岡田純良帝國小倉日記

アナタはFortune Cookieのお告げを信じるか。
小倉日記’18(第三十二弾)
10月23日(6月14日記す)
アナタはFortune Cookieのお告げを信じるか。
 星港は一晩だけ。「AURA」(http://www.aura.sg/)まで行って旨いものを喰った。
 前菜には「Parma Ham and Burrata Cheese with Ruccola(ブッラータとパルマ・ハムとチコリを取り合わせたサラダ)」で、コイツは抜群のキレ味だった。

AURA.のブッラータとパルマハムのサラダ

 さらに、パスタは「Spaghetti with Sardinian Bottarga, Peperoncino and Amalfi Lemon (サルディニヤのカラスミとアマルフィのレモンのスパゲッティ)」。これもピリリとキレのあるスパイスとレモンが巧くスパゲッティと絡んでいたので、カラスミの生臭さは消えて、こってりとした奥行きが出た一皿だった。
 メインには、「Grilled Iberico Pork Chop with Tomato Petals and Burnt Onion Cream (グリルしたイベリコ豚とむきトマトと焼き玉ねぎのソース和え)」。これは惜しかった一皿。あまりいいIberico Porkではなかったのではないか。トマトと豚に合えた玉ねぎソースは旨いのに、肉に旨みが無い。

AURAのサルディーニャのカラスミとレモンのスパゲッティ

 もしかすると火を通し過ぎて脂が抜けたのかも知れない。Iberico Porkはそうでなくとも融点が低いのだから、調理人は気を抜いてはいけない。せっかくの素材がパーになった。
 星港は4年ほど前に0泊3日したことがあったのだが、街には投宿もしなかったので、港の方まで足を伸ばしたのは15年以上も経っていたかも知れない。日本がこの20年間、パッとしなかったことと比べると、香港と同じように金融ですっかり変貌していた。
 香港も星港も金が動いている――それは紛れもない事実だった。
 香港は22時でも33℃あった。香港島が見えた時、飛行機の高度計と外気温の推移を見ることにした。3,500mの高度で10℃。1,500mだと20℃あったかな。500mで27℃という熱の滞留だった。日本でいうと、8月下旬から9月中旬の夏の夜の淀んだ夜の空気みたいなものだろうか。
 星港の今日の気温は33℃。
 香港は90年代に投入されたTOYOTAのCROWN Comfortが依然としてトップシェアだった。数年前にNISSANがシェア奪回を目指して投入した「NV200」の影は薄い。

     20180613 (Fortune Cookies).jpg

 星港でもTOYOTAが圧倒的で、CROWN ComfortかCity Cabが幅を利かせているのが不思議だ。それでも、ここ暫くの間でHYUNDAIのSONATA辺りも増えていると聞いた。この辺りは将来の基幹産業を占うには面白い現象だ。
 自動車は終わりだと囁かれている。TOYOTAもNISSANも縮小均衡を迫られるだろう。HONDAはJETに大きく舵を切ったが、SUBARUやMAZDAはどうなるのか。インドの半分のシェアを握るSUZUKIさえ先行きは見えない。
 香港も星港も金が動いている――星港の役人はグローバル金融機関の軍門に従ったのだ。20年前の星港では、政府が屋外広告を厳しく禁じたが、今の星港で林立する高層ビルには、最上階辺の高層階の外壁に金融機関が社名のロゴを出している。
 BTMUもSMBCも含まれてはいたが、殆どは欧米と香港の英国系の金融機関であった。香港の街角で入った一膳飯屋で貰ったFortune Cookieには「Refreshing Change is in your future」(あなたのこれからには爽やかな変化が起こるだろう)とあった。
 2016年、東京外国為替市場は香港と星港に外国為替の取引高で抜かれ、No.3の地位から脱落した。今回の2都市訪問は、それを肌身に感じる旅でもあった。
明日はどっちだ。


追記
何の気になしに書いたのだけれど、これを書いた2日後にオヤジが死去。なんということか知らんねぇ。巡り合わせはあるわいなあ。2018年は身内が3名亡くなっとるわけよ。俺的には時代・世代が変わった年ということになるわいね。村田の防衛戦はそれなりに理由があったということらしい。そうなると、大場政夫とか輪島功一とかいった人たちの闘い振りとはもう人間が違っているということかと思い至るわけでありんす。時代は変わっていくわいな。

追記の追記
1990年頃には株式の取扱高では東京、New York、大阪、London、という順番だったはずだわいねえ。日本人も勘違いしたわけよ。そいで今では風がソヨとも起こらないの。さて、某所から連絡あり、竹林の清談は別の場所にてということになりそうだで。今週も朝から晩までキツイっす。
| 10随想 | 06:14 | comments(0) | trackbacks(0)
Soul Brothers & Sisters(9)
10月22日
Soul Brothers & Sisters(9)
 ジャケットか中身かがカッコ良過ぎて手放せないアルバム・シリーズその9。
 British Invasionのバンドたちの中で最も好きなバンドは、The High Numbers時代のThe Whoと、Belfastからやってきたヤツラこと、THEMになるだろうねえ。
 しかし、この人たちも仲が悪くて、結局、Van Morrsionは蹴り出されたような形になって脱退し、バンドは解散ということになっているのだけれど、執念深い残ったメンバーたちは、THEMを地元に帰ってからも継続したわけだ。

Soul Brothers & Sisters (9) THEMs.JPG

 そのVan Morrison抜きのTHEMの音は、何と言うか、鬼気迫るものもある。Van Morrisonのしゃがれた声と似た声と節回しで、ははぁ、コイツらこの線を互いに狙って歌っていたのかと納得したりしたわけだ。
 Van MorrisonはBob Dylanなんかと似ていて、発達障害のようなところがあって、中々コミュニケーションが難しい人だそうだ。
 1978年にFriscoのジャパンタウンの「ミヤコホテル」で、Johnny Rottenがエレベーターに乗ろうとしたら、階上から降りてきたエレベーターから出てきたのがVan Morrisonだった。
 Van MorrisonはあのJohnny Rottenノ風体にも全く動じる様子も無く、すれ違ったとJohnnyが回想していた。まさにその典型的なリアクションなわけだけれど、そんなところも含めて、Van Morrisonが好きだな。

Soul Brothers & Sisters (10) Van Morrisons.JPG
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星港で彼我のメディアや監督の気概について考える。
10月22日(6月13日記す)
星港で彼我のメディアや監督の気概について考える。
 12日の晩、NHK BS1で鳴り物入りで始まった「国際報道2018」に、南山大学の平岩俊司(1960年-)は出ていたのだが、外交評論家の岡本行雄(1945年-)がメインで状況を解説した。平岩俊司の師匠筋の元慶応大学教授の小此木政夫(1945年-)も、他の番組で顔を見かけた。
 21世紀になっても彼らみたいな見慣れた人しか出てこない。彼らが悪いわけではないが、日本では世代交代が進んでいないのだなあと想わされた。

Pentagon Papers (1).jpg

 元々、忙しい朝のニュース以外は、NHKの報道解説番組は旅の途中以外には普段はまず観ない。こういう場面で聞きたいことは日本の評論家の外野からの批評ではない。結局のところ最終的な国際政治の評価を決めるのは、日本の評論家ではない。世界の受け止め方次第で、つまるところ、一か国の受け止め方ではなく、各国の見方。国際世論である。
 NHKは本気になって改革しないと日本の視聴者からさえこの先は見棄てられるだろう。
 米朝首脳会談で少なくとも残念だったのは三つ。
 翌朝のNHKニュースでは、パンダのシャンシャンの誕生日が時間を割いて放映され、
 「おめでとう、シャンシャン!」
 声を掛ける客の姿が放映されていたこと。パンダに日本語で声を掛けてどうするんか。
 さらにIRカジノ法案の与野党攻防を巡って、血税を無駄にドブに捨てている野党の国会委員長の顔が大写しでインタビューが流され、
 「たった18時間しか議論していないのに」
 と言ったことも腹立たしかった。こういう国会に無用の人に俺の血税は払いたくない。

Pentagon Papers (2).jpg

 そしてもう一つは、
 「非核化は韓国と日本が協力してことに当たってくれればいい」
 そんなことしか言えない大統領を頂いたアメリカは国家的な危機にあることだろうか。
 米国のメディアは、水面下では現大統領とは敵対している。
 大統領府とメディアとの緊張関係では、20世紀にVietnam Warを巡る主要メディアの共同戦線が思い出される。
 Steven Spielberg(1946年-)の「The Post ペンタゴン・ペーパーズ / 最高機密文書」は、50年代〜70年代初頭までのVietnam Warに至る歴代の共和・民主双方の大統領の欺瞞を暴いたWashington Postの女性経営者と、その周辺の群像を描いた。

Pentagon Papers (3).jpg

 だが、それがどうしたというのか。
 こちらは、昨日のClint Eastwood(1930年)と違って、配点は辛い。歴史の教訓なんて、50代にもなって観たくもない。女性社主のMeryl Streep(1949年-)も、主筆のTom Hanks(1956年-)のような芸達者を揃え、予め結論の分かっている歴史的な事実をドラマに描くのではNHKの大河ドラマと同じようなものだ。

         浅沼稲次郎。.jpg
  野党の党首を気取るなら、右翼に暗殺されるくらいの国民的な人気があるべきだ。
  浅沼稲次郎ほどの人気があるなら、右翼も畏れて刺客を送るかも知れないのだが、
  情け無いことに、野党は議論をする相手にもならない。国力が衰微するばかりだ。

 本人は60年代末の女性の社会進出を、女性社主の苦悩を軸に描いた積りなのだろうか。しかし、父の会社を引き継いだ女性社主を通じて女性の社会進出を描いた積りだとしたら、Spielbergは10人並みの作家になり下がったなあと想った。
 同年の映画監督としては、Wim Wenders(1945年-)がいる。彼の辿った下降線とは違う。しかしSpielbergが駄作を重ねていることはWendersと重なる。映画界でも、一度名声が確立されると批判されない。映画を愛する者としては心穏やかではない。


追記
ラスベガスの村田の戦いはどうだったのだろうか。アウエイで仕組まれたものがあったのではないのだろうかとさえ思わせるほどの一方的な内容だった。ひ弱さよりも、どうしてこうまでして負けが込んでいったのかという無力感が観ている日本人の大勢を覆っていただろう。調査報道が待たれるねえ。コミッショナーの裏側に何かあるのではとも想うわねえ。最高権力者があれだから、今暫くは、あの土地は何でもありの「敵地」だと思った方がいいのか知らん。

追記の追記
中東関係で世界中が揺れているのだが、動揺が激しいのがアメリカ合衆国で、特に中間選挙に向けて急激にその勢力を増していた民主党系の痛手が大きいことになるだろうという見立てがある。何やら陰謀説めくのだが、十分にその考え方は妥当性はあり得る。また、金融系のファンドも動揺したりすると厄介で、金融市場の揺れ動く可能性もあるのだから困ってしまうわい。皇太子が絡んで世界が動揺したのは類例はあるわけだし。ドヌーンである。まず世界に先駆ける週明けの東京市場の前場がどういう展開になるかい。ヤフーの人事を見ても、これからはリスク管理だね、そういう密談になったわいなあ。米英が手を携えてトラブル・シューターの獲得に躍起になる時代が到来したわい。極東深く、この事態をどう評価するか、じっと推移を見守っておるところ。
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老朋友からの小包落手。
10月21日
老朋友からの小包落手。
 某所の友からの小包が届けられた。嬉しいものだ。あれから何年か。13年くらいは経っているのではないか。
 俺たちはよく某料理店に集まって一杯やった。目立たないように個室に集まって。全員が違う経歴と思想信条であり、立場も違っていた。
 著者手製の包みは、相変わらず薄汚いダンボールで、テープも薄汚い緑色の荷造り用のものだった。
 市内の陋屋に、汚いスリッパで、穴の開いたセーターを着て逼塞している。古今の図書を土塁のように書斎にうず高く積み上げてあり、その中で猛然と書いている由。

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 我らの友情も永くなった。15年の年月が経っている。当時は維新の志士の話であったが、紐解いてみると、近頃は魯迅から中江丑吉、山口淑子(李香蘭)、山崎羊子、土井多賀子(たか子)らにフォーカスが当てられているようだ。
 岡田先生と題して、謹呈のサインがあるのだが、今や、偽のサインが出回るのか、落款が押してある。よくぞここまで無事でいたものだと遠い空の下からその身の寄る辺なさに感じる所があった。
 我々の間では、大アジア主義とか、玄洋社とか、頭山満とか、八紘一宇とか、内田洋平とか、黒龍会とか、そういう人と活動について大いに話が盛り上がったものだ。
 アジアのどこかに志士気取りの男たちがいて、松下村塾のセンセイを気取っていても、それをあながち笑うことはできないのだ。我々の歩んできた社会は、多数の人々の命の犠牲の上に成り立っている。
 もう随分永い間会っていないわけだが、何時か、どこかの空の下で会いたいものだと想う。
 
某地から届いた著書(掲載)


追記
某所でよい収穫あり。いい気分也。
| 10随想 | 18:20 | comments(0) | trackbacks(0)
香港で「OK, That’s a deal!」を考える。
10月21日(6月12日記す)
香港で「OK, That’s a deal!」を考える。
 今日の香港は朝から重い曇天。朝食を終えて出かける時には小雨模様。Victoria Peakは霞がかかり、六甲を下から見上げる神戸のような気分だった。
 昼前には本降りになり、夕飯時まで激しい雨が降り続いて、市内何れも大渋滞になった。二階建てバス、二階建て路面電車は香港の何時も変わらぬ出勤風景。初乗りが60円程度の地下鉄口から吐き出される人たちの塊は日本の出勤風景と重なる。
 1,300万人の暮らす超過密エリアだが、香港人は随分スマートになった。その代わりにと言っては何だが、昔の大衆的な香港は消えた。パジャマみたいなアッパッパーを着た香港太太は消え、庶民の湧き上がる生命力とか熱気のようなものはどんどん薄まっている。

上海炒麺。

 香港の庶民がスマートになった分、彼ら一人ひとりのエネルギー代謝は小さくなって、大人しくなり、身綺麗で小奇麗な都会人になってしまい、つまり、面白くなくなった。
 だが、彼らも、日本に続く高齢化社会の宿命を辿っているのではないか――とも想った。
 この日の昼はBank Streetの元中国銀行ビル13階にある「中国会」に行って「上海炒麺」を喰った。HSBC本店ビルの隣にある20世紀前半の建築物で、元々中国銀行の本店ビルだ。第2次大戦前のアールデコ様式を一部取り入れた美しい内装のビルで、「中国会」は会員制レストランである。
 夜は夜で雨中をものともせず、The Ritz Carltonの103階にある「天龍軒」まで突撃した。高級ワインに高級食材。メシは不味くないのだが、洗練されていて、異国まで来た気分が出ない。

20180612 (中国会・掲載別).JPG

 たらふく喰ってハイヤーで街角をぼんやり眺めながら帰る途上で、突如、気付いた。
 (うーん、逆方向か)
 高齢化への道を歩んでいるなら、老人たちの姿がもっとあってもいいのに、老人の姿が街から消えている。以前の活気あふれる頃の香港の街は、老人や老婆の闊歩する一大老人王国であった。しかし、今は、そういう我が物顔の老人が見えない。
 昔は煙草をキセルで吸う老婆やなんかが大手を振って歩いていたのだが、そういう姿が見られなくなってしまった。老人や老婆は社会から疎まれ、日当たりのよいストリートで所在なく一日を過ごすことが許されなくなってしまったのだろうか。この辺りはよくよく注意深く調べておくことが必要になりそうだ。
 ところが、である。
 「そりゃ、考え違いだよ。アンタが齢を取ったってことさ」
 俺に向かってそうしたり顔で言うオヂサンがいる。
 そう言われてみると、若い頃よりも俺より年長者らしい人はずっと街では少なくなった。当然だが、そういうものだろうか。
 (う〜ん)
 考え込んでしまう。もしそうなら、やーねえ、アナタって。オホホホホホホホ。

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 この日、米朝首脳会談が終わり、またまたDonald Trump(1946年-)が触れ込みと違って、米朝戦争の終結宣言も無く、EU各国首脳国から笑い者になった。ノーベル平和賞を鼻先にぶら下げられて本気になった末の珍会談という与太のオチは俺にはまだ見えてこない。
 「OK, That’s a deal!」
 商売人のTrumpは、階段を進める上で、これで決まりだ!、と叫ぶことはできたのか。ポーズだけだったように誰しもが感じたからアメリカには不調に終わったと考えただろう。
 いみじくも、翌朝の「Financial Times」の東アジア版は2面で次のように見出しを掲げた。
 「Kim judged clear winner even before ink dries on Trump’s deal」
 (トランプとの交渉合意で署名したインクが乾く前からキムの勝利は明らかだった)
 田舎の不動産屋のオヤジの語り口は、フランクでいいのだけれども、アメリカ合衆国の大統領となると話は別である。アメリカ人だけでなく、人類全体の不幸でもある。


追記
関東は昨日の夜は土砂降りになった。総雨量は大したことはなかったのだろうが、これまたゲリラ豪雨的な感じもあったわけだ。気付いたら寝ていて、情けなし。独居老人の日常はこんなものかと思うと、小泉今日子の結婚願望の話もうーんとも想うわけだわねえ。一気に秋で、空が今日は青い。関東に秋が来ましたぜ。その空気にはひんやりと冬が隠されている。本日は、黒メガネと帽子でもかぶって、レア音源、雑貨と洋服屋、書店巡りで歩き回ろう。
| 10随想 | 08:11 | comments(0) | trackbacks(0)
秋来る――栗とチキンのコニャック煮。
10月20日
秋来る――栗とチキンのコニャック煮。
 栗とチキンのコニャック煮、元のレシピはフランス料理の「プーレ・オ・コニャック」で、コニャックの代わりに、日本ではブランデーを使うこともあるが、コニャックの方が圧倒的にうまい。
 こういうブツが食卓に上がるようになるともう秋も随分深まってきた感がある。我が家では何時の間にかフランス料理が増えたわけだワイナリー。
 英国の離脱交渉が大詰めに来ているけれど、どう考えたって、大陸側は腹を立てていて、勝手にしたら?、というのが素直な感情だろうに、イギリス人はしゃあしゃあと自分たちの正統性を述べ立て、ソフト・ランディングを主張して憚らない。かなり恥ずかしい状況なのだが、強弁し続ける。まぁ、それが国際標準なんだけれども。

20181014 チキンと栗のコニャック煮 (掲載).jpg

 自説を曲げない態度は英連邦の生まれ育ちの人たちに共通するもので、彼らの図々しさは第3者にしてみると滑稽なほどなのだが、そんなこと、彼らはお気付きにならない。お気付きになっても、知らない振りをしているのだ。
 ラブレーの伝統のあるフランス人からすると、「うんこみたいな料理を召し上がっているイギリスの紳士淑女方は、英仏海峡からあっち、大西洋のおしっこの向こうに、そのジンとウィスキーのしみだらけの島ごと帆かけて移住してくれないか知らんオホホホホホ」と軽口を叩きながら美味いワインをガブ呑みしているのだろう。
 俺もフランス人に献杯。

20171023 鳥と栗のコニャック煮 (掲載2).jpg

 こちらは昨年10月23日にやっている「プーレ・オ・コニャック」だが、テーブルが1年前とでは変わっちまったのと、ソテーパンも、今はストーブが多いのかな。
 昨日は呉地方から訃報が届き、俺は今年だけで身内を3人喪ったことになる。母娘はすでに羽田で搭乗待ちである。
 1年という年月も、あっという間に経ち、いよよ秋が深まっていくというわけだ。昨年の10月に日本に戻ったのは、まぁ悪くはなかったということになる。
| 7喰う | 14:10 | comments(0) | trackbacks(0)
香港で「やっちゃれ」精神を考える。
10月20日(6月12日記す)
香港で「やっちゃれ」精神を考える。
 成田に向かう湾岸道路を走る車中のラジオで、週末に起きた新幹線内の殺人事件の追加報道を聞いた。殺された神戸の犠牲者は、女性2人を救うために犯人を制止しようとしてナタとナイフで数十回切りつけられた挙句、失血死されたという痛ましい報道であった。
 直ぐに想い出したのが、Clint Eastwood(1930年-)が製作した「The 15:17 to Paris」だ。フランスのFrançois Hollande(1954年-)前大統領が、犠牲者の拡大を防ごうとした4人のアメリカ人とイギリス人を称えたように、日本政府はこの方に特別な叙勲をするだろうか。

   20180613 (3).JPG

 映画で取り上げたのは、テロリストにタックルして生け捕りにした上、負傷者の救命に当たった3人のアメリカ人を中心にしたテロの拡大を防いだ英雄たちの生い立ちだった。
 シングル・マザーに育てられる白人少年2人。学校でトラブルをしょっちゅう起こしている黒人の少年。3人は思春期の一時期を共に過ごし、その後学校も暮らす街もバラバラになる。3人は成人し、そして旧交を温め合う旅の途上でこの事件に巡り合うのである。
 決してうだつの上がらない3人。映画は、本人が本人役で映画に出演するということで公開前には話題になった。だが、その後、キレが無いと言われ、監督も耄碌したとまでは書かれなかったが、作品は意外にも叩かれた。
 ところが実際に観てみると、本人出演の再現映画の効果は、終盤になって、観る側にはアッと想わされる体験が待っている。

「やっちゃれ会」系土産 (2).JPG

 Parisの大統領府での勲章の授与式であったホンモノのフィルムが、何時の間に作り物の再現ドラマと気付かない間に入れ替わって、先ほどまで事件を演じていたその若者たちは、大統領から勲章を授与されているその瞬間はホンモノだったという体験をすることになる。
 このため、却って、選挙対策だと揶揄されたHollande大統領の演説にじっと耳を傾けて感情移入してしまうという、皮肉な追体験をさせられることになる。Clint Eastwoodは、監督としてこの効果を意識していたかどうかを俺は知らない。だが、これも映画の面白さ。可能性を感じさせる実験だと思った。
 日本で無差別テロや無差別殺人の起きた時に、犯人を止めようとして犠牲になった人のことを社会はあまり評価しない。自画自賛を極度に避けたがる。敗戦前には軍神の乱発というくらい軍神手形のインフレーションを起こす熱っぽい民族であったのに、である。
 どういうことだろう。是々非々でモノが言えない。考える幅が縮んで、思考にも飛躍が少なくなると、その結果、精神が老いてくる。開高健(1930-89年)と同年生まれのClint Eastwoodの、老いてなお旺盛な「やっちゃれ」精神に俺は拍手を送りたいと想う。

Premium Show at 「The 1517 to Paris」.jpg

 「やっちゃれ」は、我が家としては、映画、「孤狼の血」に出てくる「やっちゃれ会」と結び付く。電話口で、「やれい、やれい、やっちゃれい」と言って殺人教唆でパクられた人物につながる地縁だから仕方がないわ。呵呵。だが、ここでは、人を襲う方ではないわけよ。
 新幹線で犠牲になった方は「やっちゃれ」王道である。英雄である。監督も過去を顧みず、獰猛に新機軸に挑戦する「やっちゃれ」も素敵だ。挑戦する人は美しい。スポーツばかりがもてはやされるが、どこにだって挑戦している人はいる。日本人は素直に闘う人を称えるべきだろうと想う。諸兄姐、お間違いなきよう、「お早くご理解願います」(by 阿川弘之)。
 香港の港には韓国船籍のコンテナ、アフリカ船籍のコンテナが見えるが、ジャンク船は最早一隻も見えない。90年代は、あれほど香港ノワールで売れたヤクザ映画は、返還からこの方、ずっと最近不調続き。
 2時間後、シンガポールで米朝首脳の歴史的な会談が予定されているが、どういう結果に終わるだろう。ノーベル賞が鼻先にぶら下がっているビジネスマンと独裁国家の3代目。極東アジアに新時代が来るのか。そして、日本には何時「やっちゃれ」精神が甦るのだろう。


追記
昨日は某所で遠来の客を歓待。保管してきた新聞の切抜きやその他、○○関連の古書ををお渡しした。代わりに茶や書籍が手渡された。すっかり変わってしまったそうで、我々は今あの土地に暮せば、暮らし向きはかなり厳しいとの話であった。住居が20年前の200倍になったそうで、最早、我々の住む土地ではない。中薗英助なら何と言ったかね。
| 10随想 | 07:08 | comments(0) | trackbacks(0)
New York Dolls!
10月19日
New York Dolls!
 我が愛しのドールズ。
 世間からは誤解され、曲解され、未だに過小評価されているバンド。ここまできたら、よほど奇特な人が何らかの新説でも出すか、埋もれていた音源が大々的に発表されるとかしない限り、恐らくこのままで終わるんだろうねえ。
 初めて聞いたのは1978年だったように思いまする。風体と態度と薬物中毒と、音楽性と演奏能力との間に、極めて大きな落差がありましたワイナリイ。
 友だちがこのバンドのファンでしたが、ホントに分かっていたのかなあと。彼もどちらかというと、風体と態度と薬物中毒の方ばかりコピーしていたようです。風の噂ではお縄になったことがあったようで、その後、話を聞かなくなりもうした。
 早過ぎたとも思わないし、遅過ぎたとも思わないが、こういうバンドは、自分の中ではとっても大切な存在なのよねえ。Soul / R&B系の有色音楽への偏愛とも近いか知らん。
 このおシャシンは、パリ・テムズでのお写真だけど、彼ら、初めてのパリだったのかねえ。ナンともウブウブですらい。可愛い。

New York Dolls.jpg
| 8音楽 | 14:09 | comments(0) | trackbacks(0)
気になる本――下北沢で収穫あり。
10月19日
気になる本――下北沢で収穫あり。
 近頃、下北沢の古本事情が盛り上がっている。
 昭和時代には南口商店街には古本屋が2軒あった。また、少し裏に入ると北沢2丁目に「One Love Books」のような個性的な店があった。置いてある本の冊数は少なかったが、最近のセレクト系の書店の先駆けでもあり、懐かしく思い出される。
 駅が大きくなり、地下に潜り、乗降客が飛躍的に増え、古本屋がすっかり姿を消した。不動産価格が上がって、駆逐されたのだろう。
 ゲーム・ソフトのレンタルの「ドラマ」の古本部だけしかなかった時期があった。それが、近頃はまたじわじわと古本屋が復活している。
 アート系で品揃えの評判が高い「クラリスブックス」(http://clarisbooks.com/)では、哲学思想・アート・文学を売りにしている。時々、頻繁に訪れる読書好きの客向けに読書会まで催している。よいことだと想う。
 先日、CLUB251に行く前に、少し早めに下北沢に出掛けて、下記の3冊を購入した。

「開高健 青春の闇」表紙。.jpg
    (1) 「開高健 青春の闇」[向井敏著, 文藝春秋]
      奥付:平成四年三月三十日第二刷⇒アマゾン最低価格51円

「百日説法」表紙。.jpg
    (2) 「百日説法」[今東光著, 角川書店]
      奥付:昭和三十三年八月十日初版⇒同898円

「完本 紙つぶて」表紙。.jpg
    (3) 「完本 紙つぶて」[谷沢永一著, 文藝春秋]
      奥付:1978年10月5日2刷⇒同2,437円

 駅周辺の本屋を回り、全て100円、合計300円で調達した。アマゾンの最低価格は3冊合計で3,386円だから、買い買ったことになる。別にそういう勝ち負けのために古本屋を巡るわけではないが、(3)にえらい高値が付いているのが面白い。
 (1)だけは買い敗けた。それでもいいのだ。向井と谷沢の開高に関連する著作はそれこそ開高健(1930-89年)を楽しむための食前食後酒のようなものだ。
 明治の末に生まれて、東京の南西部で育った旧制一高の小林秀雄(1902-1983年)を中心とした文学グループと同じように、昭和4〜5年に大阪で生まれた開高健と、谷沢永一(1929-2011年)、向井敏(1930-2002年)の交友は面白い。
 第3の新人は小説家としてブレークする前の作家志望の有望株が集まった集団だから、出自も性格もまちまちで、しかし各々作家になることで目的はハッキリしていたから、無目的に集まっていた小林グループや開高グループとは違っている。
 (1)の末尾で、向井は開高から小説を書けと言われていたのに書けなかったと書いている。こんな言葉は生涯をかけて身を削って苦しんだ者が吐ける言葉で、重苦しい淀みがある。
 (2)はカバーの表紙は荒れているが、中身はとてもきれいな状態だ。これは毎晩寝る時にいい導眠剤になりそう。今東光(1898-1977年)の評価の低さも一理ある。インテリ向けに書いた言葉はトゲがあって、不要なツッパリをしてしまうから文章に味わいが薄い。
 ところが、この生臭坊主が檀家や信徒・衆生に施した説法は、天衣無縫で中々味わいが深いものがある。語り口に余裕があり、地口にもタメがあって、本来、坊主の説教とは、こういうものではなかったのか、とも想わせる味わいがあった。
 (3)はサントリー学芸賞を受賞した傑作で、装丁の美しいシンプルな美本でもあるから、値段が出たのも分かる。書評の面白さを教えてくれた一書。少年時代には手元になく、老年になってとうとう手元にやってきた。


追記
今月に入って「破れた繭」と「それでも飲まずにいられない」を入手しておりまするわいなりー。本日はこれから出立。諸兄姐、身過ぎ世過ぎも大概に、という感じ、身に沁みまするなぁ。
| 9本・記録集 | 06:07 | comments(0) | trackbacks(0)
少数部族――脅かされている人たち。
10月18日
少数部族――脅かされている人たち。
 最新号の「National Geographic」は「包囲される少数部族」というタイトルで、荒々しい資本主義の牙が向いた地区に居住している少数民族の人たちに光をあてている。
 人類の経済活動に脅かされる未開の部族がまだあって、彼らが鉱物資源の採掘の影響で、暮らしてきた森林などの開墾・伐採で、暮らしが脅かされている。
 未だに文明化されていない部族があったことに感銘を受ける一方で、16〜19世紀にかけて、欧米先進国家が手広くやってきた植民地主義・帝国主義活動の生々しい一端を見るような気がするわけだ。
 大英帝国の巧妙なシステムは、結局のところ、このような簒奪のうえに成り立っていたわけだから、名誉ある撤退なんていくら胸を張って言ってみたところで、お里は知れているわいねえ。
 コンラッドの「闇の奥」を考える。ベトナム戦争を思い出す。欧米諸国と宜しくやらないで、文明化されないとは、何と、まぁ、荒々しい、潔いことよと想いますわねえ。俺はそれだけで尊敬しちゃうよ。全くのところ。

National Giographic 包囲される少数部族 (2).JPG
| 10随想 | 12:38 | comments(0) | trackbacks(0)
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