岡田純良帝國小倉日記

カタギになるまで(2)。
3月28日
カタギになるまで(2)。
 昨日は美能幸三に、カタギになるように説諭されたと書いた。その後何度も美能幸三に会ったのだが、最初に会った時の話をもう少し詳しく書きたい。
 若い頃の美能幸三は素行が悪く、旧制呉二中(現県立宮原高校)に入学したのだが素行が悪い上に反抗的でもあったので、傷害事件を起こし、海兵団に行くのを条件に釈放された。早く退学して仕事にも就かなかった。実の母親が尋常小学校の教師というのに悪かった。
 「お国のためにやっちゃれい思うて」
 そう言ったが、実態は海兵団に志願する以外に道は無く、直ぐに終戦になった。

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 だから正確には特攻隊帰りでもないし、南方で九死に一生を得たというわけでもない。
 戦争に負けてお国から騙されていたと気付いて人生に絶望しただとか、そんな線の細いタイプではなくて、もっと太いところがあった。ここが勘所と想う。
 戦争があろうと無かろうと、多分にバクチが好きで遊びが好きだったところがあるから、遅かれ早かれあの稼業には入ったのではないかと想う。
 本人も唆されて人を拳銃で撃ち殺したり、親分から命令されたとはいえ、ヒットマンとして目上の世話になった老舗の親分を狙ったり、筋を考えるとあまり褒められた駆け出し時代ではなかったわけだ。言わば、愚連隊だ。
 その美能幸三に会いに呉まで行ったのが1985年の夏のこと。
 呉に入る前々日は、俺は名古屋から長躯神戸まで走った。兵庫県警本部の近くにあったN木歯科でN木先生に厄介になっていたのだ。当時の先生はもう70歳を過ぎていたから、多分、明治末頃に生まれた世代だろう。
 Hitlerのようなちょび髭も白くなり、髪は総髪で白く、俺が夕方に歯科医院の呼び鈴を押した時にはほろ酔いで、風呂を使っている間に鮨桶が2口も届いていた。
 男同士、缶ビールで乾杯すると、たちまち灘の酒が出てきた。
 「ええ酒やで、これは」
 菊正宗の特別醸造を酒蔵から取り寄せて待っていたのだ。
 「少しゆっくりしてたらどや。明日も泊まればええやろ」
 「ええ。でもヒロシマで人が待ってますからね」
 東京を出発した晩には名古屋・東郷に泊まり、翌日には神戸まで来たのを咎めて言う。
 「若い者は旅を急いだらあかんなぁ」
 N木先生は引き止め工作にかかる。イラチだから会って直ぐそういうことを言った。

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 呉の美能幸三には○日頃に到着する予定としか言っていなかったことをいいことにして、翌日もN木先生と朝から一杯やっていた。
 午後2時だか3時だったと思うが、待合室の電話が鳴った。先生が電話に出て行くと、やがて電話口で先生は丁寧な喋り方になった。先生の話し声が聞こえる。
 「はぁ、今、代わります。お待ちください」
 先生は俺の方に向いて声を上げた。
 「あっちは呉の美能、言っとるでえ」
 「ああ、済みません」
 急いで電話口に出ると、低いドスの利いた声で、
 「お前、何時来るんか。こっちは待っとるんで」

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 いきなり説教調である。
 (来ましたねえ、ホンモノの呉弁だぜ)
 身内を通じて話を通して貰ったが口を利くのは初めてだ。だが、最初っから強烈な馴れ馴れしさがあった。
 「はっ、明日には」
 こちらも負けずに言ってみる。
 「明日言うてから、明日の何時頃になるんじゃ」
 単車で行きますから正確な時間は分かりませんが、3時とか4時とか――そんなことを言うと、分かった、待っとる、言うが早いが電話は切れた。
 「おう、あれ、カタギやないで」
 N木先生はピンと来ていたようだ。つまり、それが昭和だったわけだよ。若い諸兄姐よ。この辺り、明日ももう少し続けたい。

追記
これから採血して電車で某地へ移動する予定。忙しいですら。
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GlobalismとAsian Food.....
3月27日
GlobalismとAsian Food....
 我が家の近所で喰った「GlobalismとAsian Food」は旨かった。だけど、連れの頼んだPhoには、ナンプラーは、多分入っておらず、調理人はヌクチャムを入れていた。
 そういうところがロンドンでも店の連中と話しになるようになってきたのは面白い。
 
The Legendary Rendangy (1).JPG
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カタギになるまで(1)。
倫敦日記’17(第十二弾)
3月27日
カタギになるまで(1)。
 今は正真正銘のカタギ。だが、昔はちょっとヤクザな方向に行きそうで危なかったのよ。ま、Film Noirに夢中になっていて気取っていたくらいだから、大したことはないけれど。ゴメンあそあせのことよ。
 最近、Film Noirを巡るあれこれと、夢中になった若い頃の話を若い世代から聞かれることが多い。そういう年齢になってしまった。この際少し書いておこうと想うのはそんなこともあるのだ。
 1980年代前半には、いわゆる「パルプ・マガジン」の翻訳では第1人者だった小鷹信光(1936-2016年)の「ハードボイルド以前」[草思社]が出ていたくらい。
 さらに「ブラック・マスクの世界」[国書刊行会]全5巻の刊行が少しずつ始まっていた。その何巻目かで、「大いなる眠り」の漫画が裏表紙か何かに付けられていて、そのコピーをつい先年まで持っていた。

      Pulp Magazine (Black Mask)(1).jpg

 今のようなデジタル時代が来るとは思っていなかったから、小鷹さんの書籍には2度と会えることもないだろうと想ったんだろう。とりわけ「ブラック・マスク」の表紙は近所のバッタ屋に行ってコピーしたものだった。
 小鷹さん没後、「小鷹信光PBスクラップブック」(https://www.kodakanobumitsu.com/)という興味深いサイトが少しずつ充実している。小鷹さんが所蔵していた膨大なパルプ・マガジンの個人コレクションと雑誌に書き飛ばしていた原稿。
 アメリカでもきちんと体系だってコレクションしている人はあまりいないだろうから、日本人の几帳面さで整理してあるとしたら、大層重要なデータベースになるんだろうな。
 我が家にはせっかくロンドンに来たのだからと「決定版 切り裂きジャック」[仁賀克雄著, ちくま文庫]を持ってきている。この著者の仁賀克雄(1936年-)は小鷹信光さんと同年で、「ワセダミステリクラブ」の創設者だから、顔見知りのはずだ。
 「決定版 切り裂きジャック」は凄い本だ。これを熟読すると、Brick LaneだとかShoreditchなんか、夜はおっかなくて歩けなくなる。アメリカの関連なら片岡義男もその辺りと繋がってくる。
 「ワセダミステリクラブ」に集った世代辺りを軸に、アメリカやイギリスの様々な事件や小説をしっかり受け止めて呉れたものだから、我々が何時までも楽しめる。まことに有り難いことよ。

      Pulp Magazine (Black Mask)(5).jpg

 さて、「フィルム・ノワール」は、Wikipediaには定義としてこうある。
   1. 男を堕落させる「ファム・ファタール」(運命の女、危険な女)が登場する
   2. 登場人物は、私立探偵、警官、判事、富裕層の市民、弁護士、ギャング、無法者等
   3. 登場人物は、職業倫理、もしくは人格面で、堕落または破綻を来している
   4. 彼らは、シニカルな人生観や、閉塞感、悲観的な世界観に支配されている
   5. 登場人物相互間での裏切りや、無慈悲な仕打ち、支配欲などが描かれる
   6. それに伴う殺人、主人公の破滅が、しばしば映画のストーリーの核となる
 俺にとって細かな定義はどうでもいい。ファム・ファタールが出てこなくとも構わない。また、男は、生き残って女にかっこ良いセリフなんて言わなくともいい。いっそのこと、分かりきっているのに死地に赴いて死んでしまってくれる結末の方がいいくらいだ。
 また、職業倫理や人格は堕落・破綻しているとあるのだけれど、大したことはないよ。どんな職業であっても、大抵、飽きる時があるから、そんな瞬間には、誰にとっても魔が差すことがあるものだ。さして定義するほど特別のものでもないぜ。
 長く生きていると則を越える瞬間もあるし、ヤケになることもあるわけだ。人間らしく生きていると、運命の女なんか登場しなくとも、2から6に当てはまることは起き得るということなんだろう。リアルな人生を描くと、多少なりともそうなる。
 話は飛ぶのだが、急遽代役監督となった川島透の「竜二」(1983年)は、金子正次の遺作になった。これは、当時、利重剛と行き来のあった映画好きの友だちが持ち込んできて、「お前の必見映画」だと俺にしつこく言うので池袋の映画館で観た。ヤクザの女房役の永島暎子に説得力があって良かった。
 これも俺から言わせればFilm Noir的だった。2、4、5、6の全てが当てはまっている。特に酒屋の配達車に乗っていてキレてしまう瞬間は環七の高円寺陸橋で撮っているのだが、その頃、俺はあの直ぐ南の方南町に住んでいて、そのリアルさにドキドキしてしまった。

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 俺のアパートと中野富士見町のアパートと、しょっちゅう行き来して映画を一緒に観ていたのが、今や業界で「○○ちゃん」で通じる巨匠になった。当時、盛り上がっていたのは「仁義なき戦い」シリーズ。殺人場面が誇張でなく、実話だという点が俺たちの上映会後の酒の肴になった。
 その後、俺はバイクで呉まで出掛け、菅原文太のモデルになった美能幸三本人に会った。会長室のデスクに積んであった新品の東映のビデオや飯干晃一の角川の「仁義なき戦い」の文庫本にサインをした上下2冊まで貰って来た。
話が飛ぶだろう?
 50代というのはそういう年回りなんだろう。初めて美能幸三に会いに行った時にはまだ美能幸三は若かった。おじさん、まだ還暦になっていなかった。
 飯干晃一の著作だが、「著者献呈」という紙が挟み込まれているのがおかしかった。封を切っていない角川や東映から送られて来た関連書籍やソフトが、ガラスの書棚の中に横に積んであった。
 「ベンキョーしとって貰わんと、のう」
 文庫本にサインすると、俺の方に放った。
 美能幸三からベンキョーしろと言われたこともあり、古い世の東西のやくざ・ギャング映画を片っ端から観た。ウッフッフッフ。
 本当は、胸の奥底には苦い気分が淀んでいた。気分が晴れないのは美能本人からカタギになれと諭されたからだった。
 あれから30年以上経過して、今日なお俺はカタギの世界の側に身を置いているのだが、Film Noirの定義なら、3、4、5を行ったり来たりしているように想う。人間だものなぁ。
 ま、どこまでとっ外れるか分からないけれど、そんな視点で明日以降も暫く続けたい。

追記
日本は深夜ですがこちらは搭乗ですけー。
カタギってのは扇情的だけど、そういうもんで。今回も滞日中にその関係について深く議論する機会があるんよ。
根本でナウな日本の社会が気に入らないのは社会に多様な人間性を認めておらんことよ。ダイバーシティーだとかすぐきれいなことを言うけど、実は寛容性が超低い。オホホホホホ。
ヒースローのラウンジから見える東の方向がワーヤですら。これから搭乗。カツタリーノ。長時間の旅は飽きたわい。
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Film Noirから木村伊兵衛の「パリ」へ。
3月26日
Film Noirから木村伊兵衛の「パリ」へ。
 これまで何度も書いていることだが、成人する頃で、精神的には少年時代の終わりに「ギャング(原題:Le Deuxieme Souffle)」(1966年)を観た時は深い衝撃を受けた。今にして考えると萩原朔太郎の詩以来の第2の衝撃で、映画のフランスは過去のものだという強い衝撃があった。
 映画は老ギャングと中年の暗黒街を生きてきた女との関係を軸にして、新興ギャング、アメリカのマフィアの影が、主人公の道行きを危うくする存在として描かれる。2人にはもう新しい世界に居場所が無い――徐々に追い詰められていく感じがあるわけだ。
 前半部分の北フランスの色見。黒く沈んだ画面に映ったナイトクラブやアパルトマン、男女のファッション、車、そして街の佇まい。それが、一転して南フランスでは石灰岩の山、絶壁、射るような陽光とサングラス。前後半で象徴的なコントラストが美しい。
 もっと言うと、フランスの往時の美しさ。当時のフランス人の律儀さ。観たこちら側の深い部分に刻まれる一方で、映画を観た当時のフランスは、すでに往年の勢いは薄れて、アメリカの薄っぺらな文化にまみれてしまっているように感じられた。
 1950年代から70年代にかけてのフランス映画では、ギャングも多数出てくるわけだが犯罪映画でなくとも、アプレゲールとそれ以前の世代との断絶が繰り返し描かれている。
 例えば「死刑台のエレベーター(原題:Ascenseur pour l'échafaud)」(1958年)を挙げよう。犯罪映画だが、裏切られる「死の商人」は古い世代だ。彼を裏切る夫人(Jeanne Moreau)と若い部下(Maurice Ronet)はここで言うまでも無くアプレゲール。

Le Deuxième Souffle (5)

 映画にはMiles DavisのCoolな演奏が挿入され、古い世代は描かれず、語り合う余地も無い断絶があり、切り捨てられている。監督が、当時弱冠25歳のLouis Malleだったということもあるだろう。Juliette Grecoと結婚していたMilesもまだ32歳。皆、若い。
 映画には、アプレゲールの主人公のカップルよりさらに若いチンピラ世代も登場するが、アメリカにかぶれた消費世代として、これまたあまり好意的に描かれていない。
 それが1960年代には学生運動が激しくなった。その学生の社会的な視座と、暗黒街の掟やParisの人々のそれまでの当たり前の暮らし・価値観との断絶が描かれる。学生には、それまでの全てが古く、くすんでいて、上の世代は弱々しく、唯々諾々と既存の価値観に従ってきたように見えている。勝ち誇ったように古い価値観を否定する。
 1968年5月のパリの5月革命はその象徴となり、ポピュラー音楽の世界なら、当時はSerge Gainsbourg(1928年-)が絶頂を極めていた。
 俺が映画に衝撃を受けた丁度80年代は中学生のCharlotte Gainsbourg(1971年-)がその父親のSerge Gainsbourgのプロデュースで出てきたりして、こちらにとっては由々しきことという感じがあった。一体、フランスはどうなるのか――もう終わりじゃないか。
 娘を売り出すなんて、縁故は、アンタ方新世代の嫌悪したものじゃなかったのか――Serge Gainsbourgは口先三寸の野郎じゃないか。当時、フランスから聞こえて来る話は、アプレゲールが、若い頃に主張をしていたことと、やっていることとに落差があるように感じられ、アプレゲールのフランス人そのものへの嫌悪感が先に立った。
 さらに、服飾なら鮮やかな色彩を使った布地で服を仕立てるのは個人の好き好きだからご随意に、だ。しかし建築の世界でも、これまでの美しいParisの景観をぶち壊すような建物が次々に建てられたのも俺には気に入らなかった。
 その頃、すでに54〜55年のパリを切り取った木村伊兵衛(1901-74年)の「パリ」の仕事の存在を知っていた。絵よりも美しい息を呑む街の色。庶民の暮らしの一瞬を捉えたように見えるスナップ・ショット。俺にとってHenri Cartier-Bresson(1908-2004年)の仕事よりずっと大切なもの。50年代の街を日本の江戸っ子と日本のフィルムが切り取っていたのは誇らしいことだ。

「木村伊兵衛のパリ」[コンパクト版]

 「カラー・フィルムを富士にしたのは、コダックの強い色彩が私にはなじめないからなのです。富士のパステルカラーのような色彩がどうしても自然の感じがしてなりません。ヨーロッパに来てみて、今までコダックでとったカラーとはちょっと違ったしぶさを感じています。フジ・カラーがうまくゆくと、ヨーロッパの色を出すのにいいのではないかと考えております…」
 木村はそう語り遺しているのも嬉しい。
 70年代以降は、旧市街がどんどん壊されて、新しい周囲との調和を拒むような、俺には奇怪とも見える建築が市内のあちこちに建設され始めた。実際にParisでは、60年代以降市街地の再開発が進み、当時最新だったコンプレックスが今も残っている。
 「ニッコー・ド・パリ」の入っていたのもエッフェル塔近くにあるコンプレックスだった。今は「Novotel」に変わっている。竣工当時はあまり周囲と調和していたように思えないが、21世紀の今は、周囲も新しい建物が建て揃ってしまい、左岸の風景は詰まらなくなった。
 フランスは公務員の数は全就労人口に占める比率ではイギリスと並んで突出して高く、殆ど社会主義といってもいい。就労人口千人辺りで見れば日本は40名強だ。ドイツ70名、アメリカ70名強、フランスはイギリスと並んでほぼ100名。

Le Deuxième Souffle (7)

 市内の公共サービスは非効率で、とても親身とは言い難い。フランスでは5月に大統領選があるが、不満は高まっていて、極右のルペン(これまた創立党首の娘で、2世議員だ)の躍進が警戒されている。20世紀後半という時代は、フランスにとって不幸な道行を辿った時代だったのではないかと俺は感じる。
 この数ヶ月来、パリと頻繁に往来があり、新しい、こちらと近い世代のフランス人との交友が深まるにつれ、パリも、フランスも、中々やるじゃないかと思い知らされている。彼らに言わせると、ロンドン最高のフランス料理は日本人シェフで、日本人パティシエのミルフィーユはパリのどの店よりも旨いという。
 かつて、ボストン、ロス、上海、東京、ハノイといった街に暮らしたことがあるような彼らは中華料理より和食の方が好きで、納豆が大好きと断言するような世代だ。俺たちは、超大国とは一線を画して、才覚で生き残っていかねばという危機感なら共有できる。
 2006年に木村の「パリ」が限定版で再発された時は、財布と相談して大型写真集を買った。しかし、イギリスには持ってくることは諦めた。
 先日、教えて呉れる方があり、「パリ」はポケット版が出ていたと知った。早速注文して、50年代のパリを懐に入れて憧れの街をゆっくり歩こうと考えている。ヤツラに見せてやる。腰を抜かして喜んで、またまた日本人を見直すだろう。それが楽しみさ。

追記
昨日は木村伊兵衛さんがパリを60年前に歩いた、さらにその20年前に、ロンドンを歩いた日本人の身内から、まるで「呼ばれた」かのような不思議な体験をした。これはまた別稿にて改めます。
今日は、まだ木村伊兵衛さんなんだけれど、明日からは俺は東京。そいで暫くの間は各方面からの要請で美能幸三のシリーズ8連発に。
とうとう古い話をする年齢になって来ましたワイナリー。困ったモンですか、それ相応の年齢に応じた義務みたいなものなんだだろうなあ。東京は久し振りの休暇なんだが、何人か人に会って今後の相談。ローマ宣言採択ってねえ。つまり木村さんの歩いた頃にローマ宣言が議論されていた訳だろう。田中清玄の理想を想いますが、一方で台湾へは総務副大臣公務訪問の報。諸兄姐、良い週末を。
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Film Noir――死の接吻から川島雄三へ。
3月25日
Film Noir――死の接吻から川島雄三へ。
 「心に残る人々」[白洲正子著, 講談社文芸文庫]を再読し始めたら、いきなり冒頭の「小林秀雄」の次の下りで驚いて立ち止まってしまった。
「小林さんはしきりにリチャード・ウィドマークを褒める、といったら若い人にはピンと来るものもあるかも知れませんが、役者の名前はそれだけしかご存じないようだから当てにはなりません」
 小林秀雄がRichard Widmarkを贔屓にしたなんて、ちょっと、信じられない。
ま、白洲正子も元々とぼけているところがあるから、話の種の一つに挙げているだけか。そうであっても、どうして小林秀雄がRichard Widmarkなのか不思議だ。

      Richard Widmark (2)

 白洲正子は小林が褒めていたのは「ねらった男」だと書いているのだが、「ねらった男」という映画は探したけれど見つからなかった。「あの高地を取れ(Take the High Ground!)」の勘違いだろうか。
 一般的には軍服の軍人か西部劇のカウボーイ役かどちらかの印象が強いんだろう。実際、「あの高地を取れ」でもアメリカ陸軍の鬼軍曹役だった。小林秀雄とRichard Widmarkという連想は俺の発想にはまるで抜けている。昭和29年(1954年)3月に書かれているので、この頃にはもうRichard Widmarkは善玉に転向していただろう。
 けれど、俺には、Richard Widmarkというと、デビュー作の「死の接吻」でのサイコな役か、この「Madigan」で演じた刑事役か、どちらかという感じがある。サイコか刑事って、両極端だけれど、この人はやっぱり巧い。どんな役も外れという感じがなかった。
 知らなかったのだが、西村京太郎作品の十津川省三警部のモデルという話もあるそうだ。しかしRichard Widmarkはあまり警視庁刑事部捜査一課に所属する警察官という感じはしない。

Madigan!

 「Madigan」はManhattanのSpanish Harlem地区を所轄するMadigan刑事のドラマだ。Donald Siegelの映画は好きだった。Don Siegelは苦労人で、B級の映画作品監督を長くやったから低予算で短期で撮影を終えるため、映画も自然にテンポが良いものが多かった。
 刑事ドラマというよりも人間ドラマという感じだったけれども、後年の大作もやっぱりどこかにB級映画の匂いがあるわけだ。「Dirty Hurry」でも組んだClint Eastwoodの監督作品、「Gran Torino」はちょっと「Madigan」に似ていると想った。
 1950年代のB級映画は、日本未公開のものが多いのでDon Siegel作品も、同じようにその頃のB級作品はあまり見ていない。えらそうなことは言えない。観たい。調べてもDVD化されていなかったりするのが残念だ。
 あの時代のB級犯罪映画というと、Film Noirと重なる。Stanley Kubrick(1928-99年)の「現金に体を張れ(The Killing)」(1956年)とかOrson Welles(1915-85年)の「黒い罠(Touch of Evil)」(1958年)などが思い浮かぶ。「マルタの鷹(The Maltese Falcon)」(1941年)以来のFilm Noirか。

     Richard Widmark (1)

 何れも大監督の作品だから、低予算でなかったかも知れないが、タッチがB級っぽくて好きだった。特に再評価後に観たのが「黒い罠」。噂通りの冒頭の長回しにビリビリ来た。映画はBrusselsの万博で上映されて、Jean-Luc Godardや François Truffautに大うけに受けた。それも、何となく解る気がする。
 1950年代のハリウッド大作は甘っちょろいメロドラマが多かった。シリアスでリアルな感じがあまりしないわけだ。それが、「現金に体を張れ」や「黒い罠」はちょっと良かったな。Film Noirだ。同じ時代の日活アクションも通じるものがあった。
 初期の日活アクションは、プログラム・ピクチャーに走る前には、「錆びたナイフ」とか「俺は待ってるぜ」のように、社会正義的なものがあった。ちょっとElia Kazan(1909-2003年)の「波止場」のような雰囲気もあったか。
 話は飛び飛びになるのだが、「黒い罠」を観た後、川島雄三が、「幕末太陽傳」(1957年)や「貸間あり」(1959年)で、クレーンに乗せたカメラで、豪快な面白いショットを撮っていることに気付いた。
 (やってるなぁ)
 川島雄三の映画を観ると、新しい試みをやっていたことに感心させられる。川島雄三の作品もボックスセットで欲しい位に好きだ。


追記
東京向けに内職。明日はパッキング。だけど、あんまり特別にはせえへんねン。パンツ洗ってシャツをプレスせんと。ワーヤ。ロンドンは桜が終わりや。木蓮みたいなんが満開。あと北海道で見る背の高い木に白い花が満開。行き帰りの往復でつい立ち止まってしまう。

追記の追記
以下は応援しているバンタム久保君のインタビュアからやねん。

「趣味は全くないし、テレビは一切見ない。遊びにも行かない。お金は必要最低限あればいらないと思っているし、使うこともない」
「会長、ジム、応援してくれる皆さんへの感謝の気持ちとして、ベルトを取りたい」
4月、タイトル戦、期待しています。俺が空を飛んどる間に決まるさけ、観られんのやわ。
| 9本・記録集 | 15:47 | comments(0) | trackbacks(0)
ユキヒョウちゃん。
3月24日
ユキヒョウちゃん
 とうとういてる間にテロが起きてしもうたロンドン。まだその全貌は分かっとらんけど物騒なことやなあ。テロが起きるとワイのバヤイはユキヒョウちゃんが思い出されるところや。
 (な〜んでか)
 おおそれみよ。
 旧ソ連領に多いユキヒョウ。きっと一生涯ワイルドなユキヒョウちゃんは見られないんだろうけれど、ワイルドなユキヒョウちゃんは見られなくともええわ。寒いし。

The Elusive Snow Leopard (1).JPG

 そいで、サンディエゴの動物園にはおったわ。それと円山動物園で繁殖に成功したいう話もあんねんなあ。ボク、ユキヒョウ好きなんやけど、この写真はぐっと来るねん。
 南方系の肉食系と違って鼻腔が小さいねん。飛ぶ時はムササビ飛びするし。

Snow Leopard.jpg

 ヒョウは人間を襲うことがあるそうやけど、ユキヒョウはそういうことはないんやてなあ。カワユイのう。まぁ、動物園で時々観るのがワイには似合っとるんやろなあ。
 足の裏にも毛が生えとんねん。そいでから長くて太い尻尾を噛むんや。カワユイのう。すりすりしたくなるのう。しかしパキスタンからカザフスタンって、中々今はいけんのう。あげなところで乱獲されてから、可哀想に。巨大な尻尾までマフラーにされてまうんやて。

| 10随想 | 15:43 | comments(0) | trackbacks(0)
牛乳屋さん、元気かな――Elvis Presleyと昭和。
3月24日
牛乳屋さん、元気かな――Elvis Presleyと昭和。
 昭和58年(1983年)には、世田谷4丁目にあった祖母の家に住んでいた叔父一家の所に転がり込んで半年近く暮らしていたことがある。
 夏は「Mobil」ブランドでガソリン・スタンドをやっていた冨士鉱油でバイトをしていて、小田急の梅ヶ丘駅前の店の親方が出入りするから顔見知りになった。
 今では大看板になってしまった駅前の「美登利寿司」で鹿児島から就職したヤマちゃんが出前持ちをやっていた頃。しょっちゅうヤマちゃんはスタンドの前でウィリーを決めた。50ccのスーパーカブが可哀想だった。
 上客では、荒木一郎がいて、電話があると店長が出向いてキーを預り、車をスタンドに持ち込んだ。俺は真っ赤なコルベット・スティングレーをよく磨いた。
 その頃の梅ヶ丘駅前商店街の人はまばらだったけれど「玉田表具店」のオヂサンが元気で、「松井寝具店」も店を開けていた。

「Elvis Presley登場」(1956)ジャケット.jpg

 「モスバーガー」梅ヶ丘店は今と場所が違っていて小さな店で、イートインなどはできず、テイクアウトのみのカウンターだけだった。
 そんな中に、通称、「牛乳屋」と呼ばれていたのが山田さん。「武蔵牛乳店」という看板は出していたが、もう、昭和の終わりには、牛乳は配達する時代ではなくなりつつあった。だからかどうか、牛乳屋さんの息子は何時も店の中で暇そうにしていた。
 痩せて背が高く、どこか、若い。結婚していなかったんだろう。所帯臭さが無いのだが、それが頼り無さにもつながった。今は珍しくはないのだが、40代独身ってのは、カタギの世界では少なかったから目立ったんだろう。
 「あの人は古いレコード一杯持ってんだよ」
 ある日、スタンドに来る商店街のお客さんに聞いて、牛乳屋さんのところに顔を出した。
 「実はElvisのレコード持っているって聞いたんで」
 牛乳屋さんは嬉しそうな表情になって、2階の自分の部屋からレコードを持って降りてきた。戦前の2階屋だから自室ってのは畳敷きなんだよ。通りからその姿が見えるわけだ。

Elvis Presley (1)

 「これだけあるんだ」
 面白いことに、牛乳屋さんのコレクションはどれもElvis Presleyの初期の邦盤だった。10インチの変形アナログ盤「エルビス登場!」も「King Creole」も「50,000,000Elvis Fan Can’t Be Wrong」も含まれていたようだ。我が家には「Elvis Golden Records」はあったが、最初期の音源は聴いたことが無かった。
 「Elvisは入隊前が最高だよね」
 牛乳屋さんは力説した。色々とRCA時代のアナログ盤を持っていたわけだ。
 「俺が中学生の頃なんだけどさ」
 中学で1,500円もしたレコードを集めていたんだから、梅ヶ丘の牛乳屋は昭和30年代には羽振りが良かったというわけなんだろう。
 今なら俺が大学生にピストルズのアナログ盤を貸すようなものかな。俺は薀蓄を言ってしまいそうだ。クワバラ、クワバラ。
 Chuck Berryのことを書くことは、Guitaristの誕生を書くことでもあるから、同時期、世界を席巻したElvis PresleyとScotty Moore(1931-2016年)のことを調べていて、結局、こういうPlay Listを作っちゃった。「From Elvis in Memphis」と初期のミックスになる。
 昭和も遠くなりにけりだ。牛乳屋さんが元気なら、もう還暦は過ぎているだろうなぁ。帰国したら梅ヶ丘にまた行ってみようか知らん。

          岡田純良のPlay List for Elvis Presley 
            1. Wearin' That Loved On Look
            2. Hound Dog
            3. I'll Hold You in My Heart
            4. A Big Hunk O' Love
            5. Burning Love
            6. Blue Suede Shoes
            7. Suspicious Minds
            8. Good Rockin' Tonight
            9. I Need Your Love Tonight
            10. Don't Be Cruel
            11. Heartbreak Hotel
            12. Jailhouse Rock
            13. Milk Cow Blues
            14. Any Day Now
            15. (Now and Then There's) A Fool Such as I
            16. After Loving You
            17. One Night of Sin
            18. In the Ghetto
            19. Gentle on My Mind
            20. Hard Headed Woman
            21. (Let Me Be Your) Teddy Bear
            22. All Shook Up
            23. Mystery Train
            24. Return to Sender
            25. That's All Right
            26. Blue Moon of Kentucky
            27. Don't Be Cruel
            28. I Want You, I Need You, I Love You
            29. Maybellene [#][Live]
            30. Crawfish


追記
上記30は「King Creole」冒頭で使われたんだけど、こちらがジョニー・サンダースにかかるとまたまた感じが違って。そういう連環もRock 'n' Rollは面白いわねえ。Chuck Berryの追悼文は書き終われない。日々事件が起きていてさ。ま、締め切り次第ってことだ。
そうそう、Chuck Berryの「Big Boys」に参加していたNathaniel Rateliffが組んだThe Night Sweatsってのは、とてもいいバンドだわねえ。ああいうの、演りたいもんだねえ。
| 8音楽 | 08:49 | comments(1) | trackbacks(0)
あれから四半世紀経って……
3月23日
あれから四半世紀経って……
 28歳の秋。
 ロンドンを歩き回り、彼らのアジトのDenmark Streetを訪ねた。この時点で自伝を書いて番地まで出ていたのはGlen Matlockだけだった。だからGlen Matlockの生家近くでパチリと撮ったのがこの1枚。
 Sex Pistolsが1978年に解散してからまだ14年しか経っていない。だけど300年位経っていたような気がした訳だ。時代はアナログで、こんな写真をネットに出すなんてのは、誰も想像つかない時代だよ。
 しかも日本は平成でいえば4年。バブルはまだ弾け切っていない頃だった。学生は調子良く遊んでいてさ、入社式をデズニーランドで開くバカな会社もあったっけ。
 だから当時のニッポンは、メンズでは厚い肩パッドの入ったダブルのイタリアン・スーツが大流行しててさ。全く日本人には似合わねえのにアホクサと思っていた。
 バカばっかりでどうしようもねえなあと悪態を吐きながらあちこちの古着屋でデッドストックを捜し歩いていた。60年代半ば位までのスーツがまだアメリカには残っていて、そんな残存していた吊るしの新品で長く古い倉庫辺りにストックされていたスーツを買い続けていた頃。
 襟が細くて肩パッドが薄い。それでもヨーロピアンのようなウエストを締めたボディー・コンシャスなタイプではなくて、もっとふわっとしたアメリカンのシルエットが好きだった。
 革パンなんて履いて歩いてても、ハードな時代だったから、指を立てられたりしなかったな。それで調子に乗って精力的に歩き回ってて、Camden Townでは「The Sunday Times」の記者に声を掛けられてシャシンを撮られた。
 だから「The Sunday Times」の過去の合本には、俺の全身写真も載っているかも知れないよ。だけど当時は、結局は帰国した後に出たはずだから、俺自身は観ていないんだよな。大体、ボツになっちまったかも知れないし。
 そういえば、トップで合わせているのは、化繊の混じった混紡の麻のジャケットで、淡い緑色の渋い古着だった。肩が流れているのは当時は物凄く時代から外れていたわけで、俺なりに突っ張っていたわけよ。
 こうして解説しなければ通じないほど時間は経った。だけど、半世紀は、長いようであっという間だったな。随分耄碌したけれど、内面は成長せず、何も変わってないわね。

     グレン生家前の街角で(92.9)(掲載).jpg
| 8音楽 | 16:08 | comments(0) | trackbacks(0)
鬼の目にも涙――Chuck Berryが泣いた。
3月23日
鬼の目にも涙――Chuck Berryが泣いた。
 この数日、Chuck Berryを聞いていたところ。今朝イチバンで新作の「Big Boys」を聞いて衝撃を受けた。
 彼はバラードだとか大人のムーディーな曲をやった時代もあるけれど、あまりに初期から中期の代表曲が多く、しかもそのどれもが広く知られ過ぎている。
 代表曲はやらずにはステージを下りられないからやることになるわけだ。北島三郎(1936年-)が、39年間、コマ劇で特別公演をやっていたようなものを世界中、行く先々でずっとやってきた。偉大なるマンネリズムなのだ。
 代表曲を並べ替え、自分のPlay Listを作って最近事務所の行きと帰りに愉しんでいる。
 「Chuck Berry岡田劇場特別公演」
 である。オホホホホホホホ。
 まず、53歳の俺の場合、最初に来るのは13、14、15、16ではないのだ。Pub Rockも、暫く聴いていない。ちょっとこの辺りはシーズンオフになっている。
 今や、最初に来るのが1と2だ。素晴らしい才能ですなあ。後ろのコーラスなんて、Louis Jordan直伝のコメディーだけど、マジ、カッコいい。
 おかしいんだけど、クールなんだよね。彼の若い時の身上はこれだったんだろうねえ。黒人というだけで、言うなれば悪役。ヒール。悪かったんだから、詰まる所、色悪ですな。
 長身で細身でハンサムで、若い頃は白人女からモテモテで、行く先々で問題を起こした。Sam Cookeとは別の意味でモテモテ男だった。
 ボリス・ヴィアンの「墓にツバをかけろ」の主人公を思わせる。Chuckの女房は黒人で、彼らは結婚して70年くらい経つけど、それが何か?

Chuck Berry (1)

 それと3ね。これもかっこいいわねえ。Liveでは、5も無茶苦茶にカッコいいロック・ブギーだからね。3はRod Stewartもそうだけど、8なんてMic Jaggerは嬉し泣きだよ。
 ホントにカッコいいのは4もそうだけどね。これはマジ、カッコいいってのか、重要な曲なんっすよ。Rock and Roll史上で画期をなすほどの。
 そいでもって6はどうよ。女性歌手も大好きなこの曲。可愛い男の子って感じで歌うと、それはそれで年増女の心意気が出るから粋なんだよな。
 17はJohn Lennonが歌ったBeatlesのヴァージョンが知られるようになったけれども、ホントのホントは歌詞が違うんだよ、原曲はね。もっと卑猥だったわけだ。
 こうして考えてくると、彼の偉大さにビリビリと震えがくる。99年夏には70代前半のChuck Berryを観られたことは、今にすればホントに良かった。
 Fender Dual Showmanから弾き出されるホンモノのファズサウンドを俺は体験できた。ホントにカッコいいのはこの人だったのか――Keith Richardsはそのコピー。Bruce Springsteenが証言している。

Chuck Berry (5)

 虫の居所の悪い時のChuck Berryを俺は目撃したのだ。黒人だって、怒れば怖いんだ。彼は60年以上、社会の偏見と闘い続けてきた。
 ずっとこれまでの60年間、ギター1本でブギーをやって来た。悪ガキのまんまの目だ。抜け目が無く、いたずらで、何か企みを秘めていそうな目だ。
 1999年に観た70歳の彼はES-335を弾きながら足を開いたり閉じたりで、Duck Walkよりも、そういうクネクネとした芸の方が面白かったな。まるで、「Scooby-Doo, Where are you!」のShaggyみたいなアクションだった。
 そのRock and Rollの鬼、Chuck Berryは、先年Life Time AchievementでAwardを地元のSaint Louis市から貰った時、カミさんと一緒に授賞式に出て泣いたってんだね。泣いた赤鬼だ。
 Chuck Berryのツッパリを思い出すと、俺も泣けたよ。人類史に銘すべき偉人の1人さ。今日、「Big Boys」を聞いて俺はまたまた泣けたなぁ。世界中のバンドマンが追悼のトリビュート演っている。嬉しいことさ。

 
         岡田純良のPlay List for Chuck Berry  
          1. Brown Eyed-Handsome Man
          2. Back in the USA
          3. Sweet Rock & Roller
          4. Nadine
          5. Reelin' and Rockin'
          6. Almost Grown
          7. I Want to be Your Driver
          8. Little Queenie
          9. Carol
          10. Let It Rock
          12. Maybellene
          13. Johnny B. Good
          14. Roll Over Beethoven
          15. Around and Around
          16. I'm Talking about You
          17. Rock and Roll Music
          18. Bye Bye Johnny
          19. Too Much Monkey Business
          20. School Days


追記
当方は無事です。色々お問い合わせ有り難う。
| 8音楽 | 08:04 | comments(0) | trackbacks(0)
French Connection.....Keep on Rockin'?
3月22日
French Connection.....Keep on Rockin'?
 Chuck Berryは世を去ったが、準備中だった「CHUCK」はレコーディングは終了していたので、予定通り発売されるとアナウンスされる見込みだ。
 しかし我々はロックし続けられるのだろうか。これで第1期のロックンロール番長は全員物故。最期の、ホンモノの生き残りだった人が去ってしまったのは哀しいことですら。淋しいことですら。
 ま、ということで、凹んでもいられない。したたかにやりたいところだぜ。ということで、今後はこれまで準備をしてきたFrench Connectionを開通させる。さらに、まずは直接手を打ってから、Sicilian Connectionも開通させる算段を付けたところ。だけど、やればやるだけこれから大変だわ。ワーヤだなあ。

  「French Connection」フライヤー。.jpg


追記
Chuck Berryの38年振りの新録、第1弾が先程配信された。音がいい。俺の言ってた生音の雰囲気が、少しでも耳から伝わるような気がしてきた。ノリノリ。いやはや最高、最高だ!!!


「Big Boys」!

(http://dualtone.com/chuck_berry)




Yes, Yes, Yes, We are little Big Boys.
Keep on Rockin'!!!!
| 10随想 | 16:19 | comments(0) | trackbacks(0)
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