岡田純良帝國小倉日記

牛乳屋さん、元気かな――Elvis Presleyと昭和。
3月24日
牛乳屋さん、元気かな――Elvis Presleyと昭和。
 昭和58年(1983年)には、世田谷4丁目にあった祖母の家に住んでいた叔父一家の所に転がり込んで半年近く暮らしていたことがある。
 夏は「Mobil」ブランドでガソリン・スタンドをやっていた冨士鉱油でバイトをしていて、小田急の梅ヶ丘駅前の店の親方が出入りするから顔見知りになった。
 今では大看板になってしまった駅前の「美登利寿司」で鹿児島から就職したヤマちゃんが出前持ちをやっていた頃。しょっちゅうヤマちゃんはスタンドの前でウィリーを決めた。50ccのスーパーカブが可哀想だった。
 上客では、荒木一郎がいて、電話があると店長が出向いてキーを預り、車をスタンドに持ち込んだ。俺は真っ赤なコルベット・スティングレーをよく磨いた。
 その頃の梅ヶ丘駅前商店街の人はまばらだったけれど「玉田表具店」のオヂサンが元気で、「松井寝具店」も店を開けていた。

「Elvis Presley登場」(1956)ジャケット.jpg

 「モスバーガー」梅ヶ丘店は今と場所が違っていて小さな店で、イートインなどはできず、テイクアウトのみのカウンターだけだった。
 そんな中に、通称、「牛乳屋」と呼ばれていたのが山田さん。「武蔵牛乳店」という看板は出していたが、もう、昭和の終わりには、牛乳は配達する時代ではなくなりつつあった。だからかどうか、牛乳屋さんの息子は何時も店の中で暇そうにしていた。
 痩せて背が高く、どこか、若い。結婚していなかったんだろう。所帯臭さが無いのだが、それが頼り無さにもつながった。今は珍しくはないのだが、40代独身ってのは、カタギの世界では少なかったから目立ったんだろう。
 「あの人は古いレコード一杯持ってんだよ」
 ある日、スタンドに来る商店街のお客さんに聞いて、牛乳屋さんのところに顔を出した。
 「実はElvisのレコード持っているって聞いたんで」
 牛乳屋さんは嬉しそうな表情になって、2階の自分の部屋からレコードを持って降りてきた。戦前の2階屋だから自室ってのは畳敷きなんだよ。通りからその姿が見えるわけだ。

Elvis Presley (1)

 「これだけあるんだ」
 面白いことに、牛乳屋さんのコレクションはどれもElvis Presleyの初期の邦盤だった。10インチの変形アナログ盤「エルビス登場!」も「King Creole」も「50,000,000Elvis Fan Can’t Be Wrong」も含まれていたようだ。我が家には「Elvis Golden Records」はあったが、最初期の音源は聴いたことが無かった。
 「Elvisは入隊前が最高だよね」
 牛乳屋さんは力説した。色々とRCA時代のアナログ盤を持っていたわけだ。
 「俺が中学生の頃なんだけどさ」
 中学で1,500円もしたレコードを集めていたんだから、梅ヶ丘の牛乳屋は昭和30年代には羽振りが良かったというわけなんだろう。
 今なら俺が大学生にピストルズのアナログ盤を貸すようなものかな。俺は薀蓄を言ってしまいそうだ。クワバラ、クワバラ。
 Chuck Berryのことを書くことは、Guitaristの誕生を書くことでもあるから、同時期、世界を席巻したElvis PresleyとScotty Moore(1931-2016年)のことを調べていて、結局、こういうPlay Listを作っちゃった。「From Elvis in Memphis」と初期のミックスになる。
 昭和も遠くなりにけりだ。牛乳屋さんが元気なら、もう還暦は過ぎているだろうなぁ。帰国したら梅ヶ丘にまた行ってみようか知らん。

          岡田純良のPlay List for Elvis Presley 
            1. Wearin' That Loved On Look
            2. Hound Dog
            3. I'll Hold You in My Heart
            4. A Big Hunk O' Love
            5. Burning Love
            6. Blue Suede Shoes
            7. Suspicious Minds
            8. Good Rockin' Tonight
            9. I Need Your Love Tonight
            10. Don't Be Cruel
            11. Heartbreak Hotel
            12. Jailhouse Rock
            13. Milk Cow Blues
            14. Any Day Now
            15. (Now and Then There's) A Fool Such as I
            16. After Loving You
            17. One Night of Sin
            18. In the Ghetto
            19. Gentle on My Mind
            20. Hard Headed Woman
            21. (Let Me Be Your) Teddy Bear
            22. All Shook Up
            23. Mystery Train
            24. Return to Sender
            25. That's All Right
            26. Blue Moon of Kentucky
            27. Don't Be Cruel
            28. I Want You, I Need You, I Love You
            29. Maybellene [#][Live]
            30. Crawfish


追記
上記30は「King Creole」冒頭で使われたんだけど、こちらがジョニー・サンダースにかかるとまたまた感じが違って。そういう連環もRock 'n' Rollは面白いわねえ。Chuck Berryの追悼文は書き終われない。日々事件が起きていてさ。ま、締め切り次第ってことだ。
そうそう、Chuck Berryの「Big Boys」に参加していたNathaniel Rateliffが組んだThe Night Sweatsってのは、とてもいいバンドだわねえ。ああいうの、演りたいもんだねえ。
| 8音楽 | 08:49 | comments(1) | trackbacks(0)
あれから四半世紀経って……
3月23日
あれから四半世紀経って……
 28歳の秋。
 ロンドンを歩き回り、彼らのアジトのDenmark Streetを訪ねた。この時点で自伝を書いて番地まで出ていたのはGlen Matlockだけだった。だからGlen Matlockの生家近くでパチリと撮ったのがこの1枚。
 Sex Pistolsが1978年に解散してからまだ14年しか経っていない。だけど300年位経っていたような気がした訳だ。時代はアナログで、こんな写真をネットに出すなんてのは、誰も想像つかない時代だよ。
 しかも日本は平成でいえば4年。バブルはまだ弾け切っていない頃だった。学生は調子良く遊んでいてさ、入社式をデズニーランドで開くバカな会社もあったっけ。
 だから当時のニッポンは、メンズでは厚い肩パッドの入ったダブルのイタリアン・スーツが大流行しててさ。全く日本人には似合わねえのにアホクサと思っていた。
 バカばっかりでどうしようもねえなあと悪態を吐きながらあちこちの古着屋でデッドストックを捜し歩いていた。60年代半ば位までのスーツがまだアメリカには残っていて、そんな残存していた吊るしの新品で長く古い倉庫辺りにストックされていたスーツを買い続けていた頃。
 襟が細くて肩パッドが薄い。それでもヨーロピアンのようなウエストを締めたボディー・コンシャスなタイプではなくて、もっとふわっとしたアメリカンのシルエットが好きだった。
 革パンなんて履いて歩いてても、ハードな時代だったから、指を立てられたりしなかったな。それで調子に乗って精力的に歩き回ってて、Camden Townでは「The Sunday Times」の記者に声を掛けられてシャシンを撮られた。
 だから「The Sunday Times」の過去の合本には、俺の全身写真も載っているかも知れないよ。だけど当時は、結局は帰国した後に出たはずだから、俺自身は観ていないんだよな。大体、ボツになっちまったかも知れないし。
 そういえば、トップで合わせているのは、化繊の混じった混紡の麻のジャケットで、淡い緑色の渋い古着だった。肩が流れているのは当時は物凄く時代から外れていたわけで、俺なりに突っ張っていたわけよ。
 こうして解説しなければ通じないほど時間は経った。だけど、半世紀は、長いようであっという間だったな。随分耄碌したけれど、内面は成長せず、何も変わってないわね。

     グレン生家前の街角で(92.9)(掲載).jpg
| 8音楽 | 16:08 | comments(0) | trackbacks(0)
鬼の目にも涙――Chuck Berryが泣いた。
3月23日
鬼の目にも涙――Chuck Berryが泣いた。
 この数日、Chuck Berryを聞いていたところ。今朝イチバンで新作の「Big Boys」を聞いて衝撃を受けた。
 彼はバラードだとか大人のムーディーな曲をやった時代もあるけれど、あまりに初期から中期の代表曲が多く、しかもそのどれもが広く知られ過ぎている。
 代表曲はやらずにはステージを下りられないからやることになるわけだ。北島三郎(1936年-)が、39年間、コマ劇で特別公演をやっていたようなものを世界中、行く先々でずっとやってきた。偉大なるマンネリズムなのだ。
 代表曲を並べ替え、自分のPlay Listを作って最近事務所の行きと帰りに愉しんでいる。
 「Chuck Berry岡田劇場特別公演」
 である。オホホホホホホホ。
 まず、53歳の俺の場合、最初に来るのは13、14、15、16ではないのだ。Pub Rockも、暫く聴いていない。ちょっとこの辺りはシーズンオフになっている。
 今や、最初に来るのが1と2だ。素晴らしい才能ですなあ。後ろのコーラスなんて、Louis Jordan直伝のコメディーだけど、マジ、カッコいい。
 おかしいんだけど、クールなんだよね。彼の若い時の身上はこれだったんだろうねえ。黒人というだけで、言うなれば悪役。ヒール。悪かったんだから、詰まる所、色悪ですな。
 長身で細身でハンサムで、若い頃は白人女からモテモテで、行く先々で問題を起こした。Sam Cookeとは別の意味でモテモテ男だった。
 ボリス・ヴィアンの「墓にツバをかけろ」の主人公を思わせる。Chuckの女房は黒人で、彼らは結婚して70年くらい経つけど、それが何か?

Chuck Berry (1)

 それと3ね。これもかっこいいわねえ。Liveでは、5も無茶苦茶にカッコいいロック・ブギーだからね。3はRod Stewartもそうだけど、8なんてMic Jaggerは嬉し泣きだよ。
 ホントにカッコいいのは4もそうだけどね。これはマジ、カッコいいってのか、重要な曲なんっすよ。Rock and Roll史上で画期をなすほどの。
 そいでもって6はどうよ。女性歌手も大好きなこの曲。可愛い男の子って感じで歌うと、それはそれで年増女の心意気が出るから粋なんだよな。
 17はJohn Lennonが歌ったBeatlesのヴァージョンが知られるようになったけれども、ホントのホントは歌詞が違うんだよ、原曲はね。もっと卑猥だったわけだ。
 こうして考えてくると、彼の偉大さにビリビリと震えがくる。99年夏には70代前半のChuck Berryを観られたことは、今にすればホントに良かった。
 Fender Dual Showmanから弾き出されるホンモノのファズサウンドを俺は体験できた。ホントにカッコいいのはこの人だったのか――Keith Richardsはそのコピー。Bruce Springsteenが証言している。

Chuck Berry (5)

 虫の居所の悪い時のChuck Berryを俺は目撃したのだ。黒人だって、怒れば怖いんだ。彼は60年以上、社会の偏見と闘い続けてきた。
 ずっとこれまでの60年間、ギター1本でブギーをやって来た。悪ガキのまんまの目だ。抜け目が無く、いたずらで、何か企みを秘めていそうな目だ。
 1999年に観た70歳の彼はES-335を弾きながら足を開いたり閉じたりで、Duck Walkよりも、そういうクネクネとした芸の方が面白かったな。まるで、「Scooby-Doo, Where are you!」のShaggyみたいなアクションだった。
 そのRock and Rollの鬼、Chuck Berryは、先年Life Time AchievementでAwardを地元のSaint Louis市から貰った時、カミさんと一緒に授賞式に出て泣いたってんだね。泣いた赤鬼だ。
 Chuck Berryのツッパリを思い出すと、俺も泣けたよ。人類史に銘すべき偉人の1人さ。今日、「Big Boys」を聞いて俺はまたまた泣けたなぁ。世界中のバンドマンが追悼のトリビュート演っている。嬉しいことさ。

 
         岡田純良のPlay List for Chuck Berry  
          1. Brown Eyed-Handsome Man
          2. Back in the USA
          3. Sweet Rock & Roller
          4. Nadine
          5. Reelin' and Rockin'
          6. Almost Grown
          7. I Want to be Your Driver
          8. Little Queenie
          9. Carol
          10. Let It Rock
          12. Maybellene
          13. Johnny B. Good
          14. Roll Over Beethoven
          15. Around and Around
          16. I'm Talking about You
          17. Rock and Roll Music
          18. Bye Bye Johnny
          19. Too Much Monkey Business
          20. School Days


追記
当方は無事です。色々お問い合わせ有り難う。
| 8音楽 | 08:04 | comments(0) | trackbacks(0)
Elvis PresleyのPlay List製作中。
3月19日
Elvis PresleyのPlay List製作中。
 Chuck Berry訃報届く。絶句。新作のために原稿を書き終えたところだったのに。
 そして黒と並び立つ白、Elvis PresleyのPlay Listをゆっくり作っているところだった。
 先週作成したのはこんな感じだけど、まだまだ変わりそうだな。最初期のDJフォンタナとスコッティー・ムーアのコンビと演るのをとても好きだったのに、すれ違いで演れなかったわけ。
 時代かも知れないけれど、誰かもっといいマネジメントがいればねえ。悪徳業者が群がって田舎の好青年を潰してしまったというのが実態でしょうなあ。
 俺の家の音源の中には、日本盤のアナログ初版をデジタルに落としたのがあるんよ。これはまた別稿に。

          岡田純良のPlay List for Elvis Presley 
            1. Wearin' That Loved On Look
            2. Hound Dog
            3. Jailhouse Rock
            4. A Big Hunk O' Love
            5. Crawfish
            6. Blue Suede Shoes
            7. Suspicious Minds
            8. (Now and Then There's) A Fool Such as I
            9. I Need Your Love Tonight
            10. Don't Be Cruel


Elvis Presley (1).jpg
| 8音楽 | 16:06 | comments(0) | trackbacks(0)
倫敦鰯地獄巡り。
3月15日
倫敦鰯地獄巡り。
 こちらが倫敦の鰯地獄巡りで辿り付いた一皿だ。ポルトガルの飯屋を探して昨年は倫敦中を歩き回ってみたのに、大した収穫は得られなかった。
 その後、スペインの飯屋に夢中になって、一時はそれこそ倫敦中のスペイン屋をたちまち制覇するかくらいの勢いだったわいな。それほどスペインの飯屋の勢いはあるわけ。
 
Galicia Restaurant 20170311 (1).JPG

 それで、先日はスペイン飯屋に入ったら、鰯の塩焼きがあるわけだな。灯台下暗し。ポルトガル屋まで出て行って見つけられなかったものが、お隣のスペイン屋にあったわけだ。
 そいで喜んで「Grilled Sardin」ちゃんを頼んだよ。それと、何時だったかベンキョーしたピンチョスのパエリア。そいつを2つと言ったら、
 「ダブルね」
 と来たもんだ。
 分かってるね、セニョールは。
 そいでさ、待っても待っても出て来ない。パエリアはこうして出てきたのに、焼いた鰯は出て来ないんだよ。
 「まだ?」
 「酒、なくなっちゃうよ、セニョール」
 「今、やってるから」
 そいで出てきたのが5尾乗った皿だったんだけど、これはね、ものすごく旨かった。塩の具合が抜群で、骨身の辺りなんかは薄っすらと赤いわけだ。
 つまり、調理場で塩を振って暫く置いておいたんだよ。そいで炭火の遠赤で焼いたわけなんだね。ポルトガルよりスペインの方が上手だ。
 「塩を振って置いておいたからだね」
 “小倉の料理番長”が言った。どうも最近涙もろくてイカンけど、調理場の心意気にちょっと泣けた。

Galicia Restaurant 20170311 (3).JPG


追記
これから出立。
| 8音楽 | 14:34 | comments(0) | trackbacks(0)
今日のLondon――Gaz MayallとMick Jones。
3月12日
今日のLondon――Gaz MayallとMick Jones。
 実際には3月11日(土)のことだった。用事があって、市内某所周辺をウロウロした揚句、昼飯を喰いに某所まで行くところだった。
 「ここはCooky臭いね。臭いが漂ってる」
 「あすこのカフェに入ってったんだな」
 「そうだっけ」
 「そうだっけて、アンタ、Cookyが、アンタとすれ違うのに道を譲ってたじゃんか」
 「全然気付かなかったよ」
 別にキョロキョロする必要は無いけれど、顔を観れば一瞬で気付くから、あれがSex PistolsのPaul Cook御大だと分かってすれ違いざまに声を掛けたことがあった。
 今年に入って1度入った某店に入ると、先回と同じように、外まで人が溢れて呑んでいる。俺たちはランチを喰らう積もりでカウンター脇に立つと、
 (うっ)
 そののWide Brimmed Fedoraの帽子で、男はGaz Mayall(1960年-)であり、2人のトレードマークの毛皮のコートを着ていたことから、連れはかみさんだと知れた。

         Gaz Mayall & His Wife in Tokyo

 おっさん、今年は57歳になるから、そろそろ老人の雰囲気が漂い始めている。俺もアンタとは変わらないのだから分かっちゃいるけど、お互い歳を喰ったなあ――チラチラと観察しながら想う。Joe StrummerのBlue Plaqueの除幕式以来のお姿拝観。
 珍しく“我が偉大なる女房”はGaz Mayallに気付いた。トレードマークのWide Brimmed Fedoraを被っていたからか知らんが、彼女は、大抵、streetお歩く男には気付かない人だ。
 行き付けの店なんだろう。午後2時半に入ると、盛大にカウンターで呑んでいる。そして4時前に出る時にもさらに友達が加わって盛大に呑んでいた。アンタと俺は、行き付けの店が同じなのか、Gaz Mayallよ。ま、喰いもんだけは悪い趣味じゃねえな。
 (オホホホホホホホ)
 ブラブラと店を出る。辺りは古着と骨董と雑貨品の屋台だらけ。 
 それにしても今日はもう誰かにすれ違うこともあるまいさと想いつつ、何となく前方を眺めながら歩いていると、市内全域でも最大級の週末のマーケットが出る某所のど真ん中に差し掛かった辺りで、また“我が偉大なる女房”は先にズンズン歩速を上げ始めた。

       Joe Strummer Blue Plaque

 2人で並んでは歩けないほどの混雑なのだが、そういう時は、“出やすい宵闇”で、Punkの亡霊が出ることが多い。大体、俺の場合、そういう星回りになってんだよななんて考えていたら、
 (うっ!)
 “我が偉大なる女房”がガンガン歩いて来たので、痩せた老人が身体をかわして“我が偉大なる女房”の進む空間を造って呉れた。
 (あれっ?)
 そう、その老人の顔。
 (ヤヤヤ!)
 Mick Jones(1955年-)その人である。しかしすっかり身なり風体は老人のそれである。

        Tony James and Mick Jones in 2007

 (うーん)
 金縛りのようになって声が出なかった。声を掛けるにもあまりの雑踏だから、掛けると目立ってしまうだろうから掛け難い。
 (あああ)
 遠くを怪訝そうな表情で見つめながら老人の背中は再び雑踏に消えて行く。ウールの濃紺のコートを羽織って無帽であり、すっかりロンドンの21世紀の老人世界に馴染んで雑踏では全く目立たない。
 上に上げた写真は10年前で、さらに10年後の現在は62歳。髪は白くなり、すっかり老人になったが、間違い無い、あれはMick Jonesであった。雑踏ですれ違っても相変わらず、“小倉の料理番長”は大物で、全く気付かなかった。
 2016年12月のJoe Strummerのプレートの除幕式には、Gaz Mayall一人がやってきたが、あるいは近くに住んでいるご近所の誼で、Mick Jonesから代理出席を頼まれたのか知らん。Cookyにしても、Mickyにしても、番長が先に気付いてくれれば立ち話くらいはできなくもなかったが、気合負けだ。
 Londonのコミュニティーは小さい。しかし、あんな場所ですれ違うなんて、変なところで感心するようだけれど、Punk Rockってのは、Street Musicなんだなと想った。


追記
本日は少しゆっくりするかとも思う次第。来週がまたまた忙しくなる見込みなのでかなり疲れそうだ。話が重く大きくなれば憔悴するのも早いから。それにしても、巨悪と闘う準備をしようとする矢先に、また未来の見通せない人たちが気勢を上げて面倒なことにならなければいいと思う。歴史的に見て、未来の見通せない人たちにお任せすると、必ず、天変地異が起きてきた。二度あることは三度あるのだ。
| 8音楽 | 16:59 | comments(0) | trackbacks(0)
しばたはつみのこと。
倫敦日記’17(第九弾)
3月1日
しばたはつみのこと。
 「Live Entertainment Special」[しばたはつみ, 日本コロムビア]
 1975年5月、ホテルパシフィック東京のステージに登場したしばたはつみ(1952-2010年)。この時、弱冠23歳である。
 バックは宮間利之とニューハード&ストリングス。日本を代表するビッグ・バンドであり、この頃は全盛期というか、絶頂期と言うか。そんな時期のニューハードのサポートするのは23歳の「歌謡歌手」。そういう建前である。

     「宮間利之とニューハードatモンタレー」ジャケット。

 ニューハードのメンバーは、この日、宮間利之(cond)、武田周三・白山文男・岸義和・神森茂(tp)、片岡輝彦・上高政通・塩村修・伊藤昭志(tb)、鈴木孝二・白井淳夫(as)、森守・井上誠二(ts)、多田賢一(bs)、山木幸三郎(g)、間中忠和(b)、鷹野潔(p)、四方田勇夫(ds)、前田憲男・山木幸三郎(arr)というメンツ。そこに市川秀男(Keyboards)とゲストで世良譲(Piano)が加わった。ラッパ隊の切れ味はモノ凄い。JB’s全盛の頃だもんな。
 23歳の歌謡歌手のバックとしては、このうえもない豪華なラインナップと言えるだろう。この頃、ニューハードはアメリカ合衆国の夏のビッグ・イベントに毎年参加しており、New Port、MontereyなどのJazz Festivalで大うけに受けていた。定番曲であっても手を抜かず、すさまじい熱演で高い評価を得てあぶらがノリノリの時期だろう。
 編曲には服部克久としばたの実父の柴田泰が入っている。しばたはつみという歌手は、つまり、“そういう歌手”だったのだ。本質は、ブラウン管の「歌謡歌手」ではない。

    世良譲と一緒に.jpg

 彼女のプロとしてのキャリアはこの時点ですでに10年以上ある。米軍キャンプ上がり。鍛えられている。宮間利之とニューハード&ストリングスはその彼女をよく知っていた。61年、9才の時に米軍キャンプ付属の将校クラブのステージに立ち、「スマイリー小原とスカイライナーズ」専属となっている。
 だから15歳からCMソングを歌って、丸善の「Oh!モーレツ」だとか小林亜世の書いた「レナウン娘」(原題は:『ワンサカ娘』)も60年代に歌っていた――というのは付け足し。蛇足だ。彼女のためにその路線はよくなかったのではないか。本人は歌謡界で成功したかったのかも知れないが、晩年は忘れられた歌手というのが口癖だったそうで、それは彼女のためにも如何にも気の毒なことだった。このメンツを観ればまことに壮観だが、客席の方も、歌手自身も、その落差に気付いていない。

    「New Herd Plays Modern」ジャケット。

 しばたはつみを最初にブラウン管で観た時から、もう、大人の歌手という感じがあった。しかし彼女は幼い頃に2度、少女歌手としてデビューしており、2度共挫折し、その後、アメリカで2年間ステージに立った。Three DegreesやIke & Tina Turnerと競演していたのだから、アメリカから帰らず、その方向で進めばよかったのではないかと想う。
 昔、北島三郎がロックを歌うと凄いという話を聞いたことがあったけれど、「まつり」は、もうロックンロールの領域だろう。この曲などErma Franklinが本気出して歌ったら真空管アンプが火を噴きそうなソウルになる。
 しばたはつみの代表曲は77年の「マイ・ラグジュアリー・ナイト」というのも惜しい話だ。曲はマツダのコスモLのCMでマツダとタイアップした。この曲で「ラグジュアリー」という聴き慣れない単語が一時期一般化した。コスモ・ラグジュアリーかと想っていたが、そうではなかったようだ。名古屋の伯父が、この新車を買って祖母の家に乗り付けたら、翌朝、タイヤが4本、丸ごと盗まれていた。そういう時代相。
 同じようにキャンプ出身の松尾和子(1935-92年)のようにもっともっと大人向けの曲を歌うべきだったと想う。テレビは「消費」の時代に入っていたから彼女には合わなかった。彼女がアメリカで修行していた時代は、朱里エイコがバリバリ歌っていた頃でもあるが、朱里エイコも悲惨な最期だったらしい。
 しばたはつみが引退して伊東市内に暮らしていたこと、鬱病で苦しんでいて、風呂場で心筋梗塞で亡くなっていたのを老いた父親が発見した逆縁など、その才能を鑑みると気の毒でならない。俺は彼女に間に合わなかった。それも残念。


追記
低下傾向顕著也。また引越しで旅に出るか。
2月のご愛顧=帝國:小倉:米國=17,503(18,980←27,773←15,087←15,435←16,504←17,148←16,538←18,202←18,597←23,362←19,300):3,310(3,638←5,839←3,696←3,122←4,360←3,409←3,992←13,022←7,903←4,917←4,425):1,054(1,234←471←463←438←813←460←743←361←926←747←789)=92%:91%:85%=21,867(23,852←34,083←19,246←18,995←21,677←21,017←21,723←31,585←27,426←29,062←24,514)92%

追記の追記
3時間程前から風雲急を告げている。大本丸から呼び出し。またまた2泊4日か?、だが、久々に面白くなってきたぜ。よござんす、一肌脱ごうじゃないか。やってやる。細工は流々だわさ。ウッフッフッフ。またまた某所と某所からはハッキングしてくる美魔女がいるのかねえ。○○だなあ、○○のは俺じゃないから、意味無いよ。
| 8音楽 | 07:20 | comments(0) | trackbacks(0)
Punkなんて、行き着くところ、気難し屋ばっかり。
2月28日
Punkなんて、行き着くところ、気難し屋ばっかり。
 某所のレコード屋だけど、入り難いよ。神経質にオヤジが検品してて、紙ジャケもCDもついでにブツも?キレイに並んでるでしょ。ちょっとの気合じゃぁ触れない訳だよ。
 想い出すねえ。


 「商品には手を出すな!」(by 小沢昭一)
 
 「商品には手を出すな!」(by 宇崎竜童)


Record Shop at Saint Sebastian

 昭和の60年代にもまだうるさい諸兄系がおりましたけえ、わっちも、随分とベンキョーしましたが、ここはすごい訳だ。昭和40年代のジャズ喫茶のウルサイ諸兄のオヤビンみたいなんがおったけん。
 (うーん、オッサンなぁ)
 どっかで観たなぁ。
 「あの人、気難しそうだねえ」
 「そうかな」
 「誰かに似てるなあ」
 “我が偉大なる女房”が言う訳よ。
 (おっ?)
 店のディスプレイをチラっと観るとくっさ、若い頃のオッサン、アブラの似顔絵で掲げてあんねんな。
 (ワシ、元々、パンクだがヤー)
 画面全体で主張しておるで。ニヤニヤ笑いを浮かべてから。
 しかも、ピストルズ系。
 (知らんぞ、あんた、パンクけ)
 困ったオヤジだねぇ。到底、ワイとは話は弾みそうにないけん、黙って、そーっと店を出てきた。


追記
レコード屋さんは「Beltza Records」(http://www.beltzarecords.com/Index.asp)です。ステッカー売ってなかった。残念です。Beltza Recordsの住所は右記の通り。San Juan 9, 20003 Donostia EH Tel/Fax 00 34 943
彼は Luis Beltza。いいヤツらしいよ。Flicker(https://www.flickr.com/people/beltzascene2/?rb=1)が面白いな。同世代だな、間違い無く。

beltzarecords.jpg
| 8音楽 | 16:13 | comments(0) | trackbacks(0)
説教師の娘たち――姉と妹と。
2月26日
説教師の娘たち――姉と妹と。
 2月10日、DetroitのLocal TV(WDIV)に久々に出演したAretha Franklin(1942年-)。今年9月に新譜を出し、コンサートはもうやらず、引退し、孫と余生を送ると宣言した。
 「Aretha観られずに終わるのか」
 「残念だけどしょうがないね」
 我が家では、家族揃ってアメリカ東西岸に暮らしていた20年ほど前、Ray CharlesとAretha Franklin以外、ほぼ、Rock 'n' Rollの歴史上、重要な歌手・ミュージシャンはカヴァーした。アクビ娘は、1950年代初頭にApollo Theaterから全米ネットで司会をやったRuth Brownが歌い踊る姿をMusic Loungeで観ているのだ。

「Its Over」(Erma Franklin)ジャケット。

 だが、Aretha Franklinはまだ観ぬ大歌手の中でも最右翼としてずっと幻の人物だった。1980年の「Blues Brothers」で「Think」を歌い踊る彼女のキメのセリフは我が家では今も生きている。
 「Bring me four fried chickens and a Coke」
 ハンバーガー屋でJake Bluesの口癖を言ってみたことがある。
 「Jake, You are No Good」
 左手を腰に当て、右手を指差して今でも使う。我が家では、イギリスの屈折したPythonsよりも直接的なこちらだった。あの時、Aretha Franklinは38歳だった。あの貫禄で38歳だったとは。Beyoncéが当年とって36歳だから、歳の取り方が違う。

「(Aretha Franklin in )Blues Brothers」(1980)

 「Rolling Stone」誌上では「the 100 Greatest Singers of All Time」で第1位。生きているSingerとしては並ぶものの無い地位を占めているが、実は引退宣言は、これまで何度か出しては引っ込めているので、本当かどうか分からない。
 とはいえ彼女の年齢も今年は後期高齢者となるし、重症の飛行機恐怖症なのでツアーもできず、残念ながらこれほどの伝説的なヴォーカリストであっても、レコード会社には旨みが無い。収入が見込めないこともあって、大手から契約を打ち切られていた。
 プロの歌手としては1961年から歌い続けてきた彼女。1968〜1975年には8年間連続でGrammy Awardで最優秀女性R&B歌手として表彰された。一度引退を宣言した2005年にはWhitehouseでGreenspanらと共に最高位の大統領自由勲章が贈られている。
 史上最高の女性ソウル・シンガーには説教師の父親、C. L. Franklinがいて、この父が天性の美声を娘たちに伝えた。Arethaには4歳上の姉・Erma Franklin (1938-2002年)があり、Ermaは1962年のデビュー後、70年頃まで活動を続けたが、その後は、妹のバック・コーラスに収まった。もう大分前に亡くなっている。Janis Joplinで知られるが、「Piece of My Heart」を最初に吹き込んだのはErma Franklinで、Janis Joplinはこの歌を聴いてカヴァーしたのだ。Peter Barakanさんは原曲を推してたっけ。
 Aretha Franklinのステージは観られなくともいいではないかという気もする。本当の美声は自分の耳でその肉声を「体験すること」が何よりだから残念ではあるが。John Lee Hookerの肉声は凄かった。レコードに残っている声はその何分の1かくらいで、もうナマの声には抗えない性的な魔力があった。

「Sixties Girls」(Various Artists)ジャケット。

 Arethaは歳を取って太ってしまったからなおさら。その点、若い時だけ録音した姉のErmaは大ヒットに恵まれなかったが、今でも素晴らしい天性の声をCDを通じて確認することはできる。
 2013年にLos Angelsの「Record Surplus」(http://www.recordsurplusla.com/)で彼女の古いアナログ盤を買った。それからずっと聴いている。
 それから随分、色々な音源を集めた。まだ買ってはいないのだが、2014年にはまたまた怪しい編集盤、「the album Sixties Girls - 60 Original Recordings」が編まれた。これに彼女の「It’s Over」が収められている。嬉しいね、分かったヤツがいるんだね。

「(Aretha Franklin in )Blues Brothers」(2)(1980)

 この曲を聴くと、姉と妹は本当に瓜二つだという感じを受けるだろう。最近入れている彼女のPlay Listを以下に。
   1) It’s Over (Single)
   2) For Once in My Life (Soul Sister)
   3) Gotta Find Me a Lover (24 Hours a Day) (Soul Sister)
   4) Change My Thoughts from You (Soul Sister)
   5) Light My Fire (Soul Sister)
   6) Piece of My Heart (Single)

「Her Name is Erma」ジャケット。.jpg

 「Piece of My Heart」については、1998年夏に、Golden Gate ParkでPhoebe Snowが歌うのを観たことがある。素晴らしかった。重度の脳障害を負つ娘を看取って、彼女も世を去った。東京で、再結成ツアー中のNew York Dollsがカヴァーしたことがあって、ぶっ飛ばされた話は何度も書いた。
 「It’s Over」の喉の転がり方、裏返り方。父親の血を継いだ姉妹は歌うことが楽しかっただろうなあと想う。この曲はビックリするだろうけれど黒人のBoogieとしちゃ最高の部類のDance Tuneだよ。騙されたと想って聴いてご覧。若い頃のAretha Franklinがいるから。だけど、歌ってるのはお姉ちゃん。間違いなさんなよ。呵呵。


追記
「It’s Over」は日本ではあまり知られていないだろうから、ソウルファンはぶっ飛ばされるかもしれん。今年1月初旬から暫くヘビローだったな。シャウターったってこんなシャウターそうおらんですよ。大人になってからの歌唱と違って、黒人教会の熱気が剥き出しのシャウト。カッコイイ。幾つになってもこんなの聞かされるとケツが浮いて来ちゃうな。


追記の追記
野城さんから。セブンスも、ずいぶん長くなりましたなあ。

まもなく春を迎えますね。
春も近くなりましたので、
トラメの2017年のライブを
スタートします。是非とも
遊びにお越しください。
★トラメ2017ライブ‼
・日時 2017年3月11日【土】
 Open/start 16:00/16:30
・場所 横浜セブンスアベニュー
http://www2.big.or.jp/~7th/contents.html
・料金 前売2500円 当日3000円
・出演 トラメ
    THE METRO'S
El Libre
Crazy Soul No.8
★トラメは、夕方の18時20分からの
 出演となります。
★メールにてご連絡いただけますと
 前売を受付に取り置きます。
 よろしくお願いいたします。
トラメ一同
| 8音楽 | 06:43 | comments(0) | trackbacks(0)
歴史遺産――どんなブツでも売れまっせ。
2月15日
歴史遺産――どんなブツでも売れまっせ。
 David Bowieのコレクションを観に行って以来、Sithebyからは、時々、カタログのお知らせが来るようになった。
 あの時、日本からも人が来ていたが、全英から熱心なファンが訪れて、喰い入るように一つひとつ観ていたのはちょっと凄い感じがあった。
 熱心なファンにとって、David Bowieは彼らのジンセイの一部であり、David Bowieのジンセイは彼らのジンセイの証でもあるのだろう。
 近頃、彼の絶頂期は、ほぼ1980年頃までという特定のされ方をしている。それが、多分、音楽史的にも、英国の社会文化史的にも定着していくことになるだろう。とうとうその辺りまで来てしまった。
 近頃は、こうして、1977年6月7日のSex PistolsのプロモーションのブツまでSotheby'sで売りに出ている。
http://www.sothebys.com/en/auctions/ecatalogue/2016/rock-roll-n09587/lot.107.html
 
JUBILEE BOAT BANNER (Sex Pistols)

 推定価格は3万ドルだったのが、5万ドルで競り落とされた。
 というわけで、1977年6月7日、その場に立ち会っていた人々の話を以下に。最下段にはJon Savageの話を。

Tony Parsons, author and journalist, then on NME: Sid [Vicious, the band's bassist] looked fantastic here. I remember offering him a line that night, but he didn't want any – ironic considering what happened. He had lovely manners though: "Thank you for offering", as if I'd offered him a cup of Earl Grey. But John Lydon [aka Johnny Rotten] was built for that moment.

Allan Jones, editor of Uncut, then on Melody Maker: Shortly before the Pistols played, police boats started circling us as we approached Parliament. I wouldn't have wanted to be anywhere else at that moment. The band started with "Anarchy in the UK", followed by "God Save the Queen", "No Feelings", "Pretty Vacant", and when the power was pulled Rotten was screaming "No Fun".

Dennis Morris, photographer: This was one of their best gigs – they had time to play for once. To create hysteria, Malcolm would book them into tiny venues; it would be pandemonium. That's why they loved soundchecking.

  Boat Trip of the Sex Pistols in 1977.jpg

Jon Savage,author of England's Dreaming:Before the police came, it was a great party. Make that a capital G.”By the summer of 1977, the Sex Pistols were one of England’s most controversial bands. Following a serious of incidents — swearing on live TV and being fired by two separate record labels, among other things — it seemed a given that their record would be banned by records stores around the country. After being picked up by Virgin Records (the only label willing to work with the band at the time) the label began making preparations to release and promote Never Mind the Bollocks, Here's the Sex Pistols. A week before the release of the second single off the album, “God Save the Queen,” the Pistols coordinated an inspired publicity event, timed to coincide with the Queen Elizabeth II’s Silver Jubilee celebration.

Assorted journalists, record executives, and insiders were invited to witness the Sex Pistols perform on a boat sailing down the River Thames; the invitation read: “RIVER PARTY. June 7th 1977. Arrive 5.30pm. Boat ‘Queen Elizabeth’ leaves Charing Cross Pier 6.15pm. Return to Charing Cross 11.45pm. To get on board you must present this invitation. It admits one, and one alone. Discretion appreciated.” As attendees boarded the Queen Elizabeth (including Richard Branson, Jon Savage, Vivienne Westwood, and, of course, the Pistols’ infamous manager Malcolm McLaren) they would be have greeted with two large yellow vinyl banners, which Jon Savage described: "Banners have been unfurled down the sides: one reads 'QUEEN ELIZABETH, THE NEW SINGLE BY THE SEX PISTOLS, GOD SAVE THE QUEEN' - distinctly low profile."

      Boat Trip of the Sex Pistols in 1977 (2).jpg
 倒れているのはVivienne Westwoodではないかな。Debbie Juvenileが助け起こそうと
 しているのだけど。

By all accounts, the event began slowly, but by the time the Pistols began playing (timed to coincide with the boat passing the Houses of Parliament), the party was getting underway, even out of hand. According to photographer Dennis Morris, who was on board that day: “The boat trip was Malcolm's idea…. [he] wanted to be arrested that day because he wanted to make his statement.” Police boats eventually surrounded the Queen Elizabeth, forcing it to dock. Altercations ensured, in Savage’s words: “We dock. The power is off. The bar is closed. Suddenly no more party. Suddenly a lot of police on the quay. Altercations begin. Nobody wants to leave. The police want us to leave. So does the owner. The owner can terminate the contract of hire at any time. Small print baby.”

Journalist Tony Parsons also reported in NME on the arrests, and McLaren’s antics, relaying: “The scenes that occurred when invading cops broke up their Jubilee Day river party have left me with something that will remain long after the bruises have faded: it’s unlikely that I will ever again be able to look at a member of Her Majesty’s Metropolitan Police Force without feeling sick… after a token protest, we all went quietly into the night. Apart from McLaren, who came down the gangplank screaming in their faces.” McLaren was charged with “Using insulting words likely to provoke a breach of the peace;” then-girlfriend Vivien Westwood with “Obstructing a policeman;” and multiple other Sex Pistols insiders were charged with assault, obstruction, and “threatening behavior.” Westwood was ultimately found guilty and levied a fine of £15. Notwithstanding the legal woes, the event was a great promotional success. As Richard Branson later reflected: “…it certainly did the reputation of The Sex Pistols and Virgin no harm at all. God Save The Queen sales went through the roof and the band’s place in rock ‘n’ roll history was confirmed.”


| 8音楽 | 04:36 | comments(0) | trackbacks(0)
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