岡田純良帝國小倉日記

鉄面皮の正義面でメディアはまたまた沈没か。
6月20日
鉄面皮の正義面でメディアはまたまた沈没か。
 まず、のっけから時事ネタ。
 「沖縄への偏見をあおる放送をゆるさない市民有志」は今年の2月、TOKYO MX前で座り込みをするなどして、9日には衆議院議員会館で会見を開いた。これは沖縄問題でヘイトデマを垂れ流したとして、同放送の報道バラエティ番組『ニュース女子』で司会を務める東京新聞の論説副主幹だった長谷川幸洋氏の問題を糾弾した。
 「長谷川氏は同番組で司会を務め、デマの拡散に加担しながら、謝罪・訂正するどころか『言論の自由の侵害』だとして居直り、ますます非難を集めている」

会見する市民有志と山口二郎法政大学教授(衆議院議員会館).jpg

 有志は所属先の東京新聞に対し、同社の論説副主幹・長谷川幸洋氏の責任を追及する申し入れ書を郵送した。会見に出席した法政大・山口二郎教授は、
 「(長谷川氏は)公的言論空間においてものを言う資格がない」、「地上波でデマゴギーが当たり前になれば、日本の言論、民主主義は壊れる」と語った。
 基地移転の問題で、島外からも反対勢力が詰め掛けて、テロのような暴力行為を繰り返していると報道した。これは、昔から一部のメディアでは報道されてきたもので、新しい話ではない。俺の場合には、昔から沖縄の身内から聞いている話でもある。
 ところが、この件で東京新聞社内は紛糾して、長谷川幸洋氏は論説副主幹の肩書きを外されたと俺は聞いた。
 共謀罪でもそうだが、そこまで神経質に言論の揚げ足を取ることで自分の首を絞めることにもなる。安保法制議論の時も、山口センセイはツイッターにこう記したそうだ。
 「日本政治の目下の対立軸は、文明対野蛮、道理対無理、知性対反知性である。日本に生きる人間が人間であり続けたいならば、安保法制に反対しなければならない」
 俺は、センセイの言う、野蛮・無理・反知性な立場だ。もしセンセイのような人間であり続けると、周辺諸国から蹂躙される可能性が高まっていく。家族も守れず座して死を待つのだけは俺はイヤだ。
 ところが、センセイは次のようなことも叫ばれておられる。
 「安倍に言いたい!お前は人間じゃない!」
 「安倍政権の統合失調症はこれからも続く」
 当時、センセイは自らヘイトスピーチの実例となり、各所から失笑を買い、障害者に対する配慮不足だと怒りまで買った。

山口二郎法政大学教授.jpg

 昨日の「文藝春秋ものがたり」に、タイムリーでしかもナイスな田中健五のコメントがあった。またまた引用したい。
 「いろんなところで『ジャーナリズムの正義感』だという人がいてね、でも山本七平さんとも話したんだけど、歴史も人間も、絶対の正義ってないんですよ。正不正は一皮むけば入れかわる。正義をかざすと今度は悪魔にもなりうる。だからマスコミはそれをやっちゃいけないという意識はつねにありました」
 センセイは「ジャーナリズムの正義感」に身を焦がしておられる。しかし、本来学者は一歩引いて冷静に状況を観るところに存在意義があったはず。
 立花隆に「田中角栄研究」を書かせた編集長はこうも言っている。
 「そういえば『角栄研究』の前に、角さんに随筆の原稿を頼んだんです。『角さんのゴルフ』っていう題。秘書はOKだと言うから待ってたら、内閣記者会が『そんなもの書かせない』。たかがゴルフですよ、あなた(笑)。日本手拭おをぶら下げて……といった話なのに」
 そして、当時編集部員だった者もこう証言する。
 「出たあと新聞記者に会ったんですよ。そうしたら、文春は金脈なんて言ってるけど、何やってんだよ、そんなの俺たちは全部知ってたんだぞって言うんです。知ってるなら書きゃいいじゃないかと言い返したんだけど」
 ともかく、この辺りに永遠不滅の「中庸」というものがある。
 今、あらゆる陣営がヘイトスピーチを繰り広げているようだけれど、メディアはこの古い編集者達の語る通り、「正義」をかざすのはとっとと止めた方がいい。
 「正義をかざすと今度は悪魔にもなりうる」
 「マスコミはそれをやっちゃいけない」
 国や社会や時代が違えば、同じことも悪にも善にもなる。ヤバイぞ、東京新聞。


追記
32度まで上昇した当地では、Central Lineのホームから電車内は殆どムリって感じでしたね。今なら、Bangkokだってシーメンス製の電車の空調はバッチリ効いてるからなぁ。イギリスのガンコさが頂点に来たって感じ、ありますな。
ともかく、この1ヶ月半で起きたことね。とても議会制民主主義の総本山とは思えない浅薄な議論と結果で、成熟した大人の国ってのは、最早、とても言えるような国じゃなくなってきていると想う。テロが止まらないけれど、これが黙っていた方の反撃ということになれば、もう、最悪の負の連鎖だからなあ。警察の発表はまだだけど、

「コイツは報復だな」

というのが素朴な感想だと想うよ。多分、そうなんだろ。これじゃ、この国、滅茶苦茶だよなって、会話している。クソ熱い電車の中で。「欲望という名の電車」みたい……そして、パリでまたまたテロがあった。カラシニコフ……

追記の追記
「共謀罪」というけど、ほんっとに治安維持法の再来だと信じている人がいるなら、それは変更報道に洗脳されている訳だけど、そう言われて不安にならないのかな。そういう人は自分でモノを考えないからなあ。
国連で進めている国際組織犯罪防止条約を批准していない国は日本を除くと未締結は10カ国(パラオ、ソロモン諸島、ツバル、フィジー、パプアニューギニア、ソマリア、コンゴ共和国、南スーダン、イラン、ブータン)だけよ。哀しいことですが、日本では新聞やテレビを鵜呑みにしているということがこれだけでも分かってしまう。偏向した新聞はもう、あなたの目を曇らせることしかしませんよ。残念ながら視聴料徴収している国営放送も偏向傾向は鮮明。何も分かっていないんだから。世界の現実なんて。
| 10随想 | 06:25 | comments(0) | trackbacks(0)
ヴェト飯、O.K?
6月18日
ヴェト飯、O.K?
 朝10時過ぎに家を出て、Hammersmith方面。
 家の場所がどんな感じかっていうのを分かって貰うのに、Ian Duryで説明できるかな。
 80年代、このマンションにあのIan Duryが住んでいて、近在の人に知られていた。マンションはLondon最古の橋、Hammersmith Bridgeのネキに建っている。
 当然、季節が到来すると、ボートレースをやる。そういう時には、このバルコニーからレースの様子を観ている。そうすると、下から声が掛かって、Ian Duryは上からそれに手を振って応酬したそうだ。

      Ian Dury at Kennington Park.jpg
 この頃のIan Duryはジーンズは裾上げせず折り返すだけ。靴はDr. Martinの8ホールだ。
 だけど何時もスカーフを首に巻いていて。渋谷のParco Quattroで近くのKiddy Landで
 買ったというマジック・ハンドをビニール袋から取り出して、予め用意させた小さな
 テーブルの上から取り出しては、開いたり閉じたりしていた。エッチなんだよ。だけど
 セクシーなジジイだったな。ゲスト席のPeter Barakanがコーフンしてたっけ。
 Malcolm McLarenの「SEX」にやってきて、18歳のGlen Matlockが寸法を測ったら左肩が
 殆ど「無かった」んだそうだ。それで小児麻痺で体が歪んでいるんだと分かったって。
 Glenは祖父が同じ小児麻痺で苦しんだ。だから「ますます親近感が湧いたんだ」って。

 彼は最晩年にはオフクロさんの暮らすHampsteadの丘の上に移り住んだ。俺が引っ越す前に住んでいた辺りよりも、もう少し上の方で、典型的な19世紀に開発された高級住宅エリアだった。
 1970年代にはHampsteadの丘の上は仕事の無い若者が不法占拠して暮らす対象になっていたところがあって、Sid ViciousはHampsteadの丘の頂上のパブの近くに暮らしていた。そこに1976年に転がり込んだのがJohnny Rottenだったわけだろう。

      Ian Durys Apartment (掲載).jpg

 俺の気に入っているパブは全盛期のIan Duryの暮らしていたマンションからさらに数百メートル西に行った所で、そこで一杯ひっかけると、我が家からは3キロ前後。
 さらにパブから北上した場所に見つけたのがHai Phongから来たシェフを4人も厨房で働かせている某店だった。
 「Banh da cuaはあるかい」
 「私たちは好きなのに西のヤツは好きじゃないから」
 「私は好きだけど」
 「アジア人は好きですよね」
 というわけで、何時かHai Phong名物のBanh da cuaを作ってもらおうかと想った次第。
 「普段はメニューに無いから、できないです」
 オフクロさんがHai Phongから出てきて、応対した男の子はHanoiから来たんだって。
 そいで頼んだのがこちらのBun(炭火焼の薄切り豚肉と豚団子)。久々――San Francisco以来の美味さ。
 Ian Duryはこのざっかけない街で暮らしていたんだけれど、オフクロさんが調子悪くなって、面倒見るのに屋移りした先が丘の上だったわけだな。おっかあには弱いもんだ、男の子ってのは。

Bun(Chargrilled Pork and Grilled Pork Ball)


追記
昨日の「the Guardian」にGlen Matlockのインタビューが載っていた。息子は2人共にミュージシャンになったってさ。24歳と20歳。オフクロさんは2013年に心臓麻痺で、オヤジさんは15年に病気で、夫々亡くなった。色々あるわなあ。オヤジはイギリス空軍勤務だったんけ。
| 10随想 | 17:36 | comments(0) | trackbacks(0)
水が違う話――御大と中国茶談義。
6月18日
水が違う話――御大と中国茶談義。
 先日、柴山俊之さんからメールが来た。5月にお会いした時に倫敦から持参した紅茶、ラプサン・スーチョンをご自宅で試してみたらしい。
 
柴:先日はお疲れ様でした。戴いたお茶を飲んだら、凄い「香り」というより「匂い」がしました。岡田さんは飲んでるんですか…?
 6月9日 是非 観に来て下さい。

 このメールを見て、ピンと来た。ラプサンは難しいところがある。柴山さんは、俺の知る限りでは中国茶がお好きで、とりわけ普洱茶がお好みだ。存じ上げてはいたのだが、今回は思い切ってラプサン・スーチョンこと、正山小種を持参した。
 イギリスでも紅茶よりも近頃の愛好家は中国茶に入れ込む人があって、静かな中国茶ブームは久しく続いてきた。その中心は普洱茶でなく正山小種で、中国茶の人気の源泉は正山小種と言っても過言ではない。
 
       「中国茶の教科書」表紙。.jpg

岡:本当は岩茶をお送りしようと思ったのですが、いいお茶が手に入らず、中国から殆ど日本には入らず、中国からロンドンに輸出されているというラプサンスーチョン(正山小種、烟茶)にしてみたのです。日本では珍しいはずですがもしかすると、その臭い、正露丸みたいな感じでしょうか?
 調べてみると、正露丸のクレオソートと茶の松の薫香が似ているのでそう感じる人があるとありました。

 キクと誠。.jpg

 ロンドンは超硬水。このために味や香りが軽くなるとありますが、日本の軟水は重く、臭いほどになってしまうかも知れません。こちらではそれほどの臭気は感じません。醗酵茶らしい香りがする、という程度です。
 とはいえ、日本の軟水と合わないのであれば、無理せず、適当に処分して下さい。
 お茶一つでも水が違うと難しいものですね!
6月9日、楽しみにしています。

柴:日本で売ってるミネラルウォーターを買って 再度チャレンジしてみます。
エヴィアンですかね?それで飲めたら モンダイナシ

 メールを出して直ぐ後に返信があった。柴山さんもお茶好きなだけあって、わざわざ水を買って来て淹れてみるとは驚いたなあ。

岡:ヴォルヴィックは軟水なのでダメですが、エヴィアンなら効くかも知れません。
最も利くのは抽出時間。短めにするとか加減して試してみてください。疲れが取れ、リラックスするにはいいようなので!

         「中国茶図鑑」表紙。.jpg

 するとやっぱり直ぐメールの返信があった。
 
柴:エヴィアンで飲んだら飲めました。水でこんなに違うんですね。菊

岡:それはよかったです。淹れ方も、水道水でよく、入れる時間は、例えば150ccで茶葉3gを30秒とか。もしこのお茶を気に入られたら別のお店でも買い求めてお持ちします。

 この話一つ取ってみても水の違いは大きいことが分かる。柴山さんは中国茶、しかも普洱茶の愛飲歴も長い。そういう方でも、軟水では、正山小種には耐えられないほどの異臭を感じる。それが買ってきた硬水で淹れ直してみると飲める。
 硬水と軟水の違いはこれほど大きいのだ。同じ料理でも全く違ってくる。イギリスで売られている安い紅茶でも、硬水で淹れてミルクを足すと、かなり美味く感じられる。ところが日本で淹れるとパッとしない。乳脂肪分の高いイギリスのミルクのお陰かとも想う。


追記
イギリス人の間のラプサン人気には正統な裏づけがあるのだが、ここでは明かさないよ。オホホホホホ。次号かな、ジェットに書いておいたけんね。その後、俺は柴山さんに別の紅茶をお持ちしてモンダイナシ。

追記の追記
今日は30度まで気温は上がり、刺すような日差しで、日向は数分も立っていられないほどの暑さになった。10時頃に家を出て11時頃にはかなり気温が上がって。14時頃に歩いていると耐えられないほどの暑さに。ロンドンの真夏だで。7月の終わりには秋の気配が濃厚大学。
| 10随想 | 07:06 | comments(0) | trackbacks(0)
格差と差別と――ここでも出始めた不協和音。
6月17日
格差と差別と――ここでも出始めた不協和音。
 直感的に抱いた火事の社会的な背景についての問題なんだけれど、日本では高級住宅街の火事と言われているが、実際、この建物はCouncil Schemeの公共住宅。日本で言うと、昭和の都営アパートだった。
 (1)公共住宅はスラムにならないよう市内に分散させた
 (2)富裕層の多いKensington & Chelsea区でも低所得者は公共住宅に居住
 小山台の南の荏原○○アパートのあるようなもの。成城の南に○○アパートのあるのと同じ。
 Kensington & Chelseaは北側に低所得者が多く、中間部のHolland Parkには富裕層が集中し、南側にかけて中間層が居住している。

20170616 the Guardian Grenfell Tower  (1).JPG

 Grenfell Towerは区内の北部にあり、昔からカリブ移民が多く、地区東部で隣接するNotting Hill地区のCarnivalでは、過去にも大暴動が繰り返し起きて来た。
 問題のこのビルではどうだったのか。報道されている主な原因。
 (a)火災警報システム等の不備を住人が訴えても何年も放置
 (b)大規模修繕の杜撰な工事(スキル不足の職人が可燃物を外壁に使用)
 (c)冷蔵庫が爆発してガス管に引火した
 これまで、皇族も、首相も、市長も、弔問に訪れたが、首相と市長は罵声を浴びた。

20170616 the Guardian Grenfell Tower  (5).JPG

 ビルは倒壊の危険があるため、遺体の搬出も現場検証も遅れており、今後数週間はかかると言われている。被災者は地区の教会や集会所に収容されている。
 2日間で2百万ポンドを超える現金や被服等の寄付が集まっている。

20170616 the Guardian Grenfell Tower  (2).JPG

 前から指摘している通り、日本のような自由主義国から来ると、イギリスには明らかな階級社会の問題を感じる。アメリカでも富裕層と貧困層の居住地区が分かれるという、大都市部のドーナツ現象はあるにしても、イギリスほど「階級」を感じる場面は少ない。
 我が家のアパートのある地区は因みに中間部の西端。富裕層でも貧困層でもない、中間層ブロックに居住しているわけだ。幹線道路で南北と東西に居住者層が分けられている中で、隣の区と隣接した曖昧な中間層中心のブロック。
 雑多に交じり合ったエリアを気に入って移り住んだら、この大火が起き、住人を分断するような喧々諤々の論争になってきてしまった。
 このエリアを気に入っているフランス人なんかも多い。フランスは日本とこの辺りは気質が通じる部分もあって、自由と平等には喰いモノと同じようにウルサイ。
 一方、ロンドン中心部には多数の会員制クラブがある。会員のみが出入りできるクラブは、排他的で、独善的で、まぁ、イギリスはこれで21世紀もやろうってんだから、困ったもんだ。
 歴史的にも、富裕層の中にも隠れ共産党員が多い理由は、初めてここに暮らして実感できるようになってきたよ。
| 10随想 | 16:48 | comments(0) | trackbacks(0)
倫敦の洗い場主任誕生。
6月17日
倫敦の洗い場主任誕生。
 92年に所帯を持ち、97年に小倉某所からアメリカ東海岸に引っ越すまでの5年間は、洗い場担当として何枚も皿を割ったものだが、その分、中々腕を上げた。狭い場所でも効率よく手洗いするのに慣れた。
 その前年2月に同じ小倉の町内で引っ越して広くなったのだが、キッチンには仔分はまだいなかった。
 97年夏に引っ越した先のNew Yorkは軟水で、古い食器洗い機はあったが、殆ど使うことは無かった。
 翌年さらにSan Franciscoに引っ越した時、ここも軟水地帯だったけれど、とうとう食器洗い機を使い始めることになった。食洗機はアメリカ人でWhirlpoolと名乗った。
 「オメエは俺の仔分だな」
 すると、“小倉の料理番長”は言ったものだ。
 「じゃ、これで洗い場主任に昇格」
 それで、俺は台所の現場から体よくお払い箱になった。
 その後、帰国して、今はアクビ娘の暮らす家に引っ越した時、“小倉の料理番長”はずずいと身を乗り出して、
 「ここは一つまた仔分を雇おう。あたしに心当たりがある」
 と言ったものだ。主任に昇格したものの、つまり、俺の信用は無い。
 “小倉の料理番長”の見付けてきたのはドイツ人のMiele君。頑丈で大きく、しかし静かに仕事をするのでもう熟練の域に達している。
 それが、昨年から先日までの1年半近く、今度は倫敦で仔分無しの洗い場担当に降格。50歳を超えて現場作業を続けていた。俺が悪い。アパートの台所に食洗機が設置されていないことを知って入居を決めたのだから。
 (まぁ、俺の腕でちょいちょいよ)
 それが大きな間違いだった。愚かな選択をしてしまった。

 食洗機稼動 20170527 (1).jpg

 この街は実は世界で最も硬度の高い水質のエリアの1つとして知られていて、水垢がヒドイ。知る人ぞ知るもので、聞きしにまさるおぞましいLimescaleだった。
 倫敦から西方の港湾都市、Bristolに至るまで、Southern Englandの大半は超硬質の水の出る地域。石灰質の岩盤を水が流れているからで、コイツがとんでもないわけ。
 国を挙げてこの事態を重視している証拠に、対策室(http://www.water-guide.org.uk/limescale.html)が設置されている。
 この硬水は何がひどいかというと、洗い場で水しぶきをそのまま放置しておくと乾燥した後にはベッタリと白い石灰のようなもの(実際に石灰なんだけれど)が残っている。これが水道水の正体だから、どんなものでも同じ現象が起きる。
 ワイングラス、普段使う鍋・釜・茶碗の類まで、全てこの白い石灰成分がベッタリと着くのだ。しかも、基本、食器用洗剤の泡立ちが悪くて油分は落ち難い。洗濯機だって同じだから、洗剤は1.5倍使えと書いてあるのだ。

      引越し20170528 洗濯機水漏れ (1).JPG
 洗濯機の水漏れ事件(1)。水もれ甲介。水漏れの様子を観察してみると、洗剤の投入口
 附近からの水しぶきがある。洗濯終了後に引き出してみると投入された洗剤が水に溶け、
 ドラムに流れ込むはずの洗剤水の排水溝にプラスチックのプレート状の部品がベッタリ
 覆いかぶさっている。

 洗剤を使ってコップを洗い流し、最後に布巾で水気を拭き取る時、キュキュっと音がするようなことは、残念ながら、そのままでは絶対に起きない。力を入れてこすって、なおこすって、ようやく皿の表面のねっとりした石灰分が消えていく。
 この1年半近く、どこかで諦めたところがあった。こんな水質では、
 「水に流す」
 なんてことは、発想として浮かぶことはないだろう。
 同じ石灰質なら映画にも出てくるが、南フランスやイタリアも同じことじゃないかと思いきや、実際にこの街ほど高い硬度ではないそうだ。
 (だから)
 昨日と同じ明日――カイゼンしない日常――この人たちの怠惰なキャラは何なんだい――しかも頑迷で固陋丸出しの一本気。

引越し20170528 洗濯機水漏れ (2).JPG
 これでは排水されないから洗剤が溶けた水がオーバーフローして溢れるわけだ。よく
 観ると、そのプレートは洗剤投入口の引き出しの液体洗剤の目安の目盛りが刻まれた
 ディバイダーだった。外れた部品が排水溝にふたしていたのだから洗剤水がどこかに
 溢れて漏れるのは当然だわな。こんなことを繰り返しながら慣れていくしかないのだ。

 ついに水質と人の気質に似通ったものがある説まで我が家で出始めて、食器洗い機を導入しない限りこの事態はカイゼンしないという結論に達した。
 (食器洗い機を!)
 今回引越しするに当たっては、かように切実な事情が俺にもあったわけだ。
 仔分はドイツからやって来たBosh君と名乗る新人だが、ひとまずよく働くようだ。石灰質のべったりしたしぶきの後は見付からない。洗い場に立つのがイヤなのではない。手洗いではキレイにならなかったからイヤだったのだ。
 (ああ、これでサッパリする!)
 この安堵感は大きい。
 周囲の諸兄姐は、水垢を気にしていないみたいだけど俺は辛かったね。漱石の場合は、この国の気候天候が合わなかったと言われるけれど、日照時間の問題だけでなく、そもそも、水が合わなかったんじゃないのか。年々歳々この身は根っから日本人だなと想う。
| 10随想 | 06:40 | comments(0) | trackbacks(0)
今日の“Blow Your Face Out!!”な一皿――Braised Beef Ragu Fettuccine!
6月16日
今日の“Blow Your Face Out!!”な一皿――Braised Beef Ragu Fettuccine!
 前日の深夜のヘリの音で先送りになってしまったけれど、13日の夕飯は久々のロンドンのヒットだった。
 俺は口がうるさいので、鶏挽肉が売っていないだとか、豚の薄切りが売っていないだとか、色々文句言うけれど、口ほど怒っているわけでもねえし、絶望してもいない。
 とりわけ、そういう口先ばかりの文句を帳消しにして、

 “Blow Your Face Out!!”


 されたような気持ちになる、全ての感情をぶっ飛ばされる一皿ができた時、俺は素直なのだ。オホホホホホ。

Braised Beef Ragu Fettuccine   (1).JPG

 13日に喰ったパスタは、10日から仕込んでいた牛の挽肉のラグー・ソースを使ったわけ。時間と手間が掛かっている。牛挽肉を1.2kg買ってきて1.0kg分をラグー・ソースに仕立て上げたのだった。
 初日は肉とトマト・ソースを和えて馴染ませておいて、2日目に喰う前にチーズとバターを追加、ソースにパワーをさらに付ける。

Braised Beef Ragu Fettuccine   (7).JPG

 仕上げで、テーブルでパルミジャーノと黒胡椒をお好みで振る。このくらいのパワフルなソースになると、当然、赤ワインですなあ。初めて口に入れて喰ったのが4日目。さらに味が馴染んで濃厚に仕上がっている。
 アルデンテで湯がいた卵麺のフェトチーネは――これは元々美味いのだが、これと濃厚な牛挽肉のラグーだろう。子供の頃にデパートで喰って、お袋が恐る恐る作ったミートソースから幾星霜。大人の一皿ですわな。
 昨年来、Rome、Napoli、Sicilia各地で、それこそ、気前良くソースを絡めるざっかけない料理屋の皿を喰っているだろう、もう、パスタとパスタ・ソースの比率は潤沢に、気前良く無いと気分が悪い。
 引っ越した先にあったのは、地元の古いメーカー、Flavel社のディスコンの4つ口コンロ。オーブンは扉を開いたままでないと空気が循環せず火が消えるという空前絶後の旧式モデルなのだった。それでもまぁ、前のアパートよりはキッチンは拡がった。
 天に感謝して、地に接吻して、何事も有り難がって暮らして参らんとねぇ。赤い葡萄酒進(すすむ)くん。オホホホホホホ。毎天勤労感謝の夜也。

      4つ口コンロとオーブン&グリル.jpg

追記
昨日はOxford Circus方面にて各所と密談。ベンキョーになることあり。しかし、飴さんはやる気なしの件については当方は少々中っ腹。諸兄姐はどう想うか知らん。腹黒い相手とシレシレと付き合うことは中々難しいことではあるが腸捻転にでもなりつつやって参りませう。
野際陽子の訃報で某所から悲鳴。キーハンター…Gメン75…菅原通濟…3ナイ運動…ウーン、今や麻薬天国だからねえ。
| 10随想 | 14:23 | comments(0) | trackbacks(0)
Siciliaのこぼれ話――Bisacquino市警の先導で教会Mafia参詣。
6月16日
Siciliaのこぼれ話――Bisacquino市警の先導で教会Mafia参詣。
 SiciliaではPeugeot308を借りてかなり険しい山中を走り抜けた。大よそ次の街だ。
 Catania、Siracusa、Noto、Modica、Ragusa、Caltagirone、Agrigento、Mussomeli、Villalba、Vallelunga Pratameno、Bisacquino、Corleone、Palermo。
 海辺の町から海辺の町へと移動するルートが多かった。高速はまだしも、州道は時に狭く、行き交う時に道路脇で伸び放題の雑草がドアに触れた。
 また、山間の山頂に造られたRagusa、Caltagirone辺りは、2m半ほどしか幅のない敷石の通りが多く、しかも九十九折で切り替えしに苦労した。
 面白かった話としては、Bisacquinoでは19世紀末にMafiaの温床にもなった教会、il Santuario della Madonna del Balzo(聖マドンナ教会)を訪ねた時のことだろう。
 村外れにある教会は、街のど真ん中にある広場の地図でも分からない。
 「出てねえなあ」
 ここの神父は、社会主義は、キリスト教と矛盾しないと説いたこともあって、教会を中心に生まれた社会主義を指向する組織がMafiaの温床になった。

              Vito Cascio Ferro.jpg

 この小さな街が、最初のBoss of the Bossesで、Don Vitoと呼ばれたVito Cascio Ferro(1862-1943年)の育った街である。生まれたのはPalermoだが、父は農地監視人で母は小学校教師。だから当時は珍しくDon Vitoは読み書きができた。美能幸三も母親は学校の教頭だった。
 このDon Vitoはイタリア政府による社会主義グループの弾圧で国外に逃げたことがMafiaへの道に入るきっかけになった。鉱山とか港湾とか、Mafiaの成り立ちには色々地域特有の産業が温床になったりするが、間接的にせよ教会が関わったのも面白い。
 広場を警邏中の制服警官がやって来て、
 「おい、君たちは聖マドンナ教会を捜しているんだろう」
 「ええ、そうです」
 「やっぱりなあ」
 警官はせっかちに頷いて早口でまくし立てた。
「ここをずーっと真っ直ぐに行って、3本目を右に周り、2つ目のラウンドアバウトを3つ目の出口で右に折れ、4つ目の出口で降りるんだ。あとはずっと道なりで」
 とか言ったかどうか。少なくとも絶対に辿り着けそうにないのは確かだ。
 「オカピート?」
 「ううん」
 「オカピート?」
 前日までMafia Familyの村で一杯やって愉しんでいたのに。制服警官に早口で道を教えて貰っても調子が出ない。知らない街でそんなややこしい道順を懇切丁寧にだけど説明されて分かるもんか。

Marlon Brando & Frank Sinatra.jpg
 さて、右は若き日のFrank Sinatraだけど、左は誰だ。ウッフッフッフ、アッハッハ。
 Marlon Brandoその人だわいねえ。Don Corleoneだわなあ。Don Vitoともかぶるわけ。
 まだ若くて、安っぽくて、チンピラっぽくて。いいなあ、このシャシンは。

 「オカピート。私に着いて来なさい」
 そして、我が家はBisacquino市警のパトカーに先導されてMafia教会詣出をした。
 「ここから先は自分たちで行け!」
 村外れの角のところで山道を指し示すと、パトカーは坂を下りて行った。
 「有難う!」
 俺たちを敬虔なキリスト教徒だと思ったのかどうか。
 名高い白亜の教会は堅く門を閉ざしており、俺は小便をしたかったが我慢した。結局、警官に先導してもらったのに、教会内部は入れず仕舞いで、山を降りて、白亜の建物を遠望しながら草むらで立小便をした。
 「見たぞ、見たぞ、小便野郎!」
 そういえば、Agrigentoで立小便をしていたら背後から罵声を浴びた。これがSicilian Styleということなんだろう。親切心もイタズラ心も剥き出しの素のまま。
 Bisacquinoで後から思い出したのは、アカデミー賞を獲った名作、「或る夜の出来事(It Happened One Night)」を監督したFrank Capra(1897-1991年)はこの街で生まれ、20世紀のはじめにCaliforniaに家族と共に渡ったことだった。
 Frank Capraの映画は好きで、「素晴らしき哉、人生!」も素敵だと想う。世の塵芥にまみれて歳を取ると、夢を見たくなるし、夢を語る人が好きになる。Frank Capraなどその典型だ。

    Clark Gable with Oscar in 1934.jpg
 気乗りしなかったClark Gableが、若い無名の監督の映画に出たらオスカー。この頃の
 Clark Gableは最高だ。強烈に色っぽい。ヤバイ感じだよ、色悪ってのかな。

 第2次大戦の惨禍を目の当たりにして、夢のある映画を作ろうとして「素晴らしき哉、人生!」を製作した。この作品が興行的に失敗すると、大きなショックを受けて引退してしまう。何というのか、Italiaの気質というか、Sicilianというのか。
 ところが、この映画は今では史上最高の名画の一つとされるようになった。日本では師走の年忘れ時代劇映画の定番が「忠臣蔵」であるように、毎年、クリスマスの時期にはアメリカでは必ず放映される。ガキの頃にはベタだなぁと想ったけれど、泥水を呑んだ後で観ると泣かされる。

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問われる職人のモラル。
5月15日
問われる職人のモラル。
 大火災の原因は改修工事に伴うガス漏れではないかという噂が流れていて、さもありなんと想う。こちらに来て、ず〜っと言ってきたことだけれど、職人のモラルが低い。というか、職人でない層の人もモラルは低いけどね。
 とにかくスキルが無い人が多い。それで大事な仕事をさせて、結果的に手抜きになったとしたらどうするんだと。
 ず〜っと感じてきたことだけれども、このタイミングで、こんな形で起きるなんて。だけど、俺はどこかに社会の歪みがあって起きてしまった人災のような気がする。

Evening Stabdard 20170614.JPG
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Siciliaまとめ(下)。
6月9日
Siciliaまとめ(下)。
 日本人と通じるものはローマ時代の大浴場ではない。今も日常の中にある。
 何しろ食文化が素晴らしい。鯛、カジキ鮪、蛸、イカ、赤海老、アサリ、牡蠣、ウニ、ヒラメ、カレイ、カラスミ、小魚まで各種。東京湾〜伊勢湾辺で呼ぶ「目光」まであった。そして鰯、カラスミ、ウニ等を巧みにパスタと絡める。舌を巻くセンスがある。

Palermo Gang全盛期の上流階級の人々 (1).jpg
 Palermoの貴族たちはそれなりに色気もあって、サラセン人との文化的な混血からも
 その文化の水準は極めて洗練されている。金襴の世界と落ち着いた色味が混交した、
 それはそれは陰影の濃いものだった。南国の陰影礼賛である。色っぽいぞ。

 さらに野菜。トマトとナスがものすごく味が濃い。トマトはドライトマトでなくとも。基本のトマトソースも滅多に味わえない。味が濃いので塩する必要がない。フィノッキ、ピスタチオなども使い方が巧み。ブラッド・オレンジも最高に旨い。

トマトとボッコンチーニ.jpg

 またフェニキア人以来の伝統の海塩も素晴らしい。塩田を作らず潮の満ち引きだけを利用して作る海塩はミネラル分が豊富で、舐めても日本人には充分な酒のつまみになる。

鯛と野菜の焚き合わせ。.jpg

 魚介のカルパッチョも、オリーブオイルと塩をする点が違うだけで、要するに刺身。漁船の舳先に書かれた目も、アジアの我々の漁撈文化に通じる。特筆すべきはカジキ鮪。このカジキ漁は日本と全く同じだ。銛でカジキを突くエースの漁師を据える舳先の長いポール、一方で魚群を監視する見張員用のポールを上方に伸ばした構造は日本のカジキ漁船と同じ。200kg級の超大物が取引され、どこの市場でも夕餉用に売られている。

鰯のパスタ.jpg

 Sicilia最大のPalermoは、アラブ文化圏の影響は濃厚で、サラセン帝国の統治した時代の栄華をそこここに見ることができる。周辺には湧き水があり、灌漑技術に長けた彼らの水利政策で緑濃い街が生まれた。
 因みに、Palermo市内には3箇所の市場があるが、これ以外にも小さな市場のような商店街は多数ある。市場は休み無し。安息日なんぞ、どこ吹く風だ。フランスのように週末は働いてはいけないなどという野暮な法律は無いわけだ。
 ところが20世紀後半以降の旧市街周辺の乱開発によって、爆撃を受け、荒れ果てた古い市街地は残り、薄っぺらな違法建築の集合住宅が周りを取り囲む奇怪な景観ができ上がった。基礎工事のコンクリの中に抗争でどれほどの犠牲者が塗り込められているか分からないという話は昔から囁かれてきた実話らしい。
 現世のご利益に目のくらんだ新興Mafiaどもは金にならない仕事はしない。Palermo旧市街には大空襲でずっと廃墟のまま手付かずだった広場があった。Luchino Visconti(1906-76年)の「山猫」で、赤シャツ軍の戦闘場面が撮影された広場に行ったが、そろそろ再開発の対象になって取り壊しを待つばかりだった。

「山猫」戦闘場面の撮影場所.jpg

 また、映画の主な舞台となるSalina侯、Don Fabrizioの館となった邸宅も訪ねたが、こちらは外観そのまま、とうの昔に集合住宅に改造されていた。外側から映画の場面を偲ぶには、若い2人がSicilia(封建社会)からイタリア本土(都市の資本主義社会)へ飛び出していく場面で象徴となったゲートくらいしかない。

      Sicilian-Style Funky Jesus .jpg

 キリスト教寺院で面白かったのは、キリスト像が「見よ、神の仔羊」と指差しポーズを取っているのだが、ファンキーな雰囲気があって、どこか「聖おにいさん」のようだった。Italia半島でも南部は純然のキリスト文化というより、深い土着の信仰と混交している感じがあって、それが日本人のような混交宗教の民族にとってとても自然に映るところでもある。

Villarbaの移動魚屋 (1).jpg

 Siciliaはさらに剥き出しのギリシャ文化などが残っているので、キリスト教もある種、外部から持ち込まれた権力・権威、という見方もあるのだろう。本土では、中世以降、疾病の原因という理由で、ミイラにするための遺体の防腐処理を禁じられていたのだが、島では密かに処理技術を維持発展させた。
 島に大切な人の遺体が密かに持ち込まれ、島で防腐処理を施される時代が長く続いた。Palermoの地下墓地で、陸軍の将軍が肺炎で亡くなった2歳の娘に特別な処理を施した、世界で最も有名な美しいミイラ、Rosalia Lombardo(1918-20年)ちゃんを見た。
 ところがこの恐ろしいほど美しいミイラも、新興のMafiaによる違法な再開発で、Palermo旧市街の地下水脈が変わり、地下墓地内の湿度が上がり、痛みはじめたという。これも浅ましいがホントの話。全てはこうして互いに関連していく。その総体が歴史となるわけだ。
 日本人から寒村と言われたVillalba村も、新鮮な魚介類を軽トラックに乗せて売りに来る若い魚屋たちがいた。島中央の高地で魚介を使ったパスタがたらふく喰えるのだ。働く者の勤勉さと食文化の豊かさには泣けた。魚屋の若者はトラックの前で胸を張った。一期一会。いい想い出を持って帰って欲しい――その気持ちが嬉しかった。


追記
身内でイタリア関係で何人かいるんだけれど、Sicilian Cultureにはまった身内は言いました。
「10回は行ったわ」
「きわめて興味深いところよ」
共感するな。古い価値観が生き残っている。だけど、日本のカタギが御しきれるかな。ウッフッフッフ。

追記の追記
これから某所で密談後、買い物、調達、散髪等。明日早いけど、夜は柴山さんだ。とっても楽しみだ。逸見が死んだ後だけに何か昭和の昔を思い出しちまうな。
| 10随想 | 04:10 | comments(0) | trackbacks(0)
Siciliaまとめ(中)。
6月8日
Siciliaまとめ(中)。
 皮肉なのは、「Central Bar」至近に反マフィアキャンペーンを続ける博物館があり、熱心な女性係員の説明を聞けること。何れ、Corleoneと「Godfather」との重なる幻影は消えていくことになる。しかし義賊の面を残していた(1)と(2)の遺影まで消えていって欲しくないところではある。

      Palermo庁舎(反マフィア宣言) (1).jpg
  Palermoの立派な市庁舎バルコニーに堂と下げられた「反マフィア宣言」の垂れ幕だが。

 見学した回はUkraineから来た2組の男女のカップルが一緒になった。若いがどう見てもカタギの観光客に見えない。好奇心でCorleoneにMafiaの痕跡を訪ねたというよりも、失礼なようだが、先達の業績を見学に来た○○○Gangにも見えた。

Palermo Gang全盛期の上流階級の人々 (2).jpg
 Palermoの上流階級貴族の誰しもがファミリーにつながっていた時代が1980年頃までは
 続いていた。1995年頃にファミリーが殺しを止めるまで、社会の格差は大きかった由。
 金持ちは文化の爛熟に不可欠だけれども、威嚇による圧制・格差は長くは続かないわ。

 ドイツとフランス政府が介入したMinsk_II以降、Ukraineは小康状態を保っている。地理的な要衝であるだけに、Sicilia同様に北方の大国から蹂躙されてきた。今も政治は不安定で、今頃観光しているなんて、一体何者かという感じがしたからだ。

             Palermo Gang全盛期の殺人(口を出すな).jpg
  上の通りで殺された後に死体はここまで引っ張られ、両手をポケットに突っ込ませ、
  うつ伏せにさせて置かれた。「お前は前だけを見て歩いていればいいのだ(他人には
  余計な口を出すな)」というメッセージなのだそうだ。おっかねえやい。1980年代。

 Siciliaは、第2次大戦後、アメリカと組んで、Italiaからも独立しようとさえする。それほど、Italia本土からの精神的な距離が遠いという証左でもあり、一方、Siciliaの歴史や気質を敬う態度を示せば、彼らもそれに礼儀正しく応えてくれる。
 よそ者でも、こちらが礼儀正しく入っていくと、我々を礼儀正しく受け入れてくれる。さらに彼らの名誉と歴史を重んじるなら、彼らも敬意に深く感謝してくれるということ。そうすると打ち解けてくれる。
 控え目で、しかし奥深い礼儀作法と価値観は、今も「生きている」ところが素晴らしい。
 島最古の民族は紀元前6千年頃から住んでいたシカニ人。彼らは沿岸に居住していたそうだ。その後、イタリアからシクリ人が現われ、シカニ人は山へ追いやられていく。その頃、南仏からエリュモイ人がやってきてシカニ人と混血していく。
 だから、イタリア本土と比べても、背の低い、小柄な人が多く、
 「海の民族というより、Siciliaの人間は山の民なんです」
 あるところでそう言った声を聞いた。
 その後、島南部に遺跡が今も残るギリシャ時代に入る。

魚介のパスタ。.jpg
  このパスタもそうだが、パン粉を旨く使ってあり、風味とコクを出しているのだ。
  ピスタチオとかブラッド・オレンジも使い方が巧みで見事だったぜ。この青魚も
  ウワーッと思わせられるほど。旨い皿に何度かぶつかった。信じられない旨さだ。

 今でも、南部から東部を中心に残る神殿・遺跡群はギリシャ本島に匹敵する。その後、ローマ帝国を経て、アラブ(サラセン人)、フランス(ノルマン人)、スペイン(アラゴン)の統治時代、さらに19世紀のイタリア統一へ。
 島民は外敵から島を征服され続けてきた記憶がある。Siciliaの歴史はどこかの大国による統治の歴史なのである。四国に岡山を足すと島全体の面積と同じ位になるそうだ。「地中海の十字架」と呼ばれた美しい島は外敵に脅かされ続けてきた。

某所のギリシャ神殿.jpg
  こんな場所でも日本人が来ていた。鎌倉からやって来た3姉妹たちとそのお母上と、
  さらに孫の留学を心配して来られた祖父母の皆さんと、集合写真を撮ってあげた。
  お嬢さんさえしっかりしていれば大丈夫。心配しても、離れた異国だから栓無い
  ことですから。驚いたのは、彼女たち、寄せ書きの日章旗を持って来ていたこと。
  日章旗に寄せ書きとは――時代も変わる。人も変わる。頑張れ3姉妹。

 このため外敵に対する警戒感は極度に強く、権威から追われて逃げ込んで来た者には礼を尽して匿う「Omertà(オメルタ)」と呼ばれる価値観が生まれた。
 「見ざる、聞かざる、言わざる」
 である。
 とはいえ、それを無闇に恐ろしいものと考える必要はないだろう。我々のような全く遠方から来た人間に見せてくれた愛情は深いものだった。因みに古代ギリシャの大学者、Archimedes(B.C.287-B.C.212年)はSicilianである。遺跡には大浴場もある。当時ならもっとオープンであったかも知れない。今のSiciliaの人々が、では内向きで排他的な傾向にあるかといえば、そんなことはないと想う。決してそんなことはないだろう。
 アジアでは、15年前には某凍土の政府の人間の態度は卑屈なほど低姿勢であった。今では経済・軍事が巨大化したことにより、周辺国の脅威になるほど居丈高なものへと変わった。過去の恩義を忘れて。
 しかしSiciliaの人間は過去の恩義を捨てるような恥ずかしいことはしないだろう。とりわけ日本人との間では裸の付き合いができそうな人々だ。


追記
これから満員電車に揺られて街へ。北朝鮮の飛翔体発射の報。広島で中核派の大坂正明(67歳)が45年の逃亡生活後、「革命軍」のメンバーと共に逮捕された報。ニッポン真っ只中であります。今日の東京地方は曇りで、夜半は雷を伴う俄か雨が各地で降る予定。
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