岡田純良帝國小倉日記

ネクタイ締めてメシ喰って。
11月20日
ネクタイ締めてメシ喰って。
 30代半ば位までに買ったネクタイは200本ほどあったと想う。東京西部も、原宿、新宿、下北沢、国分寺辺りまで、行く先々の古着屋で調達した。
 20歳のPaul Weller(1958年-)が、「ボクはボータイをダンボールに3箱くらいは持っている」と自慢していたのに刺戟されたのだったなあ。
 その後、古着屋業界が変わって、高円寺や中野に出るようになってからも、まぁ、気付けば買った。
 京都、大阪、神戸でも買ったな。神社や寺の骨董市でも、境内に吊るしで並んでいる古着の間にあるネクタイは、ダメ元で隅から隅まで点検した。それくらい好きだった。

20181025 久々のネクタイ (1).JPG

 しかし世の中変わっていく。気付いた時には、俺の家に集めたコレクションの方が、そこらの古着屋で売っているものよりもずっといいものになっていた。
 一本一本の程度は勿論のこと、美しいデザインや色味、レアな趣味モノまで、店によっては店頭のディスプレーでマネキンの首に巻いてあるブツよりもずっといい。

20181118 残ったネクタイ (1).JPG

 つまり、裏を返せば、もうとっくにそんなコレクションを続ける時期は過ぎてしまったということになる。陶磁器などの書画骨董は何百年も人の手垢を経ているが、身に付けるものなどはそうはいかない。
 だからいいのだ。
 俺のもう一つの楽しみだったオートバイや自動車も同じことで、書画骨董と違って、動く道具だ。だから、それが走らなければ、あるいは、使う方も使えなければ意味が無い。
 あれから40年も経って、ネクタイは段々無用なブツになりつつある。ネクタイを締める意味は、フォーマルだとかカジュアルだとかいう機会より、カッコつけのためだけの道具になりつつある。

20181118 残ったネクタイ (2).JPG

 このネクタイ類も俺と一緒に消えていくのさ。しかし、それでいい。
 タイはタイ。東京から遠く離れた台北から南下する機上でも、久し振りに1960年代前半のネクタイを締め、しかも客とこんな鶏爆極細炒麺を並んで喰うことになろうなんてことは考えもしなかったことだ。アジなもんさ。

Kuala Lumpur 20181114 (鶏爆極細炒麺3).jpg

追記
東京地検特捜部、久々の大ヒットだね。プライベートジェット機内での任意同行劇の隠し録りテープは最高だつたぜ。庶民の味方、悪徳不良外人狩りってのは、俺としては、ポチ袋に何枚か入れて投げたいくらいの気分だぜ。最高だ!

しかしマル源が実刑食らったわね。

そんな話で昨夜は面白かったぞ。しかし、そういうことは、大きな声では言えんわねえ。何にせよどうせ我々は遠くに行くのだからなあ。ウハハハハハハ。
| 10随想 | 13:06 | comments(0) | trackbacks(0)
気になる本――誰がユマニストだって。
11月20日
気になる本――誰がユマニストだって。
 「あいまいな日本の私」[大江健三郎著, 岩波新書]
 東大先端研の政治学者・牧原出(1967年-)がなぜ1994年刊行のこの本を選んだのだろう。当初は不思議に感じた。しかし冒頭のこの一文を読んで納得した。
 「タイトルのこの言葉を一目見て、今なお『うぐっ』と思わない日本人がいるだろうか。戦後さらには近代以降の日本と日本人を見事に射貫く表現である」
 「大江健三郎氏が1994年にノーベル賞を受賞したときの記念講演などの講演集。冷戦後という不安定な時期に耳目を惹く日本論だった」
 「この『あいまいさ』から我々は離れることができるのか。それとも21世紀の世界が『あいまいさ』の中に沈み込むのか。折に触れて読み返したい講演録である」
 政治学者としては戦中のファシズムの暴威を許容した日本人の「あいまいさ」を考えないわけにはいかないのだろう。

       「日本現代のユマニスト渡辺一夫を読む」[大江健三郎著].jpg

 それでも、言っている人は喰えない大江健三郎(1935年-)である。
 元々川端康成(1899-1972年)のノーベル賞受賞時の講演、「美しい日本の私」に引っ掛けて、川端康成らが無意識に使った「美しい」といった表現の「あいまいさ」を批判したもので、周到に準備された川端的なるものの文学的な否定だと俺は感じる。
 受賞時の講演からはよく次の部分が引用される。
 「私は渡辺一夫のユマニスムの弟子として,小説家である自分の仕事が,言葉によって表現する者と,その受容者とを,個人の,また時代の痛苦からともに恢復させ,それぞれの魂の傷を癒すものとなることをねがっています」
 しかし、全文を読むと、仏門の師匠・渡辺一夫(1901-75年)に引っ掛けてはいるのだが、渡辺一夫の威を借り、自分の文学を、日本的な感性と美感から距離を置いて、政治的な意図をも持った作品と宣言しているものでもあるようだ。
 想い返せば、「若い日本の会」の名の下に、戦後世代が社会に初めて声を挙げたのだった。石原慎太郎、浅利慶太、黛敏郎。江藤淳らの右派から、谷川俊太郎、寺山修司、開高健、羽仁進、武満徹らに加えて、大江健三郎も混じっていたのは今では不思議な感じもある。

      「ノンフィクション ずばり東京」展。.jpg

 しかし、殆どの人々が世を去るか、人前に姿を現さなくなって久しいが、今でも何らか発言を続けているのは大江健三郎である。まことにしぶとい。
 大江健三郎は83歳だが、ここまでくれば、最早、過去を否定し、日本の文化を否定する勢力が頼みとする黒幕でなくて何だろう。同世代より少しでも長く生き、長命を保って自分の頭の上がらない誰もが消えて世界が沈黙するところまで生きようとしているのだ。
 ユマニストを名乗るなら、渡辺一夫が開高健(1930-89年)を相手に口にしたように、
 「陛下がお叱りになりませんか」
 自分の仕事が世間に及ぼす影響を畏れることを洒落のめす精神の余裕が欲しい。
 開高が発止と受け止め、縷々まぜっ返した後で、渡辺は言う。
 「許して下さるわけですか」
 「ええ、許していただけるんです」
 「それで安心しました」
 オチまで着ける。
 それなのに本書で語られる弟子の言葉はカチカチで笑いが無い。ユーモアの無い人物にユマニストと名乗る資格があるのだろうか。日本の知性がこんなものだと想われるのは悔しい。(『平成時代名著50』政治学者・牧原出評、讀賣新聞)


追記
結局のところ、こうなったわいねえ。


ゴーン・ゴーン
| 9本・記録集 | 06:36 | comments(0) | trackbacks(0)
今日の一皿――SIngapore Chicken Rice & Chilli Crab。
11月19日
今日の一皿――SIngapore Chicken Rice & Chilli Crab。
 ドヌーン。
 最近は海南鶏飯も東京で随分と身近になってきたのだが、ご当地では、逆にドえらく高級品になってしまったわ。昔のストリート・フードらしいざっかけない感じではないのが淋しい。
 今ならこういうシーメも、日本でなら、却ってオーバーライス方式で、あんまりアジアのストリート・フードからかけ離れていない感じになったんだろうけれど、ご当地では、なるたけ高級品にしようってな意識が働き過ぎてる。
 昔、浜松の街道筋だとか熱田神宮の境内であった高市なんかで、屋台で出していた鰻のひつまぶしなんかが、明治時代から昭和に入って、ドエラク高級品になっていった時代なんかに似ている。

Singapore 20181116 (海南飯店).jpg

 こちらもこの20年ほどで街が大きく発展してしまい、すっかり眺めの変わった入江から、中国人と華僑ばっかりが集まるカジノを見上げながら突っ突くカニの味。オツなのか、アジなのか、俺は知らないよ。俺の知ったことかい。
 この店も高級店になってしまったんだけど、チリ・クラブと、ペッパー・クラブの2種があるところが半島の南端にある店らしいよね。
 チリ・クラブは中華、ペッパー・クラブはヴェトナム、源流はこの2派だろうと俺は想うんだけれども。
 こういうカニちゃんを観ると、俺は、San Franciscoのヴェトナム、もとい、サイゴンから逃げてきたファミリーを思い出すのさ。
 彼らももう店を閉じてしまって、二度とあの極上の蟹を食べることができないなんて――20世紀は美味い皿を出す店があったってことさ。幻の味ってのが、イチバン。繰り返し思い出すけど、二度と味わえない。
 未亡人みたいなこと、言うねえ、アンタ。ヌーン。

Singapore 20181116 (Chili Crab).jpg



そーかい、あんたも暗黒大陸と蜜月だなんて、そいつはスタンゲッツだねえ。ASEAN後味の悪い終わり方だったなあ。
| 7喰う | 14:58 | comments(0) | trackbacks(0)
某所へ持参する書――放浪語学生の喪われた青春(肆)。
11月19日
某所へ持参する書――放浪語学生の喪われた青春(肆)。
 「北京飯店旧館にて」[中薗英助著, 筑摩書房]
 昨日からの話の続きになる。「週刊文春」で「八九六四『天安門事件』は再び起きるか」を書いた安田峰俊(1982年-)が登場して、本書の目指したモデルについて語っている。
 「本書がモデルとしたのは、産経新聞の記者たちが“全共闘運動”を取材した『総括せよ! さらば革命的世代』(産経新聞出版)。一方的に断罪するのではなく、当事者たち一人ひとりに淡々と話を聴くなかで、“全共闘運動”とその敗因が浮かび上がってくる。私もそういう筆致で天安門事件を描きたいと思いました」

「北京飯店旧館にて」表紙。.JPG

 実際、全共闘運動の敗因と天安門事件とは驚くほど似ている。しかも俺には天安門には「阿Q正伝」や「文化大革命」と同じ匂いがする。烏合の衆がリーダーの呼び掛けに一斉に「吶喊」する光景である。
 さて、ここで、再び天安門事件が起きる以前の「北京飯店旧館にて」の話に戻りたい。
 中薗英助は、王府井は銀座四丁目で、前門は浅草だと記している。今の王府井でさえ、中薗の再訪した時の80年代後半の王府井とは違っている。移動手段は今では自転車ではない。一本しかなかった地下鉄も路線は増え、すっかり地図が変わってしまっている。
 中でも最も苛烈な破壊が行われたのは中薗も暮らした前門から瑠璃廠の辺りであった。恐らく清代に源流を辿れるような老舗が軒を連ねていたが、全てブチ壊されてしまった。中薗の筆で、その名店の幾つかが紹介されて、胸が熱くなった。
 2005年には北京で反日デモがあったが、俺はあのデモを観ている。学生がふざけながら行進してきて、のろのろとした仕草で黒い「東京三菱銀行」の看板に投石を始め、やがてガラスが割れた。間の抜けた行進で、そこに居合わせたから言えるのだが、あれこそ、北京市公安の呼びかけに応じた学生を前面に出した官制デモだったのだ。
 あの頃から翌年にかけ、前門は地面から全て上にあるものは徹底的に破壊された。北京地下城も当時誰でも見学ができたのだが、今では公開は禁じられている。それどころか、埋め立てられているという話も聞く。
 本書は連作で、タイトルの「北京飯店旧館にて」は王府井近辺を歩き、北京飯店の旧館を訪れようとした中薗が、新館、新々館が増設されていることを知らないで迷い歩く話だ。

「いやな感じ」表紙。.JPG

 本書は久方ぶりに訪れる北京に持参する予定でいるのだが、中々再訪の機会が訪れない。国慶節の季節は一年中黄砂の飛ぶ北京には珍しく晴天の日が多くなる。北京飯店旧館の屋上から、昔は紫禁城を右に観ながら東長安街に夕陽が落ちていく絶景が眺められた。
 「国慶節に、北京でお会いしましょう」
 俺には中薗が戦中に付き合った中国人の友人が再訪した時に世を去っていたのと違って、旧友たちはまだ元気に北京で暮らしている。
 我々の関心事は今や天安門事件や民主化にあるのではない。20世紀初頭に一度は消えた「皇帝」が復活するのかどうか――恐ろしいことだが、これは世迷言ではない。
 中薗英助さんの気持ちを俺はよく分かる気がする。不甲斐ない、歯がゆいと怒りつつも、なぜか哀しくなってくる。全共闘に対する軽蔑とは微妙に違った情けなさ。


追記
昨日は結局のところ日中は自宅に逼塞、夕方から事務所経由でジュクに。ジュクでは待ち時間の間に高橋呉郎と田辺聖子の文庫を購う。本日は某所にて若者と一杯。
| 9本・記録集 | 06:17 | comments(0) | trackbacks(0)
今日の一皿――とうとうKuala Lumpurのココナツカレー。
11月18日
今日の一皿――とうとうKuala Lumpurのココナツカレー。
 前から周囲の人たちからは政権が変わったのは狙い目だと言われていた某所。カレー・イスラム文化圏に突入したのがこの日。いきなりチキン・ココナツ・カレーの洗礼を浴びた。
 (なぬ?)
 ワイシャツに返り血を浴びた訳ではないずらよ。ヌホホホホホホ。
 インド系のスパイスがふんだんに使ってある。何を頼んでもタジン鍋になっているモロッコと同じく、こちらではそれがカレーになるわけだわね。
 そう考えると、丁度、マレー半島南端は、中華圏とイスラム圏の味覚の勢力の覇権争いが半島全体で起きているという感じにんわるわね。

Kuala Lumpur 20181114 (チキンココナツミルクカレー).jpg

 それでムリを承知で中華圏の麺を頼んで御覧なさい。マレー半島南部に行けば行くほど、昨日までの奥の深い麺の文化は消えてしまい、チャライ味付けになっている。それも詮無いことだ。
 (もう、アジア飯というより、アジア・中東飯だわな)
 距離感がそうさせるのだ。華僑の力もそろそろこの辺りが限界なのだ。
 (なぜなら)
 この土地では、腐敗した政権が、長い間続いた。
 ホワイトナイト気取りだった前首相だって、有体に書くなら、腐敗の度合いが「世界史に残る桁外れの腐敗たのめに自国通貨さえ下落した」とやるせない怒りの声を幾度も聞いた。
 しかし腐敗の金額が違うだけだ。前政権の前の前辺りで俺は巻き込まれてパクられていたかも知れないんだから。ウハハハハハハ。
 現在の政権が奪回した権力の座は、昔から日本人の利権が喰い込んできた利権があるのだ。それが何かなんての、俺は言えないけれど、都心への空港からの足回りは、随分と良くなったわねえ。この四半世紀で。ウッフッフッフ。
 この大都会は、古来都の西北の領地だったんだけど、そちらの諸兄、ご注意あれかし。やり過ぎると刺されるで。

Kuala Lumpur 20181115 (Malaysian Noodle Soup)(2).jpg

追記
これからジュクへ。高尾方面への墓参は先送りにすることにした。体調不良のため。
ということで、とうとう新潮社の壇一雄全集垢「夕陽と拳銃」、死後、長く、鎌倉の高見順(1907-65年)の家の書架にあった講談社の「日本文学盛衰史」が蔵出しに。獄中諸兄の手に渡ることとなったわい。ウッフッフッフ。まぁそれで良いのだ。諸兄姐、筆談と密談でも何とか会話は成り立ちまっせ。
| 7喰う | 14:21 | comments(0) | trackbacks(0)
某所へ持参する書――放浪語学生の喪われた青春(賛)。
11月18日
某所へ持参する書――放浪語学生の喪われた青春(賛)。
 「北京飯店旧館にて」[中薗英助著, 筑摩書房]
 渋谷の某店の女将から頼まれて、俺は彼女の60年前の北京の旧居を訪ね当てたのだが、それが何と魯迅の旧居の隣で女将は魯迅の旧居がすぐ近所にあったことは知らなかった。彼女も店を息子夫婦に譲ってしまい、もう10年はお会いしていない。
 「日本人家族の住んでいた四合院では阿片を製造していたのよ」
 末っ子の彼女は兄から往時の北京の話を聞かされて、引き揚げた後になってから北京の日本人家族の暮らしを記憶していた。

「北京飯店旧館にて」表紙。.JPG

 北京の冬の風物詩は、冬の初めに北京に数千あったと言われる胡同まで、牛車が大きな大八車に白菜を山積みして現われ、大八車の上から白菜を胡同の門の前に落としていく。住民はこれを拾い上げて、その日の砂鍋に入れたり、発効させて漬物を漬けたりした。
 北京の白菜は旨い。こればかりは旨い。それと小山羊の丸焼き。そういう安価で身近な庶民の喰いモノは、俺の暮らしていた2005年頃には、すでに時代遅れにもなっていた。
 若い学生たちは中国茶を飲まなかった。コーラやコーヒー、甘味飲料水ばかりで、茶を呑むのはロートルと見られていた。わざわざ求めて行かなければ、ざっかけない老北京家常菜(昔の北京の家庭料理)には辿り着けない。中国人は派手でキラキラしたものばかり求めていた。今もそうだろう。
 今年5月、興味深い本が出版されて、全国紙各紙や週刊文春の書評で取り上げられた。
 「八九六四『天安門事件』は再び起きるか 1989年6月4日、中国の“姿”は決められた。タブーに挑む大型ルポ!」[安田峰俊著, KADOKAWA]

「夜よシンバルを打ち鳴らせ」表紙。.JPG

 日本人でなければ書けない。1982年生まれのライターは、事件当時はまだ事件の意味を深く理解できる年齢ではなかったはずで、だからこそ、こんな本が上梓されたのだろう。
 天安門事件に関わった人たち。当時と今の暮らしを聞き書きして羅列したルポである。中国で事件は核心的禁忌でもある。こんな書籍が流入して、もし現地の人間が携帯していたら本当にヤバイことになる。しかし――結末は意外にも拍子抜けだ。朝日の長谷川眞理子の評を引いてみよう。
 「浮かび上がってくる一つの事実は、これが、さしたる思想的背景もなく、目標が共有された運動でもなかったということだ。胡耀邦が亡くなったことをきっかけに、なんとなく若者たちの鬱憤晴らしでハンストにまで至ったが、戦車で鎮圧された。あれ以来、中国は小平による改革解放政策で経済的に大躍進を遂げた。一方、貧富の差は拡大し、要人の腐敗は横行し、言論統制はますます強まった」
 「それでも多くの人々は現状に満足している。あの当時よりも生活は格段に豊かになり、北京五輪は大成功。今、また自由を求めて天安門広場に人々が集まったら、子どもを行かせますか?いやー、難しいね。たぶん行かせないかな…」
 「中国共産党による言論統制は、ネット社会でますますひどくなる。しかし、そんな自由のなさよりも、金持ちになれることの方が嬉しい。今は拝金主義に徹することで鬱憤を晴らしているのか?日本の学生運動の行く末も含め、自由と幸せとは何なのかを考えさせられる」(総合研究大学院大学学長・人類学・長谷川眞理子評、朝日新聞)
 本稿、明日も続く。


追記
本日は高尾方面。その後、中央線沿線にて定点観測、夕刻、ジユクにてアジア有識者勉強会。良い季節だが遊びに行くことは中々かなわん。勉強会には持参するモノはないかもしれんが、あるかもしれんなあ。遺族から頂いた、高見順の古いボロボロの書籍を差し上げても喜んで頂けるか思案中。ジンガイの教養人には喜んで貰えるものを考えるのは大変なのだ。

追記の追記
再来年のサンフランシスコ大再会パーティーの日程が決まった。連絡ありました。色々なものが決まっていきますな。
| 9本・記録集 | 08:02 | comments(0) | trackbacks(0)
今日の一皿――港式鶏汁極細麺。
11月17日
今日の一皿――港式鶏汁極細麺。
 香港のチキンスープの極細麺を喰ったんだけど、これは初日は全部入りを避けて、野菜と魚団子だけにした。
 2日目は全部入り。全部入りで旨かったのは魚肉の肉団子の中にチーズが入っていて、コイツがスープと一緒に口に入ると、意外や意外、ジャンキーな味でビシれるわけよ。

香港 20181113 (港式鶏汁極細麺).jpg

 港式といっても、香港の麺は細くて、カンスイ問題はどうなんだろうか。分からんずらよ、ずらずらよ。
 遠く星港辺りまで南下すると、これまた中々いいわけよ。シンガポールラクサなわけよ。マレーシアラクサもあるけれど。
 しかしこうして辿り着いてみるとやねえ、Rock 'n' Rollだよなぁ。ASEANなんてねえ、政治的な駆け引きってのはRock 'n' Rollやわいねえ。アンタはんも政治でもやればおもろかったわいなぁ。あんさん、市長やったらやれたかも知れんなあ。
 というわけで、星港ではなく、香港の鶏汁極細麺。そいでから、こっちは星港のマテ貝。ええなあ、アジアはええなあ。

Singapore 20181116 (マテ貝).JPG
| 7喰う | 14:12 | comments(0) | trackbacks(0)
某所へ持参する書――放浪語学生の喪われた青春(弐)。
11月17日
某所へ持参する書――放浪語学生の喪われた青春(弐)。
 「北京飯店旧館にて」[中薗英助著, 筑摩書房]
 昨日の同世代の中園英助(1920-2002年)と島尾敏雄(1917-86年)の話の続き。
 面白いことに、といおうか、当時はそれが自然だったのかも知れないのだが、ロシアはヨーロッパの一部という読み方をしていて、今ならロシアはヨーロッパ文化圏と同じと誰も捉えないと想うが、当時の日本の文学青年たちにとり、その辺りの文化圏の違いは曖昧であったようだ。

「北京飯店旧館にて」表紙。.JPG

 Fyodor Dostoevsky (1821-81年)とNikolayevich Tolstoy(1828-1910年)は彼らにとって巨匠であり、ヒップスターだったということなのだろうが、同列にチェコやフランスの作家などが語られる。輸入海外文学はひとまとめということだったのか。この齢でも、ロシアの大河物語には、どうしても俺は感情移入ができない。
 そういえば、同年代なのに、戦争体験は全く異なる。島尾敏雄は特攻隊の隊長となり、配属された奄美で決定的な体験をするが、中薗英助は外地暮らしだったから召集令状を受け取らずに敗戦を迎えた。
 老いた作家は若い頃のように41年ぶりで北京語を操ることがままならない。何事もままならないのだ。そして、こちらには最も強く迫ってくる描写は城壁のあった時代の北京っ子の暮らしぶりだ。
 昔は、一生涯城内から出ない人もあったと言われるように、敗戦の前には四方を城塞が巡っていて、暮らしぶりは城内と城外とでは違っていた。作家は幾度も街に立ち止まりながら庶民の暮らしを回想する。

「密航定期便」表紙。.JPG

 今日でもNHKの北京総局から記者がマイクを持ってレポートする場面は、市内を背景にしたガラス部屋で撮影されている。スタジオの背景に何時も自動車で込み合った道路が見えるが、あのすぐ向こう側に破壊を逃れた城門だけが今日も残っているはずだ。
 92年に筑摩書房から出た単行本は、この後、読売文学賞を受賞して、講談社文芸文庫に入った。今では中薗の代表作とされ、講談社が文芸文庫に入れた理由はこう紹介される。
 「『きみは、人類という立場に立てますか?』日本占領下の北京で出会った中国の友は、謎の問いを残し戦地に消えた。またある友は、文化大革命で迫害を受け窮死。41年の歳月を経て、青春の地・北京に還った作家は、彼我を隔てる深い歴史の暗渠に立ち竦みつつ、その底になお輝きを放つ人間の真実を探してやまない。日中の狭間に生き、書いた中薗の深い想いが結晶した代表作。読売文学賞受賞」
 本書に、魯迅(1881-1936年)の去った北京で、夫人の許廣平が家に戻っているとの情報を得た中薗記者が訪ねると、思いもよらない老婆が現れた。それが正夫人で、殆ど人前に姿を現わさなかった朱安であったと書き遺している。歴史的証言だ。本稿、明日も続く。

追記
羽田到着。
| 9本・記録集 | 06:36 | comments(0) | trackbacks(0)
パンクは初期が面白かった(3)。
11月16日
パンクは初期が面白かった(3)。
 こうして処分の処分を重ねて手元から数百枚のレコード、CDが消えていくと、残ったものに強烈な愛着が湧くのも真実でもある。
 死人に口なしとは言わない。Joe Strummerの評価はこれからも下がることはないだろう。かく言われる彼でさえ、それでも、Mick Jonesとのコンビで絶頂期は語られるべきで、それが、Strummer-Jonesという夢のような組み合わせだった。

Album of the Week (Clash)(2).jpg

 London Punkがスカしているというイメージを決定付けたのが彼らの存在だった。2016年の40周年記念ベントでは、当時の彼らの服を手縫いしたりスローガンをステンシルを使って書き込んだりしていた、元々はアートスクール系の女性ファンが数名登場した。
 こういう層の厚い公開証言インタビューが企画されると、たとえスターでも、嘘は言えなくなるわけですわなあ。それが素晴らしいし、歴史を愛し、歴史を紐解くことが好きな国民の手法を目の当たりにするようだったわねえ。
 
Album of the Week (Clash) (1).jpg


追記
現在我在星港ラウンジ。先ほど某所からメール。きつー。
| 8音楽 | 21:44 | comments(0) | trackbacks(0)
某所へ持参する書――放浪語学生の喪われた青春(壱)。
小倉日記’18(第三十四弾)
11月16日
某所へ持参する書――放浪語学生の喪われた青春(壱)。
 「北京飯店旧館にて」[中薗英助著, 筑摩書房]
 中園英助(1920-2002年)は北九州の旧制中学を卒業し、中国語を学ぶために北京に渡った。放浪語学生となりシベリア鉄道で働きながらParisへの脱出を画策する。ソ連大使館から追い返されてこれも果たせず、20歳の頃には邦字紙「東亞新報」記者となった。
 北京で中国生まれの日本人2世の女性と出会い、将来を誓い合うようになるが、敗戦の混乱の中で結婚し、1946年に日本に引き揚げる。

「北京飯店旧館にて」表紙。.JPG

 後ろ髪をひかれる想いで引き揚げ船に乗ったのだろう。社会に踏み出す17歳から20代半ばまで過ごした北京である。下宿で身の回りの世話をしてくれる兄妹から、新聞社の上司、果ては文芸記者として取材した取材先まで、北京中の街角を歩き回った。俺には、何となく、「いやな感じ」の主人公で、主義者でリャク屋の加柴の四郎さんに想える。
 付き合いのあった演劇系の友の中には、上海憲兵隊本部や謀略機関のジェスフィールド路76号に拘引され、殺された演出家もあった。また、その愛人と言われた女優も、その行方は杳として分からない。
 20代で去って以降、その後は中国も大きな体制の変化があった。とりわけ文化大革命を通じて、付き合いのあった友人や知人の中には、「大東亜文学賞」を受賞したライバルの中国人新進作家袁犀(李克異)もいた。だが、漢奸作家、日本への協力者の嫌疑をかけられ、後に市内で粛清されたらしい。そういう話がポツリポツリと語られる。

文士君のための書評の束。 (5).JPG
 獄中の諸兄向けに溜めている書評の束は大判の書類入れにもうパンパンに溜まっている。

 戦後、作家として立ち、海外各地に取材に出掛けたが、あれほど長く暮らした北京には、再訪することは中薗英助自身が硬く戒めていた。80年代に改革解放となるまで、冷戦で中国全体が厚いベールに包まれていたこともある。
 しかし本書を読むと、中園が変り果てた北京を再び見ることを極度に恐れていたように感じられる。重たい感覚が読み手に伝わってきて、苦しいような気持ちにさせられる。これが普通の話なら、何を勿体ぶっていやがるんだとイライラさせられる。
 ところが、ここでは中薗の気持ちはよく分かる。中国人が中国人に何をしたか、今でも中国人同士では食人までやる――それらを、中薗だけでなく、こちらもよく身に染みて分かっているからだ。儒教は食人までを正当化したと魯迅(1881-1936年)は描いている。
 不思議なのはロシア人作家への思慕。神戸育ちの島尾敏雄(1917-86年)の「私の文学遍歴」[作品社]を併読していて、彼ら2人にロシアの文学がどれほど深い印象を与えていたのか、ということを感じさせられた。
 島尾敏雄は長崎高商の学生時代、高台にある昔の外国人向けのホテルを改造した下宿で亡命ロシア人たちに混じって暮らしていたことを回想している。彼らの生まれた時代に革命が起きて亡命してきたロシア人であるから、何れもご老体だった。それでも革命前、ロシア軍の将官であった人物の佇まいを島尾はじっと観察している。本稿、明日も続く。


追記
マルーン5の話で盛り上がったりしたのは面白かったな。というわけで地獄の旅も本日限り。

追記の追記
シャシンに上げた書籍と書類袋は無事あちらに海を越えた。今週末、某所にて彼らのある人と再会予定。
| 9本・記録集 | 08:25 | comments(0) | trackbacks(0)
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