岡田純良帝國小倉日記

Napolitan――Braised Beef Ragu Paccheri!
9月25日
Napolitano――Braised Beef Ragu Paccheri!
 Napoli名物のショートの筒型のパスタだ。ここから、マカロニ、マッケローニの話をしたいんだが、今日はもう時間がないんで止めるわい。
 本来なら、パスタにチーズを詰めたりこうしてラグー・ソースを絡めたりするわけだ。パッケリは美味い。本当に美味い。コシがあって、アルデンテでいいんだ、この手は。

Braised Beef Ragu Paccheri.JPG

 それでいて、生パスタじゃないんだけれど、このパスタはソースの風味を吸うのだ。表面は硬いようで絡めるソースを弾かない。だから、結局のところ、火が通るとパスタそのものがホクホクしているから、もう、皿は全体に味が濃くなるわけだわねえ。
 日本の方による「寿司の軍艦巻きと同じ」という解説があったね。コイツはうまい表現だな。だけど、野菜のソースみたいなのも、しっかりともっちりとした食感のパスタの中に吸い込んでんだよ。本場のパッケリは。

Naples 20170916 Braised Beef Ragu Paccheri.jpg

 俺も暮にローマでCacio E Pepeにヤラれたけれど、こないだはナポリでパッケリにすっかりやられたよ。で、今日も昼間っから密談。謀議・謀略じゃなくてね。密談で。
 何を密談しているかって?
 「ナポリ行ってパッケリ喰え!」
 そう言って密談しているだけじゃんよ、むさい日本人のオヤジが3人もガン首揃えて。ウハハハハハハハ。
 「だけど行く人選ぶからね、ナポリは!」
 なんて、意地悪を言って脅かしてさ。オホホホホホホホ。

Cacio E Pepe@某所.jpg

 その後、Portobello Roadの行き付けの店でネクタイを3本調達して帰ってきた。
そうしたら、泪橋で一杯やるべえという山谷案が門前仲町方面からあった。
これとは別に、飛田新地ツアーどやねん、というお誘いもある。こちらは西宮方面。ま、我らには甲南のアメフト部の用心棒が付いておるけん。腹に何を刺されても暫くは暴れまっせ。なんて。
 東西の元不良少年のジジイらが待っとるけえ、ハヨ、帰ろうかい。オホホのホのホ。


追記
広島カープ研究で密談。ヨーロッパの銀行家諸兄と密談・謀議。そのココロは?、言うもんか!!
| 7喰う | 07:13 | comments(0) | trackbacks(0)
Naplesと(1)――人情。
9月24日
Naplesと(1)――人情。
 朝、早起きして、島に急ごうか、チケットを買おうかしていたところだった。丁度、入江の前の小さな漁師たちの手漕ぎの船が置いてある辺りを足早に歩いていた。
 「こんちは!」
 俺たちの歩く舗道の直ぐ脇の車道には、自転車とランナー専用のレーンがある。そこからサングラスでレース用の派手なスーツを着た男が日本語で叫んだ。振り向くと、サングラス男はまだこちらを見ているので俺は思わず親指を立てた。
 「調子いいねえ」
 「これがナポリなんじゃないの」
 「そうか」
 するとその1分後、
 「ちょっと待って!」 



 サングラス男、その、あの、自転車野郎が後ろから俺たちに追いついて声を掛けた。チャリを停める時に前につんのめりそうになって。
 「日本ね?」
 「東京?」
 「カワサキ」
 「大阪には知り合いのタケシがいる!」
 (???)
 日本人的には、ここで、ナヌー?、と言いたくなるところではあるが、そんなこと、どうでもいいじゃない(by 野口五郎)。
 「俺はトニー。それで俺の仲良しはタケシだ。大阪に住んでいて、いいヤツなんだよ。それで俺はプロレスが好きで、猪木、藤波が大好きなんだよ。それと、マジンガーZ大好きなんだよ」
 多分アントニオ、という名前なんだろう。一々、その度に俺にスマホの写真を見せる。
 「このチャリも何から何まで日本製さ」
 得意そうに自慢のチャリを見せる。
 「俺は日本人の名前を持っていて、それは、ヒロシってんだよ」
 「だから、大阪のタケシとメールでやりとりしてたら、何時の間にか」
 そこで深く呼吸すると、
 「俺、トニー・ヒロシになったりしちゃった!」
 さらにそこで一呼吸置いて、
 「ガハハハハ!」
 大声で叫ぶように笑う。



 「『ジャパニュームと核分裂の過程で抽出されてた光のエネルギー』、マジンガーZのパワーの源泉はこれさ!」
 話題は一方的にどんどん切り替わる。
 要約すると、アントニオ・ヒロシ君は新日本プロレスとマジンガーZが大好きなのだ。
 「藤波!」
 「猪木!」
 スマホに入れた大切な写真を見せつつ吼えまくる。若い元気なイヌみたいな男だ。
 「日本人はステキ!!」
 「素晴らしい!!」
 「おっと、アンタは名前は哲也か」
 「マジンガーZだ!!」
 おいおい、それは兜浩二だろう、突っ込みどころが満載な男なのだが、そんなことを気にするようではNapolitanoとはいえない。
 「せっかくだから、オレと一緒に写真撮って」
 慌しく近くにいたイタリア人の青年に命じて写真撮影になった。
 「何か変だなあ」
 帰宅してチェックしてみた。

Naples 20170916 (某所で).jpg

 不思議なことに――俺たちのカメラで撮っているのに、アントニオ・ヒロシ君自身は、結局、カメラを取り出して自分のカメラで撮影しようとしなかったことだ。
 (ということは)
 大阪のタケシには俺の話を写真を見せることができるわけでもないが、アントニオ・ヒロシ君はきっと俺に対してそうしたように、怒涛の喋りで報告したんだろう。
 「ところで、俺たちに話し掛けたのはなぜ?」
 だって、そこでトニーは、呼吸2回分くらい間を置いた。
 「だって、アンタたち、リラックスして歩いているんだもの」
 一方的に理解して相手の事情など斟酌しないで突撃してくんだろうなあ。イヤというほどに人情の濃い人たちは、それでも入り込んだらこんなに温かい連中も少ないんだろう。
 「それ、俺の営業で回った南河内に近いかも」
 とある金融筋の兄さんと話が合った。俺もそんな感じがする。


追記
一昨日、伊藤恵子さんのご厚意で、海軍武官事務所等の住所を教えて頂いて、ちょっと取り込んでいたので、更新が遅くなりましたワイ。
| 10随想 | 06:47 | comments(0) | trackbacks(0)
Kings Road, Chelsea Spring 1976
9月23日
Kings Road, Chelsea Spring 1976
 ロンドン通の人に知られる「Floris」(https://www.florislondon.com/)は世界で2番目に古い香水屋ということになっている。その手ので一番古い店はどこだか俺は聞いたことは無い。
 東京で3番目に美味い店とかカワサキで2番目に美味い店だとか控え目に図々しく看板出しているのはある。
 以前、“小倉の料理番長”が「カワサキで2番目に美味い店」という看板を出したラーメン屋で、
 「これ、麺を湯がいたお湯、切ってないじゃん!」
 怒りの余り立ち上がり、
 「アタシ、帰る!」
 猛然と席を蹴って店を飛び出したことがある。店主が抱きついたけど振り切ったっけ。

「Kings Road, Chelsea Spring 1976」(3).jpg

 さてこちらは「Floris」の中で、控え目に売っている60〜80年代のLondonシリーズのど真ん中、1976年の香水なのだよ。Punk Rock暴発のLondonさ。
 「King's Road, Chelsea - Spring 1976. 'A memory from my early 20's, feeling a great sense of empowerment living in my first apartment. Alone yet surrounded by life, overlooking a hive of energy and evolution'.」
 「20代最初の記憶――1976年春、チェルシー地区のキングス・ロードに私が初めて住んだアパートがあった。まだ、単身で、周囲には熱気に溢れ、エネルギーと革新性に満ちた生き様が溢れていた」
 パンク・ロックはこうして歴史になった。「パンク仙人」と呼ばれたオヂサンも、140ポンドのこの香水を買っていよいよ帰国することにしたわけさ。


追記
最後の土壇場になって、大逆転劇がハツプン。
78年前の在英帝國大使館および陸海軍駐在武官事務所の住所、さらに。彼らが日夜社交クラブとして使ったから日本人會の場所も全て某所からのご厚意により入手することができた。有り難いことだ。
しかし今日時点で分かったのは、陸軍駐在武官室は、あの巨大な現存するマンションの中にあったことが確認できるというのに、俺のジイ様の海軍武官と監督事務所は全滅。どうやら一説には1970年代の建て替え工事、あるいはBattle of Britainの攻防の中で、爆撃か何かで破壊されたかで、ズバリそのままの建築物は残っていないらしい。
陸軍の武官室はあのマンションの一室だったとしても、海軍の武官事務所は3代目のNew Scotland Yardのドまん前だが、三代目の建物に屋移りしたのは1967年だから、在英帝國海軍とは無関係のはず。イギリス海軍の事務所も一部は入居していたらしい。
思えば、祖父がこの街を離れたのは丁度80年前で、ちょうど区切りの年か知らんねえ。ともかく、78年前の在英全権大使は葵の御紋の重光葵。吉田茂は帰国して様々な工作に手を染めていた頃だろう。今年の春先にでも分かっていれば!
| 8音楽 | 14:01 | comments(0) | trackbacks(0)
Hammersmith Parkの日本人――菅原通濟奇縁。
9月22日
Hammersmith Parkの日本人――菅原通濟奇縁。
 菅原通濟(1894−1981年)がイギリスに現れた1910年代の後半頃には、既にHammersmith Parkには立派な日本庭園が造営されていただろう。造営間も無い頃には、庭園には東屋が点在してかなり手狭に見える。通濟はこの庭園を誰と歩いただろう。
 我が家から徒歩20分もブラブラ行くと、Council住宅の集る一角があって、その中にHammersmith Parkと呼ばれる地元のHammersmith and Fulham Councilが管理する小さな公園がポツンとある。そのHammersmith Parkの中に日本庭園があるのだが、これは本国の日本でも、殆ど忘れ去られている。むしろ、小さな公園全体が日本庭園と考えるべきだろう。
 1910年にこの辺りの総称のWhite Cityで「Japan-British Exhibition」という催事があり、その前にH.Izawaという庭師が渡英して、立派な日本式庭園を造営したとある。ところがその後の不幸な世界大戦の時代があって、庭園は見る影もなくなってしまった。

往時のJapanese Garden

 日本では、このHammersmith Parkの隣の駅で、高級住宅街の中にあるHolland Parkの中にある日本式庭園、「京都庭園」という一角が知られている。というのも分かる話だ。
京都庭園はもっと新しく、1990年代に京都商工会議所が寄付した豪勢なものだからだ。
 今やこちらのJapanese Gardenは地元の老人や子供たちの憩いの場所になっているだけに過ぎないという話も実際に足を運んでみるとさらにしみじみと分かる。
 Shepherd Bush Market駅からCouncil Houseの並ぶ住宅街を抜けて行くと、路地のとっつきに公園の入り口がある。公園入り口には口上書きがあり、1910年にH.Izawaという庭師が造営したとある。「心字池」、「桜島」、「富士山」、「磐木山」が造営してある。
 現在の姿になるまでには、造営から100年後の2010年に有志を中心に再建運動が進められて、Yoshihiko Uchidaという庭園設計の専門家と日本庭園の専門家のSatoru Izawaという方が庭園を修復したという。残念だが、その話は公園の中の立て札には詳しく記されていない。
 このWhite CityにはBBCの本社の入っていた巨大な円柱型の建築物 BBC Television Centreがあって、Hammersmith Parkはその巨大な建物の足元にあたかも寄生しているように張り付いて見える。

20170908 Japanese Garden (掲載1).jpg

 今は建物は大規模な改修中で、大きなクレーンと資材運搬用エレベーターがガンガン動いているのだが、BBCのTV関係者が出入りしていた頃はかなり派手だったそうだ。このTVの世界と言えば、先日、日本から短期で来ていた某から報告があった。
 「今回、一般の家庭のホーム・パーティに招かれるという特異な体験もしました。
 そこで痛感したのですが、集った人が、DJだとかTVマンとかいうのもあったかも
 知れませんが、あの連中はすぐにマリファナを始めますね。そういう文化なんで
 しょうね」
 そういう文化なんだろう。そういう文化人たちの集るビルの足元に、こういう小さな公園があるわけだから、その陰影と落差たるや何とも大きなものがある。造営したH.Izawaと修復したSatoru Izawaさんが親戚だったりすると素敵な話だが、そこまで調べ切れなかった。

20170908 Japanese Garden (掲載2).jpg

 俺がこの庭園のことを知ったのは、実は菅原通濟の随筆からで、通濟は、H.Izawaのことをイギリス人から武士のように威厳があり、大変に尊敬されていたと記している。通濟がIzawa師を目撃してから100年ほどの年月が経った。
 修復から7年経過した現在では、庭園の池の水は枯れて緑濁し、今や「心字池」の白い砂利の上には犬の糞が転がっていたりする。図らずも黒澤明の「生きる」を思い浮かべてしまう。
 19世紀末に締結された「日英同盟復活」という勇ましい言葉が独り歩きしている観もある。イギリスの民主主義のシステムも曖昧模糊して、その進路は五里霧中というのが実態だろう。
 とはいえ、イギリスが、日本との不平等条約を撤廃し、はじめて独立国として認めて、それまでの公使ではなく、大使を置くよう大使館の設置を認可したことを我々日本人は銘記しておくべきことではある。



追記
Westminster〜Cityで挨拶回り。その後、東インド会社、フォートナム&メイソンで買い物。他にイロイロと細々したブツ。Sohoのレコード屋巡りもこれで最期だろう。レコードもシングル盤を観ると、真ん中の抜けた穴を誰が埋めるのか俺は知らないよ。アハハハハハハハ。
ウッフッフッフ。
| 10随想 | 07:43 | comments(0) | trackbacks(0)
タコの煮付け、の、ようなもの。
9月21日
タコの煮付け、の、ようなもの。
 昨夜、帰国の挨拶を送った。ジンガイには85件、日本語ではおよそ400人か。直後から反応があったのは驚きましたが、時差もあってか、ヨハネと北京にブリュッセル、シンガポール、パリ、ニューヨーク、と続いた。 
 それと行方不明だったヤツが日本に住んでいたとか、パリにいたはずのやつが白金に住んでいて、面白いんだよ。
 「アンタの家はカワサキだから、カントーのどこかで会いましょう」
 なんて言うんだよね。
 その後、東京よりも福岡と呉から先に反応があったのが興味深い。皆さん、世界中で動いているのだなあ。これも、どっと来ると、お、お、おーっと感じますねえ。
 15年ぶり位に連絡を取ってみた人もいるもんね。面白いもんだ。カウンターでヘツドハントしてきたのがいたの。横浜から。うーん。
 反応の中身でオモシロイのは、お前が日本に戻るなら、東京で美味いもんを喰いたい、という、喰いものの反応ね。イギリス人の場合は、ラーメンとトンカツだ。大陸からは、寿司、ヨハネからは刺身を喰わせろと。ま、こう、キタわけですよ。
 近頃のお気に入りは、この、タコの煮付け、の、ようなものだわね。ナポリで喰ってぶっ飛んだ。そうでなくとも濃度の高いナポリのタコと、これまた味の濃ゆ〜いプチ・トマトと炊き合わせてあって、とっても全体に濃くなっているわけですわい。
 脳裏で浮かんだのは大阪の「たこ梅」で、どうして「たこ梅」が浮かんだかっていうと、多分、タコとプチ・トマト。このトマトの味の濃さと酸味が、梅干に近いパワーを持っていたからだわねえ。「たこ梅」もいきたいねえ。
 これでセミドライの白っぽいのでぐーっといけば、みんなハッピー。ブーゲンビリヤで極楽鳥花だわ。
 如何に胃袋が人を結び付けるか、ということですわねえ。出しておいてなんだけど、返信が大変だ。うーん。後先を考えずにしくじったわい。トホホ。

タコの煮付け、の、ようなもの
| 7喰う | 13:37 | comments(0) | trackbacks(0)
London Punkの今(3)――Royal FamilyとRock & Roll!
9月20日
London Punkの今(3)――Royal FamilyとRock & Roll!
 昨日の話もそうだけれど、Rock and Rollの今は、昔と較べると様変わりだ。特に、1970年代は華やかで、しかし、社会は荒れに荒れていた。だから、一層、ステージ上のSuperstarたちは儚く美しく見えたのだろう。
 その頂点にあったとも言えるDavid Bowieは、こちらがLondonに引き移った直後に亡くなったので、結局、Londonで観ることはできなかった。Londonで観たかった1人。だが、同時代のRoxy MusicのFront ManのBryan Ferryは観られた。帳消しだろう。 
 このBryan FerryのPalladiumでのステージはとても興味深いものだった。客層では還暦を過ぎた60代が最も多くて、70代も多数いたはずだ。Bryan Ferry自身が70歳を超えているから不思議はないのだが、Rock and Rollの歴史を感じさせられた。

David Linley and his Father Lord Snowdon.jpg
 Glam Rockのシンボル、絶頂期の2人を撮ったLord Snowdonと息子のDavid Linley
 息子は気さくで、市内をチャリで飛ばして現れると、俺と握手をして呉れたっけ

 David Bowieの絶頂期なら、1973年のZiggy StardustのTourの終わりとなったHammersmith Odeonのコンサートの記録が観られる。
 あの観客席は凄い。1960年代初頭のBeatlesの頃とは違って、打ち続くストライキ、公務員のサボタージュで交通機関は麻痺して、ゴミ収集には来ない。辻々にゴミの山があった。社会は、夢を見られない暗い時代に突入していた。
 客席の彼らは、現実など見ていなかった。Ziggyに未来を見ている。だから女の子の流す涙は、歓喜の涙より、ずっと切ない哀しみが感じられる。
 そのクライマックスから数年。それでも、やっぱり何も変わらない現実の世界。
 これにガマンができなくなった少数派が、1976年にPunkに急速に発展していったということだ。だから、その最初のフォロワーの1人が俺たちで70代のBryan Ferryを観に来た客層は1世代上のGlam支持層で、一部はPunkの第1世代だった。
 あれから40年経っている。Palladiumの彼らはハナからやる気満々。Bar Counterに頻繁に通い、なみなみ注がれたパイントのビールをあおり、ワインの瓶を片手に2本持ち歩く。Bryanがステージに出てきた時はデキ上がり、気でも狂ったように踊った。Palladiumのホール内は1曲目から大合唱。壮大な同窓会で、それはそれは壮観だった。
 あの世代のイギリス女性にとってBryanの幸せは過去のことでもなければ他人事でもない。Jerry HallがMick Jaggerと別れた時はBryanはよりを戻すべきだという説が堂々と新聞に掲載される。彼らは1人の老人の「男としての」幸せを本気で願っている。

David Linley and His Parents and sister.jpg
 この時も、既に夫婦は互いに愛人がいた。別れた後も、伯爵は常に複数の女性との
 「交渉」があり、各方面で隠し子が発覚した。一時は「ゲイ説」まで流れた人だけれど

 さて。
 そういうLondonの21世紀。Paul Cookの「Brexit is not Punk」の話は書いた。Mick Jonesの従弟は、いまや押しも押されもしない保守党の有力な国会議員となった。そんな時代。Joe Strummerの出自も、近頃、俺にはどうでもいい話になりつつある。
 Londonだから、俺のような出自の人間であっても、David Linley(1961年-)と挨拶し、握手を交わしたこともあった。このDavid Linleyは、正真正銘、Elizabeth IIの孫だ。
 David Linleyの父親は王室から離れたといえ、あのLord Snowdon(1930-2017年)である。王室写真家から発展、Margaret王女と結婚、後にMusicianの写真も多数撮った。結婚する時に伯爵に叙されたが、最初から夫婦は破綻していた。その面でもLord Snowdonは20世紀英王室を舞台にした稀代の色悪だった。
 伯爵の写真家としての腕は確かなものと評価されており、絶頂期のDavid BowieやBryan Ferryも撮っている。成り上がりの伯爵が労働者階級のSuperstarの写真を撮る。
この辺りにも、Rock and Rollが放っていた色気の一端が垣間見えるだろう。
 息子は父親の死後、Lord Snowdonとなり、Christie'sの会長等を長らくやっていた。考えてみれば彼はあまり俺と年齢は変わらない。そろそろPunkもRock and Roll系の売り立ての対象として物色されているそうだ。


追記
本日は市内某所で大宴会。ウッフッフッフ。宴会で得るものは無いよ。精々、巧く立ち回るだけの手練手管の話ね。宴会よりもサシか仲間内の密談ですわなあ。有り難いような、有り難くない宴会が続いておりますわね。ロンドンで東京の悪いところばっかりみたいな話。けどけど、色んな所から、俺にトンカツとかカツカレーとか、白い連中が。ホワイトライオットですわいねえ。オホホホホホホホホ。
| 8音楽 | 07:03 | comments(0) | trackbacks(0)
ナポリ湾の底は深いか。
9月19日
ナポリ湾の底は深いか。
 昔、安部譲二の書いていたエピソードでサンフランシスコのギャングからいよいよとなった時に、
 「シスコのベイの底は深いぜ」
 という名文句で脅されたと書いていた記憶がある。定かじゃないけど。
 ナポリのカモッラたちはどうかなあ。

ナポリ港の某ホテル。

 入江はとても浅くて、隆々と太った健康そうな老人が朝も早くからアザラシのように甲羅干しをしている。細い葉巻をくわえたおじいさんが仕切っていたのだが、あれが名高いカモッラ筋かと思った次第。
 真っ赤っ赤な身体でさ、朝から何やってんだかわかったもんじゃあないけど、裸でも押し出しと貫禄あるなんてのは、男の世界では最高だな。写真撮っておいた。
 そういや、マガジンハウスかどこかのカメラマンらしいの、見かけたぞ。CannonのEOSか何か抱えて、通りすがりのイタ公の姿を気付かれないようにしてすれ違いざまに撮ってんだ。オホホホホホホ。
 カメラをいじくるフリをしているんだけど、ちょっと「アレ」はないんじゃないのかな。それこそ、「All Ages Records」のNick Collinsのセリフが蘇る。
 「俺の全財産なのに入場料も払わず撮り逃げしてるようなもんだ!」
 分かっちゃった。あれがあなた方のストリート取材なのね。


追記
ロンドンに到着したけどまだ移動中。これからクラッパムジャンクションで乗り換え。アデュー!

追記の追記
いよいよカウントダウン。仕分けの手順を考えることが、実はこの手のことでは最も面倒なことなんだけど、生涯通算今回で24回目の家移りになるのて、あんまり心配していない。但し、これまで、溜め込んできた、不要になったブツをゴッソリ処分するのには絶好の機会になる。断捨離というほどのことはできないけれど、服だの、身の回りの細々したあらゆるブツを見直すチャンスでもある。その気分に自分の気分をギヤチェンジすることがちょいと大変。
方々から「ひやおろし」の歓迎会の連絡あり。嬉しいけど、うーん、そこまでは未だし!

追記の追記の追記
市内で3ヶ月前に引っ越したのを忘れていたので、今回で25回目の引越し。ほぼ、2年に1度か。北斎には遠く及ばないながら、この調子であと10回位いくかしら?
| 10随想 | 05:56 | comments(0) | trackbacks(0)
ジェットブラックのアイスクリーム・バン。
9月18日
ジェットブラックのアイスクリーム・バン。
 先々週のこと、1960年代の古いBMC(British Motor Corporation)のアイスクリームスタンドのバンがエジンバラ中央駅前に停まっていたのよね。
 この世界には色々ありますが、俺はストラングラーズがこのバンでギルフォードからロンドンまで現れて、パブシーンで暴れていたことを想像しました。

ジェット ブラックのアイスクリームバン

 ギルフォードは今や古手の学校になるが日本人の駐在員の子弟の通う学校があるのだ。あのギルフォードとはねえ。中々複雑な気分になりますわね。



追記
シャツを数枚。そんなもんだ。
いく先々ではモテモテ。フレンド価格ありあり。オマケも飛び道具も。なんか、とーっても付き合いが濃ゆーいわけ。仲間になればなんてことはないよ。
これならアジアに住むよりナポリに半年とかね。どうもその方が面白そうかなあ。

追記の追記
モテモテの秘訣は、先様が俺の顔を覚えてんだから、秘訣なんてありようもない。印象が強かったのかなあ。自分では分からんところよね。だけど有難い。何も言わんでも、先様が喜んでくれとるんやもの。
今日は俺がスズキのオリーブオイル煮を楽しんでいたら、突如、俺の背中に吸血鬼エリートが現れてベサメムーチョの大攻撃だった。
昨日は俺の行きつけの傘友達の家でフレンド価格が炸裂した。行く先々で皆んなで記念写真。
あっそうそう、今朝程、街を歩いてたらチャリのトニーっつうおっさんにナンパされてなあ。日本は人気です。だからNKの動きのことを本気で心配しとんねん。
| 10随想 | 05:47 | comments(0) | trackbacks(0)
今年美味かった皿。
9月17日
今年美味かった皿。
東京を遠く離れているのに方々から、東京からか?とか、日本では、大阪から?、とか、お座敷がかかる。今日も、いく先々で話し込んで、随分、ご商売の各方面におかれては、こちらが何も言わないのに率先垂範してベンキョーして頂いた。あっと驚くタメゴロー。
 やっぱりヴェト飯は抗えない魅力があるだろう。こういうモノが周縁部でも喰えるようになってきたのは、この1年近くの間の顕著な変化だろうねえ。

  20170719 Bun Bun Bun (掲載).jpg

 こちらのポルトガルのカタプラーナはマジな話で腰を抜かすものだった。例のシスコのチョッピーノでもなければマルセイユのブイヤベースでもないわけで。コイツも大したモンだよ。こういうブツがあることがその御国の文化の程度を現わしているわけだ。素晴らしい。こういう一皿がひいては国威高揚になっていくわけですな。

Portuguese Cataplana (掲載).jpg

 とまれ、魚介では、牡蠣を打ったり、ハマグリを打ったり。それも、こんな手袋してさ、ナイフもシスコ時代からずっと使ってきたから、もう二十年近く使っているわけだ。

      20170708 Shellfih Day (1).JPG
| 7喰う | 06:04 | comments(0) | trackbacks(0)
London Punkの今(2)――Blitzkrieg Bop!
9月16日
London Punkの今(2)――Blitzkrieg Bop!
 Frantic FlintstonesのChuck Harveyは1963年生まれで、俺と日本なら同学年だが、Sex Pistolsへのスタンスで違いが際立った。だが、ヤツの信奉するClashのJoe StrummerはWorking Classではないじゃないかと質すとバツの悪そうな表情になった。
 それが、「All Ages Records」のオーナーで、今年50歳になったNick Collinsの場合は、ビミョーに立場が違う。
 「Paul CookはThe Professionalsを再開したぜ」
 「知ってらぁ。ゴメン、ホントは悪気はないんだ」
 「いいんだよ、分かるよ、気持ちは」
 「ホントかよ」

「The Sisters of Suave」(The Headcoatees)ジャケット。.jpg

 「London唯一のPunk専門のインディーズ店をやってきたの、俺は尊敬するよ」
 「そうだよな、この店にあるものは俺の全財産なんだ」
 「分かるよ。その通りだよ」
 「これどうだい?」
 奥から、大判の写真集、「Phaidon Books: Oh So Pretty: Punk in Print 1976-1980」を持ち出してきて俺の前に置いた。軽いよ、持って帰り易いから買いなよと言う。だが、俺は持っているのだ。
 「店のシャシンとっていいかい?」
 「ダメだよ、悪いけど」
 撮るなら店の商品を何でもいいから買ってからにして呉れとNeilは言った。
 「最近、店の前でシャシンだけ撮って帰るヤツラがいるんだよ」
 「店にも入らず?」
 「そうだよ、俺の全財産なのに、シャシン撮り逃げだろ」
 SNSに氾濫しているのは俺と会話もしない、商品も買わない、店にすら入って来ないような連中のシャシンばっかりだとNeilは言った。
 (そうか)
 俺は30分くらい迷った。Thee Headcoateesの「The Sisters of Suave」をカウンターの上に置いた。Neilは、お前の買ったのが最後の1枚だと嬉しそうに言った。
 「そう言えば、あのBilly Childishも3本CD出るってんだよ」
 「それ、旧作だろ」
 「違うやい、新作だい!」
 ヤツはさらに嬉しそうに言った。

Nick Collins at his All Ages Records.jpg

 Peter Perrettの新作が出たことは俺にも同じように驚きで嬉しかったのだが、それは言わないことにした。だってPeter Perrettはこの店に来ると想えないから。
 「もっと話をしたかったよ」
 Nick Collinsは手を差し出した。
 俺はNickの雄姿を1枚だけこうしてシャシンに納めた。また来てくれよな、Nickは言った。こういう野郎は真の友達と呼んでいいんだろう。Londonはこんな連中がいるから面白い。扉を開ける時、背中から「電撃バップ」が聴こえてきた。


追記
昼はピッツアと魚介フリット盛り合わせ。
夜はマグロのタルタル、シーフードのリゾット、そしてイカの野菜の詰め物を頂きました。
物欲がビレッジビレッジと湧いてきて困りますなあ。日本人の3人組を初めて目撃した。驚きました。だんだん変わるかな。この街はそれにしても濃厚にアジアの土着の匂いがするなあ。好きです、ナポリ。
| 8音楽 | 06:24 | comments(0) | trackbacks(0)
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