岡田純良帝國小倉日記

気になる本――日経、獄中系5連発(下)。
1月22日
気になる本――日経、獄中系5連発(下)。
「中国の海洋進出を抑え込む」[日本安全保障戦略研究所編著, 国書刊行会]
 昨日からの続きになるが、獄中の海洋進出に対して、こちらは真剣にどう抑制するのか、有識者が種々の具体的な提案をした研究書だ。
 2006年に憲法改正の提案をした。また、彼らの主張は明快で、日本は核武装をすべきと踏み込んできた。基本的な理由として、東京が攻撃されれば直ぐに50万の死者が出ると認識しているためだ。このため国政で核に関する論議をすべきで、タブーとすべきではないと主張してきた。
 「執筆者の大半が防衛省や自衛隊の元幹部なだけあって、描かれる中国への対抗策は具体的で、明確だ。あえて欲を言えば、対抗策だけでなく、中国から協力を引き出す戦術も読みたいところではある」
 協力を引き出すのは経済界の戦術というところだろう。(『短評』、日本経済新聞)
「対中外交の蹉跌」[片山和之著, 日本僑報社]
 「駐上海総領事をつとめている現役の外交官が、戦前の日本の対中外交を検証したユニークな一冊だ。松岡洋右や重光葵ら、上海を舞台に活躍した外交官がたくさん登場する」
 「その外務省が中国大陸での軍の暴走を押しとどめることができなかったのは、外務省より軍の方が豊富な中国情報を蓄積していたのが一因、とする分析はうなずける」

       「台湾人の歌舞伎町」表紙。.jpg

 「外務省が内外の世論の支持を十分に獲得できなかったとの指摘は、これからを考えるうえでも大切な視点だろう」
 情報量もさることながら、日本が過去からずっと弱くって情け無いのは情報発信の力だ。国連やその他国際機関の中で他の脅威国による情宣活動に負け続けてきた。慰安婦問題でさえ俺の愛するSan Franciscoではもう議論の余地が無いほどの状況に追い込まれた。哀しいことだが、日本はぬるま湯社会だ。平時の今この時さえ、情報戦争は続いていることを日本人の99.99%の人が認識していない。(日本経済新聞)
「台湾人の歌舞伎町」[稲葉佳子・青池憲司著, 紀伊国屋書店]
 こちらは本土ではなく台湾系のハナシだ。
 コピーにはこうある。「“らんぶる”も“スカラ座”も“風林会館”も台湾人がつくった」
 新宿にフーテンが集まったのは、解放区だったから、という感じがあった時代がある。
 「第2次大戦後のこの町で大きな役割を果たした華僑には台湾出身者が多い。本書はこうした史実を、日本人を含め30人近い人々に取材して掘り起こしている」
 「戦後、新宿西口に生まれた『西口マーケット』に多くの台湾出身者が店を出した。朝鮮半島出身者と同様、彼らは日本の法的規制を受けることなく統制品を扱えた。台湾は戦後、中国大陸から来た国民党政権が支配。日本統治時代とは違う新たな弾圧や粛清が始まって、帰郷できなくなる人も多かった」
 1970年代前半は、それこそフーテンも到る所にフラフラしていたし、学生がたむろしていた。西口側の地下街は、まだ高層ビルにオフィスが開設されていない70年代前半は、ちょっと気味の悪い所だった。中央公園では強姦事件なんかが起きていた記憶がある。
 新宿は、1982年に「スタジオアルタ」で「笑っていいとも」が放映され始めて以降、全体にすっかり安全できれいな街に変わってしまったところがある。
 書評に「彼らには『無尽』と呼ばれる独自の融資の仕組みや、金融組織があった」とある。誰が書いたかは知らないが、鎌倉時代から続く日本の「講」を知らないとは。辞書くらい引いて書いて欲しいものだ。(日本経済新聞)


追記
東京は昼以降に厳しい寒さに入って行くようだけど、問題は電車の運行。さて、どこまでJRが持ちこたえられるか。問われているのだけれど、実力を示して貰いたいわねえ。トラブルに巻き込まれないように、頑張りまっしょい。
昨日からの西部邁の件。江藤淳に近い感覚があったのかどうか。年齢を重ねていくのはこれはこれで実に厳しいことなのだろうと予感はするのだが、さて。
| 9本・記録集 | 06:44 | comments(0) | trackbacks(0)
マイウーなら和風スパもオッケーら。
1月21日
マイウーなら和風スパもオッケーら。
 昔は現地濃度の高いレシピでなければ許さないみたいな現地原理主義的な感じが自分自身でもあったのだけれど、今はもうそんなことはない。和食がこれほど世界に広まると、和食も伝播した先々でどんどん変化しているもの。
 寿司は世界的な料理になってきた。バスクでもパリでもロンドンでもニューヨークでもロサンゼルスでも、20年前とは全く違う。どんどんどんどん変わっている。だから、ナンチャッテ寿司だなんて日本人が決め付ける方が変だ、という時代に移りつつある。
 世界の料理はお互いに大航海時代から大混血時代に入ってきたのだ。
 だから、その伝で言うと、日本酒などはこれから大変な時代に入るだろう。ヨーロッパ産のコメで、ヨーロッパの水で、これからどんどん酵母を使った日本酒の醸造が始まるからだ。
 1970年代から80年代前半のフランスのような慌てぶりが俺には見えるぜ。胡坐をかいているとロクなことにならんわけだ。
 それはさておき。こうして和風のレシピでスパゲッティーを喰っても、今は、美味い美味いと素直に感じられる。これは某所で。美味かった。
 
逗子某所たらこのクリームスパゲティー.JPG

追記
これから某所へ。忙しいずら。

追記の追記
西部邁が入水自殺の報。何が起きたのか全く分からない。
| 7喰う | 11:52 | comments(0) | trackbacks(0)
気になる本――日経、獄中系5連発(上)。
1月21日
気になる本――日経、獄中系5連発(上)。
「中国『絶望』家族(原題:One Child)」[メイ・フォン(Mei Fong)著/小谷まさ代訳, 草思社]
 2016年に2人目の出産を認めることにして、30年に及ぶ一人っ子政策についに終止符が打たれた中国。彼らもまた、日本の政策にも大いに注目しているのは、急激で大規模な少子高齢化に直面することは避け難くなっているからだ。
 「多くの中国人が『膨大な人口のせいで社会保障が行き届かない』という認識を持っている。そして、英国の『エコノミスト』でさえ、ブラジルの熱帯雨林の保護や米国の二酸化炭素排出量の削減より、一人っ子政策は地球温暖化の抑制に効果があったと論じた」

        「中国絶望家族」表紙。.jpg

 日本では知られていないが、中国共産党政府には、「9073計画」という老人介護に対する国家の基本的戦略がある。
65歳以上の高齢者の90%が社会的な支援サービスを利用しつつも家族で介護を維持し、7%の高齢者が居住地域の在宅介護サービスを利用、残る3%の高齢者が介護施設に入所するという考え方だ。つまり、殆どの老人は自分たちで面倒を見ろ、という考え方で、結婚をして夫婦になっても、招来は4人の老人を自宅で面倒を見なければならなくなる。3%はどうせ特権階級。在宅介護は大きな社会的な負担になることは目に見えているが、実は、そこには大きな商機も存在していることも忘れるべきではないだろう。

       「中国はなぜ軍拡を続けるのか」表紙。.jpg

 著者はマレーシア生まれの中国系アメリカ人。これまで、一人っ子政策を推進してきた「計画出産弁公室」を人口警察と呼ぶ。組織は透明性を欠き恣意性と暴力性に満ちていた、としている由。評者も指摘していないが、著者はWall Street Journalの記者なのである。中国関連著書は、著者が誰かということに常に留意して読む必要がある。(『この一冊』東京大学准教授・阿古智子評、日本経済新聞)
「中国はなぜ軍拡を続けるのか」[阿南友亮著, 新潮選書]
 俺が臥薪嘗胆の日々を送った時、中国大使だったのが阿南惟茂(1940年-)氏。その謦咳に触れたことがあるが、本書は元大使のご子息で東北大学大学院教授の著書だ。

      「イエズス会士と普遍の帝国」表紙。.jpg

 「ざっくり言えば、著者の結論とはおおむね次のようなものだ。中国が軍拡を続けるのは必ずしも、国力が増し、対外的に強気になっているからではない。むしろ国内に矛盾が噴出するなか、共産党による一党支配を維持できるかどうか、指導部が不安を募らせているからである――」
 国内の矛盾のまやかしのためだとは以前から指摘されているわけだが、その次の分析が我々としては欲しいわけだ。
 国内の不満層のハケ口が海洋進出というご高説なら、過去、帝国主義国家で古今東西の類例は枚挙に暇が無い。但し、共産党軍は国軍ではなく、共産党の私兵という指摘には目からウロコが落ちる思いがあった。
 著者の伯父のことは以前から存じ上げている。つまり大使の兄上ということになるが、ご一統は高級軍人の一家らしい言うに言われぬところがあった。同じように久世彌三吉陸軍少々の倅だった久世光彦も似たような雰囲気があった。(日本経済新聞)


追記
現在の大相撲については考えることは色々あるけど、今はまだ、暫し様子を見たい、というところか。先日、讀賣に天覧試合となった日、突貫小僧と麒麟児の勝負では、昭和天皇が身を乗り出したというハナシが引いてあり、そう、そうだったなぁと懐かしく想った。遠い昔のハナシだ。今晩からクソ寒くなるニッポン。明日はおっかねえなぁ。
| 9本・記録集 | 06:55 | comments(0) | trackbacks(0)
美味い皿――あいなめ清蒸。
1月20日
美味い皿――あいなめ清蒸。
 珍しく横浜の某所であいなめのポン級があって、調達して貰った。あいなめといえば清蒸である。この魚は、太い骨以外は全てしゃぶりつくせる。ウマミの爆発の連続。
 バイトで外呑みして帰ってきたアクビ娘は、今日はあいなめと知るや、喰い直す気になったらしく、大皿に残った最後のあいなめの切れ端を必死に確保しましたわい。

20180113 あいなめ清蒸 (6).JPG

追記
国分寺、これで、一巻の終わりかも。好きにしたら?、ってところだな。むなしい。

「東京都の国分寺駅北口の再開発事業で、“ツインタワー”の建設工事が2月中旬にほぼ終わり、4月1日の開業に向けた準備が本格化する。1990年の都市計画決定から4半世紀余りの事業の完成によって、国分寺市の新しい玄関口が誕生する。ツインタワーは、国分寺市が施行者となり、住友不動産(新宿区)が建設。36階建ての西タワーは高さ135m、35階建ての東タワーは125メートルある。駅の改札口を出て、西タワーを貫く幅12メートルの通路を抜けると、バスターミナルやタクシー乗り場のある交通広場に出られるようになる計画だ。
| 7喰う | 15:46 | comments(0) | trackbacks(0)
80年代真ん中辺り――山口冨士夫素描(番外・下)。
1月20日
80年代真ん中辺り――山口冨士夫素描(番外・下)。
 冨士夫はシーナ&ロケッツを通じて世間に広まっていったところがあったかも知れない。
 「あくびしている神に祈るよりも何も知らない俺でいたい」
 そう歌った冨士夫も、少しずつ変わっていった。時は80年代真ん中辺り。
 この晩は、上映されるビデオの画面の隅の方に自分らしい男の背中が写っていたりして、上映中ずっと落ち着かなかった。だが、あの場に立ち会った興奮が蘇って、あの瞬間には何かが始まるような予感さえあったことを想い出した。しかし何かが起きたわけではない。
 この頃起きたことで覚えているのは、高崎の「暴威」が「BOØWY」となって売れ続けていたことだった。それでも、解散する1987年には、渋谷や新宿駅のチケット発券機に「BOØWY 1987XXXX #BOOWYXXXX」と刷られた小さなステッカーが貼り付けられた時期がある。前衛美術家のハプニングでもなく、ゲリラっぽい告知をよくやったものだ。それでもああいうことを公然とやっても、摘発されたと聞かなかったから、まだまだ「BOØWY」さえ一般には知られた存在ではなかったのだろう。

山口冨士夫&鮎川誠1986 Session (掲載).jpg

 そういう時期の山口冨士夫である。俺は悪い仲間と肩を組んでしょっちゅう観に行ったわけだが、我が家でも、“我が偉大なる女房”は一度も観ていない。法政大学学館でスカされたのが最後だった。
 「観てみたい」
 それで“我が偉大なる女房”もこの日ははるばる下北沢にやって来た。
 その後、この夜は様々な時代の映像が流された。80年代半ばの映像だけではなかった。シーナ&ロケッツにも有為転変があった。昔ローディーだった渡邊信之がサイド・ギターで参加していたステージでも冨士夫が絡んだ。ギブソンのレス・ポール2本。バンドの音はすっかり重戦車のように変わっていた。
 ジョニー吉長と穴井二吉がリズム隊を担当した90年頃のビデオでは、鮎川誠が大きく「@」と胸に描かれたTシャツを着ていた。冨士夫は、80年代半ば頃とは違っているように見えた。何かが違っていたが、それが何か、俺にはよく分からない。
 「画像が粗くて、分からなかったよ」
 この日の客は誰もがそう感じただろう。

「渋谷ライブイン」(1986.5.6)(掲載).jpg

 80年代半ば頃、俺達は冨士夫のマイクを奪った晩がある。信じられないかも知れないが、「Route66」のようなクラシックなナンバーだった。荒っぽい反応には、冨士夫は嬉しそうにニヤリとした。無精髯を生やしていて、やさぐれたドカチンみたいに見えた。
   「ヘイ、ハニー ほんとはちっともわかってなんかいないんだろう だからどんな顔して
   いいのかさえ解らないんだろう 見せかけだけの愛なんてもう要らないぜ」
 90年代は、冨士夫は薄化粧をしてステージに立った。俺達から離れて、マイナーを卒業してメジャーに去った。俺達もとうに学校を卒業して、散り散りになっていた。冨士夫の歌い方は変わってしまっていた。「宝島」に連載したエッセイで、伝説に尾ひれがついた。
 晩年、ゲンパツ反対運動に加担するように再び現われた冨士夫を俺は一度も観ていない。観たくなかったわけではないが、変わり果てた姿は見たくないという恐れが先に立った。死後、映画で最晩年の姿を観たが、後悔はしていない。
 メジャーと契約した後の活動はSex Pistolsの第1期と第2期のように違っていた。Bromley Contingentが追いかけたのは凡そ第1期に相当する1976年。80年代の半ば頃、第1期の冨士夫を観ておいて、つくづく良かった。「悪い仲間」にはそう報告するつもりだ。


追記
昨夜は夢を見ていて、「チキチキマシン大レース」に参加しようとして、ベルリンかウィーンのスタート地点に急いでいるのよ。向こうからカッコイイクルマが沢山走ってくる。俺だけスタートできてない。
「ナンバー105、あの懐かしいクルマは」
そこで男女のアナウンサーが声をそろえて、
「ゲンちゃ〜ん!」
「だけどスタートしてからそろそろ」
「5ふ〜ん」
(やばいぜ)
必死に急ぐのに、まだスタート地点が見えない。
「おお、残念ながら、あのゲンちゃ〜ん、タイム・ア〜ウト〜!」
トホホホホホ。参戦前に脱落。
| 8音楽 | 08:09 | comments(0) | trackbacks(0)
2018年――雑煮。
1月19日
2018年――雑煮。
 今年のお雑煮は牡蠣入りだった。マイウー。無病息災が何よりなんだけど、いきなり暮から調子崩しちまったからなぁ。って、ま、今はヤクを服用しておりません。束になったヤクの袋が積みあがってるけどな。

雑煮。
| 7喰う | 18:49 | comments(0) | trackbacks(0)
80年代真ん中辺り――山口冨士夫素描(番外・中)。
1月19日
80年代真ん中辺り――山口冨士夫素描(番外・中)。
 客電が落ちた。
 スクリーンに現われたのは1986年5月6日、「Live Inn」のギグの当日リハの風景だ。
 「レイジー・クレイジー・ブルース」。鮎川誠は長髪で髪の毛にボリュームがついていて頭が大きく見える。Gretschのような箱型のギターを抱えている。
 左手にフテ腐れたように立っている青木眞一の姿。黒いスニーカーにジーンズだ。白いストラトでローズネック。ストラトは珍しい。青木眞一のファイヤーバードは70年代後半、SPEEDを始めるに当たって、どうにかこうにか費用を工面して買ったものだそうだ。
 だが、この日は山口冨士夫がファイヤーバードを抱えている。SPEED時代の青ちゃんのギターはチューニングが直ぐ狂うので青ちゃんは敬遠するようになり、代わりに冨士夫が弾くようになったという話も聞いた。だが、冨士夫のファイヤーバードはテールエンドが違っている。別のギターだろう。メジャーと契約後、2人はレモン・イエローのレスポール・ジュニアと黒いストラトキャスターをとっかえひっかえして使い回していたこともある。

山口冨士夫&鮎川誠1986 Session (掲載).jpg

 この日の冨士夫は、出所し立てだからか坊主が少し伸びて螺髪のようにも見える。黒いジーンズに黒い先の尖った短靴。新宿のワシントンで買ったか、丸井で買ったか。
 青木正行が客席側に降りてGerry and the PacemakersのGerry Marsdenみたいにしてプレシジョンのボディーを水平に構えて弾いていた。
 冨士夫は腰骨にファイヤーバードのボディーをガッチリ抱え込み、腰を軸にして弾く。背筋を伸ばし、マイクに伸び上がるように歌う独特のシルエット。これが冨士夫の基本形。メジャーで変になる前の基本的なスタンスを久しぶりに観た。
 左のネックを一瞥もせずに伸び上がる。ステップは前に前に。膝から下の足先は、自然後ろ足で蹴るように動く。日本のギタリストでこんな動きをする人はまず観たことが無い。 左の指先は大きく開き、右のカッティングで、弦がブンブン揺らいでリズムを刻んでいる音がアンプからハッキリ聞こえる。
 「赤い雲」は、ジャズ・ギターみたいな繊細な緊張感が漲っている。だが、そもそも残すための記録ではないから、画面も音もお世辞にもいいとは言えない。そして、ホンバンはバンド全体の音が潰れてしまう。レス・ポールの音が大き過ぎ、冨士夫の音が聞こえない。
 しかも「Live Inn」にはモニターが無かったようだ。もし、彼らは自分の音を聴けずにあの演奏をしていたとしたら、お気の毒だったが、今日でもこちらの記憶に深く残るステージだったということは見事な腕だったとも言えるだろう。
   「またこれから新しいレコードも出るけん」
 ビデオの中で鮎川誠が冨士夫のことをそう紹介したら、ビデオを観ていた「ガーデン」の客席から笑いが漏れた。
 そうじゃない。あの頃、山口冨士夫は世間一般にとって行方知れずの伝説の彼方にいた。トラブルを起こし、とてもレコード会社が相手に出来る手合いではなかった。レコードが出るかどうか以前に、“動いている姿を観ること”が珍しかったのだ。

山口冨士夫@赤提灯 (掲載).jpg

 冨士夫は「リゾート」や「タンブリングス」では、Van Morrisonの曲をカヴァーしたのだが、この日の晩、客席にThemやVan Morrisonを聴く人は、例えばどれほどいたろうか。
 (ちぇっ、チャライぜ)
 おっといけねえ、また僻目の虫が出た。あれから31年も経っているのだから、当時さえ知らない人が客席には随分いるはずだ。


追記
体調リョーフ。うーん、如何せん。
| 8音楽 | 06:38 | comments(0) | trackbacks(0)
80年代真ん中辺り――山口冨士夫素描(番外・上)。
1月18日
80年代真ん中辺り――山口冨士夫素描(番外・上)。
 12月8日、雨の下北沢の「ガーデン」に。
 開戦記念日の夕方には雨が必ず振ると天気予報で脅されていたので、出掛けにMilanで買ったお気に入りの折り畳み傘を珍しくカバンに忍ばせていた。
 小田急小田原線を下北沢駅で下りると南口改札前は雨滴の今にも落ちてきそうな空気だ。「下北沢ガーデン」に行くまでに雨になるだろう。まずは腹ごしらえ。
 近所の広島風お好み焼き屋で、なぜか左右にハングル語に囲まれながら「イカ天そば」を喰った。この店、ソウルでは有名な店だそうだ。彼女たちはものすごい化粧が濃いのと、ものすごく白いので、日本人ではないことは一目で分かる。
 女たちは低い小声で話していたが、時折、男の客に目をくれるのだが、そこには強烈な目力があって、昔の70年代の銀座の女みたいでちょいとタジタジとなった。そういう女の感覚も嫌いではないけれど、俺には無縁の人たちだ。
 下北沢はごちゃごちゃして歩き難い。どうしてこんなに小さな店まで途切れることなく韓国人の若い女性観光客が来るのか俺には分からなかった。

山口冨士夫&鮎川誠1986 Session (掲載).jpg

 だが、考えてみると、こういう言い回しは誤解を受け易い時代になった。しかし、俺は国粋主義でもなければ、人種で人を差別するタイプでもない。しかし色々経験してみると、もう、50歳から先は、日本人の友達と付き合うくらいで十分にも想っている。
 同国籍でも難しいのだから、国籍が違う人との付き合いは難しい。歴史と文化の背景が違うけれど、皮膚の色や骨格が似通っている者同士はなおさら難しい。近親憎悪の感覚が自然に湧いて来るから恐ろしい。
 同じ肌の色をしているのに分からんか、と、互いに想い込んで違いがあっても譲らない。立て膝をすると半島人だと分かる。顔を洗う時には、水を受けた手の平は動かさず、顔を動かしたら中国の人だと分かる。料理を持ってくる時に片手を後ろに組むようにするのも同じ伝。
 それだけでも難しいのに、同じ国籍で肌の色が違っていたらどうなんだろう。冨士夫は、目の開いたメクラとか、合いの子とか歌い、自分で自分の黒い肌の傷をナイフで切開して、赤い粘膜をむき出しにする。俺はその自傷行為のような詞と曲が好きだった。
   「べつに遠慮なんかいらない どんなに生意気でも本当のことをいつもいつも
   言っていればそれでいいじゃないか たとえそれでお前の恋が終わったとしても
   いいじゃないか
   何を考えてるんだい いまさら昔に戻れない もうすぐさ 終わりがくるのも
   みんなに必ずその日はやってくるのさ それだけ それだけ それだけ」

山口冨士夫@福生ハウス(掲載).jpg

   「どこへ行っても同じことさ 見抜けた世界で道化しても
   嘘の言葉模様がうつるだけ 言葉で全てをわかろうとは 言葉で全てをわかろうとは
   いくらけだるさ感じていても そこまで言葉なんかにゃ 惚れていない
   たとえお前が正しくても 俺の命は俺のものさ
   たとえお前が正しくても 俺の命は俺のものさ
   濡れた頬であの日の事を 濡れた頬であの日の事を 思い出すのは悲しいから 
   涙を隠して笑うのさ」
 地下の会場は身内もいるし、他には知った顔もちらちらと見えたが、目立たない場所に陣取って、場内にかかる曲を聴いてみた。
 建物入り口で「Live Inn」の時の「赤い雲」の音源が流れているのが聞こえたからだ。だが、次は先祖返りして、村八分のこれまたライブを2曲ほど――その後、さらにGS時代にまでワープ。そしてダイナマイツのオンパレードだ。「マイ・ガール」、「ジュディのごまかし」、そして「トンネル天国」。
 流す曲が無いのだろうかと思いきや、ダイナマイツは瀬川洋さんの活動に刺激されて、オリジナル・メンバーが再び杉並周辺で蠢いているのだそうだ。だが、ダイナマイツにも、村八分にも、冨士夫の心の底に移った姿を映す曲は無かったように想う――こちら側も、何か、きっかけをつかみたいと想って悪天候にも関わらず下北沢にやって来た。


追記
最近、一気にお蔵入りさせていた靴を出して履いているのだ。15年程前に今のような体制にしたのは、世界的に靴が尖ってしまい、暫く様子を見ようかと想ったからだ。今、再び、20世紀の伝統的な靴のデザインが復刻され始めて、ようやく安心して引っ張り出したもの。流行ってなんだろうと想うわね。もう、色々な流行が繰り返して回ることを見ているから、そう想うんだろうなぁ。
| 8音楽 | 06:24 | comments(0) | trackbacks(0)
吉本文化。
1月17日
吉本文化。
 先ほど帰宅した。西○とか修○とかいうハナシもあり、一際、ヒ○シマ弁で盛り上がったのだが、寿司屋の風上におけないような店であったわい。
 だが、俺のマザー・タンはあの御国の言葉ではないんや。だから、神戸に行くと神戸の神戸弁が懐かしい。だけどもっというと、大阪でもなくて、京都よりも滋賀。だから俺は敦賀なんだろうなぁと想います。
 明石から敦賀行きの電車が出ていて、この間、風が強かったから誤魔化したけれど、涙が出ましたね。いよいよ、耄碌ですらいなぁ。

      吉本文化。
| 10随想 | 22:54 | comments(0) | trackbacks(0)
さようなら、はしだのりひこ(2)――懐かしい京都。
1月17日
さようなら、はしだのりひこ(2)――懐かしい京都。
 クリスチャンではないが、関西の女子高で挙げてみれば、四天王寺学園はどうだろう。神さんや仏さんとも違って、ここは聖徳太子の教えを基本理念とする中高の一貫校だが、学校は四天王寺の境内にある。
 天王寺の周辺から動物園駅辺りは人間の生態が生々しく剥き出しになっていて、浮浪者、ルンペン、立ちん坊を横目に女子生徒は学校に通う。卒業生は捌けた女が多い。東京なら浅草寺の境内に雙葉学園があるようなものだ。だが、雙葉学園は六番町にあり、卒業生はガッチンガッチンの優等生ばかり。
 以前から須賀敦子が誤解されているなと感じるのはそこ。大学こそ聖心学院の卒業ではあるが、小林聖心の卒業生で、関西の女として見ていく方が、俺にとって彼女の感受性はずっと理解しやすい。
 須賀敦子は16歳で東京の聖心学院の寄宿舎に入るが、例えば小林聖心時代に音楽教師であった遠藤周作の母親の郁と会っている可能性がある。遠藤周作の笑いは関西ど真ん中で、関西はミッション系にさえ、教義と街場、その落差を笑い飛ばす感覚は染み通っている。
 はしだのりひこは「帰ってきたヨッパライ」で知った。その時、俺は雪深い敦賀にいた。俺が入園した初めての幼稚園は、三島1丁目にある浄土宗の西蓮寺付属の幼稚園だった。甘茶をふるまわれ、子供向けの念仏を唱えさせられた。
 ところが、関東に戻ると、日蓮宗ではあるが、同じ仏教寺院の経営する幼稚園で、だが、幼稚園の暮らしの中に、どこにも仏教的な教えは無かった。団体行動ばかりうるさくて、関東の幼稚園のやり方に反抗して暴れた。

Folk Crusaders.jpg

 あれ以来、関東の教育や教育者は、建前ばかり言うから気に入らない。建前を言う前に、まずは楽しい気持ちにさせるとか、もっとやり方があるだろう、コイツら阿呆かと思った。
 「ボク、楽しくてええな」
 敦賀では、まず大人はこう来た。そこからじわじわと諭しにかかる。
 ところが関東は違っていた。
 「岡田君、そんなことしちゃダメよ」
 関東では高圧的に来る。子供目線には立たない。カチンと来たわけだ。
 「帰ってきたヨッパライ」の詞は交通戦争の最も激しかった時期を色濃く反映している。ユーモラスな歌詞だが、よく考えると、団塊世代特有の含みがある。

伏見稲荷千本鳥居。.jpg

 「おらは死んじまっただ おらは死んじまっただ おらは死んじまっただ 天国に行っただ 長い階段を 雲の階段を おらは登っただ ふらふらと おらはよたよたと 登り続けただ やっと天国の 門についただ 天国よいとこ一度はおいで 酒はうまいし ねえちゃんは きれいだ」
 モノクロ・テレビの画面に、背の低いはしだのりひこが写っていて、クルセダーズでもはしだのりひこは子役かと思った。丁度この頃か、「みんなのうた」で「雪のふるまちを」がNHKで繰り返し放送されていて、俺の記憶の層にはこの2つの曲が刷り込まれている。
 「雪のふるまちを」と同じ世界が屋外に拡がっていた。若狭の入り江の最深部の敦賀から見はるかせば、京都は琵琶湖の向こう側に輝いて見えた。今では、京都市内の鯖鮨の鯖は九州かノルウェー産だという。暮らしていた頃には、ハタハタも鯖も雑魚の扱いだった。俺の京都は半世紀も前の遠い昔の京都。そこには「風が吹いているだけ」。


追記
「日本の家」[中川武著]に着手。色々発見があって面白くてなぁ。これはまた別稿ですわね。
本日これから出立。
| 10随想 | 06:52 | comments(0) | trackbacks(0)
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