岡田純良帝國小倉日記

銀鱈西京焼バラバラ事件発生。
9月22日
銀鱈西京焼バラバラ事件発生。
 諸兄姐、酸鼻的な事件やで。見てみい、こら、アカンわ。
 「テリイ、焼けたよ」
 アクビ娘に声をかけられ、いそいそと皿を持ってグリルの前まで行く。
 「さいばしわたすから自分で取り分けて」
 「うん」
 そして起きたバラバラ事件。

20180915 銀ダラ西京漬け.jpg

 銀鱈ちゃん、こないにバラバラになってもうて、アクビ娘に泣いて詫びてもバラバラはバラバラやねん。
 「笑っちゃうよ」
 家に居ると、どーも、調子が出えへんねん。そやけえこないなことになるねんな。
 ブツクサ言うとったら、さっき、ヤーな音がして、出てみたら、や。
 (あ?)
 呼び出しやんけ。やなこった。明日は外出や――それならそれで、ヤな感じやねえ。

「Balla Balla&ダンス天国」シングルジャケット.jpg

 俺にはThe Rainbowsの「My Baby Baby Balla Balla」よりもスパイダースの「バラバラ」だったりするんだけれど。

「Balla Balla」[The Rainbows]シングルジャケット。.jpg

 イギリスにもう2年位も長くいたら、オランダ、(旧西)ドイツのビートバンドの音源を集めたんだろうなぁと想う。スパイダースはロンドンに行って、西ドイツのビート・バンドのシングルなんか、買い漁っていたわけだろう。
 バンドマンなんてのは、何時の時代でも、考えることは同じだよな。
 お皿を眺めて想うのやけど、迷走する断末魔の戦艦みたいやねえ。気の毒やなあ、銀鱈ちゃん。銀鱈はどこ産や?言うて、ボク、知らん。
 ココロがバラバラになりそうやねん。そうや、ボク、ココロのオヤビン、ココロで泣いて、ココロで笑うねん。ヌーン。
| 5今週の余糞 | 19:35 | comments(0) | trackbacks(0)
気分を変えて――化け物箸置き復活。
7月27日
気分を変えて――化け物箸置き復活。
 会津東山の「向瀧」で供される料理にはこのかじかの化け物のような箸置きが必ず添えられているのだった。整理をしていたら出て参りましたので、早速、使わせて貰おうとテーブルに引っ張り出した。
 何だか今年は秋に疲れがどっと出そうだから、今から冬場の温泉を押さえて励みにするかなあとか、考えるわねえ。今日は幸い降ってないけれど、明日は関東も雨ですっぽり包まれる。
 まぁ、これから四十九日の法事の準備で出立。汗みずくですらい。

東山温泉「向瀧」箸置.JPG

追記
上野ナウ。知人に呼び止められる。こんな偶然もあるのねえ。
| 5今週の余糞 | 12:46 | comments(0) | trackbacks(0)
リフォーム第1週終わる。
5月12日
リフォーム第1週終わる。
 リーフォーム工事の直前の夜と初日の夜を比べてみました。どちらも同じ方向から撮っているので感じが分かると想います。

20180506 工事前日 (掲載).jpg

 2つの部屋に仕切っていた背の高い引き戸を取り払い、戸袋として壁になっていた部分も削りました。これで全体に一つの空間になるわけです。

20180507 工事初日 (掲載).jpg

 さらにここから左側の壁に家具業者に収納を取り付けてもらいます。右側億までP仙コーナーを設けて、「Destroy」シャツだとか、1976年のAnarchy TourやBromley ContingentたちとバンドのメンバーたちとのPhoto Sessionの写真を配置して、さらにペグボードを打ち込む予定。まぁ、ウルサイ部屋になるかも。

20180512 朝 (掲載).jpg

 業者の2人の女性が言ったもんね、俺の「Destroy」シャツを観て。

 「これで風水変わらないかしら」

20180408 DESTROY シャツ始末 (3).JPG
| 5今週の余糞 | 15:22 | comments(0) | trackbacks(0)
変わる我が家の佇まい。
5月11日
変わる我が家の佇まい。
 数日ですっかり変貌。部屋の形と日の光の入り方がすっかり変わっている。しかし、手足が伸ばせないような気持ちになるほどモノが積み上がっているのでなかなか疲れは取れない。ヨガに通い始めた人とか研究室から帰らない人とか、みなさん対策をそれなりに取っているが、俺は生活に追われていてそれどころじゃない。長くキツいロードが先々まで見えております。
 周辺でまたまた仁義なき戦いの再来話で盛り上がっとるけど、どうなることかなあ。本通りでの撮影も東映の半世紀前と違ごうてヤクザは出て来なかった。どげん言うてもねえ。そいでからパンク魂見せてやったんじゃ、言うてもねえ。オホホホホホホホ。意思明白了?

5月9日朝
| 5今週の余糞 | 20:21 | comments(0) | trackbacks(0)
某所のクマちゃん。
4月24日
某所のクマちゃん。
 6年ほど前から3年ほど通い続けた某国。懐かしいウエファースのパッケージが出てきました。素朴な人たちだったけれど、その向こう側に常にあの赤い人たちがいて気の毒だったなぁ。
 そんな体験もあって、多角的に重層的にモノゴトを見るようになったのにはいいベンキョウになったけど、マークされてしまい、今もってあちらからチェックされているようなんだな。
 獄中にはこの間、スーッと入れたのには笑っちゃったけど、出る時は、ちょっとドキドキしたねえ。赤いハンコを押されたら2度と入れないんだけど、まだ、押されたことはないよ。
 
リトアニアのクマちゃん (1).JPG
| 5今週の余糞 | 14:28 | comments(0) | trackbacks(0)
またまた本の引越し。
4月15日
またまた本の引越し。
 朝から8箱をやっつけた。これから残る7箱と格闘予定。

20180415 書籍移動 (1).JPG

 古本屋で買い集めた菅原通濟だけれど、今では少し値段がついているらしいねえ。ハンター・トンプソンなんかは全てきれいサッパリ売り払った。ケン・キージーも処分したかな。
 アメリカのあの年代の作家はメジャー系は、大体まやかしが多い。マイナーの地下水脈に多分、大物が眠っているはずなのだ。その辺りはカリブの海賊君と俺は随分趣味が違うみたいねえ。

20180415 書籍移動 (3).JPG

 この辺りはどうよ、捨てられないなぁ。吉田健一は500冊でいいと言っていたけど、その通りで、捨てに捨てて大体500冊見当残った。

20180415 書籍移動 (2).JPG

追伸
これからハマへトラメ。腰が痛い。トホホホホホホ。
| 5今週の余糞 | 13:28 | comments(0) | trackbacks(0)
ニッポンのディープ・ソウル――ご安全に!
3月18日
ニッポンのディープ・ソウル――ご安全に!
 愛知方面から飛んでくるメッセージ、ニッポンのディープ・ソウル、「ご安全に!」。シビレるメッセージですが、何事も、確かにご安全に!、ではあるわいなぁ。ムッシュー。ボンソワール。

ご安全に!.jpg
| 5今週の余糞 | 17:30 | comments(0) | trackbacks(0)
Life is going on...(6)
8月26日
Life is going on...(6)
 この辺りはシマシマ地帯だ。男も女も老いも若きもヨコシマの服を普段着にしている。元々古くは海賊たちの母港になり、荒くれの船乗りたちが男ぶりを競い、幅を利かせた土地で、「SAINT JAMES」は土地の名だが、今では世界的なブランドになった。パリの「Petit Bateau」もボーダーのシャツを作っているが、本家本元はNormandy地方。
 この辺りの洋品店には、このボーダー・シャツ以外にも、船員服を普段着にしたような前開きやプルオーバーのパーカーなんぞがある。
 (うーん、なんだ、あの服は)
 映画では観たことがあるが、実物を初めて見るような古めかしいデザインのものだ。

20170816 (プルオーバーのパーカー 掲載).jpg

 Lino Venturaなんかが着ていそうなヤツで、この地方はまだ荒らされていないのだと知ると、盛大に財布の紐を緩めることにした。今回、ごっそり、一生分を買い付けた。素朴でごついデザインで、俺が死ぬまでは着られそうな服だ。ParisからTGVで2時間。しかし日本のバイヤー連中がまだ買い付けに来ていない。
 Mont-Saint-Michelにはうようよ日本人が来て、辛抱強く何時間も待ってオムレツを喰っているのに、どうして一歩だけでも足をのばさないのだろう。勿体無い。

          Lino Ventura.jpg

 俺はMont-Saint-Michel至近のAubergeで、この辺りの名物で、「Agneau de pré-salé」 (潮味の効いた塩沼の仔羊肉)と呼ばれる仔羊尽くしのプレートを頼んでみた。こいつをカンカン照りの陽光の下で赤ワインでグイグイ押し込んだ。
 ここからさらに西に向かってMorlaixまで飛ばせばBritanyに入る。ここで不思議な邂逅が待っていた。小さな街のB&Bのフランス人オーナーは俺の名古屋在住の身内の古い知り合いだったのだ。彼は名古屋で暮らした後、俺と同じ時期にSan Franciscoで暮らしていたこともある。
 「ここも連合軍に爆撃でやられました」
 行ってみて分かるのだが、ここも河口域が深い入り江になっている。高架橋が市街を横断する険峻な港湾都市で、この鉄道高架橋が狙われた。この深い入り江から、鉄路は遠く軍港のBrestまで伸びて枢軸国の補給路になっていた。橋は、見上げると連合軍の爆撃で抉れた跡がくっきりと残っていた。

    20170815 (高架橋の爆撃跡 掲載).jpg

 ここから南に降りていくと、フランス全土にGangを輩出した土地に入る。Napoli、Sicilia、Sardiniaと回り、今回はじっくりとBritanyの男たちの生態を観た。
 「あいつはブルターニュ男だ」
 それだけで1950年代、フランス各地の暗黒街では小柄でも性根の座ったタフな男という暗喩があった。
 ブルターニュの男も女も昔と変わらず、やっぱりボーダー・シャツを普段着にしている。例えばTanguy Viel(タンギー・ヴィエル)(1973年-)はフランスを代表する現役小説家の1人だが、彼もボーダー・シャツを常用するBrest生まれのブルターニュ男でもある。

Tanguy Viel (2).jpg

 この作家もBritany男の伝統を受け継いで、古い暗黒映画を見過ぎて育った。作品は往年のフランス暗黒街映画の世界まんまの由。読んでみたいが、まだ手に取ったことはない。Napoli、Sicilia、Sardiniaの男たちと同じで、ブルターニュ男もこちらが敬意を払えば敬意を持って接してくれる。難しいことはない。


追記
過去3回しかいったことのない某店。某国の大統領時代、オバマ某が店に寄ったとかいうことでどえらく世間の評価が上がったけれど、店の中身は変わらないというのがいいわけだ。今日、入ったら、英語客の集まる席に押しやられ、出てきたギャルソンはもう俺とは随分の顔見知りになっていた。良く人の気持ちも分かっていて、とってもいいヤツなんだよなあ。やり直すとしたら、やっぱり俺はフランス語学科だなあ。白井浩司センセイ、お願いスルブプレ〜。

追記の追記
さっき昼飯を喰いに行ったら俺には英語のメニューが出て来たのに、遅れてきた連れには、いきなり隠し持っていた日本語のメニューを出すんだよ。客を如何にギャルソンが自分で判断しているかってことだけれど。
そいで、ここのギャルソン、俺の買ったのと同じブルターニュの船員のプルオーバーの色違いを着てるんだよねえ。エカイユも同じで。うーん、やっぱり、フランスのマリン系の服は男らしくて色っぽいねえ。気付かなかったけれど面白い。色んな点でフランスとはもっと一緒にできるところがありそうなんだけどなあ。浮世絵好きで、和食好き。昨日のランチも日本でいう定食の皿みたいなのが出てきて、お子様ランチのご飯の山みたいなのがあるの。これも、多分、日本の影響なんじゃないかなぁ。日本を好きな人、多いんだよねえ。もっと日本人が愛し返さないとアカン。
久々に“ビームスの岡田さん”としてはバイヤーズガイドを出したくなっちゃうニャぁ。
| 5今週の余糞 | 06:27 | comments(0) | trackbacks(0)
Life is going on...(5)
8月25日
Life is going on...(5)
 西の先端にあるBritany。古来、この土地は大西洋側に突き出していることもあり、冬には荒れた天候が多く、海の幸には恵まれていても、Parisからの交通の不便な土地でもあった。
 行ってみて驚いたのは日本と似た立派な松の並木道のあることだった。朝鮮半島でも同じことを感じるが、日本と似た枝ぶりの松があると外国と思えなくなる。海岸沿いを走りながら思い出したのは大船渡から気仙沼。さらに松島辺りの海辺の風景だった。

20170817 (松と入り江).jpg

 70年代の末から80年代にかけ、前後4回(79年秋、80年秋、82年初夏、84年秋)、フランスにばかり渡ったのが池波正太郎だ。長者番付の常連は、元々兜町の証券会社の小僧から出発したわけだが、使うところが違う。何も残らない旅に張り込んだのは粋なものだ。
 湘南のヨットハーバーに大型船を係留したり、高級住宅街に邸宅を構えたりしても、なーに、そんなもの、日本では次の世代には残らない。大きかった邸宅も、今は跡形も無く消え、マンションに建て代わっている往年の大芸術家の家は幾つもある。
 正ちゃんの家は、くじ引きで当たった裏通りの狭い敷地に家を建て直して使っていた。そうと知らなければ、絶対に分からない。そういう人だから、使う時はパッと使った。往復のファーストクラスの航空券を除いて2週間の旅行で400万円、3週間で700万円。日本から同行した佐藤隆介にキャッシュで渡した。そういう点も元は劇作家であるから、芝居がかっていてトッポイわね。
 「取っておきの“種本”とでもいうべきものがあった。(中略)一回目の旅で、たまたま泊まった一軒が[Relaise et Chateaux](P仙注:Relais & Châteaux)のメンバーだった」
 佐藤さんが「あの日、鬼平先生は何を食べたか」[NHK出版生活人新書]を出してくれたお陰で、我々は彼らが宿を選ぶよすがとしたものが何であったのか知ることができる。
 「厳密な資格審査があり、メンバーになるのはきわめて難しいらしい。日本にも二、三の会員がいるが、その一つが伊豆・修善寺の『能舞台がある宿』として有名な『あさば』と聞けば、ルレ・エ・シャトーの格式も察しがつくだろう」

      20170817 (Japon Tour掲載).jpg

 この会員の宿では、必ず世界中の会員の旅館と料理屋を紹介した冊子が置かれている。池波正太郎の旅した時代から40年近くが経ち、今では、アジアで日本が突出して会員が多く、札幌、金沢、京都、霧島まで、メンバーの宿と料理屋を回る旅のプランが巻頭で紹介されるなど、ここでも日本が大フィーチャーされている。
 今回の旅では、一夜、このメンバーになっている古城の宿にも泊まり、俺は白身魚のMerlanのベシャメルソース添えを堪能した。無論、大名旅行はできない身分だが、こういう古城は中々奥ゆかしい。喰う気満々で行ったからシャンパンで乾杯したらワインをバンバン頼んだ。

  20170816 (魚のソテー).jpg

 翌朝はオムレツに土地の旨いトマトとたまねぎを入れてくれと頼んだら、少年給仕が捧げ持って来たのはプレーンなオムレツにトマトとたまねぎを添えてあるものだった。フワフワでまことに旨い。こいつも手間をかけてかき混ぜたのだ。厨房の誠意に泣ける。
フランス料理が好きなら漁獲高最大の当地を巡らなければなるまいぜ。市場を歩けば丁寧な扱いと商品の豊富さに圧倒されること請け合い。漁師たちの矜持が嬉しい。



追記
それがその…先様は覚えているのに当方側の身内の方は覚えていないってのが面白いわねえ。まぁ、そういう記憶の峻別は例えば20年も経てばままあることではあるけれども申し訳ないような気がしますわね。俺自身にも同じような経験があって、先様は懐かしそうにしてくれるのに、こちらは全く記憶が欠落していることが何度かあった。

追記の追記
本日は大陸某所。その文化の爛熟した某所にて、Brittanyの話で盛り上がった。隠居して暮らすならあっちだよね、という話になって。Sardiniaの話でも盛り上がったわねえ。吉田健一の「ロンドンの味」を持参していて、Elliot Paulの探偵小説を持ち上げているのが引っかかった。日本に戻ったら読まなければ。吉田の健坊については俺には前からある仮説があって、近い内にその仮説を検証しに行こうと思っているのだ。Elliot Paulも夏目漱石も悩まされた冬の大陸の日照時間で神経衰弱にかかった恐れは十分にあるだろう。そして彼の志望していた方向性も面白いわけだわ。

| 5今週の余糞 | 14:29 | comments(0) | trackbacks(0)
Life is going on...(4)
8月24日
Life is going on...(4)
 Normandyを走り抜けたのはD-Dayとその後の攻防が俺にとっては旅のキモだった。
複数の国家の紛争を歴史家がどれほど壮大なドラマに描いたところで、突き詰めれば白人の間の人種的な偏見と憎悪とが激突した最悪の現場であったことは否定できまい。
 ナチス・ドイツのゲルマン優位主義が欧州を塗り潰した暁には、アングロサクソンも、ラテンも、第二層に押し下げられる。この恐怖が、例えば、作戦開始前には150万人のアメリカ兵を英国内に詰め掛けさせることにもなった。
 彼らこそ、このような民族・人種差別を、本国で、アフリカで、インドで、アジアの各地で、数百年に渡って続けてきた張本人たちだった。

20180814 (英仏戦争の古い要塞跡).jpg

 ドイツはその歴史上で遠地に植民地を持たない新興国家だったわけだが、西欧列強の各国が他の有色人種に対してやったことと同じことを自分たちに対してやろうとすると感じた時に、多大な犠牲を払ってまでこれを叩き潰そうとした。
 1960年代には、我が身内はNew Yorkの学生寮で、同室のIrish-Americanから差別された。しかし彼らも警官や消防士が多く、Italian-Americanと共に明らかにアングロ、ゲルマン系から差別を受ける側にあったそうだ。
 その後、日系アメリカ人は肩を寄せ合って暮らしたのは戦後間も無くまでで、その内、社会の中に溶け込んで目立たないようになった。人種の坩堝と言われたアメリカ社会で、少数移民が居場所を作り、溶け込もうとする上で、まことに賢い選択をしたものだ。

20180814 (英国方面を望む).jpg

 実際、歴代大統領で最も人気のあるJFKさえ、被差別のカソリック・アイルランド系家庭で育ち、大統領になった。JFKが押し進めようとした差別撤廃は60年代を通じて公民権運動として展開したが、運動の拡がりの中で多数の人の血が流れることになった。
 60年代を通じてRock 'n' Rollは自由主義社会の中で大きな力を持った。しかし音楽が社会を揺り動かす原動力になったのではないと想う。ヴェトナム戦争の反対運動と人種差別の撤廃を叫ぶ人たちと呼応した。社会の流れとポップスが合ったということだろう。
 無論、今は過去の教訓を踏まえて、そんな人種差別をあげつらう時代ではなくなってきているわけだが、それでもアメリカ合衆国で白人至上主義者が再び声を上げる状況が再来している。
 見るがいい。ヒットチャートに入る音楽は、男も女もセックスばかり歌い、ちっとも社会を動かす力を持っていない。社会を動かそうなんて考えて音楽をやる人もいない。
 面白いのが、近頃、和田アキコの「タイガー&ドラゴン」。「どしゃぶりの雨の中で」と絡み、ドス黒い昭和のジュークボックス演歌が脳内にしつこく鳴り響く。

「美空ひばり、ジャズを歌う」ジャケット。

 それでも、先日、行き付けの某Pubでかけたのは、The Only Onesの「Another Girl, Another Planet」だった。
 「アタシ、この曲、好き」
 店の女の子が俺に笑いかけた。色々なサウンドが俺の中で仲良く共存している。
 Paris郊外の藤田嗣治(1886-1968年)の終の棲家には、画家のレコード・プレイヤーが残されていて、美空ひばりのレコードも残っているそうだ。若い頃、シャンソン歌手のMistinguett(1873-1956年)と仲の良かった人も、歳を重ねてひばりも聴くようになったのだろう。
 ともあれ、D-Day Beachの訪問は、今後も様々な場面で考えるためのいいきっかけになりそうに想う。


追記
先日、某所で一杯やっていた時に、ポルトガルの男が俺のことを指差し、スペイン人とコロンビア人に話し掛けた。
「コイツラの軍隊は本当はものすごく強いんだけど、今まで、じっと黙ってきたんだよ」
そういう風に考えている人は実際にとても多い。センサーやCCD、カメラなどのハイテク技術は指折りのモノだから、さぞや軍事技術も高いものを持っているのだろうと考えているわけだ。
俺は黙っていたけれど、お隣の国の自慢の空母の実力は如何ほどあるのかということくらいは知っているわけだな。如何ほどって言ってるんで、イカモノって言ってんじゃないよ。オホホホホホホホ。
| 5今週の余糞 | 06:25 | comments(0) | trackbacks(0)
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