岡田純良帝國小倉日記

ピンチョス地獄の釜の蓋が開きっ放し。
2月26日
ピンチョス地獄の釜の蓋が開きっ放し。
昨日は謝肉祭のカーニバル。金曜日から日曜日まで続く中日だから絶好調。
ずっと開きっ放しなりけり。ルー•リードとメリル・ストリープと会いました。テイム•ロスも来ておったデラよ。



今日のビックリは日本語メニューのある店があり、若大将は日本語ペラペラだったこと。それと、蟹肉タルトだとかまぁ腰を抜かすようなのもあるけど、亀の手がメニューにあって、高価で珍味ということと、親近感湧きましたねえ。



歓待されると調子が出るというのか、1年に1度のカーニバルという季節もあったのかもしれないけど、彼らと味蕾繋がってる感じがしてきますわな。
俺の境涯としては、孤独ってのが大事なんだけど、時々、こうして家族で弾けるのも大切だと思いますね。あら、随分と勝手ね。オホホホホ。



近頃はどこに行っても参っちまうなぁと思わされることが多いけど、まだ某大陸とかの人たちには荒らされていないかな。行く気になれば短期間でも充分期待を裏切られずに楽しめますから今の内かも知れませんな。
完全徹夜組多数あり。深夜から早朝にかけて絶叫組で何度か目が覚めました。年寄が踊りまくっているのは南方の血ですな。ミシエラン星15個地帯を行く我々。諸兄姐、まだ、旅が続きますわい。

| 7喰う | 15:51 | comments(0) | trackbacks(0)
説教師の娘たち――姉と妹と。
2月26日
説教師の娘たち――姉と妹と。
 2月10日、DetroitのLocal TV(WDIV)に久々に出演したAretha Franklin(1942年-)。今年9月に新譜を出し、コンサートはもうやらず、引退し、孫と余生を送ると宣言した。
 「Aretha観られずに終わるのか」
 「残念だけどしょうがないね」
 我が家では、家族揃ってアメリカ東西岸に暮らしていた20年ほど前、Ray CharlesとAretha Franklin以外、ほぼ、Rock 'n' Rollの歴史上、重要な歌手・ミュージシャンはカヴァーした。アクビ娘は、1950年代初頭にApollo Theaterから全米ネットで司会をやったRuth Brownが歌い踊る姿をMusic Loungeで観ているのだ。

「Its Over」(Erma Franklin)ジャケット。

 だが、Aretha Franklinはまだ観ぬ大歌手の中でも最右翼としてずっと幻の人物だった。1980年の「Blues Brothers」で「Think」を歌い踊る彼女のキメのセリフは我が家では今も生きている。
 「Bring me four fried chickens and a Coke」
 ハンバーガー屋でJake Bluesの口癖を言ってみたことがある。
 「Jake, You are No Good」
 左手を腰に当て、右手を指差して今でも使う。我が家では、イギリスの屈折したPythonsよりも直接的なこちらだった。あの時、Aretha Franklinは38歳だった。あの貫禄で38歳だったとは。Beyoncéが当年とって36歳だから、歳の取り方が違う。

「(Aretha Franklin in )Blues Brothers」(1980)

 「Rolling Stone」誌上では「the 100 Greatest Singers of All Time」で第1位。生きているSingerとしては並ぶものの無い地位を占めているが、実は引退宣言は、これまで何度か出しては引っ込めているので、本当かどうか分からない。
 とはいえ彼女の年齢も今年は後期高齢者となるし、重症の飛行機恐怖症なのでツアーもできず、残念ながらこれほどの伝説的なヴォーカリストであっても、レコード会社には旨みが無い。収入が見込めないこともあって、大手から契約を打ち切られていた。
 プロの歌手としては1961年から歌い続けてきた彼女。1968〜1975年には8年間連続でGrammy Awardで最優秀女性R&B歌手として表彰された。一度引退を宣言した2005年にはWhitehouseでGreenspanらと共に最高位の大統領自由勲章が贈られている。
 史上最高の女性ソウル・シンガーには説教師の父親、C. L. Franklinがいて、この父が天性の美声を娘たちに伝えた。Arethaには4歳上の姉・Erma Franklin (1938-2002年)があり、Ermaは1962年のデビュー後、70年頃まで活動を続けたが、その後は、妹のバック・コーラスに収まった。もう大分前に亡くなっている。Janis Joplinで知られるが、「Piece of My Heart」を最初に吹き込んだのはErma Franklinで、Janis Joplinはこの歌を聴いてカヴァーしたのだ。Peter Barakanさんは原曲を推してたっけ。
 Aretha Franklinのステージは観られなくともいいではないかという気もする。本当の美声は自分の耳でその肉声を「体験すること」が何よりだから残念ではあるが。John Lee Hookerの肉声は凄かった。レコードに残っている声はその何分の1かくらいで、もうナマの声には抗えない性的な魔力があった。

「Sixties Girls」(Various Artists)ジャケット。

 Arethaは歳を取って太ってしまったからなおさら。その点、若い時だけ録音した姉のErmaは大ヒットに恵まれなかったが、今でも素晴らしい天性の声をCDを通じて確認することはできる。
 2013年にLos Angelsの「Record Surplus」(http://www.recordsurplusla.com/)で彼女の古いアナログ盤を買った。それからずっと聴いている。
 それから随分、色々な音源を集めた。まだ買ってはいないのだが、2014年にはまたまた怪しい編集盤、「the album Sixties Girls - 60 Original Recordings」が編まれた。これに彼女の「It’s Over」が収められている。嬉しいね、分かったヤツがいるんだね。

「(Aretha Franklin in )Blues Brothers」(2)(1980)

 この曲を聴くと、姉と妹は本当に瓜二つだという感じを受けるだろう。最近入れている彼女のPlay Listを以下に。
   1) It’s Over (Single)
   2) For Once in My Life (Soul Sister)
   3) Gotta Find Me a Lover (24 Hours a Day) (Soul Sister)
   4) Change My Thoughts from You (Soul Sister)
   5) Light My Fire (Soul Sister)
   6) Piece of My Heart (Single)

「Her Name is Erma」ジャケット。.jpg

 「Piece of My Heart」については、1998年夏に、Golden Gate ParkでPhoebe Snowが歌うのを観たことがある。素晴らしかった。重度の脳障害を負つ娘を看取って、彼女も世を去った。東京で、再結成ツアー中のNew York Dollsがカヴァーしたことがあって、ぶっ飛ばされた話は何度も書いた。
 「It’s Over」の喉の転がり方、裏返り方。父親の血を継いだ姉妹は歌うことが楽しかっただろうなあと想う。この曲はビックリするだろうけれど黒人のBoogieとしちゃ最高の部類のDance Tuneだよ。騙されたと想って聴いてご覧。若い頃のAretha Franklinがいるから。だけど、歌ってるのはお姉ちゃん。間違いなさんなよ。呵呵。


追記
「It’s Over」は日本ではあまり知られていないだろうから、ソウルファンはぶっ飛ばされるかもしれん。今年1月初旬から暫くヘビローだったな。シャウターったってこんなシャウターそうおらんですよ。大人になってからの歌唱と違って、黒人教会の熱気が剥き出しのシャウト。カッコイイ。幾つになってもこんなの聞かされるとケツが浮いて来ちゃうな。


追記の追記
野城さんから。セブンスも、ずいぶん長くなりましたなあ。

まもなく春を迎えますね。
春も近くなりましたので、
トラメの2017年のライブを
スタートします。是非とも
遊びにお越しください。
★トラメ2017ライブ‼
・日時 2017年3月11日【土】
 Open/start 16:00/16:30
・場所 横浜セブンスアベニュー
http://www2.big.or.jp/~7th/contents.html
・料金 前売2500円 当日3000円
・出演 トラメ
    THE METRO'S
El Libre
Crazy Soul No.8
★トラメは、夕方の18時20分からの
 出演となります。
★メールにてご連絡いただけますと
 前売を受付に取り置きます。
 よろしくお願いいたします。
トラメ一同
| 8音楽 | 06:43 | comments(0) | trackbacks(0)
ピンチョス地獄の釜のフタが開いた。
2月25日
ピンチョス地獄の釜のフタが開いた。
オラ!、まずは鰻の稚魚から。こいつが湯がいてニンニクオイルにつけてあるのを赤いパプリカで包んであるわけ。こいつは美味いなんてもんじゃないんだけど、追加注文を我慢しながら次の店に突撃するわけよ。



5軒回って苦しくなったけど、それでもまぁね。Tボーンステーキを食っちまったから3軒目以降はあまり積極的には食欲が湧かなかった。
今日は朝っぱらから楽しく参りましょう。アディオース!
| 7喰う | 16:45 | comments(0) | trackbacks(0)
気になる本――丸山三兄弟のこと。
2月25日
気になる本――丸山三兄弟のこと。
「娯楽番組を創った男」[尾原宏之著, 白水社]
 当選後、就任前のDonald Trumpに会いに行った安倍晋三首相。2月半ばに2泊3日も大統領の別荘で過ごし、27ホールのゴルフ・コースを回った。日米両トップがゴルフや食事を共にしている2月12日、北朝鮮がミサイルを日本海の公海に向けて発射した。各国は一斉にこの行為を非難する声明を出し、日米のトップも、10日の首脳会談の後に出した北朝鮮への核・ミサイル開発の放棄に関する共同声明への挑戦で、断じて容認はできないと明言した。だが、容認しないで何をするか――言葉のまやかしだ。政治とはそういうものでもある。敵対する側も、安倍訪米ではどんなことでも言うだろう。
 「日米の交渉で安倍内閣は対等に交渉できないだろう。トランプ大統領との会談も色々なお土産を持って行ったようだ。トランプ氏が公共事業を主張しているが、数兆円の日本が負担をして、間接的にするということも一部報道されている。カネで何とかご機嫌とってまあまあ、というやり方をしている。貿易、経済交渉になったらもっと強い要求を出してくるのではないか。自分の懐にもっと響いてきた時にどうするか。その時になってギャーと泣き叫んでもしょうがない」
 小沢一郎の講演要旨を引いたのが朝日。大陸に朝貢外交をやった人のブーメラン発言を引くしか抵抗の術が無いのも惨めだが、朝日ももうそこまで追い詰められている。
 さて本書は敗戦前から戦後にかけてNHKで活躍した丸山鐡雄(1910-88年)の評伝だ。なぜ鐡雄か。鐡雄は丸山三兄弟の長男。敗戦前に大阪朝日や大阪毎日等で論陣を張った丸山幹治(1880-55年)の息子で、晩年は日本コロムビアで美空ひばりをいびり続けた。
 俺の若い頃には神格化されるほどの政治学者だったのが次男の眞男(1914-96年)であり、三男の末弟は長男・次男と違い、全日本炭鉱労働組合で書記を勤めた邦男(1920-94年)。長男と三男の10年の生年の違いは大きい。
 長男・鐡雄は、戦後は「素人のど自慢大会」をはじめ、三木鶏郎と組んで人気番組を作り、出身母体のテレビと組んで日本の歌謡曲の全盛期の礎を築いた。しかし三男の邦男は、俺にはまるっきり活動家に近い。神のような扱いの次男の「無責任の体系」を批判した。次男と三男は戦後のイデオロギー論争の中を泳いだところがあるから、人間として観た時には大して面白くない。
 その点、長男は早くに世間に出たこともあり、敗戦前の全体主義の世相の中でNHKに潜り込んだ人物だから、戦後の世相を泳ぎ渡る抜き手は面白い。素人にのど自慢をやらせたのはこの男の発案で、国中が熱狂する超人気番組になった。あの美空ひばりの映画初出演は笠置シヅコの「東京ブギウギ」を歌った「のど自慢狂時代」。しかし彼女は実際のNHKのど自慢大会の予選では「子供らしくない」として失格させられている。
 ひばり人気が不動になった昭和25年になっても「かりにいま美空ひばりが、のど自慢に出場したとしても、私は鐘を鳴らさぬだろう」と毎日新聞に書いた。その後、ひばりが田岡一雄との関係で世間の非難を浴びた時は日本コロムビアの役員として彼女を叩いた。そしてNHKから長い間干された。音楽専門教育を受けていないひばりのような素人も、芸者が歌を吹き込むそれまでの芸能業界も鐡雄は嫌った。
 「教育上よろしくない」というのが鐡雄のスタンスで、この辺り、次男の眞男がヤクザの存在を日本の(それまでの右翼的な)意思決定過程では陰の重要な役回りとして攻撃したところと全く同じ伝だ。
 三男の邦男は早稲田を中退して炭鉱の組合活動に飛び込んでしまったので、大宅壮一のトップ屋グループに加わり、闘争の現場等をつぶさに見て政治運動に失望していく。「現代の眼」や「創」等の雑誌に連載した共産党批判も含めた天皇の戦争責任を問う「天皇観の戦後史」[白川書院]は奇跡的に面白い。
 天皇を躊躇せず批判している。このため、敗戦後、「人間宣言」をした象徴天皇を嫌った三島由紀夫の思想を首尾一貫していると誉めている。「豚か狼か」等の作品のタイトルで先入観を持たれて損をしている。邦男は制度の批判でなく、天皇自身を批判した点で、三島由紀夫と並ぶ。敗戦後も尻小玉を抜かれていない稀有な男だった。
 それでも三兄弟には消し難いエリート臭がある。朝日と同じようなエリート臭。ストを破るやくざ。これと乱闘する炭鉱夫。そこに美空ひばりを置いてみる。路傍の石ころを排除するか、その存在を見ようとしないところは実は三人に共通している。
 この書評では鐡雄のひばりイジメに筆が及ばない。どうしたことか。牧原出らしくない。一種の人民裁判で、人権を蹂躙するものだった。鐡雄の陰の部分にこそ光は当てられるべきだろう。戦後社会の道筋をしっかり見直すことはこれからのために大切な作業だ。
 さもなければ我々は思考の筋道が脆弱な「戦えない」インテリ国のまま、アジアの片隅で誰かに属国化されてしまうぜ。(政治学者・東京大教授。牧原出評、讀賣新聞)


追記
ピンチョス地獄の蓋が開いちまったぜ。あらあら大変だわね〜。本日だけでまず5軒参りました。イーサン・ホークとグレン・クローズにお会いしました。彼女は怖くて逃げてきました。イーサン・ホークはおっちゃん化してましたな。
それと、町で一番でかい教会に名古屋にいるはずのジョニーがいてびっくりしました。つて、あれは、ジーザスだよと誰かに言われるまで気がつきませんでした。
| 9本・記録集 | 07:25 | comments(0) | trackbacks(0)
気になる本――日本語の吹き替えで観たい。
2月24日
気になる本――日本語の吹き替えで観たい。
 「モンティ・パイソンができるまで(原題:So, Anyway)」[John Cleese著・安原和見訳, 早川書房]
 中学生の頃に12チャンネルで放送していた怪しい番組が「チャンネル泥棒!快感ギャグ番組・空飛ぶモンティ・パイソン」だった。
 Graham Chapmanの声は山田康雄が当て、本書の著者、John Cleeseは、銭型警部の納谷悟朗。アメリカ人でアニメーション担当のTerry Gilliamの声が愛する広川太一郎。

       「モンティ・パイソンができるまで」表紙。

 俺には「ルパン三世」の漫画家がモンキー・パンチで声優はClint Eastwoodと同じ山田康雄だって知っていたけど、山田康雄と納谷悟朗に広川太一郎だ。当時、日本で最高のメンツを揃えていたけど、画面のギャグ集団には何か暗い攻撃性が感じられて合わない感じがした。イギリスの社会を笑い飛ばしているように感じられたけど、分からない。
 それでもガキには抵抗のできないナンセンスなが含まれて話題になった。その代表がJohn CleeseのSilly Walkだった。その頃、何度か真似をしたけれど、あれは日本人が真似るのは難しい。やってみれば分かるだろう。骨格が違うせいだ。
 ここまで書いてきて、そのSilly Walkについて想い出すことがあった。
 俺には4学年下になる妹がいて、彼女はScot(仮にKとしよう)とEdinburghに所帯を構えて住んでいる。残念ながらまだ「Trainspotting Tour」は実現できずにいるのだが、帰れと言われる前に一度は行きたいと想っている。
 K君と会ったのはSex Pistols再結成の1996年だった。OfficialのSex PistolsのTourシャツを父娘お揃いで着て目立った。「Holiday In」に投宿した俺たちを訪ねてきた時、アクビ娘はまだ3才だった。K君、緊張していたのかどうか彼女のゴキゲンを取ろうとしていきなり始めたのがSilly Walkだった。
 (うわ、コイツ、何者だよ!)
 だが、アクビ娘は大喜び。K君は1970年生まれ。Pythonsの全盛期には小学生だった。年季が入っていて、どこからどう見ても、「アホ」。俺たちとK君を結んだのは見上げるような大男のClint Eastwoodくらい背が高いJohn Cleeseだった。「アホ」とは言語・人種を問わない。そのSilly Walkerの自伝がこれ。原題は「So, Anyway」。昨日の書と逆で、邦題の方が内容を正確に言い表している。本人含めた6人衆が揃ってPythonsを始める前までの若い時代を描いたものだ。

「The Mminister of Silly Walks」

 本書を英文学者はこう評している。
 「(John Cleeseは)体面を気にする『ロウアー・ミドル』出だが、パブリックスクールに通ったおかげで『ミドル・ミドル』のふりをすることができるという。このイギリス人の階級意識というのは実に面倒だが、クリーズに言わせると、本物の上流階級はすばらしく礼儀正しいのに、『本心から好きなのは、なにかを追いかけて撃ったり、水から釣り上げて窒息させたりすること』だそうだ」
 階級を嗤うところにPythonsの面白さはあるがやや不穏な感じもする。また「本心から好きなのは、なにかを追いかけて撃ったり、水から釣り上げて窒息させたりすること」という記述は、すでにPythonsの貴族を嗤うギャグになっているのだ。

      「New Yolker」(Silly Walk) June of 2016

 CambridgeのFootlights Dramatic Clubを核にするPythonsと違って、Hugh Grant(1960年-)はOxfordの卒業生だが、本当はComedyをやりたくてBBCで脚本を書いていたChris Langらと「The Jockeys of Norfolk」を結成していた。
 100kgを超えてしまったK君はもうSilly Walkはできないだろう。だが子供の頃から外国人の笑いだという感じがあった。今もそれは変わらないどころか、ますます笑いの真髄は分からない気がする。日本では脚本を景山民夫が丁寧に書き換えていたそうで、ここは吹き替え版で観てみたいところだ。(英文学者・河合祥一郎評、日本経済新聞)


追記
3人の前妻は何れもアメリカ人だったが、最期に選んだ今の女房はイギリス人。この辺りにギャグをかませる突っ込みどころ満載なんだけど、本人は意外にもそういうネタはあまり仕込んでいない。ってかねえ。

追記の追記
今日はホントのホントに密談だった。
| 9本・記録集 | 08:45 | comments(0) | trackbacks(0)
臭い飯、喰ったことあるケ?
2月22日
臭い飯、喰ったことあるケ?
 無用心にメシ屋に入ると、こんなクソ不味いサンドウィッチを喰わされて、おまけにそういうのが10ポンド近くもかかったりするからご用心だ。

    Londonの風(『臭い飯』のようなサンドウィッチ)

 Roma辺りだと、どんな店だってこんな生Porchini茸のパスタ位は仕込んであるからね。やっぱりな、メシの不味い土地はダメだわな。メシに気合の入ってない土地はキツイなぁ、ボク。

生Porchini茸のパスタ
| 7喰う | 23:57 | comments(0) | trackbacks(0)
ラーメン煮えたもご存知無い。
2月23日
ラーメン煮えたもご存知無い。
 審判にわかに慌ただしく。近所に引越しを考えていたら、とんでもない距離の引越しになったりして、まぁ、容易なことではないなぁ。
 そうなるってえと、コヤツは後々になれば引っ越しラーメンになるんだわねえ。明日からまたまた旅になるわい。

マルタイ鹿児島焦がしネギ豚骨
| 7喰う | 17:00 | comments(0) | trackbacks(0)
気になる本――「もう、感情を抱くような境地にはいないよ」
2月23日
気になる本――「もう、感情を抱くような境地にはいないよ」
 「シリア難民 (原題The New Odyssey)」[Patrick Kingsley著, ダイヤモンド社]
 2015年、著者のPatrick Kingsleyは、「the Guardian」の記者として17カ国を旅して圧倒的な難民のレポートを書き続け、昨年5月にまとめた原書が話題になった。
 先日触れたアメリカのNBCの記者のRichard Engel(1973年-)には及ばないにしても、憑かれたようなレポートが紛争地域からガンガン飛んでいた。若い記者だが、コイツは凄い腕だと感じていた。NCTJ(the National Council for the Training of Journalists)を修了した本格的な記者修行をしてはいるが、若いのに命懸けの潜入取材をするのだ。
 並外れた嗅覚、コミュニケーション能力、そして交渉力がある。まるで映画の世界だ。
 「イギリスの高級紙『ガーディアン』の難民問題の担当記者のパトリック・キングスレーが、欧州に密航しようとするシリア人に密着取材して」
 彼はシリアからスェーデンへの難民の旅に密着する。余計なことだが、この時の経費は当然、取材費として落とされるわけだ。それが許されるのに、日本ではお国の機密費が許されないのが不思議だわ。そろそろそういう幼稚な議論は卒業したいわね。
 「著者は欧州、中東、北アフリカの各地を取材して、この問題の鳥瞰図を描いている。タイトルは『シリア難民』だが、記述は現在の難民問題の全体像を射程に収めている」
 確かに、シリア問題だけではない。だから、この邦題は内容と合っていない。

         「The New Odyssey」(2)

 さらに言えば書評からは漏れているが、エジプトのIsmailiaにある秘密刑務所の存在も明かしている。Suez運河の開削で有名になった美しい都市だが、400名を越える人々が法的な手続きも踏まえずに幽閉され、拷問を受けている。
この状況をAmnestyなどは告発しているが、無論、改善の兆しは無く、彼らの人権は全く保障されていない。政情が不安定になって以降、エジプトでは2万人近い逮捕者が出ているという説も彼が抜いている。
 そのような反動抑圧状況の中で、37名が警察車両の中で政府・警官に殺人ガスによって殺された事実も暴いた。アフリカの大国・エジプトでさえも、制服姿の警官が抵抗者を秘密刑務所に送り、大量殺人をしている事実を次々に現場から書き送った。今、そんな記事を書き送れる日本人記者はどこにもいない。記者として生まれついたような男だ。
 当然、こんな告発を続けていたら命が危ない。どうして命まで懸けて取材を続けるのか。
 「なぜ難民が発生するのか。それは、シリアにしろエリトリアにしろアフガニスタンにしろイラクにしろ、難民の出身国の状況があまりに酷いからだ」
 2013年に23歳でトルコ支局の記者となり、中東各地から猛烈に記事を書き送り、毎年、重要な記者賞を受賞してきた。こういう人をアメリカは放っておかないから、とうとうアメリカを代表するメディアに呼び寄せてしまった。2017年、「the Guardian」を離れ、お隣の「The New York Times」のトルコ支局長に転職した。まだ27歳。
 派手に書きまくっていたスター記者なのに「the Guardian」は引き止め切れなかったのか。それとも「The New York Times」の示した条件が眼もくらむほど良かったのか。本書も売り上げは難民救済の基金へ流れる仕組みになっている。
 「I need to get the quotations I need, I need to count the number of bodies, I need to see where these people have been wounded and then once I’ve got the information I need, I’m going to get out as soon as I can for my own safety」(話を聞き、死体を数え、負傷者を観察して、やることをやったら直ぐに安全にそこから脱出するだけさ)

        Patrick Kingsley

 極めて優秀な欧米の若い記者たちは、だからこそ、危険な臭いに吸い寄せられてしまう。1960年代、VietnamのSaigonに優秀な記者が世界中から集まった。あの歴戦の記者のように、血の臭いに敏感な猛者たちは、今ならEgyptのCairoかTurkeyのIstanbulに集まっている。無謀なことをせず、是非とも生き残り、後々、歴史書になる大部の本を書いて欲しいものだ。
 「Gain nothing by panicking or getting scared. I almost zone out of an emotional state」(パニックや恐怖は何も生まないよ。もう感情を抱くような境地じゃないんだ)
 彼には、畑違いの兄がいるのではないかと想う。Fat Boy SlimらのVideoを撮っている映像作家のTom Kingsley(1985年‐)。年恰好がPatrickと良く似ている。Cambridgeつながりでもあるし、そうでないかと見ているが、事実かどうか調べ切れなかった。
 著者紹介にはこうある。
 「▼著者は英『ガーディアン』紙の移民問題専門のジャーナリスト。これまでに25カ国以上からリポート記事を発信」
 書評は2月5日付けだが、もうこの時には、すでに「the Guardian」を去った後だ。彼の武運を祈るや切。(『この一冊』放送大学教授・高橋和夫評、日本経済新聞)


追記
俺が辞めようとするとうるさいんだ。どこまで言えば気が済むんかいねと想うけれども。さて、これからは色々あるけれども、やってやるか、もう、思い切って寝ちまうか、ってなところで。
| 9本・記録集 | 06:25 | comments(0) | trackbacks(0)
今日の1台――Range Rover A Series IIA without canvas (1967)、再び。
2月22日
今日の1台――Range Rover A Series IIA without canvas (1967)、再び。
 レストアと各所の修理は進んでいるようです。先週末、走っている場面を目撃した。運転台に座っていた男は咥え煙草で紺色のT-shirts姿だった。修理会社の人なのかオーナーなのかは分からなかった。

Range Rover A Series IIA without canvas (1967) (掲載4)


 ラジエターグリルはまだだけれど、エンジンが再びマウントされ、交換か修理か定かではないけれど、ラジエターもこうして取り付けられている。
 少しずつ修理が進んでいる。エンジン音はかなり獰猛ですな。昔の古いエンジンだからどうしたってそうだけど、何か、人間的で、親しみの持てる音でした。
 向こうから獰猛なエンジン音のクルマが来るなと直ぐに気付いた。そういうものですな。犬も同じで、俺とは気の合いそうな犬がいると、遠くからでも互いに気付いているからねぇ。

    Range Rover A Series IIA without canvas (1967) (掲載3)
| 10随想 | 18:30 | comments(0) | trackbacks(0)
気になる本――我が道をゆくべし。
2月22日
気になる本――我が道をゆくべし。
 「逝きし世の面影」[渡辺京二著, 平凡社ライブラリー]
 Napoli見て以来、死期が近いのかも知れんね。宗教と宗教的な政治の弊害が物凄く俺は気になってら。俺は人類に人間性を回復したいのよ。オホホホホホ。
 関係無いけど、先日来、東京と大喧嘩が始まってら――俺は閉門・蟄居かも知れん。
 (オイオイ!)
 53歳で蟄居はないぞよ――入れる突っ込みも自分だけ。寂しいわねえ。オホホホホホホ。
だから、きっと、閉門ってことで、クビが飛ぶかも知れんけど、ま、構うもんか。
 さて。
 今年の正月の話さ。Pompeiでは、冠雪したVesuvioからは強烈な山おろしが吹き荒れていた。2千年前に灰の中に埋没した廃墟の街を歩く間、話題はどうしても温かな浴場に行く。Spainでも公衆浴場を見て興奮したが、Pompeiでも同じ。日本人だからなあ。

        Nazi Mädchen (3)

 俺は大きな風呂は大好き。しかも理屈抜きで大衆浴場として老若が垣根無く並ぶわけだ。21世紀でも貴族と労働者階級の間に深い溝のあるイギリス人にはできない芸当だわねえ。吹き荒れる山おろし。体感温度は零下で、ガッチリしたブーツを履いて全身重装備の“我が偉大なる女房”と違って、adidasの重爆撃機、Gerd Muller様にウールの脚絆・足首ウォーマーを巻いただけの南国装備の俺。
 「聞いてねえぞ、ナニが南国だ、クソ寒いじゃねえか!」
 考えてみてよ、南国鹿児島の気になって行ってみたらとんでもねえやい。妙義おろしの吹き下ろす冨岡の製糸工場の女工さんみたいな気分にさせられる。嗚呼、哀史だ。
 「こんな場所で凍死するのはヤだ!」
 「早く切り上げてNapoliでシーフード一杯のシチュー喰おうぜ!」
 いくらそんなことを叫んでも、吹き荒れる風の中に消えていく――詮無いことだ。
 「何か言った?」
 父譲りのキ○○イSight-Seekerの“我が偉大なる女房”のことだから全く動じない。そういう時こそ、冷酷なNazi Mädchen、“小倉の料理番長”の一面が発動されるのよ。
 「あっちに売春宿があるよ」
 「あそこに墓場もあるし」
 チラチラと俺の鼻先にエサを撒く。
 「おっ、売春」
 「おっ、墓場」
 手馴れたもんよ。弱みを握って顔色ひとつ変えないよ。世界中で通じる言語として軍隊生活ってのがある。Abusive Sergeantという英語もあるくらいでさ、鬼軍曹というのはこういう人か知らん。オホホのホ。
 そういう力関係で、そうなるとこちらも脱力するしかない。

        Nazi Mädchen (1)

 「ヤマザキマリも来たんかな」
 「来たんでしょ」
 「彼女は札幌で銭湯に行ったことあるのかな」
 「さすがにそれは私は知らんけど」
 「テルマエ・ロマエ」を書いた漫画家はここまで来たのか知らんとか、八甲田山の惨劇のような極寒の環境にまるで似合わない話になるわけよ――だって寒過ぎるんだもの!
 数日後、帰宅して讀賣の古新聞を開いてみると、そのヤマザキマリ画伯が登場していた。
 「確かにあの作品(『テルマエ・ロマエ』)において、日本のお風呂文化の素晴らしさを、海外に長く暮らしているからこそ気がついた目線で表現したいという思いはあったが、日本礼賛を意図していたわけではない」
 ご本人がそう書いておられる。ここで、彼女が話題にしていることは――「テルマエ・ロマエ」は日本礼賛の意図など無かったのに、日本礼賛だと日本人が読んでいることと、現代の日本人が海外からの見え方をひどく気にしていることへの違和感である。
 そこで「逝きし世の面影」が挙げられるわけだ。
 彼女は、誰に何と想われようが、暮らしのスタイル、自分らのジンセイを愉しんでいた江戸末期の日本人を写し取った「逝きし世の面影」こそ、「テルマエ・ロマエ」を書く時に参考にした資料だと振り返るのだ。
 (おお!ソー?)
 「経済という脅威に晒されることなく、貧しくても楽しく幸せに暮らしていたあの頃の日本人たちの様子が色鮮やかに描き出されている。生きる喜びに輝く元気な子供たち。西洋人に比べ、忍耐力が強く、礼儀正しい国民性」
 但し、賞賛だけでなく、彼らの戸惑いや違和感も記されているとある。
 「この中で外国人を魅了している日本人たちは、誰ひとりとして自分たち国民の対外的評価など気にしていない」
ああそうだったなぁ――Napoliは少なくとも。俺はNapoliの連中とは付き合えそうだ。だけど、Milanの連中は金庫に残った札束の数を勘定している。
 この喩えと全く違うが、彼女が今もMilanにお住まいなら、俺が閉門蟄居になっても、きっと、どこかで何時か会うこともあるだろう。俺の身内のMilanネットワークで。
 一方、最近の言動が先輩諸兄姐を心配させているようだ――申し訳の無いことですら。バトンを次代に渡せているのか。そんな不安で押し潰されそうになる。(『イタリアから読書便り』漫画家・ヤマザキマリ、讀賣新聞)


追記
先程まで某地にてチャプっておりました。それにしても世間は狭いねえ。俺の世間が狭いんだってさ。困ったもの。明日は体調不良で一日不貞寝かなあ。
| 9本・記録集 | 11:12 | comments(0) | trackbacks(0)
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