岡田純良帝國小倉日記

今日の1冊――文学よもやま話(上・下)。
5月20日
今日の1冊――文学よもやま話(上・下)。
 昨日も触れたけど、池島信平の対談集を2冊揃いで買った。東京帝大を卒業して、初めて学卒採用をするという文藝春秋に入社した人だからねえ。20世紀の文学者は大抵頭は上がらない。
 池島さんが没後にまとめられたもので、74年に出ている。翌年には鬼籍に入ることになった梶山季之(1930-75年)が池島さんの葬式のことで泣かせることを書いている。ちらっと見ただけでドツボにはまりそうな本だ。

20180519 収穫 (2)池島信平対談集(上・下).JPG

 俺が古い本を読むようになったのは、きっかけがある。San Franciscoにいた30代半ばの頃、日本語の書籍に飢えて市の図書館に通った経験からだろう。得がたい期間だった。雑音に惑わされず、考える時間はタップリあった。
 高度経済成長期までの本が多かった。近所に古い日本の取次ぎもする書店があって、そこが日系移民の1世や2世のために全米に雑誌の定期購読を取次いでいた。身内も「文藝春秋」を定期購読していた。
 ドイツ人と何十年も世界中で暮らしたのに、連れ合いを亡くした後は、小さな和風の本棚が玄関にあって、英文のペイパーバックに混じって日本語の古い文庫本が置かれていた。
 あまりに時代が飛んでしまうと別だけれども、明治の末に生まれた祖父や明治維新前後に生まれたその親くらいの年代の書いたものだと、懐かしくなってしまう。そういう楽しみもあるだろう。
 今日はこれから某所にビリヤニ喰いに行って、それから恵比寿方面に。友だちのGuy Whiteが鋤田正義さんの映画に出ているそうだからねえ。冷やかしに行くかと思ってんだい。

「SUKITA」フライヤー。.jpg

追記の追加の追記
じっと考えていたのだけどこれからの日本人は是非外に出てにっこり笑う人であってほしい。力はなくとも、尽きせぬミリキ。そらが、かつこいいんだよなあ。
| 10随想 | 11:53 | comments(0) | trackbacks(0)
本日少々収穫あり。
5月19日
本日少々収穫あり。
 1984年に論創社から出ていた奥野信太郎随筆集。それと金子光晴、小沢昭一の宿題になっていた文庫、さらには、何と、池島信平が自社から出していた文学よもやま話(作家との対談集)上・下刊揃い。
 本日の収穫は他でもないこと。祖父・純良の形見の懐中時計を玄関のたたきに落として止まってしまい、何年か前に動くようにまで部品を再生して修理して貰った西荻窪の某店まで持ち込んだのだ。
 「おっと、これはもしかして」
 丁寧な対応で前も感じの良かったこの職人の店で、またまた驚きの事件があり、その場で止まっていたメカを修理して呉れた。あっと驚くタメゴローである。ヤング・フレンズ(新出)は意思明白了?、アハハハハハ。

20180519 収穫 (3)奥野信太郎.JPG

 ということで、中央線でも程度の良い文学書の集まる古書店の有数のメッカ、西荻窪まで足を伸ばしたのだった。
 いやはやすさまじいね。文庫なんか買ってらんないよ。奥野さんの随筆集なんか厚さ5cmくらいもある。池島さんの対談集は帯もバッチリきれいで、人の手垢が付いてないわけ。如何にいい読者が大切に保管していたか分かるわけ。
 俺はセドリ男爵じゃねえけど、キレイで文庫になんかなりそうもない対談集を観ると、ムラムラとなるわ。
 それが100円。たった100円で放出されていて、泣かされた。安岡章太郎、山口瞳の単行本も、どっさり出ていた。昭和がどんどん遠くなっていく。
 ゲットできたのは嬉しかったけれど、本が放出され、結局、誰かの手に渡るものもあるけれど、殆どの書籍は処分されてこの世から消えていく。
 実際に昭和時代に盛んに書いていた人々の存在は文字通り小さくなっていくことを考えた。平成30年で昭和時代も潮時ということなんだろう。

追記
阿炎はいいねえ。おっかさんの話も泣かされるけれど、寺尾の錣山が親方なんだなぁ。蔵前では20歳の錣山のケツを叩いた男は俺くらいのモンだろう。その頃から、ケツ友じゃけえ。ウハハハハハハハハ。阿炎、頑張れ。遠藤休場の間に男になれい。なれい、なれい、なっちゃれい。

| 10随想 | 21:18 | comments(0) | trackbacks(0)
Amsterdam(下)――あの男の育った街。
5月19日
Amsterdam(下)――あの男の育った街。
 今回、俺の仔分になったのは2人のRené君。1人はAntonius Geesink(1934-2010年)で有名なUtrecht出身。Above Lineの男の身長はGeesinkと同じ2m。30代半ば。頭骨も後頭部と前頭葉が大きく張り出している。
 それに対して、もう1人のRenéは、俺より小柄。頭骨は細く長くIndic Riceのようで、年齢も俺より10歳ほど年下で相方のチームを率いている。デカイ方はデカRenéで小柄な方はチビRenéと呼ぶことに決めた。
 初日の会食は美女2人だけで楽しいなと想っていたら、20時近い時間に、わざわざ俺と顔を合わせるためだけに一度戻った家からわざわざ出て来た。

Amsterdam Records Shop Tour (3) Waxwell Records.jpg

 美女2人がデザートの前にトイレに消えた後だった。
 「ボクは昔、キヨシローの」
 2本目のワインのボトルを空けようとした時、突然、René君の口から、「キヨシロー」という日本語が出て来たので驚いた。
 「委託研究生でもあったので随分楽でした」
 聞いてみると、1年間国分寺の南町に住んで、一橋大学に通った交換留学生だったことがあると言う。
そして、「キヨシロー」こと忌野清志郎(1951-2009年)は、国分寺の育ちだと知っていた。
 「国立の南口側は関東で最も美しく整備された街並みだよな」
 「私のジンセイで最も幸福だったのは国立時代です」
 だが、キヨシローからは話は発展せず、俺たちは東京のトンカツ名店はどこか、という具体的な話で盛り上がった。
 ホテルに戻ってから想い出したことがある。キヨシローは国分寺の生まれではないが、育ったのが国分寺だったことで。
 (そうだったなぁ)
 Londonの医家の家柄に生まれた生粋のイギリス人なのに、Amsterdamが男にしたのがあの男だった。しかも、死んでから随分と長い時間が経っているのに再評価もされない。
 それがJohnny Thunders(1952-91年)やMichael Monroe(1962年-)とセットで語られて、俺にとって今でも不当に評価が低いままのRené Berg(1956-2003年)のことである。

Amsterdam Records Shop Tour (5) Rush Hour Records.jpg

 実際René Bergの本名はIan Bruce。面白くも何ともない。だがRené Bergと名乗ると、Holland辺りで育った無国籍の流れ者のイメージが出てくるわけだろう。
 逆説的には、Londonで勝負をし続けたら、こんな怪しい芸名を名乗らなかっただろう。René Bergと名乗ったことが、今も不当に評価を低くしたままにしているのだとしたら、取り返しのつかないことになった。
 だが、そんなことは、本当はどうでもいいことだけれど、それでも気の毒とも想う。
 ハッキリしている事実は、Amsterdamが彼の名声を確立した街であったことだ。Amsterdamに暮らし、演奏を続けたことで、René Bergは表現者としてのキャリアを積むことができた。
 人を追い詰めて殺すような街よりも、人を育てる温かい街の方がといい。Amsterdamはそういう雰囲気がある。
 「San Franciscoと似てますよ」
 90年代にツアーで何度か訪れた、元Drop Nineteensのモトが言っていたっけ。俺も、モトと同じような印象を持った。何でも曖昧にしておく国際都市。昔の上海も印象が近い。また来るぜ、Amsterdam!


追記
Amsterdamとはその後付き合いが深くなって、今でも毎朝毎晩付き合ってんのよ。拳銃の話も出たけれど、ハッパではアメリカに先んじて合法になったからねえ。だけどキメたデッカイおっちゃんが、でっかいチャリを全速力でこいでいるのはオッカナイわねえ。

追記の追記
純良じいさまの形見分けの時計がまたまた壊れた。今度は俺が床に落として止まっちゃった。何だか情けないわね。これから入院させなくては。しかし最早治癒不能かも知れず、ちょいと心苦しいわねえ。

追記の追記の追記
Ian BruceがRene Bergの本名と知ったら、“小倉の料理番長”は言った。

「アハハハハハ。結構ショッパイ名前だねえ」

Sid ViciousはJohn Ritchieだし。
| 10随想 | 06:54 | comments(0) | trackbacks(0)
相撲の行方――どうなる、国技。
5月18日
相撲の行方――どうなる、国技。
 先日の日本武道館の全日本柔道選手権でも感じたけれど、純血の日本人なんてのは、幻想で、もう、各種の異国の血が、とりわけ分かり易いスポーツでは混じっていて、目立っているわけだ。
 格闘技ではそれが段違いに出やすくて、海外からの取的もいるわけだが、日本人のなかにも、片親がガイコクジンというケースは珍しくない。大鵬がそもそもそうだったわけだからね。
 今場所もいろいろあるけれど、遠藤の人気はずば抜けていたわね。勢とか隠岐の海は、どうも夜の街の玄人筋には受けが良いけれど、一般にはそうでもないのには拍子抜け。
 楽しむにこしたことはない。2001年に帰国した時には、武双山も雅山もいる中で、安美錦が目立っていたものだ。若武者は今や彼は疲れきって年老いた老犬のように見える。孤軍奮闘。あれから二十年近い年月が経っている。
 彼は良く闘ったと想う。安美錦の両足に巻いたサポーターを観ているうちに、ジワジワと込み上げるものがあり、ちょいと情けなかったぜ。我ながら。オホホホホホホホ。

   20180514 五月場所(4).jpg
| 10随想 | 19:56 | comments(0) | trackbacks(0)
Amsterdam(中)――臭いにおいが取れないよ。
5月18日
Amsterdam(中)――臭いにおいが取れないよ。
 土曜日は1日時間を取って、街を散策した。運河の街で、中央駅は運河の脇。Lisbonのような感じでもあるし、つまりは海運で栄えた国らしくもある。
 海抜マイナス3mという場所があって、屋根の上を川のような運河が流れているわけだ。江東区のゼロメートル地帯などその細い運河を引っ切り無しに観光船が行き交っている。
 そして、街の中心部に行けば行くほどハッパの燃える臭いが至る街角でも感じられる。San Franciscoの往年の市民イベントでも、ここまで強く淀んではいない。副流煙でトンでしまいそう。いやいや誇張無しにホント。

Amsterdam Records Shop Tour (1) Red Light Records & Radio.jpg

 トラムに飛び乗り、1日乗り放題券(7.5€)を買うと、街が小さいだけに、どこに行くにもとても楽。San Franciscoのバスと路面電車、ケーブルカーと同じ伝。こちらは平地だけど、公共交通が発達している。
 また、大型のチャリに大人も子供も乗っている。大きな自転車屋が街の至る場所にある。武骨で、ハンドルバーがグッと上にせり出していて、日本のママチャリの骨組みを1.5倍に太くして、サドルの位置も1mほどの高さにすればイメージに近くなる。
 そして、トラムと乗用車・オートバイのレーンとに分かれ、さらに自転車専用レーンが人の歩く舗道の脇に必ずある。慣れないと何時の間にか自転車専用レーンを歩いていて、後ろからチャリチャリと警笛を鳴らされて驚いたりすることになる。
 この日はとても良く晴れていたのだが、最高気温はマイナス2℃である。ここいらでは、最低気温になるのは明け方で、マイナス7℃程度まで下がった。
 時差ボケでもベッドに入ってしまわないと、部屋が猛烈に寒くなってくるから恐ろしい。深夜の何時かに館内の集中暖房を止めるようだ。
 この日は、俺は教えてくれる人があったので、有名なレコード屋巡りをしてみたのだ。予めGoogle Mapに入れておけばそうそう道に迷うことも無い。本当にいい時代になった。
   (1) Vintage Voudou (https://vintagevoudou.com)
   (2) Studio Red Light & Radio (https://www.redlight-studios.com/)
   (3) Rush Hour Records (http://www.rushhour.nl/)
   (4) Waxwell Records (http://www.waxwell.com/)
   (5) Distortion Records (https://www.distortion.nl/)
   (6) ZAP Records (https://zaprecords.bandcamp.com/)
 行ってみるとこれらの全てが店を開いていたわけではなく、(1)は閉店したらしく、(2)もRecords Shopはもとより営業していないようだった。

Amsterdam Records Shop Tour (2) ZAP Records.jpg

 (3)は店のDJがTokyoのイベントにも参加するようで、誇らしげにイベント用に作った幟のようなものがディスプレーされていた。店の名前は古い飛び道具に由来しているのか。
 (4)はお元気な店主と若い客の間で面白い会話がポンポンされているようなお店だった。周辺は古着屋と雑貨屋が多く、隣の古着屋の趣味は良さそうだった。
 「オランダ語?、英語?」
 ゲイの店主に招かれて、あやうく米軍の砂漠のキツネ作戦の砂漠用の迷彩ジャケットを買わされそうになってあわてて逃げた。
 小さな画廊もある。しかしウィーンのような高額商品を売り買いするような店は中心部では見なかった。学生の延長のような気分で暮らしていけそうな街でもあった。もっとも、リーマンで屋台骨が潰れたABN AMROの本拠があり、巨大看板が大きな石造りの建物の屋根に掲げられていたのにはアッと言わされた。2015年に復活していたのだった。
 レコード屋巡りの中で特筆すべきなのは(5)であろう。
 この店には驚かされた。長くは続かないと想う。興味があれば行くが良かろう。俺は、林忠彦(1918-90年)の撮影した坂口安吾(1906-55年)の仕事部屋を反射的に想い出した。

Amsterdam Records Shop Tour (4) Distortion Records.jpg


追記
昨晩は某所から○○神社方面。家は着々と変貌しつつあって、昨晩もここはどこ、誰のオタクか知らんというくらいに変わってきた。ぬーん。北朝鮮方面はどうなるのか知らん。プーチャンの心変わりなのかどうか。北方領土は返還されることは暫くは無さそうだわねえ。日本の政治が秋にはしばし混乱して、その後で支持率の高い強い内閣が誕生することができるのか知らん。誰がやってもいいけど、対外的にはしょっちゅう変わらないことと、主張の一貫性が望まれるところだけれど…。ってなことを神社の裏で謀議・密談・悲憤・慷慨・絶叫・嗚咽・沈黙・帰宅。
| 10随想 | 06:46 | comments(0) | trackbacks(0)
Amsterdam(上)――City of Londonの最大の敵。
5月17日
Amsterdam(上)――City of Londonの最大の敵。
 全てが白い零下10℃のHelsinkiから降りていくと、Hollandは雪にまだ覆われていない土地が拡がっている。夕焼けに街全体が輝き、美しい運河の間に浮かんでいることがよく分かった。
 Schiphol空港ではよくある「Luggage Claim」ではなく、「Luggage Hall」という表示だ。行ってみると、直ぐに気付いたのはシール。
 回転コンテナの上部の黒いゴムの上に街中のレコード屋や、イベント・スポット、書店、料理店のシールが無数に貼ってある。意識的に貼っていなければあんな数にはならない。街のノリが感じられて面白い。
 空港周辺には郊外型のAmsterdam Financial Officesがある。ガラス張りのオフィス・ビルが林立していて、いわゆる壁面パネルが貼られていない、全面のガラス張り。これが驚くほど美しい。

20180224(掲載1).jpg

 務め人が引いた後のオフィスの中は椅子からオフィス用品まで全部丸見えになっている。オフィス・ビルの複合施設が全体にキラキラと金色に光って、幻想的な空間になっていた。これまのLondonがくすんで煤けた景観だったので、なおさらきれいに見えるのだろう。
 (コイツが)
 例のBrexit以降は、LondonのCenterにとって、欧州では最大のライバルになったのは事実だ。Schiphol空港は市内に極めて近く、ING. Groupをはじめ、Financial Officesの中心で大きな事務所を構えた金融機関にとり、右から左に資産を移して儲けるには絶好のチャンスでもある。

20180224(掲載2).jpg

 だから外国人向けのサインもどこでもとても見易くできている。Hollandは世界で最大の物流大国を目指して努力してきたから、それも分からないではない。客は到着して荷物をピックアップすると、建物の床にタクシー乗り場まで案内表示がまるで人の足跡のようにずっと続いているので迷いようが無い。
 駐車場の手前に大きなタクシー乗り場。殆ど人は待っていない。この日俺を待っていたのは白い新車のTESRAと不釣り合いにゴッツイ体付きの禿頭のドライバーだった。何とも面白い運転手だった。車内で小さくかけているのはハウス・ミュージックとアンビエント・ミュージックの融合したようなサウンド。
 「ダンナ、事故ですぜ」
 突然、合流地点で流れがノロノロになって20分。5車線のド真ん中に立ち往生した車が停まっている。
 「あのCITYが!」
 よく目をこらすと90年頃のHONDA CITYのようだった。運転手は舌打ちした。
 そう、港の方には、HONDA、NISSAN、SUBARUの倉庫があり、街の中にはKYOCERA、三井物産等の主要拠点がある。ヤツもHONDAをよく知っているのだ。
 「ダンナ、お気を付けて」
 禿頭に入れ墨でも入れていそうな体付きだが、消え入るように小さな声で、不思議な男だった。San Franciscoにいそうな男でもある。


追記
外は嵐で室内は暑く、中々眠れない。このため眠気が酷くて朝起きるのが辛い。本日も4日連続外呑みデスラー総統。某団体の理事会。ヌーン。

追記の追記
そうそう、近頃になって、とうとうBREXIT後の動きは顕著に出てきていて、知り合いでLondonを離れるEU圏内の別の国の出身者が続出している。イギリス国内でのショーバイも厳しくなるし、その一方で仕事が対Londonでも増えるという見立てなんだねえ。しかしそこには関税という大きな障壁が出てきて、果たしてイギリスと周辺国では、互いに口で言っていることと見ている夢の係数は違うのではないかとも想うわけだ。淋しいけれど、お別れね、という話。大人の関係だわねえ。オホホホホホホホ。
| 10随想 | 06:32 | comments(0) | trackbacks(0)
フテくされた週末――魚介喰って寝るしかねえ。
5月13日
フテくされた週末――魚介喰って寝るしかねえ。
 喉が痛くって何もやる気がしない。喰っても美味くないし、寝ても喉が痛い。
 どういう痛みかというと、よくある扁桃腺を腫らした時の痛みに近い。だけど、そういう喉の痛みが朝方にあっても、うがいをしたり、喉飴を舐めたりすると、俺の場合には、直ぐ痛みは薄れたりして気にならなくなるもんだ。
 それが、こいつはなにをどうやっても痛みが引かないわけ。

20180512 某所で (掲載刺身).jpg

 外出の予定も全てキャンセルして家にいてツマランことをあれこれ。知っての通り、リフォーム中だから、寝室にあらゆるブツが積みあがっていて、足の踏み場もないよ。そんな環境にいて、コイツは辛いわけよ。テレビも仕舞い込んだから、今は観られない。
 こうして酒でも呑みながら魚介でも喰って寝るしかないよ。あすからまたクソったれに忙しくなるって訳だよな。
そんな中で、辻静雄の「料理に『究極』なし」と梶山季之の「日本の内幕」を入手して嬉しい。北米線の往復もこれで。
 機中でこういう話題作も観る予定でおるけえ、まぁ、待ってんしゃい。呉に初めて行ったのは昭和60年じゃけえ、63年ではないのう。呉の諸兄は随分エキストラで出たそうやないの。オホホホホホホ。
 喉が痛くてもう、俺、泣いちゃうよ。リフォームで、多分、木材から出るガスに対するアレルギー全開なんだ。

「孤狼の血」フライヤー。.jpg

| 10随想 | 12:24 | comments(0) | trackbacks(0)
男の楽園――戦争とスカトロジー。
5月8日
男の楽園――戦争とスカトロジー。
 ナゴヤコーチンから少年ジャンプの読者プレゼントで当たった「スナミ先生のMetanko Clubバッジ」が贈られてきたわけなんだがや。
 梶芽衣子の教戒師。こんなバッジを隠し持っとってから、昔昔のブルーフィルム時代の「痴虐」を想い出させるわ。北鎌倉の全国指名手配という輝かしいご経歴をお持ちの某国立大卒の某さんから頂いた雑誌をせっかく手渡そうと取っておいたのに拒まれてしまった。
 「これはアカンて」
 ヌーン、俺に昔はいろいろ呉れたのに。あれとかこれとかそれとかどれとか。

           Metakuso  Badge.jpg

 ところで、1998年にC2C(Coast to Coast)な旅をした時のRock 'n' Rollなシャシンをちょいと上げて行こうかとも想う次第でありんす。アクビ娘は5歳。俺はまだ30代前半だった。

1998 USA C2C Rock and Roll Music Roots Tour (掲載1).jpg

 女は戦争の話とスカトロジーには興味が無いというのは開高健(1930-89年)の名言だ。どこの世界の女でも、戦争とスカトロジーの話には乗ってこない。どこのどの世界のどんな階級の女でも。
 「つまんねーヤツだなあ!」(by チコちゃん)
 というわけで、やっぱり男同士は最後は戦争とスカトロジーに萌えるかいのう。ウハハハハハハハハ。
 
| 10随想 | 17:49 | comments(0) | trackbacks(0)
耐小生活準備万端デザイン研究所。
5月7日
耐小生活準備万端デザイン研究所。
 5月末まではリフォームでテレビは仕舞い込むし、ダイニングテーブルまでバラしてしまった。眠る場所まで書籍や何やの荷物が押し寄せて来てヤバイ。パソコンまでろくに使えないかも。そいで読書位しか楽しみが無い。

   20180420 トイレ便器交換工事終了。.jpg

 古書市があると立ち寄るし、古本屋が目に入ると時間があれば眺めに入る。普段は禁じ手にしているのだけれど、読書でそういう諸々の心理的な重圧を散らそうとしているわけさ。

20180504 リフォームの準備万端.JPG

 その後、また文庫本が増えつつあるのは、長旅が2つ、今月末から来月にかけて入ったからだ。映画を観ても時間を潰せるのは長距離の航路1往復位で、短期間に2度続くと観たい映画はもう無いわけで。
 これも旅の中で付いた知恵だけど、俺のこの旅の生活もそろそろ先が見えてきた。旅も5月と11月の季節労働の旅が中心になって、しかも、大都市を1泊ずつツアーする慌しい旅ばかりになっていく。
 New York、Boston、Chicago、San Franciscoという北米篇が中心。香港、シンガポール、シドニー、メルボルンといったアジア・オセアニア篇がもう1つの選択肢。さらにロンドン、エジンバラ、アムステルダムなどヨーロッパ篇がもう1つある。これがあと4〜5年続くかどうかといったところかな。
 旅と言っても、朝から夕方までキツイ時には6〜7件のミーティングが入れられてしまう。コイツはタフ。買い物をする時間もできないし、身内に会う時間さえ取れそうにもないほど忙しい旅になるぜ。
 シノギで喰っていくのは、幾つになっても、カタギの世界でさえも厳しいもんだ。年々歳々、強く実感するようになった。
 というわけで、こうして耐小生活への準備万端デザイン研究所。
| 10随想 | 14:50 | comments(0) | trackbacks(0)
耐狭生活開始直前。
5月6日
耐狭生活開始直前。
 ダイニング・テーブルを解体して、デスク回りのあらゆるブツを寝室に押し込む作業も完了した。ダイニング・テーブルはどうしたかって?、ベッドの下に押し込んだ。
 尊属殺人犯で殺した親の遺体をベッドの下に押し込んでたのが時々いるけど、そういう話を思い出しましたわね。例えが悪いって?、あらごめんあそあせ。氏育ちがそうさせるのよ。Davil Made Me Do Itなのよ。オホホホホホホ。 

   20180506 ダイニングテーブル解体 (掲載).jpg
| 10随想 | 15:12 | comments(0) | trackbacks(0)
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