岡田純良帝國小倉日記

好調、Berlin君。
8月27日
好調、Berlin君。
 「Berlin Bromly」をゆっくり遅々として進まないのだが、ゆっくり愉しみながら読んでいる。
 十代のケミカル系の薬物愛好者で、同性愛者であった著者が、初めて「100 Club」でSex Pistolsを体験する場面は、全40章ある本書の第6章、40ページに出てくる。
 面白いのは、バンドとその周辺のファンの生態もさることながら、ヤクの影響がどれほどのものかということで、Johnny Rottenはアンフェタミンでイカれているのかと想わされたと書いている。

      「Berlin Bromley」表紙



 この後、直ぐに郊外の住宅都市のBromleyからLondonへ飛び出してきてしまう著者。
 Sohoのストリップクラブの生態とか、当時の売買春の仕組みなどが、実際にその世界に身を置いた著者ならではの筆致で描かれて、これも面白い。
 このほぼリアルな自伝の中心は、ケミカル系薬物と同性愛の世界と、まるで三島由紀夫の「仮面の告白」と「禁色」と「鏡子の家」を合わせて読んでいるかのような気持ちにさせられる。
 そのミシマのフランス人による評伝も併せて読んでいて、それも俺の脳内で同時変換されているから、そんな少し変わった面白い影響が相互に起きているのかも知れない。
| 9本・記録集 | 17:35 | comments(0) | trackbacks(0)
御身大切に。
8月27日
御身大切に。
 2015年12月28日のLemmy Kilmister(1945-2015年、享年70歳)、年が明けて1月10日のDavid Bowie(1947-2016年、同69歳)、同14日のAlan Rickman(1947-2016年、同69歳)と続いた。ほぼ同年代の3人のイギリス人のCelebrityが約2週間の内に次々に亡くなった死因が全て「癌」だったという話も話題になった。
 報道によると、Lemmy Kilmisterは脳と首とに急激に進行する悪性の腫瘍が発症したと言われている。David Bowie は1年半の闘病後肝臓癌。Alan Rickmanは膵臓癌だった。
 日本で言う団塊の世代。とうとうこの世代も次々に世を去る時期に差し掛かったと書く記事もあった。しかし死因の「癌」が俺には引っかかる。「癌」と括るが、この病も多様で、勝てる相手もあるわけだが、Alan Rickmanの膵臓癌のように、まだまだ人類が勝てない相手もある。
 だから、ここ数年、日本では有名な役者などの訃報で、死因が「胃癌」とあったりすると、腹が立ったりしたわな。今時、胃癌で亡くなるのは故人には失礼だが、愚かなことだから。
 手遅れになるまで放置して、初めて発見されたということが「胃癌」とあるだけで分かる。普段から定期健診を受けず、自己管理が徹底していなかったから胃癌で亡くなったわけで、克服できたはずの相手に勝負する前に負けてしまったに等しい。

          勝海舟(幕末高校生)。.jpg

 文人諸兄姐が様々な闘病記を書いているが、肺癌のような話を聞くと、煙草を止めれば良かったのにと想う。こちらは煙草を止めてもう20年近くになるかな。だから、もう、ニコチンは俺の肉体に何の関係も無い。そういう経験をしているからだろう。
 依存症は止められるし、口腔からのニコチンの摂取を止めた方が、本来の味覚が回復し、食材が繊細に感じられるようになる。これは、誰が何と言おうと、間違いない。
 だが、肝臓癌の話を聞くと、酒を止めれば良かったのにとは想わないわねえ。さぞかしこの人はたらふく酒を呑んだんだなあと想う。酒飲みに甘いのでなく、酔いも愉しまずに生きているのは寂しいと想うからだ。酒は止められないな。
 憂さを晴らすために浴びるほど呑んだ経験はあるよ。痴情のもつれもあれば、仕事上の問題もあれば、刺されて自棄になったこともある。酒はそんな時に助けては呉れないもの。それももう分かるほど呑んだ。
 これまで、日本酒も、ワインも、焼酎も、ジンも、随分と親しんだ。親しんだというか、猛烈に呑んだ。それでも、ウィスキー系はやや苦手で、今も殆ど自主的には呑まない。
 しかし、飲酒と言うと、酒の銘柄も段々どうでもよくなってきた。旨いに越したことはないのだが、旨い旨いと旨い酒を呑むのはアホらしい。今では、解放的な場面でスカッと呑むか、親しい人とじっくり呑むか、ともかく、時と場合と呑む相手とが大切になった。 
 酒そのものは段々飽きてきたようだ。しかし酔い方が大事になってきたのかも知れない。
 David Bowieの1年半の闘病は、幼い娘の成長を見守りたいがために、1年半の長期に渡って闘ったという泣ける話もあるようだ。だが、それはどんな噂が流れているだけだが、肝臓癌で1年半というのはちょっと難しいようにも想う。 
 最近、聞くところによると、肝臓をやられて亡くなるケースでは、永年の薬物の摂取で、老年になってから、肝機能が急激に衰弱してしまうケースが多いのだそうだ。
 よく言う、肝脂肪から肝硬変となり、最期は肝臓癌になるという話ではなくて、肝臓の機能が急激に劣化する。アルコールじゃないよ。分解できなくなった薬物が蓄積してきて、ある段階から猛烈に弱ってしまう。痩せ細った老人のようになる。「耄碌」の状態だわな。
 今夏、日本から、K.N.がもうヤバイみたいだという話が飛んできた。
 ナウなヤング時代にキメてたアンタ、今、鏡を見て、自分の相貌をしみじみと観ているだけでは足りないよ。ちょいと肝臓にも気を遣ってやって下され。もしくは武士の如く、これを死に場所と、あっさりと死ぬか。その覚悟があれば、の話だけれど。


追記
Dr. FeelgoodとSex Pistolsのカワユイ長袖のシャツとTシャツを注文しました。欲しい人がおったら、ワシに連絡をしてチョー大。ま、そん前に、皆さんにお披露目せにゃならんけえ。待っとりんさい。ではでは、サラバじゃ!
| 10随想 | 07:19 | comments(0) | trackbacks(0)
暑い時には何喰うの?
8月26日
暑い時には何喰うの?
 一昨昨日が30℃、一昨日が33℃で、昨日も28℃近くまで上昇したかしら。3日続くとヘたれな俺はバテ気味で、舌が出てくる。
ハノイの旧市街、バンコクの市場、サイゴンの旧市街などに気分は飛んでいて、あの、モウレツに生臭い、しかしアジアの女の活気に溢れている空間に飛びたいねえ。
 ねずみの這い回る足元。しかし、そんなの気にしていたらヤッてられんけえ。ヤギの鍋も、イヌの鍋も、発酵した豚肉団子のサラダも。ガンガン喰うのさ――な〜んてボーッと考えている。

      モロヘイヤ素麺 20160825


 夕べ、“小倉の料理番長”はBrick Laneのドイン屋でモロヘイヤを調達してきたので、早速素麺に。元気が出ますねえ。こういう時に、モロヘイヤの素麺は効くのだ。ニッポン人でよござんしたと想う瞬間だ。
 やっぱり、ツルツルっと素麺を啜る時、同じアジアでも、みずほの島に生まれ育った自分を痛感するわけだわね。こればっかりは、DNA深く刻印されている記憶だろうな。
 十代の頃から今まで同じ夢を何度も見る。それは、緑色の山の斜面で、俺は、手甲脚絆に棕櫚の蓑笠を身に付けた集団が斜面を登る一群の中に身を投じている。一行を、不思議なことに、もう一人の自分が鳥瞰している。
 場面は日本の南部に多い潅木の林ではなく、杉林のような手入れをされた山だが、一面に深い緑色。あれは苔だか何かなのか。
 (ややや)
 モロヘイヤの深い緑を見て、何度も見る夢の色を思い出した。蓑笠の男たちは当然傘など差しておらず、先を急ぐ旅なのだろう。無言で、雨の音がする。林の中で、風の音がしない。
 そういう雰囲気まで夢が何時も同じ場面を再現してくれるわけだ。あれは何かな。謎が分かったら、俺の老い先は長くないということか。
 本日は25℃を下回る由。週末のNottinghill Carnicalで一気に秋が来る。来週は涼しいよりも寒いくらいの気候に転じるそうだ。いやはや、めまぐるしい。
| 7喰う | 15:14 | comments(0) | trackbacks(0)
「しかしSid Vicious、お前ではなし」――現代London Pub事情。
8月26日
「しかしSid Vicious、お前ではなし」――現代London Pub事情。
 昨日は、「いでよ、Punk」、と書いたけれど、「しかしSid Vicious、お前ではなし」、さ。
 市内各所に出没すると、訪れた分だけ、何かしらの発見があるわねえ。Trellick Towerからも遠くない、市内某所では「殿方用手水」の扉に、Sid Viciousの顔写真が使われている。
一方、この反対側の「ご婦人用手水」の扉には、Audrey Hepburnである。Sid Viciousには悪いけれど、あの世までも死んで追いかけたNancy Spungenではなかったのは皮肉。
 しかしPunk業界も、とうとうここまで来てしまたわい。笑ったけれど、歴史になるというのはこういうことか。よりによってAudrey Hepburnとのカップリングとは。相手の彼女がただ怯えるばかりではないかと気の毒だ。
 
 Sid Vicious as Gents.....?

 男子のシンボルとしては1970年代のJames Deanみたいなものかと想うと、そうでもないんだろうな。Pragueでは、James Deanのバーがあった。1950年代のロカビリーのリバイバルみたいな店があった。何十年か遅れてアメリカ合衆国の文化が入り込んでいる。
 Viennaにはそれがそれほど強くない。古都の自信かね。ところが、ブダペストには、確実にロックンロール文化に対する観念的な憧れが感じられた。共産党に焼き尽くされたことがあるから、アメリカの自由に闇雲に憧れがある。
これと同様に、SId Viciousにとってのロックとかパンクってのは、極めて観念的だわね。
 「パンクではこうあらねばならぬ」
 という“パンク出羽の守”だ。「パンクは死なねばならぬ」と思い込んで死んでしまった。
 Sid Viciousが少しでもギターを持って真剣に音楽に向き合えば、音楽は、それなりのルールがあり、最低限の腕が必要で、そのためには最低限の音楽のルールの知識と努力が必要だということがわかったはず。だが、そこまでやってみても、挫折したとは想うが。残念なのは、バンドはSid Vicious以外に候補者を選ぼうとしなかったことだ。

              Sid Vicious Doll (6 PVC Doll)
 
 Johnny ThundersがSid Viciousを見切ってステージで電源を抜いたのは有名な話だ。そもそも、Johnny RottenはそのSid Viciousのそんな怠惰なキャラクターを見抜けずにバンドに入れようと運動した点で何時までもそしりは逃れられないだろう。
 「お前なら出来る」
 そんなおべんちゃらを言われたらSid Viciousなら勘違いする訳だろう。
 P.I.L.で同じ繰り返しをすることになるが、Johnny Rottenの場合、ミュージシャンに必要な資質を理解するまでに何年もかかっている。バンドを組む仲間を絞り込めなかった。ミュージシャンとして大切な力を見抜くだけの眼力にPistols時代にはまだ欠けていた。

At the road side at Charing Cross Station
 8月24日、Charing Cross Station前で鳴らしてましたね。ブルースとR&B。古典的な。
 若いのに素敵だなと想いましたね。パチリとバスから1枚撮ったわけさ。古臭いけどね、
 表現は新しく出来る。定型詩の中にだって、生々しいリアルなおのれも出せるはずさ。 

 スポーツでも同じこと。いい選手は、リングやピッチに出る前にトレーングをやるわね。その苛烈な努力の上に初めて戦術や戦略というものが出てくるわけだ。バンドも同じで、ステージでも楽器同士で音でやり合えるってのは、そんな努力の上に咲く話だ。
 1976年のSex Pistolsには、華麗なテクニックこそ無かったが、ミュージシャン同士のバトルがあった。77年の春以降は、彼らの音からは、ミュージシャン同士のいい意味でのバトルはもう全く感じられない。
 ともあれそんなことを言うのは、年寄りの繰言。今や「男」の象徴がSid Viciousとはな。だが、チンポの使い方もロクに知らずに死んでしまった男がLondonの殿方の象徴とはね。これぞ、「マニッシュなロックンロール」だわねえ。
 俺は女子ロッカーは好きだけれど、俺に言わせれば、Sid Viciousは「女の腐ったようなロック」だ。楽器が弾けず、弾こうともしない時点で、もう問題外。キライも好きもない。ステージに上がる以前のレベルだ。
 「その通りだぜ」
 泉下からJohnny Thundersの声が俺にはハッキリと聞こえる。
 「いでよ、Punk――しかしSid Vicious、お前ではなし」というのが正しい言い方だわな。



追記
汗みずくになった2日間でした。昨日は33度。今日も28度とかいう話だけど、疲れたぜ。往復8km歩いてんだからな。
そいで、Bertie Marshall自伝は読んでらい。驚きの記述というか、彼は、驚きだなあ。Sid Viciousなんて、洟垂れ小僧だなあ。ま、これも、三島由紀夫の評伝と一緒に読んでんだからさ、中々だろ。ご本人は喜ぶか知らんねえ。
辛口になってきたけど、歳を取ると大体そうなるだろ。遠慮が無くなるんだよ。だから、きっとその内、俺みたいな人間でもね、いいことを吐く瞬間が、一瞬でもあるんだろうよ。あらゆる欲が消えてさ。そこまで生きられるかな。

追記の追記
明日はどうなるか分からないけれど、一丁、ボトムくらい夏に日本で気に入ったのを履いてみっか。気が遠くなるくらい血圧が上がったりしてなあ。そいつは困るねえ。オホホホホホホ。
| 8音楽 | 06:38 | comments(0) | trackbacks(0)
今日の1台(14)――Triumph Dolomite 1800 (1973)
倫敦日記’16(第三十四弾)
8月25日
今日の1台(14)――Triumph Dolomite 1800 (1973)
 後ろから近付くと、リヤウインドウの下部に「Triumph Doromite Club」というシールが貼り付けてあるのに気付いた。それだけで何かを感じなければならないのがこの車だ。
 イギリス自動車メーカーの最後の最期の車。イギリス車として開発された最後発の大衆サルーンカーだった。
だから、この車の愛好クラブの場合、集まりとしてはかなり郷愁的なところ、回顧的なところが元々あるところに、巧みに愛国心が結びついているのだろうと想われる。
 だから「Brexit」では離脱派の急先鋒だったかも知れない。いや、さすがにそんな元気は無くなっていたかな。

Triumph Dolomite 1800 1973 (1)

 想い返せば、1970年代前半のイギリスは、最早、昔日の面影は無かった。組合の動きは尖鋭化し、企業は軒並み経営難で喘いでいたところ。さらに輪をかけて長期化する労使間交渉によって、大企業といえどその屋台骨が揺らいでいた。
 Triumphもその例外ではなかった。イギリスを代表するオートバイ、自動車メーカーは、とりわけ大衆向けの小型車では、20世紀の前半を通じて、イギリス社会にAustinと共に大きな影響力を及ぼした。
 その頃、StranglersのJean-jack BurnellはTriumphのBonnevilleを乗り回していた。これは、沈んでいく英国社会への本人の郷愁を反映していたと考える方がいいのだろうと俺は想う。

Royal Enfield Bullet 350 2015 (2)
 こちらはご存知、「Royal Enfield」の350ccのオートバイ。1950年代のイギリスの独自
 技術が、売買収の曲折を経て、21世紀の現代でも、インド在の工場で生き続けている。
 そんなバイクを支持するユーザーが、本国イギリスに多数あることに、移住後、実は
 軽い衝撃を受けていたが、「Brexit」支持派と重なることに後々気付いて唖然となった。
 街角に停まった小さな車たちからサイレント・マジョリティーの主張を感じるのも、
 俺の大切な仕事でもある。

 暗いムードに沈んでいる斜陽の帝国社会では、Punk Rockが猖獗を極める頃に、Triumphは経営不振の果てに、四輪車の事業から撤退を決めて、オートバイの製造のみに特化していくことになる。Jean-jack BurnellのTriumph Bonnevilleはそんな時代背景がある。

Triumph Dolomite 1800 1973 (2)

 引き換え、当時の日本車はイケイケだ。Hondaは、本格的に四輪車の事業に投資を決め、オイルショックを契機に、アメリカ合衆国で導入の決まった排ガス規制をクリアしたCVCCエンジンを開発し、ついに新型車のCivicを投入した。
 本田宗一郎は一歩引っ込んでいたが、とうとう四輪の大衆向けの事業に進出したのかという想いが今でも強く残っている。それまでHondaはレースで培った二輪の技術を四輪小型スポーツカーに活かすことはやっていた。だが、それはあくまでスーパースポーツの世界に留まっていた。それが良かったのだが、大衆向けの四輪事業は当時のHondaには荷が重いだろうというのが一般的な見方だったろう。
 マツダも小型大衆車をやっていたが、伝家の宝刀、ロータリー・エンジンがあったから、それなりの地位を持っていた。マツダがラリーの艱難辛苦を大衆車にフィードバックして、71年にSavannaを投入した時、ディスク・ブレーキを全車に載せたと聞いて興奮した。
 この時期、Triumphは開発費の資金繰りに困り、Doromiteは旧式のシャーシと旧式のエンジンを組んで新デザインのボディーを載せて何とかマーケットにおもねろうとした。残念ながら勝負は実際に見えていた。
 その頃の世相を考えると、世の中は繰り返しよねえ――思わず自分の中に浮かんでくる。
 ニッポンの女子はイケイケ。ブドーカンに外タレが来るとカナキリ声を上げて、世界に向けてロック・スターを逆照射した。事実、トーキョーからロック・スターを送り出した。今の伸び盛りの国々にはそんな雰囲気の女子が数多くのし歩いてる国があるだろう。
 その我が国ニッポン。
 40年以上前のイギリスと同じようでもないが、さりとて、先行きには、大きな打開点を見出し難い厳しい状況は変わらない。つまり、今のニッポンは往時のイギリスと変わりはないのだ。
 その時、イギリスと同じように、何か新しい動きが社会の底辺から出てくるのだろうか。それとも座して死を待つのか――いでよ、Punk、というところか。


追記
上げるの忘れとったわ〜っ!!!

追記の追記
Cheap Trickが日本公演とか?、ええねえ。羨ましい。イギリスには来いへんの。
| 10随想 | 20:09 | comments(0) | trackbacks(0)
熱帯夜――咳は出る、足は攣る、年は寄る。
8月24日
熱帯夜――咳は出る、足は攣る、年は寄る。
 咳はもう帰国以来だから、1ヶ月以上出ている。コデインは無いが、それでも、夜半に咳き込む時には、まぁ、布団から起き出して、何とか咳止めクスリを舐めてごまかしている。
 イギリス、日本、アメリカなどの咳止めキャンディーを、さらに旅先でも追加で調達したりしたが、それでもダメだわね。
 先日は、ポルトガルの咳止め用の飴を買ったら、コイツは意外に効く訳です。

      DR. Bayard Cough Candies

 こちらは咳き込んだ時に足が攣ったことがあって、その対策用の芍薬甘草湯。さらに二日酔い対策用の五令(草冠に令)散料を枕元に置いてあるわけだ。
 ジジムサイねえ。こうなると、一直線ですな。男の道も、一直線ですら。
 今日は昨日から打ち続く熱帯夜の雰囲気濃厚一本勝負なめり。こういう苦しい展開が夏の終わりに来るなんての、ズルイなあ。身体が疲労しているのに、暑くてねられやせんわ。厳し〜っ!

      芍薬甘草湯と五令散料
| 10随想 | 03:40 | comments(0) | trackbacks(0)
Rioじゃないよ、Londonよ。
8月24日
Rioじゃないよ、Londonよ。
 一瞬のサプライズのために安倍ちゃんが地球の裏側のRioにマリオになって登場したオリンピックの閉会式。時計はOmegaでGrand Seikoではなかったというブーイングもあったけど、オリンピックの公式時計だから仕方無いんやね。
 密かに電通本社で特訓をしたという話もあるそうだけど、一国の首相があそこまで演出に協力しなければならない時代になってきたのは間違いない。好き嫌いに関わらずやらなければならないところ。
 
Roundhouse 20160706 (1)

 というわけで、こちらはそのリオのマラカナン競技場ではなく、LondonもLondon、CamdenのRoundhouseの丸天井でありまする。
 ちなみに、写真を撮った夜、この丸天井の下では、62歳のElvis Costelloが歌い踊っていました。
 これから、どうも色々とありそうな気配だぜ。困ったもんだけど、山場の時には、一時に何でも押し寄せてくる。忙しくなるワイ。
 先週くらいから、落葉が激しくなっているんだけれど、一昨日から大陸の熱波の余波で、Londonも摂氏30度という日が続いている。
 しかし夜はそれなりに気温も下がる。それもあって、今朝なんかいきなり真っ黄色のプラタナスの落ち葉が大量に舗道に落ちていた。数日、寒暖の差の激しい日が続くと、多分、色付いた葉が耐えられなくなって落ちるんだな。
 ということで、秋はグーッと近付いてきた。今週末はバンクホリデー。そうだ、Nottinghill Carnival。これで、終わったら秋が来る、というところなんだろうな。


追記
今日は溶けそうな暑さだ。猛暑も猛暑だが、ちょっと身体が付いていけない。夜が深く眠れないんだね。中途半端に暑いから。夜が怖い。やっぱり、扇風機を買わねばならんなあ。
| 5今週の余糞 | 17:43 | comments(0) | trackbacks(0)
開けてビックリ玉手箱(2)――「Live'76 Sex Pistols」が届いたが。
8月24日
開けてビックリ玉手箱(2)――「Live'76 Sex Pistols」が届いたが。
 再結成ツアーは、長い間の共同生活で、Paul CookがJohnny Rottenをどうしても受け容れられなかったという話がある。黒人妻と仲睦まじい家庭を持ち、極めて温厚で静かな人柄の彼のような人物が受け容れられないほどのエゴが、Johnny Rottenにまだあったということも、心に留めておきたいところさ。
 
Live76 by Sex Pistols (2)

 今日、ここで付け加えておきたいのは、Helen Wellington-Lloydのことだ。Bromley Contingentには小人症の女性が加わっていた。彼女がHelen Wellington-Lloydその人。Jamie ReidがSex Pistolsの有名なロゴを描く以前に、“Blackmail”のタイポを作ったとされてきた。
 その事実が、今回のボックス・セットの中で明記されている。
 「下記に掲げているのはキャンセルされたショーのフライヤー。Helen
 Wellington-LloydによるオリジナルのSex Pistolsのロゴが含まれている」
 40年前の5月17日に、LondonのIslington地区に今もある映画館、「Screen on the “Islington”Green」で行われる予定だった深夜公演のショーは8月の末に延期された。今作では2枚目の音源として収められている。

Richard Young (11)
 Bromley軍団のその後は、ここにある全員が何らか表現で足跡を残していることになる。
 南アからやってきたHelen Wellington-Lloyd女史の消息は、15年ほど前にパンク關連の
 品物をオークションに出品した後、杳として、一切、知れない。
 彼女は、バンドの初期の活動から定期的にステージに通い、マルコムから可愛がられた。
 やらせでない、熱心なファンであり、パンクという運動の体現者であり、サポーターで
 あった。

 実現しなかった幻のフライヤーが掲載され、そこに、Helen Wellington-Lloydの書いたロゴがオリジナルだと明記された。なるほど、だからここ暫くの間、Jamie Reidのロゴでなく、Helen Wellington-Lloydのロゴが公式アルバムに使われているというわけだ。
 Jamie Reidが法外なことを言ったために価格交渉の折り合いが付かなかったのかどうか。Helen Wellington-Lloydのロゴがここ数年で使われるようになったのには、何かしら裏がある。彼女はもう人前に数十年間姿を現わしていない。何かあるのだろう、きっと。
 さらに、Johnny RottenのJohn“Rambo”Stevensのような取り巻きにも触れておく。
 俺くらいの古い世代になるとJohn“Rambo”Stevensという人物はJohnny Rottenの古くからの取り巻きの1人だったことは記憶されているだろう。

Johnny Rotten with John Rambo Stevens。

 Sid Viciousの本名John Simon Ritchie、Johnny Rottenの本名、John Rydonと並んで、彼らの仲間内で言う3人Johnの1人だ。だからSid Viciousと同じように、識別コードが“Rambo”というわけである。77年以来、ボディー・ガード役として昼夜の区別も無く常に行動を共にしてきた。
 正直、胡散臭い。「Johnny Rotten一家」の代貸しという格好。だが、それって何だ?
 俺にとって、Johnny Rottenを考える時、強さと共に弱さの裏返しの象徴に感じてきたのが取り巻きの存在だった。恨みも無いけれど、結局、John“Rambo”StevensはJohnny Rottenの話し相手として、これまで殆ど全ての時間を共に過ごしてきた。女房のNoraよりも長い時間を過ごしてきたのではなかろうか。コイツは、かなり気持ちが悪い。
 今回は、John“Rambo”Stevens に仕事を回し、Dave Goodmanから譲り受けたテープを起こさせ、メンバーから了解を取り付け、公式のアルバムとして発売させたわけだろう。それが、このタイミングでボックス・セットがリリースされた真相だろう。
 それを音楽作品のクレジットで表わすと、先程のような「Executive Producer」になる。手元の音源を商品化しても、録音に関わっておらず、付加価値を付けているとも思えない。それでも「Executive Producer」。しかし分け前は合法的に行く仕組みだ。
 世の中を渡って、ジンセイの荒波をしのいでいくのは並大抵のことではない。だから、それはそれで文句は無い。だが、還暦を過ぎたJohnny Rottenは取り巻きを身近に置いて安心立命しているのだとしみじみと感じてしまう。だが、それって何だ?
 Paul Cookのように地に足の着いた人物から見ると「コイツは何だ」と見えても不思議は無い。「ジョニー一家」は組長の周囲にチンピラが群れ、分け前を山分けするだけなら、Sid Viciousをバンドに入れたことと本質は変わりがない。哀しいことではあるが。


追記
Johnny Rottenの組んでいる「ジョニー一家」は、アイルランド移民の寄り合い所帯みたいなものなのかも知れないな。だけど、そういう寄り合い所帯というものは、何年かを経て、厳しい状況を抜け出せば、解散するのが本筋だろう。俺には、どうして何時までも寄り合い所帯が存続するのか、まだJohny Rottenが理解できていないのだろうねえ。
バンドを組んだりしたことのある人なら、大抵分かってくれることだろうけれど、バンドは建設的にならないとまずできないものなんで、破壊的な精神の人がいると、それは音楽にもならない。不協和音になるだけ。
嫌い合っていても、音楽が好きならば、その一点だけで曲は成立する。Sid Viciousをやっぱり許せないのは、練習をして向上しようとした軌跡が音で認められないから。結果的にせよ、音楽やバンドというものをバカにしている。
だから、最初から最後まで破壊的でいいと思っている人は、他のミュージシャンから嫌われるだけで、音楽に対し、やっぱりふざけているんじゃないかと想うわけだよ。簡単にできることじゃないからね。地味な努力を重ねないと、バンドってのはできないもんなのよ。
今朝、1972年のサンハウスのライブを聴いていて、「すけこまし」だとか「街」で、想わずう〜んと唸らされましたね。72年の博多には、完全なるコスモができていたという感じですなあ。東京とも海外とも無縁の、博多の小宇宙だ。だけど、そう44年後の人間に感じさせるために、サンハウスがどれほど身を削ったか。そこに泣ける何かがあるな。

追記の追記
清談続きで大陸側から引き合いあり。ハイハイ、引き合いあれば直ぐに参りまっせ。来月はクソ大忙しだわいなあ。11月まで視野に入れてブッキングを開始したところ。音楽は聴けないし、映像も観られず、本も読めまッせんわ。
| 10随想 | 06:58 | comments(0) | trackbacks(0)
DJ Derekの死――Bristolの三面記事から。
8月23日
DJ Derekの死――Bristolの三面記事から。
 ブルー・ビート、レゲエ、ダブ、スカに深く入り込んだ人なら、この人の名を知っているかも知れない。
 本名は、Derek Serpell-Morris。死亡記事を読むまで、本名は知らなかった。
 奴隷貿易で栄えた過去を持つ、Bristolを根城に活躍したDJだが、2度の離婚と父の死去まではガチガチ堅気の経理マンだったというこの人は、ジンセイの最期まで謎の多いジンブツでもあった。
 昨年7月、突然、人前から姿を消し、今年の3月に遺体が郊外で発見され、本人と断定された。

20160723 DJ Dereks Death(the Guardian)

 人によって様々なDerek評があるそうだ。2回目の結婚に敗れて以降、自暴自棄になったから、とか、ゲイだから、とか、金を貯め込んでいたから、とか、人嫌いで恨みを買われていたから、とか、色々な面を誇張されている。
 今、ミシマの評伝を読んでいて、書き手のフランス人が、Patti Smithの評伝を書いたジャーナリストと同じ人物だということに今更ながら気付いた。ジブラルタル海峡の果ての街の書店で手にしたPatti Smithの評伝――
 彼女のような人も、今や、伝説のQueen of Bitchであり、Rock 'n' Roll Legendという時代なのだとしみじみ想い出させられた瞬間だったから、その本の著者がフランス人だと知った時に、さらにショックがあった。
 難しい世間の荒波をしのいでいく内に段々と採点が塩辛くなる。彼女を対象に選んだジャーナリストが、日本人でミシマを選んだことに、やや抵抗を感じたのも事実だ。
 殺されたのか、死んだのか――それすら、闇の中に消えて行こうとしているDerek Serpell-Morris。後期高齢者に近い年齢で、どうして不審死を遂げたのか。
 日々、色々なことを考える中で、この3ヶ月ほど、DJ Derekの死が思い浮かんでは消え、クリッピングを取ってからかなり長い時間が経っている。
 夏が終わろうとしているが、今年の夏は、彼の追悼のメッセージが何人のミュージシャンから聞かれたことか。
 今年の5月は、London市長がイスラム教徒のパキスタン系移民2世Sadiq Khanが選出されたことばかり報道されたが、イギリスの歴史で初モノはもう1つBristolで起きた。
 主要都市(人口第6位)で初の有色人種(カリブ移民の2世)市長となったGeorge Fergusonである。彼は、市としてDJ Derekを称えるプロジェクトを計画していると発表している。
 DJ Derekの死はまだ原因は分からないにせよ、この話から、奴隷移民の音楽をイギリスに根付かせたという面で、音楽史や社会史的な視点からの異人でもあったが、ただそれだけで恨みを買われていた可能性も感じられるわけだ。
 彼の死には、そういう複雑な背景が感じられる。ミシマを評伝に選ぶ人なら絶対に書きそうにないジンブツだが、近頃は、他人には「淋しい人」だと想われることの多かったというDJ Derekのような奇人の内面をあれこれ考える。
| 10随想 | 14:40 | comments(0) | trackbacks(0)
開けてビックリ玉手箱(1)――「Live'76 Sex Pistols」が届いたが。
8月23日
開けてビックリ玉手箱(1)――「Live'76 Sex Pistols」が届いたが。
 5月頃に注文して、3ヵ月後のお盆を過ぎて我が家にようやく届いた。
音源はとうに日本で聴かせて貰っていたのだが、アマゾンから届けられるのを楽しみに待っていたのは、他でも無い。確かめたいことが幾つかあったから。
実際に手に取り、今回の製作サイドのクレジットを見てみないと分からないことがある。それで、ようやく分かった。これは、John“Rambo”Stevensの企画なのだ。
 これまでも再結成のピストルズのツアーや新たに製作されたライヴ映画等では、John“Rambo”Stevensの名前はハッキリと上がられていた。
 例えば、再結成ピストルズのツアーは「Manager」と書かれていたし、映画製作となると、監督を別にして、「Executive Producer」となっていた。あのJohn“Rambo”Stevensが。
 この4枚組みのセットはもっと凄い。全篇にJohn“Rambo”Stevensの名前がある。「Direction」、「Research」、「Compilation」、そして「Executive Producer」にクレジットがある。恐らくこの人が1人でボックスを作るために奮闘した、ということがよく分かる。
 この男が、Dave Goodmanの取ったテープの管理を受け継いだようだ。

Live76 by Sex Pistols (1)

 だから、音源は故Dave Goodmanの提供によるものと明記されている。今回初という感じで、その辺りのことが書いてある。とりわけ3枚目の「Chelmsford Prison」のライヴ音源の全尺公開は初。俺自身も聴いたことのない、無修正の音源から再現したものだ。
 4トラックに録音されたテープから起こされたと書かれている。この音質の調整は俺の日々の散歩道になっているEMIのAbby Road Studioで行われたそうだから、John“Rambo”Stevensも、Johnny Rottenらと共にイギリスに移住してきたのだろうか。

        Jamie Reid Promotion Poster
 ご存知、Jamie Reidの製作した「Never Mind the Bollocks」の販促用ポスター。大判で、
 四畳半なら壁の半分が埋まりそうなサイズだった。1977年には全てのグッズのロゴは
 彼のものだったのだけれど…1976年中には、まだロゴは固まっていなかった。我が家に
 ある12月の「Anarchy Tour」ポスターは、彼の作ったあの有名なロゴは使われていない。

 また、ボックスにはしつこいくらいの音質の悪さに関する注意書きがある。
 「テープは性能の良くない録音機器によって記録されている」
 「当時のオーディオ機器で記録されたテープを起こしたため音質が悪い」
 これほど音質の悪いテープを公式な作品として販売するのはさすがに後ろめたいからか。
 面白いのは、Johnny Rottenの喋りに対して、観客席の反応がかなりビビッドなことだ。やっぱりJohnny Rottenはコメディアンの芸人風だ。1976年という時代の雰囲気が感じられるところだ。
 これから、本作はよく聴き込んでみたい。新たな発見があるかも知れない。
 1つだけJohnny Rottenの発言で気付いたことを書いておく。
 「これはHarold Wilsonを歌った歌。嘘付きのことを歌ったんだ」
 この年、3月に首相を辞任したHarold WilsonのことをJohnny Rottenはこき下ろして言うのだが、Harold Wilsonの辞任は、アルツハイマー病が原因だったことはこの時点でまだ公表されていない。公表されたのは死後の95年である。

Johnny Rotten with John Rambo Stevens。

 この年の1月末に20歳になったばかりのJohnny Rottenが知らなくて当然なのだが、こちらが52歳になって聴くと、まぁ、小賢しいガキだなあと改めて思わされる。突然の辞任は謎とされていたが、それだけで首相を「嘘つき」呼ばわりするか。
 当時はティー・カップを手に、何時間も政治や文化について喋って夜明かししていた。それは、今でも、あまり変わりない。そして、今でも、想い付きで話すし、その時の話の流れで、矛盾したことを言うことがある。
 「Anarchy in the U.K.」を書いたばかりで、「God Save The Queen」をこれから書く頃。それまではもう少し漠然とした社会への不満を描いていた。ここにきてJohnny Rottenは政治的な怒りを書くようになった。
 だが、アルツハイマー病が原因で首相を辞任した人間のことを、さすがに「嘘付き」とは呼ばないと想う。Johnny Rottenには、そういう無知ゆえの言い過ぎだとか、意地の悪い言い回しが多い。自伝にもそういう部分が散見されるところ。
 おっと、本題に行く前に紙面が尽きた。従い、本件、明日も続く。


追記
コンバンは、密談、清談でありました。ほぼ、かなりの範囲をカバーして、相手に不足無し。久々に面白かったよ、同年代でな。これからが実は大切でありまする。胸に秘めて、深く静かに潜行すべし。深くね。オホホホホホ。
Check
| 8音楽 | 07:25 | comments(0) | trackbacks(0)
CALENDAR
S M T W T F S
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031   
<< August 2016 >>
SPONSORED LINKS
SELECTED ENTRIES
CATEGORIES
ARCHIVES
RECENT COMMENT
RECENT TRACKBACK
モバイル
qrcode
LINKS
PROFILE