岡田純良帝國小倉日記

吉田健一の酔眼(壱)。
4月20日
吉田健一の酔眼(壱)。
 「吉田健一対談集成」[講談社文芸文庫]
 俺は英文学にあまり興味が湧かず、その面では英文学者としての吉田健一(1912-77年)の書いたものも発言も読むのはあまり楽しめない。
 面白いのはモノカキとして同業の師匠・河上徹太郎(1902-80年)との丁々発止。本書には河上との対談が3つも収められている。面白かった部分の抜き書きをしておく。
 昭和34年(1959年)の河上徹太郎との「文学・文壇・文士」より。
  吉田「たしかに本を買う人は増えたな。昔は真面目な本が三千売れたのが、
    今は一万売れるんだもの」
  河上「おれの本は昔は三万売れたけど、今は三千だ。どうしてくれる?(笑)」
  吉田「それは戦争で読者が死んじゃったんだよ。ハ、ハ、ハ。僕の本を読む所
    までは読者の方が立直ったけど、河上さんの本を読む所までは立直らない
    んでしょ。河上さんはもう少し高級だから」
  河上「きみはこのごろ口がうまくなったよ。(笑)やっぱり売れなきゃ嘘だ」
  吉田「だけど、昔の文学愛好者は死んでるでしょうね」
  河上「そうして、まだ生れてないんだ」
  吉田「そりゃ、時間がかかるもの」

  吉田健一。.jpg
  この犬好きは父親譲りなんだけど、組んだ足から身体の線のクネクネ具合は一体誰に
  似たものでしょうか。クネクネして笑い声もひきつってて、変な人だったろうねえ。
  まことに。

  河上「おれたちにしてもそうだな。昔、たとえば横光利一なんかと『はせ川』
    で飲んだ、あの文士生活はね、今じゃおでん屋文学って軽蔑されるけどね。
    ああいった気魄は、今じゃおれたちに抜けてらあね」
  吉田「うん、そうだな」
  河上「あれは『はせ川』っていう舞台だったよ。お座敷じゃなかったよ。お客の
    いない舞台だった」
  吉田「あそこの戸を開ける時、考えたもの。(笑)今は過渡期なんだね。たとえば、
    もしほんとの読者層というものがハッキリあるとすれば、出版ていうものも
    変って来るでしょ。こういう本はいくら売れるとわかればね、もっと安定
    してきますよ。今は投機なんだ。売れるかも知れないけど、売れないかも
    知れないんだもの。それはハッキリした読者層がないからなんですよ。
    それがあれば出版は安定したものになるし、書く人間は減るかも知れない。
    欧米がそうですよ。日本みたいに多い所はないだろう。だから少くなる
    だろうけど少くなった人間は、もっと安定した、もっと地味な生活をする
    ようになるだろう。第一、出版社が講演旅行だの何んだのする必要がない
    ものね。この人のこういう本が出ましたって広告すれば売れちゃうんだから、
    出版社も地味になると思うんですよ。過渡期と思えば耐えられますね」
  河上「きみは耐えられないか。きみみたいに我慢強い男が。(笑)」
  吉田「何かムシャクシャしてる時はいやだね」
 この対談は昭和30年代の前半だが、いよいよ東京オリンピックが見え始めて、東京中がビル建設と高速道路の建設で急激に変貌しようとする前夜である。学生で芥川賞を受賞して社会現象となった石原慎太郎(1932年-)や大江健三郎(1935年-)が世に出たばかり。
 昭和時代から平成の前半位までは石原や大江の世代が文学でも政治でも幅を利かせて、イデオロギーには飽き飽き。今になって“彼ら以前”の世代に日が当たるのはそれか。
  吉田「だけど、昔の文学愛好者は死んでるでしょうね」
  河上「そうして、まだ生れてないんだ」
  吉田「そりゃ、時間がかかるもの」
 深いねえ。半世紀くらい経てばモノの見方なんか百八十度変わっちまう預言なんだな。


追記
暮らしが慌しくて落ち着かないわねえ。夏位まではかかるか知らん。分刻みみたいな状態ではなぁ。どこかの砂漠で植林していた頃が懐かしいねえ。諸兄姐、そういうもんざんすか。
| 9本・記録集 | 06:38 | comments(0) | trackbacks(0)
SardiniaにPunk魂はありや?
4月19日
SardiniaにPunk魂はありや?
 昨夏、CJ RamoneがSardiniaをツアーした時、前座はSardinia南部の州都Cagliari地元のPunk Band、The Colvinsってのがやったの。The ColvinsはPVまで作ってYoutubeに上げている。島ではそれなりの顔らしい。

CJ Ramone with Marky Ramone.jpg

 この小さな島で島の北西部を根城にする建設業の男とちょっとしたトラブルになった。武士の情けでヤツの名は秘すが仮にMarioとでもしておくか。Marioは中々味のある男で、トラブルの数日後、Marioの自宅を訪れると、屋外で老母がレースを編んでいて、大きな犬と子猫が足元をウロウロしている。如何にもイタリアのマンマだ。
 (きっと、こいつもいいヤツなんだろうな)
 書類にお互いに必要事項を書き込んで取り交わした時に、IDを見ると1963年の12月とあった。隣に身内のMillan支局がいて通訳してくれる。
 「俺とお前は日本で言えば同学年だ」
 「え?」
 Marioは俺のIDを見て言った。
 「ビールで乾杯しようよ。俺、取ってくるわ」
 俺たちは書類を交わした記念に乾杯した。隣でマンマが目を細めて嬉しそうにしている。我々はアフリカの移民問題を語り合い、Marioは中国には困ったもんだと慰めてくれた。最後には一杯喰わされたような顔してたっけ。そりゃそうだよな、トラブルを持ち込んだのは俺だものさ。アハハハハハハ。

CJ Ramone and the Manges.jpg

 内心は、Sardiniaで建設業界といえば100%“あっち”だから、この島ではトラブルのカタは付けられねえと俺は観念していた。ところが、Millan支局の手引きで、この後で、島で一番デカイ街、Cagliariにある事務所に話を持ち込むことになったわけさ。
 「Cagliariは北の街とはあんまり関係ないよ」
 その事務所の窓口がバンドのベースで、Alessandro Zだった。
 Alessanndro Zは夜こそコワモテのPunk野郎だけど、オテント様の高い昼間はカタギだ。髪を短く刈り込んでいても、そこはそれ、キレイ目のパンツ・スタイル。空港から至近の某ギョーカイ事務所に勤務していた。

   Sardinia.jpg

 その時にちょいとAlessandroと話になった。ナニ、話はPunkだものシンプルなものさ。
 ヤツのスマホケースが「RAMONES」のロゴマークだった。
 「お?、これどうよ」
 俺の待ち受けは、その頃、Paul Cookと肩を組んでる写真だった。
 「やや、Paul Cookだなぁ?」
 覗き込んだAlessandro。それまで硬かったのが嬉しそうな表情に。
 「俺、Punk Bandやってて、CJ Ramoneの前座やったばっかりだよ」
 今度は俺にヤツがCJと肩組んでる楽屋で撮った写真を見せた。
 「なーんだ、お前、Punkかよ」
 「あんたもPunkかよ」
 「Punkもシノギはキツイよな」
 「大変だよ」
 その時、俺たちの間には、建設業のオヤジとのトラブルが横たわっていたわけだ。

The Colvins.jpg

 Sardiniaの話はそれで終わり。
 あれから半年の年月が飛ぶように過ぎて、俺は遠く遠くアジアの果てのニッポンに帰国してしまったわけだな。この間、Millan支局が粉骨砕身してくれて、とうとう約款通りにトラブルでかかった経費の全額を取り返した。
 「え?、マジかよ!」
 忘れていた。
 CagliariはMarioたちとまた違う勢力が仕切っているらしい。これ、掛け値なしの実話。
 いやぁ、Mario、テメエでは一銭もかかってねえから屁のカッパだろうけれど、負担した金を俺たちが全額取り返したと知ったらどんな顔するかなぁ。昔の人は言ったね、待てば海路の日和ありって。ありゃ、ホントだ。
 しかし、SardiniaでMafiaとトラブって支払った費用を全額取り戻した日本人は俺たちくらいのもんだろう。Millan支局の実力に脱帽。さすが日本の大企業の社長・会長の日伊通訳を務めるだけあるわい。以後、Millan支局はシモネッタ女史と名付けよう。
 しかし詳しく裏の話を聞くとまたまた仰天。
 「Alessanndroんところで書類が止まってたらしいよ」
 SardiniaにPunk魂はありや?


追記
っちうわけで本日もクソ忙しい。何で?
| 8音楽 | 06:41 | comments(0) | trackbacks(0)
鮎川誠ちゃん。
4月18日
鮎川誠ちゃん。
なにもつけくわえることはnasigoreng。そんな夜もアリューシャン列島。

20180415 トラメ35周年 (鮎川誠).jpg

追記
今週もサンハウス40周年の2枚組みのスタジオ・ライブ録音とシナロケと山口冨士夫を聴いている。合間にJohnny ThundersとChuck BerryとLittle WalterとHigh Numbers。暫くEtta James系を聴いていない。どうせ、また近い内にそっち系のブームが俺に降りて来る。
まあ、いい。鮎川さんのギブソンがまだピカピカ光っている頃から観ているんだから、こちらも歳を取ったわけだ。
| 8音楽 | 20:57 | comments(0) | trackbacks(0)
自己瞞着と20歳の幼夫――開高健に騙されそう(捌)。
4月18日
自己瞞着と20歳の幼夫――開高健に騙されそう(捌)。
 「見た、揺れた、笑われた」[開高健著, 筑摩書房]
 近頃、本の「回転率」を上げようと想うようになった。本書は何れ近い内に処分しようと想うので、手元にある間に備忘録を引いてもう少し読後感をまとめたいと思った次第。
 本作では後半の3作、「揺れた」、「太った」、「出会った」からは、当時、作家には雄飛の時期が迫っていたことが感じられる。本書の出版後、ベトナムの戦場を目撃するために、勇躍、作家はサイゴンを目指した。特に「太った」。死地に赴いた気分がよく分かる。
 話は飛ぶ。帰国後、日本の古書店を巡っていて、面白いことに気が付いた。神戸・元町通り裏の「ちんき堂」(http://d.hatena.ne.jp/chinkido/)。小田実(1932-2007年)と野坂昭如(1930-2015年)、さらに横尾忠則(1936年-)ら
の、これまで久しく見なかった昭和時代の単行本がどっと並んでいて正月から腰を抜かした。

          「古本パンチ」[戸川昌士著]表紙。.jpg

 無論、店主の戸川昌士(1949年-)のセレクションであることはいうまでもないわけだが、バブル時代の「横尾忠則大全」(1989年)なら分かるが、「横尾忠則大全」(1971年)があったのにはちょっと驚いた。都内の古書店でもあまり見ない。値段は15,000円。価格設定は妥当なものだろう。
 しかし驚いたのは稀覯本のことではない。都内でも2000年の「野坂昭如セレクション」の揃いの一部があった。さらに昭和時代、彼らが執筆した直後に出版された主要作品がどっと出回り始めている。これは今まであまり見なかった。箱入りの美装本からソフトカバーの普及版まで、懐かしい表紙の本がずらっと並んで壮観だ。
 有体に書けば、昭和ヒトケタから10年前後生の作家や美術家の書籍を同時代に買って、これまで、自宅にずっと大切に保管してきた愛読者たちが次々に亡くなっているのだ。あるいは、家の整理のために大量に放出したか。「ちんき堂」だけの現象ではない。他の地域の古書店にも同じような現象が起きている。
 開高健(1930-89年)の場合でも、1991年の「開高健全集」がどっと出回っている。先日、ある人と開高健の話をしたら、数日後、「人は、いざ」の日本人分3冊揃いが届けられた。
 「差し上げます。父が愛読者でしたので自宅にはまだたくさん蔵書があります」
 こういうメッセージ付きで頂くと、処分がし難いので困る。とまれ、古本屋のゾッキ本コーナーは久しぶりに作家戦線異状あり、である。一連の諸兄の作品から想い出すのが、昭和時代の日本人の濃厚な人間関係である。作家や俳優と読者や観客との関係である。

戸川昌子.jpg

 俳優の佐藤慶(1928-2010年)が1962年に新藤兼人(1912-2012年)の撮った「人間」で殿山泰司(1915-1989年)と一緒になった。ロケは室蘭。2人は街に飲みに出た。

 「前方から見知らぬ中年の男が近づいて来る。咄嗟にオヤビンは駆出して男の真正面に立ちふさがり、シゲシゲと相手の顔を見つめる。人通りも少ない夜道で、いきなり日灼けしたハゲ頭のギョロ眼に黙って見据えられて、彼は驚きのあまり声もでない」
 「するとオヤビンが訊いた。
 『アンタ、怒ってんの?』
 『いいえ』男はこわごわ小さな声で答える。
 『じゃあ一緒にメシでも食おうよ、同じニッポン人じゃないか。ハハハハハハハ!』」

 これも前に引いたが、佐藤慶の「オヤビン語録」(「彷書月刊」2002年6月号)から。
 開高健の場合は、跳躍のために鬱屈を溜め込むことが必要だった。「太った」を読むなら、体型がなぜあれほど変わったかが分かる。考えれば気の毒なことだ。いわばベトナムは三島由紀夫で言えばハラキリだ。開高健の生き様ってのも、まことに壮絶無比。


追記
新潟 is Burning....このタイミングで、というのはヤボだが、これで残り何枚かあるカードが切られるのか知らん。それにしてもスパム強烈でもうこの、あの、その、つまり面倒になって参りましてん。
| 9本・記録集 | 06:39 | comments(0) | trackbacks(0)
久々に観た、大森隆志。
4月17日
久々に観た、大森隆志。
 トラメのゲスト、元サザンの大森隆志。すごい12弦ギターを弾いたんだそうだ。大森さん、いいギターを弾いて、嬉しそうだったぜ。俺もちょっと嬉しかったね。
 
20180415 トラメ35周年 (大森隆志).jpg
| 8音楽 | 20:20 | comments(0) | trackbacks(0)
自己瞞着と20歳の幼夫――開高健に騙されそう(漆)。
4月17日
自己瞞着と20歳の幼夫――開高健に騙されそう(漆)。
 「見た、揺れた、笑われた」[開高健著, 筑摩書房]
 昨日の続きになるが、殿山泰司の話を続けたい。開高健が幼馴染の谷沢永一、向井敏と、後年、鼎談書評として残したこれまた名著、「書斎のポ・ト・フ」から。

 向井「そりゃ(丸谷才一の褒めた)田村隆一もうまいけれど、奔放で融通無碍で、俗の俗を扱ってしかも名文というのでは、殿山泰司も逸しがたい。ものがものだから丸谷才一も引用しにくかっただろうけれども、何も触れないですます法はなかろうと思ったな」
 開高「丸谷才一は上品ぶりすぎるのよ(笑)。殿山泰司の奔放さはこれは格別でな(中略)、都会人なんだね。はにかみ屋なんだ」(中略)
 開高「(主演映画のパンフレットに寄せた文章が何時も通りの天衣無縫な『おれ』調であったこと)これは余人にできることやないと、あらためて尊敬したね。一度この人と酒を飲みたいと思うのだけれど、ファンは遠くからながめているのがいちばんと考えて、近づかないことにしているのよ」
 向井「それで、ファン同士がたがいに遠慮し合っているわけか。ほほえましい話だね(笑)」

 この辺り、開高健がタイちゃんの文体をどう見ていたのか、という一端が伺えるだろう。

       「書斎のポ・ト・フ」表紙。.jpg

 「かつて、三文役者こと、われらが殿山泰司大人に、
 『オトコを知らずして、イイ役者になれへんど』
 と、私は説諭された」
 「殿山大人は、『側近のオンナ』のみならず、その最精(?)期は、側近のオトコも従えて、われら、二文ないしは一文役者どもに君臨していた。われらはつとに、オトウサンの尊称を彼に捧げて、役者の鑑と、殿山大人をあがめていた」

 こちらは小沢昭一(1929-2012年)の回想。
 ともあれ、品田雄吉さんの竹馬の友が知り合いの某さんだから、会ったら聞いてみよう。
 また、ヒントを残した「品田正平」とは違って、パリで出会った「高名な文筆家」は謎だ。
 「『カラスはあくまで夜のように黒く、サギはあくまで雪白である。その美が倫理である。洟たれ小僧のときからそう聞かされて、育った。それが至福の恒常というものだ。ところが、このあいだ庭にでて煙草を吹かしていたら、どこからか一羽の鳥がやってきた。胴がカラスのように黒いのに頭と尾だけがサギのように白いのである。噴飯物だ。悲惨な愚劇である。長生きするとこんなものを見るようになる。私は与しない。目をつむって宇治の新茶を啜るまでである。エラスムスはペストを恐れてレンズを磨いた。涼とせられよ。合掌、合掌』
 そういって芸術院会員にならなかった。」

大佛次郎。.jpg

 自信はないが、大佛次郎ではないかと想う。芸術院会員を辞退したと明記してあるので、高村光太郎(1883-1956年)とか河井寛次郎(1890-1966年)も浮かんだが、年代が合わない。また、森有正(1911-76年)も想い付いたが、古代の壷の話など書かないだろう。
 だが、芸術院会員を辞退した、という部分を無視すれば大佛次郎だと分かる。この頃、大佛次郎は取材でパリにいたからだ。「パリ、燃ゆ」は、1961年10月〜63年9月「朝日ジャーナル」に連載されている。5か国語を操ったとか、胃潰瘍を酒を呑んで治したとか、大佛次郎伝説には付きまとうから、多分、そうだろうと想う。
 末文:「何事もない。私は部屋のすみに寝ころんでいる」
 末文を見ると、飛躍の時が来ていたのだと想わされる。
 以上、この5篇の印象的な部分を備忘録に引いてみた。読後感は一言でまとめられない。

追記
昨日は関東横断でありました。LAのLAXからLiver Sideに行く感じ?、ヨーイじゃねえす。関東平野は日本最大の平野でもあるけれど、粗密の激しさでも特徴的だなと思っていたら、今時、上海近辺なんて関東と同じ眺めが拡がってるわけだわい。参っちゃう。
| 9本・記録集 | 07:00 | comments(0) | trackbacks(0)
自己瞞着と20歳の幼夫――開高健に騙されそう(陸)。
4月16日
自己瞞着と20歳の幼夫――開高健に騙されそう(陸)。
 「見た、揺れた、笑われた」[開高健著, 筑摩書房]
 最後が「出会った」。これはやや冗漫な印象があった。
 井荻の作家の家に、ある日、品田正平と名乗る愛読者から立派な封書が届いた。
 「『拝啓
小生はあなたの愛読者であります。デビュー当時からずっと欠かさずに読んでいます。一作ごとになにか新しいことをしようとしているあなたの態度が好きなのです。どうあがいたところで人間は自分から自由になることができないのだし、シャツをぬぎ変えるみたいに小説家が主題や文体や趣味をポンポン変えるわけにはいくまいと思いますが、あなたは承知の上でもがいているようです。

      「ポトフをもう一度」表紙。.jpg

 あまり数がないのもファンには嬉しい。書きまくったって、書きまくらなくたって、そんなことはどうでもいい。 八十年の生涯(長いですぞ)に一行なり一冊なりを残して嗚呼と暁闇の空に声を響かせられたら以て瞑すべしです。アヒルみたいにガアガア鳴くな。こちらはその日その日、満員電車のギュウ詰め。九時にタイム・レコーダー、ガチャン。五時にもう一回、ガチャンです。やっている仕事はいつかあなたも外国旅行記のアイヒマン裁判のことで書いていたが、ポンポコ人生、クソ人生。ハンコをおして暮す。混濁の世の一隅におちた地の塩です。
 無能と良心の板挟みになってマスプロできないでいるあなたを支持します。
 助ケテヨ、オ兄サン。(太宰治調ではない。殿山泰司調という最新流行です。歌は世につれ世は歌につれというモノ。勿論、テレかくし)
 助ケテヨ、オ兄サン。
 あなたの五千円なり五万円なりで私は救われる。まじめにお願いします。返済は出世払いということで如何ですか。男の約束です。“胸の肉一ポンド”にかけても。
 空も土も聞け。
 うわぁ。
 ドウシタノヨ、アンタ。
                           胸厚き品田正平』」

 「Suntry Quarterly 開高健特集」表紙。.jpg

 品田正平とは品田雄吉(1930-2014年)かどうか。「出あった」では服飾会社の勤め人という仕立てだから「キネマ旬報」編集部に勤務していた品田雄吉とは違うのかも知れない。
 しかし、開高健の自宅に送られてきた封書は殿山泰司(1915-89年)の文体を真似ている。その頃、タイちゃんが「アサヒ芸能」に連載していた文章が一部の編集者の間の噂話からモノカキにまで及んでいたわけだろう。
 後に「三文役者の無責任放言録」としてまとめられたもので、今に残る傑作ではあるが、タイちゃんの文体を品田正平という名に絡めれば、浮かんでくるのは映画界の人間だ。それこそ開高健が読者へ残したヒントではなかったかとも思うわけである。


追記
昨晩は横浜のセブンス・アベニュー。早めに行き、とっとと帰宅してしまいましたが、こちらは近々別稿にてご報告予定。
| 9本・記録集 | 06:39 | comments(0) | trackbacks(0)
またまた本の引越し。
4月15日
またまた本の引越し。
 朝から8箱をやっつけた。これから残る7箱と格闘予定。

20180415 書籍移動 (1).JPG

 古本屋で買い集めた菅原通濟だけれど、今では少し値段がついているらしいねえ。ハンター・トンプソンなんかは全てきれいサッパリ売り払った。ケン・キージーも処分したかな。
 アメリカのあの年代の作家はメジャー系は、大体まやかしが多い。マイナーの地下水脈に多分、大物が眠っているはずなのだ。その辺りはカリブの海賊君と俺は随分趣味が違うみたいねえ。

20180415 書籍移動 (3).JPG

 この辺りはどうよ、捨てられないなぁ。吉田健一は500冊でいいと言っていたけど、その通りで、捨てに捨てて大体500冊見当残った。

20180415 書籍移動 (2).JPG

追伸
これからハマへトラメ。腰が痛い。トホホホホホホ。
| 5今週の余糞 | 13:28 | comments(0) | trackbacks(0)
自己瞞着と20歳の幼夫――開高健に騙されそう(吾)。
4月15日
自己瞞着と20歳の幼夫――開高健に騙されそう(吾)。
 「見た、揺れた、笑われた」[開高健著, 筑摩書房]
 四作目が「太った」。これは世間的には広く知られている通り、「私」役が向井敏と同じく幼馴染の谷沢永一で、「彼」とあるのは開高健自身だろう。作品中では時に微妙に2人が入れ替わって読んでいると騙されそうになる。
 開高自身の語りを谷沢永一が回想する場面を。
 「旋盤見習工になったときは学生という身分をひたかくしにかくしていた。学生だというと、工員たちにバカにされたり、嫉妬されたりするからである。それまでの経験でそう知らされたというのだ。ところが、彼らは鋭敏だった。仕事場へいった最初の日に一目で見ぬいてしまった。一人の旋盤工がいきなり彼女を便所につれていき、せんずりをしようといいだした。精液がどこまでとぶか、競争をしようというのである。たじろいでいる彼のまえで、その工員はさっさとボタンをはずし、充血しきって紫いろに輝きたっているものをつかみだしてみせた。工員はうろたえている彼の腕をつかみ、かくしたってわかってるぞ、あんたは学生はんや、どうせ偉なってわいらをいじめるのやろ、といった。腕をつかまれて彼はひるんでしまった」
 「『……あんなところでも勃起できるもんやなと思た。奴のはギラギラひかってふるいたっていた。それを見て、おれは、つくづくおれは労働者やないと思た。えげつないことをやりよる。あんな踏み絵を食らわされたのははじめてや。どだい、手荒いわ。ええ勉強になった!』
 すなおに頭をかいて、彼は苦笑してみせた。そのときは、めずらしく快活であった」

         「回想・開高健」表紙。.jpg

 俺の知人で、「おおきに。今日はええ勉強になった!」というのが口癖の古い記者がいて、思わず彼の風貌が浮かんできて笑ってしまった。
 「とりわけ、彼は、既成作家の作品をさげすみ、にくみ、ののしることにかけては長けていたようである。ほとんど憎悪と侮蔑だけにだよってくらしていたように思う。おいぼれ。もうろく。茶坊主。腰巾着。小言幸兵衛。思わせぶり。半可通。お坊っちゃん。ちょっと踏まれただけでキャンキャンとんで跳ねるスピッツ。メンスが頭にきた鈍女作家。バカでスレた行徳のまな板。仏づらしたタイコ持ち。学閥、門閥、郷党閥、酒閥、エロ閥。ボス猿社会。腹芸。七笑い。七変化。しかめつら」
 そうなんだろう。若い頃には誰も彼もが嫌いだったんだろうとは想うわね。
 それでも、職業作家になってしまった開高健は谷沢永一から復讐される。俺は家に引きこもったが土塁を築いて守ったぞ。お前何だ、ワルシャワがどうだ、アウシュビッツがどうだと深刻そうに語りつつ、見るも無残に太っちまったではないか。
 その回答はここでは引く必要はないが、これは悲痛な叫びだ。俺から言わせればPunk Rockerが太ったのだから、他人事ではないぜ。「太った豚よりも、痩せたソクラテスになれ」と誓い合ったはずの2人。8年間の期間を経て再会した「彼」は太っていた。
 末文:「やっぱり、地球は重いのだ」
 末文は完全に吉本オチである。それとも、川田晴久の「地球の上に朝がくる」、である。

追記
咋朝、浜松地方から訃報届く。樺太生まれ育ちの女性も、お会いしてから4、5年にはなろうかというところ。これで、浜松の係累はいなくなってしまったことになる。昨夜から嵐の関東地方。生前は仲の良いご夫婦だったから、今頃は、彼方のお宅で夫婦久し振りの差し向かいで、一杯やっているのかも知れない。それとも、樺太のお宅で家族水入らずで賑やかな晩餐かも知れない。お一人になってから35年。よく最後まで頑張りました。お疲れ様でした。
| 9本・記録集 | 07:54 | comments(0) | trackbacks(0)
長崎飯店にて。
4月14日
長崎飯店にて。
 久々に長崎ちゃんぽんの専門店に。バシン時代にはこの店は入ったことはなかったけれど、「枡本」の直ぐ近くで、何時も道すがら見ていたから懐かしかったね。皿ウドンを頼みました。
 今日は某所と某所に下見。ゲップ出続けで苦しい、ホントに苦しいわい。
 明日は我が家のダンボール詰め作業がいよいよ始まるワイナリー。

長崎飯店20180414 (掲載).jpg
| 7喰う | 19:21 | comments(0) | trackbacks(0)
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