岡田純良帝國小倉日記

死ぬまで役人――どうしてそこまでやるのか(下)。
9月22日
死ぬまで役人――どうしてそこまでやるのか(下)。
 昨日からの続きになる。21世紀でも、コンサルタントになった元役人は、辞めた後でも根性は役人というわけだ。それほどロイヤリティーが強いのはどうしてか。特にノーパンしゃぶしゃぶじゃないけれど、財務省の高官が時の総理の気持ちを「忖度」までして堕ちた財務省の地位を高めたかった理由が――ヤング・フレンズには理解できないのだろう。
 確かに安倍内閣では素人目に観てもここ数年は経済産業省の天下が続いていた。だから、財務省、昔でいうなら大蔵省の影響力がすっかり地に落ちて薄くなっていたことを昔日を知る人には直ぐに理解できるが、知らなければ分からないだろうと想うわけだ。

      福田赳夫と大平正芳。.jpg

 ヤング・フレンズは今の財務省のなりふり構わないやり方を理解できないのは、役人の価値観と思考回路が理解できないのではなく、なぜ財務省のトップまでがそこまで必死になって失地回復を図ろうとしているのか分からないのだろう。それほど、財務省は今では目立たなくなってしまっている。金融なら黒田東彦(1944年-)総裁ばかり目立っている。
 大蔵省は日本の社会と日本人全員を睥睨していた時代がかつてはあった。当時の勢いを振り返る逸話はザクザクとゴミのように出てくる。
 梶山季之(1930-75年)の言葉を借りてみよう。
 「文部省の某局長が、予算をとるために、自分の子供のような主計官の肩をもんでサービスしたとか、文部大臣が暖房のない主計局の廊下に六時間も待たされたとか……エピソードは限りなくある」
 梶山の語る大蔵省で本流の主計局を歩んだ福田赳夫(1905-95年)の話を引く。満州事件の時には大蔵省の主計官であった。
 「専用機で善戦視察に招かれたことがあった。その帰途、関東軍参謀長だった東条英機が、朝鮮の平壌に用事があるとかで、専用機に乗せてくれないか、と泣きついてきた。
 そのとき福田主計官は、
 『平壌へは立ち寄れないが、京城には寄る予定だから乗せてやろう。あとは汽車で行け』
 といって同乗させてやったという」
 「樺太の部隊を視察に行った時には、専用車両を仕立てて、馬の放牧が見たいと言えば原野の真ん中で列車をとめ、事前に手配しておいた馬の交尾までお目にかけた」

        福田赳夫と王貞治。.jpg

 「釣りが好きだと聞くと、鉄橋の真ん中で列車を止め、汽車の窓から釣り糸を垂れさせたそうだ……」
 「これは福田赳夫氏自身が語っているから、嘘ではあるまいが、当時、飛ぶ鳥おとす勢いだった陸軍ですら、大蔵省の予算編成権限には、かくも低姿勢であった。ましてや今後の各官庁は、推して知るべしであろう」
 今は知らず、少なくとも俺の知る限りでは、20世紀までの主計局長は指定職九号俸で、他の局長が普通なら七号俸であることに引き比べて、明らかに高かった。それでも当時は誰もその不公平を質そうとする人はいなかったわけだ。
 今では大蔵省が予算をどう配分するかということよりも、将来、間違いなく縮んでいく国庫の中身の運用と、「円」の通貨としての影響力をどう維持していくか、先々を見据えた知恵の方が必要とされている。
 国が衰運に向かっている時、割り付けの才覚ではなく、まだ見えない大きなビジョンが見える才覚が必要とされる。日銀総裁の黒田東彦は、前職は東アジア銀行総裁であったが、この人物は、かつてのEU統合論者と同じようにアジアは共通通貨論者でもある。


追記
昨日は久し振りに八重洲方面。
静かに思いで話で始まったと想ったら、広島カープのマジック点灯話に触れた途端に球団経営者の月旦に展開して、急激にボルテージが上がった。国鉄とか西鉄とか阪急とか東急とか。西に東に飛び、それから古今のサッカーのプロ球団の立地と売買と変遷の話に雪崩れ込んだ。球団経営は人気商売だけに無類の血潮を必要としそうだわいねえ。
ヌーン。

追記の追記
なぜかまたまた出撃でっか?
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気になる本――本を読まない人は世に半分いる。
9月20日
気になる本――本を読まない人は世に半分いる。
 「共謀 トランプとロシアをつなぐ黒い人脈とカネ」[Luke Harding著 / 高取芳彦・米津篤八・井上大剛訳, 岩波新書]
 某ビルの地下にある飲み屋でのこと。
 「あの人たちはまだ元気みたいだな」
 「元気、元気、大元気」
 「佐藤○は分かってないよ」
 「そうですか」
 「あんなに元気なのに、把握できていないだろう」
 「地域が違うと興味無いんでしょうね」
 「だから官僚は頼りにならないんだよ」
 この人は70年代から、キューバ、グルジア(当時)、チェコスロバキア(当時)等の共産圏でショーバイを続けてきた人だ。
 「トランプでアメリカは大ミソを付けたぜ」
 「そうですねえ」

          「共謀 トランプとロシアをつなぐ黒い人脈とカネ」表紙。.jpg

 トランプとロシアの癒着に関する情報がネットで公開されたのは2017年初頭。
 ・ロシアは5年前からトランプを攻略して事業を支援してきた
 ・ロシア諜報機関筋によると、ロシア連邦保安庁はトランプのモスクワでの行動を通じ、
  トランプを恐喝できるだけの弱みを握っている
 といった内容だった。その頃、俺はまだLondonにいたわけだ。
 「アイツは“Golden Shower Boy”だっていうじゃんか」
 「そうらしいなあ。モスクワの高級ホテルで盗撮されたビデオもあるそうだぜ」
 「ソレを呑んだとかいう話もあるそうだなあ」
 LondonのPubで人々はそんな与太を飛ばしていた。まだアメリカ大統領に就任してはいなかったから、彼の就任を阻む最後の抵抗勢力の一撃だと想っていた。あの頃までは、Donald Trump(1946年-)は大統領に就任しないのではないかと何となく誰しもが感じていて、下ネタの決定打が出たと俺たちは騒ぎまくっていたのだ。
 「これってDennis Hopperの主演した『The American Way』のリアル版だねえ」
 「こんな時代が来るなんて、誰も想わなかったよ」
 「だけど現実世界では大統領選は終わっちまったからアイツは当選しちまった」
 「俺達にはCaptainもいないぜ」 
 その頃、著者は「Guardian」のモスクワ支局長。

        Luke Harding.jpg

 この重要情報は、2016年中に、情報を握っていたイギリス人元MI6諜報員のChristopher Steele(1964年-)からアメリカの主要メディアに個別にリークされていた。しかし各種の妨害工作にもかかわらず、大統領選では望まれない男が当選した。
 Christopher Steeleは、Donald Trumpのことを英米の両国にとって致命的に安全保障を脅かす存在として捉え、その観点から大統領選の進むアメリカのメディアにリークしたわけである。第1次の当事者であるアメリカのメディアなら、この情報を巧く処理して選挙戦を有利に進められるだろうと考えたのだろう。

          Christopher Steele。.jpg

 その結果、彼ら全員の思惑が外れ、Donald Trumpが大統領に就任したことであった。寒い国の諜報部では社会を上から見ない。正邪の理屈でも見ない。彼らの見立ては金と女と利権が全てで、常にストリートから人を見て、社会を見る。
 過去に何度か○○して連戦連敗、煮え湯を飲まされ、手口をイヤでも知る機会があった。理屈で人は動かない。気付いたらやられている。アメリカでも書籍を読むには有権者の半分しかいない。(インターネットイニシアティブ会長CEO・鈴木幸一評、讀賣新聞)


追記
本日も午後から雨の関東ですが、浮世の御義理で○池方面に。世間は広いようで狭いけど、狭いようで広い。来月の某方面謀議日程、ほぼ決定也。
| 10随想 | 06:06 | comments(0) | trackbacks(0)
「Joe Strummer 001」、9月28日発売。
9月16日
「Joe Strummer 001」、9月28日発売。
 別のことで忙殺されていたのだけれど、この件は気になってはいたところ。ところが、とうとう、どこからも原稿の依頼が来ませんでしたねえ。
 最近、来ても、サボってるけどさ。それにしても、死んでしまった男だけれど、このJoe Strummerのこと、日本の雑誌はどこか取り上げないのかねえ。骨を見せて欲しいわねえ。

「Joe Strummer 001」ジャケット。.jpg

[CD1]
01. Letsagetabitarockin' (2005 Remastered Version) - The 101ers
02. Keys To Your Heart (Version 2) [2005 Remastered Version] - The 101ers
03. Love Kills - Joe Strummer
04. Tennessee Rain - Joe Strummer
05. Trash City - Joe Strummer & The Latino Rockabilly War
06. 15th Brigade - Joe Strummer
07. Ride Your Donkey - Joe Strummer
08. Burning Lights - Joe Strummer
09. Afro-Cuban Be-Bop - The Astro-Physicians
10. Sandpaper Blues - Radar
11. Generations - Electric Dog House
12. It’s A Rockin' World - Joe Strummer
13. Yalla Yalla - Joe Strummer & The Mescaleros
14. X-Ray Style - Joe Strummer & The Mescaleros
15. Johnny Appleseed - Joe Strummer & The Mescaleros
16. Minstrel Boy - Joe Strummer & The Mescaleros
17. Redemption Song - Johnny Cash & Joe Strummer
18. Over The Border - Jimmy Cliff & Joe Strummer
19. Coma Girl - Joe Strummer & The Mescaleros
20. Silver & Gold / Before I Grow Too Old - Joe Strummer & The Mescaleros

[CD2 / 未発表音源]
01. Letsagetabitarockin' (Strummer Demo) - Joe Strummer
02. Czechoslovak Song / Where Is England - Strummer, Simonon & Howard
03. Pouring Rain (1984) - Strummer, Simonon & Howard
04. Blues On The River - Joe Strummer
05. Crying On 23rd - The Soothsayers
06. 2 Bullets - Pearl Harbour
07. When Pigs Fly - Joe Strummer
08. Pouring Rain (1993) - Joe Strummer
09. Rose Of Erin - Joe Strummer
10. The Cool Impossible - Joe Strummer
11. London Is Burning - Joe Strummer & The Mescaleros
12. U.S. North - Joe Strummer & Mick Jones
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何処にありや。
9月9日
何処にありや。
 1938年4月、中支戦線で捕縛された国民党軍女性兵士。名は成本鼻(24歳)と名乗った由。
 来月にはこのような早過ぎた人たちの消息も含めて、東京の某所で議論する予定。広い目で見るなら、彼女らも、大アジア主義の民族解放運動に関わっていたわけだ。
 今年3月に書評の束をお渡ししたが、10月にもたまった書評の束を書類入れに入れてお渡しすることになっている。書評に加えて、中園英助の北京を舞台にした小説も持参しようと思っている。
 彼らがあれをどう評価するだろうか。中園英助のような、どこにでもいる、学問にも、実業にも、本気になれず、小説書きなんぞに思い入れを持って北京でうろうろしていた人が、社会の実相を記憶して、また、土地の友達とも、複雑な友情で結ばれていたのだろうと想う。
 最近では、俺の場合にも、こんな歴史になってしまった昔話を、国を超えて議論ができるような友達とまだ友情が続いていることの有り難さを想う。
 ともあれ、この写真の彼女は、健在なら100歳を超えている。もう、この世の人ではあるまい。今、何処の星の下に眠っているのだろう。

1938年4月、中支戦線で捕縛された国民党軍女性兵士・成本華(24歳)(掲載).jpg
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おっとせいの遺言――平和ボケたちへの痛烈な最後ッ屁(中)。
9月9日
おっとせいの遺言――平和ボケたちへの痛烈な最後ッ屁(中)。
 さらにその約15年後、78歳の金子光晴(1895-1975年)が遺した文章を引きたい。
 「批判精神は、国民全体の利害を裏切る反逆として、簡単に片付けられる。今後起こる戦争を、前の戦争同様の諸条件の上に立たせることはいとも可能なわざである、その位なことは、反戦論者にもわからない理屈はない。この非力を認識しなければ、反戦の真のよりどころはない。しかし、今日の現実問題として、反戦論者は、じぶんの敵とすることに対する真の見通しをもっていない。うけねばならない筈の痛さについては、なに一つ痛感していない」
 「若い衆が怒りの神輿をかついでいるのと一様で、いざというときは、蜘蛛の子を散らすように散るより他はあるまい。強権者の側もまた、そうした国民を操縦することを知っていても、理解しようとする意欲はまったくない」
 「安保の問題にしても、当面のことなのに政府は、何故安保がなくてはならないかを、国民に納得させることを第一に怠っている。却って、防衛庁の方が白書を出して一般に納得させようと乗出す姿勢を取ってきた。反戦が不可能事で、ふたたび惨禍の渦に巻込まれないためには、積極的な軍備が必要だし、赤化から日本を守るためには、安保によるしか立場がないということを強調する軍部は、政府に命令して、もう一度国民皆兵令を敷くことになるのは必至であり、今日のひうまにずむ的心情的な反線路などは鎧袖一触であろう。反戦論が純情な学生たちの憂さばらしに止まっていることも損なこと」

  「面白半分 金子光晴追悼号」表紙。.jpg

 「あの戦争を書いたものはまだ一冊もでていないといっても過言ではなかろう。反戦反安保の運動は、口真似になって、実体となって燃えくるめいている中心からの補給がなければ、雲散霧消の運命を辿るしかしかたがないであろう。それを救うには、もっと如実な戦争体験をもとにして、どうして戦争がいけないかを研究してみる前に、どうして戦争が必要かを、人間の本性といっしょに一吟味してみなければ埒があかないのではないか。心情的な、あまりに心情的な、反戦論者のために」(『反戦運動への天邪鬼の憂さ晴らし』『天邪鬼』[大和書房]一九七三年刊)
 俺は職業軍人の孫だけど、やっぱり戦争はイヤだ。軍人にだって戦争が好きな人間ばかりではないだろう。日本の反戦論者は、半世紀近く経っても、全く変わらない。真の見通しも持っていなければ、痛さを想像することさえできない。
 「あの戦争を書いたものはまだ一冊もでていないといっても過言ではなかろう」
 この遺言は重い。金子がここで言っているのは戦後の戦記文学などのことではないだろう。起きた事象はあれこれ発掘されたが、日本人の間にあった空気まで描いた作品は無いということだろう。
 「からだの土嚢のやうなづづぐろいおもさ。かったるさ。いん氣な弾力。かなしいゴム。そのこころのおもひあがっていること。凡庸なこと」
 戦争を積極的に引き起こしたヤツらよりも、ダラダラと戦争が続くのを許し続けたこと。日本人全員が等しく背負わなければならない「見て見ぬ振り」があったわけだろう。
 北朝鮮の軟化の背景には何があったのか、反戦論者は考えたことがあるだろうか。議論にならない議論をしても詮無いことだが、彼らとは議論が噛み合わない。右翼も然り。だから「侮蔑しきったそぶりで反対をむいてすましてる」にしくはなし。

追記
本日これから上野の山に。

追記の追加
被災した家は放置され、風雪に任せっ放しになっているんだかど、整理するにも手間がかかる。例え思い切って全てを処分するにしても今の生活のペースでは難しい。ヌーンである。
| 10随想 | 08:04 | comments(0) | trackbacks(0)
おっとせいの遺言――平和ボケたちへの痛烈な最後ッ屁(上)。
9月8日
おっとせいの遺言――平和ボケたちへの痛烈な最後ッ屁(上)。
 反戦詩集として名高い詩集「鮫」(1937年)に収められた「おっとせい」からつまんで引いてみよう。
 「そのからだの土嚢のやうな
 づづぐろいおもさ。かったるさ。
 
 いん氣な弾力。
 かなしいゴム。
 
 そのこころのおもひあがっていること。
 凡庸なこと。
 
 菊面。
 おほきな陰嚢。

 鼻先があをくなるほどなまぐさい、やつらの群衆におされつつ、いつも、
 おいらは、反對の方角をおもってゐた。
 
 やつらがむらがる雲のやうに横行し
 もみあふ街が、おいらには、
 ふるぼけた映画でみる
 アラスカのやうに淋しかった。

 だんだら縞のながい影を曳き、みわたすかぎり頭をそろへて、礼拝してゐる奴らの群衆のなかで、
 侮蔑しきったそぶりで、
 ただひとり、
 反対をむいてすましてるやつ。
 おいら。
 おつとせいのきらひなおつとせい。
 だが、やつぱりおつとせいはおつとせいで
 ただ
 『むかうむきになつている
 おつとせい』」
 フランス人の姿を借りて、実は日本人と日本社会を徹底的に嫌った詩集は不惑を過ぎて書かれた。

    「鮫」表紙。.jpg

 その約四半世紀後の1960年は、日本社会の状況は全く違っていた。連日の全国的な安保闘争とデモ隊の国会突入、樺美智子(1937-60年)の死と、立て続けに夏までに大きな混乱が続いた。そんな夏を振り返り、65歳になった金子は現代若者論を記していた。
 「そこで僕は、なにをここで書くつもりだったのか。はやりもののビート族や、ヌーヴェル・ヴァーグについての僕らの周りの若い人たちの関心についてだったろうか。そんなことだったら、なにも新しいことではない。どんな次代でも、若い世代がきずれていることはおなじでチンピラや、ずべ公は、うようよしていた。僕らの時代にも、血ざくら義団や、銀杏組がいた。ニヒルな青年も多かったし、サーニン主義者もいた。老年共が頑張っていてたとえ反抗しても手も足もでなかった僕らの若い頃と違って、老人たちが取り返しのつかない失策をしたあとで、若者たちに手の内をよまれ、おおかた、やくたいもない、頭の回転のわるい小父さんに成下ってしまった今日、青年たちは、一応傍若無人で、のびのびしている」
 「青年たちに与えられた自由は変質して、明日は自由としてつうようしなくなっているのを知っていながら、彼らにはどういう処置もないのだ。それが『青春の憂愁』となって、街にみなぎっている。無為と、頽廃しか、遺されたものはない。その無為と頽廃をうまく手の平でころがすことで、活路を見出すよりしかたがない。つまり老年と妥協してゆくことである。だが、老年にみすみすたぶらかされたり、肝で冷笑することを忘れたりしてはならない」(『粗末な老年憂愁の青年』『日本読書新聞』一九六○年九月二十六日)
 若者は権力と妥協するより方法は無いだろうと書いているのは、金子の恐るべき二枚舌と人は感じるだろうか。俺は金子の言う通りだと想う。安保に反対すれば、赤化は免れない。当時、樺美智子の死は警察による暴行という説が野党から流布された。
 しかしその裏で、KGBの仕組んだでっち上げだという説は今も消えない。警察によって東京大学の女子学生がなぶり殺しにされたとすれば、世論はどう考えるだろう。どの勢力が同情を買って勢いづくだろう。日本は、共産党も社会党も、夢見るようなことを言うだけで、当時から情報戦では無力だった。
 分かり難いが、ここでは堂々と正論を若者に語っている。しかしその韜晦の向こうにある詩人の真心を理解できた若者は、多分、殆どゼロに等しかっただろう。開高健(1930-89年)さえ、反戦詩を書いていた頃は鋭敏だったのに、戦後は、何を言っているのか分からないと記しているほどなのだから。


追記
獄中からのアタックがまたまた近頃増加傾向のようだ。それもまたよし。昨日は戦艦大和話と「筋肉体操」話でグッと盛り上がったわねえ。女が観るために企画されたのが「筋肉体操」である、と。それは、オヂサンの考え過ぎのように想うけれど。オホホホホホホホ。

追記の追記
本日これから某所へ。昨晩は東京タワー下で、芝ボウルとか、東京ホンバーズとか、昭和な話で盛り上がった。今や東京の不良外人が接待で使う店があの辺りにあるとはね。高尾山の墓場の近くのナニがナニしてナンとやらだ。
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藤田嗣治――評価の有為転変。
9月7日
藤田嗣治――評価の有為転変。
 しつこいが藤田嗣治(1986-1968年)のことをまだじっと考えているのだ。
 例の「サイパン島同胞臣節を全うす」の件はじわじわとキテるわけなんだけれど、そもそもの俺なんかの藤田嗣治の出発点は、子供の頃の絵画の教科書は黒田清輝みたいな面白みの薄い模範生の画家の作品が中心で、藤田の絵が出ていないことにあった。

「サイパン島同胞臣節を全うす」(掲載)。.jpg

 不満もあるが、彼自身が、戦間期のParisの享楽の巷で一線で暴れていたということに、敬意と畏怖とを抱いていたことが、やっぱり大きかった。金子光晴(1895-1975年)とは全くそのあり方が違っているわね。

「BRUTUS みんな不良少年だった」(1981年8月1日)より (5)。.JPG

 絶対に教科書になんか出てこない禁忌。この1981年夏の「BRUTUS」の表紙は、藤田その人がエンピツのハリボテを小脇にくわえタバコで写っていて、文句無く、俺の胸にストレート直球のドンズバに来たわねえ。日本ならならず者のごくつぶし。中国の伝統の言葉で呼ぶなら破落戸か。
 レオナール・フジタの多面性には、汲めども尽きぬ豊かなものがあるわい。そこが魅力でもあるのだ。

 「BRUTUS みんな不良少年だった」(1981年8月1日)より (表紙部分)。.JPG

 向かって右端が薩摩治郎八(1901-76年)。最前列三番目が藤田嗣治(1986-1968年)その人。時流に乗った人でだが、時流に踊っていなかったことが、死後半世紀経って、ようやく世間の人々の心に落ちてきたということなんだろう。 時間ってのは味なもんだ。まぁ、30年もすると、すっかり人の評価も変わるものだ。

 「'Cas I Sez So」
| 10随想 | 14:00 | comments(0) | trackbacks(0)
2018年――気候変動と社会の変化の年。
9月4日
2018年――気候変動と社会の変化の年。
 昨日は17時過ぎに六本木を出たが、制服警官と要人の護衛のSPがヒルズ周辺の交差点に多数。目論見より遅れて、恵比寿駅前の某マーケットにてバインミーを3本買い求め、急いで小倉に向かう。
 (楽勝で帰宅だな)
 ところが18時前に品川駅のスカ線下りホームに降りていくと。
 (ややや!)
 早くも17時半過ぎにはホームに人が多数あり、数分の内にパンパンに膨れ上がっていく。次の電車で帰宅できるか危ぶまれるほどの人の数。危なく帰宅できなくなりそうだった。乗車率200%ってところ。車内で息もできなかった。
 今朝はこれまた5時過ぎに目覚めた。カーテンの向こうでパーっと火の玉が上がったような光。
 (ヌーン)
 それからズーンと地響き。雷の連続で目覚めたなと思っていたら、今度は地震。後から調べると震源は茨城北部というのだが、ベッドにいたので揺れは大きかったように感じた。
 「地震、雷、火事、オヤジか」
 上から2つがいちどきに到来してしまうのは初めての経験だった。そんなこともあって――今朝は、少し様子を見てゆっくり出た。

20190901 Mussels from Mont Saint-Michel! (2).JPG
 今年初めてのムール貝。 Mont Saint-Michel産のお気に入り。美味いなあ。フランスの
 漁民・農民のクソのつくくらいのあのひたむきな姿は、日本の我々に重なりますわね。

 今年の関西以西は災難続きだ。西日本では、広島、岡山、香川各地が大変だけど、ニュースでは地名を気を付けて見ていると、和歌山、大阪、京都、そして奈良の一部では、繰り返し、災害でやられている地域がある。
 誠にお気の毒だ。口だけでは何のアレにもならないけれど、心よりお見舞い申し上げたい。昨晩も犠牲者が何人も出ている。
 今年は、指を折って勘定できないくらい震災が続く。とうとう、JRと主要な私鉄各線では、無理な運行を止めて、予め翌朝の運休を発表する初めての年になった。これは大勇断だろう。我々も、その判断を尊重して、仕事や学校のために家を無理に出るのは止めることだろう。
 近頃の熱波と暴風雨の様子を観ると、アメリカなどで経験した大陸の激しい変わりやすい気候のようで、いよいよマイルドで温暖な日本のこれまでの気候の常識は通用しなくなりつつあることを強く感じている。
 アメリカでは、ハリケーンが近付くと、朝のニュースは防災一色になった。どうやれば家を守れるか、戸板を窓に打ち付けろとか、食料の前に飲料水を買っておけとか、自家発電用の重油や石油を買っておけだの、普段は笑い顔のキャスターが顔色を変えて叫ぶ。軍隊のある国らしい、具体的かつ実利的な「指示」が出る。
 平和ボケだった我々も、かの国の軍隊や自衛隊並みに、本気で自然災害へ備えるべき時期に来たのだろう。


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昭和ニッポン、平成ニッポン、そして?
9月4日
昭和ニッポン、平成ニッポン、そして? 
 今年の正月から讀賣新聞では「平成時代名著50冊」という企画を展開していて、平成時代30年間に出版された夥しい書籍から岡ノ谷一夫(1959年-)、梯久美子(1961年-)、牧原出(1967年-)の3名が選者となって名著を選ぶ試みである。平成はまだ終わっていないが、平成時代の書籍の振り返りと歴史的評価の第一弾だろう。
 想い出されるのは昭和が終わりで、「不測の事態の時には」といった通達が官民問わずにあらゆる組織で出されていたことだ。カーテンがある部屋はカーテンを閉めるだとか、国旗を半旗に掲げるだとか、バカバカしい通達が出て、笑ってしまうのは、華美な服を着るなとか、高価な宴席は自粛しろとか、飲食まで制限が出されたことだった。
 あの通達は敗戦前の「隣組」だとかの残滓であったかも知れない。何れにせよ、今なら、高度経済成長と2つの安保闘争を経ても、敗戦前の日本人と、昭和の末の日本人は何も変わらず同じ日本人で、どう逆立ちしても天皇の赤子だということを俺は実感する。
 それと共に想い出されるのは、平成に入って数年間、朝日、讀賣、毎日等の大新聞社が一斉に昭和時代を振り返る書籍企画をやったことだ。口絵カラー写真入りで昭和時代の全ての日に何が起きたか、一日一日を数行ずつにまとめた昭和史を出したのである。

小倉に保存されている「昭和Day by Day 二万日の記録」[講談社]数冊背表紙.JPG
  我が家にあるのは講談社刊の「昭和Day by Day 二万日の記録」であった。昭和25年の
  講和条約辺りからパンクロックの盛りの過ぎる昭和54年まで。四半世紀間しか俺には
  興味が無かったとはねえ。凡人はこんなもの。昭和の終わりを振り返ると時は経った。
  だが、心というものは本質的にそれほど変わっていないようにも感じられる。

 備えとして昭和の終わりには、密かにどの新聞社でも編集プロジェクトを立ち上げて、過去の縮刷版をめくり、例えば昭和23年10月8日の紙面のどの記事を選びどの記事を棄てるか、という気の遠くなるような作業に取り組んでいたのだろう。今、こんな本は図書館の書架に置かれていないと想う。神田の古書店でさえもお荷物扱いだろう。
 丁度その頃、俺は雑巾がけの若造だった。新聞社からは毎月新しい号が出版される度に、贈呈品として郵送されてくる、その重い包みを開封する係だったのだ。持ち重りのするそういう写真集は何冊も積まれ、誰も読まない。平成の初頭はそういう時代だった。
 神保町や神田辺の雑居ビルが潰されると、ゴミ捨て場に大量の書籍が積み上げてあった。書籍はバンバン捨てられ、それまでに見られない光景だったので印象に残っている。
 我が家には、当時の冊子から何冊か選び出して持ち帰ったものが四半世紀後の今日でも残っている。自分が生まれる前の昭和20年代末から50年代の前半までが中心だった。今にして想うが、20代の半ばの俺には精々その程度のスコープしかなかった。それから30年も経ち、今、気になる金子光晴(1895-1975年)の言葉を引きたい。70代末の言葉だ。
 「日本人は、もうすこし淫をたしなむようにした方がいいのではないかとおもう。日本人は小心で、現代のポルノ調の流行を、ソドム、ゴモラと考えているかもしれないが、すでに江戸末期には近親相姦も、69も、日常茶飯事となっていたし、そんなことは、むしろ二、三千年前の人類社会では屁ともおもわなかったことである」
 「文化は、むしろ、萎縮してゆくことの方が怖ろしい。一歩家を出ると、カチカチになって、うそで固めていなければならない。封建の江都だって、世辞でまろめて、浮気でこねて、といたっていたものを」(『日本人よ淫なれ』『天邪鬼』[大和書房]一九七三年)
 放浪三部作と比べ、晩年の筆は穏やかでも、根はふてぶてしいやくざ者だとよく分かる。金子には「人よ寛かなれ」(青娥書房, 一九七四年)もある。「淫」は「寛」と読み替えてもいい。昭和の後半、70代も末の金子と、平成の末に同じことを考えている。日本人は根本的に変わらないようにも想う――空しいが、懐かしく、また嬉しいことでもある。


追記
不逞の臣民・金子光晴(1895-1975年)のやくざぶりを考えると、真面目一徹な藤田嗣治(1986-1968年)などはどうかと考えたりもするのだが、金子は藤田の才能を恐るべきものだと観ていたことはその遺された言葉からも窺える。あの金子が藤田のデッサンの線は目の前のものをそのまま書き取る力があったと書いている。
金曜日以降、藤田の「サイパン島同胞臣節を全うす」が目にちらつくようになった。アメリカ軍側の情報を知っていた可能性があるという解説があったのだが、それはどうなのだろうか。
一旦始まった戦争なら、母国の勝利を祈らない者があるかと言った人で、その点では、特段、思想にも塗れていない明治男だったと言える。五族協和の思想教育・臣民教育の果てが民間人の玉砕になったと指弾することはたやすい。作品は、どちらの側からもどうとでも言えるが、軍人の殺し合いの果てには、民間人側に襲い掛かる災禍がくっきり捉えられている。極言すると、藤田の才能が、思想の議論を超えてしまっている。これはどうよ。ヌーン。

追記の追記
アクビ娘は京都に行くはずだったのに、今日は、大事を取って様子を見ることに。俺はこれから恵比寿で乗り換えて一日某所へ。「なのにあなたは京都へ行くの」って。俺も古いかいねえ。オホホホホホホホ。
| 10随想 | 06:08 | comments(0) | trackbacks(0)
今夏――フレンチの当たり年。
9月3日
今夏――フレンチの当たり年。
 先日は藤田嗣治(1986-1968年)展を観た後に某所に立ち寄った。
 前からシャルキュートリは手作りで美味いと思っていたのだが、改めて喰うとやっぱり美味かった。もしアンタがとっても呑みたい気分なら、この前菜盛り合わせだけで、一本は軽く呑める。ボリュームもあるが、それ以前に一つひとつが手作りで、味がしっかりしているから、酒が進むのだ。

某所シャルキュートリ.jpg

 こちらは仔羊のシチューで、これをクスクスと合わせたのだったけれど、この仔羊は、臭みが無くて、柔らかく、ストレートに、美味い!
 夜も遅かったので、あまり飲まなかったのだけれど、前菜も含めて、こういう皿が出てくると、ワイン呑みたい。
 今年は、島でもそうだったのだけれど、フレンチに当たりがあった。夏は魚介が美味いから、それも楽しんだが、いい時代になったので、夏が旬の魚介は、もっぱら家で楽しんだ。
 この辺りも日本の食卓の楽しみ方が変わってきたからで、学生の頃は、都会では新鮮な魚介を喰うことは敵わないものだと想っていた。随分時代が変わってきたものだ。

某所仔羊のクスクス. (2)jpg.jpg


追記
明日は朝から不良外人の巣窟、某地へ。帰りに写真集でも買って帰ろうか知らん。
| 10随想 | 19:56 | comments(0) | trackbacks(0)
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