岡田純良帝國小倉日記

転がり出てきたモノ(番外)――Joe Strummerの時代。
12月3日
転がり出てきたモノ(番外)――Joe Strummerの時代。
 これらも、2000年に出た「Uncut」からの抜粋だ。生前のJoe Strummerの大特集に掲載されていた何枚かの写真。
 気の毒なのは、晩年の彼の表情には生彩が無かったことで、絶頂期の自信満々の挑戦的な面構えではなかった。
 再結成の機運は死の直前にはあったし、その突然の死も、とてもポジティブな流れの中で起きた事件だったので、突然死によって、彼の評価が却って定まらなくなったところがあるだろう。
 生きていれば、再結成をしてツアーでもやり、インタビューも受け、かつがつ評価対象になったかも知れないが、死んでしまうと歴史の目線は、そういう人物を評価対象から暫く外してしまうものなのだ。

Joe Strummer in full on Samurai Mode.jpg

 長い時間を掛けて、これから、再度、歴史に定着されることになるのだろう。現時点では、Clashというバンドは、そういう理由もあって、ポピュラー産業側からは触りたくない対象に感じられるところがあるだろう。
 俺は1979年末に発売された「London Calling」で卒業したので、イギリス社会に巨大な影響力を持った時代について多くは知らないまま来てしまった。
 日本では、それまで、パンクを忌み嫌っていた連中が、「London Calling」以降、ドッとClashに向かい始めた。
 (今頃になって)
 マジョリティーはそういう時、安心した顔をして土足でこちら側に入ってくる。日本のパンク・ニュー・ウェイブ現象の当時の体験者として、俺にはそういう想いと記憶があるわけだ。だから逃げ出した、という。
 そして、イギリスで暮らしてきた人間にとっては、結論から言えば、Joe Strummerが政治に深入りしたため、音楽と社会との単純な関係だけでは論じ難い。
 折々の政治性にバンドの評価軸が揺さぶられてしまう。70年代から80年代、あるいは90年代までのイギリス政治が回顧され、歴史となる中で、多分、Clashも、何時か、評価の対象になっていくのだろう。
 Joe Strummerは、悪魔と取引をしたと言われてきたマーク・ボランと違って、ジュゼッペ・ガリバルディやチェ・ゲバラが世界の革命勢力と各地の支援のために取引をしたことと同じ地平にいるようにも見える。
 詰まらない革命勢力と取引して、50歳で死んだという感じが俺には今もある。だからちょっと痛ましい感じがある一方で、この人物の育った家庭は、オヤジ(共産党)、アニキ(右翼)、そして本人共に政治思想は上滑りで安っぽい。
 それがますます20世紀の革命ゴッコを連想させ、こちらの傷口に塩がすり込まれたような気分になるわけだが。

Joe Strummer with Clash(Grasgow, 1980).jpg
| 8音楽 | 13:41 | comments(0) | trackbacks(0)
Sid and Nancy.....
11月30日
Sid and Nancy....
 とうとう出てきましたねえ。これもスキャンするかどうか。迷います。

「Sid and Nancy」(1978.8).jpg
| 8音楽 | 20:07 | comments(0) | trackbacks(0)
鮎川誠――冨士夫バンドでやっぱり5月もやっていた。
11月26日
鮎川誠――冨士夫バンドでやっぱり5月もやっていた。
 1986年は1月にシナロケで冨士夫がゲストで3日間あり、5月連休明けにタンブリングスだか冨士夫バンド名義だかで鮎川誠がゲストという夜があったんだった。
 こちらの写真では、顔がハッキリ確認できるわい。本人確認終了。ウハハハハハハ。
 「意思明白了?」
 やっぱりそういうことだったんだなぁと想う。
 この時の音源が発売されるそうだけれど、この頃の一連の流れは音楽史上できちんと再評価されればいいねえ。
 柴山さんが本格的に復活する前だったけれど、例えばボーカルに柴山さんが入ってツインで冨士夫と鮎川誠だとかいうことなら、相当にゴージャスな構えになる。10人前のパブロックバンドでは手も足も出なかったろう。
 団塊+αの世代がまだ30代でモウレツな勢いがあった。Rock 'n' Rollが輝いた一瞬だったわねぇ。俺も若かった。

「渋谷ライブイン」(1986.5.6)(掲載).jpg

追記
続々方々からメールが飛んでくる。懐かしい。31年前だけど、この迅速な反応はどうだろう。皆さん、こうしてただ懐かしいというだけでもないからね。20年前は山一證券だったけど、その11年前がこれだったって感じかねえ。
| 8音楽 | 13:20 | comments(0) | trackbacks(0)
分別盛りのオヂサンたちが鼻血。
11月16日
分別盛りのオヂサンたちが鼻血。
 日本全国で深夜にも関わらずメールが飛び交っております。50代も半ばが見えてきたオヂサンたちなのに、一体、どうしたことか。
それほど、1986年初頭のこのLiveは大きなイベント&トピックスだったんよ。
 このフライヤーで冨士夫の足元に写っているのは、中部H市の土木部長じゃないかね。俺たちは青木眞一のド真ん前辺りにぞろりと揃って5〜6人か、カブリつきに張り付いていたんだっけ。

   山口冨士夫とよもヤバスペシャルナイト・フライヤー(2017.12.8)

 マコチャンのお嬢さんの小さかった頃、1983〜86年頃が、多分、これまでのところ、日本のRock 'n' Rollの絶頂期の一つだったということなんじゃないのかな。
 全国津々浦々からのこの反応の鋭さに俺は手応えを感じるな。ちょっと、グッとくるわけだよな。あの時に何かが起きている感じがあったんだよ、確かに。

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おぉ、日本に帰ってきたの?ゲース
8日は行きたいけど、難しいわ。
飲むしかね〜!
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帰国おめでとう。
懐かしいライブだね〜(^o^)。行きたいけど、難しいかも。
久々に呑むか〜。
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俺は、ホラ吹き稲妻、ぱっと光って消えちまうの、ロケッツ
の頃でしょ。懐かしすぎる。いつやる?--------------
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 ウッフッフッフ。こっちの写真はどうだい、写っとんねん。もっとハッキリと諸兄が写っとんねんなぁ。暗黒もエラの張ったバチ君もおるわいな。市大・国大・中大・神大、悪党が勢揃いかいね。ウハハハハハハハ。
 ブイブイ言わせとったけん、ペラゴロならぬ、冨士夫ゴロでっせ。こん写真は手配用にもバッチリ使えるわ。
 30年以上も前には、俺は何時もオートバイに乗ってたけんねえ。そいでから、ここに写っとるの、直ぐ分かった。恥ずかしいねえ。分かる人は分かるでしょう。
これは参ったわねえ。そいじゃ、行くしかねえなぁ。名古屋。行こまい、諸兄。

シーナ&ロケッツwith山口冨士夫@渋谷Live Inn(1986年1月)(掲載)
| 8音楽 | 04:38 | comments(0) | trackbacks(0)
告知案件――『シーナ&ザ・ロケッツ with 山口冨士夫 86年LIVE』等秘蔵映像上映&ライブ
11月15日
告知案件――『シーナ&ザ・ロケッツ with 山口冨士夫 86年LIVE』等秘蔵映像上映&ライブ
 31年前に野郎大集合で毎晩行った。コイツは懐かしいな。あれが始まりの終わりだったかも知れないな。俺はこの日参戦予定。現地で会いましょう。
 
Tumblings with 鮎川誠@渋谷Live-in (1986)

鮎川誠、チコヒゲ、花田裕之、ザ・プライベーツ等による冨士夫のカバーを含む一夜限りのスペシャルライブ!
さらに1986年に渋谷ライブ イン等で開催された『シーナ&ザ・ロケッツ with 山口冨士夫』、『山口冨士夫&鮎川誠 with チコヒゲ』による幻のセッション等秘蔵映像を上映するスペシャルイベントを 12/8(金)下北沢GARDENにて開催します。

2017年12月8日(金)下北沢GARDEN
前売 ¥4,500(税込)/当日券¥5,000(税込) ドリンク代別途600円

チケットは10/15(日)〜発売
☆シーナ&ロケッツ オフィシャルチケットセンター
10/15(日)am12:00〜
http://sheena.cc/ticket
| 8音楽 | 12:45 | comments(0) | trackbacks(0)
Sex Pistols関連原稿(1996-2001年)。
11月8日
Sex Pistols関連原稿(1996-2001年)。
 これまたファイルしてあった懐かしいブツが転がり出てきた。あんまり過去を振り返らないので、同じことを何度も書いたり、評価が真逆になったりしているかも知れないけれど、そんなこと、「Never Mind」。
 彼らをどう評価するかってのは、アンタ自身が試されていることにもなるわけだ。だから各々の時期、身を入れて考えた。それほど60年代前半の生まれにとって、彼らは大きな存在だったんじゃないかね。
 今回1996年の再結成時のツアーのパンフレットが出てきて、日本公演のパンフを見て噴き出しましたわね。有名な音楽評論家、役者、バンドマンの言っていることには改めて驚いた。青臭くてゲップが出そうだ。日本の甘ったれたアンポンタンに書いたって詮無いことよ。他人事ながら恥ずかしくて読めなかったな。
 しかし、これももう過去の話。「卒業してしまった学校のような気がする」(by 忌野清志郎)。これ以上、俺なんかの脳味噌を絞っても、もう、何も出てこないだろう。

Sex Pistols関連原稿ファイル(1996-2001)

 今後、歴史の中で、彼らがどう位置付けられていくのかは、これからの研究に委ねたいところ。
 最近気が付いたのは、Glen MatlockがJohnny Rottenの加入前には、Steve JonesやPaul Cookらとカヴァーしていたのが「I Can Feel the Fire」だったと証言していることだ。あんな曲をカバーしていたバンドがパンクになるなんて、だけど、俺の世代から見ると、とっても分かりやすくもある。

「Never Mind The Bollocks」Music Sales, Ltd.出版楽譜(1978年)

 そこで、1976年4月頃のLiveでは、他の曲と較べて、「Stellite」が、飛び抜けて楽曲としてカッチリ演奏されていることに気付く。本格的にライブを始めてまだ2ヶ月くらいなのに、これは完成の域に達している。
 それだけバンド結成以前、Johnny Rotten加入以前に作り込みが進んでいた曲なんだろうなと推定できる。こういうのが、バンドの本質に関わる問題だから大事なんだわね。
 近年も、Steve Jonesは、J.Geils BandのPeter Wolfのことを大好きだと言いラジオ番組に呼んだりしているのだ。それも、Ron Woodのカバーをやっていたと考えると、何の不思議も無いわけだ。
 「俺のバンドだよ」
 Steve Jonesがそう言うのも、Sex Pistolsの本質の一部を間違いなく言い表している。
 今後も、そういうことは、ダラダラと気付いて考え直したりするんだろうけれど、さ。 
| 8音楽 | 15:12 | comments(0) | trackbacks(0)
あなたの「New Boots and Panties!!」は?
10月27日
あなたの「New Boots and Panties!!」は?
 海軍士官ご一同は市内を東西に貫くDistrict Lineでも、西側、Hammersmithの辺りに暮らしていたようだ。
それは早慶レガッタの源流の大学対抗ボートレースの写真が如何にもスナップで、祖父のアルバムに多数あることでも分かるとは、以前記した通りだ。
 その後、20年ほど前に、我が身内が市内で暮らしていた下宿がHammersmith Bridgeを挟んだ対岸のBarnesにあって、1度訪ねたことがあった。

      Barnes & Gotokuji (1)

 考えてみると、これまた奇遇だったのかも知れないが、Barnesは祖父の終の棲家のあった世田谷4丁目から程近い豪徳寺と姉妹都市だったのだ。だから我が家には身内から貰った豪徳寺とBarnesの名所を描いたトートバッグがある。
 10月1日はロンドンの最終日だった。昼前にNotting Hill方面にバスで出掛けて、「The Cow London」(http://thecowlondon.co.uk/)を覗くとまだ開店前だった。

      Barnes & Gotokuji (2)

 最後の悪あがきで、付近の店を物色に歩いた。その筋で有名な男の館、「Carter and Bond」(http://www.carterandbond.com/)を覗いたが、ここも開店前。散髪、調髪、髭剃り、皮膚の手入れ等だけではなく、ただ男性用品を見に入り、コーヒーを飲むこともできる。“あの雰囲気”が匂い立っているわけだが、それでも、こんな店がある街は楽しい。

20171001 (3)

 ゆっくりと「Rough Trade (West)」(https://www.roughtrade.com/)の方へと歩いていくと、12時前だというのに早くも日曜日のPortobello Roadは雑踏状態になっている。もう、こんな状態になったNotting Hillは敬して遠ざかるに限る。
 ベタベタとポスターの貼られた「Rough Trade」の前で立ち止まった。
 (この店との付き合いも長い)
 初めて店に入った92年には、Punk / New Waveの世界では聖地だった世界的に有名なレコード店はボロボロで潰れてしまいそうだった。
 創業者のGeoff Travis(1952年-)は80年代にはThe Smithで成功したが、紆余曲折の末にレコード会社の方を潰したのではなかったか。
 90年代初頭はアナログ盤からCDへの以降が加速度的に進んで、Rock 'n' Roll自体も社会性を徐々に喪失し、往年のミュージシャンたちの輝きも失われていた時期だったと想う。新人バンドを掘り出してもワールドワイドのヒットが出ない。
 市内中心部のSohoの音楽業界者の集まっていたDenmark Streetでさえ、「LET」の張り紙がいたる物件で張り出されていた。先日の話と絡むが、そんな時期にVelvet Undergroundの再結成が実現し、ワールド・ツアーでは世界各地で熱狂的に迎えられた。

Rough Trade 20171001 (掲載)

 つまり、衰退していく巨大産業があり、その一方で、ふてぶてしく再結成する往年のバンドが出てきて、それを支持する年齢層の高い人々が出てきた時期でもあったわけだ。
 「New Boots and Panties!!」は1977年9月に発売されたIan Dury(1942-2000年)のデビュー・アルバムだ。この頃にSex Pistolsの海賊盤、「SPUNK」が出回っていて、その翌月にSex Pistolsの正規盤、「Never Mind the Bollocks」が発売された。

「New Boots and Panties!!」ジャケット。

 店内にはもうGeoff Travisの姿を殆ど見掛けることはないのだが、レジの後ろにある壁の無数のポスターはイギリスが音楽的に最も輝いていた最期の時代を偲ぶよすがでもある。今や歴史的にも意義のある、博物館級の空間だろう。
 レジに向かって左側には標本箱のようなケースがあり、1970年代の後半に撮影されたモノクロのPunk Bandのアーチストたちの生写真が多数掲げられている。遠い日本で、俺はこの動きに惹き付けられたのだった。
 いわんやGeoff Travisをや。この人はCambridgeで演劇を学んだ演劇畑の人物で、そういう人がレコード・ショップを設立するほど当時の音楽シーンに惹き付けられた。往年のPunk Movementの輝きが偲ばれる。

Rough Trade 20171001 (Dracura)

 標本箱の隣には、今年の4月末のLondon Marathonを走る65歳のGeoff Travisの写真が飾ってあった。精悍な往年の面影は薄くなり、苦しそうに走る姿が印象に残った。
 Ian Dury閣下に敬意を表して、買ったCDの袋を抱いて、店の前で1枚写真を撮った。


追記
引越しは25回だけど、転校は何度目かね。15回目くらいかな。慣れませんね。オホホホホホ。
| 8音楽 | 06:41 | comments(0) | trackbacks(0)
21年前の事件――「Sex Pistols at Finsbury Park, 1996」(2)
10月25日
21年前の事件――「Sex Pistols at Finsbury Park, 1996」(2)
 昨日からの話しの続き。最近、各方面でも振り返られる21年前のSex Pistolsの再結成の話だ。
 再結成後、音楽業界関係者から聞いたのは、彼らの再結成から遡ること4年前にあった1992年のVelvet Undergroundの再結成ツアーの成功はビッグネームだったバンドの再結成の後押しをするためにも大きなサクセス・ストーリーだったという話である。これがSex Pistolsが再び集まる大きな引き金になった。
 1992年のVelvet Undergroundの再結成ツアーの楽屋裏も雰囲気は最悪だった。後半になるに従って、メンバーはツアーをしているのに、「今にも解散しそうだった」という証言が多数残されている。 

Reunion Velvet Underground(1993)

 再結成したバンドが「今にも解散しそうだった」というのも面白いが、それほど、ナマの感情を剥き出しにする関係だったのだろう。だが、何歳になっても、大人になりきれないヒリヒリするような人間関係でもバンドを組んでいた人たちもある。
 Pistolsも同じことだ。彼らはそれまで「元Sex Pistolsの」という接頭語がついて回ったのだが、バンドは2年4ヶ月ほどしか存在せず、ライブも数えられるほどで、たった1枚のアルバムしか残さなかった。
 「俺たちが欲しいのはお前たちの金だ」
 「儲けたらまた売春婦を買うさ」
 3月18日の記者会見は「100 Club」で行われた。彼らが世間に売り出した音楽史に残るスポットになったが、向かいにあったバンドの事務所も消え、法廷で争ったMalcolm McLarenもその場にいなかった。
 バンドの活動から大金を得ていたわけではない。そのくせ、通り名は名前の前に必ず「元Sex Pistolsの」、が付く。Public Image Ltd.で活動を続けていたJohnny Rottenでさえ。名前と対価には余りにも大きな落差があった。
 Velvet Undergroundの元メンバーも、Sex Pistolsの元メンバーも、懐の事情は変わらない。他のバンドマンも同じだったということなんだろう。結局、メイン・ストリームを歩くバンドと違い、マネジメントが管理できない個性的なメンバーが集まって組んだバンドは、大抵、世の中の先を行っている。
 バンドが存在している期間にはその価値に等しい対価を得られない人たちは彼ら以外にもいた。そういう、長続きのできない不安定なグループは、どれも音楽史や社会史に残るほどの偉業を、後になって正当に評価されるようになる。
 事実、今年出たPistolsの再結成特集号の「Vive Le Rock!」47号では、バンドの再結成に対してコメントを寄せているのは、1964年生まれのGinger(Wildhearts)、1967年生まれのMartin Kent(Skunk Anansie)、1973年生まれのChris Mccormickという面々である。

Reunion Sex Pistols 別(1996)

 Gingerは俺と同年で、13歳からファンだというが、残る2人はバンドが存在していた時の記憶は曖昧だろう。事実、Chris MccormickはGlen Matlockのソロ作品でギターを練習したと言うほどで、全く音楽業界に入るきっかけも違っている。
 John Cale(1942年-)とLou Reed(1942-2013年)は、元々同志であったはずなのに、時間が経てば経つほど互いに関係は冷え切っていったそうだ。しかし、芸術という観点からは、友情と表現の価値とは全く別物の文脈であるはずだ。
 Pistolsの場合でも、再結成のツアーでは、Johnny Rottenだけは他のメンバーと常に別行動であり、飛行機の移動でも離れた席を取った。しかし、それでも人々は彼らの公演を体験するために足を運んだ。
 Pistolsの公演はPhoenix Festivalで1度、日本公演初日で2度、名古屋公演まで含めれば3度観た。日本公演初日は緊張感溢れるものだったが、名古屋公演では、すっかり日本人は舐められ、弛緩したものになっていた。短期間であれ、観客席に対する姿勢が劇的に変わる。エゴ丸出しの人間関係だからだろうと今にして想う。
 今や国内外のロック雑誌も回顧一辺倒で、読者側も、いい意味でも大人ばかりになっているわけだが、Velvet=Pistolsの再結成で、ステージ側も観客席でも友情に対する期待も幻想も消え、再結成に関するタブーさえ無くなった。Rock ‘n’ Rollが転換していく時期にあった。裏返せば、Velvet=Pistolsは、2度、時代を先行したと言える。


追記
本日も朝から雨。熊野古道も通行止め。14℃程度とか。暫く忙しくなりまっせ。
| 8音楽 | 07:06 | comments(0) | trackbacks(0)
21年前の事件――「Sex Pistols at Finsbury Park, 1996」(1)
10月24日
21年前の事件――「Sex Pistols at Finsbury Park, 1996」(1)
 現在、大学院に通っているアクビ娘はその頃3歳半で、カメラを向けると、必ずしかめっ面をして「変顔」を作るのが「流行って」いた。
 俺の詰めていた事務所には、時事通信と共同通信の情報サービス端末があって、その日、一斉に、「Sex Pistolsのメンバーたちが揃って記者会見」という一行記事を流した。政治・経済ニュースを扱う通信社が揃って打った記事である。

Reunion Sex Pistols(1996)

 つまり、世界的に話題になる「事件が起きた」のである。1996年春、3月18日のことだった。
 「Pistols、再結成だってよ」
 「ツアーするの」
 「ああ。6月末頃からイギリスで始めるらしい」
 「どうする」
 「行くしかねえだろう」
 その場で決まったと想う。
 その頃、北品川の事務所に通っていた“我が偉大なる女房”に電話をしたのは、こちらの事務所の固定電話からで、当時は何でもかでもアナログだった。
 「何時頃なら取れる?」
 「7月後半かな」
 「じゃ、今年は7月に有給消化だ」
 会見はかなり騒然としたものだったそうで、翌日の見出しは各社バラバラ。
 「顔のしわなんて気にしないぜ」(The Sun)
 「Punkな売人たち」(Star)
 「ロットンはPistolsに一度限りの火を付けた」(The Times)
 各紙共に好き勝手に見出しを付けていて、バンドの真意を測りかねていた。
 数日経っても、観たい気持ちは打ち消し難かった。だが、憎しみ合って解散した人たちは、その後も自伝でお互いを罵ってきたから、再結成といっても長続きすることは無いだろうことがしみじみと分かった。見る前からやや空しくもあった。
 そうだとすると、彼らの言った通り、ワールド・ツアーを敢行して儲けることがまず最大の目的なんだろうと理解された。一体どれほど対価が得られるというのだ。むしろ、その金額の多寡が気になった。
 (俺が納得できるほどその対価はデカいのか?)
 実際、ツアーの収支は明らかにはされていない。

Sex Pistols 別(1976)

 あれから21年の歳月が経過した。後々の報道を総合して勘案すると、「Filthy Lucre Tour」から、4人は1人当たり数億円オーダーのギャラを受け取ったようだ。今は知らず、スタジアム級のフェスティバルでは1晩で数百万円というのが相場で、これは毎回ではないにせよ、ワールド・ツアーで公演を2百回やればどうなるか。
 事実、この後Steve Jones(1955年-)は自宅を建てた。自分で証言している通り。Paul Cook(1956年-)もキッチンを女房のために改装した。Glen Matlock(1956年-)は会計士と相談して、不動産、投資ファンドに分散投資した。
 元々Johnny Rotten(1956年-)の場合には女房の資産もあって、不自由は無かったはずだから使途は不明だ。

Velvet Underground(1967)
 50歳を過ぎて再結成したカルト・バンド、The Velvet Underground。彼らもタブーを
 2度、突き破った人たち。友情なんて、ク・ソ・ク・ラ・エ、だ。

 何れにせよ彼らは丁度40歳前後で、この資金を元手に、後半の人生計画を再構築することができたのは事実だ。
金というものは年齢によって見方が変わる不思議なものだ。天下の回り物だが、めまぐるしく見方も変わる。
 30代も終わりになる頃には、将来を見据えてまとまった金が欲しくなっても何ら不思議は無いことだ。ましてや本来は稼げるはずだったバンドは、あっという間に解散してしまい、自分の名前には「元Pistolsの」という修辞句がつきまとう。
 だが、もし億円規模が転がり込むなら「元Pistolsの」という修辞句を逆転の発想で最大限に利用してやれ。1人の人間としても、「やり直し」だとか、「出直し」だとか、「新規まき直し」だとか、何かのきっかけになるかも知れない。
 「俺たちはお互いに神経質になっていたけれど」
 Paul Cookが回想している。
 本稿、ミュージシャンの人生の収支に絡む微妙な話なので、明日も少し続けたい。


追記
暫く忙しくて何もやる時間がナホトカ。そういう時は考えることだけはできるはずなんだけれど、それも慌しいと、中々やりきれない。
| 8音楽 | 07:02 | comments(0) | trackbacks(0)
転がり出てきたモノ(2)――Sex Pistolsの缶バッジ。
10月19日
転がり出てきたモノ(2)――Sex Pistolsの缶バッジ。
 断捨離中の俺。さらにこんなブツが棚の奥から転がり出てきましたわい。
 (なぬ〜!)
 遠く遠く、1978年の初夏に作ったSex Pistolsの缶バッジだ。
 中学校から帰る途中に、同級生の女の子たちが立ち寄る手芸屋さんがあった。そこで、缶バッジを作るサービスをやってることをクラスメートの女の子から聞いたんだろうね。多分、お店の中には手作りのボタン用の小型プレスがあったんでしょう。
 バンドは解散していたんだけれど、悔しくて作ったことを覚えている。他の女の子は、キャー、イアンだわとか、あらクリス可愛いとか叫びながら、沢山のアイドルのカラー写真の切り抜きの山から楽しそうに選び取っていた。
 俺の場合には、前の晩に、ミニコミ誌に掲載されていたバンドのモノクロ写真を切り抜いてみたら、手芸屋さんで指定されている缶バッジの許容範囲ギリギリになっていたので慌てて4人の写真をバラバラにして左右を寄せて何とか収まるように「工夫」した。
 (断られるかなぁ)
 恐る恐る差し出したら素っ気無く受け取った。

Sex Pistols缶バッジ(1978年)

 「ちょっと待っててね、すぐできるよ」
 店の中は女の子たちで溢れかえっている。手芸屋さんに男の子が行くことがそもそも恥ずかしい年頃だったが、それでも缶バッジの魅力には抗えない。
 「ほら」
 店のオジサンが差し出した缶バッジには、ギリギリメンバーの顔が乗っていた。
 「有難うございました」
 とっとと店を飛び出したことを覚えている。
 (Paul Cookの顔が切れ掛かっているけど、ま、いっか)
 この缶バッジは、そんな想い出もあってか、捨てられずに40年も俺の手元にあるのだ。これも何かの縁だから、もう処分せずに取っておこうとも想う次第。
 「Brexit is NOT Punk」
 昨年の国民投票前には保守党系の雑誌のインタビューで明言していたPaul Cook御大。今年の夏にも声を掛けてくれた。嬉しかったな。
 今日では某所に住む妹が、2004年にはまだ倫敦に住んでいて、その頃に送ってくれた記事の切り抜きまで出てきた。

20040206 Johnny Rotten on The Times

 こちらはJohnny Rottenがセレブの我慢比べ番組に出ていた頃の記事なんだけれど、もう、今のSex Pistolsは、俺はもう卒業だ。
 「ストーンズは1965年に引退すればよかったんだ」
 「あんな年寄りになるまでバンドをやっているなんて真っ平だ」
 「俺はアナキストなんだ」
 当時のMick Jaggerは30代の前半だろう。
 1977年には元気のいいことを言っていた青年も、今では還暦を過ぎた。しかも70代でスリムなMick Jaggerと違い、でっぷりと太った。大金持ちのドイツ人の妻の庇護を受けて普段は静かに暮らしている。確かに、あれから40年経った。
 Public Image Limitedをやり続けては来たが、あの77年の時の閃光の強さを想えば、今の彼の姿と較べることも愚かなことであることは明々白々。意味が無い。
 「ようし、おんどれらも吐いた唾、呑まんとけよ」
 「仁義なき戦い」シリーズでの永遠の名セリフということになっている。
 Sex Pistolsも卒業。Punk学科の博士課程満期終了。


追記
本日も雨。雨、雨、雨、雨。痺れるねえ。ま、傘がさせるから嬉しいけどさ。
もう、海の向こうのRock 'n' Rollの世界では、これ以上、探求すべきものが無くなってしまった。
| 8音楽 | 07:06 | comments(0) | trackbacks(0)
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