岡田純良帝國小倉日記

気になる本――遠州・森の石松、花の都パリへ行く(陸)。
12月14日
気になる本――遠州・森の石松、花の都パリへ行く(陸)。
 「巴里物語」[松尾邦之助著, 論争社刊]
 本書もそろそろまとめて終わりにしたい。
 就職した貿易商・デマルグ商店のデマルグは業つくばりで、松尾邦之助(1899-1975年)自身は我慢したが、限界が来た。シャンゼリゼの裏手に今もあるが、当時の日本人からは「デバガメ通り」と呼ばれていた裏通り。そこの連れ込みホテル脇にあった日本人会の書記の仕事にありついた。

        松尾邦之助(1).jpg

 その後も人生行路には色々あったが、何といっても、セシル・ランジェー嬢との別れと帰国しての見合いによる結婚、そして妻帯しての再渡欧という一幕があるわけだ。
 20代前半の頭の柔らかい時代にパリの風俗に触れ、世間を地べたから見る経験をしたが、元は士族であり、維新後には呉服商であった松尾家の影から逃れることができない。
 見合い結婚をさせられた相手の女性は、浜松在の田舎娘で、花の都・パリに行くことが恐ろしくてたまらず、シベリア鉄道でも顔を上げずに俯いたままだった。そんな女房を連れて行ったこともあり、松尾は猛烈に働いた。
 日本に帰国して結婚する前に中西顕政という南洋のゴム園主の出資で仏文の文化雑誌「Revue Franco-Nipponne」を創刊して、帰国後もその出版事業を続ける他になかったのである。しかし、雑誌の編集・出版では、ちっとも暮らしは楽にはならない。
 金子光晴(1899—1975年)はフランス社会は冷たいと書き、寒かったと書いているし、実際、そういう個人主義の総本山でもあるが、その一方で、厳しい法治による契約社会でも、本当に追い詰められた難民や貧民なら、フランスは、法によって窮民を救うことを松尾自身が肌身で体験する。これは尊いもので、元手がかかっている記述だ。
 詳しくは書かないが、税金の未払いで官吏が差し押さえにやって来る時、「赤貧証明」を取っておけば、最低限の生活をするための鍋窯までは持って行くことはできないだとか、何とも味のある場面が出てくる。
 その松尾に金子光晴は挨拶にやってきて、開口一番、「金を貸せ」と言い、借金は、 勿論、踏み倒された。松尾はさも当然だという風に記しているが、生中ではあるまい。

レストラン by 佐伯祐三(1927年).jpg

 結局、讀賣新聞のパリ支局に勤務するまでは、赤貧洗うが如しといった暮らしだった。貧しさには下には下がいて、パリ中の日本人が金を借りに来た。パリっ子の少年がその事業の行く末を心配して、「インターナショナル」を歌いながら仕事を手伝ったというが、松尾は赤化しなかった。その中での金子光晴の「リャク」である。
 それにしても、松尾が気の毒なのは、若い頃からパリに出て、これほどの体験をしつつ、次男坊で生まれた松尾家の呪縛から逃れることができなかったことだろう。田舎娘だと書いている海外体験の無い女房を貰ってパリで暮らさなければならなかったことだろう。
 彼は日本の社会は古い家社会があるからダメだと繰り返し書いている。しかし果たして敗戦後は土地改革で、不在地主はいなくなり、戦前の民法は戦後の民法に置き換えられ、家制度も崩壊した。しかし――敗戦後もこれまで、日本には人を縛る別の家があった。
 そうなると、うーん、やっぱり、本稿、明日も続く。

追記
アメリカが中国とクリスマス前に手打ち?にわかには信じられないけれど、そういう動きで市場も反応しているで。なんだかデキレースのような様相もあるワイナリー。そこに来てのイギリスの選挙結果。久方ぶりに、国民投票級の投票で票に大差がついた。大抵の国民投票はほぼ拮抗するのがこれまでのパターンだったから、また今回同じ時期にBREXITを問い直したら拮抗してまとまらなかったかも知れない。結果的に推進する力があるのはどちらかという党の実行力を問う選挙だったのだろう。国鉄とか鉱山の国有化を叫ぶ人が党首では、しかも、甲殻類を湯がいて料理することを禁じるとか、モノスゴイことをいう人たちなので、かの国では労働党支持の人も腰が引けたのだろう。
櫻を見る会もどうでもいいけれど、そろそろ賞味期限が切れつつあるのは誰の目にも明らかで、そうなるとポストということになるわけだが、党内にも、議会にも、ロクすっぽいいのがいないように思えるわいねえ。まぁ、現職の方だって俺は全然スキじゃないんだけれど。
| 9本・記録集 | 09:57 | comments(0) | trackbacks(0)
文豪の猫(2)――Hunter S. Thompsonの場合。
12月13日
文豪の猫(2)――Hunter S. Thompsonの場合。
 Charles Bukowski(1920-94年)がイマイチになっていったのは、Hunter Thompspn(1937-2005年)が自殺したこととも俺には関係がある、
 コイツ、死ぬんじゃねえかな――そう思っていたら、やっぱり大好きな銃で自殺しちまった。
 突っ張っているのも悪くはねえけど、死ぬほどのことはないわけさ。内観が足りないというのか、自分の弱みにも向き合う勇気が無いというのか、アジア人の俺からすると、底が浅いように感じてしまうわけよ。
 好きな人には申し訳ないように想うけれど、書き残したものは、屁のツッパリにもなっていないわなあ。
 書くことが無いからって、テメエの秘書に刺青を入れさせるなんてのは、俺はやらない。そういうことは、弱さの裏返しみたいで、情け無い。Ernest Hemingway(1899-1961年)も、俺には同じように感じられる。

「文豪の猫」(5)。.jpg

追記
太宰治より獅子文六とか源氏鶏太を読むお嬢さんが増えてるなんて健全だなと思う。それともなにかい、昭和時代は人情ドラマ全盛だったから、その裏側で、ネガとして太宰治が支持されたって寸法かね。そうなると、今のポジはなんだろ。はちゃめちゃなドラマねえ。おっさんにはようついてゆけんわ。

追記の追記
北関東某所に移動中也。結局のところ近江牛ちゃんは喰えねえし、行かなきゃ行かないで世間は動いているし。なんか、おっちゃんいじけちゃう。ロンドンからは悲報届く。終わりの始まりを俺たちは見届けているわけだよな。しかしこれシナリオとしてはアングロの二カ国が孤立して行くことになり、地政学的には極東のさらなる不安定化に繋がりかねない。
どっちも投票したくなかったんだろうけど、保守党には他の議員の良心に、労働党には、これまでの炭鉱国有化とか叫ぶ党首の発言への不信ってのが募ったってことか。
| 10随想 | 14:35 | comments(0) | trackbacks(0)
気になる本――遠州・森の石松、花の都パリへ行く(吾)。
12月13日
気になる本――遠州・森の石松、花の都パリへ行く(吾)。
 「巴里物語」[松尾邦之助著, 論争社刊]
 松尾邦之助(1899-1975年)はセシル嬢の世話でソルボンヌの付属の高等社会学院で文学(セイニョボ)、社会学(ルヴォン)の講座を取ることになり、ルヴォンからは博士号取得を勧められ、貝原益軒(1630-1714年)を研究テーマにせよと勧められていた。
 「ルヴォンは、日清、日露の戦争に勝った日本を、今日のような大国にしたのは、すべて日本女性の内助の功であったといい、また、日本が政治的に立派な秩序を維持しているのは、国に天皇という中心があるからだ、いまのフランスは、共和制という美名のもとに精神的支柱を失い、これがフランスの政治的社会的混乱の原因になっているのだといっていた」

三越の広告 天女像 (1960年).jpg

 結局、徐々に学問への意思が揺らいでいくことになるが、その間にも、田舎の浜松からもう実家の呉服商は止めて、せっかく始めた浜松の新しい商売で、田地や山まで抵当に入れたという破産状態になったことが伝えられる。松尾は煩悶する。
 「どうしても帰らなくてはならない事情があるのなら仕方がないわ。でも、あなたのために残念ね。わたしが、あなただったら帰らないわ。あなたは、まだ若いし、パリに居残っても、きっと、いろいろなチャンスにめぐまれるわ。わたしは、それを信じている」
 恋人のセシル嬢はそう言った。田舎の小官吏だった父親は5年前に死に、母親は近所の老いた地主と結婚をさせようとしていたので、セシルはパリに飛び出してソルボンヌの学生になったのだった。
 「まだセンチメンタルな、小ブル根性のぬけきらなかったわたしが、セシルの控えめで、消極的で、しかも瞬間、瞬間にしか信頼をおかない戦後型ニヒリストの愛し方に対し、かなり不満をもっていたとしても、先のわからない招来を語らず、それに何の約束もしないこの女性の独立精神は、強烈な影響となり、孤独のさびしさをかこちながらも、わたしに、男らしい冒険の甘い喜びを教えてくれた」

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 松尾は、ここで初めて浜松の家族からの送金を思い切り、自活の道へ切り替えることを決心した。そしてモンマルトルで旅館を経営していた諏訪老人から、貿易商のデマルグ商店の見習社員の口を紹介される。
 「プロレタリアの大集団がソ連の例が物語るように、勝利者となったとしても、その勝利者は、運命的に第二の別な権力体をいただきそれが、人間の自由を奪うであろう。こうした悪じゅんかんは、ケチくさい、物質的な利益で動くプロレタリアが、ブルジョアになると、必ず、新しいケチなブルジョアたることから脱し得ないのと同様であろう」
 「人間が権力意欲をどこかに持っている限り、また、ケチで物質的だという根性から脱し得られない限り、ひとつの革命は、必ず他の革命を必要とするといった、イタチごっことなる」

三越日本橋本店天女像アップ.jpg

 フランス人の半分の給与しか貰えず、使い走りの交通費は自前という働き先は長く続くものではなかったが、貧しくて明日の食べ物にも困った松尾はようやく社会の実相に触れていくことになる。
 松尾の話はどこまでが事実で、どこからが作文か判然としないところがあるが、しかし、それでも、この決断が、四半世紀のパリ生活の大きな岐路になったことは間違いない。これがまことに宜しいわけで、この自伝が教養小説の体をなしている。


追記
本日は3日ぶりに世間に参ります。昼には病院。午後から北関東某所。昨夜は久し振りに酒呑むのでなんだか変な感じ。酒の飲み方変わりそうな予感がしたな。単行本がまだ19冊もある。これで越年するのかと考えると気が重くなりますが、ボチボチ行くのが楽しいのよ。諸兄姐、ちょっと色々あるので、本日の六本木のチャプリは見送りさせて。ごめんあそあせ。
| 9本・記録集 | 06:41 | comments(0) | trackbacks(0)
文豪の猫(1)――Charles Bukowskiの場合。
12月12日
文豪の猫(1)――Henry Charles Bukowskiの場合。
 Charles Bukowski(1920-94年)はLos Angelsを描いた人として心に残る。
 俺の少年時代の恩人という感じは消し難くあるけれど、自分の中では、何時の頃からか、年々アメリカ人特有の、強がりのようなものを感じることが多くなった。
 繊細な人だったんだろうと想うけれど、別の面ではガサツで、無関心で、不感症で、図々しい。
 アメリカ人の作家は好きな人もいたけれど、俺の本棚には、そもそも、ガイジン作家のそれが殆どもう無くなっているのよ。

「文豪の猫」(2)。.jpg

追記
ウメタツこと梅宮辰夫(1938-2019年)死去の報。梅宮さんは知っている人が何人かいて、同級生だった人とは近かったのよ。満州帰りだっていうのが口癖で。俺から言わせると、黒竜江省哈爾濱市なんて街は、満州の中心の大連だとか瀋陽だとかいうのならいいけれど、哈爾浜なんかねえなんて言ってたんだ。

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ウメタツは会津っぽの末裔で、中学の途中までが水戸だったからね、あれはあれで反骨心旺盛だったんだろうねえ。しかしウメタツが死んでしまっても世間ではあの程度の報道だとすると、1933年生まれの宍戸錠なんてのは、文太も死んじまったし、小林旭とセットくらいでないと、報道もされなくなるのかな。
昭和40年代半ばから後半は男性週刊誌の見出しは、ウメタツと北王子欣也と津川雅彦が、銀座でどんな遊びをしてたかなんてのがしょっちゅう出ていたっけ。彼らの遊びの全盛期だったわけだ。山口洋子の遺した小説を読むと、俺は何時もあの時代を想い出すんだ。何れ俺もザギンで一発遊んでやらあなんて考えてたんだけど、まるでお呼びじゃぁなかったな、アハハハハハハハ。
| 5今週の余糞 | 14:30 | comments(0) | trackbacks(0)
気になる本――遠州・森の石松、花の都パリへ行く(肆)。
12月12日
気になる本――遠州・森の石松、花の都パリへ行く(肆)。
 「巴里物語」[松尾邦之助著, 論争社刊]
 松尾邦之助(1899—1975年)は東京外語のフランス文学科を卒業し、1922年晩秋に日本を後にした。パリで活動を始めたのは実際には1923年からとなる。23年は関東大震災。日本は東海道までが壊滅と報じられ、松尾の浜松の実家でも長兄の事業の失敗で没落し始める時期と重なった。それまでの武士の商法がいよいよダメになっていく。

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 関東大震災からは大杉栄(1885—1923年)と伊藤野枝(1895—1923年)の虐殺が想い浮かぶ。大杉と、辻潤(1884—1944年)を棄てて大杉の元に走った野枝は、今も無頼派作家のように若い人たちを惹きつけて止まない――神出鬼没の大杉栄は、9月の惨殺前に、上海経由でパリに渡り、ひと悶着起こしている。そういうところも惹きつけられる要因だろう。
 「五月一日のメーデーには、パリの北部サン・ドニイに現われ、デモの群衆を前に演説をぶったが、彼の身元を調べに来たパリの警官をなぐったため、逮捕された」
 しかし外国でも官憲を殴ってしまうところがやはり破滅的で、長生きできなかったのもゆえないわけではないだろう。嫉妬だとか恨みだとかいう負の情念が最も怖い。
 日本人社会の間では大杉栄逮捕の噂が直ぐ広まり、東京日日新聞の鴨井はこう言った。
 「日本の労働運動なんていい加減なもんだ。早く大杉を日本に帰したほうがいい。彼だけが労働運動の唯一の力だよ。万事あいつに任せておけば大丈夫だ」
 大杉擁護論は当時から根強くあった。

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 不思議なようだが、あの美能幸三(1926—2010年)は、大杉栄の生涯を意識していて、
 「投獄される度に一つ外国語をマスターしたんじゃけえ」
 と会う度に言ったものだ。
 松尾は、日本からパリに来たばかりということもあって、大杉栄の活躍ぶりに興奮し、セシル・ランジェー嬢に大その活躍について語り、さらに、何時か革命の後には理想の世の中が来るはずだと説く。
 ところが、セシル・ランジェー嬢は腐ってもソルボンヌで社会学をかじって新聞記者になろうと志すインテリ学生である。
 「あんたはブルジョワよ。坊ちゃんよ。万人が、自発的に、自然に、責任者として生きられるような秩序をもった世の中なんて、何百年経っても実現できないわよ……」
 ピシリと東洋から来た年上の同級生はやっつけられるのである。
 翌年、とうとう身上を潰した父親から懇請の電報があり、実家から松尾に帰国費用の1,300円が送られてくるが、松尾は熟慮の末に帰国を断念することにした。セシル嬢から帰国せずにおやんなさいと励まされたことも大きかった。ここで、初めて松尾は社会に飛び出し、自活し、生計を立てようとする。彼のその後の人生はここで決まる。

追記
本日も病臥。どこから感染したのか見当はついているがウイルス性胃腸炎であることは間違いない。だとしても、過去の体験からすると、嘔吐感が無いのが不思議ではある。吐瀉して苦しむことがない。しくしく痛み、飲食の度に、トイレに行くことになるのと、少し冷えた場所に行くと、しくしくが、強くなり、厳しくなるのだった。明日はどっちだ?
| 9本・記録集 | 08:29 | comments(0) | trackbacks(0)
今週の一皿――アマダイ炙り刺。
12月11日
今週の一皿――アマダイ炙り刺。
 先週末からの茅ヶ崎漁港アマダイ地獄はまだ続いているのだった。オホホホホホホホ。35cm級が2尾。30cm級が3尾。食べでがありますわな。

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 美味いんだけど、昨日から体調が悪くなって、ウイルス性胃腸炎かなんかで、今日はまだちょいとキツイところ。昨夜は身内のT君が小倉の陋屋に来て、女子2名も加わり、俺の飛良泉を飲まれちゃった。
 アマダイは炙り刺も良かったけど、昨夜は潮汁とか蒸し物も美味かった。料亭の味、という感じでしたなあ。

20191209 相模産アマダイ(8).jpg

 4日続きのアマダイ地獄から、さすがに今晩はそろそろ脱却できそうな気がします。最後はお刺身かな。やっぱりね.

20191211 相模産アマダイ.jpg


追記
日経ビジネスに89歳のエズラ・ボーゲルのインタビューが出ていて、92歳のボルカーの死去の後、続々とボルカーの逸話が報道されている。彼らは昭和ヒトケタで、まだ大企業と政府が力を持っていた世代の人たちだ。アメリカでは政府への不信が世論を乱れさせ、分断させている要因だと言っている。トランプに言ったってしょうがないけれど。しかしナンシー・ペローシらがついに弾劾裁判を始めることで打ち出しましたな。民主党と共和党の間の信頼関係も無ければ、民主党の中でも、トランプに対抗できる候補者が絞り込めないという事情もあり、今回の弾劾へと持っていったという説もあるわけだ。世界を変えるのはアメリカの大統領だから、やっぱり気にはなりますわな。
| 7喰う | 15:10 | comments(0) | trackbacks(0)
気になる本――遠州・森の石松、花の都パリへ行く(賛)。
小倉日記’19(第五十七弾)
12月11日
気になる本――遠州・森の石松、花の都パリへ行く(賛)。
 「巴里物語」[松尾邦之助著, 論争社刊]
 一昨日からの続きで松尾邦之助(1899-1975年)の自伝。
 パリで最初に出会った売春婦たちは皆アッフランシ(世俗的なモーラルからの解放者)であった。そうして、真のアッフランシになる条件の最後には、「雞姦」経験者とあった。
 娼館でのご商売といったって、強要されてケツまで掘られなければ真のアッフランシといえないだなんて、解放者ってのも、これは辛い「修行」ってもんだわね。
 つまり、ズベ公にも色々あって、ここでは刺青を入れて、異常性交の体験者でなければホンモノではないという、ここにはいっそ壮絶な開き直りがある。ということは、元は、初心な山出しの純情可憐なニッポン女郎と同じだったのかも知れない――そうなると、心静かに我がニッポン大敗戦後のパンパン諸姐が思い浮かぶというものだ。

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 松尾が渡欧したのは関東大震災前で、第1次大戦後の戦間期だ。見聞きする武勇伝では、その話の合間合間に、戦争でフランスの庶民の人心が荒廃したことが挿入されている。
 我がニッポンは第1次大戦では幸いにも我関せずであったこともあり、第2次大戦後の敗戦は痛かった。ラクチョウに現れたパンパンたちはズベ公が多かったものの、中には、「星の流れに」で歌われた女のように、引揚げ前にはカタギだった者が、喰い詰めて泥水稼業に身を落とすことになったケースも多かった。街頭録音に残る藤倉修一(1914-2008年)アナウンサーとのやりとりのセリフも純情可憐だ。
 「女の子A タバコ持ってない?
 藤倉 こんなのでいいかな?酔っ払っているね
 女の子A カストリだよ。ピーナッツおごってよ
 藤倉 はい10円
 女の子B おじさん、いい男だね。あたしたちと親類だよ」
 そしてこの女の子Bは、「有楽街で顔合わせればみんな親類」と言う。こんな歯の浮いたセリフをまだ20歳前の女が言って春をひさいでいたわけだろう。今とはまるっきり違う。「雞姦」経験者はちょっとグロいが、ラクチョウのパンパンたちの開き直りにも近くて、日仏の売春婦の哄笑は共に純情の裏返しの開き直りでもあったことに気付かされる。

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 さて、佐藤朝山(1888-1963年)たちの通訳代わりに毎晩のように女郎屋通いをし、パリの底辺の女の素顔に接した松尾邦之助(1899-1975年)。この後で、いよいよその本懐だったソルボンヌの学生として講義に出るようになる。
 田舎から飛び出し、社会学を学び、将来新聞記者か弁護士になろうとしている女学生・セシル・ランジェー嬢と知り合い、熱烈な恋に落ちる。そしてかの国のプチ・ブル女のドライな考え方に触れ、理想と現実に気付いてく。「赤と黒」のジュリアン・ソレルとは違い、遠州・森の石松、男・松尾邦之助はフランス女によって育てられていくのである。これがまことに宜しいわけで、この自伝が教養小説の体をなしている。

追記
松尾邦之助(1899-1975年)は、「黒人以外の世界中の白人と寝た」と豪語したと高橋新吉は証言している。辻潤の選集に挟み込まれた月報で高橋自身がそう書いているのだから、間違いないんだろう。だから、「巴里物語」も、ナオン系の話の相当部分は差し引いて読まなければならないのだけれど、最初の恋人だった女子学生の話は俺はとても好きだ。
20世紀初頭のフランスの地方の女たちは、まさに日本の19世紀の封建制と同じく、家に縛られ、土地に縛られていたことがよく分かる。戦間期の女は家から離れ、Parisを目指し、「自由」を口にして、「自由と引き換えの孤独」に直面をすることも「覚悟」していたことが伝わってくる。Parisienneもそれほど古い歴史を持っているわけではないのだよ。封建制の反動として出てきたのだから、モボ・モガの世代と変わりない。ベンキョーになったねえ。


追記の追記
ウイルス性胃腸炎なのかどうか知らんけれど、近江ぼんやり旅行も中止。さっき駅まで行って払い戻しをしてきた。熱が8度を超え、夕べは随分汗をかいたわい。近江牛が喰えんではどうしようもなかとですわい。近江牛コロッケとか近江牛ハンバーグとかいうのもあったんじゃがの、まぁ、ワシはステーキを喰いたかったわいね。
| 9本・記録集 | 08:25 | comments(0) | trackbacks(0)
The Professionals's Back Again!
12月10日
The Professionals's Back Again!
 来年早々からEPを連続で出すという構想はトシ君から聞いていたのだけれど、来年1月から毎月のように出るとは。
 1977年初夏、一時、Sex Pistolsがそうだった。「God Save the Queen」と「Pretty Vacant」が続け様に出て、秋には「Holidays in the Sun」が切り出され、そのテイクが詰まったのが「Never Mind The Bollocks」だったわけよ。

http://www.philjens.plus.com/pistols/pistols/paul_cook031219.html

The Professionals!.jpg
| 8音楽 | 19:32 | comments(0) | trackbacks(0)
今日の一皿――アマダイ。
12月9日
今日の一皿――アマダイ。
 これは茅ヶ崎の某所から漕ぎ出た漁船で身内のT君が釣ったアマちゃん。キロ5千円とか。初日は、ひとまず処理してから一尾だけ薄塩で焼いた。
 昨日は趣向を変えて、バーナーで皮を炙り、刺身で喰った。内田百里覆藜蠅鮹,い董△海い弔呂潅攸でやんすなとか言いそうだ。美味かったよ。明日はどうしようかな。
 (お?)
 明日は明日で俺は琵琶湖畔で近江商人とチャぷるんだったっけ。今日も不忍池湖畔でひっそりと密会があるからダメなのよ。心のボスなのよ。

20191209 相模産アマダイ(7).jpg
| 10随想 | 12:03 | comments(0) | trackbacks(0)
気になる本――遠州・森の石松、花の都パリへ行く(弐)。
12月10日
気になる本――遠州・森の石松、花の都パリへ行く(弐)。
 「巴里物語」[松尾邦之助著, 論争社刊]
 20世紀の森の石松・松尾邦之助(1899-1975年)は、東京でフランス語を教えた彫刻家・佐藤朝山(1888-1963年)に付き合って売春婦の館に出入りし、パリの売笑婦たちの強烈な洗礼を受けたことは昨日記した。
 松尾は朝山、朝山と書いているが、この佐藤朝山とは日本橋三越本店の正面玄関にある巨大な天女像を彫り上げた佐藤玄々(げんげん)のことだ。しかしパリでやっていたことは、もう、正真正銘の無茶苦茶である。
 「とにかく大変なヤツがパリに来ました。美術院の佐藤朝山ですよ。この先生、ヴェルレーヌを気取って、毎日、大酒をくらい、カフェでビールびんを投げたり、泥酔のあげく羽織袴姿のまま、町にぶっ倒れて詩吟をやったりするまではいいとして、先夜など、まだ宵浅い大通り、しかも賑やかなモンマルトルのムーラン・ルージュの前の人道で、着物をまくってゆうゆう大便をしたんですよ」

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 ここで思い出すのは、先頃、開高健(1930-89年)の「最後の晩餐」で引いた、連載していた「諸君!」の編集長・川又良一が、開高健に吐いた罵詈雑言の名調子である。
 「私としてはウンコの話がでてくるものと期待してたんだ。あの頃の宮殿は垂れ流しなんだ。植込み、中庭、後庭、おかまいなしさ。貴族の女や男、女官や召使い、身分の上下なくことごとくそこらあたりへ放尿、脱糞、やりたい放題だったという。ある女が若いときヴェルサイユに出入りし、大革命のほとぼりがさめてから、二十年めか三十年めに老女になって宮殿にやってきて、中庭のうんこの匂いを嗅いだとたん、ああこの匂いです、あの頃がまざまざと思いだせますといって恍惚となり、眼がうるんだと伝えられ」
 せっかく開高がマリー・アントワネットに「貧乏人はお菓子をお食べ」と言わせながら、ウンコの話に及ばなかったことを川又はなじった。だから多分2人は茅ヶ崎の開高邸で取っ組み合いになった。彼らは焼跡闇市世代。何でもありで、いっそ爽やかですらある。

三越の広告 天女像 (1960年).jpg

 ともあれ、こちらは戦間期の1923年のパリ。ヴェルサイユ時代も真っ青だ。今やったら即座に現行犯逮捕されるけれど、パリはまだ若かった。遠州・森の石松も、
 「アッフランシ(世俗的なモーラルからの解放者)の生態をはじめて知って」
 深くショックを受けるのだが、一方で、ここで、その資格を得る条件として、
 「女性のアッフランシならば、雞姦の体験者であること」
 と一歩進んで自ら研究する。この「雞姦」はソドミー。ここでは肛門性交の意だろう。
 ともあれ、衆人環視の中で大便をひるような人間は犯罪性向の強いタイプだ。今で言うサイコパスが多い。三越の天女にも、玄々のパリの女に注ぎ込んだ涙と汗が沁み込んでいるのだ。最晩年に10年かけた大作を、双眼鏡を携帯して観に行ってみるか。


追記
昨夜はバシンの駅前某所で盛大に酒盛り。そろそろ師走の飲みの陣も後半戦が近付いているのだけれど、明日からはまた近江方面へ遠征である。井伊家の御家人か近江衆か。諸兄姐、本日も静かに溜池だかどこかでチャプリ。
| 9本・記録集 | 06:45 | comments(0) | trackbacks(0)
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