岡田純良帝國小倉日記

変わった評価――Foujita。
5月21日
変わった評価――Foujita。
 昭和時代の終わりと平成時代の終わりを各々体験して感じることの一つに、多様性があるだろう。
 何時もどんなことでも実験に野心的なアメリカでは、LGBT関連の理解が進んだと想ったら、人気ドラマシリーズで同性愛者間の脂っこいベッドシーンがある。
 それはそれでさておき。
 日本では藤田嗣治(1986-1968年)の再評価などが世間の歴史の再評価に繋がった一つのテーマだろう。 
 「芸術新潮」は今も継続してフジタの特集を続けていて、NHKのEテレとタイアップしながら彼の生き方を取り上げてきたわけだ。世間一般の人たちから支持を集めるようになった。
 以前は気ままな享楽的な画家という取り上げ方をしていたのに、野心的でやがて求道的に宗教心を深めて行ったという風に取り上げ方・見方が随分変わってきただろう。
 しかし、それでもなお、彼を追放した当時の赤い画壇については、深く掘り下げられてはいないだろう。Foujitaの人間性を否定し、悲痛な言葉を吐かせた赤い画壇の真っ赤だった人たちの、非人道的で、非人間的な行為について、本来は抉り出されるべきではある。
 日本人はそろそろ20世紀の暗部を削り出し、直面してもいい頃だ。始まってしまった戦争に荷担した無名の大衆を糾弾するよりも、帝国が滅亡した後に、盗人猛々しく現われ、世に出た人たちの身ぐるみを剥ぎ取った大衆を恥じるべきだと俺は想う。
 というのか、彼らを扇動した一群の人たちを、今こそ、改めて評価すべきだろう。そうでなければ、これからも、同じような悲劇がニッポンでは起こり得るだろう。
 考えてみて欲しい。
 Foujitaは、日本人として異国で死んだわけではないことだ。そして彼の亡くなった後でさえ、半世紀も、未亡人は母国に還らなかった。

   「芸術新潮 藤田嗣治と5人の妻たち」(1).jpg

追記
本日は雨脚の強い中、シーメである。ちょっと暗い気持だなあ。
| 10随想 | 12:43 | comments(0) | trackbacks(0)
浅田彰――ナニモノか分からない人の正論(上)。
5月21日
浅田彰――ナニモノか分からない人の正論(上)。
 昨年10月には、日本経済新聞の「半歩遅れの読書術」に浅田彰(1957年-)が登場していた。
 同月20日、「支持される『露悪』に抗するには現実的な『再配分の政治』を」から。
 「去る8月、アレサ・フランクリンの訃報を伝えるアメリカのTVは、2015年のケネディ・センター名誉賞授賞式でアレサが受賞者キャロル・キングのつくった『ナチュラル・ウーマン』を歌い、貴賓席のオバマ大統領(当時)が思わず涙を拭うシーンを競って再放送した。黒人解放運動の同伴者としてアンジェラ・デイヴィス(ブラック・パンサー党)の保釈金支払いを申し出る一方、男が女に敬意を求める歌『リスペクト』を女が男に敬意を求める歌に変えたフェミニストでもあったアレサ。この『ソウルの女王』が史上初の黒人大統領の前で『あなたのおかげでありのままの女と感じられる』と熱唱し、礼装の聴衆が総立ちで喝采する光景は、黒人や女性の解放運動の結果、すべてのマイノリティーの存在と権利の承認が求められるところまで来た、輝かしい勝利の証だったのかもしれない。翌年の大統領選でヒラリー・クリントンがビヨンセやJAY Zを集会に招いて再現しようとしたこの光景こそ、ドナルド・トランプとその支持者が何よりも憎むものだった」
 「政治経済的な所得の再分配のみならず、マイノリティーの存在と権利を認める社会文化的な承認が重要性を増している。むろん富裕層や大企業の減税を求める共和党と富裕層から貧困層への再分配を求める民主党は明確に対立するが、たとえばウォール街との距離ではいまや五十歩百歩に見えてしまう」

田中康夫と浅田彰(2)。jpg.jpg

 「民主党はマイノリティーの承認とその成果としての多文化主義を強調し、共和党、とくにトランプが時代遅れの醜く愚かな人種差別や女性差別を匂わせてそれと対決するという『承認の政治』の前景化が生じたのだ。そこでは明らかに民主党が進歩派、共和党が反動派なのだが、だからこそトランプが醜く愚かであればあるほど支持者たちが彼の下に結集するという困った状況になっている」
 「しかし、民主党側にも問題はある。オバマやクリントンが社会文化面でマイノリティーの承認を強調しながら政治経済面ではウォール街べったりに見えるとき、彼らの姿勢は『偽善』と映り、対するトランプの『露悪』が逆に多文化主義の波に乗り遅れた大衆を惹きつけてしまうのだ。この『露悪』の大波に抗するには、リベラル派は多文化主義の自画自賛を超え、現実的な『再分配の政治』を再構築する必要がある」
 全く異論は無い。この人、経済学者で出発して、一時は、哲学の翻訳者みたいな、昭和初期の小林秀雄(1902-1983年)みたいなところがあった。今は京都造形芸術大学大学院の学術研究センター所長様だとか。ほぼ全文を引いてみた。経済学者の書く視座ではない。言うならフランスでは哲学者だか政治学者の言いそうな主張だし、書評欄の肩書きには「批評家」とあった。本稿、明日も続く。(『半歩遅れの読書術』、日本経済新聞)
 

追記
翻訳を中心とした評論家みたいにやっていればよかったのかも知れないけど、1980年代という時代が、日本の各地がすっかりはしゃいでしまい、ナニが何だか分からないうちに終わってしまったところがあって、そういう世情で世に出たのは気の毒だったのかも知れない。俺などは、ニッポンの世の中とその行く末をにどちらかというと悲観して、ゼツボーのあまり、世間様に恐る恐る漕ぎ出したというところがあって、スキゾのお話にはノレなかった。
当時は、宗教や哲学は、今と較べても、ずっとずっと低迷していた時代だったのではないだろうか。学歴信仰だとか拝金主義のようなものは、ずっと今よりも強かったし、それが単一のヒエラルキーを形成して息苦しかった。
知的な遊びと直感的で原始的な動物的な笑いが喪われていた。だから、戦後の焼跡闇市のような世界が、俺には光り輝いて見えたのだろうと想う。

追記の追記
本日は予報通り朝っぱらから昨晩に続いて関東全域で雨が続いている。本日は浮世の義理で某所でシーメ。浮世には浮世のお義理とお別れとがありまするぞ。俺の中ではもう2ヶ月近く、カタを付けろという声が止まないのだったよ。気は重いが、それでも、やらなければならないことでもある。それが、義理。

| 10随想 | 05:04 | comments(0) | trackbacks(0)
気になる本――フランス軍、傭兵部隊の魅力。
5月20日
気になる本――フランス軍、傭兵部隊の魅力。
 「フランス外人部隊」[野田力著, 角川新書]
 考えさせられるコラムだった。
 まず著者・野田力(のだ・りき)( https://twitter.com/noda_liki)へのインタビューを引こう。
 「高校卒業後、警備会社でアルバイトしながら自衛隊を目指した。『災害救援に携わりたかった。高校を卒業するころ阪神大震災後の自衛隊活動に関する本を読み、組織の中でどれだけ自分のやれることをやりたい、と思うようになった』。しかし自衛隊の試験は15回受けても不合格。たまたまフランス人と知り合ったことをきっかけに『外人部隊に入ることを考え始めた』」

野田力@Afgan.jpg

 フランス軍の外国人パラシュート部隊に配属となり、Afganistanに派兵されて衛生兵を務めた。この実戦の現場では「S.A.F.E.」という考え方が重要なのだという。
   「S(Stop the burning process)=脅威の無力化
   A(Assess the scene)=現場状況の把握
   F(Free of danger for you)=自身の安全を最優先
   E(Evaluate for the ABC)=症状の評価」
 きな臭く、血生臭く、おっかない。
 「帰国後は看護師や救命講習の講師などをして、衛生兵の経験を生かしている。『自衛隊とかけ離れた世界だったけれども、有意義な時間だった。可能性は低いが、また帰ることもできる心の故郷だと思う』」
 フランスの傭兵部隊の衛生兵といっても、銃撃を交える交戦地帯では軽機関銃を担いで隊の仲間を援護するのだから命懸けである。著者は、元々自衛隊に入隊して災害救援に関わりたいと考えていたわけで、15回受けても落ちた。

        「外人部隊」ジャケット。.jpg

 15回も受けたとは自衛隊の入隊考査では過去の受験回数を考慮に入れないということか。エアラインのマイレージ・サービスみたいだ。なぜこういうロイヤリティーのある人を自衛隊は採用しないのだろう。一つの社会なのだから様々な業務がある。使い方次第でどうにでも使えるだろうに。採用方法に問題があるように想う。
 ともあれ、この人はフランスの傭兵部隊にいたわけだ。俺にはちょっと憧れがあった。隣のイタリアのSardiniaまでは行ったのだが、フランス側のCorsicaには行っていない。著者が頼もしいのはCorsicaのCalviにある日本人経営のRestaurantが好みだと話していることだった。(「U Casanu」[18 boulevard Wilson 20260 Calvi Tél: 04.9565.0010])

「戦争の犬たち」スチール。.jpg

 「可能性は低いが、また帰ることもできる心の故郷だと思う」なんてフランス軍傭兵部隊への郷愁を言わせているなんて自衛隊が情け無い。San Francisco時代は陸上自衛隊から派遣留学していた医官がいた。差し支えない範囲で隊の医療体制を伺ったことがある。衛生兵の知り合いはいないので、実務はよく知らないが、それにつけてもなあ、である。(『あとがきのあと』、日本経済新聞)


追記
昨日の「サラメシ」は静浜基地のパイロット訓練の教官たちの昼飯だった。空上げ定食(唐揚げ定食)。自衛隊の訓練といっても、ジェット戦闘機のナニではなくて、その訓練は、セスナ型のプロペラ機なんだけど、古い関大尉のような人たちの脳裡に残っている画像と目の前の画面がダブるわけですわい。困ったことですわい。

追記の追記
昨晩は奈良は今井町の「出世男」で景気良く一杯。打ち止め近し。藤田嗣治(1986-1968年)の昨年の「芸術新潮」の特集は好調ですらい。今週は短い。また週末から旅。あの都会で円盤ゲットできるかな?密かに調査中也。果報は寝ないで待っててね。
| 9本・記録集 | 06:10 | comments(0) | trackbacks(0)
あれから何年――世界は暮らしやすくなりました。
5月19日
あれから何年――世界は暮らしやすくなりました。
 1997年に初めてか以外に住むことになった。もう四半世紀近く前になるから、ひと昔でもふた昔でもない感じだ。
 日本語放送のテレビも限られていて、各都市には、ヤオハンが出ている頃。それまでも、90年代に入ってからは、仕事でしょっちゅう行き来することにはなっていたので、事情は何となく分かっていた。
 New YorkならWhite Plainsにある大道くらいで、フジはもうあったか知らん。
 San Franciscoなら今はニジヤになっているけれど、前は何軒か日本食と日本書を扱う書店があった。
 San Joseには移民のやっていた和食店に加えて豆腐屋があったのだが、閉店してしまったそうだ。
 Las Vegasにも移民がやっていた古い和食店があったが、もう閉店してしまった。 
 我が身内にも話を聴くと、大抵、三世くらいになると、大学を卒業して、医者の資格を取ったら総合病院の医者になるだとか、会計士の資格を取ったり弁護士資格を取っても、会計事務所を開いたり、法廷弁護士になったりせず、大きな事務所に入る。

20190518 味のマルタイ 久留米とんこつラーメン.jpg

 つまり、弁護士でも、やり合う法廷弁護士ではなく、事務弁護士になって、目立たないように暮らしているのだと言うわけだ。日本人は外地に行っても、元より、きっとそういうあまり戦いを好まない性質を持っていると想う。
 1990年代はラーメンは貴重品だった。だから成田で箱入りの冷凍食品で、「九州とんこつ生ラーメン」を売っていたので仕事で帰ると必ず買って帰った。
 ところが、それから20年も経ったロンドン市内には、今井美樹みたいな芸能人が買い物に来る日本食良品店があるのだけれど、ここにも、今ではマルタイの豚骨ラーメン各種があって、単身で暮らしている者でも、そこそこ自宅で喰えちまうようになったわけです。
 そういや、ロンドンで、俺が見かけた本木雅弘と也哉子さんたち御家族は、タイ料理屋で静かに食事をしていた。日本食は家族で出かけて行くほど珍しいものではなくなっている。また、芸能人も普段は外国で暮らしていても藝能生活を続けていける時代にもなっているわけだ。

20190223 上越とんこつラーメン (2).jpg

 俺がアメリカに暮らしていた頃は、まだ、パソコンはダイヤルアップだった。丸型で掌に収まるNOKIAの携帯電話がまだ主流だった。遠い遠い過去のように想えるねえ。
 皇室問題でも取りざたされているけれど、New York州弁護士の資格を取る積もりで渡米して、キャバクラみたいな所に通っているようなオメデタイ人は明治の昔から途切れずにいますわな。
 グローバリズムの波は止められないと思いますよ。しかしね、あの頃の寂しさを知っている者にとっては、恋しい母国の味ってのには、厳しくなったものです。今も喰いにうるさいのは、きっと、若い頃に外地で暮らしたからで、その寂しさがバネになっているんだと想う。有り難いことだと想うね。   
| 7喰う | 13:58 | comments(0) | trackbacks(0)
気になる本――昭和、捨て子、頓死。
5月19日
気になる本――昭和、捨て子、頓死。
 「悪童小説 寅次郎の告白」[山田洋次著, 講談社]
 昨年の夏に奄美に行った時、そんな積りはなかったのだが、「男はつらいよ」で寅次郎がリリーと暮らす加計呂麻島のビーチを訪ねることになった。ビーチは静かな離島らしく、若い頃に鹿児島で働いていた女性が帰郷して開いたカフェにお邪魔をして四方山の話を聞いたリアル・リリー、縮めればリア・リリである。リア・リリよ、リア・リリ。
 そもそも、「男はつらいよ」は、予定調和の大王、山田洋次(1931年-)の脚本だったから、その内、国民的映画とかもてはやされるようになり、小学校の教師が王や長嶋と同じく教室でも子供たち向けの戒めや説教に使える安全パイとして扱うようになった。

   「東声会」町井久之会長。.jpg

 さらに腹が立ったのは渥美清(1928-96年)が他の喜劇映画への出演を取りやめたことだ。1970年代はイヤな時代で、例えば美空ひばり(1937-89年)は実弟の加藤和也の問題でNHKから干され、高倉健(1931-2014年)も任侠映画から足を洗った。イヤな時代である。
 そういうこともあって、ずっと気に入らなかったわけだが、渥美清の本名は田所康雄で、「東声会」系で新宿を縄張りにする「三声会」と近かった愚連隊の予備軍のような男だったことを知って見方が変わった。阿佐田哲也(1929-89年)は田所時代の渥美清を知っている。
 だからこそ、奄美では、「男はつらいよ」は作りモノだったのだと却って実感した。
 讀賣新聞では戌井昭人はこう記す。
 「寅さんが、妹のさくらとは異母兄妹で芸者の子供というのは知っていたけれど、父親との確執は相当なもので、子供の頃は随分辛つらい思いもしていたらしいなどなど、このようなエピソードが戦中、戦後の時代背景と重なりつつ語られている。寅さんは昭和の経済成長とともにあると思っていたが、戦争の子供でもあった。いつの間にやらわたしは、実在の人物の自伝を読んでいる気になっていた」。

現場の渥美清。.jpg

 朝日新聞では意外にも斎藤美奈子が本書を取り上げでいる。
 「寅は帝釈天の参道の団子屋の軒先に捨てられてたんだそうですよ。それが昭和11年2月26日、二・二六事件の当日だった。道楽者の父親と売れっ子芸者のお菊の間に生まれたのが寅で、京都に身売りするお菊が父親の家の前に置いてった。だから妹のさくらとは母親が違う。しかし、育ての母の光子がそりゃあできた人でね、寅次郎をわが子同然に育てた。上に兄がいたんだけど、戦時中に発疹チフスで亡くなって」
 車寅次郎は昭和11年生まれとは知らなかった。11年生まれはあんなダボシャツを着ない。昨年亡くなった父親には弟がいて、乳飲み子で親戚の家に養子に出たが、養家の夫婦が離婚して出戻り、直ぐに病死していたことを謄本で知った。それが寅次郎と同世代だ。
 「男はつらいよ」が人気シリーズで世間に受容されるようになってから、脚本家の小山内美江子(1930年-)は「3年B組金八先生」を書いて、荒川放水路の河川敷でテレビのロケが行われるようになったと俺は想っている。息子の利重剛は元気かな。(作家・戌井昭人評、讀賣新聞 / 文芸評論家・斎藤美奈子、朝日新聞、他多数)


追記
昨日は絶好の外出日だったにも関わらず家で静養していました。お陰様で良い休養日になりました。

追記の追記
小山内さんは別件で今の俺とも近頃は海外の某国での活動に絡んで関係が深くなっている。お子さんの教育ではかなり苦労されたことがあるのだろう。それでも小山内版の脚本は、都会の下町の綺麗事の域を出ない感じがあったね。俺の周辺はもっとストレートな不良少年たちがいた。家の出自の違いというものが、絶対的なラインとして、彼我の根本的な暮らしを分断して、そういう目に見えないものが世間にはあることに気付かされた。京都で育った松山猛のパッチギとも違うけれど、朝鮮、徴用工、キムチ、漂白剤、ドブロク、チョゴリ、そういったものだけではなくて、土着の家も様々な家があったからだ。そろそろそういうことが記憶の中から薄らいできた。東京の子は思春期の反抗なんて、何か環境が甘いなあという感覚が70年代の俺のテーマだったのだ。
| 9本・記録集 | 07:50 | comments(0) | trackbacks(0)
Paul Cook――イギリスのオトコが心配。
5月18日
Paul Cook――イギリスのオトコが心配。
 俺の見るところ、この半世紀のイギリスで、歴代首相にはオトコがいない。チンポのついていない男ばかりで最早信じられないほど情け無い時代が続いている。
 半世紀の中で、2人、エライ人物が出ているが、1人目は俺が言うまでもなく、木春菊ちゃんであり、2人目は、今や皐月ちゃんだと断言できる。

Sid Vicious (3).jpg


 1人目は、英名なら、Margueriteちゃんで、2人目は、Mayちゃんである。
 彼らは2人共に、多分、オトコではないと想うけど、付いているのではないかと想うほど、立派な政治家だろうぜ。誰もやらない嫌われ者の仕事を引き受けて、国中から嫌われ続け、罵倒されている。
 あら還になってつらつら感じるのは、嫌われても引き受ける人のエラサで、分かっていても引き受ける愚直さだ。
 「BREXIT is NOT Punk」
 Paul Cook(1956年-)が俺に言ったけれど、この業界でそう言うことは、
 「原子力発電所は再稼動させるべきだ」 
 と言うに近いくらいのモノがある。
 彼は絶滅危惧種のオトコだろう。しかし、だからこそ、大丈夫かなあと心配だ。イギリスはダメになった。対岸の火事ではなく、我々のことも考えたいところではあるのだが。

              20181205 Play List.jpg
| 10随想 | 15:15 | comments(0) | trackbacks(0)
気になる本――江戸っ子の得意は引っ越し。
5月18日
気になる本――江戸っ子の得意は引っ越し。
 「築地――鮭屋の小僧が見たこと聞いたこと」[佐藤友美子著, いそっぷ社]
 昨年は東京と周辺の魚介流通業界で大きな節目の年になった。築地市場から豊洲市場へ、移転が実施された。あっという間に、しかも呆気なく終わってしまった。
 市場の引っ越しは一大事業なのだ。レベルにも上から下まである。各々の段取る計画力、実行する現場の実力まで。
 フランスのレ・アール(パリ・中央市場)が1969年に郊外のRungisに移転した。規模は築地の10倍ほどある。魚介、肉、野菜、チーズ、花卉、食器類と、扱う商品毎に建物が分かれており、一般人なら原則は入れない。市場が出て行った後に残ったレ・アールの古い建物は、短い間、展覧会・劇場などに利活用されたが、直ぐ1971年に解体された。
 その後、半世紀近く。2016年に新しい建物がオープンし、再び、ショッピングセンター、劇場、展覧会等に使われることになったわけだが、移動した先は10kmほど離れた場所だったので、当初は様々な混乱が起きた。
 元々、手狭になったこともあったが、交通渋滞の解消が目的でもあった。立地上、大型トラックが都心部に入り込む必要があるため、慢性的な交通渋滞によって生鮮食料品はその鮮度を喪い。生鮮を扱う市場の意味が薄らいでいた。

「鮭屋の小僧が見たこと聞いたこと」表紙。.jpg

 築地はそういう問題はとうの昔に解消していたはずだが、様々な横やりが入った末に、豊洲への移動をやり遂げた。築地の関係者は自分たちの偉さに、全然、気付いていない。おめでたい。そんなところが日本人のやることという感じもあるわけだが。
 施行管理者だとかには学びが多いだろう。プロジェクト・マネジメントの好例として後世のためにまとめておけばいいと想う。
 21世紀に入っても、2008年にLHRにBritish Air専用の第5ターミナルが開港した時、乗客の荷物が1万5千個も行方不明になったというニュースが世界中に流れた。空港の全域を管理するコンピューターのシステムもダウンして、散々な状況だった。
 築地から豊洲への移転については、ターレで人身事故があっただとか、引っ越しに伴うものとは思えないような、当事者には申し訳ないが、のんきな事故ばかりだったはず。
 というわけで、築地がかつてないほど注目を浴びた1年だったこともあってか、市場を特集するテレビ番組は多かったが、市場とそこで働く人に関する書籍は、意外にあまり出ていなかった印象がある。
 というわけで本書。
 お会いしたことはないのだが、こちらは以前から勝手に著者に親近感を抱いているのだ。今や、移転する前の築地でも少なくなっていた天然鮭の専門卸業者の「天然鮭 昭和食品」(http://www.tsukiji.or.jp/search/shoplist/cat-a/cat-3/248.html)の代表取締役社長である。
 しかしこの女性経営者は、若い頃には、金子光晴(1895-1975年)が好きで、アジア放浪を続けていたフリーライターだったという経歴がある。しかし、市場に仕事として本式に通うようになったのは恐らくバブル絶頂期である、そこに俺はピンとくるものもあった。
 しかも日本が札束でパンクしそうなイヤな時代だのに、20代の後半だった著者は年末の客でごった返す築地場内の店頭で、いきなり「人は要らないか」と声を掛けたのだった。
 それから30年。臥薪嘗胆。何かあるに決まっている。(『あとがきのあと』、讀賣新聞)

追記
昨晩は某所にてrock 'n' roll痛飲。力尽きて先ほどまで爆睡。よく眠りました。
| 9本・記録集 | 06:17 | comments(0) | trackbacks(0)
そろそろ打ち止めか――Dickの店の硬いヤツ。
5月17日
そろそろ打ち止めか――Dickの店の硬いヤツ。
 Dick Chaney(1941年-)が株主だったHalliburtonのSuite Caseは、アクビ娘の生まれた頃に買ったんだった。今の、エースが買収する前の前の前の前というところで、ボロボロで単機能で、重い。ELITE ATTACHE CE-4A とかいうのよ。
 タクシーと喧嘩しても勝てる。人間と喧嘩するとヤバいことになる。オホホホホホホ。
 ともあれ、こうして、かなり年期の入った状態になっているのだけれど、いよいよ、世界を股にかけてレコードを買っている御印にもなってら。
 マルセイユ、ロンドン、ロスアンジェルス、ニューヨーク、そしてメルボルン。旅をして、色々、ありましたわ。

そろそろ打ち止め。
| 8音楽 | 12:22 | comments(0) | trackbacks(0)
気になる本――久々の熱い評伝か、会津っぽの生涯(肆)。
5月17日
気になる本――久々の熱い評伝か、会津っぽの生涯(肆)。
 「評伝・小室直記 (上・下)」[村上篤直著, ミネルヴァ書房]
 先一昨日から続く小室直樹(1932-2010年)の話。会津高校の後輩で小学校の夜警を真似た人物を俺は知っている。その話を書いておこう。
 白虎隊終焉の飯盛山には、敗戦前、当時のItalyのFascist党党首・首相であったBenito Mussolini(1883-1945年)の名で寄贈された巨大な、石造りの「白虎隊顕彰碑」が21世紀の今日も残っている。知られていないが、戦前の会津はファシズムに近かったのだ。

「評伝・小室直樹 上・下」表紙。.jpg

 戦後、会津高校ではこの思潮が逆転した。今度はこの巨大な顕彰碑を引き倒そうという機運が盛り上がり、約束した時間に飯盛山に行った主導者が1人だけ処罰される。俺の知る人はその処罰されたお調子者でもある。敗戦で主義思想は真逆になろうと、会津は寒冷の蝦夷の地にあって、右にも左にも激しやすく、熱しやすい土地柄である。
 会津で育った小室が音に聞こえた変人・奇人でも、貧窮の末についに40代の末で書いた「ソビエト帝国の崩壊」は80年代のベストセラーになった。崩壊の10年近く前にソ連の衰退を予見した力について、世間はあれこれ言った。
最近、似た話を、探検家で作家の角幡唯介(1976年-)が書いているのを読んだ。
 「誰でもそうだが、20代、30代とひとつの物事を追求すれば、自分でも気づかないうちに膨大な経験を蓄積している。経験を積むということは想像力が働くようになるということであり、経験値が高くなれば多くのことを予測できるようになる」
 幾何学、数学、経済学、社会学――小室直樹は理論を立てて語ったが、それでも直観を大切にした。それも、薄っぺらなアカデミズムとは合わない。竹内は書いている。
 「私も小室の理論に魅了された一人である。小室は早晩東大の社会学の教授になるものと思っていたが、その気配はなく、アカデミズムでは不遇だった」
 東京で生まれたが、同盟通信記者だった父親が早く亡くなったので小室は母方の会津で育った。開高健(1930-89年)と同じように、家が貧しくて、持って行く弁当が無いので、昼休みは水を飲んで空腹をごまかした。

20151101 (飯盛山にあるファシスト党首ムッソリーニの顕彰碑).JPG
 飯盛山にあったムッソリーニが贈った「白虎隊顕彰碑」である。2015年11月P仙撮影。

 小室の曽祖父には爲田寅像という人物がいる。爲田家には戊辰戦争を生き延びた藩士がいたと口伝があり、筆者は爲田家の仏壇の位牌や古い戸籍を調べる内に爲田寅像がその会津藩士だと仮説を立てている。
 「世間は生きている。理屈は死んでいる」
 勝海舟(1823-99年)の言葉は、ノーベル賞を夢見た小室にも重なってくるようだ。
 日本社会でシノギをやっていると、識者は個別には正しい理屈を言うのだけれど、事実、世間はその通りには動かないことを誰もが知っている。なぜだろう。
 話は俺なりの結論に飛ぶ。
 小室直樹はアスペルガー症候群で土井虎賀寿はスキゾイドパーソナリティ障害ではなかったか。以前から疑っている。病理のリテラシーが向上している今ならまだしも、昔は京大でも今西錦司(1902-92年)のように師弟関係を重視するドンには理解されなかったことだろう。古くは京大哲学の西田幾多郎・田辺元を軸にする京都学派。土井虎賀寿はここから弾き出されたようなもの。では小室はどうなのだ。
 竹内さんには阿部次郎(1883-1959年)もいいが小室直樹をやって欲しい。旧制教育の精華であった高踏派の教養人とは全く相対するタイプの人物ではあったが、小室直樹もまた、京都アカデミズムの一端に連なり、また武道派の血を受け継ぐ日本の教養人の典型でもあろうから。(関西大学東京センター長・竹内洋評、日本経済新聞、『ライフ』讀賣新聞、産経新聞)


追記
何とか起きましたけど、本日も密談絡みの飲み会あり。キツイわなぁ。自業自得だけどねえ。
| 9本・記録集 | 06:45 | comments(0) | trackbacks(0)
Rocksteady Recordsで。
5月16日
Rocksteady Recordsで。
 Melbourneのレコード屋シーンではお互いに紹介し合うのが流儀のようで、俺が、Australian Garage RockのCompilationを探していると言ったら、
 「俺の店は守備範囲がガレージじゃないからな」
 そういって、別の店を紹介すると言って、「Off The Hip Records」をわざわざ紹介してくれたんだけど、
 「あ、今日は休みだった」
 そう言って、俺に謝るんだよね。
 「ゴメンな、何時までいるんだよ」
 「明日の朝、東京にまっすぐ帰る」
 「えー、そりゃマズイなあ」
 すごい困った顔になった。
 サンフランシスコのパンク野郎みたいで、徹頭徹尾、いいやつだったな。
 ちょっとだけ年齢は上かも知れないけれど、ほぼ同世代だと想う。Clashの一枚目が掲げてあり、晩年のソロ時代のJoe Strummerの写真が掲げてあった。

Rocksteady Records Sticker!


追記
ワインは無事な様子。だけど一般のエコノミー扱いだから出てくるのが遅くて往生しましたわね。これから小倉方面。映画はデイックチェイニーの人生とシカゴの未亡人たちの犯罪の話と久々のレッドフォードの犯罪物とマイケルケインのクラシックな犯罪物。マイケルケインのはこの5年後にロンドンパンクが爆発したのかと考えつつ見ると映画自体は下らないけど画面の中のロンドンはとーっても興味深くて面白かったねえ。
レッドフォードのパートナーはナーンと、トムウエイツ!話題にもならなかったのが悲しい。もしかすると最近映画をちゃんと評価できる人が少なくなったんじゃないかしら。
| 8音楽 | 20:01 | comments(0) | trackbacks(0)
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