岡田純良帝國小倉日記

Hemingway・Forsythも結構――だけどBalzacは忘れずに。
倫敦日記’17(第十六弾)
4月30日
Hemingway・Forsythも結構――だけどBalzacは忘れずに。
 「Outsider」[Frederick Forsyth著・黒原敏行訳, KADOKAWA]
 Frederick Forsyth(1938年-)の自伝を毎晩1話ずつ課したが、ガマンできずに、日によってバンバン進んでしまう。
 作家だから嘘のつき方が巧みだ。そこに乗せられてしまうわけだ。それもまた良し。嘘の上塗りで面白かった冒頭の主な部分をネタバレで。 

  (1)少年時代は小太りでどちらかというと鈍重
  (2)Public Schoolでは教師のイジメの対象にさえなった
  (3)語学は両親の配慮でフランス語とドイツ語は小学生で「現地」習得
  (4)17歳でスペインのマラガのグラナダ大学分校に語学留学
  (5)語学研修をサボって闘牛士養成所に通ったのはマラガ
  (6)筆オロシの相手はマラガのドイツ人元伯爵。17歳だった

 この冒険譚で83ページ。本文はあと290ページもある。最高に読み物として面白い。今の俺の生業に直結している歴史的・文化的な利害関係の描写は強烈だ。そこは上には触れていない。俺の企業秘密だからさ。アハハハハハハ。
 ともあれハッキリと分かるのは、両親がリキを入れた異国での単身の語学教育が彼の人生を決定付けたことだ。
 俺の周囲でもこの両親のような考え方の人物がいるわね。有名学校の高等教育もさることながら語学によって幅広い教養を子息子女に身に付けさせるのは宝石を買い与えることと同じくらい大切なこと――そう考える人たちだ。
 分かり易いことを書けば、彼は奨学金を貰えるCambridgeへの進学を蹴って、商船学校出身の父はそれを是とした。
 両親の教養・判断は真の社会経験に基づくものだわね。なまなかな人間ではできない。彼ほどの人生を送った人間でも両親に感謝し続けているのは、そういう大切な場面で、両親は子供の真意と深い決意を信じ続けたからだ。
 歴史的には、30年戦争だとか100年戦争だとか、人間はどれほどまででも愚かしくなってしまう事実がヨーロッパにずっと続いていた。社会的な地位とは無関係で、その意味を深い部分で分かっている人たちはいるわけよ。
 面白かったのはデブで鈍重だったForsythセンセイも、やっぱり闘牛士に憧れたことだったな。20世紀の前半は、飛行機乗りと闘牛士は男の子の夢だったわけだからねぇ。ちょっと世代的に遅れてきた感じはあるけれど、さ。
 17歳のForsythセンセイはErnest Hemingway(1899-1961年)の「午後の死」からVicente Ibáñez(1867-1928年)の「血と砂」まで。貪るように闘牛小説を読んで闘牛士に憧れ、ついでにドイツ人伯爵夫人にも乗っかっただね。天晴れ、天晴れ。
 だがね、同時にその文章から感じられることがある。飲み食いの描写が殆ど無い。

   Balzac愛飲のVOUVRAY産白 (1).JPG
Balzacセンセイが毎晩呑んでいたのがこちらの白だってんだよな。近頃は10ポンドせず
手に入る時があるからなるたけ呑んでみようと想ってんだ。彼の登場以降、世界のグルメ・
グルマンの物差しが変わったところがあると想う。そのセンセイが毎日毎晩呑んでいた
彼の郷里の自慢の晩酌酒。呑める間にやってみるってのも、コイツは楽しいじゃんかよ。
旨いかって? すっきり旨いよ。Balzacの汗と涙と酒臭い香りがする。オホホホホ。

 出るとしてもフランスで味わった、水で薄めた葡萄酒みたいな描写だ。フランス人は男の子もワインを呑むという説明で引かれる。やっぱり真性のイギリス人なんだろうな。そいで初体験の相手が35歳のドイツの貴婦人ってわけだろう。
 不味いメシを分からない女とやりまくる間はどうぞご随意に。俺には興味湧かないな、味の分からない男女の絡みなんて、クリープを入れ忘れているネスカフェ・ゴールド・ブレンドみたいだぜ。
 (深遠なるその風味と味の違い、分かってんの?)
 ウハハハハハハハ。
 さて、そいで、結局は我が方の話になる。
 敗戦後の大和健児は、欧米の男性が20世紀には戦闘機乗りや闘牛士などに憧れたということを知らない。だから彼らと価値観を共有できない。そういう価値観・歴史観のラインから完全に外れているから話が合わないのだよ。
 どこかの今日の記事は北朝鮮問題で対立する中国とアメリカの間で、坂本龍馬を持ち出して来るンだもの。もうそういうのは、止めた方がいいよ。坂本龍馬を外国人の誰が分かるってんだ。分からない人を出しても意味が無いよ。
 そういう新聞を読んで育った人が大多数の日本だから相変わらず維新の復習ばっかりやってる。70年も復習して、もうやることが無い。そいで女武士まで引っ張り出した。大河ドラマって誰が入って決めてんだろ。芸が無い上に、決定的に普遍的な教養が無い集まりだわな。だから発想が隣の国へ、さらに世界へ拡がっていかないんだよ。
 そんなこと何時までもやってるくらいなら、別のラインで世界と勝負したらどうかと想うぜ、ベイビーたち。
 男同士なら、武藤金義少尉や坂井三郎中尉を引っ張り出す方がよほど健全さ。樫出勇大尉や南郷兄弟まで引っ張り出すと外交的には不穏になるかも知れないけれど、な〜に、男の世界ならそれくらい言ってみろってんだい。
  「Spitfireに乗って戦った男というのは、どんなサッカー選手や芸能人をも凌駕する」
 ナチから国を守ったSpitfire乗りはFrederick Forsythのヒーローだった。Brusselsのマンガ博物館は「紅の豚」のフィギャが飾ってある。日本はゼロ戦も隼も本土防空戦の二式複座戦闘機もある。最後は肩を組んで乾杯さ。それが男の世界だもの。
 けど酔生夢死したBalzacセンセイのことも、今では和食で持ち上げられて有頂天の我がニッポンの同胞なら忘れてはいけないぜ。
 ドイツ人、イギリス人、アメリカ人は、やっぱり味の分からない人たちとされている。それならフランスやらイタリアと彼らとの間にハシゴをかけられるのは、ニッポンだけ。それくらい、今の日本は信頼されているわけよ。
 美食の分かる人たちを心の隅で大切に。将来、和食が世界中からはしごを外されないように。目端を利かせ、図々しく。諸兄姐、お願いしますよ。


追記
某所から某所までは快適な旅だったが、旧市街に到着して駐車場を探すのが大変だった。
近所の某所で(1)シチリアの伝統的なライスコロッケと、(2)キノコのパイと、(3)ピスタチオのリゾットのコロッケの3つを白ワインで。このワインがグラスワインなのにロンドン辺りの3倍くらいも注がれて出てくる。
その後、某所まで歩いて前菜を。コイツ1人5ユーロなのにスペインのバルもかくや
強烈な量だった。サフラン入りの黄色いチーズ、 炙ったリコッタチーズに蜂蜜をかけたのと、まぁ、
旨いのがドシドシ出てきた。
本日のディナーは日本人女性シェフの腕によりをかけたディナーを。タコ4種。魚介のクスクス。密談謀議。しかし、途中から俺の素性は知らせられんと考えて独り脱落。ウッフッフ。悲しいなぁ。
| 10随想 | 06:15 | comments(0) | trackbacks(0)
気になる本――キューバ棄民・アメリカ移民。
4月29日
気になる本――キューバ棄民・アメリカ移民。
 アメリカは半世紀を越え、54年振りにキューバとの国交回復を決めたと想ったら、新政権はキューバに対する不信感を隠さない。
 昨年8月から北米大陸との定期運行が再開されたにも関わらず、供給過剰で撤退するフロリダのLCCが相次いだ。4月にはシルバー航空が、6月にはフロンティア航空が、各々撤退する。
 この一方、中華人民共和国とアメリカ合衆国の往来はどうだろうか。先日は北朝鮮の動きを封じようと意気込むTrump大統領と習近平国家主席との会談が行われたものの、不首尾に終わったと言っていいだろう。
「108年の幸せな孤独」[中野健太著, KADOKAWA]
 中々興味深い人生だ。
 「カリブ海の国キューバで、108歳まで暮らした日本生まれの男性がいた。(1928年)20歳で農業移民として新潟県(新発田市)から渡った島津三一郎(しまづ・みいちろう)さんだ。一獲千金、故郷へ錦を飾ることを夢見たが、再び祖国の土を踏むことはなかった。本書は映像ジャーナリストが、そんな男性の足跡をたどったノンフィクションだ」
 「第2次大戦中はキューバが親米政権だったため、日系人は約3年間強制収用された。その後もキューバ革命、キューバ危機、ソ連崩壊が襲う。米国との国交断絶は農家の収入を減らした。そんな運命と対峙しながら、島津さんは独り身のまま歯を食いしばって生き抜いた」
 昨年6月10日、島津さんはキューバ南部のフベントゥ島で死去した。明治末の1908年生まれということだから、明治男だったということか。この島を含めて、キューバへの移民は沖縄出身者が多かったそうだ。だが、アメリカ合衆国の国交断絶によって、日本からも直接行ける土地ではなくなっていた。
 「私はお金をもっていない。だから、長生きすることができた」
 著者にはそういう言葉を残したとある。昨日の「実利」とは真逆の箴言でもあるだろう。
 キューバとアメリカの断交が決められた時は、日系移民たちは、アメリカの同盟国となっていた日本から棄てられたと感じただろうか。
 2008年に「サルサとチャンプルー Cuba / Okinawa」という映画が製作されて公開もされていたそうで、当時、島津さんはすでに100歳であったが、矍鑠としていて、煙草はのみ、よく歌っているという。こういう人物もそのたくましさにしびれるな。孤独の豊かさを知っていたということでもあるだろう。(日本経済新聞)

        「108年の幸せな孤独」表紙。.jpg

「アメリカと中国」[松尾文夫著, 岩波書店]
 著者の松尾文夫(1933年-)さんはBarack Obama大統領による広島での献花が日米の関係改善につながるとして、内外のメディアを通じて10年ほど前から提案を続けてきたが、昨年、結果的にせよ、その提案が実現された。
 1960年代から共同通信のアメリカ駐在記者を長く務め、Richard Nixon大統領とHenry Kissinger補佐官と組んで実現させた米中の国交正常化をその早期から予言し、米中関係の専門家として有名な人物でもある。
 「著者は米中関係を短い時期を除き基本的に『共生』の歴史であったと捉え、とくにアメリカの現実主義の伝統を忘れてはならないと説く。名うての反共主義者であったNixon大統領はKissinger補佐官とともに1970年代はじめ、ベトナム戦争に疲弊したアメリカの苦境を打開するために、同盟国である日本の立場を犠牲にして、激しく対立していた中国との和解に踏み切ったのである」
 だが、それは内政で行き場の無い状況に追い込まれていたNixonの苦肉の策だったというのが正しいのではないか。あれほど支持率が低く、大義の無いベトナム戦争を続けていた政権の問題が大きかったと俺は記憶している。
 「米中両国は現在、安全保障、通商をめぐり厳しい対立関係にあるが、その歴史には確かにしたたかな『共生』の原理が働いており、少なくとも日米関係が及ばないほど長く、そして深い内情がある」
 これは確かにそうだと想うのは、国民党政権時代から、中国はアメリカ国内で相当な資金を使ってLobbyingを続けてきた。党が代わった今日でも大量の資金を投入し、あることないことひっくるめて継続的にプロパガンダを続けている。
 しかし気になるのは、「日米関係が及ばないほど」とあること。彼我を比較してみると、日本側のアメリカ社会へ訴える努力が一貫して足りない点に大きな原因があるはずだ。
 松尾さんが永年献花を提案したことも預かって、献花外交が実現したのは立派だ。しかしジャーナリスト1人では国際競争では勝てるはずがない。アメリカへ移住した日系移民は大人しく、華僑や半島系に比べて殆ど目立った動きは見られない。母国の日本のためとか、日系移民の地位向上のためとか、日系人が目立って動かないのも、日本側からの弾込めが足りず、国際社会への発信が無いことが大きいはずなのだ。
 アメリカの日系人政治家を幾つかの世代で比べてみるがいい。

Daniel Inoue.jpg

 Hawaiiへの移民の子供だったDaniel Inoue(1924-2012年)はまだ良かった。軍人としてヨーロッパ戦線で右腕を喪い、アメリカの英雄として表彰されたほどの愛国者は、各国からの移民を含めて、アメリカ社会全体を見通せるバランス感があった。
 ところが今や敗戦後の日本の努力不足のため、アメリカ人華僑のNorman Hsuから巨額の献金を受け、がんじがらめのMike Honda(1941年-)のような日系人政治家はどうだ。アジアの某所から遠隔操作されて、父母の母国を裏切るようなことを言う。これが日系移民の子孫だと想うと実に情け無い。
 それでも、元を質せば日本からの努力不足によるものでもある。周辺国は金も手間もかけている。その間隙に付け込まれるとは海を渡って身を削った御先祖様に申し訳が立たない。恥ずかしいことだと想う。(立教大学教授・佐々木卓也評、日本経済新聞)

追記
南欧某地に参りましたモーレ、って、もうバレてマンガーノ。合言葉はマキニキナーキ。これまでは一度も出してない必殺の合言葉なのだ。ウッフッフッフ。
葉山の出雲さんの話を店主のサルボから聞いたけど、シチリアと和食では使える魚介の種がほとんど重なっているからお互いウィンウィンでいけるもんねあ。
トマトの旨さにはたまげましたなあ。強い旨味がある。あんなに旨味のあるトマトなら全ての料理は旨味でベア⭐⭐くらい上がるね〜。ランチは、スカンピのパスタにしてムール貝のスープ。夜は魚介類のカルパッチョ。つまり刺身だ。蛸が旨くて悶絶。グルーパのスープは日本のハタとも違う感じだったけど最高だった。高くて不味いのに慣れていると、安くて美味い店だと何だか申し訳ないような気持ちにもなってくるのだった。

追記の追記
昭和天皇の誕生日だった時代には毎年武道館まで行って全日本柔道選手権大会を見ていた時期があった。今年は、一体どうなるのかな。柔道も今は大変な時代になった。外国人選手のレベルが高いもんね。日本でも選手は純血種ばかりではなくなってきたのは面白いけどね。さてどうなるか見てみたい。
| 9本・記録集 | 05:57 | comments(0) | trackbacks(0)
気になる本――雑誌の終焉(下)。
4月28日
気になる本――雑誌の終焉(下)。
 「ロッキング・オンの時代」[橘川幸夫著, 晶文社]
 1960年頃に廃れという人生雑誌の後で、「受験」時代が全盛となり、その結果として、70年安保に向けた全共闘を頂点とした日本中を吹き荒れた学生運動は直結している。
 60年安保こそ主導した全学連に社会的な支持が集まったが、その10年後、先鋭化し、大学教員まで吊るし上げる全共闘は社会の広範な支持を得られなかった。
 その学生運動に幻滅した人たちは何に向かったのだろう。想い付きではあるのだが、例えば、70年代初め頃のあの時代、洋楽ロックはどうだったろう。
 「世界の若者を熱狂させた欧米のロックの洗礼を受け、何かを表現したい思いに駆られた浪人生や大学生らが東京にいた。彼らは72年、読者投稿誌としてロックを語るミニコミ誌を創刊する」
 「やがてポピュラー音楽界の一翼を担う『ロッキング・オン』だ」
 「橘川さんはリーダーの渋谷陽一、論客の岩谷宏、ミュージシャンの村松雄策の各氏と同誌を創刊。『学生運動が終わりシラケの時代と言われた70年代に、知識も経験もなく僕らは新しいことをやった。閉塞感のある今の若い人たちに、ゼロから一を生み出す喜びを知ってほしい』。その思いで当時を回顧した」
 暑苦しいが、雑誌の編集はそういう押し付けがましいほどの熱意がなければやれない。
 橘川さんの言うロックとは、海外の人たちのやる音楽であり、日本人の組むロック・バンドはここでは除外されていたと俺は想う。「ロッキング・オン」誌上はガイジンのロック・バンドしか最初は取り上げられなかった。

     「Rolling Stone Chuck Berry Special」表紙。.jpg
  「Rolling Stone」さえ、こうして、Chuck Berryの追悼号を出したのだ。日本は一体、
  彼からどれだけのモンを受け継いだのだろう。本来は…彼が全部手にするはずだった
  儲けを勝手に独り懐に入れたんだろう。誠意を見せるのはこういう時以外に無い。
  どこの誰も追悼号を出していないそうで、俺は人として誠に恥ずかしくて淋しいぜ。

 丁度この頃、これからはニューロックだと言われていて、内田裕也やはっぴいえんど、フォーク系のミュージシャンが、日本語で歌うべきか、という論争もあった。最後はキャロルの矢沢永吉まで巻き込み、日本語によるロックの是非はかなり真剣な論争となった。この辺りの論争は、大学生の大衆化と重なっている記憶が俺にはある。
 「知識も経験もなく僕らは新しいことをやった。閉塞感のある今の若い人たちに、ゼロから一を生み出す喜びを知ってほしい」
 橘川さんはそう言うけれど、21世紀の若い世代は、海外の外国人のバンドはずっと遠い。アクビなどは「くるり(QURULI)」が何よりも好きなバンドで、彼らから大きな影響を受けている。日本人のバンドや、彼らのセンスの方がずっと近しいものとして支持されている。
 今はまた、社会現象となるような大ヒット曲は生まれ難い時代だから、感覚的にも、大ヒットとか、メジャーといったものが伝わり難い時代だろう。閉塞感というより、個々人が各々のフィールドで愉しんでいる。そういう時代相のようだ。
 情報も大量にあるから楽器の演奏能力等は昔と比べるとずっと高く、上手い。同好の士で集まってコミュニティーで愉しむ状況が現出している。そんな中からヒット曲が生まれ、社会現象とならなくとも構わない、という時代。大体、ヒット曲が生まれる時代ではなくなって久しい。
 とはいえ、雑誌文化を否定する気はさらない。
 この人が後年始めた別の雑誌、「ポンプ」から俺と同年の岡崎京子が投稿して世に出た。彼女が世に出たのは橘川さんの雑誌からというわけだ。想えば70年代後半は雑誌やミニコミが溢れ、パンク以降、とりわけ「ファンジン」が隆盛になった。
 今でも、昔の同人雑誌のようなコミュニティーがあり、それに近いメディアはある。日本でメガヒットが生まれなくとも、「ピコ太郎」のような世界的な現象が突如として起きることになる。
 岩波書店の岩波茂雄は山本と同郷の長野県松本の出身。本書が出版された筑摩書房の創立者の古田晃は同じく塩尻である。何やら篠ノ井線の通奏低音が聞こえてきそうだ。
 余計なことだが、古田晃はアメリカで父親の事業を助けて働いて貯めた資金で筑摩を創刊した。帝大卒業後に海外に渡ったのも文化事業を起こすためだったと言われる。「実利」を追うだけなら凍土のかの人たちと同じ。現世主義は惨めな最後が待っている。(「著者来店」・佐藤憲一評、讀賣新聞)


追記
ロンドンはテロ準備罪のヤングが逮捕されましたワイ。各地から注意警告。今日はこれから数時間休んで明日早朝に出立。暫くの間は某国へ。やってられんってったって、生きているんだから動きますワイ。ナイフ持っている人と、電車ですれ違っているのかも知れんからねえ。やれんねえ。ということで、市内某所に引越しを決めようと想う。
| 9本・記録集 | 06:35 | comments(0) | trackbacks(0)
Ace with 59......
4月27日
Ace with 59......
 The Neatbeatsの「59 Cafe」(https://www.the59club.co.uk/)はこのフライヤーにもある老舗のロッカー御用達のカフェから取ったものだろう。このフライヤーは「Ace Cafe」で手に入れた方だけど、彼らは一緒に協力し合っているんだなぁ。
 Bromly Contingentの世界の人たちがナチの軍服のフェチだったのは、イギリスの場合にはこの辺りのロッカーズの影響は潜在的にも大きかったと想うわねえ。
 もう随分この世界にはご無沙汰しているけれど、どうもヤバイなぁ。バイクとギターはモノとして美しいからな。物欲を押さえつけるにも無理があるわねえ。困ったものだ。 

      Ace Cafe (jointly with 59 Cafe).JPG
| 5今週の余糞 | 14:32 | comments(0) | trackbacks(0)
気になる本――雑誌の終焉(上)。
4月27日
気になる本――雑誌の終焉(上)。
 「『働く青年』と教養の戦後史」[福間良明著, 筑摩書房]
 副題は「『人生雑誌』と読者のゆくえ」である。「人生雑誌」という言葉は初耳だ。まず目次を引いてみよう。
   序章  格差と教養と「人生雑誌」
   第1章 戦争の記憶と悔恨―荒廃と復興の時代
   第2章 人生雑誌の隆盛―集団就職の時代
   第3章 大衆教養主義の退潮―経済成長と消費の時代
   第4章 「健康」への傾斜と人生雑誌の終焉―ポスト高度成長の時代
   終章  人生雑誌に映る戦後―エリート教養文化への憧憬と憎悪
 「葦」という戦後雑誌をご存知だろうか。戦後雑誌と言っても猟奇的なカストリ雑誌と違って、「人生雑誌」や「人生記録雑誌」を代表するものだそうだ。
 出版されていた期間は1949年(昭和24年)から60年(昭和35年)。最大毎月8万部が刷られていたという。俺の生まれる前に廃刊になっているから知らなくて当然か。
 創刊は早稲田大学の哲学科に聴講生として籍のあった山本茂実(1917-98年)が中心となって進められた。逆算すれば山本は当時すでに30代で、当初は学徒兵の遺書等も取り上げられたという。山本は松本市に生まれ、高等小学校を卒業して実家の農業に従事した後、応召。長い軍隊生活の後で復員し、松本青年学校の教師を勤めた後で、上京して早稲田の聴講生になった。
 筑摩のコピーも分かりやすい。
 「経済的な理由で進学を断念し、仕事に就いた若者たち。知的世界への憧れと反発。孤独な彼ら彼女らを支え、結びつけた昭和の『人生雑誌』。その盛衰を描き出す!」

        「『働く青年』と教養の戦後史」表紙。.jpg

 だから、雑誌は学生だけでなく、勤労青年・青年団員をおもな読者層として創刊され、読者からの投稿原稿を幅広く受け付けて掲載した。
 「本書はこれらの人生雑誌の担い手を、発行人と読者の両面から捉え、かつて隆盛した大衆的教養主義の実相を浮かび上がらせる」
 「当時、中卒で商店や工場で働く勤労青年も『「実利」からあえて距離を取り「人生」「読書」「社会批判」といった公的・形而上的な主題につよい関心』を抱いた。彼らの間には、エリート教養人への憧れと反感が同居していたのだ」
 第2章に人生雑誌の隆盛は集団就職の時代と重なるとあるから、これは分かりやすい。中学を卒業して夜行列車に乗る子供たちは、親と泣き別れて大都会に出た。直ぐにも働く仲間ができれば良いが、そうでなければ日々の暮らしの中で孤独をかこつだろう。人生雑誌はそういう孤独感を埋める装置になったと考えれば分かりやすい。

        「教養主義の没落」表紙。.jpg

 編集顧問としては、亀井勝一郎、清水幾太郎、都留重人らのが絡み、若かった早乙女勝元も編集に加わっている。この雑誌の成功で、各社から「潮」、「人生手帖」、「雑草」、「人生」、「みどり」といった人生雑誌が発行された。
 山本は後に「あゝ野麦峠―ある製糸工女哀史」を書き、「愛と死をみつめて」などもこの人生雑誌の潮流の中から生まれた。串田孫一の一連の著作もこの辺りから出たという話を知ると感慨深い。
 「この隆盛が、60年代半ばまでにぱったり終わる。人生雑誌は続々終刊し、出版社は目玉を『人生』から『実利』に切り替えた」
 「『受験』『ビジネス』『健康』は、実利の三大商品である。高校や大学への進学率が劇的に上がり、人々の関心が教養主義から消費主義へ機軸を転換させる中で、『青春』も『人生』も語られることはなくなった」
 「私たちが生きる現在は、この転換の果ての風景だ」
 賛否分かれるようだが、嵐山光三郎が死の恐怖から逃れるためには「教養」しかないと主張し、語っているのはこの反語になっている。人生雑誌の廃れた後に続いたものは何だったのか。(東京大学教授・吉見俊哉評、日本経済新聞)


追記
ウッフッフッフ。辞めときますが、ウッフッフッフ。
| 9本・記録集 | 06:13 | comments(0) | trackbacks(0)
一杯、やるべえか。
4月26日
一杯、やるべえか。
 近頃、当地では天候が不安定で、先週末は近所の公園で、さらに一昨日辺りはスコットランドで、労働党の組合の党大会が開かれている。一昨日はスコットランドは吹雪になった。
 ロンドンも同じで、寒気団が降りてきた。昨日は2度くらいまで下がって、今日はこの通り、ひょうが降ったわね。帰宅するまでに、晴天、にわか雨、曇天、そしてひょう、と、4回めまぐるしく天候が変わって今はまた曇天に。

      ひょうが降った20170426 (1).JPG

 そいでまたまた吟醸酒を引っ張り出して一杯やりたくなるわけ。〆張鶴もこれで終わりになっちゃった。日本酒は恋しいかと言われると、まぁ、恋しいけれど、無くとも構わない。
 「私の酒」[浦西和彦編, 中公文庫]を買ってきて読んでいるから、飲みたくなるかというと、そうでもないわけ。帰国して飲む方がよっぽどうまい。そしてそれを楽しみにすることが楽しみだからだ。不自由を愉しむなんてのは、いよいよ俺も自虐的になってきたところがあるわねえ。

      純米吟醸「純」 (3).JPG


 こちらは昨日、Chicken Pot-Au-Feuに紫ニンジンを入れてみたら、こうして鮮やかな色に変わりました。こういう野菜は日本には殆ど無い訳でしょう。珍しい野菜も想い出になるからねえ。京野菜なんてのは夢にまでみるけれど、無いものを夢見るってのもまたこれはいいんだよな。

chicken pot-au-feu (4).JPG
| 7喰う | 22:57 | comments(0) | trackbacks(0)
南欧3カ国に文句無し。
4月26日
南欧3カ国に文句無し。
 先週はランチがスペイン、夜はイタリア、翌日は昼がポルトガルだった。パワー・ランチだから大変だけれど、まぁ、何れも気の会う人とのメシだとやっぱり旨いわねえ。

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 海老・イカ、蟹、鰯をワインで流し込むというのもまた、良し。最近はこれら3カ国の人たちの経営している店舗がこの街で大きく伸びているわけだ。

20170416 Franco Manca  (3).JPG

 ピザ、パスタ、タパス、各種魚介…旨いのは大抵、この3カ国の絡むレストランだわねえ。

Polpos Crab Linguine.jpg
| 10随想 | 15:19 | comments(0) | trackbacks(0)
気になる本――サイコパスと軍用犬。
4月26日
気になる本――サイコパスと軍用犬。
「サイコパス」[中野信子著, 文春新書]
 10刷20万部でべストセラーというから、延べると1刷で2万部印刷ということか。昨年11月に発売して半年で20万部だ。テレビを観ないので知らなかったのだが、著者はテレビに出て様々な発言をしている「天才脳科学者」だそうだ。
 著者を調べていくと「かつら」というキーワードが現われる。人前に出る時には黒髪のかつらで、地毛は金髪。カラオケなどでメタルを熱唱するのだそうで、学者としてとそうでない顔を使い分けるため、「On / Off」の切り替えにかつらが必要なのだそうだ。今時は中々そういう切り替えが難しいのかな。メタルと学者は同居はできるようにも想うが。

ゴーグルとベストを着用した軍用犬の空中作業訓練。.jpg

 「サイコパス」と聞くと、連続殺人鬼を想起する俺などは古いそうで、「サイコパス」の定義はもっと幅広い。それでも、例えば「Trainspotting」の主要登場人物の1人であるBegbieは映画中でも「サイコ」と仲間に陰口を叩かれる。日常精神疾患があるというニュアンスでまだまだ一般的には使われている。
 しかし今では「サイコパス」の定義は正確には違っていて、サイコパスの人の特徴は、「良心や善意を持っていない」ということだそうだ。犯罪者に限らないし、「およそ100人に1人の割合で存在するという」とある通り、社会一般に珍しくはないそうだ。だが、「平気で嘘をついたり、人を陥れようとしたり」という面もあるそうで、厄介だ。
 (ははぁ、なるほど)
 平気で嘘をついて陥れる人というと、思いつく人物がいるが、今ものうのうと某地で暮らしている。本書でも指摘されている通りで、言葉が巧みで社会的な地位も高い。彼を「困った人」だと気付く人は殆どいない。だが、極めて社会的に危険な人だと思う。最初に持った家庭で、奥さんと子供たちは、夫の人生の踏み台になった。殺人こそは犯していないけれど、考えてみれば、その歩いた路傍に彼に陥れられた人たちの死屍累々だ。サイコパスの割合は年々増えていないのだろうか。売れる理由も想像がつく。(『ベストセラーの裏側』文化部・岩本文枝評、日本経済新聞)

             Begbie in Trainsppoting.jpg
 
「戦場に行く犬 (原題:Soldier Dogs)」[Maria Goodavage著, 晶文社]
 「サイコパス」に焦点が当てられる一方で、軍用犬を中心とした犬と人間の関係はどうだろう。近年、軍用犬を主人公にした映画が撮られていた理由も次の下りで分かった。
 「2011年、米軍がアルカイダの指導者、ウサマ・ビンラディンを襲撃した時、その作戦には犬も参加していた。名前はカイロ。アメリカではテロリストを倒したことより、この軍用犬のほうが話題になり、オバマ大統領(当時)もカイロの帰国後にわざわざ表敬訪問にでかけたそうなのである」
 「鋭敏な嗅覚と聴覚。ハンドラー(犬の指導手)に褒められることだけを報酬に敵地に乗り込むという忠誠心。兵士が亡くなっても、遺体の傍らにじっと佇むという話もあるくらいで、犬と兵士の間には特別な絆が芽生えるという」
 毎朝毎晩市内を歩いていて飼い犬とすれ違う時には、俺はじっと目を観るようにしている。犬は必ず目が合うと反応してくるから面白い。

大日本帝国陸軍の軍用犬。.jpg

 中には俺に飛びついて来る幼い子もいれば、じっと顔を見詰めるだけの老犬もいる。何れの犬も、こちらと何らかのコミュニケーションができていると感じる。長じた犬の場合は、人間で言うと3歳の幼児くらいの知能を持つ個体もいると言われる。犬に関する書籍は多いが、老犬の顔ばかり集めた写真集があるのも分かるように想う。
 欧米人は、犬を犬小屋で隔離して飼うのでなく、通常は家族として家の中で育てる。細やかに感情が通じ合っていることが分かるような場面に立ち会うと、観ている方も幸せな気分になるのは不思議だ。おっと、この時、「サイコパス」は何も感じないのか。くわばら、くわばら。(ノンフィクション作家・高橋秀実評、日本経済新聞)


追記
今日は某所で密談の結果、俺は急にまたまた忙しく日欧を往復することになりそうなのだったよ。ビエーン。花のピュンピュン丸ちゃんなのよ。
| 9本・記録集 | 08:47 | comments(0) | trackbacks(0)
Lie Lie Land?
4月25日
Lie Lie Land?
 フランスも衆目の一致していた通り、一騎打ちの決選投票になったわけだけれど、これでBrexitのように票がもし割れたなら、「Frexit」と呼ばれる通りで、同じ結果になるだろう。
 EUは大打撃を受ける。新聞も書かないけど、フランスがEU離脱を唱え始めると、もう、抑えるものが無いよ。
 俺は昔からメルケル女史は握手した相手ではあるけれど、実はあまり信用できないと想ってきたからね、その後ろ側から誰かの「ヒッヒッヒッ」という押し殺した笑いが聞こえるんだけど。

      Lie Lie Land (掲載 1).jpg

 彼らのダンスに次は女性が加わるのか知らん。Trumpに2人のタフな姐さんの相手は厳しいだろうねえ。もう70歳が目前だしなあ。

Lie Lie Land (掲載 3).jpg

 戦うべき相手は本当は遠くにいるからねえ。「the Guardian」、潜在読者を戦闘的な気分にさせちゃってから、ま、当地の世間を煽っていますわいなあ。これがタブロイド新聞の根っこにある本質的なもんだものなぁ。煽情家を排出した煽動国家かいねえ。
 一昨日はサッカーの大決戦で、赤いユニフォーム姿の人々が大勢歩いておりました。勝ったからいいようなもの、あれで負けていたら、また泥酔客がそこいらで騒いで大変だったろうと想うわなぁ。子供は大人を観て育つことは、あれを観るとしみじみと実感しますわい。

「the Guardian 定期購読広告」(20170415号).jpg
| 10随想 | 15:33 | comments(0) | trackbacks(0)
手元にある本――あるマレーの軍属の話(下)。
4月25日
手元にある本――あるマレーの軍属の話(下)。
 「Outsider」[Frederick Forsyth著・黒原敏行訳, KADOKAWA]
 Frederick Forsythの父親がMalaysiaのJohorのゴム園でPlantationのManagerとなって移住したのが1930年頃。
しかしその後、5年近くも単調な日々を耐えても泣かず飛ばず。母国に残して何とか手紙のやりとりだけで留め繋いだ恋人を呼び寄せるか、いっそ帰国する方が良いのか迷い始めた頃だった。
 深夜、ある日本人の労働者から子供の容態が急変したので助けて欲しいと懇願される。父親は夜は9時には休んでいたが、日本人が相談しに来たのは10時を回っていた。
 街から危険なジャングルを隔てて遠く離れていた荘園のManagerは医者の真似事もやらなければならない。いざとなればよろず相談の何でも屋になった。
 10歳位の日本人の男の子は素人でも急性虫垂炎と分かった。しかし自分では手術は無理だ。自分の背中に男の子を紐で括り付けて、街を行き来したオートバイで130km離れたChangi(現Singapore)の総合病院へ密林の悪路を飛ばしたとある。JohorのJalan Kluang辺りにゴム園があったのではないか。

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 途中から大通りに出たが、深夜のジャングルの悪路をオートバーで飛ばすのはこれも命懸けだ。幸い、腹膜炎になりかかっていた男の子は、間一髪で、緊急手術を済ませ、何とか一命を取り留めることができた。
 当時は、夜行性の虎や豹などの猛獣も毒蛇もいたジャングルを切り拓いてPlantationを開発していた時代。今ならJohor−Changi間は高速を一っ走りだが、深夜にオートバイで未舗装の密林を走ることは危険極まりない冒険だった。
 俺は、40年近くも昔、小河原良太に借りたスクーターに女の子を乗せて、未舗装の道を走ってヤブに突っ込んだことがある。猛獣がいるような密林なら、オートバイが止まった時点でもう危ない。
 ちなみに、金子光晴や菅原通濟はジャングルを通らず、河を船で上り下りした。その河も人喰いワニがいたりして怖い。オートバイで未舗装・無灯火の森を深夜走るのは、猛獣がいなくとも危険だ。背中に病人を紐で括り付けていたらなおさら危ない。よくジャングルを走ってまで従業員の子供を助けようと決心したものだ。

Bear Grylls with Barack Obama.jpg
 Barack Obamaにサバイバル術を実地に教えるBear Grylls。生きるチカラ自体を画面で
 目の当たりにさせられる。敵をやっつけるのもいいけれど、極限状況から抜け出して
 生き延びていく判断力、行動力、運動神経。身体能力の限界まで使い切っている感じ。

 後日、日本人は父親の前に進み出て、自分は金も無く、恩に報いることができないが、一つだけあなたに忠告したいのは「帰国した方がよい」ということだと言ったそうだ。父親は、もう潮時だと感じていたこともあり、その忠告を素直に聞き入れて帰国した。
 ここには多くは書かれていないが、当時の世相や情勢の変化について、父親は感じるものがあったのかも知れない。
 この5年後の1941年12月には真珠湾攻撃で太平洋戦争が始まった。翌年1月には“マレーの虎”、山下奉文の指揮による「マレー作戦」で日本軍が電撃的にマレー半島全域を侵攻できたのは、父親の帰国前から、その男のような「日本人工作員」を各地で多数育成し、手引きさせたためだろうと書いてある。日本で言う、いわゆる「軍属」で、ハリマオで知られる谷豊(1911-42年)などもその1人だ。

金子光晴「職人」原稿.jpg
 金子光晴の原稿。インテリの原稿だからなあ。そうそう、ちょっと、この人からも、
 サイコパス系の匂いを感じるんだけどな、俺。

 自分の体験からも言えることで、この話には異国で暮らす者に大切な教訓がある。
   (1)分け隔てせずに人に公平に接したこと
   (2)リスクをかえりみず弱者の命を救ったこと
   (3)相手の誠意ある言葉を信じて容れたこと
 こういう人にはごくごく自然にいい情報が集まってくる。
 帰国して恋人と結婚した父親。2人の間に生まれたのがFrederick Forsythである。家で取っていたのが「Evening Standard」で、外電記事の都市名を読み聞かせながら父は自分の冒険譚を息子に話して聞かせた。
 日本人従業員が忠告した言葉にも情がある。彼が「日本人工作員」であったとは書いていない。Forsythの誕生はその日本人の忠告のお陰で、日本の戦争責任は問われたが、自分の生まれた責任は、日本人には問えないと書いている。これまた味がある。


追記
明日にご期待。

| 9本・記録集 | 07:04 | comments(0) | trackbacks(0)
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