、○△□さんは意外なことを言った。
 「俺、あのバンド止めて上京したでしょ。その頃にそんな風にスタジオ入ったことある」
 「え」
 「水原弘とかフランク永井のヒット曲。バックがRoosterzですよ」
 「え!」
 「だけどね、あのムード歌謡の雰囲気が出ないんですよ。日本のロックの人には」
 「ううん」
 「あの頃の歌謡曲のバックはキャンプのジャズ・バンド育ちが多いから違いますからね」
 「そうですか。その時のテープは」
 「ないですね。今、聞いたら違って聞こえるかも知らんけど」
 「うーん、もったいない」
 「歌がうまいしね、あの人たちはね」
 「それはそうでしょうけど」
 「日本は歌で入る人が少ないんですよ、ロックには」
 「Josh Hommeって男は73年生まれですけど、Elvis Presleyが神様で」
 「そうでしょう、歌から入るから歌を大切にする。歌手と詞をね」
 「日本でElvis Presleyやフランク永井の話をするとバカにされるような雰囲気が」
 「レコード会社の人たちが歌謡曲を歌わせようとしてましたよ、あの頃は」
 ソファに身を沈めていたのに、○△□さんはテーブルに身を乗り出した。


追記
昨晩は某所で密談。夕刻は別件あり紛糾したが、名器探訪の旅の後で清談の後密談。本日もドエライ酷暑でヌーン。
| 8音楽 | 09:03 | comments(0) | trackbacks(0)
○△□メモ――日本にロック人口は少ない(壱)。
8月24日
○△□メモ――日本にロック人口は少ない(壱)。
 約束の時間よりも早く着いたので、○○○○前駅のビルにある丸善で時間を潰してみた。何冊か買おうと想ったが見送った。我慢のしどころで、やみくもに買うと後で処分に困る。
指定された喫茶店の前でベンチに腰を降ろして待っていると階段をゆっくり登ってくる○△□さんの姿が見えた。
 「お久しぶりです」
 「どうも」
 「お加減はどうですか」
 「精神的にも、肉体的にも、とてもいいですね」
 「それはよかった」
 顔色もよく、桜色のように血色も良くなっているように見える。
 「帰って来たんですね」
 「去年の10月に戻って、もう、海外暮らしはなさそうです」
 「どうでした」
 「EU離脱が大きかったですよ」
 「そうでしょうね」
 「これ、忘れない内に」
 約束していたLondon調達の中国紅茶の袋とSohoのレコード店「Sounds of Universe」のトート・バッグをお渡しした。
 「アメリカだけでなくて、ヨーロッパ中でレコードが復活してましたよ」
 「ああ」
 「浅川マキのレコードが置いてあったんです」
 「へぇ」

The Stooges (1).jpg

 「病院は近所の○○○○に通っているんだけれど、もう1人診てくれる先生がいて」
 「ほぉ」
 「○○○○の○○先生という方で、○○○○の権威なんですよ」
 「そうですか」
 「公表したから、そういう方から連絡があって」
 「○○先生はファンなんじゃないですか」
 「そう。俺が20歳の頃にあのバンドを始めたころからのファンだって」
 「それは素晴らしい」
 「ノニジュース送ってくれるんですよ、毎日、1本飲んでる。ヤクルトもね」
 「タバコも止めて調子もよさそうですね」
 「意外にすんなり止められたけど、この間、ちょっと吸いたくなった」
 「それで」
 「声が出る気持ちよさのほうがタバコを吸う楽しみを上まわっているからね」
 「声も出るし、痰もからまなくなりますよね」
 「いいですよ、からだの調子は」
 ○○○○先生は○○○○のご出身。年代的にはメンタイ世代で、もしかすると同じ九州の出身でロック好きなら、あのバンドは、殆ど御神木に近いはずだ。そのフロントマンの○△□が○○○を患っていると知ったら放っておけないだろう。
 「有り難いことですよね」
 ○△□さんはブレンドを飲みながらゆっくり言った。もう、タバコは吸われなかった。


追記
我が家の神棚には○△□さんの写真も他の現人神と共に並んでいるので会った。小倉の現代の御真影でありまする。本日関東は広く大雨暴風雨につき、家を出るのか、閉じこもるのか、さて、どうするか悩ましいところだわいねえ。
| 8音楽 | 06:29 | comments(0) | trackbacks(0)
アメリカに死者の館はありや――「American Valhalla」(吾)
小倉日記’18(第二十六弾)
8月22日
アメリカに死者の館はありや――「American Valhalla」(吾)
 「American Valhalla」[Andreas Neumann / Joshua Homme監督, 2017]
 Iggyの話に戻ろう。
 「Stoogesを再結成して活動したけれど、新曲は作れなかったんだ」
 「これはワンマンじゃなくてバンドなんだって、まぁ、対等の緊張関係もあってさ」
 何人かのソロ・ミュージシャンから、異口同音にそんな話は聞いたことがある。
 「あの時は緊張感の中でやっていたけど」
 若い頃から何十年も経ち、音楽への接し方も経験も、メンバーはバラバラになっている。
 (もう、新しいことはStoogesではできないんだ)
 言外にIggyの深い失望が感じられた。
 「俺はちょこちょこ走り回ってきた男だよ。たいした人間じゃないんだ」
 「元来、生き難いと感じている男なんだよ。だから生き難いという思いを引きずっている」

「Preliminaires」ジャケット。.jpg

 共産党員の父親に育てられた男らしい発言。
 「アメリカ人ってのは働き続けなければならないんだ」
 「俺は働くのは好きなんだよ」
 「これからも働き続けなければならないだろう」
 「週末にフットボールのゲームがあって客はリラックスして観るだろう」
 「だけどフィールドのプレイヤーたちは真剣だぜ。それが仕事なんだもの」
 5年に1度位、溜まった怒りのマグマが爆発する。それが、新作では「Paraguay」に結実している。
 「20代の半ばまでは勢いだけだった」
 「それからクスリ漬けになって、30代半ばまではボロボロさ」
 「35、36、37歳。生きていくのがやっと」
 「時代は80年代で、ロックがでっかい産業になった時代だもの」
 「レコード会社の重役に呼ばれてLeonard Cohenを歌えって言われたよ」
 「もちろん、蹴ったさ。嫌いじゃないけど、俺が歌えるかよ」
 そうは言うが、Leonard Cohen(1934年-2016年)の代わりに2009年にはJacques Brel(1929-78年)らのカヴァーを含めた怪作、「Preliminaires」を出している。
 「俺がフレンチ歌って悪いかよ」
 うるせえこと言いやがって。Iggy Popはそれでも言った。
 「この20年で、頭の禿げ上がった年寄りのファンがまた俺を観に来るようになった」
 「昔じゃ考えられないことさ」
 Iggy PopはJosh Hommeに、結局のところ全幅の信頼を寄せ、ツアーの選曲も任せた。
 「Berlinのライブでは客からの距離が遠いとIggyが文句を言ってさ」
 クライマックスのRoyal Albert HallのライブはDVDで出ているから付け加えることは不要だろう。

Drum kit at Rancho de la Luna (by Kim Stringfellow).jpg

 丁度、2016年の5月半ばのLondonは、「Punk♯40」の真っ最中だった。俺はPunk Rockerの証言を聞くのに忙殺されていた。Royal Albert HallのIggy Popの件は知っていたが、行かれず、翌日のLive評でIggyが客席にDiveしたことを知って歯軋りした。
 1曲目の「Lust For Life」から「Sister Midnight」、「American Valhalla」とは巧い導線だ。全体に「Passenger」、「Success」、「China Girl」、「Repo Man」等のソロ作品を合間合間に挟んで進行させている。
 「Post Pop Depression」はガチンコ勝負だった。だがその後のツアー、「Post Pop Depression - Live At The Royal Albert Hall」、さらに「American Valhalla」になると、これはJosh Hommeが案を練り、創り出した新しい仕事だったことになる。
 元々、Josh Hommeを指名したのはIggy Popの方である。Bob Dylan(1941年)とも並び称される音楽界のVampireである。Josh Hommeも生き血を吸われるだけで終わらない。
 レコード会社の金でなく2人だけで金を出し合って制作を行い、膂力でIggyを押し返し、最後には彼を新しい地平へ引きずって行った。2人はひたむきにやった。観るものとして、素直に打たれ、心が洗われた。左様、アメリカに勇者が眠る聖堂はあったのである。


追記
昨日は車中で密談。驚くべき話ではあったが、まぁ、それが収まりどころかとも。さて、どうなることだろうか。
| 8音楽 | 06:34 | comments(0) | trackbacks(0)
アメリカに死者の館はありや――「American Valhalla」(肆)
8月21日
アメリカに死者の館はありや――「American Valhalla」(肆)
 「American Valhalla」[Andreas Neumann / Joshua Homme監督, 2017]
 3週間に及んだ録音制作で、Josh Homme(1973年-)は、これならIggyもお蔵入りさせず、陽の目を見させるのに反対しないだろうと確信する瞬間があったはずだ。
 そこで、その晩、JoshはIggy Pop(1947年-)らメンバー全員に向かって言っただろう。
 「そろそろ明日でもジャケ写を撮らないかな」
 「ああ、そうだな」
 選ばれたのはスタジオの前に何時も停めてあるDave Catchingの愛車だった。恐らく、あれはOldsmobile Cutlass Supreme Convertible(1969年型)。これにレコーディング・メンバーが乗り込み、脇に小柄なIggyが立った。
 「いいね、この感じ」
 これで決まった。

Dave Catching`s Oldsmobile (by Kim Stringfellow).jpg

 「部屋には砂漠の砂が吹き込んでさ、最後に掃除したらバケツ2杯分の砂が出てきたよ」
 Joshは言う。普通なら、そういう劣悪な環境下では精密機器は動かさないものなのだが、93年に設立されたRancho de la Luna Studioのコンセプトは、そういうエンジニア側の常識から外れているのがミソだ。
 元々、Josh Hommeはこのスタジオのヘビー・ユーザーだ。このスタジオのオーナーのDave Catching(1961年-)自身もJoshのバンド仲間のミュージシャンでもあり、彼自身が料理を作って振舞い、スタジオを使うお客のミュージシャンをもてなす。
 「リラックスすればいいアイディアも浮かぶさ」
 3週間の男たちだけの合宿も、ここで、ひとまず終わることになった。
 「さあ、後はLos Angelsでミックスをしよう」
 Dave Catchingに別れを告げ、Iggy Pop(1947年-)も、一旦はMiamiに帰った。
 Joshは忙しい。お次はミックス・ダウンと平行してツアー・メンバーの確保がある。
 「俺たち、せっかくこれだけの作品ができたんだから、ツアーをやりたいんだ」
 「ああ、考えさせてくれよ」
 「俺たち、いいメンバーを集めてバッチリ、リハしておくからさ」
 「演奏する曲はどうする」
 「任せてくれないか」
 合宿の最後の土壇場で、「新作ツアー」という逆オファーをIggyはJoshたちから受けた。
 「考えさせてくれないか」
 「頼むよ、とても素晴らしいものになるはずだから」

「American Valhalla」(1).jpg

 そして、Iggyはこの話を受けることになるのだが、ここでひと波乱があった。
 2016年1月10日、ロスのNorth Hollywoodのスタジオに、何度もリハーサルを重ねたツアー・メンバーが集まり、朝一番の飛行機でMiamiから到着したIggy Popが合流し、午後はThe New York Timesの取材を受ける予定になっていた。
 ところがIggyが自宅を出る直線、彼らの間に大きなニュースが流れ、一時全てが水の泡になるのではないかというほどの衝撃が走るのである。
 結局、メンバーは全員揃い、Timesの取材は滞りなく終わった。Iggy Popの衝撃は何によってもたらされたのかは、ここでは記さないでおく。
 「スゲエ。このリハで、俺はまだ行ったことのないところまで行ったぜ」
 「僕もさ。行けるところまで一緒に行こう」
 Jon Parelesの書いたThe New York Timesの記事は以下で見られるが、メンバーは全員そのショックを隠し通しているので、記事を読んでも答えは出ていない。 (https://www.nytimes.com/2016/01/24/arts/music/iggy-pop-josh-homme-post-pop-depression.html)

追記
この衝撃のニュースというヤツが流れた時、俺はLondonにいて、部屋探しをしてアパートの契約が終わったばかりという翌朝だったのかな。あれから2年半以上が経っているのだけど、遠い昔のようにも感じる。
本日は朝から赤坂方面。色々あります、準備は丁寧に、着々とやらんといけん。
| 8音楽 | 06:14 | comments(0) | trackbacks(0)
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