岡田純良帝國小倉日記

○○と○○の間で。
8月8日
○○と○○の間で。
 昨晩は某所で密議。安保理決議と外相デビューと色々テーマはあったが、一人、大○○者がいて、大変だったぜ。○社と○融は似ていて、偽者が殆どだが、時々、凄い人がいる。
 世間の風はどっちに吹くか。吹いているだけまだましだって。 

20170709 The Sunday Times (2).jpg
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備忘録――「ベトナム報道」(7)
8月8日
備忘録――「ベトナム報道」(7)
「ベトナム報道」[日野啓三著, 講談社文芸文庫]
 暫く現場からの報道を検証して、特派員記者の孤独な戦いと苦しみを追想してみた。共感するところが殆どとはいえ、アメリカ政府や社会の当時の様々なことが公文書を通じて明るみに出るようになった今では、全面的に賛成とはいかない部分もある。
 「フランス革命は血を流さなかったか。アメリカは流血なしに独立したか。明治維新は銃声はひびかなかったか」
 「したがって全面核戦争に至らない限りの国内革命戦は、論理的には承認しえないとしても、現代でも現実的にはやむをえないのではないかというのが私の偽らぬ気持ちだった。問題は国内戦の次元では明白に勝負のあった戦いを、強引に逆転させようとする無理にあるのではないか」

     National Liberal Club (1).JPG
  こちらは大英帝国の由緒正しき「NLC」の入会パンフレットよ。国会議事堂至近であり
  会員制の「クラブ」は年間活動イベントもあって、由緒と格式ではトップクラスだ。
  近付こうと考えたけど、ま、敬して遠ざかるのがアジア人のたしなみってところか。

 「その無理が戦いをいたずらに長びかせ、民主の犠牲をふやし、国土を焦土にする。要するに民族自決を認め、外国の干渉は排除すべきであって、たとえその民族がどのような政体を選ぼうと、それはその民族の責任であり、他国はそれによって国際政治上のマイナスになるとしても武力介入すべきではないという考えである」
 これは今やファンタジーにも見える。当時は“鉄のカーテン”の“冷戦時代”だから、共産主義国は内側に閉じて何をしているのか分からないという恐怖があったにせよ、表面上では自由主義陣営とは没交渉だった。だからベトナムが赤化しても直ぐ周辺も赤化するとは言えなかった、そういう時代である。
 今日では、アメリカ合衆国は反共の恐怖のため、国を挙げて20世紀の前半にナチス・ドイツ支援のために大量の資金を注ぎ込み第3帝国を育てた事実が明らかになった。当時からそのような国際的な政商はあったが、今は分かり易い仮想敵がいなくなった。
 表向きにはグローバリズムが進み、旧共産主義陣営の大国でも国際通商上のルールの中で主要なプレーヤーとして活動するようになった。
 しかし、民主化が実現されたと考えるのは間違いだ。選挙で票数の操作疑惑は拭えず、選挙権も認められない国もある。過去と訣別したと謳っているが、今度は金と利権でからめ手にして次々に発展途上国を影響下におく、見え難いオセロゲームに変わった。
 ゲームのルールが変わり、政治体制だけでは違いが見え難い。ところが、「女性の権利」、子供の「権利」、「人身売買」、「労働」、さらに「少数民族」、「LGBT」まで含め、権利が保護され、人権が認められている国は実は少ないこともまた事実。そうして、彼らにとってクリティカルな場面になると、国連安保理で拒否権をいとも簡単に発動する。

「ベトナム報道」(3).JPG

 日野啓三はそれでも安易な理想主義には陥らない。
 「難民の群やバラックの難民部落をみるたびに、リュックひとつで貨車につめこまれ、釜山の埠頭の石畳の上で震えて夜を明かし、博多の倉庫でムシロにくるまって寝た引揚げの屈辱の記憶が、つねに眼の裏に甦ってきた」
 「アメリカに負けた恨みが、自分の中に残っているとは思わない。むしろ私自身は日本が負けてよかったと思っている。われわれはフランスと同じように、負けたことによって逆に多くのことを学んだが、アメリカは勝ったことによって、ノーマン・メイラーが『裸者と死者』の中で鋭く指摘したように、何か貴重なものを失ったのではないか。その巨大な物質的実力と世界の“自由”警護の使命感の重みで動きがとれなくなっているように思われるのだ」
 これはアメリカ合衆国だけではない。覇権を競う大国に古今共通するものだ。
 日本のような国は、原子力爆弾を喰らった唯一の被爆国として、あるいは技術立国として、大国と発展途上国の間にあり、独自の方向を模索する意義はある。

     National Liberal Club (4).JPG
 日本は、神戸、横浜、東京、という順番に書いてあるんだけれど、俺は高倉健が東京の
 クラブに出入りしていたと前から承知しているのだけれど、どうなんだろうねえ。

 「工作員の公開処刑を、数メートルの近さで終始目撃したことは、非常な体験だった」
 「まだ少年のような工作員を銃殺する政府軍憲兵隊の、ことさら勿体ぶったうやうやしい儀式調に、私は血のにおい以上の吐き気を催したが、ちょうどこの銃殺が歩道の一角で行われたサイゴン中央広場の中央花壇には、ゴ政権打倒デモのとき殺された女子学生の銅像がたっていて、もし解放戦線が勝利を得る日には、この歩道の一角にいま野良犬のように射ち殺されたこの少年工作員の銅像が立つのではないかと考えた」
 「どのような勝利も栄光も償うことのできない血の重さ、そのような犠牲の血なしには進まない歴史そのものの、根源的な不条理が心にこたえた」
 21世紀も世界中で続くテロ。世の中、簡単に変わるものか。
 大英帝国さえ。ロシア、中東、中国から、大金が流れ込み、様々な勢力が入り込み、社会はギシギシ歪んだ音を立てている。開かれたはずの王室も変わらない。ふた昔も前の王女の死について息子たちが重い口を開き始めたが、古いお歴々は古傷を暴かれ、顔をしかめる始末。古今東西、王室なんてどこもそんなもの。
 主要プレーヤーは増えた。そして国連が機能不全に陥り、EUの理想さえ大英帝国の離脱で揺らいでいる。宗教と文化の対立という見え方。それで誰が漁夫の利を得るか。相対的に欧米の影響力が低下して、誰が喜ぶかを考えた時に、日野ら日本の特派員がその目で見た光景と同じく、今でも続く惨劇の向こう側にある構図は変わっていないことを考えたい。どの陣営が勝利しても、結局、「根源的な不条理」は残ることを。


追記
これから休みます。そいで、もう、オ・シ・マ・イ。さようなら。
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Jeanne Moreau....
8月5日
Jeanne Moreau....
 フランス映画は75年位までが好きで、その後は、好きな映画は数える位しかない。俺にとってフランス映画の黄金時代は大体50年代から60年代半ば。その中でも重要な映画、好きな映画に出たいたのがJeanne Moreau。
 彼女は意志が強過ぎて、俺には他の女優のように観賞するオンナのようには見られない。女友達ならまだ安全だ。昔の恋人くらいならまだいい。これが抜き差しならない恋人とか愛人とか女房だったら大変なもんだわね。
 昔、B.B.が動物愛護に熱中して発言がトンデモない物議を呼んだ時には、彼女はB.B.のことを哀れんだっけなあ。もてはやされて頭の弱いオンナはダメだわ、とかいうニュアンスのことを言った。キツイねえ。だけど、好きだったですわねえ。

   Jeanne Moreau.jpg
| 10随想 | 16:02 | comments(0) | trackbacks(0)
俺の骨董――肝に落ちた話。
8月4日
俺の骨董――肝に落ちた話。
 青山二郎と野々上慶一の骨董の話を読んでいて、俺にとってのクルマとオートバイだと分かった。恋愛と似ているというのは、所有欲とあるのと同じで、つまり、嫉妬心なんだろうねえ。
 「Sorry She is Mine」
 逆に言えば、こんな感覚。
 これも、名曲ですな。The Whoのアジト近くで毎朝毎晩感じる話。時間が無いが、それもまた良し。

20170303猛読中.JPG
| 10随想 | 14:50 | comments(0) | trackbacks(0)
小石の楽しみ。
8月2日
小石の楽しみ。
 日本に帰国した2001年頃から、旅をした先の河原や海岸で形の良い平たい小石を見つけると拾うようになった。
 1)紀州熊野(大斎原)河原
 2)八達嶺万里長城付近水無川
 3)ポンペイ遺跡付近水無川
 4)パレルモ某地付近水無川
 5)カリアリ付近某海岸
 等々から形のいい石を拾ってきて、重石にして楽しんでいる。
 こちらはサルディーニャの海岸で拾った小石で、丸いグレーの方が114グラム、赤っぽい方が197グラムある。

Sardinia産石.JPG

 日本ではカーテンの重石にしたりして、実用的な使い方をしていたのだが、こちらでは読書の時や、調べ物の時に便利に使わせて貰っている。
 ヴェトナムで買った木彫りの仏像もあるのだが、多分、俺はこの辺りの自然の石みたいなものが好きなんだろう。清浄も穢れも清濁合わせた流水。小石はその流水に削られてこうして洗練されたのだ。
 掌に載せてじっと握っていると、色々なことを考える。熊野川の色はオリーブのような緑色をしていたが、万里の長城近辺の砂漠化は20世紀に進んだこと。水無川は世界中のいたる所にできていること等々。
 開拓移民による西方移動で中西部の砂漠化が進んだアメリカ。下放政策で東北部の砂漠化が進んだ中国。一度この砂漠化が始まると地表に砂がむき出しになり、人間様にも牙を剥く。
 小石は何も言わないわけだが、きっと過去数千年の変遷を知っているのだろう。


追記
これから電話で小さな小さな会議があるけれど、俺には大きな大きな結果になるかも。
| 10随想 | 16:06 | comments(0) | trackbacks(0)
その辺り、どうなのよ?
8月1日
その辺り、どうなのよ?
 某島でもっとも古い古代からの遺跡付近で見掛けたラクガキ。

 「D.R.I.(Dirty Rotten Inbecilles) Hard Kore Punk」(腐ったバカどもへ、ハード・コア・パンクの一撃を!)

 といったところかな。誤字多いみたいだけど人のことは言えないわ。
 先史時代で紀元前3先年前頃からの遺跡がある。島は人が行き来した、いわば往来の集積のような場所だから面白いのだった。同じ場所に各々の時代の遺跡が堆積して地層になっている。そこにハード・コア・パンクの一撃。
 (電撃バップ!)
 というわけで、南欧のパンクロック事情を色々ベンキョウするととても面白そうだ。ピストルズはブラジルで打ち上げたりした。スペイン語圏では、Ramonesは飛び抜けて人気がある。南欧のみならず南米はパンクのメッカだ。要は考え込むような音楽よりも、突っ走る疾走型の音楽が支持されやすいんだろう。
 ところで、「パンク・ロック」って言ったら「パン・クロック」と勘違いした身内がいて、
 (パンの時計?、それってナンだっけ)
 って考えていたそうな。
 彼女は30年前には陣内孝則事務所でバイトしてたのになあ。オホホホホホホ。ってことで、あれから、30年の時は流れた。チャンチャン。

D.R.I.(Dirty Rotten Inbecilles) Hard Core Punk.jpg
| 10随想 | 13:45 | comments(0) | trackbacks(0)
Brussels点描(2)――花開くかLGBT。
倫敦日記’17(第二十七弾)
8月1日
Brussels点描(2)――花開くかLGBT。
 当地では俺のお気に入りのシャツ屋のGilles Bは面白いヤツだ。2010年の開業以来、人気のある既製服の店舗。オーナー自ら、シャツ、ポロシャツ、セーター、スカーフのデザイナーなので、日本からもお客が定期的に来るという。
 「デザインはここでやるけれど、イタリアで仕立てるの」
 「ベルギー人の想像力とイタリア人の仕立ての技術の融合ね」
 「スポーツ・カジュアルが私の基本にあるの」
 Gilles Bはそう言って笑う。
 色白で、少し肉付きがよく、2言目にはオホホホホホホと笑い、語尾が跳ね上がる。「La Cage aux Folles (邦題:ミスター・レディー・アンド・ミスター・マダム)」である。Michel Serraultとは違うが、笑い声にちょっとヒステリックな叫びが感じられ、何とも微笑ましい男なのだ。
 「これでも、忙しいんですよ」
 フィレンツェの提携工場にはしょっちゅう行ったり来たり。

2016 Brussels (掲載2

 店に行かないと買えないのは、前年にピッタリフィットした、例えば39-84のサイズでも、翌年行くと大き過ぎることがある。
 「時間があれば私が直ぐに手直しするのですが」
 俺は一度も頼んだことはないが、実際にシャツを当ててみて、袖の長さ、ボディーのウエスト周り等も調整してくれる。
 今年は「S」ではなくて「XS」が俺のサイズだった。
 「当ててみて、初めて分かるわね」
 この店の麻のシャツはとても好きで、デザインも、素材の手触りも、仕上げもとても素晴らしい。どうしても足が止まり、買わずにはいられなくなる。 
 そういえば、近頃はLondonでさえ街の辻々にレインボーのPride Flagが掲げられる時代になった。例のWestminster Areaの政府系のオフィスのポールにもレインボーの旗が翻っている。

            20170716 Brussels (掲載1).jpg

 現在教育担当相で有力女性閣僚の1人Justine Greening(1969年-)。過去にいじめで同僚を自殺に追いやったとされたMark Clarke(1977年-)(こちらは男性)との恋愛関係が報じられていたが、彼女は昨年のPride 2016で、突如、Coming Outした。
 俺の地元選挙区選出の有力議員で、この時にはネットで色々と広まった。
 「Coming Outした方が良い時もあるわね!」
 今は同性と恋愛関係にあることをTwitterで表明したわけで、これは現職閣僚として大いに波紋を呼ぶことになった。前の恋人の一大スキャンダルのために、性的な指向が変わってしまったのか、とか。
 そういうところが分からないのだが、ヘテロだったのがホモになったり、ホモだったのがヘテロになったりするのだから、彼女の場合もそうなのかも知れない。ストレートよりも幅広いわけだから、公聴・共感する能力はストレートより高いだろう。
 (おっとまた話がそれた)
 Brusselsにある床屋の「Mayerson」(https://www.facebook.com/mayersonbarber/)は男性客の間でとても人気のあるお店だ。1971年創業だが、この店も近頃Pride Flagを出すようになった。

20170716 Brussels (FIAT500).jpg

 店の車はFiat 500 Furgoncino(Van)で、店の前に何時もきれいにして停めてあるが、DashboardのConsole Boxにレインボーのステッカーが貼られていることに気付いた。
 「首相降ろし」が止まらず災難続きのイギリスの首相は、それにもめげず、今年のPride 2017(7月8日)では、次のコメントを発表した。
 「Pride Dayは、自由、寛容、平等という価値観を祝福するために人気を集めています。
 全ての人が素敵なプライドを抱けますよう」
 Brusselsと離れるけれど、Londonでホモ・セクシャルが合法とされて、今年は、まだたった50年。


追記
7月のご愛顧=帝國:小倉:米國=18,707(17,713←22,091←18,967←19,498←17,503←18,980←27,773←15,087←15,435←16,504←17,148←16,538←18,202←18,597←23,362←19,300):2,970(3,098←3,905←3,187←3,095←3,310←3,638←5,839←3,696←3,122←4,360←3,409←3,992←13,022←7,903←4,917←4,425):750(1,140←1,001←841←717←1,054←1,234←471←463←438←813←460←743←361←926←747←789)=106%:96%:66%=22,427(21,951←26,997←22,995←23,310←21,867←23,852←34,083←19,246←18,995←21,677←21,017←21,723←31,585←27,426←29,062←24,514)102%
低空飛行続く、かな。

追記の追記
各方面のお陰様でブツはようやく出て参りました。有難うございました。
そいで、The Whoに話は飛ぶのだけれども、多分、時間が無いので、調べきれずに終わりそうだわねえ。
諸兄姐、時間切れってことが、ジンセイにどれほど多いことか知らんわねえ。もう、アカンみたいやな。
| 10随想 | 06:45 | comments(0) | trackbacks(0)
Levi'sと白いT-Shirts――ここから何を読み取るか。
7月31日
Levi'sと白いT-Shirts――ここから何を読み取るか。
 この夏、この男の評価についてイタリア南部、アフリカを目前とした某所で、人事会議が開かれたと想いなよ。

 1)金持ちでカッコよくて凄いけど→裏あり?何で今頃出てくるの?
 2)こういう人の金ってどっから出てくるんだっけ→機密費だよね?
 3)白洲正子とホントに巧くいってたと想えないけどね→女の感だけど
 4)歴史の裏の人でしょ→本来表に出る人ではないよね。
 ってな言葉も出たねえ。

 日本では、このお姿、戦った日本人として最近では定着しているんだそうだ。一部ではそうだったかも知れない。だが、筋から言えば、官僚でもない男がどうしてGHQとやり合えるかね。人が払底していたからだろう。
 敗戦後は官僚というだけで戦時体制の推進者だから、新しい時代・体制を作る場合には相応しくないとされていたところがあるだろう。
 
 「The French Connection」英語版表紙。.jpg

 だけど、御本人の自認した本場のイギリス紳士なら、こんなジーパンは履かねえな。Tシャツも下着だから。
 イギリスの紳士ってことになっているけれど、少なくともアンタ、この写真ではそんなこたぁ言えねえでガンす。イギリスの学校だってちゃんと御卒業してるか知らないやね。
 この写真が、アメリカの進駐軍とCIAのカウボーイの着せ替え人形みたいなもんだ、という何よりの証拠なんだよ。本郷ハウスのM資金グループに群がった連中の一員だ。覚えとけよ、ヤング諸兄姐よ。

 「若い人が、社会の実際面ということには案外無頓着で、只学問的に真理を追求するという様な、若い人にありがちな純粋な気持ちでものを考える時には、老人達が非難し、又極度に恐れるこの左傾倒的思想になるのも、又あながち不思議なことではなく、実は自然なことではないだろうか。私自身もこの経験がある。私の友人連にもこの経験の持ち主は沢山いる」
 「私も20歳位のときにはカール・マルクスを耽読した経験をもっている。今の標準からいうと、左傾思想の持ち主であったかも知れない。然し私が世の中に出た時に、私の思想の故に排撃されていたら、私は今は『愛される共産党員』になって、徳球さん並に(これは少しショっているかも知れぬが!)地下にもぐっているかも知れぬ」

 渡英前には随分その方面で発展して、結果、日本におられなくなってイギリスに逃散した話は消されているわね。この青柳さんも書いてないけれどね。俺は分かるよ。だって英米両方のお国にこっちも足をかけたんだからな。
 女の言葉ってのは、とても的を得ているからなあ。ま、恐ろしいよ。女が歴史的な評価を決めるからおっかねえやね。第二の坂本龍馬みたいなもんかねぇ。オホホホホホホホ。
 イヤなことを言うようだけど、それは偽らざる見立てだからなあ。他に人がいない時代だった。使える者は戦犯に挙げられていた時代だったからねぇ。
 大政奉還時に江戸幕府の重鎮が飛ばされて若い外様が重用されたのともちょっと違うけど似ているかな。吉田茂の仔分として売り出したんだろうけれど、巧く売りぬいたわね。
 だけど、いかにもアメリカ人が撮りそうな写真だ。全身からアメリカに○○○を振っていることが分からないか。
気付かない人が多いのはどうしてかねえ。オメデタイって死んだ後で気付いても遅いんだよなぁ。
| 10随想 | 14:34 | comments(0) | trackbacks(0)
Brussels点描(1)――闇の奥から。
7月31日
Brussels点描(1)――闇の奥から。
 この街には、東の外れに日本ではシュトークレット邸(Stoclet Palace)と呼ばれている邸宅がある。市街外れ、Sint-Pieters-Woluwe地区の直線道路の果てにあって、建物は幹線道路に背を向けて1911年頃に竣工したと言われている。
 建築史的に言えば、Viennaの建築家Josef Hoffmann(1870-1956年)の傑作であり、その代表作のひとつとされるものだ。
 また、この施主はBrusselsの銀行家のAdolphe Stoclet(1871-1949年)で、20世紀の初頭に建てられた最も洗練された豪華な個人邸宅とされている。
 生年を見ても解るとおり、2人はほぼ同年。施主は、銀行家と考えるよりは、元々は20世紀初頭の鉄道敷設関連の土木技師であった。
 施主は起伏のある土の上に重たい車両が高速で走るための鉄の道を引くことが仕事で、建築家も同じように土の上に重たい建築物を載せて自分自身を表現しようと考えていた。
 お互いの職業志望が似通っていた上、施主の女房は当時著名な美術評論家の娘であり、伯父は美人画で有名なAlfred Stevens(1823-1906年)であった。

Adolphe Stoclet House (0).jpg

 建築家と施主はViennaで鉄道敷設を指揮している間に知り合った。19世紀の末から20世紀初頭のViennaは文化が爛熟し、それまでの歴史を継承した保守的な文化組合に飽き足らない世代がこれに反旗を翻した。
 「Der Zeit ihre Kunst, der Kunst ihre Freiheit」(時代には時代の表現を)
 1世紀も経った今から考えると不思議な感じもするが、2人は、共にアバンギャルドで前衛的なモノに惹かれていた。それがViennnaの有名な「分離派」である。同年・同世代、古くから引きずってきたモノをブチ壊したかった。
 だから建物は表通りに背中を向け、時のBrusselsの人々は、王室に不満を表明したと噂したという逸話もある。同じ分離派同志だったFernand Khnopff(1858-1921年) や Gustav Klimt(1862-1918年)も建設に協力し、邸宅内にはKlimtの壁画がある。
 (だが……この造りにはどこか不穏なモノを感じるな)
 一体、何だろう。じっと考えている内に突如浮かんだものがあった。
 (ああ!)
 1899年に書かれたJoseph Conrad(1857-1924年)の「闇の奥(Heart of Darkness)」だ。
 Adolphe Stocletは裕福な土木技師であったが、彼が父親から受け継いだのが、あの「Société Générale de Belgique」である。

Adolphe Stoclet House (2).jpg

 当時のSociete Generalは現在のフランスの投資銀行ではなく、ベルギー最大の複合コングロマリット。投資金融もやれば、兵器生産もやる。マッチポンプのような企業体。Rothschildの姉妹銀行でもある。施主はこの銀行の頭取となっている。
 「闇の奥」では物語られる主人公は無職。叔母に頼み込んでベルギーの商社で面接して就職する。ベルギーの雇用先から委託されてCongoに出かけ、川を遡上する物語である。当時のCongoの奥地はベルギー領とされており、そうとはハッキリ書かれていないが、ベルギー国王レオポルト2世直営のゴム園で奴隷労働が行われていた。
 この強制労働は目を覆うもので、そもそも白人女性が帯同されていないことで想像がつくだろう。自分たちの同胞である女には見せられないほど異常な搾取だったからだ。

Adolphe Stoclet House (4).jpg

 当時のゴム園では、割り当てられた生産量に達しないと、黒人奴隷の右手首がナタで切り落とされた。白人監督者は銃と弾丸の割り当てを受けていたが、弾丸は1名1弾と決められたので残虐な刑が横行した。そして余った弾丸を監督者は横流ししたという。
 2009年に邸宅は世界遺産に登録された。「人類の創造的才能を表現する傑作」であり、「建築、技術、記念碑的芸術等、都市計画、景観デザインに関し、人類の重要な価値等を示すもの」であったため、とされている。
 Adolphe Stocletは平和と芸術を愛した人物であったろうけれども、人類は狂気と搾取、芸術と濫費と常に背中合わせにいるという、これまた象徴的な建築物でもある。邸宅は10年程前まで一族の係累が暮らしていたそうだ。残念ながら今でも一般には公開されていないが、こんな建物さえ残っているところがこの街の裏の魅力の一つだ。


追記
本日は、某所で久々にアジア飯を喰った。しかし例の消えたブツはそのまま。今頃、トルコだとかエクアドルとかに飛んで行ってしまっているかな。オホホホホホホホ。
ところで、CJ Ramoneの前座をやったThe Colvinsてのが某所にいて、そこのベースのヤツとちょっとした知り合いになったんだけど、その話はまだ決着付くまでは書けねえなあ。何の話かって?それも書けねえなぁ。オホホホホホ。諸兄姐、果報は寝て待て。待てば海路の日和あり。明日を信じて参ろう。

The Colvins (3).jpg
| 10随想 | 06:13 | comments(0) | trackbacks(0)
そろそろ16年に。
7月30日
そろそろ16年に。
 New Yorkには911の後は2度ほど行っただけ。一度はNew Jerseyの打ち合わせ。もう1度は世界一周の乗り継ぎでSouth CarolinaからNew Arkへ飛び、さらにJFKまで空港間を走り抜けただけ。
 何と言っても俺の知っていたアメリカ合衆国は911の前の社会だった。だからその後、変わってしまったアメリカのことは殆ど理解できていない。
 Manhattanに滞在した時は、2ブロック離れたところに酒屋があって、ホテルに一度荷物を置いて酒を買いに出たことがある。
 「ID見せて」
 「え?」
 「ID必要なんですよ」
 「俺が十代に見えるか?」
 「そうじゃなくて」
 店員のメキシコ系の男の子は、肩をすくめた。レジの後ろに小さなカメラがあるのだ。店員がレジで客のIDを確認しているかどうかということも監視されているのだった。
 (変わったなあ)
 その時、何か根本的なところでアメリカがすっかり変わったように感じた。
 2001年9月11日の朝のことは忘れ難い。見慣れたワールドトレードセンタービルへ旅客機が突っ込んでいく光景を繰り返し放送するテレビ画面。
 「大変だ!」
 想わず叫び声を上げて家族を起こしに走った。
 眠そうな目をこすりながら起き上がってきた家族もまた、
 「ええっ!」
 驚きの声を上げた。僅かその4ヵ月前に帰国したばかりだったから。
 「ああっ!」
 続けて流れたビルの崩落の瞬間には混乱した。目の前で起きていることと知っていることとの関連付けができない。
 (あそこに働いている人がいる。そして隣のWFCにも!)
 考えてもまとまらないのだが、現実に起きてしまっている。そして、この後に続けて起きることは何だろうと考えると、あまり深く考えたくないことが次々に浮かんできた。
「経験からいえば、確実で客観的といえる判断と見通しの素材は、ここにもないという にがく苦しい発見である」
 「ベトナム報道」でSaigonから帰国した日野啓三さんが書いている。
 WTCには山一の事務所があったが、俺の訪問した後、破綻して閉鎖した。しかし他にビルに勤務する何人かの日本人・日系人がいた。突然、日本の顔、「同胞」の顔が浮かんだ。皆さん、あれからどうされただろう。時々、想い返す。
 あの瞬間からアメリカは変わったのだと堤未果さんは書かれている。そして堤さんの指摘のようにグローバル企業は政府と癒着しているか――そういう企業もあるだろうが、それが全てでもないだろうとも感じる。
 「(記者が)お互いに議論するようなときは、個々の問題点を越えて基本的な議論になることが多い。『きみとは人間観がちがうからな』と最後には互いに呟くのである」
 特派員はカバーする範囲は見えているし、その範囲で起きたことを分析すればいい。しかし東京でデスクとなれば、地球儀を見て、この紛争が誰によってどんな目的で引き起こされたのか、分析しなければならない。
 「個々の事件が、いずれも否応なくわれわれに自分自身の基本的な価値観の自覚と反省を強いる」
 個別には略はあっても、国家規模までとなると、誰かの策謀では簡単には動かない。ワンショットは成功しても長続きはしない。そういうものだ。
 今月の「私の履歴書」は日本ガイシの柴田昌治さんだった。ご尊顔を拝した機会はない。だが、New Yorkで周辺の方にお世話になった頃が俺にもあった。プライベートの話も出て、間接的にお人柄は聞いていた。今月は、懐かしさと親しみと幾分かの苦い想いを感じながら愉しませて貰った。昔のあの辺りの街並みが脳裏に何度か蘇った。

追記
帰宅したが、ロスト・バゲッジでちょいと暗いトホホな夜。ミラノデショート・トランジットだったから、そこで、多分、間に合わなかったんだろう。チーズもワインもトホホかなぁ。
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