岡田純良帝國小倉日記

対談余白メモ(壱)――河上徹太郎と小林秀雄。
再録シリーズ(1)
新潮が出してから3年が経過したから、もう、このテープも時効でっしょい。自分の備忘録のために無修正で。

2013年7月16日
対談余白メモ(壱)――河上徹太郎と小林秀雄。
 GWの間に丸善で「考える人 春号」を入手。この小林秀雄の特集号は「生誕111年・没後30年特別企画」だったのね。紀尾井町の「福田屋」での1979年7月23日の対談。
 付録のCDから、小林秀雄が「文學界」掲載の対談録から削り落とした部分を引用して、自分なりに彼らの間柄の感じをつかみたい。

 「旅行疲れからねえ、風邪疲れで。なんにも読んでねんだ」(河上)
 「ああいいとも。もうね、つまんないはなししようや」(小林)(爆笑)
 「それがおもしろいよ」
 「それがいいよ」
 「ぼくのタバコあるかな」
 「どこ行ってたの」
 「国行ってたの」
 「ああ、国行ってたの。ああそう」
 「あんた、毎年、毎年行くの、毎月行くの」
 「年に四回」
 「ああそう」
 「なにしろ名誉市民だからな」
 「用があるだろ、帰ると。ははは」
 「うん、俺が行くと一切ない。名誉市民っていう約束なんだ」
 「約束なんてったってね」

河上徹太郎と小林秀雄@福田屋(1979年7月23日)(掲載)。

 「君は元気か」
 「ああ元気だ」
 「君とこうして、こう座り合わせるのは十年以上ぶりだな」
 「そうだなあ」
 「なあ」
 「京都行ったことあるけど」
 「何しろ、はじめはまぁ、昔は俺の方が酒っていえば、スポーツみたいなもんだったかな」
 「うん」
 「それが何時の間にかこいつの方がスポーツになっちゃって。酒呑むのが」(笑)
 「うん。もうだめだよ」
 「2人でこの〜、酒呑んで語り合うってことが無いわけなんだよ」
 「語ってるひまねえよ」(爆笑)
 「う〜、語ってるひまなくなっちゃうからダメだよ」

 甲高い声が小林秀雄で、耳が遠いのか声は大きく、低い声の河上徹太郎の方が小さい。この導入部で気が付くのが、小林は対談を進めようと引っ張っていくのだが、河上はそう乗って来ない。この部分で、酒は最初から座卓に上がっていることが伺える。
 河上の真骨頂は「語ってるひまねえよ」という返答。切れのある言い回しで、ピシャっとやっつける。
 (バカ野郎、オメエと語ってるひまなんかあるかい)
 座が笑いに包まれるが、小林秀雄は何となく慌てているところが感じられる。なるほど、これが、酔うと、「バカ野郎」、「バカもの」となる河上徹太郎節かと納得した次第。この真剣勝負こそ臨場感であり、ライヴを聞く楽しさだ。

追記
帰宅すると、「戦場のメリークリスマス」を観ているわけですら。それはいいことなんだけれど、世代を感じたねえ。
アホの上塗りですが、歳を取りましたよ、俺もね。
| 10随想 | 06:53 | comments(0) | trackbacks(0)
P仙、Glen Matlockに会う。
5月31日
P仙、Glen Matlockに会う。
 28日の昼にBritish Libraryで会って参りました。
 こちらには40年の思い入れがあるのと、先様はお次の予定を急いでいたので、たった一つだけしか質問はできなかった。

        Glen Matlock with Sex Pistols

 ということで、当事者本人の証言を得たので、次号の「ロックジェット」に書いた原稿は、すっかり古新聞になってしまいました。悪く想うな、諸兄姐。ウハハハハハハ。
 諸兄姐、この辺り、ものすごい勢いで多数の当事者たちの証言を聞けそうだ。というか、すでに28日だけでかなり聞いちまったぞよ。
 この勢いで、俺っちも、「ロンドン・パンク大学院」の卒論を書くことになりそうだわい。ま、痴れたことよ。ゴメンアソアセのことよ。オホホホホホホホ。

      「Punk London」フライヤー

 図書館のホールで行われたまる1日の公開講座の「punk movement」。
 この日のチューターというか、進行役であり、聞き手になったのが、Liverpool School of Art and Designの教授であり、アーチストであり、ギタリストの Colin Fallows教授。非常に素晴らしい聞き手で、見かけによらず、ウィットありあり。

Colin Fallows 20160529 (掲載)

 この話は追い追い上げる積り。それにしても、当事者の証言なので膨大な情報量だった。脳味噌へのインプット過多のために、今は完全に俺の脳がOverflowしてアウトプットはできないでいる。
 しかもその翌日はJohn Lydonの生まれ育った家を訪れ、そのまた翌日には、正真正銘、Sex Pistolsの現役の疾風怒濤の時代にSid Viciousと暮らしていた彼らの本当の隠れ家も訪ねた。これまた仰天の位置と場所と眺めだ。
 そのどれもが俺を当惑させた。
 今の状態は、Overflowなのか分からない。そもそもEmbarrassedと呼ぶべきなのかも知れない。あるいは、Confusedと呼ぶべきなのかも知れない。

 Blow Your Brains Out!

 世間の考えていたイメージと、どこか微妙に違っている。俺の思い込みともズレている。40年間の年月が及ぼしたイメージの固定化と町並みの変化があるとしても。
 これから大変だ。
 俺の凝り固まっていた固定観念を、一度完全に溶かして吹っ飛ばさないとねえ。しかし誕生してから半世紀以上過ぎた古い52歳の脳味噌にそれができるかな。
 一体全体、そもそも何が書かれるのか知らんわい。ま、なるようになるさ。
| 8音楽 | 13:58 | comments(0) | trackbacks(0)
今日の一言――「ロンドンの旨いものはヨーロッパ大陸の旨いものである」。
5月31日
今日の一言――「ロンドンの旨いものはヨーロッパ大陸の旨いものである」。
 「ロンドンの味」[吉田健一著, 講談社文芸文庫]
 吉田健一の著作は日本を出てくる直前に小説以外の随筆をドッと買った。一部は船便に乗せたので、5月末になるというのにまだ届いていない。地球の裏側ではないけれども、日本は遠く離れているということは感じる。
 吉田健坊の本の中で、本書については飛行機に乗る時に携帯したほどだったのに、まだ読み終わっていないのだった。最近のこちらの生活の変化は大きい。
 事務所の行き帰りは電車でもないし、行き帰りに歩いているから電車で読むことはまず無い。そういう日々の移動手段の変化もあるのだけれど、元々、電車の中で夢中で本を読むことはできない。

       吉田健一 (2)
  北陸新幹線の開業で吉田健坊の本が売れているんだってね。生前だってこんなには
  読まれていなかったからねえ。本人は望外というのか、困ってんじゃねえのかな。
  山藤先生の絵も、吉田健坊くらいになると、愛があって何だか嬉しくなってくる。
  元のシャシンは、コップ酒やってんじゃなくて、シェリー・グラスだったのでは?

 物理的な問題よりも、日本語の書籍で、日本について書かれた内容の文章については、今はあまり読む気にならないからかも知れない。気分的な問題が大きいのだろう。
 情報については、もっぱら「Time Out」だとか「Short List」などのFree Paperから情報が入って来る。新聞に挟み込まれた週末の雑誌や記事にも読み物がある。歴史、新刊本や舞台、映画、新旧のバンドマンのコンサートのレビュー等々。幾らでも読みたいものがあるからだ。
 とはいえ、日々の暮らしでは日本語の本も手にとってチラチラと読むことがあるから、時々、ウウっと唸らされることがある。それが、タイトルになっている「ロンドンの味」。とても短い文章だが、実に面白い。
 今は休刊になった研究社の看板雑誌、「英語青年」向けに掲載されたために、通常の一般向け読者と吉田健一の視点が違っている。「英語青年」は2009年に休刊になったけれど、俺の学生の頃も、英文科の教授の御用達で、キョーヨーの香りが立ち昇ってくるような雑誌だった。
 そういう雑誌に、またまた吉田健一はとぼけた書き出しをするのだ。
 「懐かしいことに就て書くことになったものである。従って又、一向に書く気がしない」
 これでは冒頭から編集部の執筆依頼を拒絶しているようなものである。本稿は昭和33年(1958年)9月とあるから、まだまだ戦争の爪痕が日本中に残っている時だ。
 「酒とも、煙草とも縁がない所謂道学者が口を酸っぱくして禁慾を説くようなもので、ロンドンがここから何千里か、何万里も山や海を越えた向うにある時に、ロンドンのハムはハムステッドのに限るなどと言った所でどれだけの足しになるだろうか」
 ハムステッドのハムなどと言われても、ピンと来ないわけだが、カムデンの北方にある丘のことだ。1970年代には日本人の子弟向けの小学校がカムデンにあったこともあり、今ではロンドンの南西部に移転してしまったのだが、ハムステッド・ヒースには日本人及び日系人は今でもかなり住んでいる。
 なだらかな丘は、昔は牧草地だったのだろう。しかし吉田健一らが暮らしていた時期、1930年代のハムステッドは、建築家や画家などのアーチストが多く移り住み、池袋やらモンパルナスのような土地でもあったようだ。
 「ロンドンの旨いものは飲みもの、食べものを含めて、ヨーロッパ大陸の旨いものである。東京の名物は浅草海苔位なもので、それでも世界中の旨いものが東京で食べられるのと同じであるが、ロンドンの場合は英国とヨーロッパ大陸の昔からの関係で、フランス、スペイン、イタリー、ドイツ、ポルトガルなどの酒や料理がロンドンでの生活の思い出を豊かなものにする」
 これは吉田健坊の言う通り。至言。21世紀でも変わらない。

       吉田健一 (1)
  吉田健一は生来左利きで、イギリスで育ったこともあり、ギッチョは直さなかった
  のではないかと前から観ている。手酌は利き手でやるわね、普通は。ボシコしたく
  ないもんな。だから有名なシェリー・グラスを持った写真も、グラス左手でしょ?

 ところが面白いのはこの後。なぜかいきなり「ティオ・ペペのシェリー酒」の話が出て、それが全篇の半分ほどを占めているのだ。確かにティオ・ペペ(ペペおじさん)はスペイン産シェリー酒の代名詞で、シェリー酒の代名詞でもあるほど旨いものとされる。しかし、ロンドンの味を説くなら、バランスがあるだろう。シェリー酒だけではなく、ハムとか、チーズとか、ワインだってあるだろうに!
 そうして、最後はこうだ。
 「英国と英国人に就て一般に考えられていることと大分違っていると思うものがあっても、それはこっちが知ったことではない」
 この最後っ屁みたいな逃げ口上が健坊の手で、何とも憎らしい男のことよ。
 とまれ、「ロンドンの旨いものは(中略)ヨーロッパ大陸の旨いものである」これは名言だね。健坊、アンタが分かっていたってことは、こっちにきてよく分かったよ。
 ローマ人が喝破したように、ここには元から旨い喰いモンは、緯度の割には温暖な海の牡蠣、黒豚くらい。褒めても、精々外国人の育てた野菜くらい。それでも、世界中から旨いブツの集まる仕組みは、何世紀もかけて巧妙に練られてきたわけだよな。つまり、ワナにかかったパパとママだ。アハハハハハハ。


追記
こちらにとってはかなり強烈な3連休でございました。初日、中日、最終日と、全て眼の回るような出来事。エゲレス世間的には国民投票で盛り上がっていたんだけれども、俺はそれどころじゃなかったにゃあ。死ぬまでずっと考えるきっかけになるような場所に行ったわな。これから大変ですら。暫くサボるかも知れんけど、許せ、諸兄姐。
| 9本・記録集 | 06:31 | comments(0) | trackbacks(0)
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