岡田純良帝國小倉日記

Small World――現代の提灯行列。
1月22日
Small World――現代の提灯行列。
 たった今、国技館前にいる舎弟から送られて来た1枚。稀勢の里の優勝パレードを待つ善男善女。これぞ現代の提灯行列でありますな。

     国技館前20170122夜


 もう、吹っ切れたようになって、前を見て動き出して欲しいね、ニッポンの諸兄姐には。下を向いていじけている時間は無いんだから。良い年にしたいわね、どちら様も。
 おめでとう、稀勢の里関。次は嫁取りだわな。どっかのおせっかいばあさんみたいだ。アハハハハハハハ。
| 5今週の余糞 | 20:00 | comments(0) | trackbacks(0)
Ewan McGregorも大御所。
1月22日
Ewan McGregorも大御所。
 帰国すると俺のテーブルの上にポンと乗っていた。
 昨年末のTim Rothに続いて、またまた、反逆系の役者。だが、世代的にはTim Rotheや俺よりもずっと若いが、今や大ベテランのEwan Gordon McGregor(1971年‐)の超ロングインタビュー。
 これまた明らかに今週末の27日(金)から「T2」が公開されるのに合わせてのプロモーションだ。今晩は「Channel 4」で一作目の方が放映されるので観る予定。
 Kurt Cobain(1967−94年)が死んだ時、泣いた男がいて、コイツが、またその2年後に、その第一作が出ると、
 「俺の世代の映画ですから!」
 「これは俺の世代の物語なんです!」
 と叫んでたっけ。
 春日部出身で、俺より4歳年下の男だったけど、やたらに俺なんかとの壁を造りたがっているように思えたっけな。それを思い出すよ。

Ewan McGregor Interview on Weekend of the Guardian 140117


 稀勢の里が14章1敗で優勝。うう、ちょいと複雑な気持ちなんだけれど、それでも、初場所から新横綱誕生とはまず喜ばしいですら。
 幸先のいい年になればいいんだが、さてどうかな。明日から久々にまたまた歩きだわい。
| 10随想 | 18:27 | comments(0) | trackbacks(0)
気になる本――短縮するサイクル、一瞬で市場が消える恐怖。
倫敦日記’17(第四弾)
1月22日
気になる本――短縮するサイクル、一瞬で市場が消える恐怖。
 「第四次産業革命」[Klaus Schwab著・世界産業フォーラム訳, 日本経済新聞出版社]
 原題は「The Fourth Industrial Revolution」。ジュネーブに本拠のあるNPOの主催者で、一般には「ダボス会議」で知られているだろう。彼の主催する本フォーラムの宣伝媒体のようなところもある書だ。だが、これまた考えることはとても重要なポイント。
 ネットと通信、モバイル機器の浸透で産業の盛衰サイクルが加速度的に短くなっている。
 例えば、日本の家電産業の伸張で、アメリカからラジオやテレビに至るまで、アメリカ企業がAV市場から撤退するのに1950年代から60年代にかけ、20年ほどかかった。この間、もっと古くからあった繊維産業なども含めて、日米政府間交渉や民間企業間のダンピング訴訟などが延々と続き、お互いに交渉で疲れきるほどの膨大な時間と労力がかかった。今ならこれは2年でカタがついてしまう。

20170121 (2)
 斜陽の帝國と呼ばれたイギリスからニッポン製造業の黄昏を想うのはツライことだ。
 Nikonの危機はまだ自助努力で回避できるだろうけれど、東芝の闇は深いんだなあ。
 イギリスでも話題になっていて、韓国の政治問題と殆ど同列に語られてしまうのだ。
 極東アジアは同じ土俵で見られる。このことがどんなに不愉快でも、そういうもの
 なのだから、個別の事象でも旗幟鮮明にして言い続けることが大切なのだ。黒でも
 白と言い続けることで白くなる。そう本気で想っている国と同列にされて、諸兄姐、
 悔しい気持ちを胸に秘めて、やることはしっかりやらんといけんわねえ。

 近頃で最も分かりやすいのは、デジカメだろう。2014年秋にAppleの出したiPhone6と6s。これに搭載されたカメラのiSightは格段にAuto Focus機能が向上し、世界中で展開した広告はユーザーが撮影したデータの美しさを強調するものだった。
 それが、昨年の7月に秋葉原や新宿の電気屋でデジカメのコーナーに行くと、事実上、もう、デジカメ売り場は数分の一に縮小し、事実上、デジカメというジャンルは高機能デジタル一眼レフ系か特殊な用途のデジカメかに二極化して、中間のいわゆるデジタルカメラ市場が消えていた。腰を抜かしたわね、あれには。
 デジカメ市場はすでに2008年のiPhone3Gの頃から頭打ち。2010年のiPhone4辺りになると、確実にスマホへ買い替えすることでデジカメをも代替することになっていったように感じられる。それでもまだ3年ほど前までカメラ各社ともそれなりにデジカメの新機種を開発していたように記憶している。Nikonはそれでリストラを余儀なくされた。そういうわけで、ずっと使ってきたNikonの後継モデルまで消えてしまった。
 デジカメ市場が一瞬にして消えただけでなく、世界中の街角から公衆電話も消えている。こちらはもっとずっと時間が掛かっている変化だけれど、電話ボックスはゴミ置き場になっている国も多い。イギリスでは公衆電話ボックスの付近にWiFiが飛んでいるのはご愛嬌だけれど、何れ何かの形で世界中から公衆電話ボックスは撤去されることになる。サスペンスで犯人が身代金要求のために電話ボックスを使って、中々、小道具としては面白いものだったのにな。

Klaus Schwab.jpg
 このトッツアン、食わせ物なのか篤志家なのか、はたまた政商か。丁度今頃、かの地で
 ラップアップしているわけか。ドイツ人だということはよく考えておいた方がいいな。

 1月半ば、Trump政権向けのアピールで、アマゾンは今後1年半でアメリカ合衆国内で10万人以上を雇用すると発表した。現時点で18万人の従業員は18年には28万人だ。しかも雇用はフルタイム。ネット通販の拡大を軸に事業を拡大すると強気一方だ。
そういう激戦の時代だが、最近、内閣だけでなく、霞ヶ関も、頑張っているなあと想う。それがこのIT分野だったりする。霞ヶ関側でもこの技術革新が大きなチャンスであり、一方で、殆ど国家的リスクでもあることを痛感しているから力を入れているのだろう。
 「第四次産業革命」(http://www.meti.go.jp/main/60sec/2016/20160729001.html)がそれ。
 但し、日本は省庁間の壁があって、財務省の管轄の金融が何時も抜けてしまうのよね。日本のリスクはそこにある。省庁間の壁が厚いからマクロな動きに追随できないのだ。ITが進むと銀行の「決済機能」はネットの世界で代行されてしまう。日本では現金払いが中心だが、何れ日本全国にある銀行支店の窓口機能の大半が不要になるだろう。

B£(Bixton Local Currency)
  Brixton地区で導入されているローカル通貨のB£の10B£札。ご存知、Ziggyだよ。
  こういうしゃれっ気を古来日本では粋と呼んでいたはずなんだけど、「粋」は何処。
           「ナショナル」ロゴ別(1960s)
  彼のこの奇抜なメイクは松下電器の「National」のロゴマークのデザインで閃いた
  という嘘のような実話があるのだ。それほどDavid Bowieは日本贔屓だったんけ。

 今だってそうなりつつあるのだけれど、銀行という組織はその大半が融資とか投資業務だけに限られていく可能性がある。そうなると、チャラン、チャラン、チーンだとか、バタバタバタバタとかいう銀行窓口の現金決済風景は消えてしまうのかも知れない。
 この20年を考えてみると、eチケットになって、航空券を束で持ち歩くことは無くなり、紙のチケットの意味が消えてしまった。また、イギリスでも大陸主要国でも、どこでもカード決済ができるから現金を持ち歩くことが少なくなった。ユーロ圏でなくったって、カードで行く先々のATMでキャッシュを引き出せる。20年前ならTraveler’s Checkと航空券の束はPassport同様の専守防衛・最重要のブツだった。日本は、本書では指摘されていないが省庁間の壁のリスクがある。(経済評論家・小関広洋評、日本経済新聞)


追記
審判部長が若島津で協会理事長の北勝海に臨時理事会を招集要請するとのこと。大相撲の初場所14日目で13勝1敗で初優勝した大関稀勢の里の横綱昇進が事実上決まったというわけか。相撲王国の茨城県で柔道をやっていた俺的には昭和の末からの先輩・同輩・後輩諸兄の幕内の顔触れを想い出すと感慨ありますわなあ。牛久では随分文化圏は違うけれども、常陸山以来の歴史がある土地だけに伝統が次代に受け継がれるのは喜ばしい。
これで日本人もやれるという大きな流れになるのだとしたら、これはさらに喜ばしいことだわい。千秋楽、授与式に安倍総理自身が出て授与なんてのがあると粋だわねえ。
| 9本・記録集 | 08:48 | comments(0) | trackbacks(0)
Farewell Barack.....
12月21日
Farewell Barack.....
 Donald Trumpの就任演説は保護主義者には心地良いものだったろうけれど、ビジネスマンという観点から見ると、国内物件しか扱った経験の無い、小物の不動産会社の経営者の印象が強かった。
 イデオロギーより眼の前の物件の騰落、眼の前の獲物の印象――1980年代に跳梁跋扈した白浜の大阪証券取引所の上場会社役員の雰囲気だ。一々語尾を上げ、相手を叩く時にはオクターブさらに調子を上げる。
 (古いローカル経営者)
 彼が如何なる修正をその政治に今後加えようとも、人に植え込んだ印象はそうそう拭い切れないところ。俺は、Lee Iacoccaを思い出させられた。

            President Obama holding 「Trout Mask」!

 その点で、内政をガタガタにしたと指摘されるBarack Obama。それでも定期的にBlues Boy KingらをWhitehouseに呼んで、大セッション大会を開いていた。かつてアメリカ憲政史上に無かったことをやった。
 「Sweet Home Chicago」を熱唱したり、「What I Say」で夫婦でエロいコール&レスポンスを歌わされたりしていた。
 歌わせたのはSam Mooreで、Rock 'n' Rollの歴史で初めてあの時の声をビートに載せた曲だから、
 (大統領夫妻に歌わせてきたぜ)
 Ray Charlesの墓前に報告したかも知れない。それほど凄い場面だったんだ、あれは。
 その中の幾つかは、Youtubeに上がっていて、やや、大統領の音感に不安があるのが直ぐに確認できるだろう。

Obama singing along with BB and all stars at Whitehouse

 元々、ロック・ブルース系のポピュラー音楽は好みだったらしく、PistolsもRamonesもStonesも膨大な数百枚のLPコレクションの中に含まれていることはWhitehouseも認めているところだ。
 過去にはFrank ZappaのInterviewからの選挙運動の盗作疑惑もあった人で、Zappaの幼馴染のCaptain Beafheart系も好きでオッケーという趣味の人だった。だからWhitehouseでミュージシャンを前にした挨拶も堂に入っている。
 これからこういう愉しい場面は見られなくなるんだろう。アメリカ合衆国のような全てオープンな無制限のザラ場のような社会で、こういうイケイケが消えるとやっぱりツライ。

Obama singing along with Sam Moore and all stars at Whitehouse

 結局のところ、Barack Obamaの体現した価値は多様性だった。今、Hollywoodの映画で、黒人が出ない映画は無い。近頃は観客層を見込んで、中華系と中東系も目配りを効かせている。
 2千年前のPompeiの家々の遺跡で驚かされたことは、八百万のギリシャの神々の1人としてオチンポ様を豊穣の神で各家庭で祭っていた表現の闊達で自由だったこと。さらに売春宿も辻々に置かれ、彼らの絵の中には、貴族も奴隷も白も黒も描き込まれていることだった。
 しゃれっ気がある。笑いを許容し、人間を肌で否定せず多様な価値観を認めている。征服国から奴隷として連れて来た者の中でも、気の利いた男なら解放奴隷として奴隷から解放させ、男は商売で成功していたりする。自由競争と国際貿易が既にして実現されていたのだ。
 (前に行ったり後戻りしたり)
 人類はその繰り返しだな。
 1999年頃に、やっぱり、俺はBarack Obamaの演説を観ているんだろうと想い出したよ。Stanfordの構内で、彼は、まだ将来を嘱望される若き上院議員だった。
 今後、第2次大戦前の昔のように、排外主義に陥るなら、またまた人類は真っ逆さまに後戻りするのかな。海外で、右も左も分からない娘を初めて学校に行かせた時、アメリカ社会で受けた優しさや温かさを、俺は忘れていないぜ。
 彼女は11月から地元の学校に通い始めて、翌夏のサマースクールでは「Stop in the name of Love」を歌い踊った。アメリカには借りがある――俺はそう想ってら。だから、また一肌脱ぎましょう。細工は流々ご覧じろ。
| 8音楽 | 14:58 | comments(0) | trackbacks(0)
気になる本――自己責任の原則の無い社会。
1月21日
気になる本――自己責任の原則の無い社会。
「『正しい政策』がないならどうすべきか」[Jonathan Wolff著 / 大澤津・原田健二朗訳,
勁草書房]
 1994年、勁草書房はRobert Nozickについて語った「ノージック――所有・正義・最小国家」を出版している。著者は、マクロには、人類社会では、どこまで許されるのかというテーマを研究している社会哲学者だ。
 「ここで取り上げている問題は実に多岐に渡っている。その一つだけでも一冊の本が必要だ。順番に言えば、動物実験はどこまでゆるされるか、ギャンブルはどのようにあつかわれるのか。ドラッグも同じ。安全を理由にして、政府はどこまで社会生活に介入できるのかetc」
 元々、この筋の人たちは、頭の体操としてはかなりトッポイことを考えていて、つまり、どこまでAnarchyが許されるか、という問い掛けを常々考えているとも言えるのだ。
 「哲学ということで言えば、ウルフが常に参照しているのは、19世紀イギリスの哲学者J.Sミルの『他者被害の原則』だ。他者の身体や権利を侵害しないかぎり、政府は個人の行為に介入できない、という原則」

Robert Nozick.jpg

 俺としては、この方は、遡ると、1974年のRobert Nozickの「Anarchy, State, and Utopia」[Basic Books]を敷衍して論じたものだと理解している。
 「カジノ法に反対する新聞やテレビがどこまでこの自由の問題を考え抜いていたかは、ウルフの思考の道筋をたどりながら、振り返ってみると、かなり疑問がある」
 「ウルフは、基本では、ギャンブルを規制することには慎重である」
 「リゾートカジノを認めないとすると、その理由にギャンブル依存症が持ち出されるので、それは合理的ではないと、言う」
 「ギャンブルに入るきっかけはパチンコであることが多いのだから、カジノに反対する理由があいまいになる。ウルフはいつもデータを用意していて、カジノ依存症は実は少ないとも書いている」
 原題は「Ethics and Public Policy」。自分が何かに迷った時に、考え方の道筋を確認するためにもこのような本は役に立つ。(明治大学教授。土屋恵一郎評、日本経済新聞)
「きずなと思いやりが日本をダメにする」[長谷川真理子・山岸俊男著, 集英社インターナショナル]
 「日本では伝統的に『いい子』でいられることが求められてきたが、グローバル化した現代においては、自身の価値観を鮮明にし、お互いに理解し、ぶつかりながら協力する生き方がよいという」

Jonathan Wolff.jpg

 書評は素っ気無い。著名な進化生物学者と社会心理学者の共著。日本人は変われるのか、きずなと思いやりが日本をダメにする、という目次が続いていて、明らかに啓蒙書だが、面白いのはAmazonにあった書評、いわゆる世評。好悪両方が並んでいるのも興味深い。
 「科学の最先端を行くといわれる科学者なる存在が、いかに繊細さを欠くことで自己の言説に自信を得ているかに唖然としました(後略)」
 「(前略)こういうタイトルをつけることこそが、日本をダメにするような気がします。(中略)言いたい事をはっきりわかるタイトルにしないと、結局、ミイラ取りがミイラになっているのだと思います」
 どちらもどちらだ。啓蒙書なのだからそこまでマジに取ることもないと感じられるわね。それほど日本人は生真面目過ぎる。自己責任の原則が徹底されていないからだ。俺は、帰国する度にNHKで「きずな」と耳にすると(ソイツは俺は結構です)と想うもん。強い拒絶意識が湧く。大丈夫か、ニッポン、何時まで傷を舐め合ってんだ、そんな暇はもう無いんだぜ。「自分自身で考えて自ら行動する」だけなのよ。(『短評』、日本経済新聞)


追記
眠いっす。
当地時間の14時47分頃に着陸して、14時55分には飛行機を降りた。15時8分にはイミグレを突破、荷物をピックアップした後で15時16分発のExpress乗車、33分にはPaddington駅に到着。16時には我が家眼の前の○○駅に到着していた。
飛行機から降りて1時間で家にいるってのは、羽田川崎間くらいならできるけど、そうそう簡単なことじゃあねえや。こんなことで今年の運を使い果たしているのかねえ。
| 9本・記録集 | 08:23 | comments(0) | trackbacks(0)
トンカツ大将とは俺のことよ。
1月20日
トンカツ大将とは俺のことよ。
 新宿で戦後間も無くからやっている「三太」は俺が学生の頃から、何か自分で嬉しい時に喰いに行く店だったのだ。今回は、某所で毎回喰う店は予約を取らないので長蛇の列になるため、新宿まで足を伸ばして久々に喰いに行った。
 昼過ぎも昼過ぎで、14時45分に店を閉めるところ、14時過ぎに店に入り、二階の特等席で「特ロース」を頼んだのは俺だ。オホホホホホ。
 パン粉を着けてさらっと揚げたこの店のロースは、時々、無性に喰いたくなる。クルトンとロースカツが口の中で爆発するのはこの店ならでは。
 「何だい、ランチだけかい」
 「いえ」
 「それなら普段やってる方の特ロース頂戴な」
 「いいんですか」
 「俺は日本にいないんだから、こういうの、楽しみにして来たんですぜ」
 「ああそうなの」
 「ワラジみたいなデッカイの持って来て」
 「承知しました」
 横浜や秋葉原やにも旨い店はあるけれど、新宿のこの店も、各種コミュニケーション能力に長けた大ヴェテランのチャンバーたちが店を切り盛りして俺を喜ばせる。

三太の特ロース!

チェックインでは上手くアップグレードしてくれた○◯さん、どうも有難う。今日も関東はエラく寒くなる予報だ。フェンスじゃなくてソファに腰掛け、ミルクじゃなくてビール呑みながら、ウダウダしているところ。こんな時間帯が策謀には大切なのだ。ボーッとする時間。
 島根県竹島の件も含めて、半島との関係は急激に悪化しているなあ。だが、驚かない。全体がズブズブだからね。
 かの国の獄中との文化的な境界線は実はあんまりはっきりしないわけよ。儒教もキリスト教と同じだわいな。儒教の文化ってのは、いいところもあるけれど、法治とは真逆が本質なのだ。
 そーいうことは、ちょっとキョーヨーのある欧米の人間なら分かってるんだろうけど、殆どの西欧の人々には広く日本との見分けが付かない。それも問題なのだ。
 付き合うのは疲れるわなあ。つまり、台湾も香港も同じなんだよ、実は。香港の「寒戦」なんか見れば、警察の中もズブズブだということが分かるでしょう。コイツはニッポンよりももっとズブズブ。儒教はキリスト教以上に俺には○○○○○。
 週末の2日の取り組みを見ずにこれから機乗する。それだけが心残りだ。
 今回は御茶ノ水と秋葉原で髷を結った男たちとすれ違ったわいね。初場所は面白い展開なんだけれどどうかなあ。琴奨菊は大関陥落決定。頑張れ、琴。陥落して人間の真価が問われるわけや。上がった人間だけにしか経験のできないことなんだから一層の奮励を期待しとるで。左足全体をかばっているようで、それは心配ではあるけれど。
 愛する難波の豪栄道は左膝をひねったな。この人も、大事にならないといいのだけれど。豪ちゃんと幼馴染の勢の人気が出ていて嬉しかったな。嬉しいよ、国技館に元気な子供たちの声援がこだまするのが相撲の王道。ニッポン、また暫しサヨウナラだ。不肖・トンカツ大将は、また暫く深く潜行します。
| 7喰う | 09:34 | comments(0) | trackbacks(0)
「優勝劣敗」至上がブチ壊したもう一つの価値――教養主義。
1月20日
「優勝劣敗」至上がブチ壊したもう一つの価値――教養主義。
 過去には無かったことで、ヨーロッパ大陸を往復するようになって各地の書店について気付いたことがある。これまた荒っぽいだろうけれど、以下に記す。
1. Anglo-saxonsの牛耳る国や地域ではMBA系のハウツー本と自伝本が多い(大型店)
2. Latin / German中心に旧西欧各国では歴史・建築・美術本が充実している(小型店)
3. 旧東欧圏は依然として街に書店の数が極少数でニューススタンドが書店代わり
 これまで暮らしてきた英米と比較すると、1と3は直ぐに気付いたが、2については中々気付かなかった。個人経営の小型書店はセレクトショップ的に個性を売る店が多い。
 1についてはもう少し違った言い方をすると、空港やターミナル駅にある書店と街中の大書店の品揃えには大きな違いがあまり無い。
 3も付言すれば、一党独裁の情報操作・上意下達の宣伝社会の残滓は今でも顕著であり、東欧に限った話ではない。こちらの性格からしても、吐き気がするほど気味の悪い社会に感じられる。これは過去から何度も記している通りの話だ。
 2については、古書店街などを巡ったり、老舗書店を回ったりすると、懐かしい書籍の紙やインクの匂いが書店の中に染み付いていて、じっくりと店内を巡回しながら物色する人々の姿が目に付く。日本との違いは、歴史でも戦史モノが誠に充実していることだ。

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 日本と2が違うのは、戦史モノが充実していることで分かるように、タブーが少ない。あのドイツでさえ、戦史モノと自伝モノが重複するが、Adolf Hitlerの「我が闘争」が復刊されてベストセラーになっているわけだ。これはこれで要注意の新しい動きだが。
 その点では、日本社会は残念なことながら21世紀になっても書籍文化を担う人たちに奇妙な自粛が続いていて、知的刺激に飢える若い世代に違和感を抱かれている。20年間で書店数は半減し、大型化して1近付いているようにも感じられる。
 その1では、我が家が暮らしていた西海岸でも、創業間も無いAmazonがあのBusiness Modelは経営が成り立たないと言われ、まだ延々と赤字を垂れ流していたものだ。まるで太古のような昔にも感じられるが、それでもまだあれから20年は経っていない。
 その当時から変わらないことではあるが、アメリカの書店はベストセラーを全面に押し出している。最も分かり易いイメージとしては、Steve Jobsの自伝のような書籍が、誰も有り難がるのが当然であるかのように書店に積み上げて置いてある。
 1が決定的に2と違うのはMBAに代表される「優勝劣敗」至上主義的価値観が以前から強いことだ。NYSEの平均株価が2万ドルにまで上昇したのは、四半世紀前に1万ドルを超えたことで彼我の差を感じていた俺にとって大いに感慨がある。
 その四半世紀は景気の浮き沈みはあったが、アメリカ合衆国の金融と不動産は基本的に伸び続けた。そしてMargaret Thatcherが進めた「Big Ban」以降、大西洋の反対側にあるイギリスでも、少なくともBrexitを国民が選ぶまでは似たような状態が続いていた。

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 Steve Jobsのような、留学・移民の父を持ち、養父母に育てられ、ガレージで自作した商品で成功し、大企業に育て上げた立志伝中の人物は、本心はどうあれ、学んだこととは反対のことをやって成功したと公言するDonald Trumpとは違っている。
 イギリスでも2016年の地方統一選挙で、LondonのPakistan系移民の子、弁護士のSadiq Khan(1970年-)が市長となったが、それだけではなく、同時にイギリス第8の都市BristolでもJamaica系移民の子でアメリカに留学し、Bill Clintonの顧問官の経験のあるMarvin Rees(1972年-)が市長に当選している。移民の子孫がイギリス社会を支えている。この四半世紀を振り返れば、イギリスもアメリカと極めて似てきているのだ。
 つまり、1は、MBAで学び成功した者が勝ち組で、それ以外は敗者みたいなことを書店でも感じさせる。BrexitとTrump Phenomenonが連続して起こったのも、Steve Jobsも Sadiq KhanもMarvin Reesも、もう結構だ、我々には要らない、という声に政治が耳を貸さなかったツケが溜まりに溜まって爆発した一面を書店の品揃えからも感じられる。
 ところが近頃は2でも背景は違っても似たような雰囲気がある。各国個別に成り立ちや事情は違っても、今年はEU主要国で国政選挙が政治日程に組まれている国が幾つもあり、そのオランダ、フランス、ドイツ各国の選挙ではEU懐疑派が躍進すると囁かれている。

            20170106 (運動選手).jpg
 これが2千年前のスポーツ選手の像なんだからなあ。江戸末期くらいの文化度でさ。

 Brusselsに置かれたEU本部は加盟国の政府のさらに上に屋上屋を重ねたような組織だ。実際に各国政府の肩代わりをしている機能もあるが、この組織に対する庶民の疑念は深い。汚職を避けるため、EUでは職員に高給を約束し、家族に特権を持たせている。つまりEUのエリート性への疑念が高まっている。このような雰囲気の中では、例えば、歴史・建築・美術への興味が亢進すると、民族の歴史的正統性へ注目が高まって民族浄化にまで進みかねない。「我が闘争」の読者はこれまでのドイツ人の純粋な教養主義者とは違う層だ。
 アメリカの大統領選でもHillary ClintonをDonald Trumpが叩いたネタの中で印象に残るのは、彼女は遊説の折には中型のジェット機一杯の荷物と付き人を必要としていると囃し立てたことだ。Donald Trumpは俺の活動は俺が稼いだ金を使っているのだと言って、Clintonは人々の浄財をそんな贅沢に使っていると攻撃した。エリート=Clinton⇒人々の寄付金を湯水のように使う贅沢者――今一度、彼女が象徴するエリート層たちを検証してみろ――という暗喩。実態は、それこそSteve JobsのようなIT長者が大金をポンと寄付することがアメリカの民主党の場合には伝統的に多い。ここにもトリックがある。
 どの土地もエリート層が「優勝劣敗」至上に走る時、彼らは、我々庶民の言葉を代弁していないと叫ぶポピュリズムが現われる。日本ではこの20年間で書店は減り、1に近付いた。淋しいことだが、儲けた者が驕ろうが、それを叩きたい人たちが叫ぼうが、喧嘩の火種はどこにでも何時でもある。やらせておけばいいのよ。こんな時だからこそ、知的な冒険を愉しみ、ついでにケツをまくり、火中の栗を拾って楽しもうじゃないか。


追記
キナ臭いぞ。俺の誕生日頃には見えている景色が変わっているかも知れないわな。キナ臭い。とってもキナ臭いぜ。
| 10随想 | 04:24 | comments(0) | trackbacks(0)
喰いねえニッポンの刺身。
1月19日
喰いねえニッポンの刺身。
 今回の出張は2冊だけしか本を買わなかった。阿部真之介の人物評論2冊のみ。カメラもNikonの後継機をまた絞り込めず。
 先日、中野の「らんまん」で刺盛を頂いた。オヤジとは初お目見え。上場企業の専務くらいの貫禄がある人だった。それにしても今回の東京は本当に寒かった。徐々に温かくなってきて、今日は10度を超えて助かった。
 免許更新も終えたが、次の免許更新は5年後。還暦が目前の年齢だ。その頃には、俺はどこに暮らしているだろう。生臭い話ばかりで俺を追いかけて大陸からもメールと電話が追いかけてくる。
 何はともあれ、ニッポンは、明日の朝にはサヨウナラ。

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| 7喰う | 16:55 | comments(0) | trackbacks(0)
現代のポピュリズムって何?
1月19日
現代のポピュリズムって何?
 Italyの近現代史を紐解くと、Familyの跳梁跋扈は無視できないことが分かるわけだが、現場で人を脅かしたり殴ったり殺したりするのは手先であって、その頂点の頂点は首相にまで行き着いてしまうところに救いようの無さがある。
 歴史的には20世紀半ばまではCasa(一家)と並んでBandito(山賊)がItaly各地に跋扈し、反体制的な存在として庶民の支持を得て語り草になっているが、今はもうItalyに山賊はいない。
 山賊の英雄だったSalvatoreGiuliano(1922-50年)は、山賊仲間を裏切り、山賊たちを根絶やしにした後、殺され、山賊は消えた。哀しいのがSalvatoreGiulianoは「彼ら」に利用され尽くしたことだろう。
 生前、彼は「凶状持ち」だったにも関わらず、映画に主演したりできたのは、義賊として人気もあったのだが、「彼ら」が山賊を利用価値があると考えたから。無政府状態が過ぎ、社会が落ち着いて無用になると、同族相食ませるようにして山賊を退治させた。

Salvatore Giuliano (1).jpg

 Joe Strummer(1952-2002年)もちょっと似ているかな。21世紀の今もそんな雰囲気を漂わせている男はいる。
 山賊ではなく、SalvatoreGiulianoと対極に、今でも離島や山中を根城にした山賊やGang団を退治して、結果として庶民人気を一身に集め、一国の頂点に昇り詰めたのが、PhilippineのRodrigo“Rody”Duterteではないだろうか。アメリカの大統領を売春婦の息子と罵ったり、言うことは無茶苦茶で、現代的なポピュリズムの代表例でもある。
 Wikipediaによると、ポピュリズムの定義は以下の通りになる。
 「ポピュリズム(英:populism)とは、一般大衆の利益や権利、願望、不安や恐れを利用して、大衆の支持のもとに既存のエリート主義である体制や知識人などと対決しようとする政治思想、または政治姿勢のことである」
 これまで、ナチズムだとかファシズムと殆ど同義で使われていた時代が長かったと想う。だが、イギリスの「Brexit」に続いて、2016年の末には、アメリカ大統領選挙とイタリアの国民投票で思わぬ結果が出たこともあってか、ポピュリズムという言葉について、改めてこれまでに無く関心が高まっている。
 ポピュリズムに関連する書籍が日本では緊急出版されたようだけれど、日本はそういう便乗出版商売が相変わらず力があるようだ。これは本題と関係無いのでこれにて止める。ポピュリズムという言葉は長らく忘れられていたところがあった。が、2016年という年はこの言葉を万人が思い出させられた記念すべき年になった。
 大統領選は、アメリカ合衆国では我が一族は西海岸に集中していることもあり、皆さんイギリスではどうなのよと問いかけてきた。あり得ないことが起きたと感じているわけ。これも土地柄だ。中部エリアならそういう疑問とか不満はあまり沸き起こらないだろう。

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 面白いことに、このポピュリズムの猛威についてあれほど驚いていたはずの金融市場は、今では掌を返したようにキレイに分析している。さすがに獰猛な連中だ。曰く、2016年という年はドイツでも日本でもアメリカでも金利水準が史上最低になったので市場でも閉塞感が高まっていた、だから、一度何かが起きると閉塞感を打ち破る方向に流れた、とこう言うわけである。これはこれで牽強付会。起きたことの後付という感じもあるが、見立てとしては一理ある。
 昨年末に観てきたRomeのColosseumでは、2千年も前からやかましい「元老院」を忌み嫌った当時の新興政治家たちによって、投票権者を集め、直接語り掛けて訴える活動が行われていた。これがポピュリズムの語源にもなっていることを改めて考えた。
 ともあれ、ポピュリズムは、反エリート主義で、反多元主義なんだそうだ。これを別に言うと、David Nolanによる歴史的なNolan Chartがあって、これに拠れば、エリート・多元がそのままリベラリズムに置き換えられる。もっというと、グローバリズムである。

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 だからBrexitを決めた国民投票から半年経ち、London市内は高級住宅街に「To Let」の看板が目立つ。1棟に5軒も売買の看板が出ているような建物はざらだ。金融系の連中が加速度的にCitiから流出しているのだ。
 金融は元より瞬時に大量に国境を越えることができるので、グローバリズムの危機等は彼らにはあまり関心は無い。どこかに儲け話があれば国がどこであれ、彼らは資金を突っ込み、回収のメドが立たないと見るや、あっという間に引いていく。政治や国家に責任は持たないし、面倒も見てくれない。
 少なくとも、イギリスは、保守党だけでなく、労働党も、エリートが支える政党となり、グローバリズムに荷担してきたことは確かだ。
 ポピュリズムは民主主義を蝕む。昨年から続く事態から引き出せる我々の教訓は、国政レベルまでポピュリズムを拡大させる前に、ポピュリズム的政党を支える人たちの声にも耳を傾けることなのだろう。丁寧に異論に耳を傾けて、長期的に腰を据えた政治が今こそ必要とされているのだろう。
 しかし、老齢化し、人口が減少しつつある日本は、もう寄り道をしている時間等は殆ど残されていないとも感じている。難しい問題だ。

追記
体調は回復傾向に。抗生物質は効いてますな。昨日は阿佐ヶ谷某所にて密談。疲れましたが何とかもう1日頑張るわ。
神奈川県にラウンドアバウトが3箇所もできたんだな。知らんかった。
| 10随想 | 06:38 | comments(0) | trackbacks(0)
「山猫」は生きている(下)。
1月18日
「山猫」は生きている(下)。
 Napoliでは2016年には年間を通して「Social World Film Festival」という催しがあったとは知らなかったわねえ。ということで、NapoliのVesuvio鉄道のGaribaldi駅(中央の始発駅)には恐ろしく巨大なポスターがデカデカと貼り出されていた。すでに終幕は降りた後だが、このスペースに次のポスターを貼ろうとする業者が出て来ない。不景気だねえ。

20170104 Social World Film Festival 2016.jpg

 ま、Italyは映画に、もう一つの世界が深くコミットしているのは間違いないわけだよな。古くからアメリカではHollywoodと深く結び付いているから、Italyでも同じ産業同士の連携は進むわね。Italyでロケされた映画の映像が基本的に素晴らしいのは、地元の絶大なる協力があるからだ。
 俺のいる間に、Italyの政局が動いたかというと何も動かなかったようだ。12月8日聖母祭〜1月6日の公現祭までは当地のようなカソリック信仰の強い土地では静かになるわけだねえ。投開票の日がそういう祝祭日だったわけだしね。
 「バスからは降りないで下さい」
 Napoli市内をツアーバスの窓から見るだけで通過してしまうニッポンの諸兄姐、そんなガイド本通りの理解で納得してはいけないんじゃないのかな。だってNapoliの街角さえ、ストリートを歩くと違う風景が見えてくる。
 Napoli王国のBourbon王朝はPonpeiの発掘を命じたわけで、カソリックだけで全てを納得しては足りないわね。
 Vaticanはカソリックの総本山だけれど、実は、ギリシャ神話の世界だとか土着の魔女信仰等、潜在的な脅威が彼らの足元に常にあった。あすこまで派手派手しいきらびやかな魔術をつかわなければならなかった、という理解もできるわね。
 先に触れたマスティフ軍団の縄張りではないけれど、南欧は至るところでカソリックの祈りと土着信仰が深く混交している。しかしItaly全土では北側のイメージが強いので、南側の良さが活かされていない。
 映画もキリスト後の話ばかりだけれど、ホントは、もっと土着信仰の強い土地柄なのだ。Italyの半分は。

           20170104 (Excelsior Vittoria Hotel).jpg

 Ponpeiを歩いても、チンポの神さんで直ぐ分かるけれど、ギリシャの神話世界の神々も入り交じり合って、単なるカソリックだけの土地だとは想えないわけやねえ。
 アニミズムだ。
 俺の祖父の里で、Napoliと姉妹都市の鹿児島でも、隠れて信仰されていた浄土真宗と、「ダンナドン」信仰とが入り混じり、河川の中洲から田圃の畦、峠の分かれ道に至るまで、Napoliの市街地にあるのと似たような「祠」があるのだ。沖縄諸島、はるかに台湾諸島から遠くタイまでも通じていく根深い土着の信仰がある。
 そういう土地は南に多いですわな。大地に対する驚異と感謝の気持ちとが素朴な信仰を生んだのではないか知らん。福州だとか杭州辺りまで、儒教以前のアニミズムはあった。台湾の土着信仰と鄭成功信仰の混交にも通じていく。
 同じ匂いが南Italyには感じられるな――単純なカソリックでお仕舞いというわけにはいかんでしょう。

「山猫」のブルジョワな2人。.jpg

 そこで俺には想い出すのが、昨日からの続きになるが、Luchino Viscontiの「山猫」。
 Siciliaの苦悩を描き、Italy近代の苦悩を描いている名作の設定は、Sicilia島の西部に拡がる大土地所有貴族の物語だからBurt Lancasterの貴族は地元に住んでいる。
 そこにItaly人ではない俺たちが陥るポイントがあったわけだ。ホンチャンの史実は、大貴族なら、Romaだとか、Parisだとかに住んでいた。Giuseppe Lampedusaも、母親からフランス語を習い、自宅で家庭教師から英語を学んだ。
 映画には、どうしても史実を簡略化して映画としての虚構があるわけだわね。
 だから、あの映画で分かり難くなっているのが、実は新興勢力として描かれる美男美女、Alain DelonとClaudia Cardinale。関係無いけど、Claudia CardinaleはItary人の両親だが、育ちはTunisieである。南Itaryの人々の顔付きにはアフリカの匂いを感じる。
 物語の中で1861年のItaly統一に力を尽くす新興貴族を演じているけれど、Siciliaの貴族は、実際には統一会派が弱まり、共産党やファシズムの時代を経る中で、時の政党を支持する日和見的な選択を繰り返す。
 そこに付け込んだのが新興のブルジョワジーだった。この2人は、統一Italyのために努力する新世代でなく、映画でそうとは語られないけれども、当時の新興社会勢力であり、外部の勢力と結びつき、大土地所有の崩壊の中で生まれた中間搾取階級のブルジョワジーだと捉える方が重層的に見える。土地を持たない怖いもの知らずの新興成金。
 貴族とギラギラした彼らとの当時としては新しい関係が分からないと、Italy以外の人間には理解できないものだったのだ――いやはや奥深いわい。
 大土地所有制の改革でも、面倒なことは「良きにはからえ」というスタンスで地元の新興成金に任せたいBurt Lancasterら貴族の持つ土地を事実上牛耳って、小作人を脅しては自分に都合の良い契約書を交わして簒奪した。
 私腹を肥やして、息子を医者や弁護士に仕立て上げ、娘なら政略的に名家に嫁に出す。そして本格的な工業化が始まった20世紀半ば以降は、遠くアメリカで勃興した○○○○社会と結んだ新しい世代――彼らこそItalyの○○○○の温床になって行くのだ。
 
             20170104 (Brand-new Tie).jpg

 さて。
 これと全く何の関係も無いけれど、行く先々で、男の身だしなみについて勉強しました。勉強は先々の師について学ぶべし。というわけで、また、1本。都合4本調達したわい。
 大陸側には、まだまだ調達したくなるようなブツが流通しているぜ。Milan、Vienna、そして旧西ドイツ製の新古のネクタイも方々で見かける。それが2017年の大陸事情だが、5年後にはスーッと消えてしまう。そういうものだろう。
 Londonに帰国したら見逃していたItaly映画を観なければならない。Italy人の映画に掛ける情熱には、中々打たれるものがありました。古いItaly映画、さらにItalyを描いた古い映画等は、もう一度、新たな気持ちで観直さなければならないわね。そう思いましたわねえ。
 俺がキリスト教を嫌いで、キリスト教的なものを好かなかったのは、自分とては納得がいく。自分の価値観に照らして直感的に正しかったと思いますわね。キリスト教のせいで、人類は千年くらい寄り道しているわねえ。もっとかも知らんわねえ。
 というわけで、大げさに言えば自分の中の人類史が新たに書き換わった気がするねえ。キリスト教は、少なくとも人類の発展に及ぼした影響としてかなり胡散臭いところがある。後光の裏側にある影の負の部分について、これまでどれだけ光が当てられたのか怪しい。
 Luchino Viscontiの「山猫」は、もう一度、じっくり観なければなぁ。


追記
咳止めは別の抗生物質を処方してもらい、何とか。夕べは某所にて外交。しかし咳があり、逃げ出して中野某所へ。
本日は一日缶詰。
| 10随想 | 07:52 | comments(0) | trackbacks(0)
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