岡田純良帝國小倉日記

Hemingway・Forsythも結構――だけどBalzacは忘れずに。
倫敦日記’17(第十六弾)
4月30日
Hemingway・Forsythも結構――だけどBalzacは忘れずに。
 「Outsider」[Frederick Forsyth著・黒原敏行訳, KADOKAWA]
 Frederick Forsyth(1938年-)の自伝を毎晩1話ずつ課したが、ガマンできずに、日によってバンバン進んでしまう。
 作家だから嘘のつき方が巧みだ。そこに乗せられてしまうわけだ。それもまた良し。嘘の上塗りで面白かった冒頭の主な部分をネタバレで。 

  (1)少年時代は小太りでどちらかというと鈍重
  (2)Public Schoolでは教師のイジメの対象にさえなった
  (3)語学は両親の配慮でフランス語とドイツ語は小学生で「現地」習得
  (4)17歳でスペインのマラガのグラナダ大学分校に語学留学
  (5)語学研修をサボって闘牛士養成所に通ったのはマラガ
  (6)筆オロシの相手はマラガのドイツ人元伯爵。17歳だった

 この冒険譚で83ページ。本文はあと290ページもある。最高に読み物として面白い。今の俺の生業に直結している歴史的・文化的な利害関係の描写は強烈だ。そこは上には触れていない。俺の企業秘密だからさ。アハハハハハハ。
 ともあれハッキリと分かるのは、両親がリキを入れた異国での単身の語学教育が彼の人生を決定付けたことだ。
 俺の周囲でもこの両親のような考え方の人物がいるわね。有名学校の高等教育もさることながら語学によって幅広い教養を子息子女に身に付けさせるのは宝石を買い与えることと同じくらい大切なこと――そう考える人たちだ。
 分かり易いことを書けば、彼は奨学金を貰えるCambridgeへの進学を蹴って、商船学校出身の父はそれを是とした。
 両親の教養・判断は真の社会経験に基づくものだわね。なまなかな人間ではできない。彼ほどの人生を送った人間でも両親に感謝し続けているのは、そういう大切な場面で、両親は子供の真意と深い決意を信じ続けたからだ。
 歴史的には、30年戦争だとか100年戦争だとか、人間はどれほどまででも愚かしくなってしまう事実がヨーロッパにずっと続いていた。社会的な地位とは無関係で、その意味を深い部分で分かっている人たちはいるわけよ。
 面白かったのはデブで鈍重だったForsythセンセイも、やっぱり闘牛士に憧れたことだったな。20世紀の前半は、飛行機乗りと闘牛士は男の子の夢だったわけだからねぇ。ちょっと世代的に遅れてきた感じはあるけれど、さ。
 17歳のForsythセンセイはErnest Hemingway(1899-1961年)の「午後の死」からVicente Ibáñez(1867-1928年)の「血と砂」まで。貪るように闘牛小説を読んで闘牛士に憧れ、ついでにドイツ人伯爵夫人にも乗っかっただね。天晴れ、天晴れ。
 だがね、同時にその文章から感じられることがある。飲み食いの描写が殆ど無い。

   Balzac愛飲のVOUVRAY産白 (1).JPG
Balzacセンセイが毎晩呑んでいたのがこちらの白だってんだよな。近頃は10ポンドせず
手に入る時があるからなるたけ呑んでみようと想ってんだ。彼の登場以降、世界のグルメ・
グルマンの物差しが変わったところがあると想う。そのセンセイが毎日毎晩呑んでいた
彼の郷里の自慢の晩酌酒。呑める間にやってみるってのも、コイツは楽しいじゃんかよ。
旨いかって? すっきり旨いよ。Balzacの汗と涙と酒臭い香りがする。オホホホホ。

 出るとしてもフランスで味わった、水で薄めた葡萄酒みたいな描写だ。フランス人は男の子もワインを呑むという説明で引かれる。やっぱり真性のイギリス人なんだろうな。そいで初体験の相手が35歳のドイツの貴婦人ってわけだろう。
 不味いメシを分からない女とやりまくる間はどうぞご随意に。俺には興味湧かないな、味の分からない男女の絡みなんて、クリープを入れ忘れているネスカフェ・ゴールド・ブレンドみたいだぜ。
 (深遠なるその風味と味の違い、分かってんの?)
 ウハハハハハハハ。
 さて、そいで、結局は我が方の話になる。
 敗戦後の大和健児は、欧米の男性が20世紀には戦闘機乗りや闘牛士などに憧れたということを知らない。だから彼らと価値観を共有できない。そういう価値観・歴史観のラインから完全に外れているから話が合わないのだよ。
 どこかの今日の記事は北朝鮮問題で対立する中国とアメリカの間で、坂本龍馬を持ち出して来るンだもの。もうそういうのは、止めた方がいいよ。坂本龍馬を外国人の誰が分かるってんだ。分からない人を出しても意味が無いよ。
 そういう新聞を読んで育った人が大多数の日本だから相変わらず維新の復習ばっかりやってる。70年も復習して、もうやることが無い。そいで女武士まで引っ張り出した。大河ドラマって誰が入って決めてんだろ。芸が無い上に、決定的に普遍的な教養が無い集まりだわな。だから発想が隣の国へ、さらに世界へ拡がっていかないんだよ。
 そんなこと何時までもやってるくらいなら、別のラインで世界と勝負したらどうかと想うぜ、ベイビーたち。
 男同士なら、武藤金義少尉や坂井三郎中尉を引っ張り出す方がよほど健全さ。樫出勇大尉や南郷兄弟まで引っ張り出すと外交的には不穏になるかも知れないけれど、な〜に、男の世界ならそれくらい言ってみろってんだい。
  「Spitfireに乗って戦った男というのは、どんなサッカー選手や芸能人をも凌駕する」
 ナチから国を守ったSpitfire乗りはFrederick Forsythのヒーローだった。Brusselsのマンガ博物館は「紅の豚」のフィギャが飾ってある。日本はゼロ戦も隼も本土防空戦の二式複座戦闘機もある。最後は肩を組んで乾杯さ。それが男の世界だもの。
 けど酔生夢死したBalzacセンセイのことも、今では和食で持ち上げられて有頂天の我がニッポンの同胞なら忘れてはいけないぜ。
 ドイツ人、イギリス人、アメリカ人は、やっぱり味の分からない人たちとされている。それならフランスやらイタリアと彼らとの間にハシゴをかけられるのは、ニッポンだけ。それくらい、今の日本は信頼されているわけよ。
 美食の分かる人たちを心の隅で大切に。将来、和食が世界中からはしごを外されないように。目端を利かせ、図々しく。諸兄姐、お願いしますよ。


追記
某所から某所までは快適な旅だったが、旧市街に到着して駐車場を探すのが大変だった。
近所の某所で(1)シチリアの伝統的なライスコロッケと、(2)キノコのパイと、(3)ピスタチオのリゾットのコロッケの3つを白ワインで。このワインがグラスワインなのにロンドン辺りの3倍くらいも注がれて出てくる。
その後、某所まで歩いて前菜を。コイツ1人5ユーロなのにスペインのバルもかくや
強烈な量だった。サフラン入りの黄色いチーズ、 炙ったリコッタチーズに蜂蜜をかけたのと、まぁ、
旨いのがドシドシ出てきた。
本日のディナーは日本人女性シェフの腕によりをかけたディナーを。タコ4種。魚介のクスクス。密談謀議。しかし、途中から俺の素性は知らせられんと考えて独り脱落。ウッフッフ。悲しいなぁ。
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南欧3カ国に文句無し。
4月26日
南欧3カ国に文句無し。
 先週はランチがスペイン、夜はイタリア、翌日は昼がポルトガルだった。パワー・ランチだから大変だけれど、まぁ、何れも気の会う人とのメシだとやっぱり旨いわねえ。

OTint 20170422 (5).JPG

 海老・イカ、蟹、鰯をワインで流し込むというのもまた、良し。最近はこれら3カ国の人たちの経営している店舗がこの街で大きく伸びているわけだ。

20170416 Franco Manca  (3).JPG

 ピザ、パスタ、タパス、各種魚介…旨いのは大抵、この3カ国の絡むレストランだわねえ。

Polpos Crab Linguine.jpg
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Lie Lie Land?
4月25日
Lie Lie Land?
 フランスも衆目の一致していた通り、一騎打ちの決選投票になったわけだけれど、これでBrexitのように票がもし割れたなら、「Frexit」と呼ばれる通りで、同じ結果になるだろう。
 EUは大打撃を受ける。新聞も書かないけど、フランスがEU離脱を唱え始めると、もう、抑えるものが無いよ。
 俺は昔からメルケル女史は握手した相手ではあるけれど、実はあまり信用できないと想ってきたからね、その後ろ側から誰かの「ヒッヒッヒッ」という押し殺した笑いが聞こえるんだけど。

      Lie Lie Land (掲載 1).jpg

 彼らのダンスに次は女性が加わるのか知らん。Trumpに2人のタフな姐さんの相手は厳しいだろうねえ。もう70歳が目前だしなあ。

Lie Lie Land (掲載 3).jpg

 戦うべき相手は本当は遠くにいるからねえ。「the Guardian」、潜在読者を戦闘的な気分にさせちゃってから、ま、当地の世間を煽っていますわいなあ。これがタブロイド新聞の根っこにある本質的なもんだものなぁ。煽情家を排出した煽動国家かいねえ。
 一昨日はサッカーの大決戦で、赤いユニフォーム姿の人々が大勢歩いておりました。勝ったからいいようなもの、あれで負けていたら、また泥酔客がそこいらで騒いで大変だったろうと想うわなぁ。子供は大人を観て育つことは、あれを観るとしみじみと実感しますわい。

「the Guardian 定期購読広告」(20170415号).jpg
| 10随想 | 15:33 | comments(0) | trackbacks(0)
収穫祭で収穫無し。
4月23日
収穫祭で収穫無し。
 昨日は第10回目になる「Record Store Day」。我が家からCamdenで3軒、Angelで1軒をハシゴして歩き回ったけれど、結局は収穫無し。
 ピストルズの5千枚限定というアナログ盤も買わなかったな。そういうアウトテイクみたいなものは最近はいよいよもう彼らの場合には五十歩百歩の域を出ないことが分かっているからかな。
 実質2年で、その後半の1年の殆どはお国で逼塞するしかなかったバンドだから、演奏したり、スタジオで録音した回数も時間も限られているからねえ。

Record Store Day Special God Save the Sex Pistols.jpg

 Sex PistolsとPub Bandの距離について考えながらAngelのHigh Streetを歩いて、Sex Pistolsが出演したScreen on the Green前から、
 「俺たちは意識的にパブ・ロッカーの出る店には出なかったんだ」
 とGlen Matlockが語っていた通り、当時、Pub Rock Bandの憧れの店だったHope and Anchorへ。喉が渇いたのでPub Rockの聖地で一杯。Punk IPAを注文してゆっくり過ごした。
 下の写真は地上階のブッキング・オフィスから会場に降りていく階段壁に貼られた「NME」の古い号だ。ってのか、最近、経営者が変わったのか、この紙は「NME」の表紙をコピーした新しいもので、コラージュとして張り込んだもの。

      Hope & Anchor (4).JPG

 1977年夏の「NME」のSex Pistolsの特集号だ。1977年は、イングランドでは、公式にはブッキングの禁止されているバンドなので、彼らのことを支持し、もし非難されてもそれを受けて立つ覚悟のある店だけが彼らを演奏させることができた。Sid Vicious加入後には彼らのLive演奏の回数が自国内では殆ど無かったことはヘタウマと違ってそういう社会的な事情もあるわけだ。
 そこで、バンドとマネジメントの窮余の策で、ピストルズの秘密ツアー、縮めると「SPOTS」(Sex Pistols on Tour Secretly)がアナウンスされたのがこの77年夏の号だった。
 ちょうどこの頃に「平凡パンチ」の特集号のクルーがバンドを取材するためにLondon出張を組んだわけだから、同じように活動のできない欲求不満をメディアに対してぶちまけている。これは演奏のヘタウマの話では無いわけだ。

SPOTS Ticket 19.08.1977.jpg

 こういう話はその場ですらすらと出てくるのもあと何年か知らん。あれから40年が経っている。そろそろ、自分の越し方にもケリを付ける頃合だなと想ったわねえ。年寄りが昔話をするのは、故ないことでは無いわけだな。ケツが見えてくると、こうして、何か残さなければと想うわけだ。

「NME」[表紙1977年8月6日号].jpg

追記
1976年か。GildfordのStranglersは、Jet Blackの運転するアイスクリーム・バンに全員が乗ってLondonにやって来てこの「Hope and Anchor」に何時か出ようぜと誓っていたわけ。彼らはPub Rock Sceneの地方バンドだったから、Londonのこの店はたった100人超のキャパの店だったのに、彼らの最終ゴールだった。
人気が出て77年に店に出るようになった時には、もう、店は詰め込んで200人がいいところで、若い客が入りきらず、暴れた。ホール級の人気になったため、結果的にバンドは店を殆ど「通過」してしまったわけだ。
Sex Pistolsはそういう店のことは「一顧だにせず」、「冷たく無視して」、大学だとか、美術学校へブッキングをした。この辺りにSex Pistols一流のスカシた戦略があって、俺はそういうスカした態度は嫌いじゃない。誰も彼も同じ階段を上がっていくのは詰まらないからなぁ。ひねくれているのが好きだ。
| 10随想 | 17:16 | comments(0) | trackbacks(0)
備忘録――岡田一族補遺(弐)
4月23日
備忘録――岡田一族補遺(弐)
 「九州地方の近世社寺建築」[各都道府県教育委員会編]
 いきなりになるが、本書にはこんな記述が見られる。
 「日本へ黒潮にのって辿りついた人たちは、元は中国南部の人たちか、マレー半島の人たちであったかもしれない」
 昨日触れたが、鹿児島には中国南部の文化と通じるものが多数ある。龍柱については現在沖縄で建設中で問題になっているようだが、鹿児島にそもそも多数あるのだから、中国がどうとか言ったって始まらない。今の北京が悪党の巣窟なのであって、福州の辺りの人々は我々と同じ血が流れていると想っておかしくはない。その辺りは歴史・文化と政治と混同しては話がとっちらかるばかりでいけない。とはいえ問題を起こし続ける知事の翁長雄志の祖先は中国渡来人だと先日沖縄本島出身の身内から聞いた。
 話を戻す。
 岡田の家は市山に何軒もあるのだが、我が祖父の生まれた家は明治末頃に建てられて、15年ほど前に訪れた時にはまだ残っていた。一方、現在でも一族の居住する建物は、次の記述にそのまま合致している。

某家遠景(1).jpg
 左側の構造がへっついを備えた「ナカエ」。右側が座敷のある「オモテ」。さらに左に
 立派な牛小屋があった。牛小屋の方ががっしりとしたしっかりした建造物だった。

 「鹿児島県は二棟造りの本場であるといってよい。元は主屋である『オモテ』と炊事棟である『ナカエ』が別であった形跡がある。江戸期に入って両棟が一つに結びついて、鹿児島県では間に『テノマ』という板の間(廊下)をおいた。『オモテ』は『ナカエ』よりも15cm位高くなっている」

土間と仲居(ナカエ)、客間(ナカエ)のおおまかな位置関係(二階堂家住宅平面図無断借用).jpg

 「(二棟造り民家は)鹿児島県はいうまでもなく、高知県、茨城県、宮城県などにそれが見られる」「もちろん、これは想像をこえたことであるが、黒潮にのって、二、三千年前にきた人たちが居たと考えたい。これは二棟造り住居が太平洋に存在していることと、また日本の太平洋岸にあるということと結びつけて考えると、こういう結論が見出されるのである」

某家遠景(2).jpg
 こちらが立派な牛小屋。二階部分は干草等を入れてある。一階に薩摩和牛たちが。
 名前は百恵ちゃんとか淳子ちゃんとか、歌手の名前を付けていた記憶がある。

 「鹿児島県の西海岸に坊津という小さな港がある。遣唐使が派遣された港もここからだったといわれる。鑑真和尚が数度の失敗を重ねてたどりついたのは秋目海岸(坊津の一部)といわれ、ここに上陸して奈良東大寺におもむいたのである。江戸時代の密貿易もここを介して行われた。また007の海上に浮かび上がった場所もここで、このあたりの海岸は美しい」
 これは学者の報告書とも思えず、想像力を思い切り遊ばせていて読んでいて楽しい。
 我が一族の暮らす旧菱刈町市山は古来、筑前国筥崎宮の神領地だったと伝えられる。「大隅国図田帳」には箱崎浮免田という記述があるそうだ。文永・弘安の役に加わった市山地区の丸山・赤池・淵上氏らがその筥崎宮の八幡神を勧請して祀ったのが神社の始まりとされている。平成の大合併で菱刈町は消え、現住所は伊佐市菱刈市山790。
 「現本殿は正面中央の蟇股の曲線や挙鼻の文様などの形態から16世紀は下らないと考えられる。元文4年(1739年)に修理し、大工渡辺甚兵衛が行ったと記す(棟札)。この時の材が多く、中世的な造りであるが、近世の技術が加わっている。基壇を高くしたのは大正4年という」

          箱崎神社 (1).jpg
 小さな本殿には純良の奉納した刀があると伺ったが、中を観ることはできなかった。
 2002年の連休のことだったが、もう、ふた昔近くも前のことになってしまった。


 「本殿の規模は小さく、正面三間共等しく、各1.37m程、その中央に外開きの扉、両側に盲連子をはめる。側面二間を板壁とし、その前方を見世棚としている」
 見世棚造りとは別表記で「店棚作り」。神社建築の多くがこの形式。屋根前面が後面に比較して長く、「向拝」(拝所)を上から覆うように伸びている建物。鎌倉以降の建築で、小規模な社殿に多いもので、とても重文とは感じられないほど小規模で簡素な造りだ。
 本書には出て来ないが、お社は奇妙なほど堆く盛り上がった森の頂にあって、境内は昼なお薄暗く、石柱が何本か建っており、その中の幾つかには一族の姓名が寄進者として彫られているものがあり、中には龍柱もあった。
 一族は中国南方の漢民族起源の可能性もあるわけだが、モンゴル系民族とは歴史的に敵対したということになる。こじつけだけど、中華でも、湖南地方なら魚食・米食で紹興酒も含めて好きだった。北京の伝統料理は肉食・饅頭で白酒はどうしても好きになれなかった。
 福岡筥崎八幡宮のお宝は「敵国降伏」の御宸筆。社記に醍醐天皇御宸筆とある由。俺の中にある先祖代々の血か知らん。感慨深いものがある。



追記
運命の日が近付いて参りましたが、テロも怖い。マジ、ヤバイ。俺の活動している国は殆ど真っ赤っ赤の超警戒要国ばかりで、イタリアだけが重警戒要国かな。

「the Guardian 『France Heads on Pole on High Alert』」 20170423号.JPG



追記の追記
彼らのチラシがあったので、貰って参りました。近々、ご対面の予定でいるけれど、期待は高まりますなあ。まぁ、やっぱり、深く攻めるならこういうフィールドか知らん。日本では知られていないでしょうけど、カッコいいねえ。

     「Hackney Colliery Band」Fryer.jpg
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日本酒の旨み。
4月21日
日本酒の旨み。
 何本か日本酒を頂いたり調達して持参して戻ったので、暫く日本酒長者の成金気分でいるわけだ。
 手元に無くなれば哀しいのだが、それはそれでまた寂しさがいいわけ。帰国すると贅沢な気分を味わえるからね。常に何か不足していたり、次回はこうしたいとかいう気分がまた次に繋がるわけだから。

     20170418 鴨と伊勢神宮御科酒白鷹 (2).JPG

 昔、もう半世紀近く前に、身内から海外土産で貰った「P仙チョコレート事件」という大事件があってねえ。
 興奮の余り、喰う前から、ブー、ブー、ブー、ブー、鼻血ブーになりそうなほど血圧が上がったわけだ。
 (コイツはヤバイ)
 それでどこかに隠しておいて、自分のほとぼりが醒めたら喰おうと想っていたわけだ。
 そうしたら、忘れた。隠しておいた場所じゃなくて、隠していたことを。
 それから半年かな。またまた引越しになり、家をガサガサやっている時に、ピアノの下から何かキレイな箱が出てきたわけねえ。埃まみれの。
 って、「P仙チョコレート事件」。事件があって、喰う前から、ブー、ブー、ブー、ブー、鼻血ブーになりそうなほど血圧が上がりそうな時には、喰うことにしたわけだ。どっちも浅知恵なんだけど、俺、忘れる男だから。

Nasi Goreng (2).JPG
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Let's Stick Together......
4月19日
Let's Stick Together......
 下院解散で総選挙だっていうんだけど、勝算あってのものだろうからねえ。しかし前の兄さんと同じく、今度は、姐さんが勝負に出たねえ。日本の政治家に爪の垢でも飲ませてやりたい。
 一気にこれで139円まで。4円ほど円が対ポンドでも弱くなった。
 これで保守党が圧倒的な多数与党として議席を独占することになるなるだろう。ということは、現政権支持だから総じてこれでEU離脱は間違いなく進むことになる。
 ということは、とりもなおさず、離脱するとしても、対立的・危機的離脱ではなく、なるたけ穏健的な離脱交渉へ進むことになるだろう。

   James Cameron with his Slogan 2.jpg

 やっぱりそこで足を引っ張る勢力があるとすると、北の人たち、スコットランドということになる。もし彼らが、余りにも強硬に自分たちの主張を貫こうとすると、今回は保守党に破れるとしても、将来的に英連邦からの独立とEU加盟という禍根をずっと火種としては残すことになるかも知れない。
 Let's Stick Together......我々日本人には、この辺りは理解に難いものがあるわねえ。ゆらゆら帝国、もとい、吉里吉里国ということで理解すると分かり易いかも知れない。
 言葉もそうだが、交易・経済圏の設定等の自治権などは、かなり危ういわけだが――さて、投票までは1ヵ月半しかないからねえ。Brexitでは議論に時間を掛け過ぎたという説がある。時間を掛け過ぎると人々はイライラするのだ。
 そのイライラが世界中に拡がっているという話もある。俺の生活は楽にならないのだとしたら、「Changeだ!」と。何だかねえ。
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汝、喰い改めよ。
4月18日
汝、喰い改めよ。
 各方面からのご指導もこれあり、市内各地に旨い店があると聞けば飛んで行き、旨い料理があると聞き及べば次の日には馳せ参じている。それほど、喰いで泣ける場面に飢えているのに、これまでついぞ泣けたためしが無い。
 ガンコで、融通が効かず、自分はこれでいいと頑なになっている。それでアンタはいいんかい、ますますそれでは孤立しまっせと世界中から心配する声は届かない。届いても耳を塞いでいるんだもの。
 きっと、その姿勢がイヤなんだろうなぁと想います。70年代前半に、あれほど国が乱れたのも、元々自分たちで、意固地になって国を閉じていたからだ。
 それから急激に40年近く海外企業に投資の道を開き、人の移住にも寛容になり、解放したかのように見えて、実はそれは面従腹背であったということが白日の元に曝されてしまったということなのか、やっぱりアンタらは?

The Cow Pub & Restaurant (7).JPG

 ガンコで不味くとも、社会に見所のある土地ならいいけれど、モラルが低いところは上も下も無いからねえ。Pubで不味いツマミを喰ってじっと3時間も突っ立ってガマンしている。それは我慢強いかも知れないけれど、不幸だよね。
 ベッタベタの油だらけの揚げ物を下腹を冷やすビールだけで流し込み、フツーの黄色人種なら一発でノックアウトされるような組み合わせでも平気の平左。俺は毎回男子Pub修行に出ると胃腸が翌朝不調になって苦しむことになる。
 そんな不味いものは喰いたくないので、美味いものをなるたけ探して「喰い改めて」いるわけだ。

        20170416 Franco Manca  (3).JPG


 汝、喰い改めよ。であるのである。


「であるのである」(by 大隈重信)。ってねえ。


追記
最近のその「やっぱりそうか」感覚の由来する歴史的な事実を以下に。
ド・ゴール大統領の記者会見で、イギリスがEEC加盟申請をしたことへの有名な歴史的拒絶演説からポイントを抜粋。
French President Charles de Gaulle had stated as follows in 1967.......
そもそもECCに対して敵対する姿勢を取っていたのに、近頃は心変わりして入りたいと言う。しかも自分たちは例外の条項を並べ立てて。それは筋が違うのではないのか。本質的にECCとアンタらは利害は相容れないのではないのか。
Compared with the motives that led the Six to organize their unit, we understand for what reasons, why Britain-who is not continental, who remains, because of the Commonwealth and because she is an island, committed far beyond the seas, who is tied to the United States by all kinds of special agreements-did not merge into a Community with set dimensions and strict rules. While this Community was taking shape, Britain therefore first refused to participate in It and even took toward it a hostile attitude as if she saw in It an economic and political threat. Then she tried to negotiate in order to join the Community, but in such conditions that the latter would have been suffocated by this membership. The attempt having failed, the British Government then asserted that it no longer wanted to enter the Community and set about strengthening its ties with the Commonwealth and with other European countries grouped around it in a free-trade area. Yet, apparently now adopting a new state of mind, Britain declares she is ready to subscribe to the Rome Treaty, even though she is asking exceptional and prolonged delays and, as regards her, that basic changes be made in the Treaty's implementation. At the same time, she acknowledges that in order to arrive there, it will be necessary to surmount obstacles that the great perceptiveness and profound experience of her Prime Minister have qualified as formidable.

Charles de Gaulle.....jpg

アメリカとの特別な関係、さらに元々大英帝国として他国との利害関係をどうするのか明確ではないではないのか。状況が変われば、豹変するかも知れない。これとそれとをアンタら切り分けることができるのか。
What is true, at this very moment, from the economic standpoint, would also be true, eventually, from the political standpoint. The idea, the hope which, from the beginning, led the Six continental countries to unite, tended without any doubt toward the formation of a unit which would be European in all respects, and, because of this would become capable not only of carrying its own weight in production and trade, but also of acting one day politically by itself and for itself toward anyone. Considering the special relations that tic the British to America, with the advantage and also the dependence that results for them; considering the existence of the Commonwealth and their preferential relations with it; considering the special commitment that they still have in various parts of the world and which, basically, distinguishes them from the continentals, we see that the policy of the latter, as soon as they have one, would undoubtedly concur, in certain cases, with the policy of the former. But we cannot see how both policies could merge, unless the British assumed again, particularly as regards defense, complete command of themselves, or else if the continentals renounced forever a European Europe.

Remarks, made by President Charles de Gaulle at his fifteenth press conference on May 16, 1967.
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欧州三都物語――予習よりも復習が大事。
4月18日
欧州三都物語――予習よりも復習が大事。
 1986年4月15日の「BRUTUS」は「三都オペラ」と題した特集だった。俺の買った雑誌じゃなくて、“小倉の料理番長”が買ったものだ。
 裏表紙には「SHARP」が広告を出していて、Hi-FiのVHSデッキが¥189,800というメーカー希望小売価格を載せている。
時代だわねえ。この頃、俺は大学の4年に進級する頃で、日本国内を這い回っていたんだからなあ。
 先日、家を整理していたら、大学卒業証明書ってのが出てきて、全42単位中、A(優)17、B(良)19、C(可)6、という成績だった。まぁ、中位かね。
 いよいよこんなもんが出てきて、俺もお迎えが近いのかなあ。  

     「BRUTUS 三都オペラ特集」(1986年4月15日号).jpg

 そいで、三都物語は昨年やりましたから、気分的には「もう結構」だけれど、ウィーンだけは再度行ってみたい感じはあるわねえ。
 ブダペストはもう良いかな。ハンガリーはどうもヤバイ。どう考えても、ヤク中が昼間から活発に動き回っているからねえ。
 かといってプラハも裏切られた。愛するあのじい様にラブレターを出したのに、ウンともスンとも言って来なかったっけ。ってことは、アイツ、クレムリンからの回し者だったのかもな。
 プラハはその上、今はアジア、とりわけ半島からの若い男女が雲霞の如く湧き出して旧市街をのし歩いてたわね。暫くの間は近付かない方が良さそうだ。
 というわけで、ウィーンに軍配上がるという我が家でありました。
 ハンガリーはちょっとヤク中ばかりでヤかも知れない。チェコも返信は無かったのは届かなかったってことかしらねえ。盗聴・諜報のメッカで、俺たちのような徒手空拳では、まるっきり風車に向っていくシラノ先生か。
 
      「BRUTUS イタリアの旅 島ヘ!」(1996年4月15日号).JPG

 こちらはそのきっかり10年後、1996年4月15日の「BRUTUS イタリアの旅 島へ!」である。今はこちらに興味がある。中欧3都でも、胡散臭い某所はちょっとヤバい感じがある。そして教条主義的なキリスト教の影響が濃いわけだ。
 イタリアの島はそんなの「関係ねえ!」である。「キリストもギリシャの神々もいてモいいんだぜ!」なのであるのである(by 大隈重信)。それがいいのだ。
 ギャング映画もあるが、重厚な歴史と哀しい土地で明るく過ごす秘訣もしっかり観てこなければなぁ。喰いも大切だけど、男はやっぱりカッコも付けないとねぇ。
 「シャツ出さないの」
 「ウッフッフッフ」
 シャツにはいいシーズンだろうなぁ。
 この雑誌の表紙で微笑む姉ちゃんのオッパイはFカップだろうか。見事だねぇ。その辺りは「信濃町の巨匠」にココロ静かにそっと聞いてみなければ分からんわねえ。オホホホホホ。
 とまれ、予習よりも復習と自らに言い聞かせながら予習も怠り無くやるべえと自戒しつつ過ごす日々。 
| 10随想 | 15:26 | comments(0) | trackbacks(0)
上野の杜の奥深く。
4月16日
上野の杜の奥深く。
 先日、白山眼鏡店で黒メガネを新調したら「うえの」を入れてくれた。白山眼鏡ものれん会員なんだった。
 2017年4月号は「岡埜栄泉」でお馴染みの岡野俊一郎(1931-2017年)が亡くなって、追悼号の赴きもあった。
 (うーん、岡野俊一郎)
 「岡埜栄泉」というと、反射的に思い出すのは辻静雄(1933-93年)。辻さんは岡野俊一郎と同じ地域同じ年代。生家も和菓子店を営んでいた。だから岡野俊一郎と辻静雄はダンゴになって俺には記憶されている。
 高校は岡野さんが小石川で辻さんが文京。辻さんより3年下で、オリンピックにもアジア選手権にも何度か出ている小石川出身の往年の名選手が俺の先輩だったから、その辺りでまとめて記憶しているのかな。不思議なもんだ。

      「杜」「うえの」(2017年4月号).jpg

 この雑誌は昭和29年から続いてて、大したものだと想うねえ。「上野のれん会」がしっかりしているから続いているということなのだろうけれど、ザギンに負けていない。
 巻末の地図では上野公園全体までカバーしているし、美術館・博物館の催事スケジュールはしっかり盛り込まれ、裏表紙にはその月間の全日のお天気カレンダー(気象庁の130年間の平均)まで掲載されているのだった。
 「杜」は藝大の会報。昔の藝大生は藝祭の時には本格的な御神輿を製作して近隣の谷根千を練り歩いたそうだ。今は上野公園内だけに締め出されてしまったそうだけれど。
 戦争の後は、戻ってきた学生は、住むところが無いのでキャンパス内に掘っ立て小屋を建てて暮らしていた。齋藤真一もその世代だったわけだろう。
 歳を取ったら上野近辺にでも引っ越すかなあ。そういう心にも無いことを言うと、殺されちゃうか知らん。
 西郷さんの銅像下、「上野のれん会」の中心からさらに少し西側の辺りに黒門町という一角がある。あれは、実際に上野寛永寺への入り口のゲートだった。その黒門が彰義隊と官軍の激突の最激戦区になった。白兵戦になって多数の死者が出たわけだ。

 江戸川乱歩選集「幽鬼の党」(生頼範義画).jpg 江戸川乱歩選集「一寸法師」(生頼範義画).jpg

 今回は、昨年1年お世話になった明治神宮の木札を返しに行く時間が無かった。そこで上野の東照宮でお返しした。我が家の守護神はあらっぽい腕白だった明治天皇なわけだけど、その朝敵にお返しに行ったわけさ。山岡鐵舟流だ。ウハハハハハハハ。
 ともあれ、改装して金ぴかになった上野の東照宮までは大変な人込みだったな。だけど、あすこまで行くと、その東照宮の寄贈した五重塔が見えるでしょう。
 (おっかねえなぁ)
 上野の五重塔と言えば、あなたは何かな。
 東照宮の五重塔ではなく、公園から外れた谷中の墓地の五重塔かな。歳がバレますな。あれは裁縫店勤務の店員の不倫の果ての心中、いわゆる五重塔放火心中かな。
 俺は浅草浅草寺裏から上野の杜までの一帯を思い出すな。江戸川乱歩が大正末から昭和初期に書いた「幽鬼の塔」や「一寸法師」、さらに「吉展ちゃん誘拐事件」を思い出すねぇ。
 上野の地下街では戦災で孤児になった浮浪児の群れとそのお兄ちゃんたちの脇で声を枯らして啖呵バイをしていた小沢昭一少年とか。うーん、どうも、上野から浅草はちょいとおっかねえなぁ。
| 10随想 | 16:23 | comments(0) | trackbacks(0)
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