岡田純良帝國小倉日記

Paul Cook――イギリスのオトコが心配。
5月18日
Paul Cook――イギリスのオトコが心配。
 俺の見るところ、この半世紀のイギリスで、歴代首相にはオトコがいない。チンポのついていない男ばかりで最早信じられないほど情け無い時代が続いている。
 半世紀の中で、2人、エライ人物が出ているが、1人目は俺が言うまでもなく、木春菊ちゃんであり、2人目は、今や皐月ちゃんだと断言できる。

Sid Vicious (3).jpg


 1人目は、英名なら、Margueriteちゃんで、2人目は、Mayちゃんである。
 彼らは2人共に、多分、オトコではないと想うけど、付いているのではないかと想うほど、立派な政治家だろうぜ。誰もやらない嫌われ者の仕事を引き受けて、国中から嫌われ続け、罵倒されている。
 あら還になってつらつら感じるのは、嫌われても引き受ける人のエラサで、分かっていても引き受ける愚直さだ。
 「BREXIT is NOT Punk」
 Paul Cook(1956年-)が俺に言ったけれど、この業界でそう言うことは、
 「原子力発電所は再稼動させるべきだ」 
 と言うに近いくらいのモノがある。
 彼は絶滅危惧種のオトコだろう。しかし、だからこそ、大丈夫かなあと心配だ。イギリスはダメになった。対岸の火事ではなく、我々のことも考えたいところではあるのだが。

              20181205 Play List.jpg
| 10随想 | 15:15 | comments(0) | trackbacks(0)
祝20周年――神戸元町通ちんき堂様。
5月15日
祝20周年――神戸元町通ちんき堂様。
 ちんき堂(https://chinkido.hatenadiary.org/)(http://chinkido.com/)の戸川昌士さんが店を開けてから、早くも本日で20年だという。
 神戸に身内が物件を手に入れたのが2003年の11月末。ということは、俺がちんき堂に通い始めて、早くも15年半という年月が経ったということにもなるわけだ。
 通い始めた頃は、まだ開店して5年というところだったか。それから随分年月が経ったわけだけれど、何時観ても、戸川さんは相変わらず戸川さんらいい佇まいで、とても70歳になるとは見えず、年齢不詳というところだ。

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 戸川さんの店には神戸に行く度に寄るのだが、その後で三宮駅北側の「赤萬」でビールを呑むかテイクアウトする、もしくは「エビアン」でコーヒーを頂いて漁ったブツを眺めて帰るのが神戸の街を歩く定番のコースになっている。
 もう、随分と前からそんなコースがお決まりだ。神戸は40代になる前から、中年以降の俺には服や書籍を買い漁る街だったわけだ。
 しかし乙仲通りはすっかり変わった。円安が定着してしまい、もう、個人経営のお店では、中々買い付けも難しいという背景が俺には見える。
 それと、京都見物で大阪には寄っても、神戸までは足を延ばす中国人客が少ないのは痛いところやでと口を揃えて明るい神戸っ子が言うのである。だからここ数年、服やナンやは神戸で買い物をすることが殆どなくなった。
 というわけで、残るは書籍である。
 想えば、ちんき堂で戸川昌子のインタビュー本を買い、「あまとりあ」の原本を手に取ったのだが、連休中、初めて戸川さんと少しだけ話をした。俺は関西圏の雑誌を欲しいのだが、そういう本が出ていないという話をしたら、
 「そんなこと考えもしたことはありませんな」
 と言われてしまった。そうなんだろうねえ、そこが東京に暮らす者の弱みで、戸川さんの立場が羨ましい。
 こういう店があることが神戸という街の素晴らしいところで、中華屋の広東料理の味が分かるヤツがどんなに街に少なくとも、それを差し引いても余りあるところ。オヒョヒョヒョヒョヒョヒョ。

         「助盤小僧」表紙。.jpg


追記
ツアー終了。これから調達。書を捨てよ、街へ出よう。
| 10随想 | 14:58 | comments(0) | trackbacks(0)
どっち派?
5月12日
どっち派?
 讀賣新聞書評欄の「どっち派?」はこれまで読者参加のコーナーらしく、傾向の似ている人気作家のどちらが好きか競わせて、結果的に各々の作家の作品を読者に勧めるような構成で永く続いて来た。
 連休中に出たのは昭和の女と平成の女を較べるというテーマで、角田光代「八月の蝉」恵理菜と有吉佐和子「硬骨の人」の昭子とが較べられているのだった。
 恵理菜は「万引き家族」のゆりのようで、確かに平成の女だが、昭子は昭和の女でもあるが、介護をしている女性は珍しくは無いという意味で平成の女のようでもある。

   20190428 讀賣新聞 どっち派?.jpg

 日本は生き難い社会だと言われるけれど、昭和もがんじがらめの世の中で、個々人の主張は言い難く、生き難く、結局は付和雷同とは言わないが、多数派に付くことを余儀なくされる空気はもっと今よりもずっと濃かった。
 平成は生き難いと近ごろでは当たり前のように口にされるが、多様性だとか、LGBTだとか、個々人の個性や性向は以前より尊重されるようになっている。
 経済成長が問題だと何故言わない。結局、景気が悪く、デフレが続いて来たからで、就職難と重苦しい雰囲気とでどちらかというと人間の問題に寄せられがちなところがある。
 政治は景気が全てだと勝海舟も論破している通りで、鼓腹撃壌の昔から、これは絶対的な真理でもあるのだ。今の中国は金持ち喧嘩せずみたいなところがあるからね、これ、ホントだぜ。

追記
これから最終的なパッキングして羽田へ。
| 10随想 | 17:33 | comments(0) | trackbacks(0)
西の楽しみ――雑誌あさり。
5月9日
西の楽しみ――雑誌あさり。
 トアも乙仲もすっかり様変わりで、この十数年のお楽しみも変わりつつある。
 店長さんが年下で、店員さんも子供くらいの年恰好。例えば細身のスクエアのタイを手にして見とっても、
 「それは60年代のネクタイでして」
 おおきに、せやけど――スクエアの、しかもニットではないタイを世界中で百本以上も買い集めてきたこちらに、もし解説をしてくれはるんやったらな、どこのどんな辺りで買い付けとるかくらい教えて欲しいなぁ。
 (つい、店の兄さんにグチ言うとんねん)
 もう、服は、あかん。
 それでも、下阪する楽しみのひとつは古書市で関西の雑誌をあさることだ。昭和の関西には静かなる文藝サークルだとか研究会なんか恐るべきグループがあったから侮れない。
 今回お茶の水女子大の構内に侵入していった男は56歳にもなってエバンゲリオンにかぶれていたアニメのオタクという話も聞いたけれど、あれはどうなんだろ。俺とは同世代でも縁が無さそうだけれど。
 先日はチンキ堂でも話し込み、他の店でも、行く先々でちょっと聞いてみた。
 初めての関西古書店めぐり神戸編やねん。平成が終わり、新しい時代が始まるタイミングではあったけれど、俺の日々はそれでも変わらへんもんねえ。
 今回は清泉堂も発見やったけど、元町通りの外れ、中華街の切れる辺りには間口の小さな古書店があるねんけど、ミステリーではソートーなもんやったな。俺はよう行かしまへんけど、神戸にもオモロイ店がポツポツあるな。

   20190430 (1).JPG
| 10随想 | 12:38 | comments(0) | trackbacks(0)
本日の朝食――いすずのパンの方が高級広東よりまだマシ。
5月6日
本日の朝食――いすずのパンの方が高級広東よりまだマシ。
 その高級広東料理ってのがあんまり「旨いでしょ」光線が出まくっていて腹が立ったのと、実際、清蒸のように不味くなりそうもない皿も不味かったので、
 「とても不味かったです」
 とよっぽど言ってやろうかと思ったけど、堪えた(by 高倉健)。
 マン直しに「のんちゃん」に行って「のんちゃん」名物の鶏しぐれを菊正宗の樽酒でやっつけた。
 今朝はいすずベーカリーの牛筋カレーパンとちょっと辛い焼きそばパンを喰った。神戸の庶民の味。美味かった。ダメなのはあの広東料理屋だけかい。気の抜けた屁みたいな皿を出しやがって、その内、地獄に落ちるがいいぜ。
 俺はマジで頭にきたんだもん。

 気の抜けた屁みたいな料理出しやがって!

20190506 (1).jpg

追記
「はくさん」で豚モダン喰って新幹線に乗りました。オムソバにすれば良かった。

ハクサンのお好み焼き。
| 10随想 | 13:26 | comments(0) | trackbacks(0)
令和最初の端午の節句――呑兵衛皆兄弟。
5月5日
令和最初の端午の節句――呑兵衛皆兄弟。
 本年令和元旦から篠山は丹波篠山と改名した。その篠山で見付けた名句、「呑兵衛皆兄弟」。これぞ男子の本懐で、男子たるもの、呑んだら胸襟を開き、底抜けに呑むべし。

20190503 (掲載).jpg

 そしてそこにさらに添えてあるもう一句。

「全ての事象は肴」

 丹波篠山には河合兄弟の家、五男の隼雄(1928-2007年)の生家を観に行ったのだが、聞きしに勝る大きな家であり、自伝にもあるが、河合の家は入院病棟も持っていたことがその外観でも了解できた。そして四男の迪雄さんの開いた歯科医院とすぐそばにある御自宅を観ることもできた。
 もう篠山は河合の一族で総合病院ができそうなほどの勢いなのだが、この話も、もう少し熟成させてから別稿にて考えたい。
 紀州和歌山市では、旧友に会った直後の5分ほどで、プリンスとの合併直後のハコスカと、ホンダのCB750K3らしき単車を続けざまに観た。和歌山市からは河合一族だとか和辻一族のような一族は出難いだろうなあと想うわけだ。
 転校生にとって、転校の先々で見聞きするものは、ある時は進化論を、ある時は退化論を信奉したくなるほど驚天動地の体験の連続だった。
 我らは環境決定論者であり、転校をしたこともない和辻哲郎が世界に先駆けて環境決定論を唱えたことは、世界を見据えた天才であったことの一つの例証でもあろうと想う。

「全ての事象は肴」

 「呑兵衛皆兄弟」と並びまことに快い言葉でありまするなぁ、御同輩よ。ウッフッフッフ。


| 10随想 | 15:13 | comments(0) | trackbacks(0)
P仙台南放浪――竹馬の友ではないけれど。
5月4日
P仙台南放浪――竹馬の友ではないけれど。
 台南州政府庁舎は森山松之助の設計によるレンガ石造りの重厚な建築物で、立派な建物ではあったのだが、こちらの方はいかめしい石造りの庁舎ではなく、官舎は官舎ではあるけれど、もう少し開放的な西洋建築だった。
 ウッフッフ。庁舎ではなく、台南州知事の住んでいた官邸だった。
 日本の統治時代には、様々な皇族が訪れて宿泊した建物でもあった――1923年(大正13年)、こうして、この建物にお泊りになったある皇族がありました。
 (ヌオーっ!)
 思わず近寄って肩を叩いてしまったのが、このお方。東アジアでこんなに敬愛されている国・社会は、他に無い。嬉しいことでありますわね。
 ということで、ビールも進み、美味いもんもたらふく喰って楽しかったですらあ総統。

P仙活動状況 (掲載).jpg

追記
阪南通過。 ヤバイヨネエ、ハンナンはな。中川一郎思い出すで。
天王寺から和歌山行き電車乗車。梅田と天王寺とで2本、目の前で扉が閉まり、乗りたい電車に行かれてしまった。その前に阪神の快速特急の車内で、隣の兄ちゃんにスカしっ屁をこかれたのがデカイか。顔が黄土色に変色して判断力が鈍った。やられたで。

神戸の兄ちゃんの屁は臭い。

児玉源太郎の大山巌の屁評を借りて言えば、こうなるわな。
| 10随想 | 20:42 | comments(0) | trackbacks(0)
Lyrics of That Song on the Muslin Long Sleeve Shirts。
5月1日
Lyrics of That Song on the Muslin Long Sleeve Shirts。
 質問を受けることがあるので、普段は忙しくてヤレてないことで、拡大シャシンを撮って貼り付けておきまする。ほぼ実物同寸のシャシンですらい。まぁ、そういうことですらい。

Sex Pistols Collection (4).JPG

追記
本日はこれから生駒の山に登ります。腹が減ってはイクサがでけんよって、イスズ・ベーカリーのパンを喰ってから参りますわいね。
| 10随想 | 13:22 | comments(0) | trackbacks(0)
熊野に飽いて――和歌山に参りまする。
4月29日
熊野に飽いて――和歌山に参りまする。
 中国本土に飛ぶのはこれが初めてのことで、行くまでは気にも留めなかった。しかし、帰る時にはこの先行く末を1人考えて、足を引きずるような思いで帰国することになった。真夏のことだつた。
 この旅の直前、2004年9月号で、「選択」はアンドレ・マルローが熊野に4度も行った話を載せた。
 (うーん)
 わらにもすがるような心持ち。その年の2月に、俺は皮肉にも不惑になっていた。そのくせ、獄中には、どうしても行きたくなかった。惑う気持ちがあった。確かに。
 生理的に気持ちが悪かった――幼い頃から、八路軍と便衣兵のゲリラ戦の話を読んできたし、うち続いた文革と、その後も続いた粛清とで、獄中の文化人と知識人とが、この世から消えたことを知っていたからだ。

20190429 紀ノ川渡る前に古い本で関西の予習.jpg
  買い集めていた関西本はもう20年も前の古雑誌になっていた。使えないけれど、これも
  今や平成の思い出の一つや。熊野と獄中は俺にはセットで想い出されるのも味なもの。

 その嫌悪感の中には、開高健(1930-89年)らが指摘した、彼らの古来からの人肉食の風習の話も含まれていた。
 (誰が頼まれたって)
 ところが、事態はそんなもんじゃない。現実には、遠く雲の上のおっさんから頭を下げて頼まれてしまった。
 薄給でかつかつ家族と糊口をしのぐ暮らしの中で、それは赤紙以上の強制力があった。
 (行けるうちに)
 だから熊野へは――それまで、佐藤春夫の「わんぱく時代」の舞台に行きたかったこともあって、とっとと行った。
 「自由にやってもらうことになりそうだ」
 行きたくなかった凍土に、来年から送り込まれることはもう終わった夏のイベントで分かっていた。
 (やれるうちに)
 まさか補陀落渡海はできないが、厄除けのお祓いは三山でできるだろう。
 またあの国士の田中清玄が、ナウなヤングの非合法共産党委員長時代に、将来の女房と潜伏していたのが紀州の果てたその先の新宮で、大弾圧で捕縛されたのもここだったことも良かった。
 日本の非人の坩堝、水平社の揺籃の地で、この逃避行の旅から、俺はモウレツな熊野ファンになったのだった。
 この時、つぼ湯に入ったんだけど、つぼ湯、世界遺産だって、ゆうべの「ぶらタモリ」でやってたっけ。往時茫々。
 今なら、どこの高位高官だって、公衆浴場のつぼ湯になんかゆったり入っておられめえよ。ウハハハハハハハハ。
 熊野の旅から数ヶ月、俺は凍土に降り立ち、スクラッチから始めた。国中の諸兄姐たちを訪ねて仁義を切りに行ったのである。遠い遠い昔だ。日本人も数多いだろうけれど、同じことをやった人間はかつて空前絶後とのことだ。
 しかしね、熊野の厄除けってのは、ダメだぜ。御利益が無かったものさ。遠い山の上までもお礼参りをしたのに、神官はあの時話したことさえ忘れていた。俺は大きな向う傷を顔に受けて、そして、背中には無数の銃創があった。帰国した時には、何より、精神に深い傷を負っていた。
 その後で、今日に至るまでの数少ない友情に恵まれたことは望外の喜びで、全く予期しないことでもあるが。
 ざまぁ見ろ、マルロー、俺もオトコや。隣の部屋の止め忘れた目覚ましのアラームで目が覚めた。今回、これから熊野には行けないが、テンノジ経由で紀ノ川を渡り、これまた30年以上前から付き合いのある古い友に会いに行ってきます。

   2004 「選択」記事クリッピング(熊野熱中時代)。.jpg
| 10随想 | 06:45 | comments(0) | trackbacks(0)
何処へ――行こけー。
4月28日
何処へ――行こけー。
 2年前に帰国して直ぐに神戸に行った折、入手したのがこれ。Technicsが作った神戸大阪京都のレコードショップのガイドやねん。ドヌーン。

   Kansai Record Shop List Recommended by Technics.jpg
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